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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

『言葉に命を』 (No.1102)

自分の言葉に責任を持たずに発言する風潮がSNSの普及により広く急速に行き渡ってしまった昨今、言霊思想を持っているはずの日本文化からこうした風潮を真っ向批判する意見が出て来ないのは情けない限りだ。故西部邁氏はその広い知識の中から社会用語の語源を取り出し、デモクラシーがデマゴギーと同源であることや、モダン(近代)がモード(流行、ファッション。時代という意味はない)と同源であることを指摘して、その言葉や概念の本質について根本から再考し、みだりに飛びつかないよう警告していた。
西部氏のような批判のできる知識人は他にもいくらかいるが、その声はSNSはじめ社会に溢れるゴミのような無価値な発言の波に押し流されてかき消されてしまっている。日本人が本来寡黙を美徳としていたのは、もしかしたら過去にこのような無意味な言葉の氾濫する時代を経験していて、その教訓として社会に寡黙を広めることを善しとしたからかもしれない。しかし現代人は過去を振り返ったり思い起こしたりするのが苦手なので、要するにどうしてそれが過去から今日まで存在してきたのかその価値について考えるのが苦手なので、そう、そもそも物事を深く考える頭を持ち合わせていないので、目先の新しいものに飛びついては悦に入り、その無価値に気付かないまま間もなく痛い目を見る、という所業を繰り返している。子供達よ、このような大人を見習ってはならぬぞ。

言霊思想はなくとも言葉に対する依存度の高いロシア人は(古代ギリシャ哲学の影響だ)、日本人の寡黙さに比べると圧倒的な話力を誇るが、心あるロシア人が同胞を羞じて言うには、ロシア人は息継ぎも惜しむほどずっとしゃべり続けているくせに、内容は空虚で、物事を解決するどころか問題の周りをぐるぐると旋回しているだけだ。逆に含蓄ある言葉を放つ人に限って、その言葉は少なく発せられる、とのことである。確かな知見を持つ人ならば、誤謬のない正確な言葉を選んで発言するから、その言葉は簡潔で無駄がなくなるというわけだ。

そんな心あるロシア人なら誰でも知っている『ダーリの辞典』についてご紹介しよう。ロシア事情が目当てで当ブログを閲覧の方には、夏休みの読書にポルドミンスキイ著『言葉に命を~『ダーリの辞典』ができるまで~』(原題「Жизнь и слово」)をお勧めしたい。
ダーリは19世紀にロシア中の言葉を集めて独自の辞典『現用大ロシア語詳解辞典』を編纂した知の巨人で、そのあまりのオタクっぷりにより世紀を超えて読者魅了し続けている偉人である。私はロシア留学中にその存在は聞いて知ってはいたが、遂に手に取って読むことはなかった。ネイティブレベルのロシア語でないと楽しめないとの懸念があったからだ。しかしそのダーリの詳細で赴きある伝記が最近翻訳されたので、ダーリの辞典がなぜ多くのロシア人に愛されているのか知れるようになった。なので知りたいと思われる方は是非本をお買い上げ下さい。絶対に損はないと太鼓判を押します。紹介まで、冒頭のさわりの部分を抜き出します。

――『現用大ロシア語詳解辞典』、いわゆる『ダーリの辞典』、あるいはもっと短く『ダーリ』(ダーリが一生を捧げた大事業はその名だけで呼びならわされる)をのぞいてみよう。「序と凡例」の代わりに使われている「旅支度」という言葉を『ダーリ』で調べてみると、「出立のとき、旅立つときに支度するもののすべて」とある。「序」や「緒言」、さらにはギリシャ語の「プロローグ」といった文語より、「旅支度」という民衆の言葉を好んだダーリは、主要な仕事である『詳解辞典』と『俚諺集』の本編に先行する部分を「旅支度」と名付けた。読者を案内すべく手をさしのべるダーリは、旅立ちを祝い、これからの旅になにより重要なものとなる判断材料と情報を整えることが不可欠だと考えたのだった。

――ダーリの辞典は本棚に収めず、すぐに手の届くところ、お気に入りの詩集や『戦争と平和』『エヴゲニー・オネーギン』のある場所に置くといい。ぱっとひらいて目に入ったページから読めば、そのたびに感動を新たにするような本のある場所、片時も放せない本のある場所に。
この辞典は今ではとても参考図書とはいえない。語彙の点でも解釈の点でも、多くの内容が古くなってしまった。もっとも辞典を編纂するダーリの念頭にあったのは、意味を知るという実用性でも、関連情報が得られるという副次効果でもなかった。「どこかで出くわした知らない言葉を探しだすためにごくまれにわたしの辞典が必要になるというだけでは、編纂者の労苦はおろか、辞典を買ったこと自体も報われないだろう」とダーリは述べている。
しかし、言葉の意味を調べるという実用的な目的であったとしても、辞典をひらいてしまえばもう脇へ押しやることはできない。ある言葉を引けば、それに連なる別の言葉を引きたくなり、それがまた第三の言葉へと背中を押すからだ。ありふれた解釈の隣に実に思いがけない解釈があって、おなじみの言葉が突然、まったく新しい言葉に変わってしまう。ほとんどの言葉の下には、ことわざが一つ二つ三つと並んでいて、言葉が躍動し、ニュアンスが変わって輝き、たえず新しい情景が脳裏に浮かぶ。こうして、どの言葉も果てしない魅惑的な旅への出発点になる。

こうした冒頭を読むだけでも、ダーリの辞典は他の辞典とは全く違った目的や意図で編まれたものだということが判る。最近日本にも映画になった『舟を編む』という辞書編纂小説が出たが、その登場人物たちの作業は人生を捧げるというほどではなかったので、感動も浅かった。ダーリも人生の初めから辞典編纂を目指していたわけではなく、海軍士官をやり、医学を学んで医者になったらまた軍医として戦場に派遣され、いやいやながら各地を転々としているうちに趣味で書きとめたメモが膨大に膨れ上がり、最終的に文学に帰結したのである。そう、これはもはや辞典というよりは文学作品なのであり、ダーリ自身が方言の散乱する広大なロシアを渡り歩いた足跡の履歴書なのである。

感動は本編を読んで味わって頂くとして、この作品は著者の文体がまたいい。文筆家ポルドミンスキイは伝記作家として定評があり、「その伝記は、事実を時系列にそって小説風に並べた一般の伝記と違って、作品自体が文学として楽しめること、被伝者への愛情に満ちていること、人生や自分をとりまく世界について絶えず思索を重ねているために歴史的な内容に血が通い、読者は思わず知らず描かれた世界に自分もいる気になることに特徴がある」と評されている。ロシア語やダーリに興味のない人でも、文学に関心のある人であれば楽しめる作品なのである。和訳も優れています。
最後に、ダーリが考える「親」や「育てる」の意味について本文から引用しておきます。

――「生んだ者が親なのではない。親とは養い、善きことを教えた者のことだ」というダーリのメモがある。『詳解辞典』では「育てるとは、低い次元では一定の年齢まで養うこと/高い次元では人生に必要なすべてを教えること」と説明されている。

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by hikada789 | 2018-07-17 16:57 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)