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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

血も涙もある独裁 (No.462)

佐藤優氏はその著書でメドヴェージェフ前大統領を「ナルシスト」と断言し、「その点(震災直後にその人物像が露呈した)菅直人と同じだ」とも言っている。この場合のナルシストとは自分が一番頭がよく他人は全てバカだと思って生きている人という意味で、こういう人物が政権を握っている間は北方領土問題を解決できないとして、カウンターパートであるプーチンを褒め上げ、昨年大統領に復帰したプーチンに領土問題解決の希望を見出している。
ナルシストはロシア人の典型ではなく、且つロシアでも軽蔑の対象として認識されている。ドストエフスキー『罪と罰』のルージンの例が判り易く、その特徴は表層的な西欧かぶれや病的な清潔主義、記憶力がいいので知識をひけらかしたがるが思考力や洞察力に欠けるためすぐにボロがでるといったところである。
私もメドヴェージェフの排他的なお坊ちゃま面や軽率な言動に個人的に反感を感じていたが、「ナルシスト」と言われて成程!と膝を打ってしまった。こいつは自分より立場の強い相手(例えば西欧の強国)にはゴマをすり、弱い相手に対しては恫喝するタイプの男で、しかもその恫喝する自分の姿にウットリするタイプだ。
こいつに比べれば新生ロシアのゴッドファーザーたるプーチンの静かな迫力にロシア国民が一目置くのも頷ける。ロシア国民はプーチンの政治を全面的に肯定しているわけではなく、しばしば抗議デモも起こしてはいるが、今回のグリーンピースの不法侵入のような暴挙に対して有無を言わせぬ迅速さで鉄槌を振り下ろすところは、頼もしいと思っているか、ロシアの君主として当然だ、と肯定しているはずである。ロシア人の君主観からしてプーチンは理想に近く、今は批判されても彼の死後何十年か経った頃にはその高い歴史的評価が定まるのではないかと思われる。

ロシアの歴史上の君主は「血も涙もある独裁」とうまい表現で表されるほど他国の独裁者とは色が違っている。アラブの春で倒された中東の独裁者は国民から富を搾り取って私腹を肥やし、他人が信用できないので家族を要職に就けて一族の繁栄に没頭したが、ロシアの君主は雷帝の時代からピョートル大帝、スターリン、プーチンに至るまであまり個人資産に頓着しない。統治する領土が膨大すぎて自分の小さな財布の中身など目に入らないのかもしれない。アラスカを売却するくらいだから領土的野心も大してなく、ただ既に領土として定着しているものは死守しようとするが、それもそこに住む自国民を守るという大義の意識が強く、どこかの隣国のように面子のために動くことはなく、日本のように辺境の住民に犠牲を強いたりもしない。ロシアの君主は自分のシマを守るヤクザの親分であり、住民はその暴力性に迷惑しながらも外敵からは守ってくれる点を頼もしく思っている。まさに「血も涙もある」親分なのである。

ロシア史最初のゴッドファーザーであるイワン雷帝がこの傾向を作ったと思われるが、雷帝については興味深いエピソードがある。この人はいわゆる「タタールの軛」を脱した時代の君主だが、当時はモンゴルの諸ハーンらの力が弱まったとはいえまだまだ飴ムチ外交が続いていた時期で、雷帝は依然としてハーンたちに貢ぎ物を送って慰撫し、これにより反対側から勢力を広げるスウェーデンやリトアニアとの戦争に専念できた。
ここで面白いのが、我々の感覚では近代兵器で武装したハイテク王国であるスウェーデンやリトアニアの方が強力で、実際雷帝の人生の大半はこの「西側」との戦役に明け暮れているので、如何に背後を突かれぬためとはいえ弱体化したハーン諸国におもねる必要などないのでは、いっそ殲滅すればいいのではと思うのだが、ロシア人はそうは思わない。雷帝は近代化した西欧の王国よりアジアの旧宗主の方が怖かったらしいのだ。モンゴル全盛期の圧倒的暴力の記憶がそうさせると考えてもいいが、近代兵器の殺傷能力だって大したものだから、どうやら武力や残虐性が判断基準ではないらしい。
ロシアにとってモンゴルはヤクザの親分だったのだ。親分は凶暴だが若い頃はその圧倒的暴力をもって外敵を蹴散らしてくれた。その親分がいまや老いたとはいえ、子分であったロシアはどうにも頭が上がらない。一種の歴史的トラウマかもしれないが、あの雷帝でさえ子分気質から抜け出せず、その一方で西欧に対してはやたらと態度がでかいのだ。文化や技術で勝るスウェーデン・リトアニアの言い分を屁とも思わず、劣勢で臨んだ和平交渉の席でもまるで戦勝国のような横柄な態度を通すのである。この心理的伝統はいまも底辺で続いている。

ロシアは根本的に西欧人を信用できない。そこには同じキリスト教徒でありながら変節や自己正当に明け暮れて本質を見失っている西欧人に対する不信感が根底にある。文化や技術は卓越していて憧れるが、精神の荒廃までは真似したくない、というのがロシア人の心境なのだ。そして信頼に値しない者に対してロシア人は恐怖や畏怖を覚えない。これはロシア国内を恐怖に陥れた雷帝でさえも同じで、この人は敬虔な正教徒であり、若い頃から正義感が強かったため、国家の立て直しをしようとした時足を引っ張って妨害した大貴族らを粛清するために恐怖政治を敷いたのである。私利私欲から発した強権ではなかったので「血も涙もある」君主なのだ。
今日の君主であるプーチンもまたこれに倣い、超大国でなくなったとはいえ欧米に媚びる態度は見せず、近隣のアジア諸国に対しても特に横柄な態度をとらず、スタンスは一貫している。但し信念があって国作りをしているので国内の反対勢力に対しては容赦がない。身内の恥というわけだ。かようなプーチンは芯がブレないので交渉相手として安定した対話を続けられるが、もちろん西欧かぶれで風見鶏なロシア人もいつの時代も存在し、その典型がメドヴェージェフなので、この人の政治生命がどの程度か知れないが、日本は領土問題の解決をプーチン政権の間に急ぐべきである。
by hikada789 | 2013-10-04 11:26 | ロシアの衝撃 | Comments(0)

by 土星裏の宇宙人