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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

アフガニスタンの復興に半生を捧げた中村哲医師が先日、銃撃を受けて亡くなりました。73歳でした。私は数年前にドキュメンタリー番組で中村医師の活動を知り、奇特な人がいるものだと感銘を受けました。非常に残念です。ご冥福をお祈りします。
その活動内容の詳細や功績は各自調べて頂くとして、大まかに言えば、医師として現地の医療支援を始めたら、そもそも清潔な水がないことを知り、その解決のため各地に井戸を掘り、やっと水が確保できたと思ったら今度は栄養不足が問題だと気付き、その解決のために灌漑を整備して農業を教え、獲れた作物で栄養を補強することから経済的自立まで教え、気が付いたら弘法大師かマザーテレサのようになっていた。そういった活動をした人でした。

アフガニスタンといえば世界の最貧国として長年の不名誉に甘んじ、その復興を妨げるテロ事件はもはや日常茶飯事です。ソ連軍によるアフガン侵攻はもう40年も前の1979年。その十年後に軍は撤退しましたが、数年後に襲ったソ連崩壊は、このアフガンでの泥沼のゲリラ戦によるソ連兵士の甚大な被害と莫大な戦費が、時の政権の求心力を失わせたことにより引き起こされたと考えられています。
そのソ連軍が撤退したアフガンには、地雷を埋め尽くした大地と焼き尽くされた禿山が残り、そこに芽吹いたのは近代化の悪徳を呪う復古主義でした。時代を逆戻りしたため社会インフラは江戸時代まで後退し、国民生活は医療どころか飲み水にも事欠く水準にまで落ち込みました。

そういう国情の地域に中村医師は乗り込み、非業の死を遂げるまで留まり続けたのです。彼の掘った井戸の数は千を超え、水の流れる大地には農耕の緑が広がりました。まさに現代の花咲爺さんです。凡人のできることではありません。彼の活力と英知、人道支援という献身はどこから来たものなのでしょうか。
今回の余話は、そんな中村医師の稀有な人生とその宿命を見比べてみます。

(この続きは「フォークN」と「パブー」に公開しました。副題は「壬騎龍背を考察する」です。「算命学余話 #R116」で検索の上、登録&冷酒1杯分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

# by hikada789 | 2019-12-13 01:16 | 算命学の仕組 | Comments(0)
b0214800_22351331.jpgキルギスの蜂蜜といえば美容効果が高いと評判のホワイトハニーだが、専門店でしか見かけないブラックハニーなるものを遂に購入した。画像はその白と黒の比較。どちらも粘度が高くスプーンを逆さにしても落ちてこない硬さだが、黒の方が3割ほど値段が高い。そして黒は「薬と思って朝晩ひと匙ずつ以上は摂取しないで下さい。普通の蜂蜜のように沢山食べると害になります」との注意事項が添えられる。どんな味がするのかというと、何となく薬臭いというか、独特の風味、クセがある。とはいえ当地で健康を維持するために宇宙人の蜂蜜購入量は増えているので、様々な種類の蜂蜜を試しているうちに、産地や花の種類によって風味やクセがそれぞれだということが判ってきた。何も黒ハニーだけが特別ではない。これはちょっと苦手だなあという普通の蜂蜜にも遭遇したし、ジャムの材料となるフルーツとのミックスハニーも試してみた。でもやっぱり蜂蜜単独の方がおいしい気がする。

ともあれ宇宙人にとっての蜂蜜は健康食品なので、甘いものが欲しくなったらなるべくカンフェートゥイ(キャンディ包みのチョコ類)より蜂蜜を摂るよう心掛けている。いや、それでもカンフェートゥイの世話にはなっているよ。持ち運びに便利なのでカバンに忍ばせて、血糖値を上げたい時にポリっとかじるのだ。血糖値を上げたい時とはいつか? 決まってんだろ、幼稚なキルギス人との付き合いにゲンナリした時さ。いや、キルギス人だけではないぞ。当地のロシア人もかなりアウトであることが判ってきた。そりゃそうだ、人口の1割に過ぎないロシア人が9割のキルギス人に紛れて暮らせば当然影響される。

今日なんか、こんな額に青筋事件があった。冬休み前の学芸会に向けて日本の歌を生徒らに仕込めというので「きよしこの夜」をあるクラスで仕込んでいたら、丁度担任の先生(ロシア人)が英語の先生だったので、3番あるうち最後の一本を英語で歌わせようということになった。すると休憩時間中に打ち合わせたいから来てくれと言われ、クラスに赴いてみたら、「生徒たちは今回の歌は難しいのでやりたくない、代わりに去年覚えた『さんぽ』(となりのトトロ)にしたいと言っているからそうしてくれ」と先生に言われた。
「悪いけど、『さんぽ』はもう別のクラスが歌うことに決まっているから変更は無理だ」と答えると、
「でも生徒たちは『さんぽ』でないなら歌う気がしないと言っている」という。額に青筋を一本立てる宇宙人。
「じゃあそのクラスとこのクラスを一緒にして舞台に出せばいいのでは?」
「それはだめだ。せめて伴奏にする曲(YouTubeから拾ってくる)に違ったアレンジのものを使って、個別の舞台にしたい」
「いいよ、『さんぽ』は純日本の歌だから私がYouTubeでさくっと探し、あなたにメールするから、あとのアレンジはあなたがやりなさいよ」
「いや、それだけでは不十分なので、フリとかいろいろアレンジをこれから…」

野菜不足で気が短くなっている宇宙人、額の青筋が枝分かれしたところで英語教師を一括する。
「そもそも私は歌なんか反対なんです。こんなこと学期末に毎回やってるから授業が進まないんです。生徒らが歌いたくないっていうなら歌わなくていいですよ。歌の練習の代わりに通常の授業をしますから、その方が勉強がはかどります。学芸会なんてクラスごと欠席させなさい。こんな馬鹿な話に時間を割くことの方が愚かしい。こんな話をしている暇があったら単語のひとつでも覚えさせるべきです。あなたも教師なら、たかが小学生のわがままに付き合ってるんじゃないよ。彼らの意見に何ほどの意味があるというのです。ただの気まぐれと怠惰だけじゃないですか。生徒の声にいちいち反応するな。教師が決めて、それを生徒がやる。やりたくなければ学芸会を欠席させろ。誰も困りはしない。」
気の毒な若い英語教師は、よりによって外国人の宇宙人にロシア語で言い負かされて、しかし勝ち目はないと見たらしく、
「ではどうするのが一番いいとお考えですか」
「『きよしこの夜』を最初の取り決め通り歌えばいい。変更はなしだ。もう変更するほど時間はない。「できない」という奴らは放っておけ。全員ができないというのなら、このクラスの出場はなしにする。以上だ」

まあ宇宙人は決断が早いよ。ブレない人だからね。一般に日本人は大人しくて強く意見をしないと当地でも考えられているようだが、相手が宇宙人ではね。このやり取りを遠巻きにして聞いていた生徒たちも呆気にとられていたから、今後は授業がやりやすくなるかも。キルギス人は総じて我慢が足りず、学級崩壊が日常化しているような有様なので、効果が期待できるのなら脅しもありだ。
加えて、キルギス人は決断力がない。日本人よりない。誰かが「こうしよう」と言ってくれない限り、いつまでも「合議」もどきの堂々巡りをして時間をドブに捨てている。だから物事に進捗が見られないのだ。そしてこうした環境に長く暮らしたロシア人もまた、キルギスナイズされて決断力を失っている。本土のロシア人はそれほどもたもたしていないし(堂々巡りすることはあっても、決断を避けたいからではない)、西欧寄りのキャラだと言いたいこともはっきりきっぱり言う方だ。ここのロシア人とは随分違う。そしてキルギス人の決断力のなさがどこから来ているかといえば、それは例によって「幼稚さ」からである。なにせ父親の許可がなければ飲酒も喫煙も始められないようなお国柄なのだ。決断は誰かがやってくれるもの。そしてその人が決断の責任を取ってくれるもの。そういう姿勢が自立を阻み、たかが小学生のわがままに振り回される大人を生むのである。
こういう同僚と付き合っているので、宇宙人は血糖値を上げねばならぬのだ。今日も黒ハニーと白ハニーとカンフェートゥイの世話になって、疲れた心身を慰めるのだ。

# by hikada789 | 2019-12-10 22:40 | 宇宙人@キルギス | Comments(0)
作家の佐藤優氏は特別講師として大学で教鞭も取っているが、昨今の学生とのやり取りは専らEメールかLINEだそうである。我々の世代にはなかったこうした社会インフラは便利ではあるが、その利便性を通して学生の出来不出来が見て取れるという。学生が大学講師との連絡手段としてPCを使っている場合はメールで返信が来る。一方スマホの場合はLINEやショートメールで来る。するとPCを使って返信している学生の方が圧倒的に成績が良いことが判った。
佐藤氏の分析によれば、Eメールは着信して2~3日放っておいても相手は気にならない。PCを常時開いているわけではないことを知っているからだ。しかしLINEやショートメールだと既読後の返信を急ぐ慣習がある。スマホはPCと違って常時スタンバイだからだ。そのため、LINEやショートメールで返信する学生というのは既読・返信に時間を取られ、何か作業に取り組んでいる最中であっても中断するのに慣れてしまい、物事に集中するという訓練ができない。その結果学習の質も下がり、それが成績に反映されるのだという。なるほど。
宇宙人は佐藤氏より一回り下の世代だが、学生時代は勿論メールもLINEもなかった。教授と顔を合わせるのは授業中だけだったので連絡が密だったとは言い難いが、図書館で集中して学習する時間はたっぷりあった。また私の世代だと就職後に職場にPCが普及した頃なので、現在でも同世代とのやりとりはEメールが主流だ。今時の若者はLINEしかアドレスを持っていないので、知り合いになっても連絡先を交換しないことが多い。しかし佐藤氏がかように分析しているのを聞くに、メールアドレスを持たない若人とは別に交流しなくていいかと思う。

メールといえば、最近の日本人は基本的に電話をしなくなった。大体文字メールで打診して、回答も文字である。これは昨今の人間関係の希薄さの表れと嘆く声もあるが、実際は電話が相手の作業を中断させる迷惑を考慮しての心遣いである。誰かと会話が弾んでいる最中に掛かってくる電話というのは話の腰を折るし、料理中とかでもタイミングがよくない。文字メールなら返信を後回しにできる。電話をしたがるのは今や文字の打てない老人くらいである。
さてスマホの普及しているキルギスでは、老若男女が電話好きである。こちらが文字メッセージを送っても返信はなかなかこない。何日も来ない場合もある。なので確認を急ぎたい場合は、それほど重要な内容でなくとも電話することにしている。当地の日本人もこういう習慣に馴染んでいるようだ。とはいえ電話代もタダではないので、各通信会社は同じ会社と契約している相手との通話を無料にするなどして、顧客確保に勤しんでいる。それでも宇宙人は電話で長話などしないけどね。佐藤氏の分析通り、電話は後回しが利かずに時間を取られる。電話ばかりしている人ははっきりと賢くない人であるとの認識である。

さて首都に出る用事のついでに例によって本屋に立ち寄る宇宙人。読書習慣が一般的でない当地の数少ない本屋は、実は商品の回転が速い。要するにすぐ売り切れるので、気になったらその場で買う方があとあと予約の面倒がなくていい。昨日も予定になかった本をうっかり購入した宇宙人。この本は以前からハードカバーのに目を付けていたのだが、昨日はペーパーバックが二冊出ていたのでひっ捕まえた。ハードカバーの約半額なのだ。
宇宙人の目の付け所は、以前の記事に書いたように本屋の頼れる兄ちゃんの情報がひとつと、もうひとつは本の表紙に書かれた受賞歴である。大きな文学賞の受賞作であるとか最終選考作品であるとか、その作家であるとかが宣伝文句として表示されているので、それを目掛けて手に取る。裏表紙には作品のあらすじや作家のプロフィールが書かれているので、そこでピンと来たら迷わず買うのである。手に取って裏表紙の情報を読んでいると、昨日は兄ちゃんではない別の姉ちゃんが寄ってきて、「それおススメですよ」と声を掛けてきた。私は初対面だがどうやら兄ちゃんから私の事を聞いていて知っている感じだ。宇宙人、もはやこの店のネギカモ客なのだ。まあいいさ、楽しい買い物なんだし。
こうしたロシア語小説をどうするかといえば、勿論辞書を使って読むのである。その辞書とはオンライン辞書である。辞書として使い勝手はよくないが、露和辞典を持参しなかった宇宙人にはこれしかない。宇宙人のスマホ使用時間の大半はこのオンライン辞書である。お蔭で使用限度を超えて課金が生じているくらいだ。まあいいさ、有意義な使用方法なんだし。

# by hikada789 | 2019-12-08 10:53 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
モノづくりの意欲の乏しいキルギスには「カワイイ」と日本人が安易に発するような小物も乏しい。日本で年頃の女の子が無駄なほどジャラジャラ提げているストラップ類やデコ用品はもちろん、誕生日のちょっとした贈り物など、気の利いた商品は見当たらない。売ってはいるが購買意欲はそそられないセンスや作りである。かような環境にあると目もカラーレスな日常風景に馴染んでしまい、たまにネットで日本の雑貨やハンドメイド作品展示などを見ると、眩しさに目がくらむ。友人が送ってくれたクレーアートのスィーツストラップなんか、日本にいたら「へえよく出来てるね」くらいにしか思わないだろうが、殺風景な当地に馴染んだ目で見ると高価な精密アート作品に見えるから驚きだ。
b0214800_11172703.jpgそんな当地で宇宙人が購入した「気の利いた小物」は右の画像の手鏡である(リップスティックはサイズ比較用)。ロシアの有名な白樺細工で、キルギス製品ではない。レザーカービングによく似たデザインや風合いだが、レザーより軽くて柔らかい。レザークラフトをやる宇宙人には親和性のあるグッズなので土産と実用を兼ねて買ってみた。結構手間ひま掛かっている割にはすごく安い。日本のロシア雑貨通販では十倍の値段がついているから、宇宙人の友人の皆様のご要望があれば土産として買っていきますのでお知らせ下さい。キルギス製の土産は今のところ、ウールの靴下か蜂蜜くらいしか思い至らない。
そんな気の利いたセンスのロシア雑貨を堪能できるバザーや本屋のお知らせです。興味を惹かれた方は覘いてみて下さい。ロシアテイストのクリスマス演出にも一役是非。

(1)東京ロシア語学院 学院祭(バザー)
ロシアの映画や音楽、ロシア語劇などを上演する学園祭。模擬店としてロシア物産や民芸品、書籍、カフェが並ぶ、ちょっとしたロシア・フェアです。入場無料。12月7日(土)~8日(日)。最寄り駅は経堂駅。

(2)タバネルブックス
古本から現代作品まで扱うイラスト・アートブック専門店。ロシア・東欧の絵本などが豊富。先月オープンしたばかり。現在の営業時間は水~土曜。東急池上線石川台駅より徒歩5分。

# by hikada789 | 2019-12-06 11:18 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
クリスマスの季節が近づいてきました。クリスマスは本来キリスト教徒の宗教的イベントであり、日本の文化とは関係がありません。その日本でクリスマスが広まったのは商業的利益のためです。クリスマスの装飾や食卓、音楽や各種イベントはきらびやかで上品だし(少なくともハロウィンよりは)、プレゼント交換もあることから、大人から子供まで楽しむことができ、財布の紐も緩みます。日本固有の文化である正月に並んで経済効果が高く、経済人はこういう年間行事を廃れさせるわけにはいきません。だから毎年あれこれ趣向を凝らして商品やイベントを更新するのです。
逆の見方をすれば、経済効果のない年間行事というのは衰退を余儀なくされます。この世に陰陽があるように、物事には発展と衰退がある。クリスマスやハロウィンといった外来の行事が幅を利かせると、相対的に日本の伝統行事が勢力を弱めます。節分や雛祭り、端午の節句、七夕などはまだ生きていますが、五節句つながりでは重陽の節句はほぼ姿を消しました。季節柄、栗ご飯を食べるくらいしか一般向けの形態としては残っていません。(まあ五節句自体が平安時代に中国から輸入した風習ではありますが。)

なぜ重陽の節句だけ消えたかを考えるに、どうも子供が関係しないことが原因のようです。重陽の節句は9月9日に邪気を払うために菊酒を飲んだり、菊を鑑賞して詩を詠んだりといった、平安貴族が好んだ大人のイベントでした。今でも華道の世界では重陽の節句は重要ですが、それは菊の花が関係しているからです。
現代は花屋に行けば菊以外の花も買えますし、バラとかランの方が華やかで人気です。つまりまず菊の人気が外来種によって下火になった。次いで酒は大人の飲み物だけど今はワインもシャンパンもあるし、即興で詩を詠める教養人もいなくなったし、ということで大人もやらなくなった。そもそも子供向けイベントでもなかった。豆撒きのようなアトラクションもないし。子供が喜ばないなら親も敢えてやらない。すると経済効果もない。だから廃れた、ということではないでしょうか。

親が子に注ぐ費用は膨大で、他の出費を抑えてまでもここへ注ぎ込もうとする。親の愛情としては健全ですが、子供の将来を考えるのなら同時に忍耐をも教えるべきです。子供の要求するままに何でも買って与えるのは、商業主義にまんまと乗せられた親馬鹿のすることです。商業主義は禄ですから、禄に強く支配される人は考える力(印)を弱めます。子に対する親の愛情は本来無償でなければならず、これは印の愛です。しかしその無償の愛が商業主義に支配されてしまっては、本末転倒です。禄に惑わされない親の愛とはどういうものか、せっかくの年一回のクリスマスを機会に考えてみて下さい。(『算命学余話#R110』参照)

ところで、肝心のクリスマス当日である12月25日は、キリストの誕生日ではありません。この日はキリストの誕生日を祝う日だというのに、キリストの誕生日は実は不明なのです。ではなぜこの日がキリストの誕生日として世界に知れ渡っているかというと、まあ商用が始めだったとは言いませんが、キリスト教を利用したい政治的思惑の結果だと思われます。なにしろキリスト教は、気にくわない奴に異端者のレッテルを貼って火炙りにしてきた乱暴な宗教です。人民を支配するために、不明のままだったキリストの誕生日を適当に設定することなど何でもなかったでしょう。
なおなぜ12月25日にしたかといえば、この日は元々西洋にあった冬至祭りに当たっています。キリスト教以前の当地の土着宗教が、春の訪れの最先端である冬至を祝って雪の屋外に針葉樹を立てたのが起源です。これが現在のクリスマスツリーの原型であり、大して寒くもない中東出身のキリストとは何の関係もありません。そもそも土着宗教の祭りを上書きするようにキリストの誕生日をバッティングさせるという行為が、マウンティングのような邪な意図を感じさせます。
土着宗教の痕跡を消し去るために敢えてこの日をクリスマスにしたという動機を考えれば、西欧人ご自慢の「文明性」にも大いなる疑いの目を向けなければなりませんし、日本の文化とは何の関係もないこうしたクリスマスを日本人が無邪気に祝ったり騒いだりする世相に対しても、距離を取って冷静に見つめる態度が求められるでしょう。

さて今回の余話のテーマは、こうした視点を踏まえて、宗教と学問についてです。こう聞くと堅い話と思われるかもしれませんが、算命学の学習者の中には、算命学を宗教のように信奉している人がたまに見受けられます。算命学の実践が占いであることから、そういう方面に流れていくのもやむなしとは思いますが、本来算命学はその名の通り学問なのであり、陰陽五行で宇宙の様相を解き明かそうとする思想科学です。或いは、暦の作成のために天体観測もしていますから、自然科学と言ってもそう外れてはいませんし、「人はなぜこの世に生まれてくるのか」という永遠の命題に取り組んでいることを考えれば、哲学という括りにもなります。とはいえ、世間一般の自然科学や哲学とは何となく一致しないような印象もまた拭えません。
算命学は宗教ではないので信仰の対象にはならないし、うっかり信仰すると却って目が曇ります。では算命学を追求するとはどういうことなのか、どういう姿勢で臨むべきなのか。そういった「算命学に対する心構え」の話をします。

(この続きは「フォークN」と「パブー」に公開しました。副題は「算命学の目的」です。「算命学余話 #R115」で検索の上、登録&抹茶ラテ1杯分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

# by hikada789 | 2019-12-04 22:30 | 算命学の仕組 | Comments(0)