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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

宇宙関連小説?『我ら』 (No.114)

せっかく宇宙空間に読書室を設けたのであるから、それに相応しい作品について論じよう。宇宙人が究極の予言小説と見なしている、ザミャーチン『我ら』。例によってロシア文学だが、ソ連成立後の、第二次大戦前に書かれたSF小説という珍しい形態の風刺小説で、いま何も知らない日本人が読んでも近未来小説として通じるような舞台設定なのだが、中身はやっぱり痛烈な人類批判であり、政権批判である。
もう読んだのは随分前なので主人公の名前も忘れてしまったが、あるいは名前はなかったかもしれない。なぜなら周囲の登場人物は全員肩書きかアルファベット記号で呼ばれていたからだ。その世界では人間の平等が徹底され、全体主義を信奉するあまり、個人の名前さえもなく、記号で呼び合い、全員同じ作りの個室に住み、その壁はすべてガラス張りでプライバシーがなく、個人の所有物もなく、同じ時間に起床して同じ時間に同じものを食べて同じ時間に仕事に出かけ同じ時間に帰宅して就寝する。唯一、生殖だけが全員同時進行ではないのだが、これも女性の側に選択の自由はなく、男性が申請するとバウチャーがもらえるので、指名した相手の順番待ちをして子孫を残すのだ。生まれた子供は厳格に管理され、標準の体格や知能に及ばないものは処分される。この体制を維持している限り、市民は生活を保障され、安心して死ぬまでこうして生きていくことができる。

ああなんだか、見覚えのある風景ですね。しかしこの時代に上梓されたこの作品が文学史に名を残しているのは、もうちょっとぴったり当てはまる具体的な予言の対象が今日存在しているからである。この作品の中では、その体制を築き上げたのは「恩人」と呼ばれる偉大な指導者で、世界はこの人のおかげで異分子を撃退して安全安心な社会を築くことができたので、永遠に「恩人」に感謝しながら永遠にこの社会を存続させることにし、それが惰性となって継続している。しかし異分子は実はいまだに存在しており、この世界を覆うドームの外側に原始人のように暮らしているという。異分子が出没するとこの世界の市民は攻撃をするのだが、なかなか撲滅できない。物語は、主人公の男性が異分子のスパイである野生的な女性と接触することで「困ったことに魂が芽生えて」しまい、最終的に「恩人」の世界に疑われて「魂の摘出手術」を施され、体制側のロボットになってしまうが、代わりに彼の子供を宿したパートナーが外の世界へ脱出するというあらすじだ。

今日の我々が聞くと、ああ、北朝鮮の話だと思い当たるのだが、この作品が書かれたのは北朝鮮の成立のずっと前だから、作者はもちろん、スターリン支配のソ連を見てこうした人類の先行きをリアルに想像したのだ。無論、ソ連もこれに似たような感じになって70年かかって体制は崩壊したけれど、同じ体制と思想で出来上がった他の国がこうなると、誰が予想し得ただろうか。ザミャーチン、おそるべし。
しかも、この予言はもはや北朝鮮だけのものではないのは明白で、安全安心を求めるあまり闘うことも堪えることも敬遠するようになった、規格や制度に当てはまらない人間に対して排他的な、どの国とはいえない現代人全体に当てはまるのである。旧ソ連や北朝鮮や、いま独裁者と派手にやりあっている中東の国々を、我々は他人事と笑うことはできないのである。差はいくらもないのだから。

ソ連はもとより「身分証国家」で、随分早くから国民総背番号制に近い体制を整えて人民を管理してきたが、日本以外の先進国でも納税や社会保障サービスの利便性から身分証番号で国民を管理しているのが普通のようだ。日本人はなんとなくそうしたシステム本位の管理を人間に当てはめることに不快感を示していまだ導入されていないが、この震災で、被災者への支援や保障サービスの分配がスムーズに行われないのは、総背番号制を入れてなかったからだとの批判があり、にわかに制度導入の気運が高まっている。ええー、やめて下さいよ、宇宙人は異分子扱いになっちゃうんだからー。ソ連では「身分証を持たない者は人間にあらず」と真顔で言われていたのだよ。そうなるとますます宇宙人は身の置き所がなくなるというわけだ。
しかしザミャーチンの予言が真実とするならば、この世から異分子がなくなることはなさそうだし、体制の永遠維持というのも夢物語のようですね。一応、この物語では、主人公の子を身ごもった「規格外で出産を許されない」ほど小柄な恋人が、この恐怖の管理社会から未知の外界へ脱出することで、未来への希望を残した終わり方になっている。しかし希望があるかも、という程度で、どこにもハッピーエンドな要素は欠片も見当たらないあたりが、ロシア文学らしい。甘っちょろい解決よりも、解決のないこの世のリアルを追及している。こういう作品は、なかなか本屋に置いてもらえないのが残念だ。宇宙人も図書館から借りて読んだ。

タイトルの『我ら』は、人間の個性がなくなって自分の意見は社会の意見になったので「わたし」という必要はなくなった社会を暗示しているらしい。何から何まで暗いテーマな話だが、数少ない華といえば、異分子のスパイの女性がクールで魅力的であることと、主人公の仕事が宇宙船開発で、スペースファンタジーに見えなくもない映像を提示していることくらいかな。宇宙船の名前は「インテグラル」。ロシア人もこうやってカタカナ英語みたいに使うのだ。とにかくもうかれこれ70-80年前の作品なのに全然古臭くないし、ドストエフスキーみたいに饒舌な文章でもなくすっきりしてるので、ロシア文学お試し読みにおすすめです。
by hikada789 | 2011-09-18 23:55 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)

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