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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

米原万里と本を読みたい (No.1025)

無類の本好きであった故米原万里は、1960年代にチェコのソビエト学校で基礎教育を受けたため、一般的な日本人が受ける日本の学校教育に違和感をぬぐえなかった。マルバツ式の試験問題や読書感想文がそれだ。当地の教育は論理的思考を育むものなので、試験は論述と口頭質疑だったし、読書は感想を述べるのではなく何が書いてあったかを相手に伝えるためのツールだった。「読書感想文などくだらない。この本を是非友達にも薦めたい、という書評を子供達に書かせた方が、本を好きになる子が増えるだろう」と米原氏は述べている。私も同感だ。
しかし同じロシア専門の沼野充義氏が冷や汗をふきふき論じるところによれば、「米原さんは文学的素養は広く深かったけれども、その趣味はいささか古風というか、あまりに正統的であって、難解なレトリックで人を煙に巻くような評論や、実験的な「崩れた」ポストモダン文学などのよき理解者ではなかったことは確かである。…彼女は近代批評の頂点として崇められている小林秀雄に対しても容赦なかった」。

米原氏は、「理路整然とした、人を説得しようとする情熱のある」文章を好んだ反面、レトリックの羅列のような(小林秀雄の)文章を軽蔑していたが、それはチェコで受けた学校教育の影響でもあった。こう聞くと米原氏が外国かぶれかのように聞こえるが、彼女はまたこんな言葉も残している。
「ロシア語通訳時代は、「火に油を注ぐ通訳」などと呼ばれていました。これをよく言えば、欧米人の攻撃的な話し方と、日本人の対立を避けようとする言い方の裏に潜む対立点を浮き立たせようとしていたのです。字句通りに訳してはいらぬ誤解と混乱を招くばかりなので、文化の差異を織り込んで訳すわけです。」
ただの外国かぶれではなく、日本人のことも正しく理解していた。だから自動翻訳のように字面を訳すのではなく、文化背景も含めて訳そうとしていた。こういう芸当がAI翻訳にできるだろうか。
尤もその後作家になった米原氏は、当時の自分の翻訳姿勢を反省し、やはり字句通りに訳して聞き手に判断を委ねた方が良かったかもしれないと述べている。そうすると、聞き手も話し手も共に責任が重くなる。話し手は聞き手がどう理解するか判らないから正確な伝達を心掛けなければならないし、聞き手はリテラシーや予備知識、教養が問われるようになる。そのような双方の緊張感があった方が、知的交流としては相応しいということだろう。

来年は米原万里の没後十年になるが、彼女の人気は未だ根強い。今年の夏に河出書房新社が出した特集雑誌『米原万里 真夜中の太陽は輝き続ける』に以上のような論評を含む回顧文が多数掲載されているので、お時間のある方は是非お読み下さい。そして読書のための本選びに迷っている人には、当ブログで既に取り上げている米原氏の書評集『打ちのめされるようなすごい本』を重ねて推奨致します。ハズレなし。ちなみに几帳面な米原氏は書評に取り上げた本の目録を残しているが、そこに村上春樹の名前はないそうだ。
by hikada789 | 2017-12-22 15:38 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)

by 土星裏の宇宙人