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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

あなたにも値札が (No.264)

前回続き。坂口恭平氏の肩書の1つがなぜ哲学者かというと、世界の常識を覆すその型破りな建築思想の他に、人間そのもののあり方についても物申しているからだ。『モバイルハウス』の中でも語られているが、彼は震災直後、福島の被災者の避難先として地元の熊本に古民家を借り、50人くらいの家族連れを無料で住まわせていた。原発の避難区域に指定された避難民は当分の帰郷を断念し、熊本への移住を決めた家族もいたという。やがて緊急避難の時期は過ぎ避難家族は去っていったが、彼らは去り際に「今日で最後だからお礼に夕飯作ります」とか言うでもなく、去った後に近況報告のひとつも寄越さなかったと坂口氏は語り、避難という物理的な問題よりも人間の心や姿勢の方に問題があるようだと嘆く。要するに人心の荒廃である。

貨幣経済が発達する世の中では物にもサービスにも値段がついていて、無料お試しとか言われると値段がついていないことで得した気分になる。タダより高いものはないと言われる通り、無料だからといって労力が払われなかったわけではない。その分の労力を無料にしても後に見返りが多く来ることを見込んでいるので、結果的にはタダというものは存在しない。しかしここに値札がつくと、人間は他の商品の値段と比較する。同じ値段ならこのサービスとあのサービスは同じレベルとして社会で認識されていると思い込む。実際は同じではないのに。工場生産の規格品ならともかく、世の中に同じ価値のものなどない。それが人間の労力や時間や思い入れなど数値に換算できないものなら尚更だ。
しかし残念ながら現代人は毎日忙しく、世間に溢れかえった情報を処理できないまま暮らしているので、値段がついているものはこのくらいの価値、ついていない無料のものは得したけど無価値、と単純化して眼前の問題をさばくことに慣れてしまった。だからタダで住まわせてくれたことに対し、相手がそれなりの犠牲を払ってくれたのだという発想に届かない。感謝の心と言葉と行為は値段がついていないので、払っても払わなくても同じだと見做し素通りされる。「ありがとうの一言で飯が食えるか?」そんな台詞を吐く奴は人に感謝されたこともない低レベル廃棄物な人生を送ってきたから、人に感謝されることで自分がどんな気分になれるかも知らないのである。
逆に人に大いなる恩恵を施しているにもかかわらず「感謝される程ではない」とさらりと受け流す偉人もいる。こういう人には自然と周囲に人が集まる。恩恵を当てにしている不届者もいるだろうが、こういう人にはその援護をさせてほしいと他人に思わせる力がある。要するに人格者には賛同者が多数惹きつけられるのである。惹きつけられるためには共感しなければならない。現代人はこの種の共感能力を減退させてはいないか。

宇宙人は現代の日本人はまだまだこの能力を磨滅させてはいない、その証拠に震災直後は無償の助け合いが全国で見られたのだと考えている。しかしその後しばらくすると義捐金の金額が公開され始め、誰が幾ら寄付したとか誰は少なかったとかつまらない情報が人々の耳を穢した。被災者への給付金が多いとか少ないとか数字が注目されるようになった。年金額の増減も生活保護費の適正価格もみんな値札がついている。本当にその値札が価値基準のすべてなのか。宇宙人は気味悪く思っているので、今後坂口氏がどういう思想展開と行動を見せるか注目したいのである。
by hikada789 | 2012-07-30 23:38 | その他 | Comments(0)

by 土星裏の宇宙人