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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

殿様、探幽に落書きする (No.610)

スケールの大きな話。環境とデザインを考えるシンポジウムを聴きに行ったら、パネリストに水戸徳川家の当主が呼ばれていた。徳川斉正氏。徳川慶喜の曾孫で現在56歳。会社役員のかたわら文化事業に携わり、水戸にある德川ミュージアムの理事長も務める。風貌は明治時代の徳川慶喜の写真に大層似ている。細川護煕はじめ、お殿様ってまだ生きているのだな。
斉正氏が呼ばれたのは、その文化事業の一つに水戸徳川家が所有する「德川の森」の運営というのがあり、樹齢三百年とか四百年とかの木材を日本各地の歴史的建造物の修復に提供するなど、文化財保護に貢献しているからだ。樹齢何百年の木材といえば昨年遷宮で話題になった伊勢神宮の森が有名だが、現在の徳川家も同様の役割を現代社会で担っていたのだった。

しかしシンポジウムの本論からは逸れて、斉正氏は実にお茶目な人柄で、会場は笑いの渦。環境とは関係ないがデザインには関係あるかもしれない水戸光圀ゆかりの葵の印籠をパネルに映して「この紋所が目に入らぬか」と言ってみたり、笑いのツボをよくご存知である。
スケールの大きな笑いとしては、斉正氏が幼少の頃のイタズラ話で、かの御仁の生家には徳川家ゆかりのお宝がわんさと所蔵されており、客が来るとおもてなしにそうした調度品が部屋に飾られるのだが、通常子供はしっしっと戸外へ追い払われるのをたまたま雨天だったため家の中で遊んでおり、客が帰ったあとの客間に侵入したら狩野探幽の金屏風(パネルで表示)が片付けられずに立っている。斉正少年は手に持っていた鉛筆で探幽の屏風にイタズラ書き、目撃したお手伝いさんに羽交い締めにされて当主の元へ引っ立てられた。この狼藉に対しお手伝いさんが消しゴムを持ってきて消そうとしたが、当主はこれをとどめて曰く、「これもこの画の運命だからそのままにせよ」。
かくして探幽画には水戸徳川家15代当主直筆の落書きが加わることとなったのであった。日本の歴史がまた1ページなのだ。幕府は滅びても徳川家は未だ滅びずなのだ。
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by hikada789 | 2014-09-24 15:38 | その他 | Comments(0)