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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

形而上の責任を負う (No.250)

『ソルジェニーツィンとの対話』(1998年)でインタビューを受けるソルジェニーツィンは80歳。しかしあまりにしっかりした発音と明晰な頭、細かい文字を震えもなく書く手など、その生命力は老人には見えない。「80歳になって新たに判ることが幾つもある。70の時には気付かなかったことだ。若いうちに死ぬことがなぜ悲劇だと思う。それはあまりに若くて何も理解しないうちに終わってしまうからだ。この世のことも、己のことも、何も判っていないのをこれから判ろうとするのを無理やり中断させられるからだ」。宇宙人も昨今の世の中に希望が見出せなくて長生きする意欲が失せて久しいのであるが、こんな風に言われると80まで生きないと損するような気分になる。70歳はまだ未熟だそうだ。

作家は日本でも有名な『イワン・デニーソヴィッチの一日』を書いた時、既に収容所での経験が豊富にあったので、創作過程は膨大な素材をただ削るだけの作業だったという。何も追加せず、思いつきを盛り込むでもなく、ただ経験して頭の中にあるものだけを延々と書き連ね、そのままでは膨大なので作品のサイズにまで量を減らした。彼の考える文学とはこうしたプロセスでなければならないそうだ。今どきの小説は文芸作品も娯楽物も作家があれこれ頭をひねくり回して無理やり捻出した虚構を読者が満足する程度に整えて形にしたものばかりなので、内容は浅薄だ。真実を伝えたいならありのままの現実や思考を脚色なしにそのまま書くべきだと、役者のようないい声で台詞のように澱みなく語る。語っている最中の彼はほとんど動かず、瞳も虚空の一点を眺めたままの彫像のようで、口元を覆った長いひげが振動して喋っていることが分かるだけ。本当に無駄がない。
「作家を含む芸術家は、神に対して責任を負わねばならない」。ソルジェニーツィンは天から神が降ってきたようにペンが勝手に動いて書くタイプの作家なので、自分が意識して書いているという自覚が薄い。神様の代弁をしている感覚なので、そこに余計な作為があってはならず、しかしスラスラと書くには高度のロシア語力が基盤になければならなかった。故に彼は収容所から解放されると独学で正則ロシア語を学び直し、同時に地方の方言を研究した。違いを明確に理解した上で書くためだ。「人間を超越する存在に対する畏敬の念がなければ、何に対して責任をもつことができるだろう。読者を喜ばせるための責任など無意味だ。神に対する責任を負うべきだ。」

『国家の罠~外務省のラスプーチンと呼ばれて~』の佐藤優は国策捜査の犠牲となって起訴された時、ありもしない罪を認めて早期の出所と社会復帰を目指すという楽な道を選ばず、裁判と拘留を長引かせてでも無罪を主張して、真実を裁判記録に刻ませた。彼は「歴史に対する責任を負う」べく真実を公式文書に書き残すという道を選んだ。こうしておけば、何十年後かに外交文書が公開された時に誰の論述が事実に即していたかが判る。当事者が死んだ後でも後世の歴史家が、その時何が起こったのかを正しく判断する材料を残すことができる。彼はまた友人や盟友を裏切らないという態度も一貫して通し、「権力の脅しに屈しない気骨ある日本人の存在」を自ら証明して国外に向けて日本人の評価を上げた。保身の為にさっさと折れてしまうと、それが日本人のスタンダードだと思われて、以後の外交に支障を来し国益を損ねると考えたからだ。
海外で暮らしたことのある日本人なら骨身に沁みて知っていることだが、外国における日本人の評価は同じ顔つきの極東国の国民のそれに比べてダントツに良い。今となっては経済力は大差ないのだからカネのせいではない、先人の優れた人格や態度によりその評価が今なお海外で引き継がれているということに、感謝せずにはいられない。時々、この有難い評価をブチ壊すに違いない不埒な若造が海外留学するとヘラヘラぬかしているのを見ると、その空っぽの脳天に包丁を突き刺したい衝動に駆られるのは、宇宙人ばかりではあるまい。

佐藤氏もソルジェニーツィンも共にクリスチャンで、ロシア関係者とロシア人だが、神や歴史といった形而上の対象に対して責任を負うと、奇しくも言動を一にした。宇宙人もロシア関係者の端くれとして彼らを讃えなければ、この宇宙に存在することに対する義務と責任が果たせないと感ずるのである。世界を立て直すのは「良心と道徳だ」とソルジェニーツィンは強調する。こういう台詞は人前で言うと笑われるが、神は決して笑わないのである。
by hikada789 | 2012-07-01 22:41 | ロシアの衝撃 | Comments(0)

by 土星裏の宇宙人