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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

来たる仕舞会の地謡稽古をしていたら、演目の一つである『草紙洗小町』のこんな文句が気になった。

〽大和歌の起こりは あらかねの土にして…

宇宙人「先生、あらかねって何ですか。大和歌の起源を語っているのに、これではせっかくの起源が判りません」
先生「さあ…知らないですねえ」
宇宙人「…お弟子が舞台で披露するというのに、謡う方が知らないでは済みませんよ。あらかねといったら古代製鉄の話くらいしか思い浮かびません。私の手元には平仮名であらかねとあります。漢字が判れば意味が想像できるかも。先生の本ではどう書かれてますか」
先生「こちらも平仮名ですね」
宇宙人「……」(宇宙人の無言の圧力に屈して、注釈付きの謡曲全集をごそごそ取り出す先生)
先生「あ、あった」
宇宙人「よかった、何と書いてありますか」
先生「『あらかねは、土の枕詞』だそうです」
宇宙人「……だめじゃん!(なんで枕詞になったのか語源を知りたいのにー)」

仕方ないので帰宅後ネットで調べたところ、あらかねとは「粗金」で、やはり製鉄が語源であった。鉄製品を作るための原料である粗金が土に埋まっていることから、土にかかる枕詞になったという。また金属を鍛えるために叩く道具である鎚(つち)と土をかけてあるとの説もある。なるほど。これで心迷わず謡えるのだ。

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# by hikada789 | 2018-04-20 23:09 | 宇宙人の能稽古 | Comments(0)
ひと昔前の日本の子供たちの学業レベルは、理系をはじめ世界のトップクラスでしたが、昨今は「ゆとり教育」の弊害かどうかはともかく、上位ではあれどトップではなくなりました。代わりに上位にランクインしたのは東アジア諸国です。これらの国々は、日本が高度成長していた頃はまだ食べるのがやっとな状況だったので、教育に時間やお金を掛けられなかったのもやむなしでした。
しかし経済発展により教育に余裕の出てきた今となっては、こうした国々も日本とほぼ同等の条件で競争できるようになったのだから、日本を凌駕するランクになっても不思議はありません。日本の子供も特にアホになったわけではないし、もっと厳密に比べるのなら、途上国にはまだ教育を受けられない寒村や人種的マイノリティの子供たちが大勢いて、彼らはそもそも学校に通っていないという事実があります。彼らはこうした国際ランキングを成立させているテストを受けておらず、データとしてカウントされていない。カウントされているのは比較的裕福な家庭の子供たちだけであり、そうした家庭では子供の教育に熱心なのが普通です。
一方日本は、いくら「貧困家庭」が増えたからといっても義務教育を受けられない子供はいません。もし子供を学校へやらない親がいたら、通報される国なのです。そのため教育熱心でない家庭の子供であっても学校へは行くし、テストも受ける。それが反映されてのトップ陥落なのだから、国際ランキングなど当てにはなりません。そのように考えてデータを冷ややかに眺めるのが、大人の正しい態度だと思います。

ところでこの種の子供のお利口ランキングの最近のトップを飾る国の中に、フィンランドが入っています。データを冷ややかに眺められず、日本の子供の学業低下を真に受けた大の大人が、わざわざフィンランドに赴いてその教育の実体を調べたところによると、フィンランドは十数年前に国家政策として、教育の目的を「納税者を増やすため」と定義し、その方針に基づいた教育改革をしたとのことです。その結果、国際ランキングのトップに躍り出たと。
この話を聞いて私は思わず噴き出したのですが、調査メンバーは大真面目にこれを称賛し、日本の教育もそうするべきだといった風でした。つまりこのフィンランドの政策を、私はボケと捉えてツッコミの冷笑で反応し、調査メンバーはボケとは取らず同調したわけです。
さて、読者の皆さんはボケと捉えたでしょうか、それとも同調したでしょうか。ボケと捉えた人は、「教育」という概念の中に「教養」も含まれている人なのでしょう。そしてその教養を、人生を豊かにするために大切なものだとお考えのことでしょう。同調した人は…当ブログをこれ以上読んでも意味がないのでは?

世間の思い込みが自分の思い込みと違うという例として、平野啓一郎氏の小説『決壊』から少し引用してみます。このくだりは、猟奇殺人犯の反社会的演説という形をとっているため極論として描かれてはいますが、厳しい真実を突いています。

――「幸せになる! これは最早、人間が、決して疑ってみることをしなくなった、唯一至上の恐るべき目的だ! <幸福>こそは、現代のあらゆる人間が信仰する絶対神だ! あらゆる価値が、そのための手段へと貶められ、このたった一つの目的への寄与を迫られている! 人間は<幸福>という主人に首輪を嵌められた奴隷だ! 一切の労働、一切の消費、一切の人間関係が、ただこの排他的で、グロテスクなほど貪欲な飼い主の監視の目の下で、鞭打たれながら行われている! いいか! <幸福>とは、絶対に断つことのできない麻薬だ! それに比べれば、快楽などは、せいぜいその門番程度の意味しかない! 違うか? 人間は快楽を否定することはできる! しかし<幸福>を否定することは絶対に許されない! どんな人間でも、絶対に<幸福>を目指さなければならない! どんな形であれ、それは全面的に肯定され、称揚されなければならないのだ! <幸福>のためならば人間は、どんな犠牲でも払うべきだ! <幸福>を愛する心! それはファナティックで、エロティックで、熱烈極まりない、現代の最も洗練され、先鋭化したファシズムだ!」――

算命学は陰陽五行で世界を見ているので、陰陽のどちらかとか、五行のうち一つだけとかに世界が偏ることを嫌いますし、そんな世界はあり得ないという立場です。偏りが限界に達した途端、世界は顛倒し、中身はシャッフルされ、事態が沈静化した頃には、結局陰陽のバランス、五行のバランスは均一に戻ることになる。だから過度の偏りは、痛い目を見るだけ損になる。そういう考えです。
冒頭の教育の話では、フィンランドが国策で教育(知性)の目的を、納税という財政保全(財)に集約したことで、人間の知性を金儲けの手段へと引きずり下ろしました。知性と財の関係は、土剋水が故に、カネによって知性(判断力や品格を含む)が曲げられる可能性が高いとはいえ、これを国家が承認推奨するというあからさまさに、算命学は危惧を抱きます。なぜなら国家政策により金銭欲が「善」として国民生活に浸透するからです。これでは国は禄(土性)に偏重し、いずれ顛倒することになります。顛倒がどういう形をとるかはともかく、顛倒によって知性は、将来的にはその虐げられた地位から脱することになりますが、当面は苦戦を強いられます。

『決壊』の引用部分は、私も思わず膝を打った盲点でした。<幸福>もまた、五行のうちの一つに過ぎないというのに、失念するほど常識化していたのです。『決壊』の別の部分では、「不幸な境遇に生まれついた者に対して、ガンバッて幸福な人生を切り拓け」と当然のように鼓舞する世間の無責任な説教を揶揄するくだりもあります。
「幸福を否定するなんて、余程心が歪んでいる人ではないか」と考える人は多いかもしれませんが、五行説の観点から言えば、そう考える人は五人に一人であり、残りの四人は実は否定的立場であるか、まあ賛同してもいいよといった日和見の立場であるかです。

今回の余話は、こうした五行説から見た人間の価値観について考察してみます。算命学の基礎思想なので新しいものではありませんし、鑑定技法にも関わりませんが、世界や宇宙を干支で表現する算命学が、宿命の異なるあの人この人の、異なる価値基準をどう紐解くか、それが把握できれば人間関係もスムーズになろうというヒントの話です。
ところで前回の余話#R61は、亡くなったホーキング博士の宿命解説でしたが、算命学を全く知らない友人が興味本位で購読し、さすがに専門用語は判らなかったが大意はつかめたし、面白かったと好評してくれました。「鑑定技法に関わらない」と銘打った回でもそれなりに読者を確保していますし、もしかしたら既に算命学の思想を実生活に取り入れて、より生きやすい、豊かな人生へと方針転換している人も増えているのかもしれません。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「価値観と五徳」です。「算命学余話 #R62」で検索の上、登録&苺ロール1巻分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

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# by hikada789 | 2018-04-18 15:12 | 算命学の仕組 | Comments(0)
村田諒太の初防衛戦をテレビ観戦後そのままつけっぱなしにしていたら、報道番組になって引き続き村田の勝利インタビューに突入した。試合が終わったからには例によって画面は見ずに耳だけで聞いたのだが(目と手は別の作業をしている)、村田のインタビューはいつも意表をついていて面白い。何より自分の言葉で語るから賢さが伝わる。宇宙人は賢い人が好きなのだ。
昔のボクサーといえば頭叩かれすぎた人の言葉といった感じの残念なインタビューばかりだったが、最近のボクサーは文法がしっかりして、試合直後でもちゃんと頭を働かせるだけの冷静さがある。村田はその最たるもので、自分が言いたいことだけを言うのでなくちゃんと相手の話も聞いている。だからツッコミもできるし、拒否もできる。そう、拒否していたね、番組司会の「あなたの気持ち判かります」的な言葉の押し付けを。宇宙人、思わずにやけてしまったよ。
No.1064に掲げた平野啓一郎の「言葉を押し付けられる苦しみ」というやつだ。どうして人の心を自分が代弁できると思い込むのだろう。そしてその行為の失礼さに、実際は何も判っていないくせにさも判っているといった素振りをして相手の発言を妨げる行為の失礼さに、なぜ気付かないのだ。まったく「ヘドが出る」。宇宙人がヘドを感じる人間は、この種の頭の弱いタイプである。世間受けしそうな一般論をさも常識人であるかのように披露しつつ、世間の善意を代弁しているつもりになって自己陶酔に浸るタイプだ。そのくせ自分が認める「一般論」から外れた発言が飛び出すと、取り繕うのに必死になる。「そういう発言は困りますよ、段取的に」。インタビューしておきながらその態度こそ失敬ではないか。
村田は試合直後のテンパった体調にも拘わらず、ちゃんとこの思い上がった司会を押しのけて、短い時間に反論して、自分の言葉や感想を述べたのだった。しかも内容は理に適っており、どこかから借りてきたいようなありきたりなお決まりフレーズではなかった。ちゃんとその場で考えて放った言葉だったのだ。思えば彼のボクシング・スタイルがそうであった。長い左腕で相手の頭を押しのけ前進を阻みながら、右のパンチを浴びせるのである。インタビューでこれだから私生活でもそうなのだろう。子供達よ、こういう大人を見倣うのだぞ。借り物の言葉を並べればうまくやっていけると思わぬことだ。この番組の司会のように生放送で恥をかくことになるからな。また自分がこう思うからといって他人様も同意見だと思い込んで物事を進めてはならんぞ。他者を尊重するとは、同意見でなくともちゃんと相手の意見に耳を傾けるということなのだから。

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# by hikada789 | 2018-04-16 20:28 | その他 | Comments(0)
『角田川』(隅田川)を稽古しているのだが、わが子を探してはるばる京都からやってきた主人公の女が、京では見慣れない白い鳥を隅田川で見て名前を尋ねると、渡守が「沖のカモメ」と答えるくだりがある。ここから、かつて業平が詠んだ「都鳥」のことかしら的な風情溢れる対話が続くのだが、隅田川より更に東の荒川近くに住まう宇宙人ははっとする。この辺りによく見る白いカモメ。それはつまり、ゆりかもめのことですか。「あ、そうですね」との先生の答えに眉を曇らせる宇宙人。なぜならゆりかもめは、都内湾岸の交通機関の名称にさえなっている親しみ深い鳥ではあるが、湾岸周辺の住民にとってはカラスを駆逐するほどの攻撃性を有するギャング鳥だからだ。
といっても人間を襲うことはなく、その凶暴性の矛先は専らカラスである。ゆりかもめはカラスと色こそ正反対だが、集団による連携プレイを得意とする習性はカラスと似ており、カラスと縄張りが重なると激しい敵意をむき出してこれを集団で追っ払うことで知られている。皆さん見たことないですか。全力で逃げるカラスを追っかけ回しているでかいカモメの姿。宇宙人は川べりの遊歩道を散歩中に何度も至近距離でゆりかもめを見ているが、体長はカラスより大きく、態度も大きい。最大の特徴はその凶悪な目つきで、恐竜の末裔らしいガンの垂れ方をする。タコ・クラゲ型の宇宙人は、やつら肉食鳥の標的になりやしないかと足早に脇を通り過ぎるのであるが、あのヤクザな目つきに比べたらカラスの黒いつぶらな瞳など可愛いものだといつも思う。カラスは都市に暮らしてゴミを漁るから嫌われているだけで、同類を攻撃などしないのだ。カラスが雀や鳩を襲っている場面など見たことはない。
世間様は黒いカラスを悪と決めつけ、対照的に白いゆりかもめを善玉扱いしているようだが、見かけで物事を判断してはならぬという教訓がここにある。京の都から来た人には東の里に展開するシビアな生態系など知る由もなかろう。だから呑気に「都鳥」とか詠えるのだ。と思いを馳せながら稽古しております。
演能会のお知らせです。

(1)第四回 辻井八郎之能
◆日時:平成30年4月30日(月・祝)13~16時頃
◆場所:セルリアンタワー能楽堂(渋谷駅より徒歩5分)
◆入場料:6,000~10,000円。(当日券たぶんあります。カンフェティでも購入可)
◆見どころ:宇宙人の先生である辻井八郎師の演能会。今回は能『熊野』ほか、狂言1番と仕舞5番の番組です。仕舞にはちょうど『角田川』の都鳥のくだりが入ってます。

(2)第26回八歩会仕舞発表会
◆日時:平成30年4月21日(土)13~16時頃
◆場所:井草八幡宮神楽殿(荻窪駅よりバス10分)雨天決行。
◆入場:無料
◆見どころ:恒例の辻井師お弟子の素人発表会。宇宙人は地謡を端っこで謡います。なお終了後は、懐の寂しい宇宙人とスーパーのイートインでお茶会ができます。

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# by hikada789 | 2018-04-13 18:07 | 宇宙人の能稽古 | Comments(0)
『進撃の巨人』3シーズン目終了以降永らく見たいアニメがなかったが、この4月は久々に見どころのある新作が始まり目を付けている。
まずは『メガロボクス』。『あしたのジョー』50周年を記念して制作されたパロディ風オリジナル作品。近未来の舞台で繰り広げられるボクシング物語なのだが、登場人物が面白い。矢吹ジョーもどきの天パーのドッグファイターの主人公に、丹下のとっつぁんもどきがイカサマを指示して不当に稼ぎ、銀パツの力石徹もどきが上から目線で勝負を挑めば、黒いよう子お嬢様がそれをプロモート。明らかに原作のジョーを意識した外道バージョンなのだった。
しかしただのパチモンでないのは、総監督がアニメ原作をリスペクトしすぎて作ってしまったことによる技術の踏襲だ。第一回を見た限りではCGはない。昔ながらの手書きを意識した画で、しかもGペンか筆ペンのようなぶっといタッチ。この監督は『進撃の巨人』の制作スタッフだったという。道理で画柄が似ているはずだ。昔のアニメを知る世代にはCGはナシだよね。力がないもん。元祖あしたのジョーと云えば「光るゲロ」だが、ああいう細工は力強い画力に添えてこそ映えるものなのだ。
今後はカーロス・リベラもどきやホセ・メンドーサもどきも登場するのかな。期待しよう。

もうひとつ『ゴールデンカムイ』も期待できそうな第一回の出来であった。ヒグマやオオカミといった動物の描き方が精巧で、プロの技を感じたよ。逆に人間の方は割と雑なデザインで、それが狂気を醸してて良かった。話はエグイが綺麗事がなくていい。このクオリティで続けてくれれば毎回見よう。

あとはいまいち期待外れの『銀河英雄伝説』。この作品は宇宙人が中学生の頃に劇場アニメ化し、その後テレビではなくビデオ作品として連作されたが、子供向けでないリアルな画柄が大人の世界を醸していて高級感があった。今回は画を刷新してアイドル風になっており、安っぽくなった感じ。宇宙艦隊の戦闘シーンは良かった。ここは今も昔もクラシックのBGMを使うのだな。
尤もオープニング・テーマが澤野弘之だったので期待に目を輝かせたが、本編の音楽は別の担当者だった。残念。音楽だけでも澤野だったら見るのだが、この画では見続けられないかも。首から下が雑な画なんだな。立ち姿とか、椅子に座った姿勢がきれいに見えない。主人公は超絶美男子だし、脇役も軍人ばかりなのだから、姿勢には気を使ってほしかった。多分スタッフに画力がないのだ。
宇宙人はガンダム世代だが、ガンダムの頃のスペースアニメは皆姿勢がよかった。シャアとか不思議な立ち方していたよ。あれは制作スタッフがまだ日本軍人をリアルタイムで見ていた記憶のある世代だったからだろうか。昨今のCG頼みのアニメは、人間の動きのリアルを追求しすぎた余り、猫背の主人公とか平気で出すからなあ。目が拒絶するのだよ。宇宙人が認める最も美しい立ち姿の人物画を書く作家は『ファイブスター物語』の永野護である。最近新刊が出たが、相も変らぬ立ちっぷりにウットリなのだ。

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# by hikada789 | 2018-04-10 19:03 | その他 | Comments(0)