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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

文化がないって辛いのよ (No.1289)

新型肺炎コロナウイルスに対する措置として各国が渡航制限の輪を広げる前に、地球人の友人が何十年ぶりかで海外旅行に出掛けた。行き先はグアム。キルギスの色彩乏しい田舎町に暮らす宇宙人には何とも色鮮やかで開放的な響きがあり、羨ましく感じた。宇宙人とて海外にいるのだが、隣の芝生は青く見えるもの。そもそもキルギスの観光目玉は四千メートル級の山々に囲まれた大自然であり、冬の今はオフシーズン。大自然を満喫するには夏まで待たねばならぬ。夏、グアム、海、先進国のファシリティ。いいなあ。友人には心浮き立つ画像の送付を頼んで帰国を待った。しかし帰国した友人の感想は「もう海外はいいや」だった。何がお気に召さなかったかというと、米国領土につきメシがまずかったというのは仕方ないとして、なんとなんと「文化がない」ことだった。さすが我が友人なのだ。

リゾート地であるから、どちらかと言えば頭を働かせなくていいぐうたらな時間を過ごしたい人向けに島全体が作られている。しかし友人としては子供たちが海水浴ではしゃいでいる間に、海辺の木陰で優雅に読書でも楽しみたかったらしい。せっかく米国にいるのだから英文の本でも買おうとショッピングモールに出掛けたが、まともな本屋がそもそもないことに落胆する友人。ほらほら、宇宙人の町にも本屋がないし、キルギスは首都でさえ本屋は数軒しかないのだよ。本が買えないこともガッカリだが、それ以上に本を読む習慣のない人々の暮らす社会というのが何より身にこたえるのだ。いくら電子図書が普及したといっても中高年にはまだまだ紙の本の需要があるし、リゾート地の自然の中で充電を気にするのも味気ない。だから需要があれば本は現れる。しかしそこに本はなかった。需要がないからだ。

本が売っていない空間というのは、文化に対する関心のない空間であり、それは民度の低さにつながっている。とはいえグアムの弁護をするなら、グアムは植民地であるから英語は母国語ではない。日常生活と義務教育で英語を身に付けてはいるが、英語圏の文化はそもそも外国文化であり、骨の髄まで浸透しているわけではない。グアムの文化とは原住民の独自の文化のことであり、そこに我々の感覚で言うところの文字文化はなかった。そんな彼らが外国文化の象徴である英文書籍をわざわざ買いたがらなくとも、不思議はない。
この状況はキルギスも全く同じで、キルギスでは英語ではなくロシア語だという違いだけである。勿論キルギス人でも知識人レベルなら、自らロシア語で執筆するだけの文章力や文学作品を鑑賞するための読解力を持っているが、多くの一般市民はそうではない。歴史的にも識字率の極めて低い地域であったため、読書という行為自体が尊重されない風土なのである。宇宙人ももう何度も経験したのだが、キルギス人に趣味を尋ねられて「読書です」と答えると嫌な顔を向けられる。これがキルギス人の一般的反応なのである。しかしこっちはこっちで知的関心のない人種とは相手が何ジンであっても付き合いたくないので、「本好きでない人とは話が合わないので、そういう人は紹介しないで下さい」と釘を刺しておく(そして相手を凍らせる)。でないと下らぬ人間と大してうまくもない食卓を長時間囲まねばならなくなる。これは避けたい。ストレスにしかならぬ。

友人のグアム観としてはもう一つ、植民地としての悲哀があった。それは列強による征服時に流血の事態が生じたとかいう昔の話ではなく、原住民が外国による支配を受けることを歓迎しているという現在の話である。植民地になった後の方が、その前の独立状態よりも経済状況が良くなったからだ。リゾート開発による観光収入が彼らの収入のほぼ全てとなった今日では、米国様様なのである。
こうした人間の態度は、友人の目には哀しく映ったのであった。独自の文化を自らかなぐり捨て、リゾート開発業者に先祖の土地を売り渡し、米国人と観光客に媚を売ることでカネを稼ぐ。これが哀しくなくて何であろう。まるで美しく着飾って客にもてはやされながら、一生を廓の中で暮らす遊女ではないか。そこに自立した人間の尊厳はなく、知的文化も本もありはしない。知的文化とは、自立した人間の尊厳とは何かを論じる手立てなのである。民度の低い集団では、そうしたテーマは論じられない。これはキルギスも全く同じである。

宇宙人や我が友人は、本の有無を通じて知的文化の有無を、ひいては人間の尊厳の有無を量っているのである。そしてその欠落を哀しく感じたり、憤ったりしているのである。まあ憤っているのは宇宙人だけだけど。なぜって滞在期間が長いからだ。身にこたえているのだよ、知的欠落の自覚のない人々との交流が。なにせ『坊ちゃん』状態だからね。たった数日グアムにいただけの友人でさえ「もういいわ」と言っているくらいなのだ。友人は自分の喜びが奈辺にあるかを考えた結果、職場の近くにある丸の内の丸善で本を探しながらカフェすることだという結論に至った。ああ素敵。宇宙人もしたいよ。でも宇宙人の前途にはまだ5か月もある。うう、苦しい。友人らよ、この苦痛を判ってくれなのだ。そしてまた憂さ晴らしのスカイプ対談を企画してくれなのだ。

by hikada789 | 2020-02-09 14:21 | 宇宙人@キルギス | Comments(0)

by 土星裏の宇宙人