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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

このまがい物感を考察する (No.1254)

ラグビーW杯が終わったが、ラグビーを見過ぎた友人の一人はプロ野球が見れなくなったという。タックルを受けてもいないのに落球するプレーが許せないというのが理由だ。どんな観戦眼なのだ。まあ気持ちは分からないでもない。宇宙人も子供の頃はバスケをやっていたが、同じ室内球技のバレーボールはネットがあってズルいと思っていた。ネットのないバスケは敵との接触が激しく、ひょろ長い宇宙人はポイントゲッターとして激しいチェックを受ける側だったからだ。
ではバレーボールをやればよかったのでは? いや3D映像を認識できない宇宙人は動体視力も弱いからねえ、高速で飛んでくる球とかよく見えないのだよ。バスケの球は重いからぶん投げてもそう速度は出ないが、野球の球なんてバットにかすりもしないし、スキーやスケートなどランニングを超えるスピードの出る競技もだめ。車の運転も高速に入るのが怖い。徒手空拳の人力を超えるスピード競技やマシンがだめなのだ。その点合気道は良かったよ。どんな達人でも速度的には人並みだから。


合気道といえば、先日学校で合気道のデモンストレーションがあった。一応黒帯に袴をつけた指導員が二人と、その生徒の高校生男子四人が校長に招かれて、まだ寒くなる前の戸外に畳もどきを敷いて受け身や技を披露したのだが、まあ黒帯には相当しない指導員たちであった。子供たちは年季が浅ければこんなもんだなと思ったが、「気」については指導員も体得しておらず、外国人にありがちな、見た目の表面的理解が全てだと思っているような、日本の本部からお情けで黒帯をもらったに過ぎない典型例であった。
日本の武道場というのはよくそういうことをする。宇宙人の所属していたクラブもそうだった。どう考えても白帯2級止まりの実力なのに、帰国するからといって無理やり初段を与えたりする。免状による収入もあるが、大した額ではない。ああいうことをするから武道の本分を置き忘れたまま、形だけの武道もどきが世界に広まってしまうのだ。五輪柔道を見給え。攻撃しなければ反則負けするルールなど武道の精神にあっただろうか。


20年前のロシアとエストニアを思い出したよ。滞在当時運動不足解消のために現地の道場を探して稽古に参加させてもらったが、思いっきり腕力で投げてる指導員を見て幻滅し、通わなくなった。合気道は文字通り気を使って投げる体術なのであり、力をいかに排除するかが稽古の眼目なのであるが、正しく伝わっていない。まあ日本人にとっても気についての意識転換は難しいのだがね。かように間違った指導員の指導によって生徒たちも間違った日本文化を体得していくのが不快だったし、腹立たしかった。20年経っても、外国人による勘違いとその間違った普及、それに対する宇宙人の憤りは変わらぬのであった。
しかしここキルギスのまがい物度はまた格別のような気がする。先述した通りこの国の国民性はいい加減で、決して悪意や怠惰のせいばかりではないのだが、自分が発した言葉に対する責任が極めて希薄である。それが他の途上国の印象と違って見えるのは、ロシア語に押された母国語が関係しているように思われる。以下考察。


ロシア語と同じキリル文字で表記されるキルギス語には、ロシア語には存在しない特殊文字がいくつかある。それだけ発音が複雑なのだが、あの早口で知られるロシア人さえ「キルギス語の連続子音は聞き取れない」とぼやく程の高速緻密発音を誇る。だからキルギス人は非常に耳がいい。日本語の歌なんかもすぐ覚える。
そんなキルギス人にとってのロシア語の難敵はやはり文法だ。ロシア語文法の奥深さについては既に述べたが、公用語として小学校から学ばねばならないロシア語は、生活用語ではあっても表現用語ではない。だから文学作品を楽しむレベルに達しないまま教育を終える。この国の本屋は多分首都にしか存在しておらず、読書はごく一部の人間の道楽といった扱いだ。
一方キルギス語はそもそも文語がない。歴史的に有名な英雄叙事詩を持っているが口承文学であり、近代文語としてキルギス語が発展する前にロシア語が普及してしまった。ロシア語の複雑な構文と語彙の多さにキルギス語はついていけないから、ロシア語の多くがカタカナ・ロシア語となってキルギス語に組み込まれている。だから優れた文学作品が生まれてこないのだ。生まれたとしても読者は育っていない。需要がない。だから本を読まない。本好きの宇宙人にとっては苦しい環境である。


宇宙人が残念に思うのは、例えば高いレベルの日本語を習得している職場の同僚が、自分の子供をロシア語だけで教育していると聞いた時だ。本人はキルギス人なので母語はキルギス語なのだが、夫がロシア人ということもあり、家庭内はロシア語一本だという。むしろそれを積極的に行っており、母語が消えても構わないというスタンスだ。通常、国際結婚の夫婦では妻の言語が第一母語として自然に子供に受け継がれるものなのだが、敢えてそれを拒否しているのが不自然に映る。よもや宇宙人の耳にとって美しい響きではないキルギス語が、キルギス人当人にとっても疎ましく響いているわけでもなかろうに?

もっと不愉快な家庭もあった。宇宙人が引っ越し先を探していた時に訪問したステイ候補の家庭では、その子供たちに宇宙人が日本語か英語を教えるという条件を出してきた。家賃無料ならいざ知らず、ちゃんと下宿代を払うのになぜ更に労働を要求するのか? こういう家庭は二件目だったのでキルギス人主婦の典型的図々しさだと確信しているが、この主婦曰く、「キルギス語やロシア語はどうでもいいのよ」。母国語と公用語がどうでもいいとは何事だ。特にロシア語などブロークンなレベルで停滞したまま平気で何十年も暮らしているくせに。本も読まずにどれほどひどいロシア語で話しているか判っているのか。単なる地方訛りのレベルではないぞ。こんな家庭で暮らすのは無論御免こうむる。


そこで気付いたのだが、キルギス人は自分のロシア語のレベルが低いことに自覚がない。そして恐ろしいことに、当地に暮らすロシア人もすっかりそれに慣れ切って、おかしなロシア語を相手が話していても何を言っているのか想像できるので、文法や発音の誤りをいちいち正したりはしない。
その結果、ロシア本土とはまた別のキルギス・ロシア語と呼ぶべき新言語が長年に亘って幅を利かせ、正統ロシア語と比較するとその文法的いい加減さは際立っている。あたかも「いい加減さ」そのものが当地の正しいロシア語であるかのように。そしてそのいい加減さの根底にはキルギス語があり、果てはキルギス人の国民性なり精神文化なりがあるのである。そうしたいい加減さ、無責任に対する無自覚、いい加減でも通るんだという習慣認識が、上述の合気道の例をはじめとするまがい物感溢れる日常生活に反映されている、と宇宙人は見ているのであった。

まあ当地でこういうことを気にして論じる外国人が他にいるとも思えぬが、もしかしたらフィリピンとか英語圏の、或いはフランス語圏の旧植民地にも同様の事態が起こっているかもしれないね。考えたくないのは、中国の植民地となりつつあるチベットやウイグルだ。母語を排除されて中国語をその文化と共に、更に「いい加減に」取り入れたら、その国の精神生活はどれほどグダグダになるであろう。キルギスのロシア人は首都を見る限り、旧支配階級として背筋を伸ばし颯爽としているが、中国人と「颯爽」って全然マッチしない言葉だ。要するに美徳のない支配階級である。美徳どころか悪徳ばかり。チベットとウイグルの今後の精神文化を憂う。


by hikada789 | 2019-11-06 11:14 | 宇宙人@キルギス | Comments(0)