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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

カテゴリ:算命学の仕組( 307 )

独自の視点と強気な発言でキワモノ扱いされている感もある哲学者の摘菜収が、以前自著の中で「激辛好きは頭が悪い」と豪語しているのを読んだ時、思わず笑ってしまいました。実は私もそう思っていたからです。しかし自分の中でこの説には根拠がなく、せいぜい身の回りの賢い面々には激辛好きは一人もいないことと、友人とは見做していない知合いの中に激辛好きがたまにいて、それらがいずれもお粗末な頭の持ち主であるといった経験則ぐらいのものでした。そのモヤモヤをこうもはっきりと明文化、しかも高い教養と知見を備えた人間(高潔とは言えないかもしれないが)が断言しているのは、実に清々しく痛快に思われたのです。聡明なる算命学余話の読者の皆さんは、勿論激辛好きではありませんよね。

摘菜氏がその時どういう根拠を並べていたかは忘れてしまいましたが、最近立て続けにその根拠となる科学的見解を耳にしました。要は、味覚における「辛さ」とは「痛さ」と同義であるので、激辛料理を食べると「痛み」を感じた脳がこれを和らげる緩和物質を出す。いわば脳内麻薬です。それが多幸感を生むため、激辛料理がやみつきになるというわけです。結論としては、辛い物好きはそもそも薬物依存の素質があるということ、過度の刺激による多幸感を欲するほど実生活がイケてない不幸な人であるということ、自力ではなく他力によって至福感を得ようとする人であるということ、こんなところです。これらを総合して、摘菜氏は「激辛好きは頭が悪い」と一刀両断したのでしょう。

算命学的に言い換えれば、幸せだけを求めて不幸を人生から完全に排除しようとする人は陰陽論が判っていないし、概ね利口な人というのは、急激な成功や一時的な上昇が幸せにとっての蓄積にはならないことに薄々気付いているし、他力よりも自力で獲得した幸せの方が遥かに堅実で価値が高いことも知っているからだ、ということになります。
首を縦に振っている皆さん、勿論激辛なんて食べませんよね。というのは、私の所に運勢鑑定を依頼される方の中に、たまに「自分の今後の人生をすべてコーディネイトしてくれ」と言ってくる人がいるからです。自分がやると失敗するかもしれないので、算命学で成功だけする完璧なロードマップを作ってくれ、自分はその通りに生きるから、というわけです。
こういう人には本当にガッカリさせられます。せっかく自然が与えてくれた自分の人生を自分で構築するチャンスを、みすみす他人に譲り渡して自分はその結果だけ欲しいというのですから。そんな他人任せで得られた成功が至福感を約束してくれると思ったら大間違いです。そんな成功はあなたの功績ではなく、他人の功績です。その功績によって他人の宿命の輝きが増すことはあっても、あなたの宿命は輝かないままくすぶって一生を終えるだけです。
あなた、激辛好きでしょう? 唐辛子が与えてくれる多幸感は違法薬物の効用と同じです。長続きしないどころか、心身を蝕んで老化を早めるだけです。激辛よりも、頭の良くなる青魚をもっと食べなさい。その方が幸せへの近道になります。

今回の余話は、守護神の続きです。丙火もこの冬で最終回です。守護神の記事は今までのところ人気のないテーマで、あまり読者が増えていません。算命学の技法を欲している少数の人しか購読していないということなのでしょう。それは言い換えれば、算命学の技法でなくても読むに値すると見做してくれている読者が多いということです。そうした読者を見込んで、上述のような発言をわざわざ紙面に残してみました。責任を持って発言している言葉なので、撤回はしません。読者の皆さんは勿論激辛など食べない人だ、という前提で執筆しております。

(この続きは「ブクログのパブー」及び「フォークN」に公開しました。副題は「守護神#12 丙×冬」です。「算命学余話 #R101」で検索の上、登録&水ようかん1パック分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。なおパブーでの購読は2019年6月末で終了となります。7月以降はフォークNのみの販売を予定しておりますが、バックナンバーの再掲載には時間がかかると思われるので、お急ぎの方は終了前のパブーでお買い求め下さい。)

by hikada789 | 2019-06-16 19:33 | 算命学の仕組 | Comments(0)
昨今世間では、ひきこもりの扱いに困っているようです。五十がらみのひきこもり男性が無差別殺傷事件を起こし、それを見た元エリート官僚がひきこもりの、これまたいい年こいた長男を刺殺しました。長男の家庭内暴力が戸外へ飛び出して無差別殺傷事件に発展するのを阻止するため、というのが殺人の動機でした。
後者の事件を解説する日本語が滑稽に聞こえます。「中学の頃から家庭内暴力をしていた〇〇さん(長男の名前)」「長男に暴力を振るわれ危機感を強めた××容疑者(父親の名前)」。日頃暴力を振るっていた長男が「さん」付けで、それを止めようとしていた真面目な父親が呼び捨てです。殺人は悪だという短絡で、深く物事を考えずに済ませる習慣に馴染んでいる人たちは、猫も杓子も殺害された人に「さん」をつけて安心しようとしています。しかしそんな薄っぺらな人間よりも歴史ある日本語の方が遥かに利口なので、単語のおかしな組合せ並べると「間違った日本語」に自然と聞こえてきます。
「さん」は敬称です。その人間性を敬っていない相手に対して敬称をつければ、敬意そのものがウソになります。それとも、日頃からウソに馴染んだ人や、相手に敬意を払う習慣のない人にとっては、もはや感覚がマヒして、こうしたおかしな日本語の並びに違和感を覚えないというわけでしょうか。
とはいえ、世間ではこの父親の「義挙」を称える声が上がっています。そして逆にそれを戒める声も上がっています。どちらの正義が正しいのでしょう。どちらかが正しいとすれば、世の中には「間違った正義」というのが明確に存在していることになります。

算命学は良し悪しを論ぜず、陰陽を説くだけです。そして殺人に至るまでには、おそらく先祖の因縁があると考えます。その因縁を清算するために、身内や近親者に犠牲を出すことはままあります。それが殺人という形を取るかどうかまでは断言できませんが、いずれにしても、世間がおかしな日本で唱えるように「殺した方が一方的に悪であり、殺された方には非がない」という単純な線引きは算命学には通じません。
今回の余話は、昨今連続したひきこもり関連の殺傷事件について、算命学的視点で考えてみます。宿命は見ませんし、こういう命式だからひきこもるとか、無差別殺人に至るとかいうことは論じません。ひきこもりが現代人特有の現象だとも考えません。自然思想と陰陽五行論だけで、これらの現象をある程度分析することが可能だ、というお話をします。

(この続きは「ブクログのパブー」及び「フォークN」に公開しました。副題は「ひきこもりについて」です。「算命学余話 #R100」で検索の上、登録&アイスカフェラテ一杯分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。なおパブーでの購読は2019年6月末で終了となります。7月以降はフォークNのみの販売を予定しておりますが、バックナンバーの再掲載には時間がかかると思われるので、お急ぎの方は終了前のパブーでお買い求め下さい。)

by hikada789 | 2019-06-08 19:12 | 算命学の仕組 | Comments(0)
前回の余話#R98で「胎元」を取り上げるに当たって引き合いに出したアイドルが身強だったと知り、驚きました。通常身強はそのエネルギーの大きさにより悪目立ちすることがあり、実際学校などでいじめを受けるのは身弱よりも身強の方が多いとされていますが、同時に身強は痛みに強い(又はニブイ)ので、いじめを受けても気付かずうやむやに過ごして終えることしばしばです。
例えば身強は骨折しても「痛いな」くらいにしか思わず、医者にも行かずに放置したまま自然治癒を待つため、体のあちこちに大きな傷痕を残していることがよくあります。もしこれが身弱なら痛いどころの話ではなく、大騒ぎして病院に駆け込み、徹底的な治療をしてもらって傷を治しますから、結果的に傷痕は薄いものになります。健康管理について日頃ケアに勤しんでいるのは、明らかに身弱の方です。身強は良く言えば豪快、悪くいえばずぼらなのです。これは持って生まれたエネルギーの量による差異です。

そんな身強と生まれた者が、「顔を触られた」くらいで「暴行」被害を訴えるのは辻褄が合いません。そう算命学者は考えます。ではこの身強のずぼらセオリーを覆してまで被害者ぶるには、他にもっと大きな原因があるはず。もちろん宿命にです。そこで宿命を見てみたところ、ああこういうことかと納得がいきました。というわけで、今回の余話のテーマは被害妄想についてです。
被害妄想の命式というのはいくつか考えられ、この命式だから必ず被害妄想になるということではありません。人生は宿命だけが決定しているのではなく、その人の実際の生き方も大きな決定権を担っています。今回の事例はアイドルなので、職業としては珍しい部類に入ります。通常の生き方とは当然異なります。しかし、もしこの人がアイドルにならなかったら、どういう生き方が自然に則していたでしょうか。身強でありながら小さな被害(「胎元」と比べてみて下さい)を大声で訴えるという事態になったでしょうか。命式から読み解いてみます。

(この続きは「ブクログのパブー」及び「フォークN」に公開しました。副題は「被害妄想を見定める」です。「算命学余話 #R99」で検索の上、登録&水出しコーヒー一杯分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。なおパブーでの購読は2019年6月末で終了となります。7月以降はフォークNのみの販売を予定しておりますが、バックナンバーの再掲載には時間がかかると思われるので、お急ぎの方は終了前のパブーでお買い求め下さい。)

by hikada789 | 2019-05-26 18:01 | 算命学の仕組 | Comments(0)
少し前に、アイドル女性が自宅に押し掛けたファンの男性に「暴行」された責任を所属事務所に訴えるという事件がありました。報道によればその暴行の内容とは「顔を触る」というもので、もしかしたらアイドルという立場を守るため敢えてソフトな表現にとどめたのかもしれませんが、間違っても強姦ではないし、殴る蹴るの暴行でもなかった。そこまでしたらもっと大ごとになっているはずですから。そんなわけで私は、「顔を触られたくらいで暴行だ? 仮にキスされたって妊娠するわけじゃなし、大袈裟な」とバッサリ斬り捨てる思いで報道を聞き流しました。アイドルという職業柄も、この種のリスクは当然折り込み済みで、むしろそうしたファンの心理を利用して儲けている業種なのだから自業自得だ。そのリスクを想定できない脳ミソを持ってアイドルをやっている方が悪いのだ、くらいに考えました。
そして、「こんな些細な事で騒ぎ立てる人間は、きっと身弱に違いない」とせせら笑いました。実際に身弱かどうかは知りませんが、算命学の理屈では、こうした言動は精神鍛錬の足りない身弱の特徴です。精神鍛錬のできている身弱ならこういうことは言わないし、身強なら通常、骨の一本や二本折れるほどの明らかな暴行を受けた場合でも被害意識を覚えないほどメンタルは頑丈です。鈍いとも言えますが。いずれにしても、このアイドルの言動から算命学は「修行の足りない未熟な愚か者」という判断を下しますので、算命学者である私が同情を寄せる余地はないのでした。

なぜこの事件を取り上げたかというと、算命学をやっていると、想像を絶する不幸不運の命式というのが理論上存在することが判ってきます。そしてその命式は男に生まれるか女に生まれるかで差があって、ものによっては女性が圧倒的に不利だということです。それは常識と照らし合わせてもそうですが、男女の肉体的な差の表れであり、男性の受ける暴力と女性の受ける暴力は種類が違うということです。それは名誉や未来にも深刻に関わっています。
今回の余話のテーマは、前回余話#R97で解説した一気成生格について、九種類のうちの別の一つを取り上げます。前回の「凡夫入城」を読まれた方が一気成生格を軒並み幸運な命式だと勘違いしないよう、今回は大難に部類される「胎元」です。どうしてこの命式が大難なのか理屈と合わせて考えてみますが、これを見れば、冒頭のアイドルの被害など訴えるに値しないことが判るでしょう。

(この続きは「ブクログのパブー」及び「フォークN」に公開しました。副題は「胎元を考える」です。「算命学余話 #R98」で検索の上、登録&山菜御飯一膳分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。なおパブーでの購読は2019年6月末で終了となります。7月以降はフォークNのみの販売を予定しておりますが、バックナンバーの再掲載には時間がかかると思われるので、お急ぎの方は終了前のパブーでお買い求め下さい。)

by hikada789 | 2019-05-18 13:28 | 算命学の仕組 | Comments(0)
令和の時代になりました。天皇交代と改元に因んだ様々な番組が連日放送されたため、俄かに皇室事情に詳しくなったり、意外な事実を知ったりしました。
例えば、退位された天皇陛下は上皇、皇后陛下は上皇后と呼び名が変わることになりましたが、上皇というのは本来「太上天皇」の短縮形です。しかし略さずに太上天皇と呼ぶと、新天皇と名称がかぶって紛らわしいので、今回は短縮形の方を正式名称にしたということです。
更に新規なのは上皇后という名称で、これは今まで日本語になかった造語だそうです。天皇の母后を「皇太后」と呼ぶ習慣は以前からありましたが、皇太后となるには夫である先帝が崩御していなければならず、今回の生前退位には相応しくない。そこで別の呼称を考案した結果、「上皇のお后様」という意味の「上皇后」が生まれたということです。それほど生前退位は珍しい出来事なのです。

ところで、天皇が崩御せずに生前のうちに退位するというのは約二百年ぶりの出来事だそうですが、その二百年前の交代劇はどんな様子だったのかを紹介してほしいと思っていたのに、どこも取り上げなかったところを見ると、何か軽々しく公表したくない事情があったのではないかと勘繰ってしまいます。
天皇家が日本という国全体に与えている影響についての算命学的見解は、以前の余話で述べたのでそちらを参照して頂くとして、今回の余話は格法の一つである「一気成生格」についてです。一気成生格を成立させる命式は九種類のみと大変希少ですが、条件によってはこれに「準じる」形の命式があります。その一つに焦点を当て、前回余話#R96玄で解説した旺相休囚死を絡めて、その意味合いの所以を考察してみます。

(この続きは「ブクログのパブー」及び「フォークN」に公開しました。副題は「凡夫入城を考える」です。「算命学余話 #R97」で検索の上、登録&筍御飯一膳分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。なおパブーでの購読は2019年6月末で終了となります。7月以降はフォークNのみの販売を予定しておりますが、バックナンバーの再掲載には時間がかかると思われるので、お急ぎの方は終了前のパブーでお買い求め下さい。)

by hikada789 | 2019-05-09 17:59 | 算命学の仕組 | Comments(0)
前回の『算命学余話基礎編#6』では人体図の読み方の基礎を解説し、それまでの陰占と合わせて鑑定の基礎情報がかなり出揃いました。とはいえ、ここから得られる情報は他にもまだまだあります。
今回の基礎編では、エネルギーにまつわるいくつかの技法と理屈を解説し、やがては理論拡大して応用技法へと発展するエネルギー論の根本を身に付けて頂きたいと思います。具体的には、以下の項目について論じます。
(1)旺相休囚死
(2)十二大従星指数論
(3)エネルギー論

(1)旺相休囚死
算命学と概ね同時代の易学として、易経というのがあります。古代中国の四書五経のうちの一つで、周易との呼び名もある通り、周の時代に大成した易学です。易経は論語などの人生訓と違って占いの書なので、今日読み直されることは稀ですが、内容は算命学の思想と非常によく似ていて、ほぼ同根であることが判ります。算命学も易経も、自然思想が基になっているからです。
自然といえば四季です。春夏秋冬はそれぞれに役目があって寒かったり暑かったり、花が咲いたり枯葉が落ちたりするのですが、単純な人間は、花の季節や作物の実る季節をもてはやし、自分の人生もそうあれかしと願います。そのため寒くて実りのない冬のような人生にはなるまいと、不運や不遇を避けて通ることに躍起になったりします。

しかし易経は、冬という季節にも重要な役目があって、ここで休まなければ春に花を咲かせることも秋に実をつけることも叶わない、と説いています。自然が恒久的な循環運動を続けるためには、活動だけでなく休息も必要であり、その休息を如何に効果的に取るかによって、その後の花果の出来栄えに差が出てくるというわけです。
人間の人生もこれと同じで、自然の中で生きる人間は、人生の春夏秋冬を経験しなければならないし、もし花や実りを享受したいのならば、その前の冬の停滞期に力を蓄えておかなければならない。だから人生にとって冬は必要だし、どう冬を過ごすかが人生の明暗を分けることになるし、冬の時代を忌み嫌ってただ避けているだけの人には、人生の実りは永遠にやって来ない。易経はこのような思想を持っていますが、算命学も全く同じです。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「基礎編#7 エネルギーを読む」です。「算命学余話 #R96玄」で検索の上、登録&新茶1パック分の料金をお願い致します。なおパブーでの購読は6月末で終了となります。7月以降は別のサイトでの販売を予定しておりますが、バックナンバーの再掲載には時間がかかると思われるので、お急ぎの方は終了前のパブーでお買い求め下さい。)

by hikada789 | 2019-04-29 20:17 | 算命学の仕組 | Comments(0)
前回の余話#R94では、命式に現れていない通干を生き方によって作動させる例を挙げました。既に何度も触れているように、宿命が人生の全てを決定しているわけではないことは、この例でも、それ以前の余話でも示しております。こういう事実を突きつけると、「じゃあ宿命なんが見たって何にもならないじゃないか」と声が上がっても不思議ではありません。そうです。算命学者は、宿命が全てを語っているなどとは露ほども考えておりません。そう考えているのは依頼人だけです。
従って、算命学の鑑定依頼を受ける者は、依頼人のこの種の誤解を最初に解いておく必要があります。さもないと、「あなたの宿命は素晴らしいものですが、現状不遇をかこっているということは、あなた、よっぽど生き方が間違ってますね」と鑑定途中に正直に洩らして逆ギレされることでしょう。しかし逆ギレを恐れてはいけません。真実をそのまま伝えることもまた、鑑定者の務めだからです。
嘘はいけません。鑑定者自身の運勢を下げないためにも、間違ったことだけは伝えてはなりません。せめて素知らぬふりをして黙っているくらいの知恵は許されますが、依頼人の逆ギレに恐れをなして鑑定結果を違えることだけは避けて下さい。それができない人は、他人様を鑑定する資格はありません。

今回の余話のテーマは、恒例の基本シリーズの天貴星です。天貴星は十二大従星の天印星(嬰児)の次の星で、児童を意味しています。年齢は三歳から大体十歳くらいまでを想定しています。
既にお気付きとは思いますが、十二大従星は人間の一生を精神世界も含めて十二分割したものであり、十二の星それぞれの特徴は、それぞれの年頃の人の特徴を基にしています。例えば前回の天印星は、赤ん坊の時期の人間がどのようであるかを考えれば、自ずとその特徴が読み取れました。天貴星も同様に幼児を考えて見れば、その特徴が見えてきます。

三歳児といえば物心のつく歳であり、赤ん坊とは違って自意識があり、自我も備わってきます。また猛烈な勢いで知識を吸収する時期であり、「三つ子の魂百までも」の通りその記憶の定着は一生ものです。つまりここで記憶されたもの、体験されたものは、その人の人生全体を左右するほどの影響力があるというわけです。
これは一般論でもそうであり、算命学の基礎としてもそうです。もし子育てを安易に考えている親がいたら、このことは知らせてあげた方がいい。児童の年齢の子供に、或いは天貴星の持ち主である幼児に、いい加減で浅薄な知識や経験を授けたならば、その子は大人になったらいい加減で浅薄な振る舞いをするであろうことが予測されるからです。それほどこの時期の記憶、つまり教育や経験はあとあとまで響くということです。悪い経験であるなら、立派なトラウマになることでしょう。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「天貴星を基礎から考える」です。「算命学余話 #R95」で検索の上、登録&ルイボス茶1パック分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

by hikada789 | 2019-04-16 19:58 | 算命学の仕組 | Comments(0)
細菌やウィルスといった病原は、病原にとって一番居心地のいい場所や時を選んでごく自然に人間に取りつくのだそうです。居心地の悪い所、生存環境の悪い場所には病原だって行きたくはないし、そこに棲みついたところで繁栄できません。だから病原が蔓延るということは、そこにいる人間や人間集団が病原にとって都合のいい条件を提供しているのであり、またタイミングとしても病原の繁栄に適していることを物語っているのです。逆に言えば、人間の生き方が自ら病気を招いているとも言えるでしょう。
これは病原に限らず、目に見えない霊的な作用や運勢の高低も同じで、その人の生き方や社会集団のあり方が、病気・霊作用・運不運を自ら招いているのです。

算命学は自然の大本である宇宙のあり方を考える学問ですが、宇宙という二文字は時間と空間を表しています。また干支は十干が空間を、十二支が時間を表しています。つまり算命学は、どこから見ても時間と空間の二本立てだということです。
人が病気になるのは、上述の病原の話と重ねるなら、人が病気を呼び寄せるような環境(栄養状態や衛生環境など)を空間として提示している時に、病気が蔓延するような時節(季節による温度や湿度の違い、戦争や災害といった非常時、社会の劣化、個人の老化など)がちょうど当たっているからだということになるでしょう。そして、人間ひとりではなく集団として病気が蔓延する時は、そうした病気を招くに相応しい時間と空間が、集団の側から大々的に提供されているという風に解釈できます。

算命学がしばしば病人や弱者に対して冷淡なのは、病人や弱者は外的要因による被害者なのではなく、本人に、或いは本人が属する集団に問題があるからだと考えているからです。集団に問題があるのなら、個人はその集団を脱すればよいのです。それをする勇気もなければ努力もしない上で病気になったと被害者ぶるのは、筋違いだというのが算命学の考え方なのです。
病気や弱者になりたくないのなら、それなりの努力と工夫をしろ。巡る四季(つまり時間)に逆らうことはできないが、居場所(つまり空間)を変えることはできるはず。もし物理的に空間を移動できない場合でも、その場所の性質を変える手立てはあるはずです。部屋が散らかっているなら整理整頓をし、病原が減るよう床や家具を磨き、窓を開けて換気をし、陽光を入れる。人間が菌を持っているなら全身を洗浄し、服は洗濯し、湿気をとる。健康的な食事をし、運動をし、睡眠をとる。誰もが日常的にできることです。この空間を狭い部屋から家全体、職場や社会全体に広げても同じことです。病気や不運を招いているのは、全てそこにいる本人の責任なのです。安易に宿命のせいにするのは間違いです。

さて今回の余話のテーマは、最近現役を引退して、国民栄誉賞も辞退したスポーツ選手の命式です。国民栄誉賞は三度目の辞退というから、よほど名誉欲のない命式なのだろうと見当をつけましたが、賞をもらわなくても既に十分名誉は上げている人です。ではこの人にとって名誉とは何なのか。その辺りに焦点を当てて命式を眺めてみます。
まだ生きている人なので、人生を総括するのは早すぎます。今後の半生がどう展開していくかは判りませんが、冒頭の話の通り、この人の前半生の成功は命式だけの功績だとは言えない、という点に着目していきます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「ないはずの名誉」です。「算命学余話 #R94」で検索の上、登録&桜茶1パック分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

by hikada789 | 2019-04-07 15:46 | 算命学の仕組 | Comments(0)
算命学の鑑定では、生年月日からまず宿命(陰占)を出し、そこから人体図(陽占)を出し、並行して天中殺と大運を出しますが、前回余話#R92で取り上げた六親法もこれに加えると、鑑定に使える基本情報がひと通り揃います。この先の守護神や局法・格法、合法・散法、六親法に付随する十二親干法等、数ある技法も鑑定の実践では勿論重要ですが、依頼人の相談内容によっては使わない場合もあります。
しかし六親法は、何を占うにしても欠かせない技法です。それほど血縁者との関係は重要で、その人の人生も人となりも左右し得るほどの威力があるからです。特に子供時代に誰に育てられたか、誰の影響を受けたか、受けなかったかという情報は、その人の人格形成に大きく関わってきます。言い換えれば、人間がどう成長するかは、その子を育てる近親の大人たちに依っているということであり、その代表としての親の責任は重大だということです。その重責について考えずに子供を作る大人を量産する社会は、道徳以前に劣化の一途を辿っても致し方ありません。親としての責務は、単に物理的な衣食を与えれば済むというものではないのです。では誰が何を子供に授けるべきなのか。それが六親法はじめ宿命の中に、それほど難しくもないヒントとして描かれているのです。

説教臭い導入になってしまいましたが、今回の余話のテーマは「まっとうな人間」の姿についてです。陰占はその人が生まれた時の自然の姿を表したものですが、その人がどういう手足や思考傾向を持った人間であるかは、陽占を見た方が具体的です。陽占は別名「人体図」であり、人間の姿そのものを表しているためこの名があります。
人体図の算出法や基本的な読み方については以前の余話で述べたので、今回はこの人体図をどう活用しないと、どういう不具合のある人間が形成されるのか、そうした辺りを考えてみます。
思考の話なので、前回のような込み入った技法の話にはなりません。しかし昨今は公的に高い地位にある人が破廉恥な犯罪を犯したり、非難されることが誰にも予測できるような幼稚な動画をネットに流しては痛い目を見ているお粗末な輩や、果ては子育ての能力もないのに子供を生んで結局虐待に行きつく親など、冒頭の話題につながる人間の劣化事件が後を絶ちません。尤も、私はこうした事件が現代に限った新しい現象だとは思っておらず、いつの時代も、どの国でも繰り返し起きてきた人類共通の事件だとの認識でいます。それは、算命学が成立した数千年前も同じだったということです。
では算命学は、こうした劣化した人間の仕上がりをどう認識しているのでしょう。算命学の技法は多種多様なので、あらゆる技法を通してこの課題を説明することはできますが、今回は人体図に絞って考えてみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「心臓を貫く」です。「算命学余話 #R93」で検索の上、登録&桜おかき1パック分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

by hikada789 | 2019-03-29 18:16 | 算命学の仕組 | Comments(0)
前回の余話#R91では、天印星の性質がどういう理屈から成り立っているのかを考えてみました。天印星は赤ん坊の星ですが、宿命に天印星を持っている人なら誰しも赤ん坊のように無垢だとか、無知無力であるとかいうことではありませんし、それでいいということでもありません。人間は成長する生き物なので、夭折しなければ成人しますし、成人すれば子を生み育てます。或いは子供を生まなくても知恵や技術を身に付け、それを次世代に伝えることで社会に貢献します。これも立派な「育てる」行為です。
しかし、もし天印星を持つ人が赤ん坊のままでいいとするなら、それは大人にならないということであり、成人しているのに次世代を「育てる」役目を果たさない人間は、この世界に必要のない存在として、自然による淘汰の対象となっていきます。人間が生まれてから成長を続けて大人となり、死ぬまで成長・成熟を続けることは、自然の法則に適ったことなので、それを拒む人間は自然に逆らっている、だから淘汰されるというわけです。

赤ん坊である天印星が大人になることを拒んだまま大人になるとどのような醜悪な事態となるかは、前回説明しました。そして、それを回避するためにどのような教育が必要なのかも述べました。それは、天印星の特徴である天真爛漫さを活かしたまま、自ら行動することの苦手をいかに克服するかという手立てであり、成人した天印星を輝かせるための方策なのです。そして算命学は、そのような赤ん坊の資質を持って生まれる人間を認めながら、人生の大半を赤ん坊ではいられない人間がどうすれば社会に存在を許され、この世に役立つ人として歓迎されるか、「育てる」側の人間になれるかを示唆しているのです。

算命学の知識の浅い人の中には、「自分の宿命には(例えば)天印星があるのだから、自分はベッドに寝そべって、周囲の人間に着替えも食事も娯楽も用意してやってもらえばいいんだ」と勘違いしている人がたまにいますが、算命学の思想を正しく理解するのなら、そんなことをすれば運勢を下げに下げて、宿命にさえ書かれていないほど早くて不可解な死を招くことになるので、やめた方がいいですし、実際そのような生き方をしている人は淘汰されています。
例えば昨今取沙汰されている介護施設での殺人事件などは、何もかもを人の世話になって生きる大人がどういう末路を迎えるか、その一例について我々に厳然と提示しているものと、算命学では考えています。自然死ではない異常な死に方は、自然に反する生き方が招くことなので、加害者だけに責任があったとは言えない。このような冷ややかな算命学的視点は一般社会のそれとは異なるものですが、そうした異なる角度から世界を見つめることもまた、算命学の役割なのです。

さて今回の余話のテーマは、人との縁のある・なしについてです。縁という概念は仏教的な因果応報や輪廻、前世との関係性といった認識のされ方がありますが、算命学の云う縁はこれとは少し違います。前世との因果関係の有無については論じず、現世において、誰と関係が深いか浅いか、具体的には配偶者を含む家族の誰と縁があり、その影響によって運勢がどう上下するか、星が輝くかどうかを考えるための技術として使います。そのため、まず算命学で使われているところの「縁のある・なし」が何を指しているのか、正しく認識しておく必要があります。
技術的に込み入った話なので、予めご了承下さい。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「縁がある、ない」です。「算命学余話 #R92」で検索の上、登録&桜最中1パック分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

by hikada789 | 2019-03-19 14:42 | 算命学の仕組 | Comments(0)