人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

土星の裏側

doseiura.exblog.jp

宇宙人と呼ばれた人達の診療所

 世間を騒がす殺人事件等が起きると、昨今の報道は視聴率を上げるためにことさらショッキングな側面を繰り返し強調したり、犯人の人格や人生を安易に総括して全否定したり、或いは「こんな人間を生んだ今の社会に責任がある」という政治批判の方向へと意図的に誘導したりするので、必ずしも真実に向き合わないまま、人々は事件をやり過ごすことになります。
 稀に気骨のあるジャーナリストや作家が、ブームが去った後も根気強く取材を重ねて、事件の真相や犯人の半生、その内面にまで踏み込んで、事件に至る道のりを丁寧に辿ってくれるので、読者はその記録を読んでようやく安易な報道とは違う真実に近い風景を眺めることができますが、それには時間が掛かりますし、それでもなお取材に洩れる諸事情はあります。つまり事件の全容は人の人生と同様、他者には完全には伺い知れないというわけです。

 表面的な報道とも深く探ったノンフィクション作品とも異なる視点から事件を眺める一手段として、算命学を使うことができます。今回の余話は、最近話題になった逃亡犯の命式を模擬鑑定します。
 1975年に爆破テロ事件を起こして指名手配となったこの人物は、偽名のまま50年間も逃亡生活を続けた末、病死する最後の瞬間になって名乗り出てきました。「本名で死にたい」というのが動機でした。算命学者としては、まず50年も別人になりすまして生きたという点に興味を惹かれますし、そのまま静かに死んでもいいものをわざわざ名乗り出てくるという発想がどこから湧いたかも気になります。勿論、死者を出すほどの事件を起こした動機や、頭の作りにも関心をそそられます。50年も逃げおおせるとは、やはり頭のいい人だったのでしょうが、その頭の良さの使い方は明らかに間違っています。ではどうして間違ったのか。宿命から読み解くことができるでしょうか。

 毎回くどいようですが、殺人犯になる命式というものは存在しておりません。そんなものが存在するなら、同じ生年月日の人たちも同様に殺人犯でなければなりません。実際はそんな事実はどこにも見当たらないので、宿命が原因で殺人が起こるわけではないことは明白です。宿命は人生の半分を担ってはいますが、残りの半分は本人自身の生き方が決めるのです。今回扱う人物も、生き方次第では全く別の人生を歩むことができたのに、幸か不幸か、逃亡犯として50年を空しく費やす人生になってしまいました。
 捕まらずに逃げおおせたのは幸運だったのでしょうか。それとも、真実を隠し続けて半世紀を過ごしたことは、不幸だったのでしょうか。恐らく不幸であったから、名乗り出て来たのでしょう。「虚栄心のために名乗り出て来た」と批判する人たちもいますが、そういう人たちは、自身が名誉欲や虚栄心の強い人たちであることを露呈しています。算命学の理屈では、この人物は虚栄心よりも真実に寄り添うために名乗り出て来た、と推測できます。その辺りを中心に、この人物の内面と宿命が示唆する行動・動機について、鑑定してみます。

(この続きは「フォークN」のこちら、及び「土星の裏側note」に公開中です。副題は「「本名で死にたい」背景」です。バックナンバーの概要は「算命学余話 副題目録」を参照下さい。運勢鑑定のお問合せはNo.006をご覧下さい。)

# by hikada789 | 2024-03-08 19:59 | 算命学の仕組 | Comments(0)
UFOではなかったが (No.1757)_b0214800_19205425.jpg
 特に釣り好きでもない宇宙人が網走湖の氷上ワカサギ釣りを楽しんだことを周囲に語ると、体験者はみな同意してくれた。「あれ意外と楽しいんだよ」。一匹釣れるまでが辛抱だが、釣れると二匹目からは期待でワクワク感が増す。しかもその期待はそれほど外れない。「辛抱した後の収穫」が楽しいのかな。宇宙人の頭の中では能『鵜飼』のサビが再生される。

〽おもしろの有り様や、おもしろの有り様や。底にも見ゆる篝火に、驚くうおを追い回し、かづき上げすくい上げ、ひまなくうおを食う時は、罪も報いものちの世も、忘れ果てておもしろや。

 鵜飼の風景はザバザバ騒がしそうで、氷上ワカサギ釣りの静寂とは違うが、魚を獲る側の人間としては同じ心境なのかもしれない。実際、時間を忘れたし、うっかり釣られてこの後天ぷらにされる運命となったワカサギたちを気の毒に思うより、「活きが良くておいしそう」という気分の方が何倍も大きかった。「罪も報いも忘れ果てる」とは言い得て妙。さすが能なのだ。

UFOではなかったが (No.1757)_b0214800_19201077.jpg さて流氷はまだ海を埋め尽くしてはいるが、春は確実に近付いている。宿と提携している流氷ダイビングの店が2月一杯で営業終了するのに合わせ、宿の業務もほぼ終了し、宇宙人も撤収である。最後の遠出に、摩周北創窯という京都からの移住者の開いた陶芸店で陶芸体験を試みる宇宙人。摩周湖ブルーと名付けた陶芸職人オリジナルの釉薬が気に入って、その色を目当てにカップ・お皿・ぐい飲み・豆鉢をろくろで作る宇宙人。焼くと縮むので予定のサイズより大きく作る。実際の出来栄えがどうなるかは焼き上がってからのお楽しみ。焼成は二か月後で、郵送してくれる。のんびり待とう。

 出立日の朝は五時前に目が覚めた。窓の外に星が見えたので、上着を着て外へ出る宇宙人。この星空ともお別れか。お、北斗七星がくっきりだ。その左手にオレンジ色の、多分アルクトゥルス。その下には明るい星が…あれ? 右から左へ動いてる? 流れ星の速さではない、ゆっくりだ。あ、その後ろにも同じく動く星が。あ、その後ろにも、そのまた後ろにも。なんじゃこれは。一列縦隊でどんどん出てくる。等間隔だし明らかに不自然。もしかしてUFO?
UFOではなかったが (No.1757)_b0214800_19194835.jpg 心をときめかせる宇宙人。山小屋に泊まるとUFO目撃談を結構聞かされるので羨ましく、いつか一度は見たいと思ってきたが、遂にその時が? アルクトゥルスを目印に数えると23個もあった。先頭は東の空へ向かい、その後ろに続く隊列も夜明けの光に向かって消えていく。2分間ほどの天体ショーに寒さを忘れる宇宙人。
 UFOかもしれない目撃情報を持ち帰ると、ワカサギ仲間曰く、「それはスターリンクの衛星ですよ。この日のこの時間に北海道で見えるという予報があったから」。へえ、スターリンクってこんな風に見えるのか。打上げ直後はしばらく一列に並ぶので銀河鉄道との愛称がある。でも見える時間や場所は限られているし、晴れてないと見えないから、宇宙人はラッキーということらしい。UFOでなくて残念だったが、綺麗な光景であった。勿論撮影はしていない。偶然だったからね。画像はその日のフライトの窓から見たエア・ドゥのマスコット「ベア・ドゥ」と女満別空港周辺の上空。

(※この記事は「土星の裏側note」にも掲載中です。)

# by hikada789 | 2024-03-05 19:21 | その他 | Comments(0)

 前回の余話#U17では「持って生まれた宿命は生涯変えられないが、生まれた後の生き方次第で欠点は補える」という点を強調しました。

 いくら宿命が優れていても、教育もされず努力もしなければ運勢は上がりません。稀に大した努力もしないで幸運をつかむ人もいますが、それは余程特殊な宿命の持ち主か、さもなければ親や祖父母に大変努力をして財を成すなり人格を上げたなりした人がいて、その人の陰徳を子供が有難くも引きずっているという事態に過ぎません。親が立派な人間だとその子供もさぞかし、という評価になるのは当然です。親が裕福なら当然子供だって小遣いに不自由しないでしょう。そしてそうした親の威光は親が亡くなるとせいぜい孫の代くらいまでしか続きません。凋落したくなければ本人が自助努力して開運するほかありません。


 その一方で、世間では立派な親に限って放蕩息子やドラ娘が育つこともしばしばです。こうしたケースは、一つにはその親が世間で思われているほど「人間として立派」ではなく、単に金持ち(禄)とか有名人(官)とかいうだけの話で教育者(印)としては失格だったということもありますが、もう一つには、その親は本当に立派であったがそれは人一人の器量を超えたもので、その超えた部分は実は子供の運勢から奪ったものであり、だから親に奪われた子供は運勢や人格を落とした、という風に算命学では考えております。


 ちょっと残酷に聞こえるかもしれませんが、そもそも親子関係とはそうしたものです。通常の家庭では、夫婦は子供の養育のために自分の時間や稼ぎを注ぎ込むわけですから、立派な「犠牲」となっているわけです。しかし世の親御さんはそれを犠牲だとは思わない。これが愛情というものだと納得しているからであり、元より人間の子供は成人するまでに年月が掛かるので、自活できる年頃になるまで余力のある大人が支援するのは当然だと考えているからです。この「自らの犠牲を厭わない」親の姿を、人は尊いと感じるのです。

(そういう意味で、大成功した親というのは我が子の分の運勢をぶん捕っている可能性が高いです。有名人を見て下さい。いい例が沢山あります。なお、「子供の運勢をぶん獲る親」の最大の現象は「子が生まれない」ことであります。)


 我が子のための犠牲を厭わぬ親の姿に感動した息子や娘は、大人になったら親孝行したいと思うでしょう。そうかと思えばこれだけ献身してもらったのに全然感謝しないという子供もいるでしょう。道義的には後者は非難されますが、運勢的にそれが正しくないとは言い切れません。一方、親の方でも「自らの犠牲を厭わない」親ばかりではありません。子供のために自分が我慢している状態を苦々しく思い、子供が成人した暁にはたっぷり恩返ししてもらうつもりという卑しい親もいるでしょう。

 こうした価値観や心情の違いもまた、宿命に出てしまう先天的な原因と、成育・生き方が築き上げる後天的な原因とがあります。


 算命学の考え方を整理すると、世間一般の道徳や常識というものは(国や地域によって若干異なるものの)社会のスタンダードを形作っているという認識であり、その道徳が8、9割がた世間にまかり通っているなら社会は「概ね正常な平和時」、通用しなくなっているなら「異常な時代・動乱期」と考えています。


 算命学は陰陽二元論なので、平和があれば裏側には当然動乱があり、戦争もまた否定しておりません。ただし、戦争が日常化すると生命・繁殖を司る火性の働きが著しく脅かされるため、火性と相生関係にある木性(幸福)と土性(財産)も共倒れとなり、社会は貧困と不条理のまかり通るデススパイラルに陥るのです。

 火性の衰退で独り勝ちするのは相剋関係にある金性(名誉)です。名誉で飯は食えません。こうして飢餓が行き着くところまでいくと人間は戦う意欲も体力もなくなって戦争をやめます。平和が復活し、やっぱり平和がいいね、食べられて、という結論に達します。少なくとも戦争で飢えた世代が入れ替わるまでそういう価値観が続きます。これが概ね8、9割の世情を占めているというわけです。算命学は五行論でもあるので、五行が世界を等分すれば、金性が世界を占める割合は約2割というわけです。


(この続きは「フォークN」のこちら、及び「土星の裏側note」に公開中です。副題は「中殺生まれと子供の教育」です。バックナンバーの概要は「算命学余話 副題目録」を参照下さい。運勢鑑定のお問合せはNo.006をご覧下さい。)


# by hikada789 | 2024-03-02 09:44 | 算命学の仕組 | Comments(0)
(※以下の記事は、「土星の裏側note」にも掲載中です。)

 知床の冬の風物といえば何と言っても流氷だが、それ以外に何があるかと問われると地元の人でも考え込む。スキー場はあるけど余所にもあるし、オオワシやオジロワシは流氷と大体セットで見られる。海にはシャチやクジラがいて夏場は客寄せしてくれるが、冬は流氷に阻まれて陸に近寄らない。先日うっかり流氷に囲まれたシャチの一家が狭い海面にすし詰め状態で林立する映像を見たが、あんな事故は冬ならではとはいえ、別に名物ではない。スノーシューで歩ける散策路も全部回ってしまった。冬季車両通行止めの知床峠を同僚がスノーシューで踏破したが、往復7時間もかかったという。一本道だから遭難はしないが、天候が荒れると地獄の修行になるな。帰京まで一週間を切ったし、あとはどこへ行くべきか。
氷上ワカサギ釣り体験 (No.1755)_b0214800_13254767.jpg というわけで網走湖ワカサギ釣りにチャレンジする宇宙人。地元の人の助言で「テントとイス」をレンタルできる会場を選ぶ。入漁料と釣り具一式で2200円。テントは二人用2000円から。天ぷらセット1000円。網走までのガソリン代は往復2000円程度。テントを一人でレンタルするのは割高なので、有志を募る宇宙人。すると若人が3人集まった。でも社用車を支給されているのは宇宙人だけ。じゃあ宇宙人が運転するのかい。リスキーだな。宇宙人は先日サロマ湖で溝にハマったばかりだというのに。前夜は雪が降って道路は冠雪している。参加者の一人は北海道出身の学生なので運転を打診してみたが、宇宙人とどっこいの腕前という。学生じゃ仕方ないか。ではいざ、出発なのだ!

 いまいちの天気の下、雪道をゴトゴト行く宇宙人。道中の「天に続く道」ではしゃぐ若人たち。宇宙人も初めて見た時は感動したっけ。でも最近は三度も自分の運転で通ったから見慣れてしまったよ。海沿いの道の左手に見えるはずの斜里岳は曇天で見えず。右手に見える流氷は今日もバキバキ。気温はやや高いが湖の氷が解ける心配はなさそうだ。
氷上ワカサギ釣り体験 (No.1755)_b0214800_13260851.jpg 予定の12時に会場へ到着。雪が降って来た。受付を済ませて四人用テントへ駆け込む一行。テントは十基ほど並んで設置されており、中には既に釣り用の穴がドリルで空けられている。前日使った穴だが、数日放置すると再び凍るため、念のため専用ドリルを橇に載せてテントまで運ぶスタッフ。ドリルで穴開けするところを見たかったが叶わなかった。インストラクションを受けて折り畳みイスを穴の前に据え、さあ釣るぞ!
 制限時間はなく、会場が閉まる午後四時まで好きなだけ釣って良いのだが、五分経ち、十分経ち…釣れないなあ。テントの外は雪が降り続き、風も強くなってきた。バタバタと音を立てるテントの中で、四人が無言で向かい合って釣り糸を垂れ、氷穴を見下ろしている。シュールな図だ。
 20分経った。「百物語でも始めようか」と水を向ける宇宙人。「それは難しい。しりとりにしましょう」と北海道の学生。「北海道限定しりとりで」「いや待て、それでは君が圧倒的に有利ではないか」と反対する3人。「では知床限定しりとりにしましょう」。更に難しくなった気がするが、条件は公平だ。知床、子熊、マス養殖場、ウトロ、ロシア哨戒機、キンメダイ、イカいぶりがっこサラダ(これは宿のメニュー)、ダイヤモンドダスト…
「宇宙人さんはロシアでダイヤモンドダスト見ましたか?」
「毎朝見たよ。でも猛烈に寒い日だよ」
「どのくらい寒いんですか、モスクワは」
「2月に入国した時、耳の皮がごっそりむけたよ。一瞬で耳が縮んで脱皮したんだね」
「…トカップ(地ワインの銘柄)」、プユニ峠、幻氷(地酒の銘柄)、ウポポイ、岩尾別、鶴、ルイベ、ベ、ベ…
「あ、釣れた」
氷上ワカサギ釣り体験 (No.1755)_b0214800_13261357.jpg ようやく一匹目をゲット。この後はコツが掴めたらしく5分に一匹ペースで釣り上げてゆく四人。網走湖のワカサギは他所のワカサギより大振りと聞いたが、確かに大きいものは10cm以上ある。小さいものは5cmほど。どれも活きがよくておいしそうだ。天ぷらセットを借りるからにはある程度の数を釣らないとね。テントの外は既に嵐だ。しかし防風はしっかりしていて、中に風は入らない。四人もいるから意外と温かく、釣れば釣るほど楽しくなって寒さを感じない。
 こういう遊びはタイパを気にする今どきの若人には退屈ではないかと思ったが、知床にバイトに来るような面々なので誰もがのんびりしている。寒さにも動じない。しかし足は氷に接しているからぼちぼち冷えて来た。しりとりのねたも枯渇し、時計を見るともう2時間以上釣っている。お腹も空いたし、そろそろ終えますか。
 釣竿とイスを持って受付へ戻る四人。雪がすごく降り積もっている。帰りの運転が心配な宇宙人。とりあえず釣ったワカサギを天ぷらにして食べよう。20匹ほど。一人5匹か。HIコンロの並ぶ小屋へ移動し、片手鍋に入れた油と片栗粉をまぶしたワカサギを受け取り、ちまちま揚げていく。揚がったものから塩をかけて頂く。うまい。やっぱり捕れたて揚げたてはうまいな。でも到底足りない。あっという間に食い終わる四人。他にカップ麺や甘酒、おしるこ等も販売しているが、宇宙人の提案で網走駅前の北見食品で店頭揚げのホタテ天を食べに行くことにする。
氷上ワカサギ釣り体験 (No.1755)_b0214800_13254029.jpg この店は前回臨時休業で入れなかったが、今日は首尾よく開いている。パン屋のようにトレイとトングがあり、好みの揚げ天を選んでレジへ持って行くと、その場で揚げてくれる仕組みだ。珍しい店である。四人が入店すると、ちょうど各種ねたが陳列されるところであった。ホタテ天、イカ天、鯛天、野菜天、チーズ天…どれも北海道サイズで大きく、色々あって何だか楽しい。珍しいねたをササっと選ぶ宇宙人。空腹だったので四枚も買ったら、ずっしり重い。イートインスペースはないので車に戻ってかぶりつく宇宙人。結構なボリュームだが揚げたてで体が温まる。三枚目を平らげた頃に3人が戻って来た。皆さんを食わせておき車を発進させる宇宙人。3時半過ぎだが、夕方のシフトの入っている人のために真っ直ぐ帰ることにする。他にも色々観光できなくもなかったが、結局釣りだけの一日となった。皆さんは満足気だ。ちょっと意外。
 画像は天ぷら中のワカサギと、揚げ天の陳列。寒くて戸外が撮影できなかったので、先日別のワカサギ釣り会場で撮影した網走湖上のテントの様子を掲げておくよ。晴れてたら素晴らしい景色なのだが。

# by hikada789 | 2024-02-28 13:27 | その他 | Comments(0)
(※以下の記事は、「土星の裏側note」にも掲載中です。)

 「土星の裏側note」では食いつきの良かったロシアねたを小出しに積み上げよう。と言っても今回はロシア文学ではなくロシア的性質や思考パターンについての宇宙人の私見だ(宇宙人の私見…何という不確かなフレーズ)。
 リュドミラ・ウリツカヤが言うところのロシア文学が常にテーマとしている「肉体的な死と精神の勝利について」とは、つまり肉体はいずれ滅んでしまう有限且つ短命なものだが、精神は無限であり永遠を生き延びる力がある、という対比の意味を示している。ロシア文学が常にこれをテーマとしているということは、ロシア人も概ねそういう思考をベースに生きているということであるが、長年二大超大国として対立してきた米国と比較すればこの対比は一層はっきりする。米国の文化や芸術(そんなものがあるとすればだが)が「精神が肉体に勝利する」ことなど考えたことがあっただろうか。片鱗さえ見当たらない。つまり米国人にとってはそもそもテーマにさえならないことを、ロシア人は伝統的価値基準としてこだわり続けているわけである。
 これを踏まえながら、今月の「東京大地塾」の佐藤優氏のロシア時論を引き合いに、「土星の裏側note」のロシア文学関連記事に興味を示している読者が抱く心のモヤモヤ、恐らくロシアについての情報が米国についてのそれより圧倒的に少ないせいで対象物がはっきり把握できないモヤモヤを、少しでも明確な輪郭に近付けてみようと思う。うまくできるかな。

 まずロシアの反体制活動家ナワーリヌイ氏が獄死した件につき、英米メディアやそれを翻訳するだけの日本のマスメディアはプーチンが暗殺したに違いないと決めつけているが、そんな証拠はどこにもなく、この点を日本政府が英米に迎合せず「証拠がないのでノーコメント」という態度を示したことについて、佐藤氏は公平な態度だと高く評価している。確かに「プーチンがやった」という報道はいくらでも聞いたが、その証拠を並べる番組は見当たらない。つまり単なる憶測にすぎないのに、大勢の人がこれを信じてプーチンを悪党だと決めつけ騒いでいる。地球人の大衆にまるで迎合しない宇宙人は、いつも通り合点がいかずに頭をねじらせている。証拠を示してくれたら納得するのだが、誰もエビデンス持ってこいって言わないのが気味悪い。地球人の皆さん、あなたたちどうなってんの。
 どうして証拠もないのにそうだと決めつけるのか。真実が知りたくないのか。真実よりも自分たちが作り出した虚構の方が都合がいいのか、気持ちがいいのか。それがアングロサクソンのやり方であり、体質であり、切っても切れない思考パターンということではないのか。最終的に「精神の勝利」を目指すロシア人と相容れない彼らの価値観では、自分たちの正統性を主張するためにロシア人に悪人になってもらう方が都合がいい。ただそれだけの理由で平気で他者を侮辱し、偽りの悪評を植え付ける。実にいやらしい。日本だって第二次大戦中はそういう扱いだったし、今だって国連の中では敗戦した側の「敵国」の文字が消せないでいる。これが英米という民族の伝統的思考なのだと、宇宙人は言いたいのである。

 勿論、佐藤優氏も、ウクライナ戦争中のロシア言論界も、はっきりと「アングロサクソン」という言葉で批判していて、宇宙人は彼らの受け売りをしているのだが、ロシア文学を読み込んでいると、こういう風景はすんなり頭に入って来る。日本人の多くがこう言われてもなかなか頭の中の風景を変えられないのは、アングロサクソンの文化を日常的に浴び過ぎているからではないのか。音楽然り、映画然り。宇宙人は日本に溢れる米国文化をただの一つも「いい」と思ったことがないので、これだけ周囲を囲まれても馬耳東風だ。土星の裏側に引きこもってロシア文学のページをちまちまめくったり、ラフマニノフやスクリャービンを一人で聴いてウットリして暮らしているせいで、アングロサクソンの思考よりもロシアの思考に馴染んでおり、ベースには日本の思考があるものの、いずれ滅びる肉体の快楽や短絡的な虚構の喜びよりも「精神の勝利」や真実の確かさを恒久的な喜びとして尊ぶ。皆さんはどうですか。ロシア文学を読んだ人、読まない人、読んでないけど気になっている人。どうなんですか、地球人の皆さん。

 佐藤氏の豊富な知識と経験に基づく見解によれば、ナワーリヌイ氏の死因は毒殺ではなく、恐らくロシア政府の発表通り「血栓症」だろうとのこと。理由は、彼が収監された刑務所が北極圏に位置するヤマロ・ネネツ自治管区にあり、さすがのロシア人でもこんな寒い所で3年も暮らしたら体を壊すと言われているからである。但し、一体何年間収監するつもりだったかは知らないが、もっと温かい場所にある刑務所ではなく、よりによってここに収監したロシア政府に悪意がなかったとは言えない。あわよくば病死を目論んでいてその通りになった、という可能性は十分にある。
 宇宙人もこの推測なら合点がいく。ロシア人が敵を屠る時は、伝統的に「直接手にかけない」のだ。じんわり自死していく方向へ誘導する。だって冬に戸外をうろうろしていただけでも命に係わる気候の国なのだよ。ナポレオン戦争を見よ。モスクワに迫ったフランス軍はなにゆえ撤退したのか? それはロシア人がホームであるモスクワを自ら焼き払って一旦明け渡し、戦わずして入城してきたフランス軍を冬の寒さで迎え撃ったからだ。小便が凍って先っぽが地面と繋がる寒さだぞ。フランス兵は飢えと寒さで衰弱して撤退したのであって、直接ロシア人に討たれたのではない。ロシア人のやり方とは大体こうしたものなのだ。我々と違って気が長い。待つのが億劫でない。ナワーリヌイ氏が緩やかに死ぬのを当局が気長に待つつもりだったというなら、大いに信憑性がある。こうしたことは、ロシア文学を多少読んだり、ロシアに数年暮らしたりしていれば自然と判ることなのだ。ついでに、ウクライナのゼレンスキー大統領に対しても、彼が自国民に見限られて自滅するのを、ロシア政府は気長に待っている気配がある。傭兵司令官プリゴジンの飛行機事故? ああした事故も、待っているだけで起きそうな国だよ、ロシアは。整備が雑だから。

 なお佐藤氏は、英米がこうしてありもしない疑惑をでっち上げてプーチンを悪人に仕立て上げようとすればするほど、ロシア人は大統領選でプーチン支持に傾いていくだろうとも言及していた。英米はアングロサクソンの価値観に基づきロシアの弱体化を目論んできたが、こうした虚偽に基づく人心操作を、「精神の勝利」を忘れぬロシア人が快く思うはずがなく、却って逆効果になるだろうと。アングロサクソンは相手が判っていない。相手が自分と同じ価値観でないことを理解できない。だから自分の価値観を相手に押し付けてそれが「正義だ」と豪語できるのだ。米国映画なんて全部それじゃないのかね。だから宇宙人は米国映画を見ていると気分が悪くなってすぐやめてしまうのではないのか。皆さんは気分が悪くなりませんか。全然平気ですか。

 他にもノルドストリーム爆破事件の真犯人がCIAであり(やっぱりね。日本ではプーチンの仕業だなんて報じられたが、ロシアが自国のガスを売るためのパイプラインを自分で爆破して何の得になるのだ、とツッコむ人は鈴木宗男しかいなかった。誰が得をするのかを考えれば、自ずと犯人は見えてくるのに、誰もその点を指摘しないほど日本人は頭が悪くなったのかい。推理小説やらドラマやらあんなに世に溢れているのに、どれも役立たず?)、その件が米国内で訴訟となっていることも世界では知られているのに日本では全然報道されないとか、プーチンが情報発信の相手にしているのは各国の政治エリートや経済エリート、文化エリートであり、それに対して英米が相手にしているのは各国の大衆であること。前者は宣伝であり、後者は煽動であり、両者は異なること、など、いつものようにモヤモヤがクッキリする話をしてくれた。興味のある方は広告なしの無料動画が90分ほどなので全編視聴下さい。
 それでもモヤモヤが依然としてモヤモヤのままである人は、とりあえずチャイコフスキーのバレエ音楽でも鑑賞してみてくれたまえ。宇宙人が推すカプースチン先生の楽曲でもいいぞ。盲目のピアニスト辻井伸行氏は、カプースチンの「コンサートのための8つのエチュード」の第一曲をあちこちで披露しているね。よく耳だけで覚えたね。よそ見している暇のない忙しい曲で、虚偽の挟まる余地がない。こういう密度の高い音楽を日常的に聴き流しているだけでも、脳みそは短絡的な快楽よりも「永遠の魂の勝利」に傾いていくよ。もうすぐ春休みだから、学生諸君は英語の勉強をやめて、ロシア語やどこか知らない世界の言語を勉強してみてもいいぞ。脳みその配置が換わって、ものの見方が変わってこよう。

# by hikada789 | 2024-02-23 12:54 | ロシアの衝撃 | Comments(0)

by 土星裏の宇宙人