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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

 まだ梅雨並みの気温だというのに早くも暑さでポンコツ度が上がっている宇宙人も、井上尚弥の久々の快勝を眺めて幾分元気になった。スポーツの効用であるな。五輪は大体好みの競技しか関心のない宇宙人であるが、やはりこうしてスポーツ観戦で元気になることがあるので、来月に迫った五輪開催には素直に賛同しておこう。IOCがカネまみれであることとか、北京五輪でコロナのマッチポンプを見たくないとか、色々文句はあるけれども。
 とはいえ、従来から宇宙人が五輪に対して「辻褄合わない」感を募らせていた原因の一つは、プロとアマの曖昧な出場規定である。子供の頃のわが脳みそは五輪をアマチュア選手のための晴れ舞台と認識していたが、いつの頃からか、確か米国のバスケットボールチームがプロ選手を出場させるようになった頃だと思うが、プロの出場が「解禁」になり(これもテレビ放映権で儲けたい人達の策略かな)、その是非も競技によってまちまちなので、五輪で金メダルを取ることが最強を意味するわけでもないことや、プロとして既に十分稼いでいる選手が経済的に恵まれていないアマチュアを叩くという不公平感など、公平な条件による純粋なスポーツを楽しむ・競うという醍醐味が損なわれている印象が、宇宙人を五輪の熱狂から遠ざけるのであった。

 尤も、五輪の例えばジャッジが公平かどうかは昔から疑念どころかほぼ信用されていなかった。開催国は自国の選手が勝利するよう高い採点を出す行為がしばしば横行し、冷戦期にはそれが一層露骨だったことは記憶に新しい。もっと前には、日本選手が陸上の投擲競技で優勝しそうな記録を出すと、記録計測員が見え見えの不正をして計測距離を縮め、それを目撃した当の選手が激怒して競技を辞めてしまったという事件もあった。不正の原因は、白人によるアジア人に対する差別意識であったというから、こういう事実は覚えておいた方がいい。
 どうしてたかがスポーツ(すみません、命に係わらない次元なので)くらいで差別意識が働くのか、白人の人種差別意識の根深さの由縁がどこにあるのか、有色人種でキリスト教徒でもない自分にはまるで理解できいのだが、ひとつ納得のいく原因を見つけた。内藤陽介著『みんな大好き陰謀論 ダマされやすい人のためのリテラシー向上入門』にこういう記述があった。

――1896年に始まる近代オリンピックは、当初「アマチュアリズム」を謳っていました。ヨーロッパ的な「階級」になじみのない日本では、これを清潔で高尚なスポーツの祭典のスローガンと受け止める人が大半ですが、近代オリンピックを始めたブルジョアたちの本音は、「貧乏人(=非ブルジョア)を排除する」ことにあります。
 すなわち、余技としてのスポーツで肉体を鍛え上げ、労働者を圧倒することのできる者、自分の資力でスポーツに専念できる者以外は、絶対に自分たちのサロンに入れない。ましてやスポーツでお金を稼がねばならないような貧乏人は、軽蔑の対象でしかないという、強烈な差別意識の上に成り立っているのが「アマチュアリズム」なのです。
 会田雄次は自らが英軍の捕虜になった経験を『アーロン収容所』に書いていますが、英国の士官と下士官・兵卒に違いは、その体格ですぐにわかったそうです。会田の身長は1.75mですが、英国の下士官・兵卒に会田より大きい者は少なく、逆に士官の中に会田より背の低い者はいませんでした。労働運動をしていた会田の戦友は英国の軍人の体格差を見て「なるほど、プロレタリアは団結しなければ勝てないはずだ」と初めて「階級」の意味を感得したといいます。
 日本軍と違い、英国をはじめ欧米の多くの国では社会的階級差が軍隊内の地位にも反映していますから、将校は上流階級の子弟であり、徴兵された庶民は兵士・下士官にしかなれません。また、学歴も社会的階層と関連していて、庶民が大学に行くことは、第二次世界大戦以前のヨーロッパでは極めて例外的なことでしたから、大学出身者はそれだけで一定以上の社会階層の出身者であることを意味しており、よほどのことがない限り将校として勤務します。(中略)
 日本では上流階級の人が必ずしも逞しいわけではありません。武士の時代は尚武の気風を重んじられたかもしれませんが、特に近代に入ってからの上流階級(えてして高学歴者)は概して青白きインテリで、腕力だけならむしろ体を動かして労働している人の方が強いというイメージを持つ人が多いと思います。これに対して、ヨーロッパ(特に英国)は全く逆で、上流階級の子弟が集まるオックスフォード大学やケンブリッジ大学はラグビー部やボート部の強豪校です。その根底には、組織を運営していくための知力・教養だけでなく、万一、下々の者が反抗的な姿勢を示した場合には、腕力で叩き潰せる体力を日頃から養っておくことが、エリートの務めであるという認識があるのです。――

 うう、知らなかった。宇宙人もおめでたい日本人の一人であるのだな。五輪の清廉なアマチュアリズムに期待しているこちらの方が甘ちゃんであった。まあ、近代五輪の始まりがそうであっても、今日の競技者や観戦者の多くは庶民だからそういう心根ではないと思うが、起源って大事だよ。スタートで失敗すると全てが狂うからな。
 内藤陽介氏は郵便学者という見慣れない肩書きだが、切手のデザインを見ても当時の社会の価値観が判るという事例が『みんな大好き陰謀論』でも紹介されているように、実質は歴史学者である。書名の軽さに騙されたが、実に重厚な歴史解説書であったので、お勧め図書に加えておこう。とはいえ、この本はほぼ「ユダヤ人陰謀論」を払拭する内容であり、興味のない人には読みにくいかもしれない。宇宙人もそれほど興味のある話題ではなかったが、欧米の近現代史や差別体質を理解するには大変役に立ったし、こういう理屈で物事を見ていくことで、確かにリテラシーは上がると思う。でも五輪に対する見方はよりシニカルになったかな。もう一度井上尚弥のTKOシーンの録画を眺めて、気分を爽やかにするとしよう。

# by hikada789 | 2021-06-21 10:33 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
 前回の余話#G49では、十大主星の浮気度をざっくり眺めてみました。これだけを読むと雑誌の星座占いページのようで、「なんだ、算命学でもこうなるのか」と意外に思われたかもしれません。実際、私自身が書いていてそう思いました。
 しかし、各所に但書を散りばめたように、たったこれだけの情報で人間の浮気傾向を断定するのは早計です。なぜなら人体図の十大主星を見るだけでも五つも星があり、この五つがバラバラの星であったなら、それだけ浮気傾向にもばらつきが出るということですし、その五つの組合せや位置、十二大従星との組合せによって、どの星が他の星を押しのけるか、逆に加勢するのか、その合従連衡具合を多角的に見ていかないと正しい人物像は描けないからです。
 十大主星と十二大従星の組合せによる作用については、『算命学余話#G38』に具体例を挙げたのでそちらを参照下さい。また十大主星同士や十二大従星同士の組合せについては「連星法」という技法がありますが、別の機会に解説したいと思います。

 今回の余話は、スマホ脳についてです。「あのスティーブ・ジョブズも子供にはスマホを持たせなかった」のキャッチでベストセラーとなった、スウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセン氏の著書『スマホ脳』を私も読んでみました。私は元々スマホに否定的で今も所持しておらず、海外でどうしても必要だった時に一年間だけ使ってみましたが、今はなくなってせいせいしています。だから『スマホ脳』を読んでも特に驚きはなく、スマホが人間の記憶力その他の能力を低下させたり、ウツにしたり、子供をアホにしたり、対人交流をつまらなくするといった点は、感覚的に判っていて、これといって新しい発見はありませんでした。
 唯一笑ったのは、「脳は働きが悪いときほど自分をほめる」という見出しくらいです。というのも、私は、「頭の悪い人ほど自分にご褒美をあげたがる」という意見の持ち主だからです。「褒美」というものは誰か上位の者が他の下位の者に与えるものであって、自分自身に与えるものではなく、昨今流行りの「自分へのご褒美」というフレーズには前々から鼻白んできました。誰も褒めてくれないから、仕方なく自分で自分を褒めている。その姿や発想は滑稽です。褒められたいのなら、誰もが認めるような功績をあげて褒められるべきだし、そもそも人間はそんなに承認欲求に飢えた人ばかりではなく、褒められても大して嬉しくない人ほど、自分へのご褒美を探す手間を省いて努力に時間をかけているのだから、褒める・褒めないにこだわらない人の方が余程賢いはずだ、とこのように思っています。でもきっと多くの読者は、この小さな見出しは読み流して着目しないのでしょう。

 「人間はそんなに承認欲求に飢えた人ばかりではない」というのは、算命学ならではの発想かもしれませんが、皆さんは実感としてどちらの意見に与しますか。私は算命学者なので、承認欲求は名誉の領域であり、五行の一つである金性に係る欲求にすぎず、残りの四つの五行の欲するものではないという意見です。だから「承認欲求に飢えた人」というのは、ざっくり五人に一人くらいの割合だと考えて、全人類に共通する欲求とは言えないと思うのですが、皆さんの肌感覚ではどうでしょうか。
 『スマホ脳』には現代の精神科医から見た脳への弊害が列挙されており、その根拠となる科学的調査報告にかなりのページを割いています。このように証拠を(あたかも法廷で争うには十分であるかのように)並べて「こうだ」と断定するやり口は、いかにも西洋人の手法です。しかし私は人間の精神に関する西洋人の見解は大抵間違っているというスタンスですので、この著作を鵜呑みにはしませんし、鵜呑みにしている読者は既にスマホ脳になっているか、欧米崇拝脳になっているか、いずれも正しい物の見方のできなくなっている人だと考えています。
 かといって算命学が万能だとも思ってはおりませんが、スマホによる弊害というのが算命学的観点からはどのように判断できるのか、考察してみたいと思います。『スマホ脳』を実際に読んだ方が判りやすいですが、読まなくても、算命学の基礎思想が判っていれば理解できる内容です。

(この続きは「フォークN」に公開しました。副題は「『スマホ脳』を考察する」です。「算命学余話 #G50」で検索の上、登録及びがんこ煎餅1バック分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。なお事前告知の通り「パブー」での掲載・購読は終了しました。)

# by hikada789 | 2021-06-17 10:18 | 算命学の仕組 | Comments(0)
 マスク生活が健康を害するという科学的根拠に基づく論文が米国から出たそうだが、日本のメディアは報道していない。やはりマスク製造大手である中国の脅しなり懐柔なりを受けて報道できぬのだなと断定する宇宙人。以前、健康なウイグル人を不当に逮捕して臓器移植のドナーにしているという話が世間に出た時も、かように誰から見ても非道な行為を非難できないのは、きっと日本の要人の中に中国から臓器移植を受けて命を長らえた者がそれなりの数いるからだなと、勝手に断定した。その方が辻褄が合うからだ。
 中国によってワクチン購入を妨害されている台湾に日本が余剰ワクチンを無償提供すると決めた際は、その公式発表を加藤官房長官がした時の嬉し気な顔が印象的だった。東日本大震災の時の援助に対する返礼という名分であったが、誰からも非難されない善行を行う自分というものには、人間誰しも嬉しく酔いしれるものなのだ。今朝の新聞にはワクチン供与に感謝を示す台湾企業らの合同広告が掲載されたそうだが、彼らの言う国家間の「友情」が子供のような無邪気な動機ばかりではないと思いつつも、他者の足を引っ張るばかりが国際関係ではないという例として肯定的に眺めたい。
 マスクについては、既に国内でマスク着用のマラソンで死亡した中学生も出ているし、最近ではアクリル板のパーテーションも換気を妨げるので防疫には逆効果だとの知見が出てきた。大手メディアでは聞かない話題だ。また今朝のラジオでは、施行から一年が経つレジ袋有料化もプラスチックゴミ削減に対して効果なしとの経過報告が流れたが、これもマスコミは注目しないのだろう。自分が率先して煽った政策なり措置なりが無駄だったことを認めたくないからだ。子供達よ、熱中症の季節でもあるので、身を守るためにマスクは外しておけ。大人に注意されたら、「マスク生活は有害との論文が米国から出ているがあなたはそれを読んだのか」と問い返せ。こういう時こそスマホを使えなのだ。スマホでゲームなどやっても一分の得にもならぬ。真実を味方につけて虚偽を退けるのだ。

 以前からマスクの編み目はウィルスの百倍から千倍でウィルスは通り放題であることを当ブログでも主張し、他者から飛んでくるウィルスの飛沫よりも、ウィルスの付着したマスクを自らの呼吸で吸い込む方が感染リスクが高いことに納得していた宇宙人は、ワクチンの普及とは関係なく、マスク生活の有害性を正しく世間が認識することを望むので、戸外ではマスクを外して歩いている。人ごみや建物に入る時だけ仕方なく着けているが、これは防疫効果のためではなく、人にうるさく言われないがためである。
 先週の「虎ノ門ニュース」では、宇宙人のように防疫目的ではなく周囲に合わせてマスクしているだけという視聴者が六割にも及んでいた。この番組の視聴者はリテラシーが高いから、全国民の六割とは思えぬが、皆さんだって体感的にはマスクに効果がないことに気付いてるんじゃないですか。マスク生活してる人が感染してるんだから辻褄合わないでしょう。してもしなくても感染するなら、マラソンで死んだ中学生に着目してマスク生活はやめるべきだと宇宙人は考える。

 そんな宇宙人は外出を控えず、日露合作映画『ハチとパルマの物語』を見て来た。合作と言ってもほぼロシア映画。動物を起用した映画はお涙頂戴ものであることが判っているので、宇宙人が涙する可能性は低かったのだが、音楽の演奏があまりに素晴らしくて図らずも落涙してしまった。まさにロシアのフィルハーモニーであった。映画館は音響がいいからとかそういう問題ではない。曲自体は全体的に長調ばかりで明るく、憂いが本分であるロシア音楽とも思えずがっかりしたにも拘らず、演奏そのものが艶やか且つ壮大で、土星の冷気に凍る宇宙人の心の琴線を図らずも揺らしたのであった。え、映画の内容? まるで日本の犬猫人情映画のレベル。ひねりも何にもなくて、小中学生向け推薦映画といったところ。まあもう一度見たい映画ではないが、映画館の音響で音楽だけでも聴く価値はある。宇宙人、厳しい評価だな。

 どうせ見るならこっちがお勧め。なんと『不思議惑星キン・ザ・ザ』がアニメ化されていた。タイトルは『クー!キン・ザ・ザ』。先月から各地で上映されていてもう終わったところもある。知らなかった。実写版の『キン・ザ・ザ』はソ連末期に作られたシュール・ギャグ映画で、熱狂的なファンの推すカルト的怪作である。宇宙人も見たことがあり、内容はくだらないのだが、もう一度見てもいいと思える不思議な魅力がある。色々イタイ演出が冴えていた。その同じ監督がわざわざアニメ化したそうで、実写版も同時上映しているとか。
 いや、こんなのロシア映画じゃない。ロシアはもっと重厚でなくちゃとお考えの方には、6月末から渋谷のユーロスペースがタルコフスキー特集をやってくれるので、そちらを堪能下さい。タルコフスキーならどの作品でももう一度見たいと思う宇宙人であります。

# by hikada789 | 2021-06-14 10:46 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
 江戸東京博物館で開催中の『冨嶽三十六景への挑戦 北斎と広重』展を見て来た。両名は共に日本各地の風景シリーズで有名だが、今回の企画はその風景画を大量に並べて比較するというもの。宇宙人もこれら版画を印刷や映像では何度も見てきたが、実物の版画に顔を近付けて凝視する機会は珍しい。折しもコロナ禍で来場客は少なく、ガラスカバーで保護された貴重な版画を舐めるように鑑賞することができた。いや、宇宙人は老眼が進んでいて、眼鏡を外して肉迫しないと細かいものは見えないのだよ。

 そこで判ったのだが、まず北斎の人物画は手足が筋肉質であること。江戸時代の浮世絵師は皆このような筋肉スジをはっきり描く絵師ばかりだと思っていたが、それは北斎の絵が有名で露出が多いからであり、広重の描く人物画の手足は細くてまっすぐだと知れた。現代の漫画家にもいますよね、筋肉ムキムキの絵が好きな人。北斎はこの系統だったのだな。これが嵩じると、ルネッサンスのミケランジェロのように、老人も赤ん坊も天使も等しくキン肉マンという気味の悪い聖堂画になる。宇宙人はボディビルダーのような筋肉過剰の体は好きでないので、好みとしては広重派なのだが、でも広重の描く脛は棒のように凹凸がなく、やはり生命感のある手足は北斎だという印象だった。

 もう一つ気付いたのは、風景画に添えられる人物像(主に男性)の顔が、北斎は「整ったブサイク顔」なのに対し、広重は「ランダムなブサイク顔」であることだ。整ったブサイク顔というのは、V字彫刻刀でひと彫りしたような楔形で両目と口の三点を描いたかのような、画一的な庶民顔のデフォルメという意味。どの顔も両目と口の三点が同じなのだよ(もしかしたら北斎の癖ではなく専属彫師の癖かもしれないが)。一方広重は、やはりブサイクな庶民顔を描いているが、それぞれ違ったブサイクなのだ。いやもう本当に色んなブサ男である。女性はうりざね顔で統一されているのに、この差は何。お蔭で宇宙人は、もう脇役男子の顔面を見るだけで北斎か広重か判別できるようになった。素晴らしい展示企画ではないか。

 他にも、米粒サイズの人物が蟻の行列のように街道を行く様子も、顔を近付けなければ判らないほど小さいのに、あっちを向いていたり猫背だったり、見上げていたりするのが判る画力に驚嘆したりと、色々見どころ満載であった。枚数が多いので全部じっくり見ていたらすっかり草臥れてしまったよ。会期はあと一週間ほどだが、コロナ規制の緩和で予約すれば入れるので、皆さんもすいてるコロナ禍ならではの新たな発見を探しに是非お越し下さい。

# by hikada789 | 2021-06-12 10:14 | その他 | Comments(0)
 コロナ不景気による生活困窮の影響で、占い被害が増えているそうだ。現状打開のために占い師を頼り、言いなりになって30万円の壺やら水晶玉やらを買わされたとか何とか。モノを売りつける占い師は占い師ではなくセールスマンなので、セールスマンとして眺めれば被害は食い止められると思う。かく言う宇宙人も占い師だが、モノを売りつけたことなど一度もない。というより高額で売れるモノがそもそもない。せいぜい手作り革グッズくらいで、どれも市場価格より安いし。
占いセールスにご用心 (No.1483)_b0214800_10121692.jpg 最近は有料鑑定料金を消費税分ほど値上げしたが、これも心苦しいくらいだった。なぜなら、代々易者を輩出するわが宇宙人一族にはプロ・アマ問わず占い師がウヨウヨいたのだが、その中でも親戚一同が戦慄するほどの実力者が、一般相談を料金八千円で受け付けていたからだ。宇宙人が子供の頃の話だから今とは物価も違うが、宇宙人はこの親戚の実力者の足元にも及ばぬ力量であるので、その料金を超えることが永らく恐れ多かった。宇宙人に鑑定を依頼した人の中には「宇宙人占いは、後から思い当たる節がいくつも出て来て怖い」との有難い評価をしてくれる人がいて、宇宙人の実力もそれなりではあると自負しているが、その宇宙人も震え上がるほどの実力が、その人物にはあった。まさに千里眼。もう亡くなっているが、昭和の伝説の部類なのだ。
 宇宙人は占い師としての宣伝はこの土星裏くらいだから細々とやっているが、合間に趣味に励めることだし、余計なセールスはしないというウリで今後も行くつもりだ。というわけで、画像は友人に納品した本革眼鏡ケース。赤い方はフラップと本体とバイカラーにした立体ケース。模様のあるのはカーヴィングを施した携帯ポーチタイプ。梅雨入り前だというのに最近暑いから、そろそろ革工房は夏季休業かな。

# by hikada789 | 2021-06-10 10:16 | その他 | Comments(0)