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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

カテゴリ:宇宙人の読書室( 176 )

予告してある通り宇宙人は夏休みに入ります。暑くて死にかねない地球を離れて氷の惑星土星の裏側に避難するので、運勢鑑定に続いてブログと余話も暫くお休みします。復帰する頃にはパソコンも新調するので、快適なネット接続環境となっていることを期待したい。
宇宙人がいなくて寂しいという有難い閲覧者のために、宇宙人を偲べる音楽と図書を紹介しておきます。こないだシャレで紹介したBL漫画に興味を覚えて一気読みしたという友人がいた。がっつりBLなのに。どこで誰が読むか判らぬな。夏は長いので長時間楽しめるヘビー級図書を掲げるとしよう。

まず音楽は、ここ2年ばかりハマり続けているカプースチン先生の「ピアノソナタ1番」。19分ほどの四楽章構成だが、宇宙人は奮起して一番長い第四楽章(8分程度)に取り組んできた。毎日弾いているわけではないが、全譜面を拾うのに半年くらいかかったよ。「おちゃめで格好いい」楽曲です。壮大なのに所々笑えるジャズのリズムとクラシックのテクニックを堪能下さい。どういう笑いかというと、体操の内村航平が着地を決めた時に思わず飛び出す笑いに近い。まあ判らないでしょうからYouTubeででもお聴き下さい。カプースチン先生自ら弾いているのがいいと思います。第一楽章も実は笑えるのだが、耳が慣れないうちは聴き取れないと思う。超絶技巧です。勿論宇宙人はゆっくりしか弾けないが。
カプースチン先生は存命なので輸入楽譜は高かったが、これはもう二冊目で、一冊目の「演奏会のための8つのエチュード」は3番と8番を既に覚えた。こちらもおススメ。残りの6曲も素敵だが、宇宙人の技量では厳しいのでまだ手を付けていない。まあ派手な1番から聴いてみて。

もっと気楽な音楽としては、H ZETTRIOという三人組が奏でる「Dancing in the mood」や「晴天」を作業用BGMに使っている。このグループの音楽は、リオ五輪の閉会式で東京五輪紹介の際に使われたらしい。世間に疎い宇宙人は知らなかったが、ピアノ弾きの端くれであるのでこのピアニストの超絶技巧に反応し、思い切って楽譜を買って遊んでいる。カプースチン先生に比べれば簡単だが、スピードとパワーは必要。そうなのだ、カプースチン先生と取っ組み合っていると、他の曲がえらく簡単に弾けるようになるのだ。なにしろ先生はソ連時代のモスクワ音楽院卒だからねえ。

さて久々の現代ロシア作家の大型作品の登場です。先のブログでもちらっと触れたヴォドラスキン著『聖愚者ラヴル』。聖人伝というくくりですが、決して説教臭くはなく、「時間を越える」新たな手法が新鮮な、哲学的思考小説です。ロシア文学好きには「いかにもロシア文学」な正統派で、現地でも大きな文学賞をダブル受賞し、既に20か国語に翻訳されている。最後の数行が極めていますね。ロシア文学愛好家にはチュッチェフがすぐ思い浮かぶことでしょう。
大作なので、お時間のない方のために例によって抜書きを提示しておきます。でも何週間かかってもいいので読んでほしい。読みにくい文章ではないし、ロシア人の好む聖性や「ユロージヴイ」がよく判ります。聖愚者フォマーがカッコイイよ。千里眼だ。

――正義の人とは、人を侮辱することのない人ではなく、侮辱するかもしれないが、それを望まない人である。

――富は友をもたらさないが、友は富をもたらす。そこにいない友のことを、そこにいる友の前で思い出すがよい。さすればそれを聞いた友は、自分のことも忘れられないと知ろう。

――あんたの不幸は、あんたが最終的な結論に至ろうとしなかったことにある。何かを決めると更なる選択肢がなくなるのを恐れて、それがあんたの意志を麻痺させてしまうんだ。そんな風にしているうちに、あんたは人生に与えられた最良のものを取り逃がしてしまった。

――空間の移動(=旅)は、経験を豊かにしてくれる。それは時間を圧縮する。そしてその容量をもっと大きくする。

――この世で繰り返しはない。似たものがあるだけ。

by hikada789 | 2019-07-01 17:47 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
最近の読書は不発続きだ。暑くなって読書もままならなくなる前に長編をと思い、珍しくドイツ文学など手にしてみた。トーマス・マン『魔の山』。昔から一度は読んでおきたいと思って期待したのだが、かなり外れた。いわゆる教養小説、若い主人公が成長していく物語なのだが、四十路の人間の読み物ではなかったな。もっと若い頃に読めば楽しめたのかもしれない。読書とはそういうもので、ほんのちょっとタイミングを逸しただけで、同じ作品であっても感銘を受けたり全く受けなかったりするものだと、中瀬ゆかり辺りが語っていた。まさにその通りで、宇宙人は『魔の山』のタイミングを著しく外したようだ。お蔭で苦痛な読書となった。
まず文体が合わない。ドイツ文学はそれこそ学生時代に皆が知っているような有名どころの中長編小説をいくつか読んだ記憶があるが、当時はそれほど違和感なかった。しかし年を食った今となっては、ドイツ語からの和訳という奴のリズムが全く合わない。しっくり来ない。だから読むのも遅くなる。訳者が悪いのではない。解説文も訳者が書いていたがそちらの文章は実に読みやすい、流麗な和文であったから、訳者の文章力のせいではなく、原文に問題があるのだ。或いはドイツ語そのものに。いや、これは宇宙人に限ったことであって、他の日本人も同様に違和感を覚えるかどうかは判らない。

昨今ではドイツ語で小説を発表してヒットしているという日本人女流作家が話題となって、その作品が店頭に並んでいるのを見るにつけ、どれ一冊くらい読んでみようかという気分になっていたのだが、今回の『魔の山』でウンザリしてしまい、既に及び腰である。或いは学生時代から20年を経て外国文学といえばロシア文学ばかり読んできた影響で、文章から得られるリズムがロシア語仕様になったせいなのかもしれない。ロシア語翻訳者の文章は翻訳者によってそれぞれ個性があるが、やはり原文がアレであるからそうそう大きな差にはならない。尤も、ロシア語翻訳などやる人種は洩れなく頭がロシア色なので、そもそも頭の作りが似通っていて、そんな人たちが文章を捻出すると結局似たようなリズムになるのかもしれない。その点『アナスタシア』シリーズなんかは文学作品ではないし、宇宙と自然からのメッセージをそのまま人類語に置き換えたような文体なので、リズムはロシア語とは多分関係なく超自然的である。あれはあれで病みつきになるけどね。

苦痛の魔の山を終えて今読んでいるのが、古川日出男『女たち三百人の裏切りの書』。文学賞を多数獲っている作家というので期待してみたが、この文体もだめだな。ぶつぶつ途切れるタイプだ。体言止めを多用して強い印象を狙った、舞台脚本調の、ゆっくり読ませるための文体なのだが、残念ながら宇宙人の好みではない。宇宙人の好みは佐藤亜紀のような華麗で猛烈な勢いのある文体なのだ。スピードがぐんぐん加速してクラッシュ=爆笑につながるようなタイプだよ。『女たち』はまだ読了していないが、評判は高いから余程のどんでん返しでも用意してくれているんだろうね。うう、苦しいが何とかして最後まで読もう。

読書の何が苦痛といって、登場人物の誰にも共感できず、魅力を感じることもないというのが一番の苦痛である。『魔の山』も俗物ばっかだったし、『女たち』も功名心で動いているし。かように不発なわが読書週間の中で唯一のヒットは、なんとBLである。『囀る鳥は羽ばたかない』第6巻を令和の初日から買いに行ったくらいツボにはまっている。まあ漫画への傾倒はそれほど長続きしないのが常だが、登場人物には大いに共感している。壊れた人間を扱っているからだ。宇宙人の頭は算命学的陰陽論で物事を分析する癖がついているが、この分析器にかけてもこの作品の歪んだ心理描写は辻褄が合うのであった。だからわが体内リズムにマッチして、心地よい音楽のように読み進められる。絵は上手いし会話やシーンも無駄がなくていいけど、がっつりBLなので興味を覚えた方はご注意下さい。

by hikada789 | 2019-06-11 19:17 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
昨日のWBSS準決勝は見ましたか。井上尚弥がまたしても気持ちよく殴り倒してくれました。2ラウンドTKO。リアル・モンスター。倒された相手が涙をそそりました。最初のダウンでセコンドはもう続行不能と見做したらしいのを、血だらけの本人は首を振って棄権を拒否していました。無敗の王者だったからあっさり負けるわけにはいかなかったのだね。1ラウンド目はいい勝負だったけどね。

ところでパブー閉店のせいで『余話』の引っ越し先として試運転中のフォークNには、売上冊数が増えるほどボーナスのつくシステムがあった。ひと月5冊以上で売上の5%、50冊以上で7%、100冊以上で10%が加算されるそうな。お蔭様で早くもフォークNで『余話』をお買い上げの購読者がちらほら現れ、既に5冊を越えている。ありがとう読者の皆さん。宇宙人は口を糊していきます。パブーの方も閉店までは通常運転しておりますので、合わせてご利用下さい。
ちなみに、トライアルだけして実用に二の足を踏んだBCCKSは、本を公開した暁には「試し読みページ」を自由に設定できることがわかった。選択肢が広がるのは嬉しいが、バックナンバーの再掲載には結構手間ひま掛かるので、当面BCCKS利用は保留に。え、販路は広げるべきだ? でもここ二、三年購読者数に変化がなかったから、コアな記事としてはもう頭打ちではないかと思う。

by hikada789 | 2019-05-20 12:32 | 宇宙人の読書室 | Comments(1)
テレビアニメ『どろろ』が回を重ねるごとに神秘性を失っていく。放映開始時は顔面の皮すら作りものだった主人公の百鬼丸も、鬼神を次々に倒して聴覚や声帯を取り戻し、だんだん普通の人間ぽくなるにつれて魅力が薄れてきた。当初のヘレン・ケラー状態の方が超然としていて良かったな。俗世と一切関わらずに生きている感じが非日常を醸していたし、無言で表情の乏しいところがソクーロフの映画みたいにこちらの想像を掻き立てていたのに。(ソクーロフ特集、まだ上映中です)
というわけで、想像を掻き立てる大型海外文学を紹介しよう。日本にはまだ馴染みのない現代アゼルバイジャン作家、カマル・アブドゥッラ著『欠落ある写本 デデ・コルクトの失われた書』は和訳が2017年に刊行されていたが、一度本屋で見かけて気になり、図書館にあったら読もうと思って探したら置いておらず、再び同じ本屋で見かけた時に思い切って買った。マイナーな国の作品なのでお値段高めだったが、充実の内容に満足している。訳者あとがきを引用しつつざっくり紹介すると、こんな話である。

この作品は『デデ・コルクトの書』という15世紀に纏められた中世アナトリア語の民族叙事詩を素材にした現代小説であるが、単なる歴史小説ではない。いうならば虚構の中世叙事詩を文学的想像力によって現代に蘇らせた、一種の歴史心理推理小説だ。
物語は、著者自身を投影した現代人作家が、古文書館で未知の写本を発見する場面から始まる。その写本はデデ・コルクトという中世の語り手が一人称でオグズ族の内乱寸前の状況をリアルに語る内容だった。この写本に語り手として登場するデデ・コルクトは、中世アナトリアに伝えられた実在する叙事詩『デデ・コルクトの書』の登場人物であると同時に、この叙事詩の作者に擬せられる吟遊詩人であり、シャーマンである。
実在する『デデ・コルクトの書』はアゼルバイジャンと中央アジアのオグズ族の間で生まれた史詩で、現在のトルコ、イラン、アゼルバイジャン、ジョージアに跨る地域が主な舞台である。15世紀末に東アナトリアで古アナトリア・トルコ語で書き記されたが、その起源は十世紀まで遡れる。トルコ文学史上の傑作と言われ、ドレスデンとヴァチカンの図書館に本物の写本がある。

この史詩に描かれたオグズ族の内紛については、その原因がはっきりせず、故意に記述を避けた気配もある。『欠落ある写本』本編はその謎を文学的に解明しようとする試みなのである。そもそも元ネタである『デデ・コルクトの書』は民族叙事詩の常として登場人物の心理描写は描かれないため、『欠落ある写本』では逆にこうした人間のナマの心を推理しながら細やかに描くことで、「真相はこうだったのではなかろうか」という可能性に信憑性を持たせている。
しかも一人称の語り手はシャーマンで、夢と現実の間を行ったり来たりしながら世界を鳥瞰し、このオグズ内紛事件の審議に書記として参加しながら、同時に世紀を跨いでサファヴィー朝ペルシャの創始者イスマイール一世の影武者事件をフラッシュバックさせるという、念の入った重層構造をしている。

サファヴィー朝といえば知る人ぞ知る、イスラム神秘主義(スーフィズム)の雄である。イランを代表する世界遺産の都イスファハーンを彩るペルシアン・ブルーの建築群は、当王朝の神秘主義が生み出した精神世界の具現化なのである。アゼルバイジャンは現代イランの北西部に接し、言語的にはトルコ語圏だが文化的にはペルシャの色濃い地域だ。イスマイール一世が王朝を建てたのもタブリーズというイラン北西部の街で、当のイスマイールはアゼリー語で詩を書くほどアゼルバイジャンに近い人だった。
ともあれ王朝自ら神秘主義を掲げている摩訶不思議なサファヴィー朝なので、その存在そのものが神秘に包まれており、シャーマンである吟遊詩人が幽体離脱して浮遊するからには避けて通れない世界の裂け目と映ったのかもしれず、イスマイール一世も実に神秘主義というか意図不明な描き方で小説に登場している。

表題の通り、この発見された写本は「欠けて」おり、ところどころ読めない箇所があるという設定なので、部分的に話が通じなくなっていたり結局真相が判らないままになっていたりするのは織り込み済みである。それが巧みに神秘性を高めている。会話も、繰り返しかと思えばちょっとずつ変わっていて、油断ができない。読み手に緊張を強いる文体なのだ。ズィクルなのだ。(※ズィクルとは、イスラム神秘主義でお馴染みの周回歩行というかダンスみたいなもので、神と交信するために念仏を唱えながら同じ円をグルグル回るという、トランス状態に入るための基礎動作のこと。)

この本を読んでいて、手前味噌ではあるが自作小説『メタフォーラ・ファンタジア』を思い出した。あれは中央アジアを舞台にした歴史小説とも音楽小説ともとれるホニャララ小説であったが、この『欠落ある写本』と手法が図らずも似ていた。虫食いのように欠けた地方史を「こういう可能性もある」という程度に補足して一枚の絵を推理構築していくが、結局のところ想像に過ぎない、真相はもっと別のところにあるのでは、という堂々巡りの終わり方になるのは、かの地域と文化を題材とした小説のさだめなのかもしれない。これを機に『メタフォーラ』も再読してみるのもいいかもね。あの作品は、ほぼ40日間トランス状態で書ききった奇跡の産物なのだよ。どう考えても、毎夜毎夜何かが降りて来て私の体を使って誰かが書いた気がするのだ。夜しか書かなかったし、40日間あまり寝ていなかった。『算命学余話』と一緒にパブーに掲載してあるので、興味のある方はご購読下さい。でも『欠落ある写本』の方が断然読み応えあります。また『デデ・コルクトの書』は和訳が出ております。図書館にないから、また買おうかなあ。

by hikada789 | 2019-03-12 15:39 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
宇宙人はあまり短編小説を読まない。サイズも中身も物足りないと感じるからだ。ヘビー級の読み物には、それなりのサイズがないと描ききれないものがある。だから必然的にロシアの長編小説に行きついてしまうのだ。ロシア以外でも長くて中身のぎっしり詰まった(と評判の)作品を読むことはあるが、話が横に広いだけで深部に深く突き刺さっている感じがしないと、途中で辞めることがある。辞めないまでも、この先この作品を再読することはないだろうという印象を持って、読み終える。宇宙人は、死ぬまでにもう一度この作品を読みたい、或いはきっと読むことになるだろう、という気分にならない作品には、高い評価をつけないのである。

そういう読書姿勢であるので、日本の芥川賞作家の作品はたまにしか読まない。特に昨今はタイトルからして深くなさそうな作品が受賞しているので、入口からしてヘビーさを感じない。それでも誰か信頼のおける読書人がお勧めしている場合には読むことがある。そうした縁で村田沙耶香著『地球星人』を読んでみた。
これは、自分を宇宙人だと信じている主人公らを扱った文芸作品で、社会の画一的なシステムに馴染めないはぐれ者から見た地球人の生態を、斜めから批判した警鐘小説である。宇宙人である私としても、ところどころ共感する点や厳しい指摘が散見できたので評価したいところだが、やっぱりもう一度読みたいとは思わなかった。なぜだろう。似たようなテーマではロシアが誇るSFの古典、ザミャーチンの『われら』があるが、あれはまた読みたい気分になった作品だった。普遍性のスケールの違いかなあ。あと『地球星人』の終盤は作家の息切れが伝わる内容だった。適当な終わり方というか、手抜きな感じがした。『われら』はちゃんと宇宙船が宇宙に飛び立って行ったからねえ、風景が壮大だったよ。終わり方は大事なのだ。ともあれ、興味のある方は両方読んで比べてみて下さい。損はしないと思います。

宇宙つながりでもう一件。まだ読んではいないが、漫画『ダルちゃん』という全2巻の作品がやはり宇宙人を扱っているという。肉体がダラリとしたダルダル星人である主人公は、地球人に変装してOLをやっているのだが、正体がバレないように化粧も覚え、相手に合わせる対話技術も身に付けた。しかしそうして常に誰かに合わせて付和雷同している生き方に疑問を抱き始め、そのことを地球人たちと考えるようになる、そういうストーリーだそうである。『地球星人』とテーマはかぶっているが、日本の漫画は侮れないから、もしかしたら芥川賞作家を凌駕した作品やもしれぬ。ともあれ宇宙人を扱うと、昨今の創作はこのような着地点に落ち着くようである。

ところで、宇宙からは離れるが、先日ラジオのアーカイブで大仏次郎が「日本人は雷同しやすい」と警告していた。「戦時中もそうだし、明治維新もそうだった。例えば水戸藩の藩士らは、攘夷攘夷と叫んで江戸に上るが、実際は攘夷などやらなかった。ただ騒いだだけだった。幕末は腰の落ち着いた士族が沢山いて、こういう堅実で大人の人材が維新政府を支えたから良かったが、これに乗っかってただ騒いでいるだけの人間も大勢いた。現代(1960年代)の学生運動は、水戸藩士のように腰が軽くて中身がない。周囲に流されて騒いでいるだけ。それでも戦時中よりはまだましな気がする」という内容だった。この辺りの批判が上述の宇宙人ねた作品のテーマと重なり、耳に残ったのだった。

by hikada789 | 2019-03-06 15:52 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
No.1157でハゲに効くかもしれないと紹介したシベリア杉オイル、紹介した一週間後に売切れになったので、もしや当ブログの読者が買い占めたのではないかと疑ったくらいだ。真相は判らぬが、かの製品はしばしば売切れては入荷を繰り返しているので、お求めの方はしばらく待っていればまた店頭に並びます。いや、私はあそこの営業マンではないのだが。ただ「アナスタシア」に好感を持っているだけ。あ、五日ほど前にうっかり満員電車に乗ってしまい何らかのウィルスに感染したらしく、その晩から変な咳と微熱、若干の鼻水が出たが、杉オイルを気合いと共に服用したところ、今日は平常に戻った。効果があったのやら別の要因なのやら。

気味の悪い話をひとつ。先日友人が子供の学校に出没するモンペの仰天話を披露してくれたのだが、その内容はさておき、その人物の住むマンションがおかしな間取りだという話になった。そしてその同じマンションに住む別の知人が、近日引っ越すことになったという。この話にピンとくる宇宙人。以前紹介したかどうか忘れたが、確か(違ったかな?)『事故物件に住んでみた』という事故物件専門のルポものに類似の話が載っていた。実に気味の悪い話で、概要はこうだ。
そこに住むと住民がさまざまな不幸に見舞われる小型マンションがあった。風水上よくないとされる三角形の土地に建ち、しかも建物まで三角形で、そのせいなのか間取りも不思議な間取りで、何より奇妙なのは各階へはエレベーターでしか行き来できず、階段は使用禁止の札が下がっているという。このルポの著者は物書きだが、取材に当たって霊能者に物件を鑑定してもらったところ、聞いたことのない話を聞くこととなった。

それは、このマンションが故意にこのような形で建てられており、その目的は、住民の生気を吸い取ってそれを養分とすることで、地下にいる「何か」を育てることだというのだ。詳しくは本を読んでもらうとして、宇宙人はその「何か」をなんとなく巨大な芋虫として想像した。漫画『食糧人類』を立ち読みした影響かもしれない。勿論、そんな目的でマンションを建てたのはそこの家主である。霊能者によれば、家主は明白な呪術でもってこのような目的に完全に合致した土地に、完全に合致したマンションを設計して建て、そうとは知らぬ住人の生気を一滴残らず吸い取れるよう、その動線を支配すべく階段を封じ、禁断のエントランスをくぐったなら必ずエレベーターに乗って禁断の通り道を通るよう完璧に誘導しているのだそうだ。
その育てている「何か」が何であるのかは、霊能者をもってしても見極められなかった。シールドされていたからだ。やはりピンとくる宇宙人。以前当ブログで「本当にあった生霊事件」を連載したことがあるが、あれは宇宙人が職場で遭遇した生霊事件をそのまま書き下ろしたものだ。あの事件も最終的に霊能者のお世話になったが、後日別の有力な霊能者にこの体験を話したところ、宇宙人が実見した様々な怪事件は実際は生霊のせいではなく、職場のあったビルの地下にあるものが原因だということだった。生霊はその影響の一つに過ぎず、その地下の真っ直ぐ上に位置する席に座った人がおかしくなるのであり、席のずれていた宇宙人は助かったのだと。「通り道」だ。

宇宙人はその職場に嫌気がさしてほどなく離職したのだが、冒頭の友人の知人もまた、「ずれていた」から助かって、無事引っ越しという脱出を果たしたのではないのか。生霊事件の現場だったビルは特におかしな間取りということもない狭小ビルだったから何とも言えないが、世の中にはよからぬ目的となりうる建物があり、その原因をつきつめれば、ずばりよからぬ目的のために住宅を建設することもできるという現実が、このように世間に散見できるのだった。いや気味の悪い話だ。夏にすればよかったね。

by hikada789 | 2019-02-25 22:24 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
平野啓一郎著『マチネの終わりに』を読んだ。映画にもなったと記憶しているが、この小説の内容では映像化しても陳腐な恋愛悲劇にしかならないような気がする。映画と小説の両方を知っているという方、如何でしたか。
小説の方は前半があまりに素晴らしかったせいもあって、後半が苦痛でならなかった。主人公の恋路を邪魔した卑劣な女が気持ち悪くて、しかしこの女が報いを受けることをテーマにしては三文小説になってしまうから、そうしなかった作家は立派だが、やっぱり納得のいかない話だった。自分が算命学者だからかもしれない。だってこの卑劣な女はどうあっても幸せにはならないよ。子供に影響が出ないわけないから。勿論作品は子供の成長後まで描いていないからこういう終わり方でもアリだけど、算命学者はこうした子孫に対する影響については結構シビアな因果を織り込んで、起こるべき未来を分析的に眺めてしまうものなのだ。一種の職業病である。
卑劣な女の気持ち悪さについては本編を読んで頂くとして、前半のどこが素晴らしかったのか、宇宙人のウキウキアンテナが那辺にあるのか、以下の引用から皆さんに知って頂こうと思う。というのは、最近腹立たしい出来事があり、その腹立たしい事件の原因となった人物(突き詰めれば先の「卑劣な女」と似ている)と、以下の引用にかかる人物像とが、きっかり真逆だったからだ。「以下の引用と自分は真逆だ」と思ったなら、宇宙人に話しかけてはいけない。地雷を踏むことになるからな。

――そんなふうに、誰かと一緒にいること自体を、人に自慢したいと思ったことなど、これまで一度もなかった。

――他の誰と喋っていても、あんなふうに笑みが絶えないということはなく、彼との会話のどこを探してみても、自分が心から話したいこと、聴きたいこと以外には、何一つ見つからなかった。

これは主人公の男女が互いから受けた感銘の大きさを描いた箇所なのだが、別に相手の見た目とか名声とか財力とかでこういう感銘を受けたのではないし、いきなり恋に狂ったから我を失ってそう思い込んだというのでもない。ただ相手から受ける知的刺激によってこのように感じたのである。要するちょっと話しただけで相手の力量――知性や経験、思考の深さ、感性の豊かさ、清涼さなどが自分の内面と共鳴し、その共鳴や刺激があまりに心地いいので、どんな話題で話していても無駄と思われる瞬間は一瞬たりともなく、従ってただ一緒にいて受け答えをしているだけで、話が澱むことなくどんどん先へ進み、思考は深まり、新たな発見に歓びが湧き起こり、二人でどこまでも上昇していくような幸福感に浸れる。そういう状態を描いている。
私はこういう気分にさせてくれた人物と過去に出会っているので、コレだよコレ! と膝を打って共感したのだが、皆さんはどうですか。こういう人に出会っていますか。ただ一緒にいただけなのに無駄な瞬間は一秒もなかったと断言できる人に。それはきっと運命の人というやつなのだ。

そして、その真逆の人とは、ほんの数分しか一緒にいなかったのに、一年くらい拘置所に入れられていたかのような苦痛を覚える相手のことだ。そんな相手と望まぬ会話をし、聞きたくもない話を聞き、言いたくもない受け答えをした。その時間は人生の中の無駄な時間――人生を浪費した時間なのである。同じく『マチネ』から、主人公の男女が結局破局し、女性は別の男性と結婚してその伝手で米国財界人のパーティに出席し、金持ち達の自慢話にウンザリするシーンを引用しよう。

――要約すればそれだけの話で、三分で聞かされれば興味深い話も、三十分以上も口を挟む間もなく続けられると、さすがに耐えられなかった。

つまり、後半の何が苦痛かって、主人公の男女が相思相愛のまま結婚していればその後の人生は隅から隅まで無駄のない充実と内的上昇が約束されていたのに、破局したばかりに二人とも人生の浪費、鬱屈と停滞の時間をあまた過ごすことになった、という点なのだ。もうずっと拘置所に入っている気分なのだ。しかも破局の原因は二人にはなく、外的要因のためだったので、彼らの上昇を阻んで足を引っ張る輩に腹を立てながら読み進めなければならなかった。
勿論、この小説の主眼はそこではなく、そんな状態の二人がどうやって鬱屈と停滞から脱出するかを細やかに追った経緯こそが本論なのだが、私は人の足を引っ張るのも自分が足を引っ張られるのも嫌いなので、読んでいていい気分にはならなかった。いや、しかし名作です。さすがの平野作品です。世に溢れる恋愛小説とは比べものにならない類の恋愛小説です。最後に偽物ではない、本物の恋愛とは如何なるものかを論じた部分を紹介して終わりにしよう。

――なるほど、恋の効能は、人を謙虚にさせることだった。(略)人はただ、あの人に愛されるために美しくありたい、快活でありたいと切々と夢見ることを(いつしか)忘れてしまう。しかし、あの人に値する存在でありたいと願わないとするなら、恋とは一体何だろうか?

宇宙人は常々、一方的な愛情を押し付ける人間を手前勝手で未成熟な奴と見做してまっすぐ軽蔑し、そのような態度で応じているが、そうした手前勝手な感情は単なる私欲であって恋ではない。そのことをこの引用のように言語化してもらえて嬉しい。共感者がいてくれて嬉しい。孤独ではないという勇気をもらったので、これからもせっせと地雷埋設に努めるとしよう。

by hikada789 | 2019-01-26 22:50 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
ここ数年、正月は人ごみを恐れて初詣もすいた頃を見計らって出掛ける宇宙人は、三が日を自宅で大人しく過ごす習慣になっており、朝は寝起きからあてどもなく駅伝を眺めているのだが、CM中に裏番を物色していたら昨年の流行語にノミネートされていたドラマ『おっさんずラブ』が一挙再放送されていたので、箱根駅伝と掛け持ちでこれまたあてどもなく眺めてしまった。1クールの短い作品だったので展開が速く退屈はしなかったが、世の書店に溢れるBL漫画の平均値を知っている我が目には何とも少女趣味というか、清く正しい宝塚的な男子恋愛に拍子抜けした。正直リアリティは1ミリも感じなかった。昨今はこういうのが流行るんだ。ふーん。
リアリティといえば、ロシアドラマ『エカテリーナ』のリアリティはまた度が過ぎていた。「王冠を被った娼婦」というコピーのエカテリーナ二世は、愛人筆頭のオルロフ伯爵の男性機能の低下を知って、早くも次の獲物ポチョムキン少尉に狙いを定める。ポチョムキンは純朴で一途な教養ある青年軍人として描かれており、オルロフの教養のなさも女帝を興ざめさせたという動機付けを担っている。女帝は啓蒙君主なので知的水準が高く、こういう女性は得てして精神世界の乏しい男に冷淡なものなのだ。とはいえポチョムキン役に起用された俳優はラグビーのフォワードと見紛うようなガタイの持ち主で、見るからに絶倫なのだった。実にあけすけなリアル恋愛表現なのだ。日本のドラマとはえらい違いだ。

正月早々シモな話になってしまったので、口直しに読書の話題。サルマン・ラシュディ『真夜中の子供たち』から楽しく笑えた辛口な真理をいくつか抜粋しよう。興味が湧いたら是非本編をお読み下さい。読み応えあります。悪童ものとして佐藤亜紀の愛読者には楽しいと思います。

――財産が人間にランクを与え、富が徳と同等視され、情欲が男女の唯一の絆となり、虚偽が成功をもたらす時代(こんな時代にあっては、私の善悪の観念が混乱してしまうのも当然かもしれない)

――正気の人なら誰でも他人の解釈を自分の解釈ほど信用しない。

――学をひけらかすことによって、また純粋なアクセントで話すことによって、私は相手を恥じ入らせ、自分達には到底この人を指図する資格はないと感じさせた。あまり立派なやり方とはいえないが。…とはいえ私は一つの戒めを大切にしていた。自分の考え方を他人に押しつけようとするのは危険だということを。

――確信しきった男というのはひどいことをするものだ。女だって同じさ。

――彼らの頭は、両親、金銭、食べ物、土地、財産、名声、権力、神といった平凡な事柄でいっぱいだった。

by hikada789 | 2019-01-04 16:34 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
年の瀬が迫って参りました。皆さんの支援のお蔭で、宇宙人は今年も無事に年を越せそうです。合掌。冷蔵庫には頂き物の食料が宇宙人の正月を支えるのだ。この冬は初めてゆずがごろごろと届き、せっかくなのでマーマレードにしてみた。ネットで検索したらレシピが見つかったのだ。材料は砂糖と白ワインだけというから簡単だ。刻んで煮詰める時間くらいいくらでもある。
お勤めの皆さんは28日が仕事納めでしょうか。お疲れ様です。宇宙人は特に出掛ける用事もないので、年末は例年通りボクシングとRIZINのテレビ観戦で締めくくろう。那須川天心は本当にメイウェザーとやるのかね。結局ルールはどうするのかな。那須川君は11月のキックの試合で久しぶりに1ラウンドKOしたが、あれは多分相手が弱かった。強い相手だとちゃんと苦戦するのだよ。

格闘技一色ではさすがに単調なので、この年末年始も図書館で用立てた読書を進めよう。ラインナップは以下の通り。
・サルマン・ラシュディ『真夜中の子どもたち 上・下』
・杉山隆男『兵士を見よ』
・杉山隆男『デルタ』
・所功ほか『元号 年号から読み解く日本史』
・ガルシア・マルケス『百年の孤独』
・イヴァーノフ=ラズームニク(佐野努・洋子/訳)『ロシア社会思想史 インテリゲンツィアによる個人主義のための戦い 上・下』

サルマン・ラシュディはあの『悪魔の詩』で死刑宣告された事件で有名。『真夜中』は随分前に一度読み挿して、何かの事情で読了できなかったのを再チャレンジで読み始めているのだが、今読んで正解だった。なぜなら宇宙人は去年インドを旅行して、インドの事情が以前よりは判っているからだ。当地のヒンドゥー教徒とイスラム教徒の微妙な共生事情とか。
『兵士を見よ』も既に読み始めている。文字でぎっしりの充実のノンフィクション。航空自衛隊の日常ドキュメンタリー。就職に悩む若者よ、これを読んで自衛官を目指してはどうだ。大卒してからでもイケるぞ。『デルタ』は最新刊なので今なら本屋ですぐ買える。対中国の国防を扱っている。
『ロシア社会思想史』の訳者は宇宙人の今は亡きロシア語の恩師で、やはりロシア研究者となった娘さんが共訳として近年出版したもの。訳文であっても独特の語り癖の記憶が甦り、魂が若返るのだ。恩師はアナーキストであった。だから宇宙人もこんななのだ。
去年の年末に掲げた同様のラインナップから興味のあるものを読んでみた、という読者の声がいくつか寄せられた。読書仲間が増えるのは嬉しいのだ。

by hikada789 | 2018-12-27 23:16 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
急に寒くなりました。今朝起きぬけにガラケーを開いたら画面が結露で濡れていた。日中晴天なら暖房要らずのわが家もこう曇天続きではかように底冷えするので、例年より早く湯たんぽと電気ストーブを稼働させた。エアコンは眠くなるのでつけない。室内着には二束三文で買った古着の羽織を愛用。薄いのに実に暖かい。
肉の薄いタコ・クラゲ型宇宙人は、昔からセーターとか手袋といった毛糸の編み物で体が温まらない体質だ。低体温のせいやも知れぬが、網目の隙間から冷気が突き刺すので、従来はウールややダウンの上着を部屋で着て寒さをしのいでいた。しかしこのところ気の毒な和服がリサイクル屋で叩き売りされているので、部屋着目的でサイズも見ずに数枚買ったら、思いがけず暖かかった。生地の目が細かいからだろうか。柔らかいからコート類より肩が凝らず重宝している。勿論品質は安心の日本製だ。
最近着付けを習い始めた友人によれば、リサイクル和服は今が買い時だ。着物を新調する世代の人口が年々減っているため、このままでは将来的に需要は激減し、それに伴い供給側も事業縮小を余儀なくされるため、今後しばらく箪笥に眠った和服がリサイクルに出回った後は売れ残りが海外へ流出し、その後新しい古着は在庫が底をつくことが予想されている。だから古着でも品質の良い和服がリサイクル屋に並ぶ今がチャンスなのだ。これを逃すともう次はない。さあ日本人よ、とりあえず今買っておけ。そして自分や周囲が着ない場合は、外国人に高く売れ。それだけの価値はある品々なのだ。

ところで受験シーズンだからというわけでもないが、佐藤優が自身の高校時代を綴った自伝でこういうことを言っている。彼が卒業した男子進学校では、授業以外の活動がやたらと多かった。文化祭や体育祭、部活とその朝練や生徒会活動その他高校にはよくある課題が山積みで、そうした受験科目と関係のない活動の手を抜くことは許されなかった。それは教師らからそう言われたからではなく、生徒らがそのように自覚している、要するに校風であった。つまり「できる学生」というのは、早朝に朝練をし、ホームルームで当番をこなし、授業の合間に飯を食い、突然の教師からの手伝い要請に手際よく応じ、放課後の部活や課外活動の前や後ろの空いた時間で宿題や予習復習をし、下校時は青春に悩む友人の話を聞いてやり、家に帰れば家族と人並みの交流をし、食事や風呂の合間にテレビやラジオで世間の情報を取り入れ、寝る前に教養書を数ページは読んで就寝する。そんな過密スケジュールの隙間の僅かな時間でも参考書を開いて集中して勉学に勤しみ、且つ結果を残せる学生なのであり、こういう日々のマネージメントをこなせる人材を育成することを是とした学園カリキュラムであったというのだ。

それはつまり、受験に合格するためだけに一日を使うような、受験科目しか勉強しないでそれ以外は何もやらないというような高校生活はダメだということだ。そういう学生はなるほど東大に合格するかもしれないが、社会に出ると使い物にならない。なぜなら社会人がこなす一日の課題は多彩で、不測の事態もよく起こる。受験科目しか勉強しなかった学生はそれ以外に取柄がないため、社会に出ても自分の狭い範囲の仕事しかこなせず、「それは私の仕事ではない」と平気でのたまわって顰蹙を買う大人になってしまうし、不測の事態が起きても立ち往生するか、それに注力している間に自分の本分を疎かにしてしまう。なぜなら、あれこれの課題に正しく優先順位をつけて首尾よくこなすマネージメント能力が鍛えられていないからだ。
そういう使えない大人にならないためにも、たとえ受験に直接役に立たない活動であっても山ほど生徒らに課題を課す高校が、結果的に有能な人間を作るのだ。だから生徒らもこうした活動を軽んじて避けてはいけないし、親御さんたちも「そんな活動を子供にさせるな」とごねてはいけない。佐藤氏はこのように提言しております。

全くその通りだ。宇宙人も高校時代はやたらとイベントの多い学校に通っておったが、今思い出す事といえばその種のイベントばかりで、授業の内容など自分の興味のある科目しか覚えていないし、身に付いてもいない。しかし隙間の時間を使って進級進学に必要な学力は保持していたし、社会に出る頃にはすっかり要領の良い人間に出来上がっていた。見よ、宇宙人の土星裏生活がいま一体どうやって成り立っているのかを。謎ではないか。でもちゃんと健康に生きているのだよ。これを生活マネージメント力と言わずして何と言うのか。
興味のある方は佐藤優著『埼玉県立浦和高校 人間力を伸ばす浦高の極意』や『君たちが知っておくべきこと 未来のエリートとの対話』をお読み下さい。何の為に受験勉強しているのか見失っている中高生にもお勧めです。

by hikada789 | 2018-12-12 18:45 | 宇宙人の読書室 | Comments(4)