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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

満州のラスコーリニキ (No.359)

モスクワではいま、満州の古儀式派の写真展が開かれているそうだ。古儀式派というのはロシア正教会が定める異端派の呼称で、No.354に触れた『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフの名前が意味する「分離派教徒」とほぼ同じ意味で使われる。17世紀の宗教改革によってギリシャの古い儀礼を復活させたことは、それまでのロシア風の儀礼や思想を堅持してきた敬虔なロシア人にとっては新参者のように見えた。本当はギリシャの方が古いのに、その古層の上にロシア風の正教が被さり、更に上に再びギリシャ風が乗って、ミルフィーユ状に歴史が積み重なっているのだが、真ん中のロシア層より上に乗っかったギリシャ層の方が新しく見えるので、彼ら中間のロシア層部分を「古儀式派」と呼んだのだ。ややこしいですね。
その古儀式派がなぜ満州にいるかというと、1917年、ロシア革命によって社会主義政権が誕生すると、それまでセレブライフを満喫していた貴族や資本家が身の危険を感じ、国外へ亡命するのが流行った。彼らを白系ロシア人と呼ぶが、これは共産主義が赤旗を掲げて赤軍と呼ばれるのに対する色分け呼称で、別に顔が白いからというわけではない。
また白系ロシア人にはウクライナ人が多く含まれ、これは革命直後に起こった内戦で赤軍と対決した白軍にウクライナ人が多かったことに由来する。コサックを擁するウクライナでは皇帝への忠誠を美徳とする風習があり、つい最近まで農奴と蔑んでいた小作農出身の共産主義者に仕える気分になれなかったのだ。これが理由でウクライナは共産党政権にコテンパンにいじめられ、1930年前後は大量の餓死者を出す。この時の恨みつらみが、今日のロシアとウクライナの確執に発展しているのだ。

こうした白系ロシア人は、有名なところでは北米やヨーロッパの先進国へ亡命して今も団結し、政治力をそこそこ発揮しているのだが、当初は東に陸続きの新興国である満州国にも亡命していた。満州で暮らした日本人の記録などを読むと、大東亜共栄圏を掲げて民族の平等を形なりとも唱えていた日本の統治下で、モンゴル人にまじってロシア人も少数民族としてカウントされており、学校や軍隊にロシア人同級生の存在が散見できる。彼らは白系ロシア人であるが、満州国成立は1932年であり、ちょうどウクライナ本土の飢餓時代と重なるから、ウクライナ系であった可能性は高く、展示会でもその点が指摘されている。
満州国は今でこそ悪徳傀儡国家とクソミソに言われているが、それは戦勝国である連合国や中国の見方であり、建国当初は少数民族に配慮した政策が功を奏して、本国で弾圧された古儀式派やウクライナ人を含む白系ロシア人が安心して暮らせる避難地だったのだ。(そもそも満州国自体、もとは欧米人の有色人種蔑視に幻滅した海外留学組の日本人が、そうでない人種平等主義を掲げて作った国家だったのだ。その後大いに変質したけれど。理想論はなかなか現実と添い遂げられないという例である。)

こうした歴史をロシアが首都で喧伝しているのも隔世の感がある。ソ連時代だったらまずできなかったろうし、宇宙人が暮らしていたソ連崩壊直後でさえ古儀式派の復権までは進んでいなかったように思う。
展示によれば、1930年頃ソ連から満州地方へ逃げてきた彼らは、自ら耕作して細々と暮らし始めたが、間もなく日本人による統治が始まると、日本人の調査団が彼らの人口や生態を調査し、その時の調査報告が写真も含めて今回の展示の一部となった。しかし1945年の日本の敗戦で日本人が去ると、この地は中国国共内戦の激戦地となり、彼らは1949年の共産党中国の成立を待たずに再び海外へ亡命したか、亡命できなかった者は収容所で亡くなったという。迫害の歴史は最後まで迫害で終わったのである。ラスコーリニキ(分離派教徒)という名にふさわしい分裂・離散の人類史である。
by hikada789 | 2013-02-15 16:56 | ロシアの衝撃 | Comments(0)

by 土星裏の宇宙人