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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

謎解きハミーシェ (No.327)

拙著『メタフォーラ・ファンタジア』の読後感想がちらほら寄せられている。著者は特に読者に感想を強いてはいないので、配信開始からもうじき3カ月になる自作小説に盛り込んだ仕掛けについて記憶も薄らいでおり、読者からここはこういう意味が隠されているのかと問われると、そうその通りと読者の穿った読み方を讃えたりする一方で、いやそんな意図は盛り込んでいないがそういう解釈は素敵だからそういうことにしておこうかな、とずる賢く頭をめぐらして「うん」と言ってしまったりして過ごしている。宇宙人なのだ、許してくれたまえ。しかし小説などという曖昧な作品は、論文や研究書と違ってこういう自由な読み方や解釈が本来許されているはずではないか。だから読者がどう読んで楽しむかは、読者の読み方の腕前に掛かっているのだ。我が作品はそうした読者の裁量に多分に依拠するように出来ている、悪くいえば完成度の低い穴だらけの小説で、しかしこればかりは敢えてそうしたのだと明言しておこう。作中のセリフにもある通り、何もかも描出してしまうと世界が限定される。隠したりぼかしたりしておいた方が想像力に訴えて却って幅広い世界や忘れがたい印象を残すものなのだ。

読者から「この小説は事実をどれくらい反映したものなのか」と問われたが、ざっと3割程度と答えておいた。メインの舞台がソ連崩壊から数年間のウズベキスタンであるのは、宇宙人が実際に当地に滞在した時期に当たっている。その時期から物語の締めである9.11の事件に至るイスラムをめぐる当地の地域史については、それを扱った歴史資料を読めばそのまま出てくるちょっと古めの時事であり、この辺りはノンフィクション率の一番高い所である。
一方、世紀を遡る詩と舞人のエピソードはフィクション率が高い。実存する逸話や寓話を盛り込んだので本物らしく見えるかもしれないが、ここはマユツバですよと実ははっきり明示した提示物がある。「ハミーシェ」だ。このペルシャ語の単語は「久遠」という意味だと作中で述べているが、実は現代ペルシャ語では「いつも、常に、ずっと」という使われ方が正しい。「永遠」という意味には必ずしも合致しないが、しかしまったく誤訳というわけでもない、古語ではもしかしたらこういう意味だった可能性もあるかもね、という逃げのような単語を著者は敢えて選んだというのが真相だ。まあ語呂も良かったし。
もう少し補足して言い訳するなら、ロシア語では「永遠に」をナフセグダー、「いつも、常に」をフセグダーという副詞で表現するのだが、両者の違いである「ナ」は「上に」を表す前置詞でもあり、状態を表す接頭辞でもある。要するに「永遠に」の語源は「いつも」であり、「いつも」の連続が「永遠」になるという発想だ。小説の舞台はロシア(旧ソ連)とペルシャの狭間に位置するので、こういう言語下に隠された文化的共有性があってもいいはず、という考察が作品のテーマである隠喩にぶら下げた形となっているわけである。いろいろ言い訳したけれど、ハミーシェを「久遠」と提示した所で既にフィクションを宣言しているので、読者の皆さん、誤った知識で騙されませんように。

ところでこの小説は以前も語ったかもしれないが「隠喩(メタファー)」をテーマとしており、作中に二度三度と同じ単語や風景が提示され、トランプの神経衰弱のように前にめくったカードの模様を思い起こすよう仕掛けが散りばめられているが、「伏線とまで言えない」と著者が予め断っているように、散りばめただけでそこに謎解きになるような重要な意味が込められているとは限らないし、相方のカードがいくら探しても一向に見当たらない場合もある。だから完成度の低いミステリー作品と呼ばれてもその通りとしか言えないが、伏線と捉えて意味を探る作業や、散りばめた星の数だけ相方カードを探す作業を、正解がないことを知らない読者に強いる小説なのであり、それを狙っている。だって、我々が暮らすこの世界は、そもそも意味不明の事象や割り切れない不条理で満ちているのだから、それを合理的に解釈し納得しようとして人間があれこれ頭をひねったり理屈をこねたりする、そういうことを嘲笑うのでなく淡々と指摘する小説があったって、いいじゃないですか。

実際に読者の一人は、既に読了したけれど始めの方で隠喩アイテムを気づかず読み飛ばした気がするので、もう一回読み直して探してみると言ってくれた。「一回読了ブックオフ行き」の読み捨て小説にはならなかったことを、宇宙人は有難く思うのであった。
実はこの作品、著者自身も気づかないメタファーが校了後にパラパラ出てきて自分でも驚いている。例えば主人公の師匠シャミールは、ラディーフ継承者でありながら父親の意向でロシアの音楽学校に遣られるのだが、専攻はチェロである。物語の流れ上、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」を演奏させたかったのでチェロにしたのだが、別にビオラでもバイオリンでも構わなかった。単に宇宙人が低い音が好きというだけでチェロにしたのだ。ところがソ連の作曲家ハチャトゥリアン(「剣の舞」や「スパルタクス」「仮面舞踏会」の作者)は、18歳まで正規の音楽教育を受けず五線譜も読めなかったが、コーカサス(南部はペルシャ文化圏)の膨大な民族音楽を暗譜していたためロシアの音楽院への入学が認められ、とりあえずチェロ科に入ったという。おや、シャミールとそっくりではないか。この事実を先に知っていたら「このチェロ専攻の意図するところはハチャトゥリアンなのだよ」とどや顔で語れたのだが、順番は逆である。作中には「歴史を時系列に並べるのが面倒になってきた」「過去と現実がごっちゃに」というくだりがあるが、なんと作者まで知らぬ間に同じ影響を受けていたのであった。おそろしい小説なのだった。
by hikada789 | 2012-12-14 16:16 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)