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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

甘え体質を隠さない (No.559)

オーディトリウム渋谷で開催中のフェアでかねてからの謎であった『フルスタリョフ、車を!』を目を皿のようにして鑑賞し、やっと話が見えた。そしてどうして誰もがワケわからない作品と称するのかも判った。話の展開が早すぎるのと、それに見合う説明一切が省かれているからだ。作り物らしさを排除し現実味や臨場感を高めるため、まるでドキュメンタリー映像のようなカメラワークに徹しており、しかも白黒で良く見えないし、シナリオは物語説明の役目を果たさないばかりか話者本人にしか判らないような辻褄の合わなさで畳み掛ける。これでは初心者がついていけなくて当然だ。エンディングも唐突に展開するので観客は最後まで置いてきぼりだし。さすがにゲルマン監督もこうした観客の反応を見てまずいと思い直し、その後の上映からは冒頭に「スターリンの死については医師団による謀殺説が流れた云々」の史実を字幕で入れるという補足を後付けしたほどだ。まあ一回目に見た時はそれでも判らなかったけどね。

『フルスタリョフ』についてはもう何度か衝撃について記事を書いているのでここではやめて、説明一切を省くといえば、現在放映中の民話風アニメ『蟲師』の制作スタッフが「原作が説明を極力排除した作りになっているので、なるべくそれを踏襲するよう心掛けた」と語っていた。そうなのだ。最近の映像作品は説明が多く、セリフを盛り込み過ぎなのだ。頭の悪い視聴者のために親切をしているつもりだろうが、頭の悪くない視聴者にとってはくどくて五月蠅いばかりなのだ。カットも細かいばかりで落ち着かないし、制作側の人間が落ち着きのない人間なのは構わないが、視聴者まで同類だと思ってもらっては困るのだ。
内田樹だったかな、人間には快適なスピードというものがあり、リニアがいくら音速のスピードで人間を東京から大阪まで運ぼうとも、ひとたび事故れば人間の体はスピードが醸す威力に耐えられず一瞬で砕け散る、そんなリスクのある猛スピードを追求するより生物としての人間が快適と感じる速度を保った方が有意義ではないか、と語っていた。同感なのだ。短い時間に説明ばかり盛り込んだところで、見終わった後に何も印象に残っていなければ見なかったも同じなのだ。ただでさえ慌ただしい現代社会に生きる我々には、更に急き立てる映像よりもゆっくり時間を味わったり忘れたりする映像の方が、心のバランスを保つ上でも価値が高いのだよ。

というわけで再びフェアの話に戻ると、やはりソクーロフ監督作品の時間の使い方が際立ってました。2003年作品の『ファザー、サン』は監督お得意の「黄色い」画面で統一され、カラーを抑えることで余計な刺激を排除。セリフも沈黙ばかりで説明を極力排除。時計の秒針の音を背景に父と息子が延々と見つめ合う濃密な人間関係を描いたゲージュツ映画です。あまりに濃密なので国によってはゲイ映画のくくりになっているほどですが、一番際どい冒頭のシーンでも息子がちゃんとパンツを履いていたから違うと思いますよ。
しかし瞠目するのはゲイかどうかではなく父子の甘えっぷりで、母親のいない家庭で育った恐らく血の繋がらない息子はガタイからいってももう親離れすべき時期であり、どちらもそう思って互いにつれなくしようと努めるのだが、つれなくするほど愛情が甦って磁石みたいにくっついてしまうしょうもない男たち。息子のカノジョなんかとびきりの別嬪さんなのに、父子のべったりに愛想尽かして去ってしまうくらいだ。ロシアの国民性について情報の少ない我が国ではあまり知られていないことだが、かの国の愛情表現のベトベト感といったら、いくら寒い国だからといってそこまですることないだろうとツッコミたくなるほど犬猫なのだ。寒さで鼻が冷たくなるからだろうか、鼻の頭を相手にこすりつける甘え方が広く普及しており、特に男がこれをよくやるので、かわいい子供ならともかく髭の生えたいかつい中年男の場合、キモいのだ。今回の映画では18歳くらいの息子が若くて男前の父親にこれをやってます。まあ絵的にはギリギリですね。

といっても父子は人前でベタベタするわけではなく、しかもロシア語を聞けば非常にかしこまった言葉で会話している。ロシアでは珍しく息子は父をパパではなくアチェーツと呼び、父もまた息子を愛称のアリョーシャではなくアレクセイと呼ぶ。互いに距離を置いた呼び方で、この辺りからも両者が互いに自立した大人にならなければと努力しているのが判るのだが、字幕ではそこまでは伝わらない。親子喧嘩のシーンでも言葉は崩れず、体格の勝る父親が息子を軽く平手で打ったくらいで、あとは寝技でギブアップさせるという紳士ぶり。育ちのいい今どきの軍人親子の無言の葛藤を堪能するという不思議な趣旨の作品です。いや本当に育ちの良さが話しぶりによく出ていて、私のお気に入りのシーンでは、息子が開けっ放しにしたドアを父親が閉めながら「ドアはちゃんと閉めなきゃだめだぞ」と入浴中の息子に声を掛けるのだが、ドアは2枚あって2枚とも開けっ放しだったので2回も同じセリフを言う。しかし2回目になってもやっぱり言葉が荒くならない。あくまで上品で優しいママみたいな父親なのだ。ロシア軍というと将校はともかく兵士レベルは品の悪さで鳴らしているので(『フルスタリョフ』参照)、却って新鮮でした。

ともあれこんな素敵なお父さんに甘えたり突き放したりして悶々とする息子像を描く84分。ちょっと日本や他の国ではありそうにない家族の情景なので、月並みなファミリードラマに飽き飽きしている人にはお勧めです。甘え方といえば同じくソクーロフの『チェチェンへ アレクサンドラの旅』(2007年)では、今度はおばあちゃんに甘えるいかつい孫との関係が見物になってます。チェチェンの駐屯地に面会にやってきた大尉の祖母に、若い兵士たちはメロメロ。もちろん女として見ているのではなく、ロシアのおばあちゃんは平和な日常と庇護の象徴であり、戦地に長く暮らして厭戦気分の高まっている男たちは、それこそ鼻をこすりつけて甘えたい気分でムズムズし、おばあちゃんが食事をするといってはテーブルクロスだお茶だ花だと(花だってよ)部隊中でわたわたし、われ先にとあれこれ世話を焼こうとするのである。この情景もロシアならではの気がする。日本その他の国の男ならたとえ気分は甘えたくとも他人にばれないよう自制するであろう。ロシアは結構丸出しである。作中人物のチェチェン人の初老の女性曰く、「ロシア人の兵士は子供みたい。体は男になっているのに中身は少年のよう」。深いセリフです。
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by hikada789 | 2014-06-01 19:04 | ロシアの衝撃 | Comments(0)