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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

映像化とオリジナリティ (No.696)

かつて石原慎太郎にたてついて話題になった芥川賞作家、田中慎弥の『共喰い』が映画化された時、このひねくれた作家が「映画は原作を超えている」と絶賛していたのでどう超えているのか気になっていたが、最近観る機会を得て、なるほど大層な超え方であることが確認できた。
普通原作者なら自分の愛する作品が他人の手により勝手に作り変えられてしまうのを善しとしないものだが、かといってそのまま何も手を加えないコピーならわざわざ映像化する必要もないし、コピーはそもそもオリジナルに勝てないから映像化した監督は力量不足との批判の的となり、結果的に原作も映像もどちらも評価を下げてしまうことがままある。そうならないために映像化には文字原作にはない工夫が求められ、効果が高いなら原作から離れたオリジナリティを組み込むことも考えねばならない。
映画版『共喰い』は特に最後の部分が引き伸ばされ、原作になかったエピソードを加えて物語に戦後史を組み込み、この辺りが憂国保守の西部邁氏による称賛につながったのだろうが、私が注目したのは更にそのあとの主人公と彼女の立場の逆転で、まさかの解決法にこれは原作者も仰天ものだと瞠目したのであった。S(加虐)はM(被虐)に代わってまるく収められたのだ。そしてこれもまた日本の戦後史の暗喩なのだ。まあ興味の湧いた方は是非とも原作を読んでから映画をご覧下さい。

原作の映像化といえば、近頃はマンガ原作の実写化が増え、私はほぼどれも見ていないので評価するのもおかしなものだが、随分前に『動物のお医者さん』というコメディ漫画が実写化された時には、セリフから何まで全く原作のコピーであり、映像化スタッフのあまりの意気地と芸のなさに鼻白んだものだ。今どきの実写化作品もその頃のレベルから出ていないものと推察する。ただ最近の実写映像はCGのお蔭で昔はできなかった様々な表現が可能となったためエンタメ性は上がっているのだろう。3D映像を視覚認識できない宇宙人にはCG映像もまた違和感が強く脳に響くので、楽しめないのが残念だ。皆さん、楽しいですか?

原作から逸脱すること甚だしい例としてロシア映画を挙げよう。今ちょうどゲルマン監督の遺作『神々のたそがれ』が上映中だが、原作はSF作家ストルガツキー兄弟の『神様はつらい』で、私はこの作品を読んでいないが、ストルガツキー作品の共通項として、西側で認識されているSFとは様子の違う妙なリアリズム、SFといいつつ我々現代人のことを描き、「一歩間違っていたら我々もこうなっていたかも」という手法のフィクションを連ねた物語が、これを原作として映画を作る作り手の想像の幅を広げるらしい。ストルガツキー作品をそのまま映像化しても面白くも何ともないのだが、あくまで発想だけを採り入れてあとは自由に創作するのであれば、現実と夢想がねじれて繋がる妙味ある映像が期待できる。
『神々のたそがれ』はおそらくストルガツキー兄弟がそこまでは想像しなかったグロテスクさを全面拡大して押し出した怪作で、映像として見苦しい場面が多すぎることを考慮してわざわざモノクロで撮ってあるのだが、よく見えないモノクロの方が却って恐怖が増すのは『フルスタリョフ、車を!』で証明済みなのだ。こんなに長くて疲れるのに眠くならない映画は他にないのだ。「ゲルマン作品に比べたら、タランティーノはディズニーだ!」なのだ。まだしばらく上映しているので、ホラー映画では足りない刺激をお求めの方は是非。

ついでに、当ブログでも紹介したことのあるソクーロフ監督の『陽はしづかに発酵し…』も原作はストルガツキー作品である。こちらは私も原作を読んだが、原作とは似ても似つかぬ別物で、しかし原作を全く無視しているわけではなく、根幹を貫くテーマは確かに原作と同じ人間批判であり、希望の糸口を見出そうとする余韻であり、それが原作にはなかった壮大で重苦しい映像美に包まれている。日本人の感性にはソクーロフの方がゲルマンより受入れやすいとは思います。ストルガツキー作品の映像化は他にもありそうですが、こうした原作と映像化のあり方ついて日本の映像クリエイターに学んでほしいです。
なお『神々のたそがれ』上映を記念してゲルマン監督の過去4作品のDVDが日本で発売された。『フルスタリョフ』も勿論入っている。BOXもある。一体どんな方がお求めになるのかしら。怖いじゃないの。お問合せは株式会社アイ・ヴィー・シーまで。
by hikada789 | 2015-04-20 13:56 | ロシアの衝撃 | Comments(0)

by 土星裏の宇宙人