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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

アナスタシア・シリーズ第六巻『一族の書』にこんな文言がありました。
――今日も異国に暮らす老人たちにとって「死んだら母国に葬ってほしい」と思う理由を、説明するのは難しい。そういった人たちは直感的に、彼らを地球の楽園に帰すことができるのは、彼らの母国だけなのだと感じているの。異国は魂を拒む。

ロシア人はロシア革命によって大量の亡命者を出した経験もあってか、母国への恋慕や帰還願望の強い民族のように思われます。革命以前でも日露戦争の戦死者を悼んで作られた「満洲の丘に立ちて」という有名な歌がありますが、非常に美しくも故郷への痛烈な慕情に満ちた悲劇的な歌詞と旋律が印象的です。それほどの感情を以って故郷の土地というものを体の一部のように感じている文化なのです。西洋文化と比べると「泥くさい」とか「土くさい」とか「重厚」とか言われるのは、この辺りに原因があるのかもしれません。
今月からしばらく渋谷文化村でロシア・フェアをやるので、この機会に是非足をお運び下さい。クラムスコイの「忘れえぬ女(ひと)」も来日します。

(1)ロマンティックロシア(国立トレチャコフ美術館展)
絵画展はBunkamura ザ・ミュージアムで11月23日(金)~1月27日(日)。これと並行して、ル・シネマでは最新のバレエ舞台をスクリーンで鑑賞する「ボリショイ・バレエ in シネマ」、シアターコクーンでは三浦春馬主演の演劇「罪と罰」、オーチャードホールではクラシック演奏会が五月雨式に催されます。またB1及び1Fにあるレストランでは、ビーフストロガノフやボルシチセット、ブリヌイセットが企画メニューとして供されます。そんなに高くないので是非お試しを。

(2)JICロシアセミナー:黒田龍之助氏講演会
ロシア語学習書の著者、黒田龍之助氏によるマニアックな講演会「もう一つの『ロシア語だけの青春』」。11月17日(土)13時半~15時、弘済会館4F会議室(四ツ谷)。聴講無料ですが要事前予約。

(3)講演会「ロシア語の数詞」
上智大学を定年退職された井上教授によるマニアックな公開講座。上智大学二号館508教室(四ツ谷)。聴講無料ですが要事前予約。11月17日(土)15時~17時なので、上述のセミナーとハシゴができます。

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# by hikada789 | 2018-11-15 15:33 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
妊娠中に風疹だかはしかだかに罹った影響で障害のある子供が生まれた不幸を、国だか病院だかに訴えているという母親の口が開きっぱなしだったのが気になる。ニュースの詳細を聞いていなかったので訴えの是非はここでは論じないが、宇宙人の幼少教育の記憶によれば、口が開きっぱなしな人は頭が弱いとされていた。だから周囲の大人たちは、自分の子供でなくとも用の無い時は口を閉じるよう躾けていた。曰く「バカに見えるぞ」。今は違うのだろうか。
開いた口とバカには、見た目以上に相関関係がある。開いた口から病原菌が入るからだ。昔は花粉症も広まってなかったのでマスクも今ほど常用されておらず、口を閉じて鼻呼吸することである程度感染予防ができていた。鼻にはフィルターがついていてマスクの役目を果たす。口にも粘膜というフィルターがあるが、口呼吸によって口腔内が乾燥すると病原は素通りして体の奥まで侵入しやすくなる。そして病気を発症する。現代人とても一年中休まずマスクしているわけにはいかないから、病原を口から入れたくなければ口を閉じて過ごすのは理に適っている。それを知らずに開けっ放しにして徒らに病気を引き込むのはアタマが弱い証拠だ。理屈はこんなところである。そういう基本的な家庭教育を、今どきはしないのだろうか。この口の開いたお母さんの主張に、皆さんは賛同なり同情なりするんですか。

宇宙人は十代半ばから合気道場に通って、気を水面のように波立たせない訓練というのを繰り返し行ってきた。合気道の理念では「心が体を動かしている」ので、体を外的要因(敵の攻撃や不慮の事故)で動かされるのを防ぐには、心を平静に保ち、何事にも動じないよう常に気を鎮めておくことが肝要とされたからだ。いくら投げ技を覚えても、気の平静が相手より劣れば相手を投げることはできず、容易に技を返されてしまうし、単に逃げるだけでも遅れを生じる。
その訓練とは、さんざん走り回って息が上がっている状態で正座し、一秒でも早く呼吸を整えるべく口を閉じて精神統一するというものであった。口を閉じるのは、開いていると外気の影響(ホコリや病原を含む)で気が上がりやすく、鎮めるのに余計な時間がかかるというのが理由だ。これは結構苦しい。呼吸が荒い時は、酸素を多く取り入れるべく口呼吸したくなるものだが、それが封じられているのである。うっかり鼻づまりの日だったりすると窒息して稽古にならない。でもこれが少しでも早くできるようになると、病原を口から体内に入れることなく気を鎮め、同時に敵の攻撃に備えるための態勢をいち早く整えることができる。そうするための訓練なのだ。

お蔭で宇宙人は物事にそう簡単には動じない体質になったし、仮に驚いた時でも口を開けてわざわざ災いを招き入れるような愚行はしなくて済むようになった。今どきの人はすぐ「エー?」とかいって驚いたり驚いたフリをして口を開けるが、誰かにスマホで撮影してもらってみなよ。アホ面がよく判るから。何の為に口を開いて驚く用があるのかね。そもそもその驚きも、驚くに値しないことばかりではないのかね。誰に向けた驚きを表現したいのだ。誰トクの行為なのだ。子供たちよ、食事も会話もしていない時は口を閉じておけ。見た目も中身も賢くなるから。

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# by hikada789 | 2018-11-13 17:37 | 整体の仕組と健康 | Comments(0)
国際ニュースでは、南米からの移民がキャラバンを組んで米国へ向けて北上中という報道が連日続いています。当時者である米国の大統領は世界中の「良心」から嫌われているようなので、この移民集団を応援し物質的にもサポートする人々の活動なども同時に好意的に報道されています。しかし移民たちの行為の是非については誰も論じていません。
去年・一昨年辺りはこの種の集団移民がアフリカから欧州へ北上して、ゴールのドイツはともかく、通過地点にすぎない東欧諸国などは露骨に迷惑顔を見せていました。通り過ぎるだけの移民らの行儀がお世辞にも良いとは言えなかったからです。よく躾けられて、「ご迷惑おかけして申し訳ありません。静かに通ります。汚しませんから通過をお許し下さい」という態度だったら、東欧の市民らも嫌悪を示さなかったのではないでしょうか。そこに人種差別はないように思われます。あったのは他者に対する礼儀と気遣いの欠如だったのでは。
日本の「もったいない」という言葉はその精神と共に国際語「モッタイナイ」としてアフリカなどにも浸透していると聞きますが、日本の工事現場によく掲げられる「ご迷惑おかけして申し訳ありません」看板とお辞儀のイラストも世界に広めることはできないものでしょうか。これをプラカードにしてデモ行進したら、周辺住民も唾を吐いたりしない気がします。どうして現在使われているプラカードは「死ね」だの「反対」だの「〇〇しろ」だの、礼儀も気遣いもない険悪な言葉ばかり連ねているのでしょう。こんな不作法な人々の要求する姿を、デモが批判している対象者はもちろん、無関係な第三者が見て、同情を寄せてくれるとでも思っているのでしょうか。方法からして間違っている気がします。

以前、日本と海外を比較するテレビ番組で、どうして日本人はデモをあまりしないのかが議論されたことがありました。その時の日本人の反応は、歴史的に学生運動における挫折や敗北でデモの無力を知っているからであるとか、やってもいいけど効果が期待できないからやる気も起きないからだとか、社会人らのそれらしい回答にまじって、学生が「デモはイケてないから」と言い放ったのが印象的でした。
この回答は素直だと思います。要するにカッコ悪いと思うからやらない。デモ好きな国の外国人は反発していましたが、国はそれぞれ歴史が違うのだから、価値観が一致しないのは当然です。或いはこの学生は、盆踊りなんぞカッコわりぃから参加しねえ、と言い放つ類の生粋の江戸っ子だったのかもしれません。デモと盆踊り。拡声器とプラカード。街の真ん中で自己主張を叫ぶ。何やら似ている気がします。

私はかねてより意見表明している通り、移民には反対の立場です。それは日本についてだけでなく、世界のどこの移民についても同じです。その根拠は算命学にあります。
今回の余話のテーマは、日本の将来にとっても他人事ではない移民についてです。とはいっても、算命学が移民という行為・現象を100%否定しているわけではありません。場合によっては肯定しているのですが、ではどういう場合に反対だったり賛成だったりするのか、その根幹にある理屈は何なのかを考えてみます。なお、移民については過去に『算命学余話#U94』で総論を述べていますが、今回の内容はそれを掘り下げたものになります。

算命学の認める移民は小さくは転居であり、中くらいでは家系からの脱出、大きくは国からの脱出です。そしてそうした転居なり脱出なりが正当性や妥当性を帯びるには、いくつかの条件が必要です。
まずは宿命天中殺。特に生月中殺は家系から中殺を受けているため、生家に留まることは自他ともに無理を生じます。川の流れに棹を差して生きるようなもので、こんな細い棹にしがみついて生きるよりは、流れに身を任せて流れていき、流れ着いた先で新生活を始める方がよい、というのが算命学の考え方です。小さな転居や大きな移民も、基本的にはこの考え方に当てはめることができますが、ここでは中間をとって家系で話を進めます。後で大きな移民につなげます。

宿命天中殺が次男三男であったり娘であったりするなら、さほど問題にはなりません。独立するなり嫁ぐなりして家を出れば済むことだからです。しかし長男だとすれば、それは少々問題です。長男がすんなり家を出てくれて、次男が家を継ぐというのなら、まあ穏便ではありますが、長子相続であった歴史が長い場合は気の流れ方が変わるため、その転換点から何らかの支障がしばらくは生じるようになります。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「故郷を捨てる行為」です。「算命学余話 #R79」で検索の上、登録&栗ぜんざい一皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

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# by hikada789 | 2018-11-10 22:15 | 算命学の仕組 | Comments(0)
宇宙人の運勢鑑定は恋愛相談お断りだが、およそ物事を深く考えない類の人種が愛だの恋だのを声高に叫んでウットリしたり、偶像にすぎないアイドルを追っかけては奇声を放って理性を喪失したりしているのを、公道で下半身を露出する変質者とほぼ同格に見做している。なに、厳しすぎる? 同じ部類だよ、どちらも理性が吹き飛んでいる状態なんだから。算命学で言えば知性の喪失、つまり印や人体図頭部の阻害や障害であり、寿及び人体図腹部の肥大である。図式は簡単だ。下半身の活動がゼロになれとは言わない。生殖を担っている部位だから。でもそこは頭部(北方)に適切に制御してもらうべきなのだ。生殖器の暴走は見苦しく、何より将来(南方)への害になる。

ところで宇宙人が下半身以前に愛や恋に対して概ね懐疑的な目を向けているのには、幼少期の個人的経験によるところが大きい。そのうちの一つが、確か小5の時の教室での出来事である。
宇宙人は生まれた時から地球人に化けて暮らしているので、どうすれば地球人に見とがめられずに好意的に接してもらえるか、間違っても正体がばれて捕獲され、刑務所や病院に閉じ込められたりしないよう、処世の術は幼少時から磨いてきたつもりだ。尤も成人後は面倒臭くなってせっかくの技術を放棄して暮らしているが、子供の頃は立ち居振舞いに注意し、涼やかな優等生で通していた。勿論あくまで見た目がである。根性は今も昔も変わりはしない。しかし幸いお勉強はできたし、タコ・クラゲ型だから色白でスリムだった。だからクラスでは人気があったらしいのだが、宇宙人は自己本位に生きているので他人が自分に好意を持っていることにあまり関心がない。関心があるのは他人が自分を攻撃して来るかどうかである。その場合は全力で迎え撃たねばなるまい。小5のつたない頭はそれでいっぱいであった。
そんなある日、遠足だか林間学校だかに行くので男女に分かれてそれぞれグループを3つ作れと教師が言った。その意図するところは、普段仲のいい友達同士でざっくりくっつき、概ね同じ人数の3組に分かれろというものだった。宇宙人はいつもの顔ぶれの友人らと塊りになり、塊りはひと組の定員を満たした。これで課題は終わりのはずだった。

ところがである。普段の遊び仲間ではあるが特別親しいというわけでもないMが、その親友Yと二人であぶれていた。MとYは引き離されるのが嫌だったので、二人一緒に入るには既に形成された3つのグループのうち、人数の少ない組に入るのが妥当だ。ウチのグループは人数が多く、空きはないからここへは来れない。そう思っていたら、Mが真っ直ぐにこの宇宙人を目指して、当然のようにグループに同化しようとした。宇宙人は驚き、まず定員の観点から、次に「親しいかどうか」という点から、無言で「それは無理だよ」という顔をした。するとMの表情はみるみる歪み、自分の正当な権利が阻害されたとばかりに糾弾のひと言を宇宙人に吐いて背を向け、Yと共に他のグループへ向かったのであった。
糾弾は、自己本位に生きる宇宙人には身に覚えのないものであったが、クラスの全員が聞いた。そしてその糾弾の内容は、Mが宇宙人に対して抱いていた一方的な愛情の深さに比べ、それに全く見合わない宇宙人のMに対する冷淡さを非難するものであった。宇宙人はこれを、自分の愛情の押し付けを正当化する身勝手な人間の態度と見て、その後Mとは距離をとるようになった。そして、相手の気持ちを尊重しない一方的な愛というものを恐ろしいもの、醜いものと認識し、同時に自分の立場を危うくする脅威として愛そのものを警戒対象と認識するようになった。なぜならクラスメイトたちはこの事件により、宇宙人を何か非情な人、少なくともその見た目ほどには優しくもないし、自分に向けられた愛情に対して謝意を抱かない人だというふうに認識又は態度を変えたからだ。
いや、実はその通りなので、その認識自体に文句はないのだが、いやいやより正確に言うのなら、宇宙人にだって好みがあり、好みの相手に対しては愛情を返しているし、その人の好意を嬉しく思っている。決して非人情ではない。かといってマザーテレサのように博愛主義では断じてない。好きでもない相手に対しておべんちゃらの愛情は示せない。それが正直というものだ。
だが、宇宙人であることを隠すあまり優等生を演じてきたのが災いしたのは否めない。クラスメイトは宇宙人を何でもできる、何でも解決できる神様の一種のように思っていたらしく、これは宇宙人の誤算であった。そしてここが肝心なのだが、かように集団が誰かを崇めていた場合、その崇拝が何かのきっかけで間違いだったと自覚されると、今度は一転して崇拝対象を貶し始めるのだ。それまで崇めていた自分が間違っていたという自責を軽減するために、責任を誰かに転嫁する。誰に。元の崇拝対象にだ。こっちにしてみれば寝耳に水だ。崇拝してくれなんて頼んだ覚えはないし、そもそも崇拝されるよう振舞った覚えもない。しかしこちらは一人で、あちらは集団だ。こちらの声などかき消えてしまう。民主主義の原理である。

そんなこんなで、宇宙人は小5にして相手を考慮しない一方的な愛情及び恋情というものと、集団における崇拝とその容易な逆転現象に対し、最大限の警戒を向けて臨むようになった。どんな小5なのだ。だから同級生の「小5の頃までサンタクロースを信じていた」とかいうホニャララな話を聞いて、絶句するのもやむなしなのだ。痛かったのだよ小5の身には。
立派なトラウマだが、損をしたとは思わない。だって世の人間関係トラブルといえば、大体このテーマに集約されるではないか。要するに「勝手な思い込み」。そこに客観的視野が欠落していることで起きる現象なのである。Mの一方的な愛情も、優等生を演じていれば万事安泰だと油断していた宇宙人も、別の角度から見た自分がどう見えるかを考えていなかった。物事を正しく判断するには、主観だけではだめなのだ。視点を増やさないと。
この種の痛い教訓は、実はこれ一回ではない。その後宇宙人は子供時代に類似の教訓に何度か鞭打たれることになる。お蔭で現在のような人間に対する厳しい視点をもって世の中を眺めることができるようになったのであるが、同時に恋愛相談には応じられない体質となった。宇宙人は恋愛を否定はしないが、上述のような一方的な恋情・愛情は災いしかもたらさないと確信しているし、世に溢れる恋愛の悩みは突き詰めればこうした災事を愛だと勘違いしていることから発しているものと断定している。だから相談の余地はないのだ。相手を考慮しない愛情など、災厄であって愛ではない。災厄を愛だと言って押し付けられる側がどれだけ迷惑しているか、考えてから愛を語れ。そう、考えて、つまりやっぱり頭(印)を使えというオチになるのだ。

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# by hikada789 | 2018-11-08 19:48 | 算命学の仕組 | Comments(0)
ロシア語学習書の著者である黒田龍之助氏が『寝るまえ5分の外国語』という語学書だけの書評を書き連ねた本を読んだ。当人はロシア語が専門だが他言語にも関心が高く、メジャー・マイナーを問わず語学の入門書や会話集を買いこんでは読んでしまい、せっかくだから書評にまとめたという。こういう気分はよく判る。宇宙人も学生時代はペルシャ語やらアラビア語やらウクライナ語やら、大学を出たら一生縁がないであろうレア言語の取れる授業は取っていた。習得までいかなくとも構造くらいは知りたかったのだ。一方で英仏独のメジャーな欧語には今も昔も心が動かない。メジャーすぎて新奇性がないのと、多分人間中心の文化が好みでないからだろう。言語の構造はそれが支える文化に強く反映する。
黒田氏はプロの言語屋なので仏語や独語も結構やっている。そういう人から見ると、例えば東南アジアの諸言語などは仕組みからして全然違うので魅力的に映るらしい。どう魅力的なのかは本編を読んで頂くとして、ここでは宇宙人が思わず頷いた言語学者たちの心の声を少々抜粋しておこう。

――「著者は、語学の勉強はやがてはその歴史的研究に進まねば本格でないとも信じている」(神田盾夫著『新約聖書ギリシア語入門』より)

――「英語を読むな、英語で読め」。つまり英文の内容を読めという意味。最近の高校の英語教育みたいに、英語だけで授業が進めば内容は低くてもいいというのとはワケが違う。[黒田氏の見解です]/「日本語に直さず英語のまま読め」「書かれた順に左から右へ理解する」(藤田悟『辞書なしで英語が読める』より)

――(ドイツ語学者の愚痴から黒田氏の感想)固有名詞はちゃんと発音してほしい。わかるなあ、その気持ち。Herbertはハーバートじゃなくてヘルベルトだと、いくらいっても一向に直らない人にガッカリする。そうそう、私もロシア人のイーゴリを「イゴール」と発音されると虫唾が走るのだが、相手は決して訂正してくれない。

そうそう、宇宙人も、ロシア人のウラジーミルを「ウラジミール」と発音されると虫唾が走っているのだよ。アレクセイを「アレクシー」だの、ピョートルを「ピーター」だの、いい加減にしろなのだ。わかるわあ、その気持ち。

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# by hikada789 | 2018-11-05 18:08 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)