人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

土星の裏側

doseiura.exblog.jp

宇宙人と呼ばれた人達の診療所

算命学余話 #U71 (No.657)

前回の余話#70で取り上げた『血液型の科学』の著者は免疫学の観点からABO型血液物質の特質を指摘し、動植物にもABO型血液物質が存在し且つ種類によって偏在していること、病原菌もまた同様にABO型物質に対する好嫌があること、従って食物や病気に対して人間の血液型はそれぞれに相性があり、それが物事に対する好みや性格に反映されていてもおかしくはない、という説を述べていました。
私はこの意見に賛成で、従って血液型による性格の違いはある程度区分けできると考えていますが、同時にそこには全く優劣はないと考えています。しばしば指摘されることですが、就職活動で血液型が影響するとかいう話をきくと、損をしているのは大抵B型のようです。B型が気ままだとか協調性に欠けるとかいうのが理由です。なるほど、そうかもしれません。ですがこれは本当に短所なのでしょうか。
協調性に欠けるということは容易に周囲に同調しないということであり、もしも周囲が間違った方向に突き進んでいる場合には、その間違いに気付いたり指摘したりする能力があるということです。現代は民主主義を善しとする社会であり、物事は多数決で決まり、それが大多数の人々の幸せと直結していると思われていますが、それは同時に少数意見を抹殺するシステムだということです。少数意見が間違っているという理屈はありません。正しい場合も大いにあり得ます。そして大多数の意見が間違っていた場合、その大集団は破滅するのです。そうした危険を回避するために、B型のような周囲に流されない視点の持ち主が必要なので、彼らはこの世に生まれてくるのだと私は考えています。そういう意味で、B型なりAB型なりといった日本において少数のグループは、その鋭いツッコミ視線ゆえに今後も多数派にはなれないだろうと推測します。(外国においては血液型配分が異なるので、また違った様相になるかと思います。)

算命学はバランスを重んじる思想です。陰陽なり五行なりのどれかに極端に振れてしまう場合、その反動で一気に壊滅する危険性について警告しています。陰陽で云えば、昼と夜は1日の時間を折半しており、季節によって昼が長くなったり夜が長くなったりしますが、1年を平均すれば同量です。1日が昼だけになっても夜だけになっても私たちは生きられないし、人類は男だけになっても女だけになっても存続できないのです。
人間は幸せを希求しますが、自分や家族など一部分が幸せを独占すると、それ以外の人々が相対的に不幸となり、こうした状態は長くは続きません。従って富豪は身代金目当ての犯罪の対象となり、私腹を肥やした政治家は失脚して処刑され、偏った思想を持ち続けた国家体制は崩壊する。貧者は困窮から這い上がろうとあらゆる努力をし、その努力は富める者のそれよりずっと切実なので、周囲の同情や称賛を集めやすい。富がない代わりに別のものを得る機会に恵まれているかもしれない。或いは昨今の「イスラム国」のように、暴力に物を言わせて世の中を転覆しようとするかもしれない。

最近話題の経済の本では、今日の資本主義経済においては裕福な人がより裕福になる一方で、貧乏人がどんなに働いても貧乏のままであるという揺るがぬ事実を指摘し、こうした社会システムは間違っていると声を上げ、多くの読者の支持を得ているといいます。算命学の思想をご存知の方には、これは言わずもがなだと映るでしょう。富める者が更に富んでいくという極端な事態が如何に危険か、貧乏人が貧乏ゆえに子孫も残せないほどだという事態が如何に不自然か。そんな世界が破滅しないためにはもっとバランスが必要だと、算命学は諭しています。陰陽も、五行も、血液型も、適度にばらけているのが良いのです。
ちなみに日本という国は、ABO型血液型は世界平均に比べるとかなりばらけています。だから世界が崩壊から逃れるためには、日本人の伝統的価値観である和の思想、循環の思想、中庸の思想が役に立つのです。そういう意味でも、私は日本人が直線思考を重んじる欧米文化に追従するのは馬鹿げていると思うし、せっかくの自分の長所を放棄するようなグローバル教育にも反対なのです。

さて、今回のテーマは算命学の同列思想についてです。前回の記事で少し触れましたが、被害者と加害者が同じ土俵に乗っているという話です。聞き慣れない人にはショッキングだったかもしれませんが、運勢鑑定の際はこのポイントは押さえておかなければなりません。というのは、運勢鑑定の依頼人は大抵人生に行きづまっていたり、困難に直面していたりするものですが、鑑定者はそれが本当に避けがたい宿命によるものなのか、単なる本人の思い込みなのかを、正しく判断しなければならないからです。
再三申し上げているように、宿命に優劣はありません。あったとしてもほんの数例にすぎず、そんな例外的な宿命の持ち主に不幸があるとすれば、その人はとっくに死んでいます。まだ生きているというだけで、その人はこの世に存在する意義も役割も充分にある。そういう前提で鑑定しなければなりません。だから本人が訴える不幸の多くは、思い込みである可能性が高く、考え方を変えさせるだけで不満が解消する場合も多いのです。

それでも人は、予想もしなかったような大きな不幸に見舞われたとき、その原因を自分ではなく誰かのせいにしたがります。その方が心理的に楽になるからです。自分のせいだと思うのはなかなか難しいし、本当に自分のせいだったなら尚更苦しい。
算命学ではそうした不幸の原因がどこにあるのか宿命から推し量ることができますが、そうして導き出した結論が依頼人を満足させないこともしばしば起こります。こうした場合に鑑定者はどういう態度でいるべきか、算命学の基本思想をベースに考えてみます。鑑定技法ではなく思想の話ですので、購読の際はご留意下さい。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「シーソーする世界」です。「算命学余話 #U71」で検索の上、登録&もつ煮込み一皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2015-01-17 17:20 | 算命学の仕組 | Comments(0)

by 土星裏の宇宙人