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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

カテゴリ:その他( 199 )

高校の時に自由研究発表の授業があった。全生徒が各自集めた資料をまとめてたった一人で登壇し、クラス全員に向けてプレゼンテーションするというもので、テーマは自由といっても15分ほどの登壇時間中聴衆を惹きつけるに足る内容でなければならず、質疑応答もあるので、そうなると大体社会問題をテーマに選ぶのが無難だった。資料が集めやすいし、記事なり書籍なりから有識者の考察や論評も引っ張って来れる。高校生の拙い頭で無理やり見解や結論を捻り出すよりも、既に見識あるオトナが出したそれを提示した方が権威もあるし、間違いもない。誰しも壇上で恥はかきたくはないのだ。
そんな授業である級友が「焼畑」を取り上げたことを妙に覚えている。焼畑とは熱帯に住む原住民が行っている伝統農法のことで、熱帯雨林を野焼きしてその灰をそのまま残して肥料にすることで作物を育てる。しかし当時は全世界で森林破壊や大気汚染が非難されていた時代で、焼畑は森林破壊も大気汚染も助長する非文明的で愚劣な習慣だ、というのがその発表の結論だった。勿論その結論を出したのは生徒ではなく、生徒が読んだ関連記事を執筆したオトナたちである。しかし高校生の宇宙人はこの発表をぼんやりと聞きながら、頭の奥で警報機がウルトラマンの胸のタイマーよろしく赤く明滅するのを感じていた。何の警報なのかずっと謎だったのだが、その謎が最近解けた。

真相はこうである。あの授業から30年経った今日、焼畑は環境破壊どころか地域の風土に適応した高度に優れた農法だというのが定説となっている。なぜそうなったのかというと、その後の研究により、熱帯の原住民の行う焼畑は、日本はじめ「文明国」が温帯で行っている常畑農法と原理的に大差ないことが判ったからだ。少し長くなるが理屈はこうだ。

熱帯では植物の生育が早い。ちょっと目を離すとすぐ草ぼうぼうになってしまうので、耕地として利用するなら植物が大きく成長する前に火を放って焼いた方が効率がいい。しかしあたり構わず野焼きするのではなく、耕地には休閑期が割り当てられ、焼畑はいくつかの段階を経て数年でローテーションするように工夫されている。つまり焼畑を終えた後の土地は不毛地になるのではなく、休閑期に耕地としての土壌力を回復するよう意図されているのである。しかもそうした休閑地を含む焼畑実施地は地域全体のほんの一部にすぎず、大部分は熱帯林のまま残されている。山地など耕作に不向きだったということもあるが、生態系全体を維持するにはそれ以上耕地を広げない方が良いという知恵が、原住民の伝統の中に息づいていたのだろう。このように焼畑は森林破壊も環境破壊もしてはおらず、逆に持続可能な生態系維持システムとして優れた農法だったというわけなのだ。

これに比較して、我々に一般的な常畑では植物は熱帯ほどにはすぐに成長しない。もたもたしてたら耕地一面が雑草だらけになって種も蒔けないということはなく、従って火を放って一気に除草する必要もない。その代わり、焼畑のように予め灰という肥料が撒かれてはいないし、耕地もずっと作物を作っているといずれ土壌が痩せてくるので、作物の成育中は肥料を余所から持ってきて撒かなければならない。肥料は主に里山から搬入される。農耕に適した養分を含む土や有機物、薪を燃やした灰や排泄物などは、人間の居住地とそれに隣接する里山にある素材で作られるのであり、もとより耕地にはない。そんな里山は従来広大な面積を誇り、耕作地の何倍も広かった。これは、熱帯における手つかずの熱帯林と焼畑耕地にそっくり比定できる。

つまり常畑は耕地があちこち移動しない代わりに、肥料を方々から掻き集める農法であり、焼畑は反対に耕地があちこち移動する代わりに、肥料はその場にある草を野焼きすることで足り、他所から掻き集める手間が省ける農法である。この差は地域の気候つまりは植物の成育速度によって生じた差であって、どちらが高度だとか文明的だとかいう話ではない。どちらも当地の自然風土に適した持続性の高い農法なのである。

ではなぜ30年前の有識者らは、熱帯における焼畑を非文明的で愚劣と評したのであろうか。それはまったくもって腹立たしいことだが、当時の有識者つまり先進国の自称文明人が、熱帯の原住民を自分達より劣る人種と頭から見做して、よもや生態系全体に配慮した持続可能な農耕技術など持っているはずがないという先入観から、焼畑を安直に森林破壊、環境破壊と結びつけたからだった。自分達こそ森林破壊をさんざんやってきたくせに、自分達の犯してきたこの種の間違いは、文明の遅れた民族が西洋文明に遅れる形で必ず同じ轍を踏む、というのが彼らの直線的世界観なので、よもや森林破壊せずに八方丸く収める農業の知恵を、半裸で生きる熱帯の土人らが備えていようとは露思い至らなかったのであった。

そして何よりそこには金儲けのための歪んだ作為があった。30年前は確かに熱帯林の破壊は急激に進行していたのだが、それは喧伝されたような焼畑のせいではなかった。焼畑は上述の通り休閑期はそっとしているのだし、そもそも耕地を取り囲む熱帯雨林を新たに焼いて耕地を広げるということもしていない。では犯人は誰なのか。
熱帯林をなぎ倒していたのは、そこに商品作物を植えて儲けようとした企業だった。当時は熱帯でよく育つアブラヤシやゴム、大豆などの商品価値が上がり、企業は安く手に入れられる熱帯林を次々に破壊しては商品作物を栽培して儲けていた。しかし森林破壊との非難の声が高まるにつれて、彼らは自分たちの事業の縮小を恐れ、森林破壊の罪を他者に転嫁した。それが焼畑だったのだ。「熱帯林を破壊しているのは企業ではなく、原住民である。焼畑を行う原住民の無知蒙昧な非文明性こそを糾弾すべきである」と彼らは喧伝し、それが有識者の口を通じて社会に広まった。焼畑は悪であるという定説が。そして高校時代の級友はその時の記事を集めて発表を行なったというわけなのだった。

森林破壊の元凶は焼畑ではなく企業だったという真相は、ここ30年の間続けられた丁寧な調査により明らかになったものだが、これが現在の定説となるまでは、焼畑に対する大いなる誤解と非難が世を憚ることなくまかり通っていた。原住民らの深い知恵を備えた伝統は、永らく愚行と称され続けたのである。これに腹を立てずして何に腹を立てるのだ。なにィ、腹が立たない? キサマ、宿命に印星がないのだろう!(※これは多分偏見です)

とまあこんな具合で、一事が万事、宇宙人は西洋人のものの考え方に不快の念を抱くのであった。あの発表の級友もとんだとばっちりだ。当時はそれが有識者の共通認識だったのだから仕方がない。高校生に何ができよう。
しかし自らは霊能者が持つような霊感は持っていないと認識している宇宙人に何らかの超常的感覚があるとするなら、まさにあの授業中に明滅した脳の中の警報機の類がそれだということになるのだろう。このウソ発見器ともいうべき警報機はこれまでにも何度もピコピコ光を放ってきたが、何に反応して光っているのか、今回の焼畑の真相のように解き明かされたものは多くはないが存在する。解き明かそうとこちらからアクションを起こしたこともないが、真相はいつもある日突然飛来する。そのたびに宇宙人は驚き、あまりの合点の行き様に慄然とし、そして胸のすく思いがする。長年のモヤモヤの霧が晴れて視界が良好になるからだ。もし長生きすることでこのモヤモヤの霧が年々晴れていくのであれば、長生きする甲斐もあるというものだ。
皆さんはどうですか。脳の中の警報機は作動していますか。ピコピコ言っているのに敢えて無視したりしてませんか。宇宙人の意見では、無視しない方がいいですよ。理由は判らなくとも、とりあえずその時警報が作動したということは記憶しておきましょう。後で役に立つだろうから。

by hikada789 | 2019-02-03 17:52 | その他 | Comments(0)
猫も杓子も「カワイイ」で片づける昨今の若者の語彙力・思考力の低下を日々苦々しく感じている宇宙人は、もう何年もカワイイと言ったこともなければ感じたこともないのだが、今回ばかりは「可愛い、スゲー可愛い」を連発している。正月から放映開始したアニメ『どろろ』のことだ。手塚治虫原作の伝説の漫画がモノクロアニメとなってから、実に半世紀ぶりのリメイク。製作は虫プロ及びMAPPA。
MAPPAといえば『この世界の片隅に』や『いぬやしき』の製作会社だ。とりあえず映像としてのクオリティの高さを期待して見てみたが、期待以上の出来栄えに加えて、主人公のどろろと百鬼丸がセット売りで可愛い。原作やモノクロ版では百鬼丸は成人男子っぽいが、今回は16歳まで落として女の子顔にした上、当面ヘレン・ケラー状態で表情もセリフもないのを、辺りをウロチョロして世話を焼こうとするどろろがほど良くカバーして釣合いが取れている。
その最たるものがエンディング映像だ。ほぼ静止画に近いシンプルな構成なのにスタイリッシュで、やっぱり可愛い。二人の関係性が可愛いのだ。更に別のイラストレーターが描いている挿入画(可愛いなあ)も効果的に挟まっているし、エンディング・テーマも歌詞から編曲までが画像にマッチしている。日本古来の五音階の懐かしい旋律で、歌詞は日本語のみだからよく聞き取れる。「〽さよならごっこは慣れたもんさ、でも手を振ったら泣いちゃった」だって。どこまで可愛いんだ、どろろ。まあ一度見てみて下さい。癒されるから。

このアニメ、全体的にCG使ってない感じで、見せ場に緩急があり、色も抑えてあるので見ていて目が疲れない。時代劇を意識してBGMには邦楽を多用しており、琵琶の音なども楽しめる。そういえばオープニング・テーマも五音階だ。相当和にこだわった作りである。
しかし何と言ってもこの作品の妙味は百鬼丸で、欠損した両腕に仕込んだ刀を振るって闘う盲目の姿は座頭市のようでもあり、鉄腕アトムのジェット噴射の腕にも重なる。手塚治虫、やはり只者ではない。鬼神を倒して欠損した目玉や声帯を取り戻さないうちは無表情のまま行くしかない百鬼丸に、魚介類の如き乏しい表情を誇るタコ・クラゲ型宇宙人は親近感を覚えるのであった。しかし原作では、目玉を取り戻した百鬼丸からそれまで入っていた義眼がボロリと落ちるのだが、今回もあの可愛い顔から目玉を落とすつもりなのかね。同じく原作では48体の鬼神と闘っていたが、今回12体になっていたのは、アニメを1クールの12回で終了させるためだろうか。原作は未完だったらしいし、どういう終わり方になるのか期待しよう。

by hikada789 | 2019-01-20 21:59 | その他 | Comments(0)
b0214800_20394622.jpg新年あけましておめでとうございます。ニョロ(お辞儀)。年末は画像のような三つ折り財布の注文製作をこなして、雑煮の材料が買えました。大晦日の夕方に商店街に行ったら、売り切りたい正月グッズがスーパーセールになっており、予定になかった厚焼き玉子や珍味まで買えたのだ。残り物には福があるのであった。この正月休暇も休まず「余話」購読を続けて下さっている方々には、延ばして頂いた宇宙人の寿命と同じくらいの幸運が新年に訪れますように。
那須川君負けちゃったねー。そもそもウェイトが全然違ったし。歯が立たなくてもボクシングはメイウェザーの土俵なんだからエンタメとして納得しよう。怪我しなくてよかったよ。一方、前回那須川君の土俵であるキックルールに合わせて対戦し敗れた堀口恭司は、今回は劣勢からいい勝ち方をした。やはりMMAルールだと強かった。あとはそれぞれ目玉選手たちが敗れる試合が続き、大晦日は荒れたのであった。
平成31年は己亥年です。新年大予想は節分の頃に掲載するとして、亥は十二支の最後で締めくくりを意味するため、次の一旬にまで持ち越す価値のないものをふるいに掛けて振り落とします。だから荒れる一年なのです。皆さん、振り落されないよう心して新年に臨みましょう。

by hikada789 | 2019-01-02 21:06 | その他 | Comments(0)
放送大学が講座『レジリエンスの諸相』を再放送してくれたので、レジリエンスつまり逆境に対する生存力・復元力・抵抗力についての考えを深めることができた。
例えばバングラデシュは世界の最貧国として定評のある国だが、近代化の遅れたかの国は実はレジリエンス優良国であるという見方。家屋はその辺に生えた草木を編んだ掘立小屋だし、街の足といえばリキシャがせいぜい。道路は貧乏人が勝手に持ち込んだ零細商品の路上販売により路幅を狭めている。こうした後進国は通常近代化が進むにつれて生活環境が改善されてゆき、掘立小屋は堅牢なコンクリ建築になり、リキシャはバイクや車に取って代わられ、道路は整備されて路上販売は行政が禁止し、代わりにモノは屋根の付いた店舗で売られるようになる。
しかしバングラにおいては、こうした近代化はレジリエンス力を下げるものである。なぜなら河川と降雨の国である当地では洪水は日常茶飯事で、洪水が起きれば道という道は川となり、家屋は水没する。このような自然環境の国では堅牢なコンクリの家よりも、草木で編んだ軽い小屋の方が再建が早くて衛生的だし、腰まで水に浸かった道路で使用不能になった自動車を尻目に、人力のリキシャなら動くことができる。貧困層が僅かな収穫物や飲料水を持ち寄って路上で勝手に商売を始めても、路上販売を禁止して賃料のかかる店舗でなければ商売してはだめだという法律もなければ、衛生と交通安全のためにこれを排除しようという社会通念もない。このように前近代的なインフラのバングラは、前近代的であるが故にその日暮らしの貧乏人であってもどうにかこうにか生きていく手立てやスキマのある、洪水という逆境に対して回復力の早いレジリエンス大国なのである。なるほど。

既に近代化を果たして久しい日本は、近年今更のように洪水や自然災害に苦しめられるようになった。堅牢な近代家屋に住み、自家用車を保持し、法整備された街は清潔で整然としているが、ひとたび土砂に襲われると復興までに何カ月も何年もかかる。借金でもすれば現状復帰は数十年先だし、行政の復興対策も必ずしも迅速とは言えない。バングラなど三日後にはもう家が新築されているのに。
まあ日本は冬がそれなりに寒いので亜熱帯のバングラと同列に扱うのは乱暴ではあるが、昭和3年という時代に建てられて今は国の重要文化財になっている「聴竹居」という木造住宅が京都にある。著名な建築家・藤井厚二が建てた実験的な軽量住宅なのだが、今日の一般的な耐震ビルのような重量や構造による耐震技術が発達する前の時代に、「軽量」という逆の発想で耐震に挑戦した記念碑的作品で、なんと今年の大阪北部地震にも耐えたそうである。ガラスや瓦が数枚落ちた程度だというから、回復に手間暇かからない。
時代は平成もじきに終わろうというのに、我々は昭和3年のレジリエンス建築思想に敵わないようだ。被災地では今年も仮設住宅で年を越す人々が、近代国家の中で現状復帰できずにいる。復興予算や増税よりも、文明の発展方向に関わる思想を転換した方が近道に思える。

by hikada789 | 2018-12-23 17:54 | その他 | Comments(0)
b0214800_21121856.jpg日産の雇われ外人社長やら経済界のなんとか役員やらの億単位の報酬が、貰い過ぎだと世間で取沙汰されている。今日も頂きものの野菜や果物を食卓に並べて合掌する慎ましい宇宙人は、他人がいくら金を貰っていようが一向気にならぬのだが、世間の皆さんはこの種のいわゆる経済格差に憤りを感じたりしているのでしょうか。私の印象では、そういう日本人は多くない。なぜなら日本の伝統的価値観では金持ちかどうかで人を量ることを下品としているし、人品の卑しい人ほど金銭に執着するものだという正しい人間識別方法が少なくとも侍の時代から身に染みついているからだ。外国人と話してご覧なさい。彼らにこういう価値観はないから、人前で平気で金儲けの話をするし、初対面の人に平気で月給を尋ねたりする。特に文化程度の低い国や家庭の出身者ほどそうだ。知性や教養のない人間は、せめて金でも積み上げねば人さまに重んじてもらえない。そして知性や教養のある人間ほど、金銭の話題には触れたがらない。禄と印は土剋水で相容れないものなのだ。
では日本人はこうした事件に対して、過剰な報酬金額でなければ何に眉をひそめているのか。正当な報酬ではなく横領だったかもしれないという不正に対してか。しかし法律に大して詳しくもない一般市民が法的な不正とそうでない境目を明確に把握しているはずもないので、多分そこではない。では我々は何にモヤモヤしているのか。

b0214800_21385352.jpg今は亡き西部邁氏はこんなことを言っていた。「人間の能力には確かに差がある。優秀で役に立つ人間もいれば、無能な人間もいる。これを一律同じ人間だとして、同じ報酬や同じ扱いにするのはおかしい。役に立つ優秀な人間の方が大事にされて、無能な人間より多くの報酬を得るのは当然のことではある。しかしその優秀と無能の能力差は、二倍、三倍はあるだろうし、十倍くらいもまああるとして、百倍、千倍、果ては一万倍もの差はあるだろうか。いくらなんでもそこまではないだろう。しかし現代社会は所得金額が個人の能力に比例すると考えるので、高所得者と低所得者の所得金額の開きが、そのまま両者の人間としての能力差だと錯覚してしまう。だがそれはおかしいと、感覚的に判るはずだ。我々の能力差は十倍、二十倍がせいぜいなのに、受け取る金額は百倍も千倍も違う。どうしてこんなにズレるのか」
つまりシステムがおかしいと、西部先生は言いたいのだ。ついでに価値基準もおかしい。これでは金儲けの上手い人だけが能力の高い人間だという図式になってしまう。人間の能力はそんなに単純には量れないものなのに。人間の真価はもっと別の物差しでいろいろな角度から量るべきものなのに。今回の報道で日本の視聴者がモヤモヤしている根底には、こういうことがあるのではないかと考えます。

画像は脈絡なく、最新のレザー試作品。友人の注文で三つ折り財布を作ることになり、ネットのサンプル画像から型紙を起こして組み立てた。思ったより上手く出来て使用上問題はないが、見えてはいけない部分の縫い目が見えたり、革の重なりで分厚くなったりしたので、これらを克服して本番に臨むとしよう。

by hikada789 | 2018-12-04 21:39 | その他 | Comments(0)
11/17(土)午前10時すぎに「山水画」依頼のメールをされた方へ連絡です。アドレス非表示につき防犯上送信できません。再度依頼される場合は送信元を明記下さい。また依頼はお一人につき一件限定、且つ未成年はお断りです。ハンドルネームの名乗りさえなく、昨今ネットに蔓延する匿名による卑怯な行いを連想させています。当方では既にいい印象を抱いておらず、公平な鑑定にならない恐れがあります。特に急ぎの用でないなら、依頼を一旦取り下げることをお勧めします。以上。
by hikada789 | 2018-11-17 19:41 | その他 | Comments(0)
畳の入替えの後は玄関だ。玄関扉の塗装がまたしても剥げ落ちてきたため、ホームセンターにペンキを求める宇宙人。確か前回はパールホワイトとかいう小洒落た白色を選んだが、あまりにカラーバリエーションが豊富なので冒険心が湧き起こる。何を思いついたかオリーブ色を購入する宇宙人。暗いかなあ。まあ持ち家なんだし自由にやってみよう。金属ヘラでガリガリと剥げをこそぎ落とし、紙やすりで凹凸を減らし、雑巾がけで粉を落とし、養生はちょっと手抜きして、いざ塗装。
b0214800_17345911.jpg仕上がりはオリーブというより抹茶色になった。好きな緑ではあるが、やはり玄関には暗かったかも。とりあえず一晩乾かして、明朝天日に当てた色を確認するとしよう。

何ゆえこの緑に心惹かれたのかと思ったら、レザークラフトの最新作が画像のような深緑で二日前に仕上がったからだった。初挑戦のデスク収納。仕切りのあるペンスタンドを想定して作ったが、リモコンなども入れられる。
構造は厚紙を中に挟んで前後を牛革で挟み、四面を立ち上げて角を縫い合わせるだけの単純なものだが、作業は簡単とは言い難い。革には厚みがあるので縫い合わせる角のコバを斜め45度に切落とし、出来上がりが90度になるようピッタリ合わせなければならぬのだ。道具はカッターのみ。カッターで厚さ3ミリのコバを斜めに削ぐなど素人には難し過ぎる。ガリガリこすっても出るのは粉ばかりだ。一向に削げないし、どうにか削げてもきれいな45度にはほど遠い。だから縫製もピッタリとはいかず、ところどころ波打つ四辺となってしまった。でも教室の先生から練習用に頂戴した緑の牛革が非常に高級で、そのお蔭で見た目は画像の通り高級感あふれる本革グッズになった。本革の効用である。
画像は発色良く写っているのでそれこそ玄関ドアと同じオリーブ色に見えるが、実際はもっと暗い緑だ。同様の技術でわが家の安価なプラスチック百均収納を順次本革製に替えようと目論んでいたのだが、思ったより手強い作業だったのでホイホイ作る気分になれぬ。次回作はちょっと考えよう。

by hikada789 | 2018-11-03 18:06 | その他 | Comments(0)
今年のハロウィンは逮捕者を出すなどしてその品の悪さを露呈した。宇宙人はもともとこの行事が嫌いな方だ。同じ西洋文化でもクリスマスと違って厳かさがなく、何よりもう子供とは到底呼べないようないい年こいた男女が大人げない仮装をし、それをただ見せ合って騒ぐだけという精神性の欠片もない幼稚な行事に、人生の大切な時間の浪費を感じる。宇宙人の数少ない若人の知合いの話によれば、渋谷のハロウィンに出向く男子の目的はずばりナンパであり、ハロウィンで頓狂な仮装をしに来ている女子ほど簡単にヤラせてくれるのだという。そしてそんな風に魚を釣りに行く男子らでさえ、この種の女子を安い魚と見下してハロウィン限定で使い捨てるのだという。お付合いは「文化の日」までというわけだ。実に低級だ。他にもうちょっと有意義な時間の過ごし方がありそうなものだが。
わがお気に入りのTOKYO MXの生番組では、「ハロウィンは日本の文化に必要か」という視聴者生投票を確か二度行なって、いずれも「不必要」が「必要」を四倍上回る投票結果を出していた。どちらも下ネタで明るく笑う大人の番組であり、お子様向けや幼稚なイベントに白ける視聴者しか視ていないとはいえ、この結果に溜飲を下げる宇宙人。えらいぞ東京人。これこそ都会人のあるべき態度だ。

以前、東京スカイツリーが開業する少し前の頃、当地の歴史ある住所である「業平」の住民にインタビューした番組があった。そこでは地方から移住したのではない、江戸時代からそこに住んでいる生粋の江戸っ子が昔ながらの商店を営んで暮らしているのだが、彼らは夏の盆踊りでさえバカにしてこううそぶいた。「盆踊りなんて江戸の人間は行かねえよ。カッコわりぃ。あんなの行きたがるやつぁ田舎モンだけだろ」。見事な見解と江戸訛りであった。
宇宙人は地球人ではないが片親が重度の江戸っ子で、幼少期の家では「日比谷」を「シビヤ」と発音し、女でも「わりぃ(悪い)」を連発する環境にあり、それを子供心に恥ずかしく思っていたので、家の外では清く正しい標準語を心掛けてキタナイ江戸弁を隠していた。しかし業平のオジサン、オバサンがこんなに堂々と江戸弁で田舎モンを真正面から粉砕しているのを見て、今更ながらこれこそ本当のオトナの態度だとひれ伏す思いがしたのであった。まあ、皆さんに賛同頂けなくても構いませんが。

余人は知らぬが、宇宙人は盆踊りの音楽も嫌いだ。祭囃子は嫌いではないが、東京音頭(もちろん江戸時代にはない)とかあの種のドドンがドン・アソーレみたいなノリには美意識を著しく阻害された気分になる。現代の阿波踊りほどまでプロ仕様になれば話は別だが、駅前や町内で櫓を囲んで踊る素人向け盆踊りには、正直進んで参加した記憶はない。カッコわりぃと思っていたからだが、この感覚は業平の江戸っ子たちと同じ種類のものであったようだ。
そしてこの感覚は、おそらく昨今のハロウィンに対しても発揮されている。公共の電波に流してもギリ許される種類の高度な下ネタに楽しく耳を傾ける東京人は、ハロウィンなんぞションベン臭くてカッコわりぃと斬り捨てているのだよ。つまらぬ仮装やかぼちゃのグッズを大量に店に並べるより、こうした東京のオトナの喜ぶ商品をマーケテイングして売り出した方が儲かるぜ。

by hikada789 | 2018-11-01 23:31 | その他 | Comments(0)
畳がやってきた。一週間前に家具を全部どけて職人さんに採寸してもらい、ホチキスの針の飛び出す危険な畳板ごと取り替えるべく全面製作してもらっている間にネットで本棚を注文。新旧畳の入替え日に再び家具を全部どかし、畳床に溜まった恐らくは築年数分のホコリを掃除機で吸い取り、井草の香る出来立ての畳を招き入れる。サイズはピッタリ。さすがの職人技なのだ。畳の搬入搬出は1時間で済んだが、どかした家具の復旧と新調した本棚の組み立てに半日を使い、更に溢れた書籍の収納レイアウトをあれこれ試しているうちに、結局二日使ってしまった。
掃除も済んで、井草の香りに包まれながら青い畳に転がって平泳ぎする宇宙人。癒されるなあ。えらいぞ、畳。この老朽マンションに越してきた時はいずれフローリングにリフォームしようかとも考えていたが、やっぱり日本は畳だよ。直に寝そべっても痛くないし、何より香りがいい。森林浴並みのヒーリング効果だ。誇るべき日本の文化なのだ。

皆さん、ご自宅をリフォームの際は是非畳部屋をご検討下さい。耐久は約十年で、半分の五年辺りで畳表を裏返す修繕をするのが一般的だそうだ。この裏返し作業は1日でできるので、家具の移動も一回で済む。朝どけて畳を持って行ってもらい、夕方に畳を入れて家具を戻すだけ。費用は、今回のように畳板ごと作り替えるのと比べて半分以下。尤も我が家に越して来てからとうに十年以上過ぎているし、前の住民も畳を替えた形跡がないので、頑張れば四十年使い込むことも可能だ。今回は畳板から作ってもらったので、もう飛び出したホチキスの針で足の裏に穴を空ける心配は永久になくなったのだし。とはいえ仕事のなくなった職人さんが消えてしまっては困るので、適度な年数のところでメンテナンスするとしよう。
こうやって実用で注文することで、伝統文化は亡びず生きていけるのだ。最近は琉球畳もインテリアとして普及してきているが、あれは値段が2~3倍する上、フチがないので耐久性がやや劣るらしい。ウチの職人さんは採寸の時にフチのサンプルを持ってきてくれて、自由に選ばせてくれた。いろんなのがあって悩ましかったが、結局目の疲れなさそうな灰紫地に金糸の和模様のにした。四畳半のくせに御殿みたいな仕上がり。なにやら背筋が伸びるのだ。
天井までの薄型の本棚にしたので部屋もそれほど狭くならなかったし、暫くは本を買ってもまだまだ入る余裕がある。井草に囲まれながら読書の秋を楽しむとしよう。

by hikada789 | 2018-10-13 19:22 | その他 | Comments(0)
昨夕は友人との楽しい会食後、井上尚弥のWBSSマッチの放送時間ぎりぎりに帰宅したのだが、テレビをつけたら案の定試合は終わっていた。インタビューを受けるナオヤが試合後とも思えぬつるりとしたきれいな顔で、KOシーンをモニターで眺めながら朗らかに試合を振り返っている。皆さん見ましたか、あの胸のすくような一発KO。しかも漫画のような倒れ方。人間あのように棒立ちのまま失神するものなのだな。
放送終了を待って改めて録画を視聴した。なんだ、また1ラウンド1分結着だったのか。しかも打ち合いすらないファーストパンチKOではないか。これではトーナメントの今後の対戦相手が対策を練る材料にもならぬ。モンスター伝説上塗りなのだ。解説に呼ばれた山中慎介が気の毒なのだ。ひと言もしゃべらせてもらえぬうちに試合が終わってしまったのだ。放送時間もダダ余りなのだ。試合時間が1分だったから、まるまる3回分流しても3分しか稼げないのだ。しょうがないからスロー映像を何度も流すのだ。芸のない編集だが、その方が視聴率は稼げるのだ。それくらい判りやすい右ストレートだったのだ。
このトーナメント、各団体の四人の王者に有力選手四人を加えた合計八人で争うのだが、本命はやはり王者の四人で、英国ブックメーカーによれば四人のうちナオヤはオッズ筆頭だそうである。ナオヤはついこの間バンタムに上がったばかりなのに、もう怪物ぶりが知れ渡っているのだな。まるで道場破りなのだ。次の準決勝が待ち遠しいのだ。

by hikada789 | 2018-10-08 21:13 | その他 | Comments(0)