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算命学余話 #R54 (No.1040)

亀山郁夫・沼野充義著『ロシア革命100年の謎』は、ロシア革命を政治や経済ではなく文学の視点から解析する異色の評論対談なので、ある程度ロシア文学を読んでいる人でないとちんぷんかんぷんかもしれません。それでも有名どころの作家をおさえておけば、会話形式という利点もあって読みにくい内容ではありません。例えばこんな見解が述べられています。

メレシュコフスキーは長編評論『ドストエフスキーとトルストイ』の中で、「トルストイとドストエフスキーを見比べて、前者を肉の秘密を見抜く者、後者を霊の秘密を見抜く者、と呼んだ。しかし亀山郁夫氏は若い頃これを読んで「逆ではないか」と思ったという。なぜならトルストイの作品には性的場面や強い性的暗示を意図した表現がなく、これに対してドストエフスキーの作品には明確にあるからだ。
しかし後になって、やはりメレシュコフスキ―の分析は正しかったと思い直す。というのは、トルストイは実生活では子沢山で晩年まで子作りしていたし、おそらく自分の性欲の強さを痛感していたために、作品や思想は逆にそれを強く否定するものになったと考えるようになったからだ。逆にドストエフスキーは性的に虐げられた女性たちを多く描き、性という本能の犠牲になる人間を救済するために魂の話を持ち出した作家であった。
そう考えるとトルストイが肉、ドストエフスキーが霊という振分けは当たっていたが、一見する限りでは振分けは逆の方が当たっている。

この他にも、一般に道徳的で説教臭いと評されるトルストイは実はラディカルで、テロという実際的な暴力には与しなかったトルストイではあったが、その発言や活動は当時の社会体制を大いに揺るがす危険思想そのものだった、といった思わず膝を打つ見解が冒頭から並ぶので、両巨匠の作品を漫然と楽しんできただけの読者にも新たな思考を促してくれます。見識が深まるとはこういうことですね。

さて算命学の陰陽思想をよく知る人であれば、上述の霊と肉のエピソードにはピンとくるものがあるでしょう。霊と肉はつまり陰と陽なので、互いに対極にあるけれども、対極にあるものは対等でもあるので、容易に位置が逆転する。その価値は真逆でありながら実は等価であるという陰陽論が、この文学論に見られるからです。
だから亀山氏が若い頃、つまりロシア文学研究が未熟であった頃の両巨匠への評価が、熟練した今日になって逆転したことは何ら不思議ではありません。若い頃の亀山氏が間違っていたのではありません。それはその時の評価として当たっていたのです。しかし今や老成した亀山氏は既に若い頃の立ち位置にはなく、おそらく三十年以上経っているでしょう。三十年とは還暦の半分です。六十花甲子を半周した年月を経て、知見を深めた亀山氏の見解が真逆に至ったことは不自然ではありませんし、そうした歳月を越えた評価の振れ幅をもった作品を数多く書き残した両巨匠は、やはり真理の深い所まで到達していた稀有な作家だっと見做すことができるのです。

この対談本は是非読んでお楽しみ頂きたいですし、私もいろいろ紹介したいのですが、今回の余話はこの本から少し引用する形で、病と障害について考えてみます。というのも、一年半前の介護施設連続殺人事件の被告人の供述が最近報道されて、その報道のされ方に私が違和感を覚えたからです。
被告人の供述によれば、施設入居者の殺害を思いつく前に、風呂場で溺れかけた入居者を助けたことがあったそうです。しかしそのことについて入居者の家族は命の恩人であるはずの被告人にお礼も言わなかったと。その時被告人は、入居者が誰にも必要ない存在だと思うに至り、犯行へと突き進むようになったと言います。実にリアルな話です。

ドストエフスキーの名作『罪と罰』は、まさにこうした動機を同じくする犯行の話です。主人公ラスコーリニコフは社会の誰にも必要ない、それどころか害悪にさえなっている金貸し老婆を殺害することで、正義を成し遂げようとするのですが、やはりそれは一方的な殺人以外の何ものでもないので最終的に罪を認めて自首します。しかしながら、読めば判りますが、主人公は最後まで自分の罪を認めたくないようです。紛うことなき悪人を倒して何が悪いの、こんな感じです。連続殺人の被告人と実によく似ている。
報道では、当時の入居者で被害に遭ったけれども生き延びた知的障害者の家族にインタビューする映像が流れ、白髪の老夫婦が白髪の中年息子を介護している。上品そうな老父曰く、「障害者であっても家族にとっては大事な存在だ。社会に必要ないなどと他人にとやかく言われる筋合いはない、余計なお世話だ」とのことでしたが、私の違和感はこの点です。
溺れた入居者の家族がこういう家族であったなら、被告人は入居者が誰にも必要ないという考えに至らなかったと思うのですが、実際はこういう家族ばかりではないという事実がスルーされていること。次に、この上品で心優しげに見える老紳士もまた、おそらく財力があって、大事であるはずの息子を施設に入れ、面倒な介護を人に任せている事実がスルーされていること。そして報道キャスターが、こうした肝心な部分をスルーしたまま盲目的に老夫婦の意見を支持していること。皆さんは如何ですか。違和感を覚えませんか。
今回の余話では、こうした点を踏まえて病や障害を算命学的にどう捉えるべきかを考えてみます。物騒な内容なので興味のある方のみご覧下さい。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「病と障害を考える」です。「算命学余話 #R54」で検索の上、登録&おでん1皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

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by hikada789 | 2018-01-28 18:57 | 算命学の仕組 | Comments(0)