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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

恐怖!トイレショックの宿 #2 (No.748)

『M/世界の、憂鬱な先端』が扱っている猟奇事件はちょうど昭和から平成に年号が変わる節目に発生し、まだ犯人が特定されていない時期に昭和天皇崩御が報じられた。この時著者は昭和という時代についてこう寸評している。「戦争を挟んで前半と後半に分断された昭和は、とうとう知的にも道義的にも政治的にも断層を埋めることができないまま終わった。前半にやったこと、起きたことから目をそむけ続けた後半はやたら元気で明るかったが、私の国にはいつもどこかに空騒ぎのむなしさと、なにかをごまかしているという後ろめたさが漂っていた。」
今日の安保法制の紛糾から、先の戦争についての未だできていない客観的な評価、被害者より加害者に寛大な法体系、果ては持参金とスマホを持って祖国を捨てた難民らに対する歓迎と冷淡の落差など、なにかをごまかしている感が漂うのは日本に限らない全世界的風潮のように思われるのだが、皆さんは身に覚えがありませんか。

宮崎勤死刑囚の犯行の要因とも呼べないが無視できない性格的特徴の1つは、「流行を追っている」ことだった。なぜそれが流行になっているのかとか他と比べてどこが優れているのかとかいった中身に宮崎は興味がなく、ただ追っていないと周囲からハブかれるという強迫観念がエスカレートした末に精神を病んだ。精神の均衡を失う決定的な契機は祖父の死なので、この辺りは算命学のテリトリーとして別途論じるとして、トレンドに敏感だったことのない私の目には、メディアがもてはやす商品を求めて右往左往する世間の方々が多かれ少なかれ宮崎と同じく流行の中身を吟味していないように映る。
「空騒ぎのむなしさと、なにかをごまかしている」感が胡散臭くて、トレンドの暴風が通過するのを待ってから改めて振り返ると、そらやっぱりゴミじゃないか、この流行には乗らなくて正解だった、という結論に達するのである。ゴミかどうかの判断は1、2年経てばわかる。その時まだ評価が高ければゴミではない本物である。本物でないゴミが1年で淘汰されるのは、四季を区切りとする商業戦略のサイクルに則って宣伝されるからである。今年の夏の流行は、去年の夏の流行と同じでは困るのだ。新製品が売れなくなる。新製品が旧製品より優れているかなどは、売り手にとってはどうでもいい。宮崎勤はこのむなしい空騒ぎに振り回されている間に自分自身の中身が空っぽになり、そこには自己の判断基準がなく、罪を犯している自分自身さえ見えなくなった。こうした性質を育んだのはまさしく戦後昭和の日本の全社会的なトレンドだったと著者は指摘し、社会全体を非難している。
私はこのくだりを読んでいて、トイレショックの宿を思い出した。どうして両者がつながったかを上手く説明できるか判らないが、とりあえず友人が待ちわびている「恐怖!トイレショックの宿。絶対に泊まってはいけないホラー級モラルの宿の真実」の続編に立ち戻ってみよう。第二回の今回は、モラル編です。

とにかくケチ臭い宿で、最初はオーナーがケチなのかと思っていたが、じきにその老いた母親が音頭取りだと判明した。単に節約に励んでいるだけなら私も同類なので気に留めることもなかった。例えば従業員用の賄いなどは、消費期限ぎりぎりかちょっと過ぎてしまってお客に出せなくなった食材を転用するのは何もおかしくはない。私などは普段自炊なので、自分の腹さえ壊れなければ期限が過ぎていても一向に気にせず食べている。しかしそれはあくまで自分で食す場合のみである。他人には出さないし、出す時は断ってから出す。それが礼儀というものだ。世の中胃腸の頑丈な人間ばかりではないからな。ましてや期限が大幅に過ぎていたり、ましてやましてや土足の床に落としたものなど、再び加熱殺菌するとしても他人様にはとても出せないし、断って出すこともしない。他に食べるものがないならいざしらず。
この宿の老女将は平気でこれを出すのである。サンダルなしには歩けない限りなく土足に近い土間風の厨房に自分のミスで落っことしたソーセージを、拾って洗い、刻んで鍋に投下し、賄いに出したのだ。目撃した私はそういう不衛生なマネはやめろと丁寧語で抗議したが、#1で紹介した女性従業員と一緒になって老女はどこもおかしくない、誰でもやっている普通のことだと言い張るのである。改善するならともかく拒絶の意向を露わにするので、私は以降この老女の調理するものは口にしないことにした。

それでも所詮は従業員の食い物ではないか、宿泊客には災いしなかろうとお考えなら甘いですぞ。経営者自身がこういう感覚なのだから、相手が宿泊客であろうと同じである。さすがに床に落ちたものは出さなかったが、これはたまたまそういう機会がなかっただけかもしれない。上述の女性従業員はミスが多く、お盆に載せた料理をしょっちゅうこぼすのだが、固形物ならまだしも汁物(具体的には椀に入れたつゆそば)を盛大に盆の上にひっくり返しておきながら、それを作り直さずそのままお椀に戻して客の元に持って行くのには驚いた。しかも1回や2回ではない。見ている誰も注意しない。なぜなら作り直すための材料を用意していないからだ。人数分きっかりしか調理しないのだよ、この店は。
ここで飲食店の正しい心構えを講義しよう。一応私もワインバー店長をやっていた身だし、これまでに数件宿泊所バイトをやっているから、衛生や手順がこのレベルなら良識ある安全なお店という基準は承知している。宴会など大人数を扱う店では、予め少し多めに食材を用意し調理しておくのが正しい仕事である。宴会直前になって1名2名増えるということもありえるし、増えなくても配膳の最中に落っことしたり、形の悪いものを除けたりするので、予備を作っておいた方が安全なのである。さもないと万一足りない場合慌てて一から作らなければならない。どちらがスマートかは明白である。
しかしこの宿はこうした基準のない落第宿なので、予備などは作らない。理由はもったいないからである。合格宿やレストランはもったいないとは思わない。使わなかったら後で従業員の賄いにしてしまえばいいからである。ある高級中華店ではフカヒレスープやアワビのステーキが賄いに回ってきたこともあったが、足りなくなって客に不快を与え、店の評判を下げるよりは安いと考えている。これが正しい経営者感覚というものだ。しかしこの宿は中国人並みの感性で回っているので、1円たりとも損はしたくないというポリシーに基づき、ろくに洗ってもいないベタベタしたお盆の上にバシャリと零れたつゆそばをそのままお椀に戻して、何も知らないお客さんに笑顔で提供して食わせるのであった。繰り返すが1回や2回ではない、ほぼ毎日である。ミスの多い従業員を使っているからだ。

まだある。この宿は人数の多いとき朝食をバイキングにするのだが、パンと御飯と味噌汁以外のすべてのおかずはパックに入ったレトルトだ。ひじきの煮物やきんぴらごぼうといった古典的惣菜は、田舎ということもあり手作りを期待しているお客さんも多く、別に消費期限は過ぎてないし(たぶん。未確認)味も悪くないから犯罪とは云わないが、お客さんが「おいしかったわ」なんて言って笑顔を向けてくれると、罪悪感に苛まれながら笑顔を返さねばならぬ私の苦悩などは、奴らには思いもよらぬことであろう。まあいい、これはまだ許せる。
問題はパンとヨーグルト、牛乳、ジュースである。完全に、完全に期限を過ぎている。どれも揺るがぬ日付が書いてあるから一目瞭然。しかも過ぎているのは1日や2日ではない、5日も10日も過ぎているのだよ。この時は私ではなく別の短期アルバイトが気付いて驚き指摘したが、奴らは「大丈夫だから出して」という反応だった。イオンのトップバリューのロールパンはわが家の近所でもよく見かけ、一袋88円とか安価なはずだが、10日も過ぎたらさすがに危険だし味も落ちるでしょ、鮮度が。捨てるなり冷凍保存して賄いに出すなりするのが常識である。ここは常識が違うので、袋から出せば見た目は一緒とばかりそのまま客に食わせるのである。理由はもったいないから。皆さん、こんな宿に一晩6000円も払う価値がありますか。普段自宅で食べてる食事より数段鮮度の落ちる食い物を、金を払って食わされているんですぞ。炊事の不便な山小屋だってこんなことはしないよ。粗末であっても安全には気を配るよ。食中毒でも出すとまずいから。

確かに最近の食品保存技術は昔とは違い、10日過ぎたロールパンでも封を開けなければ雑菌は入らず、危険はないかもしれない。しかしこの10日過ぎの事実を客に告げることができようか。それで客が快く赦してくれようか。ということを私は訴えたが、奴らは黙り込んだだけで(さすがにまずいと思ったらしいが)改善はせず、その後も古い食品がなくなるまで出し続けた。恐ろしいモラルであり、どうしようもないおバカさんの宿である。
飲食をやっていると当然食材のロスは出るが、それは織り込み済みであり、賢い店長は食材の減り具合を熟知してロスが少しでも減るよう注意深く発注するものだし、冷凍がきくものは冷凍して寿命を延ばす。プロでなくとも普通の主婦でもこの程度の知恵はあるだろう。5日も10日もすぎても使い切れない量を一度に仕入れるのはおバカさんだけである。

日付のない御飯についても言及するなら、この店は御飯を炊いたあとなくなるまでずっと保温している。だから古い御飯は黄色くなって匂いが出てしまっているのだが、それも構わず客に出す。これも業界の常識なのだが、客に出すのは炊きたて御飯というのが宿の良心の表れだ(保温は2時間が限度。これを超えると劣化が加速するので、保温を止めて冷凍するのが正しい保存法)。これを破った宿は私が知る限りこの宿だけである。ヒドイ宿も昔あったが、御飯だけは炊きたてを出していた。匂いでバレるからだ。御飯を炊くには45分ほどかかるが、朝食であっても宿の人間の方が客より早起きなので、時間的に間に合わないということはありえない。間に合わないのは故意に炊いていないからである。なぜなら昨日の御飯がまだ残っていてもったいないからである。すべてがこの理屈で回る宿なのだ。
従って、匂いの出ている米を客に出した後に回ってくる賄いは、更に保温されて劣化が進み、劣悪な衛生事情で鳴らしているロシア・中国で暮らしたさすがの私も食ったことのない状態に。あ、うん、吐いたよさすがに。その日一日胃の中から変な匂いが立ちのぼっていた。初めての経験であった。御飯ってあんなになるんだな。

他にもまだシワの出た古いミニトマトを平気で客に出すとか、(賄いに回ってきたことがあったが私は食べなかったよ。だって近所のホテルの売店に朝獲りトマトが20個入り100円で売ってるんだもん。新鮮なトマトを感動して食べてやったよ、奴らの目の前でね。ケチな老女はボケており、私が店のトマトを勝手に食っていると声を上げたので、レシートを叩きつけてやったよ。)、数が足りなくて倉庫から引っ張り出した埃だらけの箸を洗わずに箸袋に入れて配膳するとか、同じく倉庫から出した大皿を「しまう時に洗ったから洗わなくていいよ」といって私に渡して食材を盛るよう指示するとか(指でなぞったら黒い砂がべっとりと付着したので、私は自分の判断で洗ってから盛った。お客さんが気の毒で。)、モラルハザードなシーンは枚挙にいとまがなく、とても書ききれないのでこれでやめよう。

繰り返すが、こんな宿は日本では珍しい(はず)。上述の「昔のヒドイ宿」というのは、もう黙っているのはやめよう、奥飛騨温泉の中尾平という宿で、やはり土足同然の厨房で揚げた天ぷらを床に落としたのを、そのまま油に戻して揚げ直して客に出した前科を持つ。目撃者は私だ。揚げ直すのは、予備をこしらえていないからである。つまりそこもケチな宿ということだが、驚くべきことに客単価は当時で16,000円という高額なもの。ケチる理由が見当たらない。要するにモラルの問題なのだ。またこれは私見だが、揚げ直しの宿の女将は中国出身である。日本語は達者だったから二世かもしれないが、表情や仕草が私のよく知る中国本土の女性の典型であったので、嫁取りに困った田舎の日本人が子孫のために迎えたのではないか。夫である宿主の方は話していて違和感のない初老の日本人であった。気の毒なことだ。子供は母親の習慣を踏襲するから、小学生と高校生の息子たちはトイレから出たあと手を洗わない習慣であった。将来が心配だ。
今回の白樺湖の宿は素振りからして日本人であることは間違いなく、半世紀ほど営業している老舗だが、農業を全くやっていないのは私が自腹で常食していた朝獲りトマトを店でも出そうという発想に至らないことからも判る通り、もしかしたら他県からの移住者であるかもしれない。宿泊業ではよくあることである。或いは例によって満蒙開拓団の帰還家族かもしれない。ちょっと今の日本人とは思えない衛生感覚だからね。

読者の皆さんが私と同じように驚いたかどうかは確かめようもないが、わが良心はこんな宿にお金を払って泊まる価値はないと告げており、どうせ当地へ赴くなら、温泉はなくとも貴重な水を宿泊客にシャワーとして提供している山小屋ころぼっくるヒュッテに泊まった方が、数段快適且つ倫理的にも安全安心であると主張したい。数ある不衛生ポイントを良心に基づき宿主とその老母に向かって伝えた私ではあるが、彼らの反応は「保健所の検査に通っているから改善は必要ない」というものだった。繰り返しますがモラルの問題です。
でも冒頭に挙げた話ではないが、日本の法律は責任能力がないと判断されれば実行犯でも無罪になるし、人々は流行に遅れまいと旅行雑誌に載っている見た目のきれいな宿に何の不安も感じず予約を入れるのであるし、その中身の実態を知ろうにも情報誌には褒め言葉ばかり並んでいるのだから、そんな剣呑な世間の皆様が裏切られないようにと、老婆心ながら真実を記載させて頂きました。判断するのはあなたです。
私はこの宿の体質の無節操と無責任さに、『M』で指摘されたむなしくもごまかす日本社会の縮図を見た気がした。なぜなら、白樺湖に行った人は判ると思うけど、あの町は既にゴーストタウン化の過程にあり、高度成長期に盛況だった観光業は集客の低下から廃業が続いているとみて、廃墟となったホテルや民宿、店舗が撤去もできずにそのまま晒してあるのだ。もし住民に地元愛や気配りの心があれば、ああした廃墟は取り壊すなり何かで囲って見えなくするなりして、大切な故郷の景観を維持しようと努めるはずではないか。そうしていないのは撤去の資金がないからだと言うなら益々「ごまかす」体質が露呈する。どちらに転んでもこの土地の人々は「ごまかし」てむなしい年月を重ね、それを伝統としつつある。グロテスクな光景だ。だがこれはここだけの話ではなく、日本全体がそういう空気に覆われているのではないか、というのが『M』のテーマの1つである。
恐怖の宿の怪談はまだ強烈なのが残っているので、次回をお楽しみに。(つづく、と思われる)
by hikada789 | 2015-09-16 17:14 | その他 | Comments(0)