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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

ロシア・ピアニズム怪談 (No.095)

No.086でチャイコフスキーホモ説にがっかりなされた方々のために、追い打ちをかけようと思う。
チャイコフスキーがその道に入った原因は知らないが、同時代の帝政ロシアの音楽界がモスクワから同性愛者を量産したことは、業界の怪談として語り継がれている。つまり原因がある。
モスクワ音楽院は今もなお世界のクラシック界を代表する名門だが、歴史はそう古くはない。細かい数字は忘れてしまったが、19世紀後半にモスクワに音楽塾を始めたのがその基礎だ。そしてそもそもそこに重篤な種が存在していた。
当時はまだ音楽学校というものがなく、趣味人のお貴族様がパトロンとなって金と建物を提供し、実力ある演奏家を招いたり雇ったりしてその立派な建物(だいたいお貴族様の別宅)で音楽教育をするというのが音楽家育成のありがちなパターンで、モスクワ音楽院もそういう私塾のスタートだった。屋敷は広く、国土も広いので、各地から有望な少年たちを集めて指導するには寄宿舎のような形態になる。無論通いの生徒もいたが、とても通えない田舎からの生徒は親元を離れての寮生活になる。
いやな予感がしてきましたね。さて招かれた教授陣の中にズヴェーレフというのがいた。以前も書いたようにロシアの名字は何かその人物を暗示することがある。こんな名字、わざわざ好んで改名したとは思えないズヴェーレフは、きっと本名なのだろう。その意味はズヴェーリ=四足動物。文字通りケダモノ先生というわけだ。このケダモノ氏、その名の通り濃厚な同性愛者として鳴らしていたが、そんなこと田舎から出てきた寄宿生たちが知るわけがない。ズヴェーレフはその立場を利用して可愛い教え子達を次々と、音楽的には飛躍的に成長させたが、社会的には破滅させた。他にも教授はいただろうが、ズヴェーレフはかなり長期間ここの要職にあったようで、あわれモスクワ音楽院はその創設の時代からホモ工場として暗黒の名を拝することとなったのである。

もっとも、この時期にモスクワ音楽院または塾で学び卒業した著名な音楽家にラフマニノフとスクリャービンが入っている。彼らは有名になったのでその履歴が公表されているが、とりあえずズヴェーレフの毒牙にはかからなかったのか、どちらも普通の結婚をして子供を設けている。この二人は同期の卒業で、ラフマニノフが首席、スクリャービンが次席だった。ズヴェーレフの手柄と呼ぶべきか、その功罪は拮抗している。ロシア・ピアニズムにうっとりしているアナタ、蓮の花は泥水の上に咲くものだと思い浮かべながら、ご堪能下さい。
by hikada789 | 2011-08-08 18:12 | ロシアの衝撃 | Comments(0)

by 土星裏の宇宙人