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算命学余話 #U53 (No.580)

余話では前回と前々回で、たまたま家系論と家族の力学についての算命学の基本理念を解説しましたが、奇しくも最近のニュースでは生物学上の親子関係が法律上の親子関係に敗れるという裁判判決が伝えられました。どの報道も「家族関係の多様化により…」という言い訳がましいフレーズで当判決への驚きを暗に伝えておりましたが、こうした事件、つまり父親とは血がつながっていなかったという事件は、別に現代社会にだけ生じた珍事件というわけではありません。太古の昔からどこにでもあった事件なのですが、たまたまDNA鑑定が普及した今日では遺伝子の面から父親の是非を明確に提示できるようになったというだけです。
だからといって問題が即解決するかといえば全くそうではなく、裁判所という権威ある第三者に見極めてもらわなければならないほど解決は難しい。難しいどころか裁判所の判決にさえ不満を覚える人は大勢いるでしょう。そしてまた半世紀くらい経てば家族関係は更に変貌し、一周してひと昔前の価値基準に戻って来るかもしれません。四季循環説を基調とする算命学が「戻って来る」という立場であることは云うまでもありません。

現代のような事細かで煩雑な法律のなかった近代以前でも、こうした問題はやはり権威ある第三者である「お上」や「お代官」や長老や親分が裁いてくれたものです。日本の場合、正義よりも秩序の方を重んじたのは、個人主義の希薄な村社会ゆえにより大勢の人間にとって利すること、つまり公共性を第一とする伝統的価値基準のせいなのですが、こうした集団の高位者は公共性に配慮した公正な判断ができるものと思われていたわけです。もちろんその判断に反発する村人もいたでしょうが、結局のところ現代の裁判官とは名前が違うだけで様相は大差ありません。時代がめぐっても人間のやることはいつも同じです。

では今回のような血のつながらない父子の問題は、算命学はどのように考えているのでしょうか。答えは二通りあります。
ひとつは「血のつながらない子供は養子である」という考え方です。この事件の場合「法的父親は養子をもらった」という見方になります。血がつながっていないのなら赤の他人になるか養父になるかのどちらかです。今回、子供と一緒に暮らしてきた法的父親が親子関係を認められたのは、養父としての実績が認められた結果なのですが、その後子供の戸籍がどうこうというのはそれこそ「この時代」に特有な現象なので、算命学の家系論の与り知らぬところです。算命学はシンプルに、この親子を養父と養子と見做しています。算命学は養子縁組を否定しません。むしろ家系に新しい空気を入れるために人材のトレードは自然法に則していると考えているくらいです。子供の戸籍にどのように記載されるかなどは、算命学の大局的観点からすればどうでもいい小事なのです。
もうひとつは、「この法的父親は自らの気を後世に残せない」という考え方です。報道を見る限りではこの法的父親は、生まれた時から世話した我が子に愛着があって離れたくないといった心境のようです。倫理的に愛情ある良い父親像だと思いますが、それは彼の心の問題にすぎません。算命学はあまり心情や好悪といった人間に特有なあいまいな現象を忖度しませんから、ここはばっさり「子孫を残せない男」と割り切ってしまいます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「多様な家族関係の弊害」です。「算命学余話 #U53」で検索の上、登録&ミニ親子丼一杯分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
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by hikada789 | 2014-07-18 18:48 | 算命学の仕組 | Comments(0)