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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

カテゴリ:算命学の仕組( 298 )

前回の余話#R91では、天印星の性質がどういう理屈から成り立っているのかを考えてみました。天印星は赤ん坊の星ですが、宿命に天印星を持っている人なら誰しも赤ん坊のように無垢だとか、無知無力であるとかいうことではありませんし、それでいいということでもありません。人間は成長する生き物なので、夭折しなければ成人しますし、成人すれば子を生み育てます。或いは子供を生まなくても知恵や技術を身に付け、それを次世代に伝えることで社会に貢献します。これも立派な「育てる」行為です。
しかし、もし天印星を持つ人が赤ん坊のままでいいとするなら、それは大人にならないということであり、成人しているのに次世代を「育てる」役目を果たさない人間は、この世界に必要のない存在として、自然による淘汰の対象となっていきます。人間が生まれてから成長を続けて大人となり、死ぬまで成長・成熟を続けることは、自然の法則に適ったことなので、それを拒む人間は自然に逆らっている、だから淘汰されるというわけです。

赤ん坊である天印星が大人になることを拒んだまま大人になるとどのような醜悪な事態となるかは、前回説明しました。そして、それを回避するためにどのような教育が必要なのかも述べました。それは、天印星の特徴である天真爛漫さを活かしたまま、自ら行動することの苦手をいかに克服するかという手立てであり、成人した天印星を輝かせるための方策なのです。そして算命学は、そのような赤ん坊の資質を持って生まれる人間を認めながら、人生の大半を赤ん坊ではいられない人間がどうすれば社会に存在を許され、この世に役立つ人として歓迎されるか、「育てる」側の人間になれるかを示唆しているのです。

算命学の知識の浅い人の中には、「自分の宿命には(例えば)天印星があるのだから、自分はベッドに寝そべって、周囲の人間に着替えも食事も娯楽も用意してやってもらえばいいんだ」と勘違いしている人がたまにいますが、算命学の思想を正しく理解するのなら、そんなことをすれば運勢を下げに下げて、宿命にさえ書かれていないほど早くて不可解な死を招くことになるので、やめた方がいいですし、実際そのような生き方をしている人は淘汰されています。
例えば昨今取沙汰されている介護施設での殺人事件などは、何もかもを人の世話になって生きる大人がどういう末路を迎えるか、その一例について我々に厳然と提示しているものと、算命学では考えています。自然死ではない異常な死に方は、自然に反する生き方が招くことなので、加害者だけに責任があったとは言えない。このような冷ややかな算命学的視点は一般社会のそれとは異なるものですが、そうした異なる角度から世界を見つめることもまた、算命学の役割なのです。

さて今回の余話のテーマは、人との縁のある・なしについてです。縁という概念は仏教的な因果応報や輪廻、前世との関係性といった認識のされ方がありますが、算命学の云う縁はこれとは少し違います。前世との因果関係の有無については論じず、現世において、誰と関係が深いか浅いか、具体的には配偶者を含む家族の誰と縁があり、その影響によって運勢がどう上下するか、星が輝くかどうかを考えるための技術として使います。そのため、まず算命学で使われているところの「縁のある・なし」が何を指しているのか、正しく認識しておく必要があります。
技術的に込み入った話なので、予めご了承下さい。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「縁がある、ない」です。「算命学余話 #R92」で検索の上、登録&桜最中1パック分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

by hikada789 | 2019-03-19 14:42 | 算命学の仕組 | Comments(0)
算命学の専門用語の中で一番世に知られている「天中殺」の理解が、我々専門家の解釈から逸脱して世に広まっていることに危機感を覚えます。やっぱり文字面が悪いからでしょうか。このおどろおどろしい「殺」の文字の威力に惑わされて、何が何でも悪い事件に結びつけなければ気が済まないといった素人の人たちの勝手な思い込みが、天中殺の災いを何としてでも避けたいと思わせるらしく、自らにいらぬブレーキをかけたり、せっかくのチャンスをみすみす見逃したりして、有難くも自然が与えてくれている恵みをわざわざ拒絶して生き、結果的に運勢を落としているという例がしばしば見受けられます。
お気の毒ではありますが、目の前の情報が正しいのか正しくないのか判断できていないのにその情報に乗ってしまうという今日の情報氾濫社会の弊害の中に、算命学の思想も組み込まれているという風に解釈したいと思います。つまり算命学にも天中殺にも罪はないということです。罪があるのは、情報の真偽を確かめようとする習慣が身についていない人なのです。そんな人には、どんなに有用な情報も知識も、猫に小判です。現代のネット情報だろうと古代の思想だろうと、正しい情報や知識を識別できる人とそうでない人とでは、生き方に差が出るのは当然です。

算命学的に言えば「印の運用」ということです。正しく運用できない知識ならいっそない方がいいし、間違った知識の運用をするくらいなら運用しない方がましです。なぜなら知の悪用は、大きな悪を生むからです。
知性の星といえば龍高星と玉堂星ですが、これらの星々があるから単に頭がいいとはしゃいでいる人は、算命学の知識の浅い、おめでたいオツムの持ち主です。なぜなら、本気になった龍高星と玉堂星を敵に回した場合を考えて下さい。ましてやその敵が悪意に満ちている場合を。知能の高い印星にとって、警察や法律の目をかいくぐることなど朝飯前です。そして道徳を振りかざして衆人の心理を誘導することも、その気になればいくらでもやれます。

しかし世に役立つ印星ならば、そんなことはやらないはずです。五徳のうち、印の生じる先は福です。幸福に結びつかない知恵がまがい物だということは、心ある印星になら自明の事です。ではその心ある印星とは何なのかといえば、それは数ある情報を正しく振り分けて正しい知識を選別し、それを正しく運用できる、真の意味での賢い人ということになります。
そんな印星であるのなら、専門家でない自分がよく知りもしない天中殺の、字面に騙されて右往左往するということはありません。知らないものは知らないものとして、脇に置いて過ごすでしょう。このように、知らないものは知らないのだと明言し、知ったかぶりをしないのも、正しい知の運用のあり方なのです。世の印星の皆さん、あなたは勿論、自分がよく知りもしないことを安易に信用したりはしませんよね。

今回の余話は天印星の基礎知識です。基礎は大事です。ここが間違っていると、その上に積み上げた理論まで狂ってしまうからです。十二大従星も、その文字面に惑わされて一人歩きしているのかもしれません。この辺りでそのぼやけた像をしゃっきりと整え、何を根幹として押さえておけば判断がブレずに済むのか、考察しつつ読み解いていきます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「天印星を基礎から考える」です。「算命学余話 #R91」で検索の上、登録&梅ジャム1瓶分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

by hikada789 | 2019-03-09 20:19 | 算命学の仕組 | Comments(0)
第二次大戦におけるユダヤ人大量虐殺を指揮したとするアイヒマンを裁く裁判を傍聴したハンナ・アーレントは、アイヒマンは多くのユダヤ人が期待したような邪悪な魂を持った悪魔的人間なのではなく、どこにでもいるようなごく平凡な役人にすぎず、ただ上からの命令に従っただけで罪の意識さえなかったことを看破しました。そしてその悪の根源が人間の「思考停止」にあるとし、自分が何をやっているのか、正しいことなのかそうでないのかを考えることさえしないで、ただ機械のように事務処理をこなしていく習慣が、人間から思考力を奪い、その結果として大虐殺につながるシステムをベルトコンベア式に作り上げて行くのだと警告しました。そしてそれを「悪の陳腐さ」と名付けたのです。
しかし、当時のユダヤ人社会は、同じユダヤ人であり戦時中に自由を奪われた経験を持つアーレントが、アイヒマンをあたかも弁護するような発言をしたことで、アーレントを厳しく非難しました。アイヒマンは結局有罪判決を受けて処刑されるのですが、ユダヤ人たちにとって、アイヒマンは正義の鉄槌が下るに相応しい悪逆非道の怪物であった方が都合が良かったのです。あれだけ同胞を苦しめた大悪人が、自分たちと大差ないほど凡庸で、もしかしたらそこそこ善人なのかもしれないという残酷な真実に耐えられなかった。取るに足らないくだらぬ人物に、あれほどまでに屈したことが耐えられなかった。誰も太刀打ちできないほどの大物であって欲しかった。
アーレントはそんなユダヤ人の願望をもまた「陳腐」と見えたのか、同胞からの厳しい批判に晒されながら生涯自説を曲げませんでした。そして半世紀を経て、そんなアーレントのブレない声に真実を認めて、我々はその著書や発言に耳を傾けているというわけです。

卑近な例では、最近児童虐待の事件で父親が逮捕され、間もなく母親も逮捕されました。母親は夫の暴力が悪だと判っていましたが、怖くてとめられなかったとか、言っても無駄だと思ったとか、そういった供述をして、暴行に加わったのではなくその傍観姿勢を咎められて逮捕されたのでした。この母親の傍観は、まさにアイヒマンと同種の思考停止の賜物です。
私の宿命鑑定の依頼人の中には、自分の子供を占って欲しいという人がたまにいます。未成年の鑑定については、その相談内容次第で受けたり受けなかったりしているのですが、受けないケースはいつも、その親がまさに「思考停止」に陥っていると看破した場合です。つまり子供の成育の問題点を、すべて宿命のせいにしたい、或いは誰かのせいにしたい、要するに自分のせいだとは露ほどにも考えたこともないし、そもそも考えたくない。自分は考えることなく、正解だけが欲しい。そういう親の依頼は、厳しい叱責を飛ばして断っています。

こういう親は未熟です。年齢相応に成熟していないから、自分で考えて答えを見つけられないし、そもそもそういう発想がない。そんな未熟な人間が親になってしまった。これがそもそもの間違いなのです。間違った親から生まれ、間違った親に育てられているから、当然子供は間違って育ちます。
これは子供のせいではありません。ましてや宿命のせいでは毛頭ない。子供はまだ自分の人生をいくらも生きていないし、自力で生きていけないから親の世話になっているのです。幼いほどそうです。幼児は自分が摂取すべきものを自力では選べません。幼児に養分を与えているのは親なのです。影響力が最も大きいのは、子供の一番近くに暮らして世話をする親以外にはありえません。
そんな非力な幼児のスカートをめくるように、宿命を露わにせよと迫る親に、子育てする資格があるでしょうか。そのすけべ心の卑しさを軽蔑して、私は鑑定に応じない姿勢を取り続けています。(思考停止していない親御さんの悩みには、真摯に応じております。)

もうひとつ最近の話題から。国会答弁で安倍総理が、数年前の民主党政権を「悪夢のような」と形容して物議を醸しました。世間では「自民党にとっては悪夢のような時代だったかもしれないが、まるで日本全体にとって悪夢だったかのような表現」に聞こえ、故なき誹謗だと非難する声が上がりました。
確かに表現自体がそもそも幼稚だったとは思いますが、算命学を学習する皆さんはどう感じましたか。短命だった民主党政権時代の悪夢といえば、誰もが思い浮かべるのが2011年の東日本大震災です。勿論、あの地震は自然災害であり、原発事故は人災の要素があったとしても、よもや民主党のせいで起きたとは誰も思わないでしょう。それ以前の長期政権であった自民党のせいだとも思わないでしょう。そういう認識で間違いありません。

しかしながら、算命学をやっている人の目には、別の映り方があると思います。今回の余話は、上述のアイヒマンの思考停止、ユダヤ人が求めたアイヒマン極悪人説、児童虐待を呼び込む親の未熟と責任感の欠如、国家や国民に対する責任の所在について、算命学的な視点から見える風景を考えてみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「宿命が及ぼす力」です。「算命学余話 #R90」で検索の上、登録&ゆずジャム1瓶分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

by hikada789 | 2019-02-28 19:23 | 算命学の仕組 | Comments(0)
前回の余話#R88では、珍しく守護神の使い方を一例紹介しました。算命学における守護神という概念の存在は比較的広く知られているようですが、その用法については、天中殺に対する対処法ほどにも知られていないような印象があります。他の技法と同様、守護神の用法は多種多様であり、前回掲げた用例はほんの一部にすぎません。
宿命に守護神が見当たらないからといって慌てる必要がないことは前回述べましたが、守護神と逆の効果を持つ忌神というのも気に掛けるとすると、あれもこれも怖くなって人生が一歩も前に進まないという事態を招きかねません。天中殺だ、七殺だ、忌神だ何だと気にする人ほど、人生の貴重な時間を無駄な足踏みで浪費してしまうものです。そして、そんなことを気にせず生きている人に次々と追い抜かれてしまうのです。
本当に運勢を上げたいのなら、そんな命式の些細な瑕疵など蚊に刺されたくらいに考えて、日々の課題を全力でこなす日常を積み重ねた方が早道です。実際、命式は大したことないのに大きな業績を上げる人は沢山います。彼らは恐らく自分の命式など知らずに現実と向き合って真面目に生きることで、いつの間にか命式を充分消化して星を輝かせる結果となったのでしょう。つまり命式の良し悪しに頭を悩ませているヒマがあったら、自分の人生がどうすれば輝くかまず実践しろ、というのが算命学者の正直な助言です。

さて今回の余話のテーマは、「似ている」ことについてです。算命学は、お騒がせ星として名を馳せている調舒星と龍高星の人について、調舒星は調舒星を持っている人以外には全く理解されないし、龍高星は龍高星を持っている人以外には全く理解されない、と明言しています。どうですか、世の調舒星・龍高星の皆さん。自分が変人として評価されることに今更驚いたりはしないけど、たまに理解者に出会うと、まるで古い友人にでも出会ったかのような気分になりませんか。或いは調舒星・龍高星でない人でも、「この人、すごく気が合うなあ」と思う人に出会うことがありませんか。そういう気分になる相手は、恐らく宿命のどこかが自分と似ているのです。
命式には陰占と陽占と二通りありますから、ひと口に似ているといっても、陰占・陽占両方とも似ているというケースはそうはありません。また似ているといっても、例えば年干支が同じ人は、同じ年の生まれの人が全員該当しますから、かなり大振りな括りだということは判ると思います。つまり当てにならない。当てになるのは、もっと日干支寄りの方の一致です。
今回は、こうした「似ている/似ていない」にまつわる考え方について論じてみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「似ている人」です。「算命学余話 #R89」で検索の上、登録&梅ゼリー1パック分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

by hikada789 | 2019-02-19 18:53 | 算命学の仕組 | Comments(0)
科学の世界においては、正しいとか正しくないとかいう概念が一般の感覚とは異なるようです。「科学的に正しいこと」とは、「今のところ反証されずに残っている仮説のこと」、つまり「それが誤っているという証拠がないというだけの仮の説のこと」だそうです。消去法で「間違っている証拠」の挙がっている仮説を消していき、残ったものを「正しい」と呼んでいる。つまりこの正しい仮説らは、今後反証が見つかって「間違いだった」と打ち捨てられる可能性があるということです。そんなあやふやなものを我々は「科学的に正しい」と暫定的に呼んでいるに過ぎないのです。

科学の世界では、直接目に見えない現象を説明する時に仮説が使われます。例えばテーブルの上にチーズがあって、チーズに齧られた痕があり、更に屋根裏を何かが走り回る音がする。こういう時、目に見えてはいなくても恐らくネズミがいるのだろうと我々は推測します。これが仮説です。科学者はこのように、目に見える証拠からある仮説を立て、そこから目に見えない現象の予測を試みる作業に日々追われています。
ところで目には見えない素粒子物理学の世界では、記憶に新しい2012年、ヒッグス粒子という素粒子が発見されました。素粒子は全部で17種類あるのですが、最後の17個目であるヒッグス粒子が存在するという仮説が立てられたのは、それより50年も前のことでした。そもそもが目に見えない素粒子を扱う学問ですから、このヒッグス粒子の存在の是非をめぐる仮説は50年の間に無数に立てられました。しかしヒッグス粒子が見つかった瞬間、それまで存在していた他の仮説は全て「反証」されて廃棄となったのです。

このような仮説の大量廃棄は、数年か数十年に一度起こるものなのだそうです。そして科学者らはその大量廃棄の原因となった動かぬ証拠(この場合はヒッグス粒子の発見)によって「自然がこれを選んでいました」と認識を新たにし、その仮説を「正しい(仮説だった)」と呼び、それがもはや仮説や模型と呼ぶのは相応しくないから、以後は「理論」と呼び名を変えるというわけです。
この「自然がこれを選んでいた」というくだりが興味深いです。算命学は自然思想ですから、「宿命通りに生きる」とか「自然に沿った生き方をする」とかよく言いますが、膨大な仮説と向き合う自然科学の世界でも同じような表現をするというのは、当然といえば当然です。しかし世間には、科学と占いは相反するという認識の人も少なくないので、このような表現が科学の側から提示されると、算命学としてもやりやすい気がします。

今回の余話のテーマは、人の長所と短所についてです。
人間の性格は主に陽占を使って判断していきますが、そこからはその人の長所も短所も読み取れます。陽占に並んだ十大主星の特徴からどうやってそれらを判断していくか、そして鑑定の実践、あるいは生き方の実践においてどのように活用したらよいかを論じてみます。十大主星の特徴はもとより新しい話ではありませんが、守護神に関わる話も交えるため、やや技法的な内容になります。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「長所短所と守護神」です。「算命学余話 #R88」で検索の上、登録&梅ジャム1瓶分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

by hikada789 | 2019-02-08 21:29 | 算命学の仕組 | Comments(0)
平成最後の年が間もなく明けます。新年のスタートは2月4日の立春です。干支暦に基く新年は立春が起点になりますが、毎年2月4日とは限りません。たまに前後1日ほどずれる年もあります。なぜなら、立春とは昼の長さが一番短い日である冬至と、昼夜の長さが等しい春分とのちょうど中間のことであり、地球の運行に起因する一年の長さの伸縮が立春の位置を前後させるからです。
一年が常に365日でないことは閏年が証明していますし、我々が日々使っている時計でさえ、数秒ずれたから全世界で一斉に調整しますというニュースが流れることでその不正確を曝しています。こうした数秒の時計調整や閏日の存在によって、我々の住む世界は人間の都合のいいように割り切れないこと、そしてそのずれを合わせるのは常に人間の側であって、宇宙の側から人間に合わせることはないのだということは、揺るがぬ法則として、算命学を学ぶ者なら熟知しておく必要があります。
よく「自分中心に宇宙が回っている」と人を評することがありますが、そこに皮肉や侮蔑が込められるのは、その人物が宇宙の法則に反して生きていることに対する否定的感慨の表れなのです。

では新年を前に、一年を占う2019年大予想に移りましょう。この大予想は毎年やっているので、時間のある方は前年の大予想を読み返して、実際にどの程度的中したのか見比べてみて下さい。こう言うのは、自信があるからではありません。予測が当たったか外れたかは私にとっては重要ではなく、考察から生まれた予測がどの程度現実と重なり得るのか、その事後分析の方が今後の実践の役に立つからです。

今年は己亥年です。土と水の組合せで、土剋水の関係です。天干が地支を剋しているので、天災が予想されます。具体的には土砂災害、洪水、地盤沈下などが挙げられます。つまり近年の異常気象によって頻発している自然災害は、今年も続くという予測です。
日常生活に視点を下げてみましょう。政府や報道がいかに経済の好調を伝えようとも、この年の経済は総じて冷える見込みです。少しでも懐を温かくしたいのなら、自ら動くのが有効です。世界全体が冷えているからといって、個人生活までじっとしている必要はありません。大いに活動し、動き回って、体温を上げましょう。
また、部分的には経済が好調な分野もあることが予測されますが、その好調は、人間の知性の減退を促して成長するものです。最近、業績を急激に伸ばしている企業やその経営者が、人としての品性に欠けると酷評されるようなパフォーマンスが取り沙汰されていますが、そういう種類の好況はあり得るでしょう。
年干支の暗さに抵抗して、派手な格好をしてみるのも悪くはありません。普段やらないような奇抜な発言やパフォーマンスも、周囲の反感を買わない種類のものであれば歓迎されるでしょう。またそのようなトレンドが持て囃されることが予測されます。

折しも日本は天皇の退位・新天皇の即位の年に当たり、慰労と祝賀のイベントが続きます。年号も変わることで、あらゆる方面での変化や活性化も予見されます。それは必ずしも経済の冷え込みを覆すものではないかもしれませんが、暗くなりがちな一年を彩る華やかな光輝となるでしょう。
また亥は十二支の終末を司り、次の十二支の一旬を迎えるための準備の期間でもあります。この一年の間に、今までうやむやにしてきたことや未完成の仕事を仕上げると、翌年の十二支の開始がスムーズになります。ここで怠けて周囲を散らかしたままにしておくと、次の12年間もその澱んだ気を引きずるので、この機会に後片付けを進めておくと良いでしょう。

また何か新しいことを始めたいのであれば、この機会にじっくり材料を集めて熟考すると、翌年からの十二支の新気に乗って事が順調に発展していくことが期待できます。その場の気分で始めるのではなく、予め計画を練ってから実行に移すという実直な態度が幸運を呼びます。
逆に、この雌伏の時期に何もしないでぼんやり過ごすと、せっかくの新しい十二支の一旬を澄んだ気分で迎えられません。そういう意味でも大いなる可能性を秘めている年なので、自ら可能性を潰すような生活態度は控えるのが賢明です。

ではこの先は、己亥という干支の組合せについて、やや専門的な分析をしてみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「己亥を考える」です。「算命学余話 #R87」で検索の上、登録&干し柿1パック分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

◆補足◆
本編の内容を一部修正しました。亥の蔵干を書き間違えたので、その部分を訂正したものを更新版として再掲載してあります。既にご購入の方は、更新版にお差し替え下さい。大変失礼しました。

by hikada789 | 2019-01-28 15:18 | 算命学の仕組 | Comments(1)
友人の医師からこんな医療現場の話を聞きました。不眠症に苦しむある患者さんが、睡眠薬の処方を求めて診察にやって来た。しかし今日では睡眠薬は認知症の原因の一つになっていることが判っており、医者としては勧められない。そう伝えると患者さんは、「アタマおかしくなってもいいから私は眠りたいんです!」と訴えて、容易に引き下がらなかったというのです。
実に切実な心の叫びです。この人にとっては将来の認知症より、眼前の不眠症の方が忌まわしい事態だったのです。目先の利益を優先している、と笑うわけにはいきません。我々人間はいまを生きているのであり、いまをクリアできなければ将来も何もないのです。

とはいえこの話を聞いた時、私は不謹慎にも快く笑いました。この患者さんの正直さが、世間一般が支持している通説を押しのけたからです。つまり認知症は万人が忌避したいはずのエース級の病だという固定概念を、認知症になる前に不眠症で死ぬかもしれないという恐怖、或いは単に眠ってすっきりしたいだけといった矮小な生理欲求が凌駕したという事態に、眼前の課題に真摯に取り組む人間本来の活動姿勢を見出したのです。
どうして将来罹るかどうかも判らない認知症のために、いまの苦痛を耐え忍ばなければならないのでしょう。どうして生きているかどうかも判らない老後のために、現代人は保険やら資産運用やら、果ては年金やらに財産を注ぎ込んでいるのでしょう。いまここで忍耐しさえすれば、その対価は必ず将来手に入ると、一体誰が保証しているというのでしょう。それほど現代医療を、営利企業を、国家を、行政を、信じるに足りるだけの証拠を、我々は充分に並べることができた上で、その取引に応じているのでしょうか。実際はよく調べもせずに、社会の風潮や根拠の希薄な意見、言葉巧みで無責任な宣伝に安易に流されているだけではないのでしょうか。

まあ睡眠薬について言うならば、これは算命学者としてあまりお勧めできない解決法です。睡眠薬に限らず、薬物とは適度に使うからこそ健康に有益なのであり、濫用すれば逆に健康を害します。一回や二回といった限られた分量の処方で治るのなら、その薬は解決法として正解ですが、恒久的に服用が必要ともなれば、もはやそれは処方が間違っているのです。いくら服用しても治りはしないし、逆に人体の正常な回復機能を歪めていきます。
こういう病は結局薬では治らない。ではどうやって治すかといえば、生活習慣を変えるしかありません。食事が悪ければ改善し、部屋の空気が悪いのなら清浄にし、衛生環境が悪いのなら向上させ、ストレスがあるなら転職や引っ越しをする。家族が原因なら家を出る。山に行く。外国へ行く。いつもと違う顔ぶれと会う。趣味や交際を広げる。或いは引き籠る。何でもいいです。病気の原因となっているものと疎遠になれれば。
薬を飲んで一時的に症状が緩和されたところで、病気の原因がそのままではまたぶり返します。それよりも病気の原因そのものを取り除いた方が近道ですし、根治療にもなります。算命学にはこうした病気の原因を突き止める手立てがいくつかあるので、薬物に頼る前に宿命を探ることは意義があります。
病気になったらまず医者に相談するのは正解ですが、勧められた治療を始める前に、自分がその処方に納得しているかどうか、充分考慮した上で踏み切ったものかどうかくらいは、明確にしておくべきです。もし心が疑いを差し挟んでいるのなら、治療を断る勇気も必要になるでしょう。医者とあなたは違う人間なので、医者の最善があなたの最善だとは限らないからです。それがあなたの最善かどうかは、あなたの本能に訊いた方が確実です。その本能さえイカレてしまったのなら、もう先は短いのだと覚悟を決める時なのです。

冒頭の話に戻りますと、「将来の安泰より目先の利益」と言われると深慮の足りない浅はかな人間のように聞こえますが、この場合の「将来の安泰」が本物かどうかも判っていないのに目先の利益を無視するのは、やはり同様に深慮不足というものです。
例えば住宅などの長期ローンや長期間払い続ける保険料。高齢化社会における年金問題。近代の学校教育。昨今の話題としては遺伝病に対する断種という思想。LGBTの非生産性云々発言。いずれも将来はこうなる、という前提で話が進められているものですが、その将来とは本当に疑いなく、一分の狂いもなく予測通りにやってくるものなのでしょうか。科学技術が発達したと言いながら明日の天気予報さえ外している現代社会に生きる我々は、描かれた将来のために今の苦痛を我慢することを是とするべきなのでしょうか。もしかしてそれは誰かが仕組んだ罠かもしれないと、疑う必要はないのでしょうか。
今回の余話はこうしたテーマについて考察してみます。例によって鑑定技術の話ではありませんが、「未来を予知するためのツールではない」と銘打っている算命学の思想面の理解を深めるための内容です。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「過干渉の時代」です。「算命学余話 #R86」で検索の上、登録&豆菓子一皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

by hikada789 | 2019-01-19 01:37 | 算命学の仕組 | Comments(0)
食糧豊富な自然環境に暮らすアマゾンのある先住民族は、男性が競争的で雄弁、勇敢、虚勢を張る(つまり嘘つき)という特徴があるそうです。この場合の嘘つきとは、「提供できるリソースをあたかも多く持っているかのように」振舞うという種類のものです。また同時に乱婚でもあり、両親は乳離れした子供の世話をせず、放置された子供は自活する方法を自ら迅速に身に付けて大人になるといいます。食糧の手に入りやすい環境がそれを可能にしているのです。
一方、カラハリ砂漠に暮らす某民族は食糧調達の厳しい生活環境に置かれているため、人々は互いに協力するのが良いという価値観で生きています。狩りは共同で行い、その成果は平等に分配され、嘘は厳しく禁じられる。嘘による混乱は自らの生存を脅かすので忌避されるのです。また婚姻は一夫一婦制であり、配偶者は慎重に選ばれます。子育ても一族で行い、子供の親への依存度は高い。食糧が乏しいため、子供に対する投資は相対的に大きくなり、それ故に出生率も低く抑えられています。そうした環境下では、互恵利他主義が各人に徹底されます。

これは以前『算命学余話R43』でちょっと取り上げて腐した中野信子著『サイコパス』からの引用です。この部分については傾聴に値すると感じたので拝借しました。これは民族研究のフィールドワークから得られた実例報告なので、これをどう分析するかはともかくとして、食糧の豊かさ・貧しさが人間の価値観を左右しているというシンプルな因果関係は大いに納得いくものがあります。

時代は平成の世も最後の年となりました。日本国皇室は男系の伝統を守り続けてきましたが、当面もとりあえずこの伝統は維持できそうです。しかしほんの数年前は皇室に男児がなく、女性天皇を認めるかとか、いっそ側室制度を復活させるかとかいう議論がなされました。こうした議論が以前の皇室になかったのは、皇室の伝統が一夫多妻だったからです。要するに子供が生まれなかったら、健康そうな側室を迎えて子孫繁栄に努めれば良かったわけです。
かといって日本全体の伝統が一夫多妻だったというわけではありません。いくら子供が欲しいからといっても、大勢の妻たち子供たちを養う経済力がなければ一夫多妻はそもそも成り立ちません。つまり冒頭のような「食糧豊富な環境」になければ、多くの女性を娶って無制限に子供を儲けるという行為は自殺行為になるのです。従って一般庶民にとっては一夫一婦が相応しく、それはとどのつまり、庶民は総じて食糧豊富な環境にはなかったということになります。食糧はじめ物資が比較的豊富で、そのため複数の妻を養うことができたのは、支配層である殿様クラスか羽振りのいい商人等に限られていました。

現代の日本人は近代の法律によって一夫一婦の制約を受けていますが、実際のところ法律上の妻が一人であっても同時に愛人を囲っているという例は無数にあります。経済力のある男になら可能です。だから日本は表向きは一夫一婦の国ですが、実情は一夫多妻が許されている国だということです。え、法律? そんな人間が作ったあやふやなもの、ナマの現実を生きる人間の営みの前では紙切れですよ。守る義理がありますか。人間が是非とも守った方がいいのは、自然の法則だけです。これに反すると寿命が早まるからです。

というわけで今回の余話のテーマは、一夫多妻と一夫一婦についてです。近代の価値観では一夫多妻など狂気の沙汰だ、恥を知れ、といった扱いですが、それは表向きであって実際はこの通り、カネ次第です。勿論カネに靡かない堅実な女性もいますし、複数の男性との性交が子供の気を濁らせることは、既に過去の余話で述べた通りです。それを本能的に嫌う男女なら、一夫一婦で生涯浮気なしという夫婦関係を望むでしょう。これもまた真実です。
実際のところ、人類の歴史は一夫多妻と一夫一婦のせめぎ合いで、どちらに軍配が上がったとも言えません。時代によってこちらが勝ったり、あちらが勝ったりしている。結局は、どっちが正しいのでしょうか。算命学はどのように考えているのでしょうか。その辺りを考察してみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「一夫多妻の是非」です。「算命学余話 #R85」で検索の上、登録&揚げ餅一皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

by hikada789 | 2019-01-08 23:28 | 算命学の仕組 | Comments(0)
人気漫画『進撃の巨人』は、巨大な壁に守られて暮らす人類が、壁の外を闊歩している人食い巨人の脅威に怯えながら、その壁の外の世界に何があるのか知るべく危険を冒して出て行こうとする兵士たちの物語です。その視界を塞ぐようにそそり立つ巨大な壁に囲まれた架空世界の風景は、原作者諫山創の出身地に起因しているそうです。
彼が生まれ育ったのは大分県の山間部で、人家も疎らなのどかな田園の周囲はぐるりと山脈で囲まれていました。都会の人間から見れば羨ましいほどの自然豊かな風景が広がり、高層ビルのない空は広くて山々は見はるかせるし、騒音もないしネオンもないし、水も空気もおいしそうです。
しかしこの人の羨むような日本の原風景を、少年時代の諫山氏は苦々しい思いで見つめていました。なぜならその周囲に巡らされた山脈は、彼をこの狭い村落に閉じ込めて隔離し、山脈の外に広がる未知の世界がどういうものなのかを覗き見ることさえ許さなかったからです。彼の目にはこの美しい山々が行く手を阻む巨大な壁に見え、その外側の世界を知らないという状態が、知りたいという好奇心とどんな危険が待ち構えているか判らないという恐怖心を煽った結果、壁の外には未知の巨人が大口を開けて、数々の謎と共に待ち構えているという苛酷な世界観を生んだのでした。
同じ風景を見ていても、その立場によって、或いは経験によって、のどかな自然の風景は美しく心和ませるものにも見えるし、残酷な監獄にも見える。算命学の理論の基礎は自然思想ですから、宿命を鑑定する時も自然風景を眺める気持ちで臨みます。そして鑑定者の目には緑豊かな自然風景に見えたとしても、鑑定される当人にとっては世界から取り残された忌むべき辺境であるのかもしれない。そうしたことを鑑定者は念頭に置いて鑑定に臨まなければなりません。

算命学余話基礎編の第6回です。前回は陽占、俗にいう人体図の算出方法とマス目の意味について解説しました。では実際にマスが星々で埋まったらどのように読み解いていくのか、今回はそうした基礎技法をいくつか紹介します。

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by hikada789 | 2018-12-30 23:47 | 算命学の仕組 | Comments(0)
このところ算命学余話の内容が怖い、という感想を頂きました。死にまつわる内容が続いたのでそういう印象を持たれたのかもしれません。しかし算命学の理論は、もとより個人的な運勢判断より家系論をめぐって発達してきたため、一個人が死んで終わりという単発な話ではなく、家系という流れの中でいかに個人が翻弄され、或いは先祖から恩恵なり罪科なりを背負わされて生きるかという点に着目しています。
しかし現代人は、そんな先祖の所業などまるで気にせず、気楽に一度限りの自分の一生をそれなりに楽しんで生きています。過去の人間のやったことなど自分には関係がないとばかりに。こうした現代人の思想には、当人の犯した罪を子孫にまで償わせないとする現代の法律の原則が少なからず影響していますが、こうした思想の中では、人間は未来の子孫に対する責任を感じにくくなります。

算命学の家系思想が警告するように、我々が先祖の所業の代償を払う必要性について考えを巡らせるようになれば、いずれは自身もまた誰かの先祖になる我々は、未来の子孫が我々の所業の代価を払うたびに無用な苦痛を味わなくて済むよう、生前の行動にもっと慎重になれるのではないでしょうか。
現代の法律は西洋文化の発明品です。この外来思想が果たして人類の未来に対して責任を果たすのに効果があるものかどうか、疑う必要があります。
日本の古い言葉に「中夏無為(ちゅうかぶい)」という今日あまり聞かれない四字熟語がありますが、その意味は「為政者が刑罰を行なわずに治まる理想の世」ということです。確か老荘思想にも、「法律が増えるほど犯罪者は更に増える」という意味の一節がありました。
もはや専門家でさえ覚えきれないほど細分化された現行の法律に、更に立法府が新しい法律を際限なく成立させる不毛を解消するために、今後法律はただひとつ、「未来の子孫たちに対する責任を果たさない罪」に一本化したらいいくらいに思います。殺人も傷害も窃盗も、過失も脱税も猥褻も、環境汚染も人権侵害も、結局はどれも未来を生きる人々に何らかの負の影響をもたらす罪なのですから。

今回の余話は前回#R82の内容について少し補足し、あとは久々に鑑定技術に立ち戻って守護神の続きを解説します。

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by hikada789 | 2018-12-20 18:54 | 算命学の仕組 | Comments(0)