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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

禁じられるとますます (No.187)

古代ペルシャで広く普及していたゾロアスター教(拝火教)は火と水、善と悪のように二元論で成り立っており、中国の陰陽論に通じるものがある。しかしその後イスラム教がアラブ軍によってもたらされると王朝の瓦解と同時にあっという間に広がり、7-8世紀にはペルシャはイスラム色に染まって今日に至る。ゾロアスター教のシンボルである鷲羽と老人はもっぱら土産物屋にのみ発見できるアイテムとなり、鳥葬に使用されていた場所は観光地になっている。神殿の類はもはやない。
イスラム化以前のペルシャは独自の文字を持ち、巨大な帝国を維持していたので当然文化程度も高かった。その後イスラムの浸透により文字をアラビア文字に変え、その他諸生活においても変更を余儀なくされたが、文化レベルが下がったわけではない。例えばイスラムでは偶像崇拝を禁じているので人物像というものが発展しなかった。人間至上主義の西欧の観光名所に行くと、宮殿やら博物館やらのあちこちに人間の肖像や裸像がところ狭しと並んでいて、日本人の目にはくどい、エロい、服を着ろ、といささかうんざりするのであるが、イスラムの国ではそういうことはない。人間は神の前ではちっぽけな存在なので美術の題材にならないと考え、代わりに幾何学模様や唐草模様などのデザインが発達した。箱根の寄木細工と同じ技術が各地に見られ、宇宙人の家にはシリア産の寄木箱がある。学生時代の旅行土産だが、今のシリア情勢を心から憂えるものである。

宇宙人がうっとりするイスラム美術は、サファヴィー朝ペルシャ時代の建築ブルータイルである。モスクのドームの流線形を計算して緻密に組み上げた唐草模様と幾何学模様のコラボ。清潔な青と白と水色の組み合わせは水をイメージさせ、タイルの光沢が遠くからでもキラリと目立つ。乾燥した気候に暮らす人々に思わず礼拝に行きたくなる気分にさせる美の魔力を発散しているのだ。イランがどの程度乾燥しているか?観光で入国するとガイドから、女性はスカーフを被れとか、坊さんを撮影してはならぬとか、もちろん酒は売ってないとか、注意事項が言い渡されるのだが、その中に「とても乾燥しているので鼻クソがカチンカチンに固まります。たまると後でとれなくなるので、小まめにとって下さい」というのがあって、こんな注意事項ありかと思いきや、本当にそうだったので二度びっくりだ。無理に引き剥がすと鼻血ものである。

いや、今日は美術や文化の話をしたいのである。ペルシャでブルータイルが発達したのは青い顔料の発見など技術的な要因もあるが、何といっても偶像崇拝の禁止という制限の中でいかに可能性を追求するかという建築デザイナーのひらめきと研鑽が物を言う。この狭い条件でどこまで美を引き出せるか悩んだ職人の苦悩と昇華が、モスクのドームを見ただけでもわかるのだ。ブルータイルは外壁だが、ドームの内側はもっとすごい。まさしく天上の世界のごとく壮麗で完璧な曲線・直線が絡み合った美の極致なのである。キリスト教の教会の内部も荘厳だが、モスクの美術は人物の入る余地がないという点で別系統の発展を遂げたのだ。まさに偶像禁止さまさまである。
現在中東情勢が緊迫化している。イランの美しいブルータイルは80年代のイラン・イラク戦争で一部破壊され、その後大層な時間をかけてやっと修復した。再び破壊されることのないよう祈るばかりだ。

禁じられていたために却って発展したという例はいくつもあるが、ここではロシアに移行しよう。あの国がトルストイやドストエフスキー始め、多くの優れた作家や詩人を輩出した背景には、国家による強力な禁止政策があった。ロシアが世界に類を見ない検閲大国であることは揺るぎない事実で、ソ連崩壊前後に一旦緩んだものの、エリツィンの時代には既に検閲政策は復活し、プーチン体制では更に強化されている。しかしかといってロシア人が国家の垂れ流す情報のみを信じて暮らしていたというわけでは決してなく、反骨の文筆家は命の危険も顧みず真実を書き続けた。発禁になっても投獄されてもしぶとく書いた。ランナーズ・ハイ?とにかく苦境であればあるほど燃える性質というかMというか、国家体制がもっと緩やかだったらこういう作家は世に出なかったのではという例ばかりだ。
その背景の一つに、帝政時代の君主による哲学の禁止というのがある。世界でも珍しい禁令だ。有名なのは啓蒙君主として名高いエカチェリーナ二世が出した禁令で、啓蒙というからには自由主義を進めたと思いがちだが、実際は言論統制など厳しく行っており、自由主義思想の行き過ぎを抑えるために大学の哲学科を廃止した。永続的なものではなかったし他の皇帝の時代にも出しているのでエカチェリーナだけのせいではないが、このため伝統的に哲学はお上に楯突く学問という認識がロシアで一般的になり、この時代に哲学を志す知識人は自分の思想を発表するために文学という手段を選ばざるを得なくなった。つまり哲人がそろって文学に鞍替えしたのである。だから小説や戯曲に思想性が強く盛り込まれることになり、それが今日まで続いている。ロシア文学が取っつきにくいと評価される理由はこれだ。哲学が禁止されなければロシア文学ももっとマイルドだったかもしれないが、実際は禁止したばかりに文学という狭い立地で、深刻でギラついた思想がひしめくことになったのである。
by hikada789 | 2012-02-17 22:11 | ロシアの衝撃 | Comments(0)

by 土星裏の宇宙人