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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

(※土星の裏側は夏期休業します。運勢鑑定もお休みし、9月のブログ再開と同時に受付を再開します。)
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算命学余話基礎編の第5回です。第4回では算命学の特徴である陰占と陽占という二本立ての鑑定方法について、極微と極大の理論と合わせて説明しました。以前もどこかで申し上げましたが、鑑定者によっては陰占の方が陽占より得意だとか、その逆だとかいった傾向はしばしば見られます。陰占と陽占に限らず、算命学が抱える数々の技法についても、鑑定者が得意としていたりいなかったりといったことは普通にあります。しかし、陰占だけしかできないとか、陽占だけしか知らないとかいった算命学鑑定者はいません。その理由は、第4回で解説した通りです。

今回はその陽占を進めます。陽占は別名「人体図」とも言いますが、呼び方はどちらでも構いません。陰占と比較するときは陰陽の関係から「陽占」と呼んだ方が判りやすいこと、「人体図」と呼ぶ時はずばり人体に関わる用語を使うからその方が判りやすいこと、そのような理由で区別されるに過ぎません。今回は便宜上「人体図」の呼称で進めます。

前回述べました通り、宿命(=陰占)は日々変動する宇宙の気を表したもので、人体図(=陽占)はその宇宙の気を吸い込んだ人間が吐きだす気です。そして前者は受動的なものなので自分の意思で変えることはできませんが、後者は能動的なものなのである程度アレンジが可能だとも述べました。
宿命が宇宙であるなら、人体図は人間の姿を借りた小宇宙です。我々人間は、宇宙の中の塵から生まれたので、その性質は宇宙の縮図、ミニチュアであるはずなのです。従って、宿命から導き出された人体図を見ることによって、その人物がどのような姿の小宇宙としてこの宇宙の小さな一角を占めているか、つまりはその人の宇宙における役目であるとか、存在意義であるとかが見て取れるのです。その作業を我々は一般に「性格診断」と呼んでいるのですが、人体図でできることは性格診断だけではありません。人間関係の傾向や、得意分野、苦手分野、思考や判断の傾向、見た目やアピールの傾向、価値基準、家系にまつわる過去や未来なども、腕のいい鑑定者ほど細かく正確に読み取ることができます。

ではどうして人体図から、そのような目に見えない数々の事象が読み取れるのでしょうか。ともあれ人体図を算出し、その基本的な意味付けを知らないことには始まりません。今回はその人体図の算出方法から場所の意味づけ、五本能と星の関係について解説します。

◆人体図のマス目の意味◆
人体図を描くには、まずタテ3マス、ヨコ3マスの合計9マスになる格子状の図面が必要です。マルバツゲームの要領で、漢字の「井」の字を書きます。初心者の方は大きなマスを準備すると、後でいろいろ書き込めます。このマス目にはそれぞれ名称があるのですが、ここでは便宜上、以下のような人体の名称を当てておきます。この名称は人体図を説明する際に多用されるので、覚えておくとよいでしょう。(なお数字を用いた名称もありますが、混同を避けるためここでは省きます。)

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「基礎編#5 人体図の算出」です。「算命学余話 #R72玄」で検索の上、登録&しらす丼定食一膳分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

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# by hikada789 | 2018-07-19 12:55 | 算命学の仕組 | Comments(0)
自分の言葉に責任を持たずに発言する風潮がSNSの普及により広く急速に行き渡ってしまった昨今、言霊思想を持っているはずの日本文化からこうした風潮を真っ向批判する意見が出て来ないのは情けない限りだ。故西部邁氏はその広い知識の中から社会用語の語源を取り出し、デモクラシーがデマゴギーと同源であることや、モダン(近代)がモード(流行、ファッション。時代という意味はない)と同源であることを指摘して、その言葉や概念の本質について根本から再考し、みだりに飛びつかないよう警告していた。
西部氏のような批判のできる知識人は他にもいくらかいるが、その声はSNSはじめ社会に溢れるゴミのような無価値な発言の波に押し流されてかき消されてしまっている。日本人が本来寡黙を美徳としていたのは、もしかしたら過去にこのような無意味な言葉の氾濫する時代を経験していて、その教訓として社会に寡黙を広めることを善しとしたからかもしれない。しかし現代人は過去を振り返ったり思い起こしたりするのが苦手なので、要するにどうしてそれが過去から今日まで存在してきたのかその価値について考えるのが苦手なので、そう、そもそも物事を深く考える頭を持ち合わせていないので、目先の新しいものに飛びついては悦に入り、その無価値に気付かないまま間もなく痛い目を見る、という所業を繰り返している。子供達よ、このような大人を見習ってはならぬぞ。

言霊思想はなくとも言葉に対する依存度の高いロシア人は(古代ギリシャ哲学の影響だ)、日本人の寡黙さに比べると圧倒的な話力を誇るが、心あるロシア人が同胞を羞じて言うには、ロシア人は息継ぎも惜しむほどずっとしゃべり続けているくせに、内容は空虚で、物事を解決するどころか問題の周りをぐるぐると旋回しているだけだ。逆に含蓄ある言葉を放つ人に限って、その言葉は少なく発せられる、とのことである。確かな知見を持つ人ならば、誤謬のない正確な言葉を選んで発言するから、その言葉は簡潔で無駄がなくなるというわけだ。

そんな心あるロシア人なら誰でも知っている『ダーリの辞典』についてご紹介しよう。ロシア事情が目当てで当ブログを閲覧の方には、夏休みの読書にポルドミンスキイ著『言葉に命を~『ダーリの辞典』ができるまで~』(原題「Жизнь и слово」)をお勧めしたい。
ダーリは19世紀にロシア中の言葉を集めて独自の辞典『現用大ロシア語詳解辞典』を編纂した知の巨人で、そのあまりのオタクっぷりにより世紀を超えて読者魅了し続けている偉人である。私はロシア留学中にその存在は聞いて知ってはいたが、遂に手に取って読むことはなかった。ネイティブレベルのロシア語でないと楽しめないとの懸念があったからだ。しかしそのダーリの詳細で赴きある伝記が最近翻訳されたので、ダーリの辞典がなぜ多くのロシア人に愛されているのか知れるようになった。なので知りたいと思われる方は是非本をお買い上げ下さい。絶対に損はないと太鼓判を押します。紹介まで、冒頭のさわりの部分を抜き出します。

――『現用大ロシア語詳解辞典』、いわゆる『ダーリの辞典』、あるいはもっと短く『ダーリ』(ダーリが一生を捧げた大事業はその名だけで呼びならわされる)をのぞいてみよう。「序と凡例」の代わりに使われている「旅支度」という言葉を『ダーリ』で調べてみると、「出立のとき、旅立つときに支度するもののすべて」とある。「序」や「緒言」、さらにはギリシャ語の「プロローグ」といった文語より、「旅支度」という民衆の言葉を好んだダーリは、主要な仕事である『詳解辞典』と『俚諺集』の本編に先行する部分を「旅支度」と名付けた。読者を案内すべく手をさしのべるダーリは、旅立ちを祝い、これからの旅になにより重要なものとなる判断材料と情報を整えることが不可欠だと考えたのだった。

――ダーリの辞典は本棚に収めず、すぐに手の届くところ、お気に入りの詩集や『戦争と平和』『エヴゲニー・オネーギン』のある場所に置くといい。ぱっとひらいて目に入ったページから読めば、そのたびに感動を新たにするような本のある場所、片時も放せない本のある場所に。
この辞典は今ではとても参考図書とはいえない。語彙の点でも解釈の点でも、多くの内容が古くなってしまった。もっとも辞典を編纂するダーリの念頭にあったのは、意味を知るという実用性でも、関連情報が得られるという副次効果でもなかった。「どこかで出くわした知らない言葉を探しだすためにごくまれにわたしの辞典が必要になるというだけでは、編纂者の労苦はおろか、辞典を買ったこと自体も報われないだろう」とダーリは述べている。
しかし、言葉の意味を調べるという実用的な目的であったとしても、辞典をひらいてしまえばもう脇へ押しやることはできない。ある言葉を引けば、それに連なる別の言葉を引きたくなり、それがまた第三の言葉へと背中を押すからだ。ありふれた解釈の隣に実に思いがけない解釈があって、おなじみの言葉が突然、まったく新しい言葉に変わってしまう。ほとんどの言葉の下には、ことわざが一つ二つ三つと並んでいて、言葉が躍動し、ニュアンスが変わって輝き、たえず新しい情景が脳裏に浮かぶ。こうして、どの言葉も果てしない魅惑的な旅への出発点になる。

こうした冒頭を読むだけでも、ダーリの辞典は他の辞典とは全く違った目的や意図で編まれたものだということが判る。最近日本にも映画になった『舟を編む』という辞書編纂小説が出たが、その登場人物たちの作業は人生を捧げるというほどではなかったので、感動も浅かった。ダーリも人生の初めから辞典編纂を目指していたわけではなく、海軍士官をやり、医学を学んで医者になったらまた軍医として戦場に派遣され、いやいやながら各地を転々としているうちに趣味で書きとめたメモが膨大に膨れ上がり、最終的に文学に帰結したのである。そう、これはもはや辞典というよりは文学作品なのであり、ダーリ自身が方言の散乱する広大なロシアを渡り歩いた足跡の履歴書なのである。

感動は本編を読んで味わって頂くとして、この作品は著者の文体がまたいい。文筆家ポルドミンスキイは伝記作家として定評があり、「その伝記は、事実を時系列にそって小説風に並べた一般の伝記と違って、作品自体が文学として楽しめること、被伝者への愛情に満ちていること、人生や自分をとりまく世界について絶えず思索を重ねているために歴史的な内容に血が通い、読者は思わず知らず描かれた世界に自分もいる気になることに特徴がある」と評されている。ロシア語やダーリに興味のない人でも、文学に関心のある人であれば楽しめる作品なのである。和訳も優れています。
最後に、ダーリが考える「親」や「育てる」の意味について本文から引用しておきます。

――「生んだ者が親なのではない。親とは養い、善きことを教えた者のことだ」というダーリのメモがある。『詳解辞典』では「育てるとは、低い次元では一定の年齢まで養うこと/高い次元では人生に必要なすべてを教えること」と説明されている。

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# by hikada789 | 2018-07-17 16:57 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
前回の、オウム真理教事件の高学歴主犯たちを嗤い、己れの無知に目を塞いで無実であることだけを勝ち誇る低学歴な人々の醜さについての言及に付け加えて、こんな心理学用語を紹介しよう。PTG(心的外傷後成長)。
このところ放送大学で楽しく聴講していた「レジリエンスの諸相」という科目で仕入れた。災害や戦争、暴力や虐待といった強力なストレスによってトラウマを抱えた人でも、その後立ち直る人と立ち直れない人とに分かれるらしい。そう、トラウマを抱えてPTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されても一生そのままなのではなく、時間の経過と共に回復したり、その回復が驚くほど早かったり、或いは全然回復しなかったりに分かれることが、既に定説になっている。
PTGとはそうしたトラウマのあとに見られる精神的成長のことで、このPTGが顕著な人ほどトラウマからの離脱回復が早い。逆にPTGの見られない人はいつまでたってもトラウマから離脱できない人だが、こうした人たちの特徴は成熟度が低くて幼稚であり、自己解決能力やその意欲、自立性、積極性、向上心等の欠如が顕著である、と統計は語っている。

どうですか、どうですか皆さん。胸がスッキリしましたか、それとも逆上しましたか。高学歴の囚人を嗤う低学歴な人々というのは、自分が低学歴であることで過去にトラウマを抱えている。しかしそれをPTGして自ら解消することはしなかった。だから今、このような囚人らを前にして鬼の首を取ったかのようにはしゃぐのである。しかしそれは自らの幼稚さや自己解決能力の欠如、ひいてはやる気の無い人生全般を曝しているに過ぎないことに気付いていない。トラウマはもはや全能ではない。克服可能な壁にすぎないのに、いつまでもその壁に依存して自らの怠惰と無能を免罪している。だから宇宙人は不快に思ったのだ。
もちろん学歴が高かろうが低かろうが嗤わなかった人は、自分のトラウマを克服できるほど成熟した、自助能力のある、これから何度でもPTGしていく立派な大人なのだ。そもそも学歴というものが数科目に限定した狭い物さしであり、こんな目の粗い定規で人間を測るということ自体インチキ臭いのに、そのインチキ臭さに気付かない人ほど学歴に囚われているではないか。子供達よ、こうした事実から目を逸らすでないぞ。人を評価するのに、単純な物さしを当てるでないぞ。

連日の猛暑で宇宙人はそろそろ傷み始めたので、運勢鑑定を休業します。再開は九月です。当ブログの更新が止まったら宇宙人は冷所に避難するので、ブログの再開を以って通常営業のお知らせとさせて頂きます。皆さんの長い夏休みのためにロシアのイベントをご案内します。お子様向けもあります。

(1)サンクトペテルブルグ国立舞台サーカス
サーカス小屋ではなく舞台式サーカスとのこと。内容はボリショイサーカスとほぼ同等。7月25日(水)相模女子大学グリーンホールを皮切りに、横須賀、神奈川、浦安などを巡業。入場料3,000円前後。

(2)モスクワ・スケートサーカス2018
8月8日(水)かつしかシンフォニーヒルズ、モーツァルトホール、8月15日(水)調布市グリーンホールにて10時及び13時開演、自由席3,500円~。

(3)東京バラライカ・アンサンブル定期演奏会
モスクワ・クヮルテットを招いたロシア民族楽器オーケストラの演奏会。8月25日(土)14時開演、紀尾井ホール、全席自由3,000円。

(4)ロシア・バレエアカデミー第21回コンサート
ボリショイバレエのダンサーらを招いた創作バレエ・プログラム。8月28日(火)18時半開演、渋谷区文化総合センター大和田さくらホール、全席指定6,000円。

(5)ロシア・バレエ・ガラ
恒例のルジマトフ主宰のガラ。ロシアの主要バレエ団から集めた現役ソリストが共演。9月1日、2日、いずれも15時開演、文京シビックホール大ホール、C席5,000~。

(6)映画「スターリンの葬送狂騒曲」
スターリンの死をめぐるドタバタコメディ。英国作品で、ロシア本土では上映禁止になったキワモノ映画。予告編を見たが、私はロシア人たちが流暢な英語を話している、つまりジェスチャーも笑いのツボも英国流であるのに違和感が否めないので、本物のロシアを求める方にはお勧めできないが、英国ジョークがお好きな方はお試しを。8月3日から各地で上映。

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# by hikada789 | 2018-07-15 20:59 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
『徒然草』第178段より。ある貴族に仕える従者が宮中の神楽を拝見した。帝がお渡りになり、お付きの者が刀を持っていた。それを見た従者たちが「あれは三種の神器の一つの宝剣だ」と言った。すると簾の中から「こういう場合には三種の神器の宝剣ではなく、清涼殿の御剣です」と従者たちの誤りを訂正する声がしたという。その声がしのびやかであったことに筆者(兼好)は感動した。
この段につき、松永貞徳は徒然草の注釈書『なぐさみ草』で、「知ったかぶりをして間違ったことや嘘を話す人物は笑止でみっともない」と記し、その弟子の北村季吟も「自分の専門分野でないことをうっかり口にしてはならないし、話し合ってもならない」と諭している。いずれも、古い伝統を善しとすることは、古い伝統を知らないのに軽々しく文化を論じる人々への批判も含まれる、というエピソードである。

オウム真理教事件の死刑囚が一度に死刑執行された報道を受けて、二十年前の事件を蒸し返す番組をいくつか見かけたが、耳に障るのは「高学歴の人たちがなぜこんな事件を」というセリフだ。自分が高学歴でないことのひがみと、そんな自分でも高学歴の死刑囚に比べれば遥かにマトモだという歪んだ優越感が鼻につく。この種のコメンテイターらが人の役に立つ、有益で創造性に富んだコメントを吐くことはない。そのコメントは、どこかで誰かが言ったもっともらしい発言のコピペであり、澱みなく口から滑り出てくるほど中は空虚である。しかしこうした輩は何もテレビに限らない。我々の周囲にも数多く見受けられる。

その発言が自分の思考を通して出てきたものか余所からの借り物であるかは、その意見に対する反論をぶつけたり、その見解の先を語るよう促すことで容易に判別できる。言葉に詰まったら余所からの借り物だ。或いは、そんなことをするまでもなく、その人物が自分の澱みない意見に対する同意を相手にその場で求めるような話しぶりをする時は、まず間違いなくその言葉にも人物にも中身はない。人が自分の思考を通して話す時は、言葉を選び組み立てるのに多少の時間がかかるはずからだ。そういう習慣のない人間には、相手が思考に時間をかけるという発想さえそもそも持ち合わせていない。
どうですか、いますよねそういう人、結構たくさん。だって、吉田兼好の時代にさえもういたのだから。そしてそうした軽率な発言を当時の「高学歴の人たち」が批判して、その批判を記した書物が今日まで古典として読み継がれているのである。

宇宙人の先生が出演する演能会と、夏休み無料イベントのお知らせです。

(1)座・SQUARE公演~ことほぎの機音・懐古の月光(ひかり)~
◆日時:平成30年7月15日(日)13時開演
◆場所:国立能楽堂 (JR千駄ヶ谷駅より徒歩5分)
◆演目:能「呉服」「融~笏ノ舞」、仕舞「芭蕉」、狂言「苞山伏」
◆入場料:3,000~8,000円

(2)第34回能楽金春祭り
◆日時:平成30年8月1日(水)~7日(火)
◆場所:銀座八丁目金春通り(路上奉納能)、タチカワブランインド銀座スペースオッテ(銀座八丁目8-15。能楽講座・写真展示)
◆内容:毎年この時期に開催している無料イベント。路上奉納能は7日(火)18~19時で、14時から座席指定券を配布。立ち見は自由ですが、近年は人気のためライブ映像も見られるようになってます。能楽講座は連日室内で12~13時、14時~15時半、いずれも30分前より受付開始。
◆小中学生能体験教室:夏休みのお子様向けの1日体験教室だけ抜き出しておきます。保護者の方もご一緒に参加できます。いずれも12~13時。各回10名程度(先着順)。無料ですが白足袋または白い靴下を持参下さい。
・8/1(水)「武将になってみよう」
・8/3(金)「天女になってみよう」
・8/4(土)「武将になってみよう」

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# by hikada789 | 2018-07-13 09:46 | 宇宙人の能稽古 | Comments(0)
落語家の桂歌丸師匠が亡くなりました。81歳ですから大往生といってよいかと思います。私が子供の頃はまだ『笑点』が確か40分番組で、お笑い番組も今ほど多くはなかったので日曜のこの時間はいつも見ていた記憶があります。大喜利が終わった瞬間にチャンネルを変えて、大相撲の最後の取組みを見るのが常でした。
その頃の歌丸師匠も他のメンバーもまだ若かったですが、しばらく番組を見ないうちに急に全員年を取ってしまいました。それでも各人の芸風が変わっていなかったので、落語家とはこういうものかと妙に納得しました。お笑い芸人が一時のブレイクの後消えてしまうのとは対照的に、落語家は人気が下火になっても芸風を堅持し続けるのだな、そうするとシニアの聴衆がついてくるのだなと感心しました。近年ではアニメにもなった人気漫画『昭和元禄落語心中』による落語再評価もありました。

最近わが家の近くに八代目橘屋円蔵師匠の自宅を一般公開した「ひらい円蔵亭」なる施設を発見し、円蔵師匠ゆかりの品々の展示の他、日曜にはアマチュア落語会が開かれていることを知りました。以前は落語にさして興味はなかったのですが、無料ビデオなど拝見させてもらうにつけ、落語は話が長くて時間のかかるものであり、そもそも時間に余裕のある人、つまり生き方に余裕のある人のための娯楽なのだとつくづく思いました。落語の魅力がちょっとはわかってきた自分は、シニア寄りになり、比較的余裕のある時間の過ごし方をしているということなのでしょう。皆さんはどうですか。まだ忙しくて、30分もかかる噺を聴くヒマはありませんか。

今回の余話は、桂歌丸師匠を哀悼して師匠の命式を読み解いてみます。
『笑点』を見ていた子供の頃の私の目にも、歌丸師匠は他の大喜利メンバーとは違った雰囲気がありました。クールで知的なキャラで、おバカ担当メンバーを白目で眺めてはくさす役回りでした。それでいて嫌味がなかった。声が高くて硬質なのが良かったですね。歌丸師匠は色事の噺を得意としていたそうですが、あの声だと嫌らしく聞こえない気がします。
晩年は鼻に吸引チューブを入れたまま高座に上がる姿が番組に取り上げられたりして、こうまでして落語をやるのかと驚きました。死の数日前まで周囲に小言を言っていたそうです。師匠の命式から、ボケることなく生涯現役を貫いた仕事ぶりを探ってみたいと思います。前回の「余話#R70」の二連星とも関連します。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「生涯現役を考える」です。「算命学余話 #R71」で検索の上、登録&氷あずき一皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

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# by hikada789 | 2018-07-10 06:50 | 算命学の仕組 | Comments(0)