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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

国際ニュースでは、南米からの移民がキャラバンを組んで米国へ向けて北上中という報道が連日続いています。当時者である米国の大統領は世界中の「良心」から嫌われているようなので、この移民集団を応援し物質的にもサポートする人々の活動なども同時に好意的に報道されています。しかし移民たちの行為の是非については誰も論じていません。
去年・一昨年辺りはこの種の集団移民がアフリカから欧州へ北上して、ゴールのドイツはともかく、通過地点にすぎない東欧諸国などは露骨に迷惑顔を見せていました。通り過ぎるだけの移民らの行儀がお世辞にも良いとは言えなかったからです。よく躾けられて、「ご迷惑おかけして申し訳ありません。静かに通ります。汚しませんから通過をお許し下さい」という態度だったら、東欧の市民らも嫌悪を示さなかったのではないでしょうか。そこに人種差別はないように思われます。あったのは他者に対する礼儀と気遣いの欠如だったのでは。
日本の「もったいない」という言葉はその精神と共に国際語「モッタイナイ」としてアフリカなどにも浸透していると聞きますが、日本の工事現場によく掲げられる「ご迷惑おかけして申し訳ありません」看板とお辞儀のイラストも世界に広めることはできないものでしょうか。これをプラカードにしてデモ行進したら、周辺住民も唾を吐いたりしない気がします。どうして現在使われているプラカードは「死ね」だの「反対」だの「〇〇しろ」だの、礼儀も気遣いもない険悪な言葉ばかり連ねているのでしょう。こんな不作法な人々の要求する姿を、デモが批判している対象者はもちろん、無関係な第三者が見て、同情を寄せてくれるとでも思っているのでしょうか。方法からして間違っている気がします。

以前、日本と海外を比較するテレビ番組で、どうして日本人はデモをあまりしないのかが議論されたことがありました。その時の日本人の反応は、歴史的に学生運動における挫折や敗北でデモの無力を知っているからであるとか、やってもいいけど効果が期待できないからやる気も起きないからだとか、社会人らのそれらしい回答にまじって、学生が「デモはイケてないから」と言い放ったのが印象的でした。
この回答は素直だと思います。要するにカッコ悪いと思うからやらない。デモ好きな国の外国人は反発していましたが、国はそれぞれ歴史が違うのだから、価値観が一致しないのは当然です。或いはこの学生は、盆踊りなんぞカッコわりぃから参加しねえ、と言い放つ類の生粋の江戸っ子だったのかもしれません。デモと盆踊り。拡声器とプラカード。街の真ん中で自己主張を叫ぶ。何やら似ている気がします。

私はかねてより意見表明している通り、移民には反対の立場です。それは日本についてだけでなく、世界のどこの移民についても同じです。その根拠は算命学にあります。
今回の余話のテーマは、日本の将来にとっても他人事ではない移民についてです。とはいっても、算命学が移民という行為・現象を100%否定しているわけではありません。場合によっては肯定しているのですが、ではどういう場合に反対だったり賛成だったりするのか、その根幹にある理屈は何なのかを考えてみます。なお、移民については過去に『算命学余話#U94』で総論を述べていますが、今回の内容はそれを掘り下げたものになります。

算命学の認める移民は小さくは転居であり、中くらいでは家系からの脱出、大きくは国からの脱出です。そしてそうした転居なり脱出なりが正当性や妥当性を帯びるには、いくつかの条件が必要です。
まずは宿命天中殺。特に生月中殺は家系から中殺を受けているため、生家に留まることは自他ともに無理を生じます。川の流れに棹を差して生きるようなもので、こんな細い棹にしがみついて生きるよりは、流れに身を任せて流れていき、流れ着いた先で新生活を始める方がよい、というのが算命学の考え方です。小さな転居や大きな移民も、基本的にはこの考え方に当てはめることができますが、ここでは中間をとって家系で話を進めます。後で大きな移民につなげます。

宿命天中殺が次男三男であったり娘であったりするなら、さほど問題にはなりません。独立するなり嫁ぐなりして家を出れば済むことだからです。しかし長男だとすれば、それは少々問題です。長男がすんなり家を出てくれて、次男が家を継ぐというのなら、まあ穏便ではありますが、長子相続であった歴史が長い場合は気の流れ方が変わるため、その転換点から何らかの支障がしばらくは生じるようになります。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「故郷を捨てる行為」です。「算命学余話 #R79」で検索の上、登録&栗ぜんざい一皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

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# by hikada789 | 2018-11-10 22:15 | 算命学の仕組 | Comments(0)
宇宙人の運勢鑑定は恋愛相談お断りだが、およそ物事を深く考えない類の人種が愛だの恋だのを声高に叫んでウットリしたり、偶像にすぎないアイドルを追っかけては奇声を放って理性を喪失したりしているのを、公道で下半身を露出する変質者とほぼ同格に見做している。なに、厳しすぎる? 同じ部類だよ、どちらも理性が吹き飛んでいる状態なんだから。算命学で言えば知性の喪失、つまり印や人体図頭部の阻害や障害であり、寿及び人体図腹部の肥大である。図式は簡単だ。下半身の活動がゼロになれとは言わない。生殖を担っている部位だから。でもそこは頭部(北方)に適切に制御してもらうべきなのだ。生殖器の暴走は見苦しく、何より将来(南方)への害になる。

ところで宇宙人が下半身以前に愛や恋に対して概ね懐疑的な目を向けているのには、幼少期の個人的経験によるところが大きい。そのうちの一つが、確か小5の時の教室での出来事である。
宇宙人は生まれた時から地球人に化けて暮らしているので、どうすれば地球人に見とがめられずに好意的に接してもらえるか、間違っても正体がばれて捕獲され、刑務所や病院に閉じ込められたりしないよう、処世の術は幼少時から磨いてきたつもりだ。尤も成人後は面倒臭くなってせっかくの技術を放棄して暮らしているが、子供の頃は立ち居振舞いに注意し、涼やかな優等生で通していた。勿論あくまで見た目がである。根性は今も昔も変わりはしない。しかし幸いお勉強はできたし、タコ・クラゲ型だから色白でスリムだった。だからクラスでは人気があったらしいのだが、宇宙人は自己本位に生きているので他人が自分に好意を持っていることにあまり関心がない。関心があるのは他人が自分を攻撃して来るかどうかである。その場合は全力で迎え撃たねばなるまい。小5のつたない頭はそれでいっぱいであった。
そんなある日、遠足だか林間学校だかに行くので男女に分かれてそれぞれグループを3つ作れと教師が言った。その意図するところは、普段仲のいい友達同士でざっくりくっつき、概ね同じ人数の3組に分かれろというものだった。宇宙人はいつもの顔ぶれの友人らと塊りになり、塊りはひと組の定員を満たした。これで課題は終わりのはずだった。

ところがである。普段の遊び仲間ではあるが特別親しいというわけでもないMが、その親友Yと二人であぶれていた。MとYは引き離されるのが嫌だったので、二人一緒に入るには既に形成された3つのグループのうち、人数の少ない組に入るのが妥当だ。ウチのグループは人数が多く、空きはないからここへは来れない。そう思っていたら、Mが真っ直ぐにこの宇宙人を目指して、当然のようにグループに同化しようとした。宇宙人は驚き、まず定員の観点から、次に「親しいかどうか」という点から、無言で「それは無理だよ」という顔をした。するとMの表情はみるみる歪み、自分の正当な権利が阻害されたとばかりに糾弾のひと言を宇宙人に吐いて背を向け、Yと共に他のグループへ向かったのであった。
糾弾は、自己本位に生きる宇宙人には身に覚えのないものであったが、クラスの全員が聞いた。そしてその糾弾の内容は、Mが宇宙人に対して抱いていた一方的な愛情の深さに比べ、それに全く見合わない宇宙人のMに対する冷淡さを非難するものであった。宇宙人はこれを、自分の愛情の押し付けを正当化する身勝手な人間の態度と見て、その後Mとは距離をとるようになった。そして、相手の気持ちを尊重しない一方的な愛というものを恐ろしいもの、醜いものと認識し、同時に自分の立場を危うくする脅威として愛そのものを警戒対象と認識するようになった。なぜならクラスメイトたちはこの事件により、宇宙人を何か非情な人、少なくともその見た目ほどには優しくもないし、自分に向けられた愛情に対して謝意を抱かない人だというふうに認識又は態度を変えたからだ。
いや、実はその通りなので、その認識自体に文句はないのだが、いやいやより正確に言うのなら、宇宙人にだって好みがあり、好みの相手に対しては愛情を返しているし、その人の好意を嬉しく思っている。決して非人情ではない。かといってマザーテレサのように博愛主義では断じてない。好きでもない相手に対しておべんちゃらの愛情は示せない。それが正直というものだ。
だが、宇宙人であることを隠すあまり優等生を演じてきたのが災いしたのは否めない。クラスメイトは宇宙人を何でもできる、何でも解決できる神様の一種のように思っていたらしく、これは宇宙人の誤算であった。そしてここが肝心なのだが、かように集団が誰かを崇めていた場合、その崇拝が何かのきっかけで間違いだったと自覚されると、今度は一転して崇拝対象を貶し始めるのだ。それまで崇めていた自分が間違っていたという自責を軽減するために、責任を誰かに転嫁する。誰に。元の崇拝対象にだ。こっちにしてみれば寝耳に水だ。崇拝してくれなんて頼んだ覚えはないし、そもそも崇拝されるよう振舞った覚えもない。しかしこちらは一人で、あちらは集団だ。こちらの声などかき消えてしまう。民主主義の原理である。

そんなこんなで、宇宙人は小5にして相手を考慮しない一方的な愛情及び恋情というものと、集団における崇拝とその容易な逆転現象に対し、最大限の警戒を向けて臨むようになった。どんな小5なのだ。だから同級生の「小5の頃までサンタクロースを信じていた」とかいうホニャララな話を聞いて、絶句するのもやむなしなのだ。痛かったのだよ小5の身には。
立派なトラウマだが、損をしたとは思わない。だって世の人間関係トラブルといえば、大体このテーマに集約されるではないか。要するに「勝手な思い込み」。そこに客観的視野が欠落していることで起きる現象なのである。Mの一方的な愛情も、優等生を演じていれば万事安泰だと油断していた宇宙人も、別の角度から見た自分がどう見えるかを考えていなかった。物事を正しく判断するには、主観だけではだめなのだ。視点を増やさないと。
この種の痛い教訓は、実はこれ一回ではない。その後宇宙人は子供時代に類似の教訓に何度か鞭打たれることになる。お蔭で現在のような人間に対する厳しい視点をもって世の中を眺めることができるようになったのであるが、同時に恋愛相談には応じられない体質となった。宇宙人は恋愛を否定はしないが、上述のような一方的な恋情・愛情は災いしかもたらさないと確信しているし、世に溢れる恋愛の悩みは突き詰めればこうした災事を愛だと勘違いしていることから発しているものと断定している。だから相談の余地はないのだ。相手を考慮しない愛情など、災厄であって愛ではない。災厄を愛だと言って押し付けられる側がどれだけ迷惑しているか、考えてから愛を語れ。そう、考えて、つまりやっぱり頭(印)を使えというオチになるのだ。

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# by hikada789 | 2018-11-08 19:48 | 算命学の仕組 | Comments(0)
ロシア語学習書の著者である黒田龍之助氏が『寝るまえ5分の外国語』という語学書だけの書評を書き連ねた本を読んだ。当人はロシア語が専門だが他言語にも関心が高く、メジャー・マイナーを問わず語学の入門書や会話集を買いこんでは読んでしまい、せっかくだから書評にまとめたという。こういう気分はよく判る。宇宙人も学生時代はペルシャ語やらアラビア語やらウクライナ語やら、大学を出たら一生縁がないであろうレア言語の取れる授業は取っていた。習得までいかなくとも構造くらいは知りたかったのだ。一方で英仏独のメジャーな欧語には今も昔も心が動かない。メジャーすぎて新奇性がないのと、多分人間中心の文化が好みでないからだろう。言語の構造はそれが支える文化に強く反映する。
黒田氏はプロの言語屋なので仏語や独語も結構やっている。そういう人から見ると、例えば東南アジアの諸言語などは仕組みからして全然違うので魅力的に映るらしい。どう魅力的なのかは本編を読んで頂くとして、ここでは宇宙人が思わず頷いた言語学者たちの心の声を少々抜粋しておこう。

――「著者は、語学の勉強はやがてはその歴史的研究に進まねば本格でないとも信じている」(神田盾夫著『新約聖書ギリシア語入門』より)

――「英語を読むな、英語で読め」。つまり英文の内容を読めという意味。最近の高校の英語教育みたいに、英語だけで授業が進めば内容は低くてもいいというのとはワケが違う。[黒田氏の見解です]/「日本語に直さず英語のまま読め」「書かれた順に左から右へ理解する」(藤田悟『辞書なしで英語が読める』より)

――(ドイツ語学者の愚痴から黒田氏の感想)固有名詞はちゃんと発音してほしい。わかるなあ、その気持ち。Herbertはハーバートじゃなくてヘルベルトだと、いくらいっても一向に直らない人にガッカリする。そうそう、私もロシア人のイーゴリを「イゴール」と発音されると虫唾が走るのだが、相手は決して訂正してくれない。

そうそう、宇宙人も、ロシア人のウラジーミルを「ウラジミール」と発音されると虫唾が走っているのだよ。アレクセイを「アレクシー」だの、ピョートルを「ピーター」だの、いい加減にしろなのだ。わかるわあ、その気持ち。

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# by hikada789 | 2018-11-05 18:08 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
畳の入替えの後は玄関だ。玄関扉の塗装がまたしても剥げ落ちてきたため、ホームセンターにペンキを求める宇宙人。確か前回はパールホワイトとかいう小洒落た白色を選んだが、あまりにカラーバリエーションが豊富なので冒険心が湧き起こる。何を思いついたかオリーブ色を購入する宇宙人。暗いかなあ。まあ持ち家なんだし自由にやってみよう。金属ヘラでガリガリと剥げをこそぎ落とし、紙やすりで凹凸を減らし、雑巾がけで粉を落とし、養生はちょっと手抜きして、いざ塗装。
b0214800_17345911.jpg仕上がりはオリーブというより抹茶色になった。好きな緑ではあるが、やはり玄関には暗かったかも。とりあえず一晩乾かして、明朝天日に当てた色を確認するとしよう。

何ゆえこの緑に心惹かれたのかと思ったら、レザークラフトの最新作が画像のような深緑で二日前に仕上がったからだった。初挑戦のデスク収納。仕切りのあるペンスタンドを想定して作ったが、リモコンなども入れられる。
構造は厚紙を中に挟んで前後を牛革で挟み、四面を立ち上げて角を縫い合わせるだけの単純なものだが、作業は簡単とは言い難い。革には厚みがあるので縫い合わせる角のコバを斜め45度に切落とし、出来上がりが90度になるようピッタリ合わせなければならぬのだ。道具はカッターのみ。カッターで厚さ3ミリのコバを斜めに削ぐなど素人には難し過ぎる。ガリガリこすっても出るのは粉ばかりだ。一向に削げないし、どうにか削げてもきれいな45度にはほど遠い。だから縫製もピッタリとはいかず、ところどころ波打つ四辺となってしまった。でも教室の先生から練習用に頂戴した緑の牛革が非常に高級で、そのお蔭で見た目は画像の通り高級感あふれる本革グッズになった。本革の効用である。
画像は発色良く写っているのでそれこそ玄関ドアと同じオリーブ色に見えるが、実際はもっと暗い緑だ。同様の技術でわが家の安価なプラスチック百均収納を順次本革製に替えようと目論んでいたのだが、思ったより手強い作業だったのでホイホイ作る気分になれぬ。次回作はちょっと考えよう。

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# by hikada789 | 2018-11-03 18:06 | その他 | Comments(0)
今年のハロウィンは逮捕者を出すなどしてその品の悪さを露呈した。宇宙人はもともとこの行事が嫌いな方だ。同じ西洋文化でもクリスマスと違って厳かさがなく、何よりもう子供とは到底呼べないようないい年こいた男女が大人げない仮装をし、それをただ見せ合って騒ぐだけという精神性の欠片もない幼稚な行事に、人生の大切な時間の浪費を感じる。宇宙人の数少ない若人の知合いの話によれば、渋谷のハロウィンに出向く男子の目的はずばりナンパであり、ハロウィンで頓狂な仮装をしに来ている女子ほど簡単にヤラせてくれるのだという。そしてそんな風に魚を釣りに行く男子らでさえ、この種の女子を安い魚と見下してハロウィン限定で使い捨てるのだという。お付合いは「文化の日」までというわけだ。実に低級だ。他にもうちょっと有意義な時間の過ごし方がありそうなものだが。
わがお気に入りのTOKYO MXの生番組では、「ハロウィンは日本の文化に必要か」という視聴者生投票を確か二度行なって、いずれも「不必要」が「必要」を四倍上回る投票結果を出していた。どちらも下ネタで明るく笑う大人の番組であり、お子様向けや幼稚なイベントに白ける視聴者しか視ていないとはいえ、この結果に溜飲を下げる宇宙人。えらいぞ東京人。これこそ都会人のあるべき態度だ。

以前、東京スカイツリーが開業する少し前の頃、当地の歴史ある住所である「業平」の住民にインタビューした番組があった。そこでは地方から移住したのではない、江戸時代からそこに住んでいる生粋の江戸っ子が昔ながらの商店を営んで暮らしているのだが、彼らは夏の盆踊りでさえバカにしてこううそぶいた。「盆踊りなんて江戸の人間は行かねえよ。カッコわりぃ。あんなの行きたがるやつぁ田舎モンだけだろ」。見事な見解と江戸訛りであった。
宇宙人は地球人ではないが片親が重度の江戸っ子で、幼少期の家では「日比谷」を「シビヤ」と発音し、女でも「わりぃ(悪い)」を連発する環境にあり、それを子供心に恥ずかしく思っていたので、家の外では清く正しい標準語を心掛けてキタナイ江戸弁を隠していた。しかし業平のオジサン、オバサンがこんなに堂々と江戸弁で田舎モンを真正面から粉砕しているのを見て、今更ながらこれこそ本当のオトナの態度だとひれ伏す思いがしたのであった。まあ、皆さんに賛同頂けなくても構いませんが。

余人は知らぬが、宇宙人は盆踊りの音楽も嫌いだ。祭囃子は嫌いではないが、東京音頭(もちろん江戸時代にはない)とかあの種のドドンがドン・アソーレみたいなノリには美意識を著しく阻害された気分になる。現代の阿波踊りほどまでプロ仕様になれば話は別だが、駅前や町内で櫓を囲んで踊る素人向け盆踊りには、正直進んで参加した記憶はない。カッコわりぃと思っていたからだが、この感覚は業平の江戸っ子たちと同じ種類のものであったようだ。
そしてこの感覚は、おそらく昨今のハロウィンに対しても発揮されている。公共の電波に流してもギリ許される種類の高度な下ネタに楽しく耳を傾ける東京人は、ハロウィンなんぞションベン臭くてカッコわりぃと斬り捨てているのだよ。つまらぬ仮装やかぼちゃのグッズを大量に店に並べるより、こうした東京のオトナの喜ぶ商品をマーケテイングして売り出した方が儲かるぜ。

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# by hikada789 | 2018-11-01 23:31 | その他 | Comments(0)