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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

カテゴリ:宇宙人の読書室( 180 )

ヴォドラースキン著『ソロヴィヨフとラリオノフ』をちまちま読んでいる。進度が遅い割には大層楽しい。文章が面白いからだ。宇宙人にロシア語原文を楽しめるほど力量があっただろうか。いや大したことないから進度がのろいのだが、文章がいいのだよ。シンプルな表現で無駄な装飾がないから飾りに惑わされず著者の意図がまっすぐ伝わる。こういう文章はカズオ・イシグロに顕著だと思っていたが、ロシアにもいた。内容も合わせてちょい翻訳するとこんな感じ。

ーー教授は煙草を吸いながら言った。「科学とは退屈なものだよ。君はこの真理に慣れないと、今後の研究は簡単では済まないよ。」
 教授は史学生ソロヴィヨフの学位論文から「偉大な」とか「勝利に導く」とか「唯一可能な」とかの単語を取り除くよう指導した。また、ロシア人が無駄な労力を使って非人間的な冗長さを駆使してきたことを肯定するセオリーを知っているかと、史学生に尋ねた。そんなセオリーなど知るわけなかった。このセオリーを知ってもらうために、教授は「進歩的な現象」という文言も論文から削除するよう彼に指導した。

b0214800_12233176.jpg笑えるなあ。え、別に笑えない? あれ? ロシア語やロシア事情に接していると、ソ連時代(及びその後も)に「偉大な」他カギカッコの中の文言が雨あられと降り注ぐ公式文書や論文に出くわすのだが、はっきり言って訳さなくても通じるからいちいち訳さなかったりする。もはや枕詞みたいなもので、文章のリズムを整えるためにくっつけた習慣修辞語と思ってスルーしてきたが、そうか、ロシア人の中にも「いらない」と感じている人がいたのだな。著者だけがそう思っているのではなく、彼の作品を称賛する読者層も同感だということだ。
そういう価値観の著者であるので、文章は簡潔で無駄がない。しかしウィットが利いているので思わずフレーズを読み返す。そういう作品なのである。とはいえ和訳で読んだ『聖愚者ラヴル』とはかなり雰囲気が違うから、同じ著者でも作風がいろいろあるのかも。文化的刺激の乏しい当地で、現在唯一ともいうべき宇宙人の楽しみは、この小説を辞書を引きひき読み進めることなのである。贅沢な時間の使い方といえばそうかもね。

b0214800_12234429.jpg他に楽しみがないかというと、ないでもない。休暇中は同僚の同級生という美容師さんのところで髪を切ってもらった。ちゃんとシャンプーもブローもしてくれて550円。髪が多いのでグラデーションを入れてくれと言ったらちゃんと入れてくれた。丁寧な仕事ぶりに好感を得る。また来よう。
この店の名前はイシク・アタというのだが、数日後にはその名の由来である温泉地へ遠出した。ミニバスで70分ほどの山地にあり、ソ連時代に保養地として整備された名所だが、ゲートからして老朽化が進み廃園に見える。稼働している温泉は二か所で、水着を着て泳ぐタイプの屋外プールのみ。入場料160円(40分)。この種の温泉施設は東部のイシク・クル湖周辺にあまた存在するが、既に雪景色の山地ゆえ来年春までお預けだ。行ってもいいけどマイカーでないとバス待ちで冷えてしまうから。
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今回の温泉地は首都から日帰りできる距離なので人気が高く、土日は混むからやめた方がいいとの助言を受けて平日に行ってみた。宇宙人が入った時は空いててよかったが、出る頃には画像のような家族連れが押し寄せた。よかった、早めに行って。ソ連時代に最新だったと思われるコンクリの噴水や遊歩道は半ば朽ち、保養所として並ぶ病棟や宿泊施設も半分は廃屋。新築中の建物もあったが、周囲がせっかく山地なので、ハイカー招致の整備をすればまだまだ観光地としてやっていけると思われる。是非そうしてほしい。ハイキング道を整備してくれたら一泊してもいいよ。山はいいし空気もきれいだ。
しかし何より改善してほしいのは交通だよ。片道100円と破格のミニバスだが、ミニバスの通例として乗り心地はよくない。常に定員オーバーだし、風呂に入る習慣のない地元住民が悪臭を放っている。勿論窓は開かない。寒いから開けられない。料金3倍にしてもいいから観光客用デラックス車とか作ってくれないかな。そしたらちょいちょい行くのだが。あ、勿論ヴォドラースキンの文章のように簡素、無駄なしの清潔美を目指してくれたら尚有難い。

by hikada789 | 2019-11-08 12:25 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
本屋に赴き予約していた本を受け取る宇宙人。ヴォドラースキン著『ソロヴィヨフとラリオノフ』。邦訳が出ている『聖愚者ラヴル』の著者が、修士論文の一環として書いた初期の作品との説明がある。ソロヴィヨフといえばロシアの有名な思想家がいるが、本作品の登場人物とは無関係の模様。まだ授業の合間に数行ずつ読んでいる程度だが、レトリックが面白い。『ラヴル』とは違ったユーモアが冒頭からにじみ出ていて、思わず先を読みたくなる。でも知らない単語ばっかりで牛の歩みなのだ。まあもうじき秋休みだし(当地の学校は四学期制)、誰も翻訳しないならこの機会に全訳に挑戦してもいいかもね。時間はあるんだし。ちなみに『ラヴル』は三部作の一作目だそうで、残り二作は『航空士』と『ブリスベン』。こちらはもう翻訳作業が進んでいるかもしれないが、一応買って帰ろう。きれいな文章って、何語であってもいいものだ。

当地の本の価格は幅があり、既に著作権の切れている古い小説などは300円程度、今回のような現代文学作品は1000円程度である。この国の平均月収を考えるとかなり高い。そのせいか、学校には図書室がないのがデフォルトである。この国の知的浸透レベルが知れるのだ。読書は富裕層の道楽なのだ。それでもお目当ての本を手にして浮かれる宇宙人。恍惚と店内を物色しているとなんと、ダーリの子供向け辞典があるではないか!
b0214800_10270229.jpgダーリのロシア語辞典については過去のブログで書いたので参照下さい。まだロシア語無料授業が始められないでいる宇宙人は、質の良いロシア語文法書を探していたのだが、ダーリの辞典なら読み物としても楽しめるし、同時に語彙も増やせる。子供向けに編集されてはいるが、片手で持てるサイズで便利だ。オリジナルは数巻に及ぶ大著だからね。これで空き時間が充実する。たった550円。いい買い物ができたね、宇宙人。
画像はその幸せな気分で店内を巡った時に発見した「秀吉」に関する本。タイトルが『刀のないサムライ~武器ではなく知恵で勝利する~』。うーん、秀吉はそれなりに武力行使した男なんだけどな。次に行った時まだ売ってたら買って中身を確かめてみよう。

本の価格と言えば、今月29日に『ロシア文化事典』という大著が出版されるらしい。沼野充義、望月哲男、池田嘉郎編集代表。彼ら研究者のライフワークともいうべき知識の集大成。お値段なんと本体2万円! これはもう図書館に買ってもらうしかないな、いくらなんでも。
この本の案内に付随して興味深い新刊本を発見したので、皆さんの秋の無聊の慰めに紹介しておこう。なに、宇宙人が自分で読みたいだけで、帰国した時忘れぬための書置きなのだ。
・山森宙史著『「コミックス」のメディア史』
・岩間一雄著『京都のアルゴリズム』
・『音楽の哲学入門』
・『悲しい曲の何が悲しいのか』など。


by hikada789 | 2019-10-19 12:56 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
連日の猛暑を忘れさせてくれる良書はないかと図書館を物色していたところ、思わぬ掘出し物に遭遇して色めき立つ宇宙人。ナボコフ著『四重奏/目』。なんと小笠原豊樹訳。これは最強のコンビだ。自宅には同じコンビで『ナボコフのロシア文学講義』上下巻があるが、いよいよ飢えた時のためにまだ取っておいて読んでない。飢えるんだよ良書がないと。
小笠原豊樹はロシア語にとどまらないマルチ翻訳家だが、自身が詩人でもあるため何より日本語が美しく、上手い。ナボコフの名訳といえば『ロリータ』の若島正だが、こちらは英訳者なのでロシア語が混じってくると小笠原氏に分がある。和訳の出版は1992年とあるから新しい本ではないが、図書館は図書館同士で蔵書のトレードを時々やるから、それまでなかった古い本が突然現れたりする。図書館は只で本が読めるだけが利点ではないのだ。ネットでピンポイントの本しか買わない習慣だと、こういう出会いは期待できない。
ナボコフは『ロリータ』が強烈すぎて短編は知らなかったが、小型になってもやっぱりイタイ笑いを堪能できた。内容はどれも著者の体験を基にした亡命ロシア人のとある日常で、ロシアに関する大小のツッコミが散りばめられていて笑えるのだが、この笑いが欧米圏の読者にどの程度通じているのかは不明である。通じなくても充分楽しめる不思議な作品群ではある。どんな調子か少し抜粋しておこう。

――精神的な宝を蓄積しなかった彼は死神にとって面白い餌食であろう筈はない。

――そのときエウゲーニャの夫はひどい訛りのあるドイツ語で「ダンケ(ありがとう)」と言ったが、その言葉はロシア語の≪バンク(銀行)≫の前置格(「バンケ」)にそっくりだった。

――(スムーロフは)口数は少なかったが、喋ることはすべて知的かつ適切であり、稀に発する冗談はあまり微妙すぎて哄笑を呼ぶことはなかったにせよ、会話の隠された扉を開き、思いもかけぬ新鮮な空気を入れるような効果があった。

――マリアンナに横顔を見せる位置に座っていたスムーロフは、悪意のこもった視線を浴びせられて、男らしい顔面痙攣という定石通り、顎の筋肉を緊張させた。私はこの男に好意を抱いた。

――…鏡の前でマネキン人形のポーズをとり、部屋中を歩き回って一同を笑わせるが、その笑いはだんだんお義理の笑いに変わっていく。フルシチョフはいつもやりすぎるのである。

――人生が実は夢であると突然判明することは恐ろしいが、それよりも遥かに戦慄的なのは、夢だとばかり思っていたこと――流動的で無責任な事柄が出し抜けに凍りついて現実そのものに変貌し始める瞬間である!

ところでナボコフは生まれも育ちもロシアであるにも拘わらず、英米文学の読書人による評価の中で確か一位のジョイスに継ぐ第二位の地位の作家だが(英米文学のレベルが知れよう)、そのしょーもない大傑作『ロリータ』はわが愛する作家、佐藤亜紀がバイブルと称える名作である。この評価は宇宙人も納得しているのだが、その佐藤亜紀氏が称える現代小説は他にもいくつかあって、そのうちのある米文学を読みさしたことがあるのだが、あまりにひどい文章で読了できなかった。
タイトルも作家の名前も忘れてしまったが、上下巻の長編で、少なくとも上巻の中盤までは20世紀後半の米国上流社会の膨大な浪費生活を網羅した内容であった。内容もむだ話なら文章も乱暴で、もしかしたら原文を忠実に翻訳した結果なのかもしれないが、私にはとても読み続けられなかった。でも佐藤亜紀が称賛するくらいだから、下巻には鋭い批判なり展開なりがあったのかもしれない。どなたか読んだ人がいたら教えてほしい。お勧めだったら我慢して最後まで読んでみようと思う。
ともあれ上の抜粋の通り、ナボコフは帝政ロシアの上流階級の出なので、たとえ内容が下品であっても(下らなくはないよ)文章表現は卓越しており、小笠原訳もそれに充分応える語彙力とリズムを備えている。それだけでも心地よく読める良書でした。

by hikada789 | 2019-08-07 10:14 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
『算命学余話』を掲載しているForkNの無料表紙にイスラム模様に近い青系図柄があったので、思い出して7年前の拙著『メタフォーラ・ファンタジア』を掲載してみた。選択すれば縦書き仕様にできるというので試しにやってみたが、EPUB等で閲覧しないと縦書き仕様は見られないようだ。サイトでそのまま読む場合は、横書きのみである。やっぱり小説を横書きで読むってムリがあるよ。皆さん、環境が許すなら縦書きでお読み下さい。うう、入力途中で画面が揺れた。パソコンよ、もうしばらく持ちこたえてくれ。
by hikada789 | 2019-07-30 09:41 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
予告してある通り宇宙人は夏休みに入ります。暑くて死にかねない地球を離れて氷の惑星土星の裏側に避難するので、運勢鑑定に続いてブログと余話も暫くお休みします。復帰する頃にはパソコンも新調するので、快適なネット接続環境となっていることを期待したい。
宇宙人がいなくて寂しいという有難い閲覧者のために、宇宙人を偲べる音楽と図書を紹介しておきます。こないだシャレで紹介したBL漫画に興味を覚えて一気読みしたという友人がいた。がっつりBLなのに。どこで誰が読むか判らぬな。夏は長いので長時間楽しめるヘビー級図書を掲げるとしよう。

まず音楽は、ここ2年ばかりハマり続けているカプースチン先生の「ピアノソナタ1番」。19分ほどの四楽章構成だが、宇宙人は奮起して一番長い第四楽章(8分程度)に取り組んできた。毎日弾いているわけではないが、全譜面を拾うのに半年くらいかかったよ。「おちゃめで格好いい」楽曲です。壮大なのに所々笑えるジャズのリズムとクラシックのテクニックを堪能下さい。どういう笑いかというと、体操の内村航平が着地を決めた時に思わず飛び出す笑いに近い。まあ判らないでしょうからYouTubeででもお聴き下さい。カプースチン先生自ら弾いているのがいいと思います。第一楽章も実は笑えるのだが、耳が慣れないうちは聴き取れないと思う。超絶技巧です。勿論宇宙人はゆっくりしか弾けないが。
カプースチン先生は存命なので輸入楽譜は高かったが、これはもう二冊目で、一冊目の「演奏会のための8つのエチュード」は3番と8番を既に覚えた。こちらもおススメ。残りの6曲も素敵だが、宇宙人の技量では厳しいのでまだ手を付けていない。まあ派手な1番から聴いてみて。

もっと気楽な音楽としては、H ZETTRIOという三人組が奏でる「Dancing in the mood」や「晴天」を作業用BGMに使っている。このグループの音楽は、リオ五輪の閉会式で東京五輪紹介の際に使われたらしい。世間に疎い宇宙人は知らなかったが、ピアノ弾きの端くれであるのでこのピアニストの超絶技巧に反応し、思い切って楽譜を買って遊んでいる。カプースチン先生に比べれば簡単だが、スピードとパワーは必要。そうなのだ、カプースチン先生と取っ組み合っていると、他の曲がえらく簡単に弾けるようになるのだ。なにしろ先生はソ連時代のモスクワ音楽院卒だからねえ。

さて久々の現代ロシア作家の大型作品の登場です。先のブログでもちらっと触れたヴォドラスキン著『聖愚者ラヴル』。聖人伝というくくりですが、決して説教臭くはなく、「時間を越える」新たな手法が新鮮な、哲学的思考小説です。ロシア文学好きには「いかにもロシア文学」な正統派で、現地でも大きな文学賞をダブル受賞し、既に20か国語に翻訳されている。最後の数行が極めていますね。ロシア文学愛好家にはチュッチェフがすぐ思い浮かぶことでしょう。
大作なので、お時間のない方のために例によって抜書きを提示しておきます。でも何週間かかってもいいので読んでほしい。読みにくい文章ではないし、ロシア人の好む聖性や「ユロージヴイ」がよく判ります。聖愚者フォマーがカッコイイよ。千里眼だ。

――正義の人とは、人を侮辱することのない人ではなく、侮辱するかもしれないが、それを望まない人である。

――富は友をもたらさないが、友は富をもたらす。そこにいない友のことを、そこにいる友の前で思い出すがよい。さすればそれを聞いた友は、自分のことも忘れられないと知ろう。

――あんたの不幸は、あんたが最終的な結論に至ろうとしなかったことにある。何かを決めると更なる選択肢がなくなるのを恐れて、それがあんたの意志を麻痺させてしまうんだ。そんな風にしているうちに、あんたは人生に与えられた最良のものを取り逃がしてしまった。

――空間の移動(=旅)は、経験を豊かにしてくれる。それは時間を圧縮する。そしてその容量をもっと大きくする。

――この世で繰り返しはない。似たものがあるだけ。

by hikada789 | 2019-07-01 17:47 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
最近の読書は不発続きだ。暑くなって読書もままならなくなる前に長編をと思い、珍しくドイツ文学など手にしてみた。トーマス・マン『魔の山』。昔から一度は読んでおきたいと思って期待したのだが、かなり外れた。いわゆる教養小説、若い主人公が成長していく物語なのだが、四十路の人間の読み物ではなかったな。もっと若い頃に読めば楽しめたのかもしれない。読書とはそういうもので、ほんのちょっとタイミングを逸しただけで、同じ作品であっても感銘を受けたり全く受けなかったりするものだと、中瀬ゆかり辺りが語っていた。まさにその通りで、宇宙人は『魔の山』のタイミングを著しく外したようだ。お蔭で苦痛な読書となった。
まず文体が合わない。ドイツ文学はそれこそ学生時代に皆が知っているような有名どころの中長編小説をいくつか読んだ記憶があるが、当時はそれほど違和感なかった。しかし年を食った今となっては、ドイツ語からの和訳という奴のリズムが全く合わない。しっくり来ない。だから読むのも遅くなる。訳者が悪いのではない。解説文も訳者が書いていたがそちらの文章は実に読みやすい、流麗な和文であったから、訳者の文章力のせいではなく、原文に問題があるのだ。或いはドイツ語そのものに。いや、これは宇宙人に限ったことであって、他の日本人も同様に違和感を覚えるかどうかは判らない。

昨今ではドイツ語で小説を発表してヒットしているという日本人女流作家が話題となって、その作品が店頭に並んでいるのを見るにつけ、どれ一冊くらい読んでみようかという気分になっていたのだが、今回の『魔の山』でウンザリしてしまい、既に及び腰である。或いは学生時代から20年を経て外国文学といえばロシア文学ばかり読んできた影響で、文章から得られるリズムがロシア語仕様になったせいなのかもしれない。ロシア語翻訳者の文章は翻訳者によってそれぞれ個性があるが、やはり原文がアレであるからそうそう大きな差にはならない。尤も、ロシア語翻訳などやる人種は洩れなく頭がロシア色なので、そもそも頭の作りが似通っていて、そんな人たちが文章を捻出すると結局似たようなリズムになるのかもしれない。その点『アナスタシア』シリーズなんかは文学作品ではないし、宇宙と自然からのメッセージをそのまま人類語に置き換えたような文体なので、リズムはロシア語とは多分関係なく超自然的である。あれはあれで病みつきになるけどね。

苦痛の魔の山を終えて今読んでいるのが、古川日出男『女たち三百人の裏切りの書』。文学賞を多数獲っている作家というので期待してみたが、この文体もだめだな。ぶつぶつ途切れるタイプだ。体言止めを多用して強い印象を狙った、舞台脚本調の、ゆっくり読ませるための文体なのだが、残念ながら宇宙人の好みではない。宇宙人の好みは佐藤亜紀のような華麗で猛烈な勢いのある文体なのだ。スピードがぐんぐん加速してクラッシュ=爆笑につながるようなタイプだよ。『女たち』はまだ読了していないが、評判は高いから余程のどんでん返しでも用意してくれているんだろうね。うう、苦しいが何とかして最後まで読もう。

読書の何が苦痛といって、登場人物の誰にも共感できず、魅力を感じることもないというのが一番の苦痛である。『魔の山』も俗物ばっかだったし、『女たち』も功名心で動いているし。かように不発なわが読書週間の中で唯一のヒットは、なんとBLである。『囀る鳥は羽ばたかない』第6巻を令和の初日から買いに行ったくらいツボにはまっている。まあ漫画への傾倒はそれほど長続きしないのが常だが、登場人物には大いに共感している。壊れた人間を扱っているからだ。宇宙人の頭は算命学的陰陽論で物事を分析する癖がついているが、この分析器にかけてもこの作品の歪んだ心理描写は辻褄が合うのであった。だからわが体内リズムにマッチして、心地よい音楽のように読み進められる。絵は上手いし会話やシーンも無駄がなくていいけど、がっつりBLなので興味を覚えた方はご注意下さい。

by hikada789 | 2019-06-11 19:17 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
昨日のWBSS準決勝は見ましたか。井上尚弥がまたしても気持ちよく殴り倒してくれました。2ラウンドTKO。リアル・モンスター。倒された相手が涙をそそりました。最初のダウンでセコンドはもう続行不能と見做したらしいのを、血だらけの本人は首を振って棄権を拒否していました。無敗の王者だったからあっさり負けるわけにはいかなかったのだね。1ラウンド目はいい勝負だったけどね。

ところでパブー閉店のせいで『余話』の引っ越し先として試運転中のフォークNには、売上冊数が増えるほどボーナスのつくシステムがあった。ひと月5冊以上で売上の5%、50冊以上で7%、100冊以上で10%が加算されるそうな。お蔭様で早くもフォークNで『余話』をお買い上げの購読者がちらほら現れ、既に5冊を越えている。ありがとう読者の皆さん。宇宙人は口を糊していきます。パブーの方も閉店までは通常運転しておりますので、合わせてご利用下さい。
ちなみに、トライアルだけして実用に二の足を踏んだBCCKSは、本を公開した暁には「試し読みページ」を自由に設定できることがわかった。選択肢が広がるのは嬉しいが、バックナンバーの再掲載には結構手間ひま掛かるので、当面BCCKS利用は保留に。え、販路は広げるべきだ? でもここ二、三年購読者数に変化がなかったから、コアな記事としてはもう頭打ちではないかと思う。

by hikada789 | 2019-05-20 12:32 | 宇宙人の読書室 | Comments(1)
テレビアニメ『どろろ』が回を重ねるごとに神秘性を失っていく。放映開始時は顔面の皮すら作りものだった主人公の百鬼丸も、鬼神を次々に倒して聴覚や声帯を取り戻し、だんだん普通の人間ぽくなるにつれて魅力が薄れてきた。当初のヘレン・ケラー状態の方が超然としていて良かったな。俗世と一切関わらずに生きている感じが非日常を醸していたし、無言で表情の乏しいところがソクーロフの映画みたいにこちらの想像を掻き立てていたのに。(ソクーロフ特集、まだ上映中です)
というわけで、想像を掻き立てる大型海外文学を紹介しよう。日本にはまだ馴染みのない現代アゼルバイジャン作家、カマル・アブドゥッラ著『欠落ある写本 デデ・コルクトの失われた書』は和訳が2017年に刊行されていたが、一度本屋で見かけて気になり、図書館にあったら読もうと思って探したら置いておらず、再び同じ本屋で見かけた時に思い切って買った。マイナーな国の作品なのでお値段高めだったが、充実の内容に満足している。訳者あとがきを引用しつつざっくり紹介すると、こんな話である。

この作品は『デデ・コルクトの書』という15世紀に纏められた中世アナトリア語の民族叙事詩を素材にした現代小説であるが、単なる歴史小説ではない。いうならば虚構の中世叙事詩を文学的想像力によって現代に蘇らせた、一種の歴史心理推理小説だ。
物語は、著者自身を投影した現代人作家が、古文書館で未知の写本を発見する場面から始まる。その写本はデデ・コルクトという中世の語り手が一人称でオグズ族の内乱寸前の状況をリアルに語る内容だった。この写本に語り手として登場するデデ・コルクトは、中世アナトリアに伝えられた実在する叙事詩『デデ・コルクトの書』の登場人物であると同時に、この叙事詩の作者に擬せられる吟遊詩人であり、シャーマンである。
実在する『デデ・コルクトの書』はアゼルバイジャンと中央アジアのオグズ族の間で生まれた史詩で、現在のトルコ、イラン、アゼルバイジャン、ジョージアに跨る地域が主な舞台である。15世紀末に東アナトリアで古アナトリア・トルコ語で書き記されたが、その起源は十世紀まで遡れる。トルコ文学史上の傑作と言われ、ドレスデンとヴァチカンの図書館に本物の写本がある。

この史詩に描かれたオグズ族の内紛については、その原因がはっきりせず、故意に記述を避けた気配もある。『欠落ある写本』本編はその謎を文学的に解明しようとする試みなのである。そもそも元ネタである『デデ・コルクトの書』は民族叙事詩の常として登場人物の心理描写は描かれないため、『欠落ある写本』では逆にこうした人間のナマの心を推理しながら細やかに描くことで、「真相はこうだったのではなかろうか」という可能性に信憑性を持たせている。
しかも一人称の語り手はシャーマンで、夢と現実の間を行ったり来たりしながら世界を鳥瞰し、このオグズ内紛事件の審議に書記として参加しながら、同時に世紀を跨いでサファヴィー朝ペルシャの創始者イスマイール一世の影武者事件をフラッシュバックさせるという、念の入った重層構造をしている。

サファヴィー朝といえば知る人ぞ知る、イスラム神秘主義(スーフィズム)の雄である。イランを代表する世界遺産の都イスファハーンを彩るペルシアン・ブルーの建築群は、当王朝の神秘主義が生み出した精神世界の具現化なのである。アゼルバイジャンは現代イランの北西部に接し、言語的にはトルコ語圏だが文化的にはペルシャの色濃い地域だ。イスマイール一世が王朝を建てたのもタブリーズというイラン北西部の街で、当のイスマイールはアゼリー語で詩を書くほどアゼルバイジャンに近い人だった。
ともあれ王朝自ら神秘主義を掲げている摩訶不思議なサファヴィー朝なので、その存在そのものが神秘に包まれており、シャーマンである吟遊詩人が幽体離脱して浮遊するからには避けて通れない世界の裂け目と映ったのかもしれず、イスマイール一世も実に神秘主義というか意図不明な描き方で小説に登場している。

表題の通り、この発見された写本は「欠けて」おり、ところどころ読めない箇所があるという設定なので、部分的に話が通じなくなっていたり結局真相が判らないままになっていたりするのは織り込み済みである。それが巧みに神秘性を高めている。会話も、繰り返しかと思えばちょっとずつ変わっていて、油断ができない。読み手に緊張を強いる文体なのだ。ズィクルなのだ。(※ズィクルとは、イスラム神秘主義でお馴染みの周回歩行というかダンスみたいなもので、神と交信するために念仏を唱えながら同じ円をグルグル回るという、トランス状態に入るための基礎動作のこと。)

この本を読んでいて、手前味噌ではあるが自作小説『メタフォーラ・ファンタジア』を思い出した。あれは中央アジアを舞台にした歴史小説とも音楽小説ともとれるホニャララ小説であったが、この『欠落ある写本』と手法が図らずも似ていた。虫食いのように欠けた地方史を「こういう可能性もある」という程度に補足して一枚の絵を推理構築していくが、結局のところ想像に過ぎない、真相はもっと別のところにあるのでは、という堂々巡りの終わり方になるのは、かの地域と文化を題材とした小説のさだめなのかもしれない。これを機に『メタフォーラ』も再読してみるのもいいかもね。あの作品は、ほぼ40日間トランス状態で書ききった奇跡の産物なのだよ。どう考えても、毎夜毎夜何かが降りて来て私の体を使って誰かが書いた気がするのだ。夜しか書かなかったし、40日間あまり寝ていなかった。『算命学余話』と一緒にパブーに掲載してあるので、興味のある方はご購読下さい。でも『欠落ある写本』の方が断然読み応えあります。また『デデ・コルクトの書』は和訳が出ております。図書館にないから、また買おうかなあ。

by hikada789 | 2019-03-12 15:39 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
宇宙人はあまり短編小説を読まない。サイズも中身も物足りないと感じるからだ。ヘビー級の読み物には、それなりのサイズがないと描ききれないものがある。だから必然的にロシアの長編小説に行きついてしまうのだ。ロシア以外でも長くて中身のぎっしり詰まった(と評判の)作品を読むことはあるが、話が横に広いだけで深部に深く突き刺さっている感じがしないと、途中で辞めることがある。辞めないまでも、この先この作品を再読することはないだろうという印象を持って、読み終える。宇宙人は、死ぬまでにもう一度この作品を読みたい、或いはきっと読むことになるだろう、という気分にならない作品には、高い評価をつけないのである。

そういう読書姿勢であるので、日本の芥川賞作家の作品はたまにしか読まない。特に昨今はタイトルからして深くなさそうな作品が受賞しているので、入口からしてヘビーさを感じない。それでも誰か信頼のおける読書人がお勧めしている場合には読むことがある。そうした縁で村田沙耶香著『地球星人』を読んでみた。
これは、自分を宇宙人だと信じている主人公らを扱った文芸作品で、社会の画一的なシステムに馴染めないはぐれ者から見た地球人の生態を、斜めから批判した警鐘小説である。宇宙人である私としても、ところどころ共感する点や厳しい指摘が散見できたので評価したいところだが、やっぱりもう一度読みたいとは思わなかった。なぜだろう。似たようなテーマではロシアが誇るSFの古典、ザミャーチンの『われら』があるが、あれはまた読みたい気分になった作品だった。普遍性のスケールの違いかなあ。あと『地球星人』の終盤は作家の息切れが伝わる内容だった。適当な終わり方というか、手抜きな感じがした。『われら』はちゃんと宇宙船が宇宙に飛び立って行ったからねえ、風景が壮大だったよ。終わり方は大事なのだ。ともあれ、興味のある方は両方読んで比べてみて下さい。損はしないと思います。

宇宙つながりでもう一件。まだ読んではいないが、漫画『ダルちゃん』という全2巻の作品がやはり宇宙人を扱っているという。肉体がダラリとしたダルダル星人である主人公は、地球人に変装してOLをやっているのだが、正体がバレないように化粧も覚え、相手に合わせる対話技術も身に付けた。しかしそうして常に誰かに合わせて付和雷同している生き方に疑問を抱き始め、そのことを地球人たちと考えるようになる、そういうストーリーだそうである。『地球星人』とテーマはかぶっているが、日本の漫画は侮れないから、もしかしたら芥川賞作家を凌駕した作品やもしれぬ。ともあれ宇宙人を扱うと、昨今の創作はこのような着地点に落ち着くようである。

ところで、宇宙からは離れるが、先日ラジオのアーカイブで大仏次郎が「日本人は雷同しやすい」と警告していた。「戦時中もそうだし、明治維新もそうだった。例えば水戸藩の藩士らは、攘夷攘夷と叫んで江戸に上るが、実際は攘夷などやらなかった。ただ騒いだだけだった。幕末は腰の落ち着いた士族が沢山いて、こういう堅実で大人の人材が維新政府を支えたから良かったが、これに乗っかってただ騒いでいるだけの人間も大勢いた。現代(1960年代)の学生運動は、水戸藩士のように腰が軽くて中身がない。周囲に流されて騒いでいるだけ。それでも戦時中よりはまだましな気がする」という内容だった。この辺りの批判が上述の宇宙人ねた作品のテーマと重なり、耳に残ったのだった。

by hikada789 | 2019-03-06 15:52 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
No.1157でハゲに効くかもしれないと紹介したシベリア杉オイル、紹介した一週間後に売切れになったので、もしや当ブログの読者が買い占めたのではないかと疑ったくらいだ。真相は判らぬが、かの製品はしばしば売切れては入荷を繰り返しているので、お求めの方はしばらく待っていればまた店頭に並びます。いや、私はあそこの営業マンではないのだが。ただ「アナスタシア」に好感を持っているだけ。あ、五日ほど前にうっかり満員電車に乗ってしまい何らかのウィルスに感染したらしく、その晩から変な咳と微熱、若干の鼻水が出たが、杉オイルを気合いと共に服用したところ、今日は平常に戻った。効果があったのやら別の要因なのやら。

気味の悪い話をひとつ。先日友人が子供の学校に出没するモンペの仰天話を披露してくれたのだが、その内容はさておき、その人物の住むマンションがおかしな間取りだという話になった。そしてその同じマンションに住む別の知人が、近日引っ越すことになったという。この話にピンとくる宇宙人。以前紹介したかどうか忘れたが、確か(違ったかな?)『事故物件に住んでみた』という事故物件専門のルポものに類似の話が載っていた。実に気味の悪い話で、概要はこうだ。
そこに住むと住民がさまざまな不幸に見舞われる小型マンションがあった。風水上よくないとされる三角形の土地に建ち、しかも建物まで三角形で、そのせいなのか間取りも不思議な間取りで、何より奇妙なのは各階へはエレベーターでしか行き来できず、階段は使用禁止の札が下がっているという。このルポの著者は物書きだが、取材に当たって霊能者に物件を鑑定してもらったところ、聞いたことのない話を聞くこととなった。

それは、このマンションが故意にこのような形で建てられており、その目的は、住民の生気を吸い取ってそれを養分とすることで、地下にいる「何か」を育てることだというのだ。詳しくは本を読んでもらうとして、宇宙人はその「何か」をなんとなく巨大な芋虫として想像した。漫画『食糧人類』を立ち読みした影響かもしれない。勿論、そんな目的でマンションを建てたのはそこの家主である。霊能者によれば、家主は明白な呪術でもってこのような目的に完全に合致した土地に、完全に合致したマンションを設計して建て、そうとは知らぬ住人の生気を一滴残らず吸い取れるよう、その動線を支配すべく階段を封じ、禁断のエントランスをくぐったなら必ずエレベーターに乗って禁断の通り道を通るよう完璧に誘導しているのだそうだ。
その育てている「何か」が何であるのかは、霊能者をもってしても見極められなかった。シールドされていたからだ。やはりピンとくる宇宙人。以前当ブログで「本当にあった生霊事件」を連載したことがあるが、あれは宇宙人が職場で遭遇した生霊事件をそのまま書き下ろしたものだ。あの事件も最終的に霊能者のお世話になったが、後日別の有力な霊能者にこの体験を話したところ、宇宙人が実見した様々な怪事件は実際は生霊のせいではなく、職場のあったビルの地下にあるものが原因だということだった。生霊はその影響の一つに過ぎず、その地下の真っ直ぐ上に位置する席に座った人がおかしくなるのであり、席のずれていた宇宙人は助かったのだと。「通り道」だ。

宇宙人はその職場に嫌気がさしてほどなく離職したのだが、冒頭の友人の知人もまた、「ずれていた」から助かって、無事引っ越しという脱出を果たしたのではないのか。生霊事件の現場だったビルは特におかしな間取りということもない狭小ビルだったから何とも言えないが、世の中にはよからぬ目的となりうる建物があり、その原因をつきつめれば、ずばりよからぬ目的のために住宅を建設することもできるという現実が、このように世間に散見できるのだった。いや気味の悪い話だ。夏にすればよかったね。

by hikada789 | 2019-02-25 22:24 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)