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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

カテゴリ:算命学の仕組( 292 )

友人の医師からこんな医療現場の話を聞きました。不眠症に苦しむある患者さんが、睡眠薬の処方を求めて診察にやって来た。しかし今日では睡眠薬は認知症の原因の一つになっていることが判っており、医者としては勧められない。そう伝えると患者さんは、「アタマおかしくなってもいいから私は眠りたいんです!」と訴えて、容易に引き下がらなかったというのです。
実に切実な心の叫びです。この人にとっては将来の認知症より、眼前の不眠症の方が忌まわしい事態だったのです。目先の利益を優先している、と笑うわけにはいきません。我々人間はいまを生きているのであり、いまをクリアできなければ将来も何もないのです。

とはいえこの話を聞いた時、私は不謹慎にも快く笑いました。この患者さんの正直さが、世間一般が支持している通説を押しのけたからです。つまり認知症は万人が忌避したいはずのエース級の病だという固定概念を、認知症になる前に不眠症で死ぬかもしれないという恐怖、或いは単に眠ってすっきりしたいだけといった矮小な生理欲求が凌駕したという事態に、眼前の課題に真摯に取り組む人間本来の活動姿勢を見出したのです。
どうして将来罹るかどうかも判らない認知症のために、いまの苦痛を耐え忍ばなければならないのでしょう。どうして生きているかどうかも判らない老後のために、現代人は保険やら資産運用やら、果ては年金やらに財産を注ぎ込んでいるのでしょう。いまここで忍耐しさえすれば、その対価は必ず将来手に入ると、一体誰が保証しているというのでしょう。それほど現代医療を、営利企業を、国家を、行政を、信じるに足りるだけの証拠を、我々は充分に並べることができた上で、その取引に応じているのでしょうか。実際はよく調べもせずに、社会の風潮や根拠の希薄な意見、言葉巧みで無責任な宣伝に安易に流されているだけではないのでしょうか。

まあ睡眠薬について言うならば、これは算命学者としてあまりお勧めできない解決法です。睡眠薬に限らず、薬物とは適度に使うからこそ健康に有益なのであり、濫用すれば逆に健康を害します。一回や二回といった限られた分量の処方で治るのなら、その薬は解決法として正解ですが、恒久的に服用が必要ともなれば、もはやそれは処方が間違っているのです。いくら服用しても治りはしないし、逆に人体の正常な回復機能を歪めていきます。
こういう病は結局薬では治らない。ではどうやって治すかといえば、生活習慣を変えるしかありません。食事が悪ければ改善し、部屋の空気が悪いのなら清浄にし、衛生環境が悪いのなら向上させ、ストレスがあるなら転職や引っ越しをする。家族が原因なら家を出る。山に行く。外国へ行く。いつもと違う顔ぶれと会う。趣味や交際を広げる。或いは引き籠る。何でもいいです。病気の原因となっているものと疎遠になれれば。
薬を飲んで一時的に症状が緩和されたところで、病気の原因がそのままではまたぶり返します。それよりも病気の原因そのものを取り除いた方が近道ですし、根治療にもなります。算命学にはこうした病気の原因を突き止める手立てがいくつかあるので、薬物に頼る前に宿命を探ることは意義があります。
病気になったらまず医者に相談するのは正解ですが、勧められた治療を始める前に、自分がその処方に納得しているかどうか、充分考慮した上で踏み切ったものかどうかくらいは、明確にしておくべきです。もし心が疑いを差し挟んでいるのなら、治療を断る勇気も必要になるでしょう。医者とあなたは違う人間なので、医者の最善があなたの最善だとは限らないからです。それがあなたの最善かどうかは、あなたの本能に訊いた方が確実です。その本能さえイカレてしまったのなら、もう先は短いのだと覚悟を決める時なのです。

冒頭の話に戻りますと、「将来の安泰より目先の利益」と言われると深慮の足りない浅はかな人間のように聞こえますが、この場合の「将来の安泰」が本物かどうかも判っていないのに目先の利益を無視するのは、やはり同様に深慮不足というものです。
例えば住宅などの長期ローンや長期間払い続ける保険料。高齢化社会における年金問題。近代の学校教育。昨今の話題としては遺伝病に対する断種という思想。LGBTの非生産性云々発言。いずれも将来はこうなる、という前提で話が進められているものですが、その将来とは本当に疑いなく、一分の狂いもなく予測通りにやってくるものなのでしょうか。科学技術が発達したと言いながら明日の天気予報さえ外している現代社会に生きる我々は、描かれた将来のために今の苦痛を我慢することを是とするべきなのでしょうか。もしかしてそれは誰かが仕組んだ罠かもしれないと、疑う必要はないのでしょうか。
今回の余話はこうしたテーマについて考察してみます。例によって鑑定技術の話ではありませんが、「未来を予知するためのツールではない」と銘打っている算命学の思想面の理解を深めるための内容です。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「過干渉の時代」です。「算命学余話 #R86」で検索の上、登録&豆菓子一皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

by hikada789 | 2019-01-19 01:37 | 算命学の仕組 | Comments(0)
食糧豊富な自然環境に暮らすアマゾンのある先住民族は、男性が競争的で雄弁、勇敢、虚勢を張る(つまり嘘つき)という特徴があるそうです。この場合の嘘つきとは、「提供できるリソースをあたかも多く持っているかのように」振舞うという種類のものです。また同時に乱婚でもあり、両親は乳離れした子供の世話をせず、放置された子供は自活する方法を自ら迅速に身に付けて大人になるといいます。食糧の手に入りやすい環境がそれを可能にしているのです。
一方、カラハリ砂漠に暮らす某民族は食糧調達の厳しい生活環境に置かれているため、人々は互いに協力するのが良いという価値観で生きています。狩りは共同で行い、その成果は平等に分配され、嘘は厳しく禁じられる。嘘による混乱は自らの生存を脅かすので忌避されるのです。また婚姻は一夫一婦制であり、配偶者は慎重に選ばれます。子育ても一族で行い、子供の親への依存度は高い。食糧が乏しいため、子供に対する投資は相対的に大きくなり、それ故に出生率も低く抑えられています。そうした環境下では、互恵利他主義が各人に徹底されます。

これは以前『算命学余話R43』でちょっと取り上げて腐した中野信子著『サイコパス』からの引用です。この部分については傾聴に値すると感じたので拝借しました。これは民族研究のフィールドワークから得られた実例報告なので、これをどう分析するかはともかくとして、食糧の豊かさ・貧しさが人間の価値観を左右しているというシンプルな因果関係は大いに納得いくものがあります。

時代は平成の世も最後の年となりました。日本国皇室は男系の伝統を守り続けてきましたが、当面もとりあえずこの伝統は維持できそうです。しかしほんの数年前は皇室に男児がなく、女性天皇を認めるかとか、いっそ側室制度を復活させるかとかいう議論がなされました。こうした議論が以前の皇室になかったのは、皇室の伝統が一夫多妻だったからです。要するに子供が生まれなかったら、健康そうな側室を迎えて子孫繁栄に努めれば良かったわけです。
かといって日本全体の伝統が一夫多妻だったというわけではありません。いくら子供が欲しいからといっても、大勢の妻たち子供たちを養う経済力がなければ一夫多妻はそもそも成り立ちません。つまり冒頭のような「食糧豊富な環境」になければ、多くの女性を娶って無制限に子供を儲けるという行為は自殺行為になるのです。従って一般庶民にとっては一夫一婦が相応しく、それはとどのつまり、庶民は総じて食糧豊富な環境にはなかったということになります。食糧はじめ物資が比較的豊富で、そのため複数の妻を養うことができたのは、支配層である殿様クラスか羽振りのいい商人等に限られていました。

現代の日本人は近代の法律によって一夫一婦の制約を受けていますが、実際のところ法律上の妻が一人であっても同時に愛人を囲っているという例は無数にあります。経済力のある男になら可能です。だから日本は表向きは一夫一婦の国ですが、実情は一夫多妻が許されている国だということです。え、法律? そんな人間が作ったあやふやなもの、ナマの現実を生きる人間の営みの前では紙切れですよ。守る義理がありますか。人間が是非とも守った方がいいのは、自然の法則だけです。これに反すると寿命が早まるからです。

というわけで今回の余話のテーマは、一夫多妻と一夫一婦についてです。近代の価値観では一夫多妻など狂気の沙汰だ、恥を知れ、といった扱いですが、それは表向きであって実際はこの通り、カネ次第です。勿論カネに靡かない堅実な女性もいますし、複数の男性との性交が子供の気を濁らせることは、既に過去の余話で述べた通りです。それを本能的に嫌う男女なら、一夫一婦で生涯浮気なしという夫婦関係を望むでしょう。これもまた真実です。
実際のところ、人類の歴史は一夫多妻と一夫一婦のせめぎ合いで、どちらに軍配が上がったとも言えません。時代によってこちらが勝ったり、あちらが勝ったりしている。結局は、どっちが正しいのでしょうか。算命学はどのように考えているのでしょうか。その辺りを考察してみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「一夫多妻の是非」です。「算命学余話 #R85」で検索の上、登録&揚げ餅一皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

by hikada789 | 2019-01-08 23:28 | 算命学の仕組 | Comments(0)
人気漫画『進撃の巨人』は、巨大な壁に守られて暮らす人類が、壁の外を闊歩している人食い巨人の脅威に怯えながら、その壁の外の世界に何があるのか知るべく危険を冒して出て行こうとする兵士たちの物語です。その視界を塞ぐようにそそり立つ巨大な壁に囲まれた架空世界の風景は、原作者諫山創の出身地に起因しているそうです。
彼が生まれ育ったのは大分県の山間部で、人家も疎らなのどかな田園の周囲はぐるりと山脈で囲まれていました。都会の人間から見れば羨ましいほどの自然豊かな風景が広がり、高層ビルのない空は広くて山々は見はるかせるし、騒音もないしネオンもないし、水も空気もおいしそうです。
しかしこの人の羨むような日本の原風景を、少年時代の諫山氏は苦々しい思いで見つめていました。なぜならその周囲に巡らされた山脈は、彼をこの狭い村落に閉じ込めて隔離し、山脈の外に広がる未知の世界がどういうものなのかを覗き見ることさえ許さなかったからです。彼の目にはこの美しい山々が行く手を阻む巨大な壁に見え、その外側の世界を知らないという状態が、知りたいという好奇心とどんな危険が待ち構えているか判らないという恐怖心を煽った結果、壁の外には未知の巨人が大口を開けて、数々の謎と共に待ち構えているという苛酷な世界観を生んだのでした。
同じ風景を見ていても、その立場によって、或いは経験によって、のどかな自然の風景は美しく心和ませるものにも見えるし、残酷な監獄にも見える。算命学の理論の基礎は自然思想ですから、宿命を鑑定する時も自然風景を眺める気持ちで臨みます。そして鑑定者の目には緑豊かな自然風景に見えたとしても、鑑定される当人にとっては世界から取り残された忌むべき辺境であるのかもしれない。そうしたことを鑑定者は念頭に置いて鑑定に臨まなければなりません。

算命学余話基礎編の第6回です。前回は陽占、俗にいう人体図の算出方法とマス目の意味について解説しました。では実際にマスが星々で埋まったらどのように読み解いていくのか、今回はそうした基礎技法をいくつか紹介します。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「基礎編#6 人体図を読む」です。「算命学余話 #R84玄」で検索の上、登録&年越しそば一膳分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

by hikada789 | 2018-12-30 23:47 | 算命学の仕組 | Comments(0)
このところ算命学余話の内容が怖い、という感想を頂きました。死にまつわる内容が続いたのでそういう印象を持たれたのかもしれません。しかし算命学の理論は、もとより個人的な運勢判断より家系論をめぐって発達してきたため、一個人が死んで終わりという単発な話ではなく、家系という流れの中でいかに個人が翻弄され、或いは先祖から恩恵なり罪科なりを背負わされて生きるかという点に着目しています。
しかし現代人は、そんな先祖の所業などまるで気にせず、気楽に一度限りの自分の一生をそれなりに楽しんで生きています。過去の人間のやったことなど自分には関係がないとばかりに。こうした現代人の思想には、当人の犯した罪を子孫にまで償わせないとする現代の法律の原則が少なからず影響していますが、こうした思想の中では、人間は未来の子孫に対する責任を感じにくくなります。

算命学の家系思想が警告するように、我々が先祖の所業の代償を払う必要性について考えを巡らせるようになれば、いずれは自身もまた誰かの先祖になる我々は、未来の子孫が我々の所業の代価を払うたびに無用な苦痛を味わなくて済むよう、生前の行動にもっと慎重になれるのではないでしょうか。
現代の法律は西洋文化の発明品です。この外来思想が果たして人類の未来に対して責任を果たすのに効果があるものかどうか、疑う必要があります。
日本の古い言葉に「中夏無為(ちゅうかぶい)」という今日あまり聞かれない四字熟語がありますが、その意味は「為政者が刑罰を行なわずに治まる理想の世」ということです。確か老荘思想にも、「法律が増えるほど犯罪者は更に増える」という意味の一節がありました。
もはや専門家でさえ覚えきれないほど細分化された現行の法律に、更に立法府が新しい法律を際限なく成立させる不毛を解消するために、今後法律はただひとつ、「未来の子孫たちに対する責任を果たさない罪」に一本化したらいいくらいに思います。殺人も傷害も窃盗も、過失も脱税も猥褻も、環境汚染も人権侵害も、結局はどれも未来を生きる人々に何らかの負の影響をもたらす罪なのですから。

今回の余話は前回#R82の内容について少し補足し、あとは久々に鑑定技術に立ち戻って守護神の続きを解説します。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「守護神#11 丙×秋」です。「算命学余話 #R83」で検索の上、登録&シャンパン一杯分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

by hikada789 | 2018-12-20 18:54 | 算命学の仕組 | Comments(0)
高齢者を狙うオレオレ詐欺の標的は、勿論金持ちの老人です。高齢者だからといって貧乏人を狙っても得るものがない。一方、同じ金持ちでもまだ若い標的だと、防犯意識も反撃意欲も高いから成功率に不安が出てくる。それなりに金持ちで、且つ詐欺に遭ってもしばらく気付かないくらいボンヤリした老人が、ターゲットとして最適なのです。まあ同じくらいボンヤリしているのなら、老人でなくとも標的になるでしょう。
算命学は陰陽五行を基盤に相生・相剋の力学で物事を判断するので、お年寄りが詐欺に遭ってかわいそうだといった感情とは無縁です。では代わりに何を考えているかというと、ご老人が詐欺に遭うのは金を余分に持っていたからだ、持っていなければ被害には遭わなかった、という物理法則のような因果関係です。若い金持ちが被害に遭わないのは、防御するだけの強さがあるからで、防御もできない老人が弱さを露呈しながら大金を抱え続けるのは「襲ってくれ」と言っているようなもの。命を獲られないだけ幸運だ。算命学はこんな風に考えています。
冷たいと思われるかもしれませんが、こういう視点を養っていない学習者は鑑定者には向きません。それに、算命学は単に冷たいのではありません。この理屈にはちゃんと真理があるのです。

知力と体力を日々衰えさせていく老人(あくまで一般論。例外はあります)に、若人と同じような防御力・反撃力を身に付けろというのはさすがに無理があります。老人が衰えるのは自然の法則に沿った現象だからです。では自衛できないのなら、元気な若人に代行してもらえばいい。ここで金を払って警備員を雇えというのは野暮な発想です。金を積まなければ人を動かせないというなら、その老人の人生は残念な人生だったと言わざるを得ません。
もうお判りですね。人は金を積まなくても動いてくれることがあります。それは信頼関係です。一番簡単なのは家族との信頼関係で、弱った爺さん婆さんを守るのはその子供の家族であればいい。一緒に暮していれば「オレだよ」の電話は通じないし、同居していなくとも関係が密であれば、詐欺師の電話が偽物だと気付けます。爺さん婆さんは防御の代金を子供たちに払うことはしませんが、お祝い事があれば贈り物をするし、困っていたら援助もする。金額は不明ですがそれなりの出費を払っているし、日常的に子育てや諸々の手助けをしている。こうした相互扶助関係にある親子に、金銭の授受や契約書は必要ありません。

仮に家族を持たない人であっても、友人知人と似たような相互扶助関係を築くことはできますから、誰かに守ってもらうためには金が不可欠だとする考えは間違いです。しかしこうした人間関係が誰とも全く築けていない老人だというのなら、それはもうその人の長年の生き方そのものが間違っていたと言わざるを得ません。
そんな老人はどうなると、算命学は考えているでしょう。もうお判りですね。淘汰されるのです。淘汰される人にお金は必要ありません。だから詐欺に遭って金を手放すことになるし、老後の資金を減らしたことが原因で寿命を縮める可能性も高まります。或いは、被害に遭うことで逆にそれまでの自分の間違いに気付いて、短い余生に何とか挽回のチャンスを見出すかもしれない。その場合、淘汰はいくばくかは先送りされるでしょうが、そんな殊勝な老人であるのなら、最初から誰かと信頼関係を築けているはずです。
だから結局どちらに転んでも、詐欺の標的にされるほど金を余分に持っていて、自分の子供や周囲の人間関係のために、或いはもっと広義の人間関係として社会貢献のために、その金を出し惜しんできた孤独な老人は、自然の正しい采配により、オレオレ詐欺のカモにされ、むしり取られて淘汰を加速するというわけです。
従ってこのような老人はかわいそうではないし、同情の余地はない。そのように算命学では考えます。詐欺被害に遭いたくないのなら、その使っていない大金を信頼できる次世代に受け渡すことです。それでとりあえず詐欺の標的にはならなくて済むし、本当に信頼関係で繋がっているのなら、その人があなたの老後を何くれと気に掛けてくれるでしょう。それでは不安ですか。

今回の余話のテーマは詐欺ではなく、淘汰についてです。それも詐欺に遭う老人の淘汰ではなく、一家の淘汰についてです。
最近、家族6人が死亡したという事件が二件続けてありました。一件は火事で家屋が全焼し、8人家族のうち6人が死亡したというもの。もう一件は一家6人が殺害された事件で、恐らく犯人は次男だとされていますが、この次男は事件直後に自殺したようなので、殺害の動機も状況も不明のままです。
付合いのあった周辺住民らは事件の突発性と意外性に驚いていましたが、算命学者はこのまとまった数の一家同時死亡にはピンと来るものがあります。死亡家族の宿命を逐一見ればまた違った見方もできるかもしれませんが、算命学の一般論として、このような一家の死に方は自然による淘汰現象の典型例です。今回はその辺りを考察します。宿命は出しませんので、鑑定技法ではなく、算命学思想の理解のための内容です。物騒な話なので、興味のある方のみご購読下さい。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「一家の終焉を考える」です。「算命学余話 #R82」で検索の上、登録&栗ごはん一皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

by hikada789 | 2018-12-08 18:26 | 算命学の仕組 | Comments(0)
恋愛相談お断りの当鑑定では、結婚を前提にした相性判断や良縁判断、既婚者の浮気相談や離婚相談には応じています。前回の余話#R80では浮気や離婚と無縁ではない星の一例に触れましたが、この種のごたごたを起こしやすい命式というのは他にもいろいろあります。しかし毎度繰り返しますが、こういう命式だから必ず浮気するとか離婚するとかいう決まりはありません。あくまで因子として持っているというだけの話であり、実際に浮気や離婚に結実するには、その人の実生活での生き方や価値観による日々の積み重ねが、持って生まれた因子を起動させるだけの重みを得なければなりません。逆に、命式に因子のない人であっても、同様に日々の行いや、後天運の作用によって、思いもよらぬ事態に至ることもあるのです。
「では算命学の宿命判断などは結局どっちにでも転ぶ、当てにならないものではないか」と言われそうですが、私はその通りだと思います。だからくどいようですが、算命学による運勢判断や助言は、日々経験値を上げて暮らす立派な大人には無用なものなのです。算命学の助言が必要なのは、経験値の低い未熟な人か、事故や病気などで一時的に弱くなっている人だけで良いのです。そういう人が現状を俯瞰し、山中の遭難状態から脱して安全な登山道に戻るための道筋を教えるのが算命学の役目であり、そういう算命学の使い方が正しいのです。算命学の助言を丸ごと鵜呑みにするだけで自らの経験値を上げる意欲の無い人には、算命学が示す俯瞰図も道案内も効果がないでしょう。

ところでウラジーミル・メグレ氏が書き記す「アナスタシア」によれば、この世に浮気というものは存在しないそうです。なぜなら彼女の考えでは、夫婦は完璧な運命のパートナーであり、二人の共同作業として子供をもうける使命を自覚しているため、他の異性に目移りすることなどあり得ないからです。他の異性に目移りする、つまり浮気するということは、「その男女がそもそも夫婦でない」ということなので、夫婦でない男女がよその異性にちょっかいを出しても浮気と呼ぶには当たらないというわけです。痛快ですねえ。
如何ですか、パートナーの浮気に悩む世の皆さん。あなた方はそもそも夫婦でないそうです。その婚姻は間違っていて、間違った婚姻にしがみつくから苦しむことになるのだと。どうしてしがみつくのでしょう。間違った婚姻関係を継続するメリットは、配偶者の経済力であったり、子供の養育費であったり、世間や親への体裁や面子であったりします。しかしこれらはいずれも本来の意味での愛や子供の誕生とは関係がなく、従って本来の婚姻とも関係がない。どう転んでも、二人は夫婦でなかったという結論に至らざるを得ないというわけです。ユニークですね。

算命学は数千年前に確立した古代思想であり、現代のように婚姻届一枚で結婚が成立するという考えのない時代に成立していますから、今日的な法的婚姻やそれによる制約、ひいては一夫一婦制についてもさほど賛成しない立場です。全否定もしませんが、名より実を取る方向で人間関係を斬っていくので、今の時代にしか通用しないような常識や価値基準とは離れたものとして運用していくことが肝要です。そういう意味で、上述のようなアナスタシアの夫婦の定義もまた、算命学は否定するものではありません。

さて今回の余話のテーマは、せっかくなので夫婦についてです。今年亡くなった著名人で、老齢の妻の亡きあと三か月余りで後を追うように亡くなった夫がいます。算命学者はこうした死に方にピンと来るので宿命を調べたところ、案の定珍しい命式の夫婦であることが判りました。こういう命式の組合せの夫婦は滅多にいないとは思いますが、実在すればこういう死に方になるのも頷けます。というわけで、なぜこの夫は妻の後を追うように人生を終えたのか、その因子が宿命のどこにあるのかを見てみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「妻の後を追うケース」です。「算命学余話 #R81」で検索の上、登録&山菜汁一皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

by hikada789 | 2018-11-29 18:05 | 算命学の仕組 | Comments(0)
ウラジーミル・メグレ著『アナスタシア』シリーズが提唱する数々のユニークで感動的な人類への処方箋によれば、「神の似姿」たる人間がかくも堕落し無知蒙昧な生き物になり下がった原因のひとつは、「赤ん坊の誕生の瞬間とは出産の瞬間である」と人類が勘違いしていることにあるそうです。つまり世界の多くの占星術が出生の瞬間として重視している誕生日や生年月日は、そもそも子供の誕生した瞬間ではないので、重視するのはお門違いだというのです。
これを聞いた算命学者はどう思うでしょう。算命学は言わずと知れた、生年月日を宿命として運勢を論じる学問です。学習者の皆さんは焦ったり反発したりしましたか。私は特に驚かず、その通りだと思いました。なぜなら算命学における生年月日とは、本来その人がこの世に生まれ落ちた瞬間の自然の風景であって、それを別の言い方で「誕生の瞬間」と呼んでいるに過ぎないからです。
算命学にとっての生年月日とは陰占三柱のことであり、それはその日の陰陽五行の自然風景を表した絵図そのものです。そこに水があるとかないとか、季節はいつだとか、木と土が拮抗しているとか、そういう情報が描いてある。言い換えれば、そうした情報はその人が持って生まれた武器であり、長所であり短所です。その人がこの自然界に生まれた瞬間に、自然が持たせてくれた最良の武器。但しこの武器の使い勝手には長短があるため、その使用に練達するには、人生を実際に歩みながら実践していくしかありません。算命学の定める生年月日(宿命)とはそういうものであり、確かに「子供が生まれた瞬間」という時間を表す意味ではほとんど使われません。

アナスタシアによれば、人間の誕生には3つの段階があるとします。1番目は受胎の瞬間、2番目は妊娠期間、3番目がようやく出産の瞬間です。この中で最も大事なのは1番目の受胎の瞬間であり、ここでヘマをやらかすと生まれた子供はアホ、失礼、無知蒙昧で同じ過ちを繰り返すばかりの人間、つまり現代社会に溢れかえっている一般的な大人に育つといいます。随分ですが一大事ですね。ではそのヘマとは何なのか。
詳しいことはお手数ですが本を読んで頂くとして、かい摘んで言うと、男女が何も考えずにセックスに耽って生まれた子供はそもそも間違いだということです。正しい受胎には、まず男女共に相手との子供が欲しいと切望し、且つ生まれて来る子供がどんなに素晴らしい大人に成長するか、その夢のプランを細部に亘って練りに練ってイメージトレーニングすることが前提条件として必要だそうです。

うーん、確かにそんなプロセスを経て生まれて来る人は現代にはいないように思われますし、できちゃった婚をはじめ、「子は授かりもの」として両親の意志とは関係なく授かるものだというのが一般的な解釈です。でもそんな風に生まれた子供は利口でないので、歴史上繰り返されてきた人類の苦しみを一向に減らすことはできない、というのがアナスタシアの主張であり、こうした彼女の考えが世界中の読者を唸らせています。故に、子供をそっちのけにした安易なセックスを促す現代社会の風潮や商業主義は、悪だと。
この一番大事な受胎の瞬間こそが人の誕生の瞬間である、というのがアナスタシアの思想です。最初で間違うと全てが台無しになるからです。次に大事なのが2番目の妊娠期間で、ここもやっぱり正しい過ごし方をしなければならない。そして最後が3番目の出産の瞬間ですが、2番目と3番目はセットになっているので、出産の瞬間はほぼ惰性です。世の中はこの惰性の通過点にすぎない誕生日を重視しすぎている。それよりも受胎の瞬間の方が何百倍も大事であるというわけです。

さて、このユニークな思想を取り上げたのは、算命学がこの主張に反しないからです。見過ごされがちなことですが、算命学は受胎の瞬間の動機というものを大変重視しています。それは天報星の意味するところと通じ、この星の理解を進め、星を輝かせる手立てとなります。
今回の余話はこの受胎の重要性、ひいては人間を形作る基礎を左右する天報星について掘り下げてみます。天報星は言わずと知れた十二大従星筆頭、「胎児」の星です。胎児はまだこの世に生まれていないため、あの世の存在です。それは天庫星(死人)・天馳星(彼岸)と共に精神世界の住民であり、霊星であるということです。こうした非現実の星を運勢鑑定の実践でどう捉えて行けばいいのか。アナスタシアの思想と絡めて考えてみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「天報星を基礎から考える」です。「算命学余話 #R80」で検索の上、登録&きのこ汁一皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

by hikada789 | 2018-11-20 18:05 | 算命学の仕組 | Comments(0)
国際ニュースでは、南米からの移民がキャラバンを組んで米国へ向けて北上中という報道が連日続いています。当時者である米国の大統領は世界中の「良心」から嫌われているようなので、この移民集団を応援し物質的にもサポートする人々の活動なども同時に好意的に報道されています。しかし移民たちの行為の是非については誰も論じていません。
去年・一昨年辺りはこの種の集団移民がアフリカから欧州へ北上して、ゴールのドイツはともかく、通過地点にすぎない東欧諸国などは露骨に迷惑顔を見せていました。通り過ぎるだけの移民らの行儀がお世辞にも良いとは言えなかったからです。よく躾けられて、「ご迷惑おかけして申し訳ありません。静かに通ります。汚しませんから通過をお許し下さい」という態度だったら、東欧の市民らも嫌悪を示さなかったのではないでしょうか。そこに人種差別はないように思われます。あったのは他者に対する礼儀と気遣いの欠如だったのでは。
日本の「もったいない」という言葉はその精神と共に国際語「モッタイナイ」としてアフリカなどにも浸透していると聞きますが、日本の工事現場によく掲げられる「ご迷惑おかけして申し訳ありません」看板とお辞儀のイラストも世界に広めることはできないものでしょうか。これをプラカードにしてデモ行進したら、周辺住民も唾を吐いたりしない気がします。どうして現在使われているプラカードは「死ね」だの「反対」だの「〇〇しろ」だの、礼儀も気遣いもない険悪な言葉ばかり連ねているのでしょう。こんな不作法な人々の要求する姿を、デモが批判している対象者はもちろん、無関係な第三者が見て、同情を寄せてくれるとでも思っているのでしょうか。方法からして間違っている気がします。

以前、日本と海外を比較するテレビ番組で、どうして日本人はデモをあまりしないのかが議論されたことがありました。その時の日本人の反応は、歴史的に学生運動における挫折や敗北でデモの無力を知っているからであるとか、やってもいいけど効果が期待できないからやる気も起きないからだとか、社会人らのそれらしい回答にまじって、学生が「デモはイケてないから」と言い放ったのが印象的でした。
この回答は素直だと思います。要するにカッコ悪いと思うからやらない。デモ好きな国の外国人は反発していましたが、国はそれぞれ歴史が違うのだから、価値観が一致しないのは当然です。或いはこの学生は、盆踊りなんぞカッコわりぃから参加しねえ、と言い放つ類の生粋の江戸っ子だったのかもしれません。デモと盆踊り。拡声器とプラカード。街の真ん中で自己主張を叫ぶ。何やら似ている気がします。

私はかねてより意見表明している通り、移民には反対の立場です。それは日本についてだけでなく、世界のどこの移民についても同じです。その根拠は算命学にあります。
今回の余話のテーマは、日本の将来にとっても他人事ではない移民についてです。とはいっても、算命学が移民という行為・現象を100%否定しているわけではありません。場合によっては肯定しているのですが、ではどういう場合に反対だったり賛成だったりするのか、その根幹にある理屈は何なのかを考えてみます。なお、移民については過去に『算命学余話#U94』で総論を述べていますが、今回の内容はそれを掘り下げたものになります。

算命学の認める移民は小さくは転居であり、中くらいでは家系からの脱出、大きくは国からの脱出です。そしてそうした転居なり脱出なりが正当性や妥当性を帯びるには、いくつかの条件が必要です。
まずは宿命天中殺。特に生月中殺は家系から中殺を受けているため、生家に留まることは自他ともに無理を生じます。川の流れに棹を差して生きるようなもので、こんな細い棹にしがみついて生きるよりは、流れに身を任せて流れていき、流れ着いた先で新生活を始める方がよい、というのが算命学の考え方です。小さな転居や大きな移民も、基本的にはこの考え方に当てはめることができますが、ここでは中間をとって家系で話を進めます。後で大きな移民につなげます。

宿命天中殺が次男三男であったり娘であったりするなら、さほど問題にはなりません。独立するなり嫁ぐなりして家を出れば済むことだからです。しかし長男だとすれば、それは少々問題です。長男がすんなり家を出てくれて、次男が家を継ぐというのなら、まあ穏便ではありますが、長子相続であった歴史が長い場合は気の流れ方が変わるため、その転換点から何らかの支障がしばらくは生じるようになります。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「故郷を捨てる行為」です。「算命学余話 #R79」で検索の上、登録&栗ぜんざい一皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

by hikada789 | 2018-11-10 22:15 | 算命学の仕組 | Comments(0)
宇宙人の運勢鑑定は恋愛相談お断りだが、およそ物事を深く考えない類の人種が愛だの恋だのを声高に叫んでウットリしたり、偶像にすぎないアイドルを追っかけては奇声を放って理性を喪失したりしているのを、公道で下半身を露出する変質者とほぼ同格に見做している。なに、厳しすぎる? 同じ部類だよ、どちらも理性が吹き飛んでいる状態なんだから。算命学で言えば知性の喪失、つまり印や人体図頭部の阻害や障害であり、寿及び人体図腹部の肥大である。図式は簡単だ。下半身の活動がゼロになれとは言わない。生殖を担っている部位だから。でもそこは頭部(北方)に適切に制御してもらうべきなのだ。生殖器の暴走は見苦しく、何より将来(南方)への害になる。

ところで宇宙人が下半身以前に愛や恋に対して概ね懐疑的な目を向けているのには、幼少期の個人的経験によるところが大きい。そのうちの一つが、確か小5の時の教室での出来事である。
宇宙人は生まれた時から地球人に化けて暮らしているので、どうすれば地球人に見とがめられずに好意的に接してもらえるか、間違っても正体がばれて捕獲され、刑務所や病院に閉じ込められたりしないよう、処世の術は幼少時から磨いてきたつもりだ。尤も成人後は面倒臭くなってせっかくの技術を放棄して暮らしているが、子供の頃は立ち居振舞いに注意し、涼やかな優等生で通していた。勿論あくまで見た目がである。根性は今も昔も変わりはしない。しかし幸いお勉強はできたし、タコ・クラゲ型だから色白でスリムだった。だからクラスでは人気があったらしいのだが、宇宙人は自己本位に生きているので他人が自分に好意を持っていることにあまり関心がない。関心があるのは他人が自分を攻撃して来るかどうかである。その場合は全力で迎え撃たねばなるまい。小5のつたない頭はそれでいっぱいであった。
そんなある日、遠足だか林間学校だかに行くので男女に分かれてそれぞれグループを3つ作れと教師が言った。その意図するところは、普段仲のいい友達同士でざっくりくっつき、概ね同じ人数の3組に分かれろというものだった。宇宙人はいつもの顔ぶれの友人らと塊りになり、塊りはひと組の定員を満たした。これで課題は終わりのはずだった。

ところがである。普段の遊び仲間ではあるが特別親しいというわけでもないMが、その親友Yと二人であぶれていた。MとYは引き離されるのが嫌だったので、二人一緒に入るには既に形成された3つのグループのうち、人数の少ない組に入るのが妥当だ。ウチのグループは人数が多く、空きはないからここへは来れない。そう思っていたら、Mが真っ直ぐにこの宇宙人を目指して、当然のようにグループに同化しようとした。宇宙人は驚き、まず定員の観点から、次に「親しいかどうか」という点から、無言で「それは無理だよ」という顔をした。するとMの表情はみるみる歪み、自分の正当な権利が阻害されたとばかりに糾弾のひと言を宇宙人に吐いて背を向け、Yと共に他のグループへ向かったのであった。
糾弾は、自己本位に生きる宇宙人には身に覚えのないものであったが、クラスの全員が聞いた。そしてその糾弾の内容は、Mが宇宙人に対して抱いていた一方的な愛情の深さに比べ、それに全く見合わない宇宙人のMに対する冷淡さを非難するものであった。宇宙人はこれを、自分の愛情の押し付けを正当化する身勝手な人間の態度と見て、その後Mとは距離をとるようになった。そして、相手の気持ちを尊重しない一方的な愛というものを恐ろしいもの、醜いものと認識し、同時に自分の立場を危うくする脅威として愛そのものを警戒対象と認識するようになった。なぜならクラスメイトたちはこの事件により、宇宙人を何か非情な人、少なくともその見た目ほどには優しくもないし、自分に向けられた愛情に対して謝意を抱かない人だというふうに認識又は態度を変えたからだ。
いや、実はその通りなので、その認識自体に文句はないのだが、いやいやより正確に言うのなら、宇宙人にだって好みがあり、好みの相手に対しては愛情を返しているし、その人の好意を嬉しく思っている。決して非人情ではない。かといってマザーテレサのように博愛主義では断じてない。好きでもない相手に対しておべんちゃらの愛情は示せない。それが正直というものだ。
だが、宇宙人であることを隠すあまり優等生を演じてきたのが災いしたのは否めない。クラスメイトは宇宙人を何でもできる、何でも解決できる神様の一種のように思っていたらしく、これは宇宙人の誤算であった。そしてここが肝心なのだが、かように集団が誰かを崇めていた場合、その崇拝が何かのきっかけで間違いだったと自覚されると、今度は一転して崇拝対象を貶し始めるのだ。それまで崇めていた自分が間違っていたという自責を軽減するために、責任を誰かに転嫁する。誰に。元の崇拝対象にだ。こっちにしてみれば寝耳に水だ。崇拝してくれなんて頼んだ覚えはないし、そもそも崇拝されるよう振舞った覚えもない。しかしこちらは一人で、あちらは集団だ。こちらの声などかき消えてしまう。民主主義の原理である。

そんなこんなで、宇宙人は小5にして相手を考慮しない一方的な愛情及び恋情というものと、集団における崇拝とその容易な逆転現象に対し、最大限の警戒を向けて臨むようになった。どんな小5なのだ。だから同級生の「小5の頃までサンタクロースを信じていた」とかいうホニャララな話を聞いて、絶句するのもやむなしなのだ。痛かったのだよ小5の身には。
立派なトラウマだが、損をしたとは思わない。だって世の人間関係トラブルといえば、大体このテーマに集約されるではないか。要するに「勝手な思い込み」。そこに客観的視野が欠落していることで起きる現象なのである。Mの一方的な愛情も、優等生を演じていれば万事安泰だと油断していた宇宙人も、別の角度から見た自分がどう見えるかを考えていなかった。物事を正しく判断するには、主観だけではだめなのだ。視点を増やさないと。
この種の痛い教訓は、実はこれ一回ではない。その後宇宙人は子供時代に類似の教訓に何度か鞭打たれることになる。お蔭で現在のような人間に対する厳しい視点をもって世の中を眺めることができるようになったのであるが、同時に恋愛相談には応じられない体質となった。宇宙人は恋愛を否定はしないが、上述のような一方的な恋情・愛情は災いしかもたらさないと確信しているし、世に溢れる恋愛の悩みは突き詰めればこうした災事を愛だと勘違いしていることから発しているものと断定している。だから相談の余地はないのだ。相手を考慮しない愛情など、災厄であって愛ではない。災厄を愛だと言って押し付けられる側がどれだけ迷惑しているか、考えてから愛を語れ。そう、考えて、つまりやっぱり頭(印)を使えというオチになるのだ。

by hikada789 | 2018-11-08 19:48 | 算命学の仕組 | Comments(0)
先日、日本にホスト文化を根付かせ広めた「ホストの帝王」が亡くなりました。78歳でした。この人がいなければ日本のホスト業界はこれほど発展しなかったと言われ、同業者には神様と呼ばれ、勿論女性たちからは大いに愛され、華やかな夜の世界によりひと財産を築いたユニークな実業家でした。しかし晩年は脳梗塞に倒れると同時にアルツハイマー型認知症に罹り、社長退任後は瞬く間に資産を失い、最期は見る影もなかったと伝えられています。
脳梗塞に倒れたのが2011年の辛卯年で、この人の天中殺に当たっています。この人は宿命天中殺ではないので、後天運による天中殺は特に強く作用することが予見されますが、翌年2012年からは大運天中殺も始まります。
このように老年に達している人が天中殺の期間に脳梗塞など後遺症の出る病を発症すると、ぐずぐずと後を引いて回復が遅れることが多いのですが、その上畳みかけるように大運天中殺に突入すれば、出口の見えないトンネルのようなもので、年齢から考えるとこの期間のうちに寿命を迎えたのは自然と見てよいでしょう。日本男性の平均寿命から見ても、特に早逝とは言えない一生でした。

ではこの人が幸せな人生であったかどうかを考えてみると、算命学では、前半生がどんなに華やかで成功した人生であっても、晩年が寂しく不幸であったのならば、人生全体は不幸であったと見做します。算命学は、人の人生は終わってみるまで評価できないと考えているので、終わった時のその人の至福度なり充実度が決め手になります。
この人の場合、認知症により自分の一生が幸せであるのか不幸せであるのか、自ら省みることもできませんでした。こういう人生の終わり方は、気の毒ですが、算命学はやはり「不幸だった」と総括せざるを得ません。築き上げた財産を失って晩年を過ごしたことも、やはり幸福とは呼べません。彼の勇名や事業や資産をどれほど多くの人が称えようとも、その称賛と彼一個人の幸福とは別物なのです。称賛や栄誉は五徳のうちの官(金性)であり、幸福は福(木性)です。両者は金剋木の相剋関係にあり、融和は難しい。

さて今回の余話は、このホストの帝王の宿命です。といっても人生の総括はもう述べてしまったので、宿命のほんの一部分、日干支だけに注目してみます。というのは、この日干支がいかにもホストにぴったりで、大勢の女性に愛された男の命式として思わず頷くものであったので、そのあたりに着目してみたいと思います。勿論、日干支は男に生まれる場合と女に生まれる場合とで差異が生じます。ホストにぴったりな命式は、果たしてホステスにもぴったりなのでしょうか。その辺りを考察してみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「ホストの帝王」です。「算命学余話 #R78」で検索の上、登録&秋刀魚の塩焼き一皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

by hikada789 | 2018-10-29 18:22 | 算命学の仕組 | Comments(0)