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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

歴史の既視感 (No.918)

社会をブレずに生き延びるために必須の教養として自国の歴史を重視する佐藤優氏が企画した復刻参考図書、安藤達朗著『いっきに学び直す日本史【教養編】【実用編】』を読んだ。宇宙人は史学生だったので日本史は苦手ではないが、欧化政策の始まった近代史以降は富国強兵やら殖産興業やら、あるいは夏目漱石がモデルを提示したとされる、立身出世を人生の目標と定める社会風潮が味気なく感じられ、学校でなおざりに学んだきりだった。中年となった今「学び直す」のは頃合いかと思い読み進めてみたが、おやおやおや、なんだか奇妙な既視感が。それはかつて学んだ教科書の再確認という意味ではなく、ここ数年に報道された事件や社会問題の焼き直しという意味の既視感である。単に「歴史は繰り返す」というよりは、「人類はいつまでたっても進歩しないで同じ問題に直面し、解決できぬまま世紀を跨いでは、再び出会った同じ問題をさも新しい問題かのように扱い、無駄に驚く生き物である」という印象を強く持った。どの辺りがそう思えたのかいくつか挙げてみよう。引用部分だけでピンと来る方は宇宙人のコメントは飛ばして下さい。くどいかもしれぬので。

【教養編】(p.76)
――良・賤の通婚は禁じられたが、実際には後を絶たなかった。645年(大化1年)の「男女の法」では良賤の通婚により生じた子は賤とすると定めたが、789年の格でこうした子をすべて良とするとした。しかし賤民には庸・調・兵役などが課されなかったので賤のまま留まる者が多かった。――
宇宙人コメント:働くより生活保護受給した方が得だと考える今日の一部の人々とかぶる。パートタイマーと扶養者控除の話もかぶる。

【実用編】
(p.86)――討幕計画が進められていた1867年8月に、「ええじゃないか」騒ぎが起こり、各地に広がっていった。伊勢神宮のお札が降ったという噂をきっかけに民衆が踊り狂ったもので、江戸時代を通じてほぼ60年を周期に起こっていた伊勢参りが突発したのだった。民衆が踊り狂っている間に幕府は倒れ、気付いたときには新政府ができていたのである。この「ええじゃないか」の騒ぎを誰が起こしたのかは明らかでないが、1837年の長州藩の一揆のあと、長州藩が各地で祭礼を催して農民のエネルギーを解消させたのと、類似性があることは否定できない。――
宇:麻生大臣がナチスを引き合いにこういう「いつの間にか」政策施行をやりたがっていたっけ。ナチスなんかよりええじゃないかを引き合いに出した方が炎上しなかったかもね。

(p.175)――アメリカにおける日本人移民排斥も日米関係を悪化させるひとつの原因だった。明治以来日本は人口激増によって人口過剰に悩んでいたため、海外に移民する者が多く、アメリカのハワイやカリフォルニア地方には第一次大戦後になって特に多くの日本人が流出していった。これら日本人移民は、アメリカの国情になじまず、低賃金に甘んじて、現地の労働者を圧迫することになった。日本人移民排斥の動きは、日露戦争後の1907年頃から起きていたが、1924年には移民法が成立し、日本人移民はほとんど禁止された。――
宇:武田邦彦氏などは、戦前の日本人移民排斥の理由が日本人の優秀さにあると指摘し、自分たちより優秀な有色人種に嫉妬した白人米国人のやっかみをあげつらっている。米国は移民国家なので本来移民を歓迎するはずなのだが、それは文字も知らず単純労働しかできない南米やアフリカの移民が自分たち白人の地位や賃金を脅かす心配がなかったからで、知的水準の高い日本人移民が頭角を現すや移民排斥に転じた。百年前にはもう知られていた事態を、今頃になってまた世界は繰り返そうとしている。理想的な移民とは、受け入れる側にとって都合よく低賃金で働いてくれる、使い捨て労働者のことなのだ。

(p.176)――関東大震災は1923年9月1日に発生した。その混乱の中で、朝鮮人・社会主義者が蜂起したというデマが流され、多数の朝鮮人・労働者・社会主義者が虐殺された。…共産党は6月に既に一斉検挙されていて獄中にあったために、虐殺を免れた。――
宇:何が幸いするかわかりません。当時の共産党員はこの一斉検挙を天のご加護と思っただろうか。そう、刑務所の中は意外と安全なのである。

(p.179)――1917年に成立したソビエトは、列国が干渉戦争を行ったにもかかわらずその打倒は不可能であった。そのために1924年にイギリスがまずソビエトを承認したのに続いて、列国も次第にソビエトと国交を樹立していった。日本とソビエトとの国交樹立交渉は1921年から断続的に行なわれていたが、通商条約の締結を急ぐ日本とシベリア撤兵を先決とするソビエトとが対立して進展しなかった。加藤高明内閣は1924年から交渉に入り、1925年1月日ソ基本条約を締結して国交回復・通商条約締結などを取り決めた。ここに日ソ間の国交が樹立された。――
宇:「通商条約の締結を急ぐ日本とシベリア撤兵を先決とするソビエトとが対立して進展しなかった」を、「経済協力の合意を急ぐロシアと北方領土返還を先決とする日本とが対立して進展しなかった」に置き換えると今どきの話題に。

(p.200)――ファシズムとは、資本主義の全般的危機に際して、一見、社会主義的な綱領を掲げて中産階級を引きつけ、高揚する労働運動・共産主義運動を圧殺し、侵略戦争を行うことによって独占資本の利潤を保証する独裁政治体制をいう。――
宇:「一見、社会主義的な綱領を掲げて中産階級を引きつけ」を「一見、人道主義的なスローガンを掲げて中産階級を引きつけ」とか「一見、平等主義的な政策を掲げて中産階級を引きつけ」とかに置き換えると、今どきの話題に。

(p.228)――労働基準法。1947年4月公布、施行。労働者保護立法。8時間労働、同一労働・同一賃金など。
宇:まんまですな。70年間進歩ゼロ。

(p.249)――(基地反対闘争の展開として)砂川闘争(東京都)…総評が全面支援。1955年9月と11月に測量が強行されると流血事件となり、1956年10月にも全学連の支援の下に千名に及ぶ負傷者が出た流血事件が発生し、政府も測量中止のやむなきに至った。――
宇:測量といえば辺野古ですね。

(p.250)――ソ連のマレンコフは国際緊張の緩和を望み、平和共存を呼び掛けたが、アメリカのアイゼンハワーはダレスを国務長官とし、「(共産主義)封じ込め政策」を更に積極化し…――
宇:「共産主義封じ込め政策」を「IS封じ込め政策」に使い回し。

(p.256)――警職法改正案が1958年10月に上呈。治安維持法・警察国家の再現をおそれて広範な国民運動が展開され…警職法は審議未了となった。岸内閣は大きく動揺したが、同11月に皇太子妃決定が発表されいわゆるミッチー・ブームが作り出された。国民の関心は政治からたくみに逸らされていった。――
宇:結局不起訴になったASKA再逮捕の報道は、その日のトップニュースに取り上げられては困る法案通過の隠れ蓑だったという話をどこかで聞いた。
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by hikada789 | 2017-01-13 15:30 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)