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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

木造文化と石造文化 (No.1154)

宇宙人のひとり思考。
あるナポリのクラシック音楽家がインタビューで母国を自慢し、「イタリア人は古い建築物や遺跡があちこちに見られる街に住むことでごく自然に歴史に触れ、そうした歴史に囲まれた環境は精神文化を育む上で恵まれている」と芸術家としての意見を述べていた。しかし宇宙人に言わせると、その歴史とやらを象徴する建築物は石造りで固く、見た目は美しくとも人が住む空間としては適していない。人間は表面ひとつをとってもそんなに固くはないし、冷たくもないからだ。ましてや精神など。
宇宙人が西洋の石造りの歴史的建築物を見る時、その直線や鋭角のせいで和むことがない。醜いとは思わないが、暮らすにはイタイと思うし、尖った心が益々尖る気がする。つまり触りたいとは思わない。唯一美しいと思うのは、廃墟になった時だ。誰も住まなくなって放置され、草木に浸食されて直線も鋭角も崩れて丸みを帯びた時、石造りの残滓は映える。そしてその廃墟としての寿命は長い。それを彼らは歴史と呼んでいるというわけだろうか。

対極の木造建築ならどうかと思い浮かべると、廃墟となった木造家屋など目も当てられない。風雪に晒されてみすぼらしく朽ち果て、いかにも貧乏くさい。放っておいても昆虫が解体してくれるだろうが、見苦しいので早々に撤去した方がいい。歴史にしなくていい。
木造建築はやはり人が住んでこそ活きる。木造建築の建材は伐採した木材とはいえ、湿気の吸収・放出や芳香、防虫作用など樹木としての機能が生き続け、まだ完全に死んではいない。勿論石造りに比べれば弾力もある。柔らかいから部分的な修理もしやすい。日常の掃除で日々手入れをするだけでも、木造建築の寿命は結構延びる。柱や床や家具を布で磨くという方法も寿命を延ばすのに効果的だが、何より効果があるのは人間の存在である。人間は呼吸しているが、元々生命のあった木材も呼吸している。居住民と家屋は、呼吸を通じて気の交換をしている。両者は似ているのでそれが可能なのだ。

こんなわけで、人間は木造家屋に住んだ方が自然に適っているし、人が住まなくなった木造家屋は取り壊した方がいい。死んだら自然に還して、次の再生を待つ。循環思想が育つのは木造建築文化においてであって、石造建築文化ではない。石造建築は人が住まない目的の、宗教施設やら劇場やら、廃墟となってもとっておいていいような、眺めるための建築物としてはありだと思う。でもここで人間が暮らしたら、思考は直線で鋭角的になり、冷たくなって自然から離れて行く。これが西洋の直線思考文化を生んだのではないか。

先日「ロマンティック・ロシア」絵画展を紹介する美術番組を見ていてそう思った。19世紀末前後のロシア絵画は「移動派」など一般庶民や農村の風景を題材とした絵画がよく描かれたのだが、その中で家屋は木造であり、欧化に明け暮れた貴族ではないロシアの大多数の人口の暮らしは木造文化であったと指摘されていた。だからロシアのこの頃の絵画は日本人に親しみを感じさせるのだと。
私は絵画だけでなく、貴族趣味ではないロシア文化全体が、自然に囲まれて暮らす日本人の感性と親和性があると考えている。どちらもくんなりと柔らかく、匂いに敏感で、ほんのり温かく、押せば弾力がある。これらは樹木の特徴であって、石の特徴とはかけ離れている。
ちなみに、算命学では五行の木火土金水のうち、一番人間に近いのは木性だとしている。

by hikada789 | 2019-01-23 20:13 | ロシアの衝撃 | Comments(0)

by 土星裏の宇宙人