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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

シーシキン『手紙』 (No.488)

宇宙人の読書生活における今年最大の頷き本が『日本国家の真髄』であるなら、今年最大の感動本はミハイル・シーシキンの『手紙』です。これはNo.475で紹介したロシア文学シンポジウムで知ったロシア現代小説で、本国でも2010年発表と新しいにもかかわらず既に舞台化されて、今もモスクワで上演されているという傑作です。
物語は二人の若いカップルの往復書簡の形式をとってますが、ただのラブレターではありません。男の子は兵士に取られて中国の義和団鎮圧のために派遣された連合国軍に所属し、そこから恋人へ手紙をつづり、娘の方は自宅から戦地の彼に向けて書くのですが、読んでいるうちに二人の時間が根本的に食い違っているのが判り、戦場という極限状態で生きる彼と平和な日常生活の中で苦労を重ねる彼女の生き様が、個人のものではなく人類の普遍的な生の繰り返しとして読者に迫ってくるように書かれた、実に巧みな手法の幻想小説なのです。
戦争に行って帰って来なかった恋人を想って嘆く、日本にありがちなお涙小説とはわけが違います。そんなのではロシア文学界で賞は獲れない。娘が経験する苦労にしても、その苦労が泣けるのではなく、わがままな娘だった自分が気がつけば中年になり、結婚に失敗し、親の介護をし、その愚痴を聞いてやり、そこに人生の意味があると気付き、再び娘時代の恋人に会うために安らかに死に向かう、そういう人間成長の過程が感動的なのです。数奇な一生を送った人の話ではありません。ありふれた人間像に真実を見出した作品です。

あまりネタバレしてはこれから読む人に申し訳ないので、ストーリーはこれくらいにして思想的なポイントを少々紹介しましょう。シンポジウムでも話題になったこういう一文があります。
「言葉にこだわるのはやめなさい。これは翻訳にすぎないのだから。…全ての言葉は原文からの下手な翻訳であり、全ては存在しない言葉で語られている。正しいのは、その存在しない言葉だけなんだよ」
言葉の空しさや限界について考えたことのある人ならピンと来ると思うので特にコメントしませんが、岸田秀もまた大分前の著書で似たようなこんなことを言ってました。
「そもそも人間は世界を比喩的に理解している。比喩にすぎないというのなら、世界の説明はすべて比喩にすぎない」
そして私が思うには、「話のうまい人は比喩がうまい」。しかしいずれにしても我々の心情なり思考なりといった無形のものは、どんなに言葉を尽くしても完璧に言い表すことはできない。だからせめて完璧に近いレベルで表現できる人の言葉に人は感動し、文章なり詩なりで的確に表現できる人の書いたもの、発されたものを人は読みたい、聞きたいと思う。シーシキンは本を書くということについてこう語る。
「真摯に、一途に書かれた本が好きだ。だから自分も、自分の心を打つ話を真剣に書く。読者と一対一で、大切な内緒話をするように。」

日本の本屋には無数の本が溢れ、古本屋にまで溢れかえっておりますが、こんな心構えで書かれた本は一体どのくらいあるものやら。ましてやネットで飛び交う膨大な情報の中で、真剣に書かれた文字など皆無に近いのではないか。皆さんは真剣に中身の詰まった文字を綴ったり口から発したりしていますか。そういう行為に久しくお目に掛かっていない方には『手紙』の読破をお勧めします。おざなりに言葉を使ってはいけないこと、言葉に限らず周囲を取り巻く全ての事象もぞんざいにはできないことが学べます。
また宇宙人に人生相談をされた方で、自分の生き方や価値観にダメ出しを食らった方(大丈夫ですよ、あなただけではありませんからね)、私が助言しこうなったら楽に生きられると展望を示した人生の一例が『手紙』の中に見出すことができるので、鑑定結果だけで納得できなかったなら、是非読んで今後の人生の参考にして下さい。


by hikada789 | 2013-12-05 13:40 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)

by 土星裏の宇宙人