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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

その言葉に責任を (No.129)

前回紹介した『トラウマ映画館』に嬉しい記載があった。宇宙人が見直した、1960-70年代のまじめなアメリカ映画の中から、貧困のため夢を諦めて場末の雑貨屋に埋もれていく子供の現実を描いた作品を挙げて、「諦めなければ夢はきっと叶う、とか、自分を信じて、とか無責任な言葉が歓迎されている今日の日本で、こうした映画が今後作られる見込みがあるだろうか」という著者の意見である。まったく同感だ。私が子供の頃は少なくともこんな幸運の大安売りや、自省の余地もない台詞を吐く脳天気な大人はいなかったし、うっかり吐いてしまったものなら、分別ある周囲から頭の弱い奴と見做され、子供にさえ軽んじられたものだ。こうした大人の現実的分別は、いつから影を潜めることになったのだろうか。
宇宙人とて土星の裏側に棲息するくらいだから、浮世離れした時間が1日に数分でもなければバランス的に人間の精神が安定を欠くと確信しているが、だからといって年がら年中現実逃避して夢ばかり追っていては、資本の身体が物質世界にある以上、生命は維持できない。競争社会や消費社会の行きつく先の限界は見えているが、競争がなくても生命維持には最低限食物の摂取は必要だ。食物を自ら育てるか、稼いだ金で買うか、しなければならない。その為には努力が必要なのに、努力もしないで「自分を信じて」どうする。「諦めずに夢を叶えろ」と激励する大人は、まず自分の少年期の夢が本当に諦めなければ叶ったかどうか、真剣に検証してみてくれ。努力があったとしても報われなかった経験はないんですか?努力している最中に、その目標が色褪せた覚えはありませんか?ちゃんと自分の歴史を振り返れば、そこにさまざまな要因があり、複雑に絡みあって、その道への到達を阻んだ茨の森が見えるはずだ。努力に費やした時間と労力が、結局目標達成に至らなかったことで水泡に帰したことと、そのために世間の標準からずっと遅れて再スタートを余儀なくされた時に悟る青年時代の喪失を、中年過ぎのいい年した大人がすっかり忘れて、或いは忘れたふりをして、「諦めないで」とか子供にけしかけるのだ。一体この世に成功者と言われる人が人口の何割いると思っている。もちろんその少数を目指すのが悪いとは言わないが、ハイリスク・ハイリターンの原則も合わせて教えてからけしかけてほしい。「後悔するかもしれないよ」と親切な警告を付与してほしい。

宇宙人は努力が報われないと評判の「宿命天中殺」の生まれであるから、安易に成長と向上を止めてしまう「自分を信じて」という低レベル自己満足を一蹴する傾向にあるが、町山氏もまた在日韓国人の生まれで、さまざまな理不尽に耐えて成長したので、幸運の安売りを苦々しく思う思慮深さがあるのだ。世の中が自分の思い通りになったためしがあるか。運勢鑑定してやったって、そんな宿命は10年に一人いるかいないかだから別格扱いなのに、その別格によもや自分がはまっていると思うなよ。

しかし、矛盾するようだが、努力は本当に報われないのかという問いに対し、宿命天中殺の宇宙人はこう答えよう。「別の形で報われることになります」。つまり当初の目標はおそらく達成されない。何らかの後天的要因で一時的に中殺現象が緩和された瞬間を狙えば達成も不可能ではないが、そのタイミングを計るのは難しいので、事実上無理と考えた方が賢い。しかしその努力を続ければ、確実に本人の能力アップにつながるので、まったく別の分野での活躍が見込めるようになる。だから目標達成に拘泥せずに続ける努力は奨励されるべきである。わかったかい、子供たち。努力が報われるから努力するんじゃない。君の中身がレベルアップするから努力するんだ。努力している最中に得られる経験の方が、ゴール到達よりずっと役に立つのだ。

なぜこんな説教臭い文章を並べるかというと、占いにおける悲しい誤解で、天中殺生まれはあたかも成功できないかのように勘違いされ、しかもそれで被害者気分に浸る人がよくいるので、予防線まで明記しておく。世界中にあまたいる天中殺生まれよ、その挫折から誕生させたシビアな現実主義で、ゆでガエルたちの無責任な楽観的妄言から人類を救うのだ!

次回はスーパーリアリズムなロシアの大河小説をご紹介しよう。自分どころか家族も信じてはいけない現実の荒波を、この読書の秋にご堪能いただきたい。
by hikada789 | 2011-10-20 12:26 | 算命学の仕組 | Comments(0)

by 土星裏の宇宙人