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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

カテゴリ:宇宙人の読書室( 175 )

補足までですが、町山智浩氏は内田樹氏(ほか2名)と共同執筆で『九条どうでしょう』という憲法第九条の是非についての少数意見を述べたマイナー本も出してます。世の中の常識と対決する執筆家として今後も活躍されたし。

今日はヘビー級歴史小説『静かなドン』を読書の秋用にご紹介しよう。『静かなるドン』と訳されることもあるが、どこかのヤクザ物とかぶってしまうので、直訳で『静かなドン』で通します。ドンはウクライナの大河ドン河のことで、この流域に生きる、ロシア革命前後のドン・コサックの一家の栄枯盛衰を描いた文字通りの大河小説で、作者のショーロホフは後にノーベル文学賞をとっている。この作家は従軍記者であった経験を活かして、間近で見る戦闘の活写のみならず戦場の裏話を大々的に取り上げ、生々しくもリアルな騎兵たちとその家族の生活を「そこまで書かなくても」という細部まで描いてみせた。作家は既にソ連時代を生きており、共産主義礼賛の視点から描かないと逮捕されるような際どい社会で中立的立場で書いているのだが、白衛軍(皇帝軍)の主人公が生まれて初めて聞く共産主義の理想を肯定しながらも何か胡散臭さを覚えて踏み込めないところや、赤衛軍(共産党軍)の手先が村人の生活を圧迫し、恨みを募らせた村人にリンチに遭うところなど、どこにも正義なんてないぞというシビアなテーマを淡々とした筆致でつづっている、不思議な読後感をもたらす傑作である。

読み方は人それぞれだし、イデオロギーを無視して読んでも結構なドタバタ劇なので、岩波文庫で全8巻というボリュームを恐れず挑戦してみたい方に、宇宙人が今でも忘れぬ第1巻のあらすじの一部をちらっと紹介しよう。
主人公グレゴリーはまだヒゲがようやく生えそろった年頃の若いコサックだが、物語の初っ端からいきなり隣家のカミさんと不倫を始める。この年増妻アクシーニャは大層な美人ヒロインだが、物語が始まる前の設定がワイドショー仕立てになっている。彼女は16歳の時に農場で実父にレイプされ、泣きながら自宅に戻ると、幸か不幸か除隊されたばかりの母の兄が帰宅していた。コサック部隊の隊長を「アタマン」と呼ぶのだが、ドイツ軍を震え上がらせた泣く子も黙るアタマンの兄は烈火のごとく怒り、妹とその娘を乗せて馬車を農場へ走らせる。路上に酔っぱらった父親を見つけたアタマンは、二言三言ことばを吐きかけ、怒りの形相で馬車へ戻ってくると轅(ながえ)をはずし、鉄の覆いのついた方で父親の鼻を目掛けて振り下ろす。以下容赦のない暴力シーンが続き、これに怒れる母親も参戦。父親が動かなくなったところで二人は男を小屋に運び込み、翌朝男は死んだ。周囲には「馬車から落ちて死んだ」と言っておいた。
さて娘はその後何事もなかったかのように婚約し、コサックの男に嫁いだが、嫁いだ男は暴力夫であった。引き続きワイドショーな展開に苦しむヒロインは幸薄いわが身を嘆いて暮らしていたが、ドイツとの戦争で夫が兵士にとられると、「兵隊後家」の身となったヒロインは隣家の坊やに目を向ける。あんな若くてきれいな子なら、私を殴ったりしないかも、とグレゴリーとの不倫にときめく、逞しいヒロインであった。
実際の文章はもっとまじめで淡々と描写されているので、読んでいるとどこで笑っていいのか判らなくなる。しかし喜劇も悲劇も同じテンポで全編語られるので、なるほどこれが人生というものかという気分にさせる特異な文体かもしれない。

宇宙人はこの作品を数年前に読んだが、第1巻の(笑いの)衝撃がすさまじく、次々に巻を読み進めたが、やはり本物の戦争を扱っている作品は話が絶望へ向かうしかなく、後半はこの種の喜劇の数はさすがに減って、いったい誰が最後に生き残るのかというサバイバルな話になってくる。ロシア革命なんて世界史の教科書の一頁で素通りしてしまうが、実際に革命の最中に抵抗した勢力は数年にわたり反共内戦をつづけ、結局力負けしたのではなく内部崩壊して敗れ、この時の抵抗が原因でコサックは土地を奪われて没落し、更にウクライナ全土が1930年代にソ連当局から報復のように飢餓状態で放置される事件に発展している。今日のウクライナが独立したかったはずである。
史実と照らし合わせて読むのが億劫なら、喜悲劇だけ拾って読むこともできる、多彩な作品です。春にドン河の氷が割れる轟音を遠くに聴くスケールから、コサックの家に暮らす女たちの事情、兵士や後家の個々の細やかで切実な事情など、人間の人生そのものの描写が光る一品です。こういうのを読むと日本の大河ドラマは見られなくなるので、ご注意を。
by hikada789 | 2011-10-21 13:04 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
No.125で映画の話が出たので、映画関係の本の紹介をしてみます。
宇宙人はもともとそれほど映画を見ない。米国製以外のドキュメントや文芸作品ならまあ見るけど、娯楽物フィクションは見ない。ハリウッド映画は米国製というだけの理由で見ない。見たあと非常に後悔するので、金と時間は別の用途に費やすことにしている。
そんな宇宙人が珍しく毎週楽しみにして見ていたテレビ番組が『未公開映画を見るテレビ』というやつで、米国在住の映画評論家、町山智浩が日本で公開されない問題作品を紹介しながら、アメリカ社会の暗黒部分を暴露するという画期的で、アメリカ万歳な世の中に対して反社会的ともいえるメッセージを笑いを込めて発信する楽しい深夜番組だった。宇宙人はテレビも大して見ないので、毎週見たというのは驚きである。放送局はここ2年ほどこればっかり見ているというTOKYO MX(9ch)で、東京オンリーのローカルだから視聴者は限られるのだが、この局、いい番組と低俗番組の差が激しく、まだスポンサーが十分つかないので昼間は通販番組をえんえんと流している悲しい局なのだ。資金不足から装飾に金をかけることができず、内容勝負というわけだが、コアな視聴者をがっちり掴んで離さないポリシーが感じられて面白い。

あ、今日は本の話でしたね。この町山智浩著『トラウマ映画館』は、上記のテレビ番組とは違い、日本で公開されているものの、深読みしないと楽しめない往年映画の解説本である。制作年はだいたい1960年代のもので、昔、テレビ東京で昼間に毎日流していた外国映画を漫然と見ていた中学生の著者が、トラウマになるような作品に遭遇し、成人してからその作品の制作背景を探って、こうしたわけでメジャー映画と見なされず、監督も役者も不遇の末路をたどった、といった作品より面白い現実も合わせて紹介してくれる、やはり笑いを交えた、しかし真実を突いた良書である。私はこれを読んで、テレビ東京が昼間に流している映画が、買い手が見つからなくて束売りされて、ああやってテレビで無料鑑賞できるようになっていたことや、アメリカ映画もかつては暴力や性的シーンを禁じる規制があって、そういうシーンを表現するのに心理的で奥ゆかしいテクニックを持っていたが、規制が撤廃されたら今日のような露出が観客を喜ばせ、奥ゆかしいテクニックは今日アジア映画の専売になってしまったことなどを知った。そうか、アメリカ映画もかつては捨てたもんじゃなかったのだね。

そうなのだ。アメリカもかつてはまじめに人間を問う社会派作品を作っており、西部のハリウッドに対して東部のニューヨーク派と呼ばれていたそうだが、観客のレベルが低かったのでしょうね、今やニューヨーク派なんてあったことさえ知らない米国で、アメリカ映画イコールハリウッド映画、イコールあんだけ資金投入してこんな中身なのにお客さん大喜びで金払って見ている、宇宙人にはナゾな映画が業界を席巻しているというわけだ。
宇宙人は、近年のハリウッドの代表作『タイタニック』をテレビで見て、つまらないから始めと終わりしか我慢して見られなかったのだが、終盤で海に浮かんだヒロインが板につかまっていたところ、マッチョな脇役(多分泳げない)がその板を奪おうとし、主人公デカプリオにぶん殴られるシーンを目撃して、ひっくり返って笑いました。こんなに笑えるなら全編見るべきだったろうか?後日友人に語ったところ、そこで笑うのはお前だけだと評されました。だって、かわいい女の子は救うべきだけど、かわいくないマッチョは見殺しにしていいっていうメッセージだよ?レイシストの国らしいスーパーギャグじゃないですか。

まあハリウッド映画がお好きな方もいるだろうから批判はこれくらいにして、『トラウマ映画館』の著者は別に宇宙人好みの深刻映画ばかりを見ているわけではなく、娯楽物ももれなく吸収しているので、別の著書ではもっと違った評論を読むことができよう。しかし『トラウマ』でいくつか感銘を受けて、見てみたいと思った映画のひとつに、『マンディンゴ』というのがあった。その解説によると、あらすじは奴隷制たけなわの頃のアメリカ南部の農園の実態をありのままに描いた、事実そのものの絶望的内容で、白人の農園主はまともな英語もしゃべれない教養ゼロの田舎領主で、ずっときれいな英語を話す黒人執事にあれこれ命令して奴隷を買いあさっている。当時の南部領主の高級な趣味は、アフリカの王国の血統を持つ黒人奴隷を買い集めて、交配させるというブリーディングだ。犬やバラの交配の歴史が長い民族の習癖というべきか、日本人にはおとぎ話にしか聞こえないご趣味である。更に女奴隷は妾にし、生まれた子供は奴隷市場に売る。この感覚も日本人にはよくわからない。自分の子供じゃないのかね?
映画の詳細は本を読んでもらうか映画を見てもらうかすることにして、この映画がお蔵入りになってしまったのは、当時の評論界から一斉バッシングを受けたからだが、その理由は内容が非人道的だからというよりは、変えようのない事実であることから、視聴者である米国人が直視を拒んだからということらしい。
ここで著者が加えるに、この作品は『風と共に去りぬ』(1939年)を暗に批判したもので、南部貴族の優雅な生活を描いたこのメロドラマは、あのヒラヒラした主人公のドレスな生活が黒人奴隷の奉仕の上に成り立っていることに見向きもしない。『マンディンゴ』は1975年の作品で、ベトナム戦争に対する疑問や正義の剥落に目を向けざるを得なくなったアメリカ社会が、ついに奴隷制度にまで目を向ける契機になるかと思われたが、残念、そこまでには至らず、批判を浴びてマイナー映画扱いになったとのこと。

『タイタニック』同様、『風と共に去りぬ』も世間がいいと騒ぐので、宇宙人も見てみようという気にならないでもなかったが、最初のシーンの役者の顔を眺めていてもうアカンと席を立ってしまい、部分的にしか鑑賞していない。しかしこれでわかったぞ。インチキや贋物をきらう宇宙人は、最初のシーンを見ただけで、全編が贋物であることが判るのかもしれない。それで早々に気分を害してよそへ行ってしまうのだ。これは映画に限らない。以前、モスクワで日本人ピアニスト(自称)の無料コンサートをオーケストラ付きでやるというので見に行ったら、あまりのへたくそさに動悸息切れがして、第一楽章で切れたところで大急ぎで退席したことがある。その自称ピアニストは金の力で楽団と会場を借り切り、無料切符をバラまいて人を集め、その満席の会場をビデオに撮らせて次の楽団買収のプロモーションに使うという活動をしていた。宇宙人にはわけがわからない。自己満足のために、命を懸けているかもしれない他の音楽家の音楽を伴奏にし、人様の耳を汚す音楽を聞かせて平然としている神経が。上述の奴隷領主の感覚は外国人として理解に苦しむが、このピアニストの感覚も、外国人から見れば得体が知れないのかもしれない。人種は無関係かもしれない。
ともあれ、これで宇宙人は『風と共に去りぬ』は永久に見ないことになろう。『タイタニック』は笑いを求めて最後のシーンに限って見続けるかもしれない。『未公開映画を見るテレビ』は一旦終了し、今は再放送を流している。DVDも出ているから、興味のある人は見てみて下さい。アメリカのアホさ加減がよくわかり、冷戦時代のロシアのアホさとタメを張っているのがよく判ります。
by hikada789 | 2011-10-18 11:47 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
お気に入りの放送大学ラジオ講座「日本の古典・古代編」が最終回を迎えた。残念だ、愛聴してたのに。最後の講義は印象深いものとなった。『今昔物語』の紹介で、講師の鋭い抜粋が今日も炸裂。何百何千とある今昔物語のエピソードの中から珠玉の一品として朗読されたあらすじはこのようなものだった。

~昔、赤ひげの男がいた。ある日一人で暮らす若い女に出会い、その家に通うようになるが、ある時女は「あたしのためになんでもしてくれる?」と問い、めろめろの男は承諾する。女は男を機織り(と聞こえた)に吊るしてムチで打ち、男の心が揺るがないことを確かめた。男はずたぼろになったが、我慢して(!)耐え、その後の女の介抱に慰められるのだった。
やがて女は男に「どこそこへ赴いて現場の指示に従え」と指示し、男が出向くと(中略)いつの間にか盗賊の仲間になっており、その頭目は男装したあの女なのだった。
男はそうと気づかぬ間に、ある日突然女に消えられ、途方にくれるも生業もなく、仕方なく盗賊稼業を続けるうちにとうとう当局に捕えられ、処刑された。~

今昔物語にこんな話があったとは知らなかった!知っていたら高校の古典の授業にもっと楽しく打ちこめたのに、どうして教えてくれなかったんだ。教科書はもっと若者の興味をはげしく惹きつける内容であるべきだ。勉学ってこんなに面白いよとアピールする機会をむざむざ逸しおって、けしからん。
というわけで、にわかに今昔物語を読みたくなってきたが、上記のようなはじけているエピソードを選りすぐって紹介している本など、どなたかご存知だったらお知らせを。だって全編読むにはあまりに膨大すぎるので。

知らなかったといえば、どういうわけか最近再放送されている「天才バカボン」のアニメ、ぼんやり聴いていたら、「ママ」の声がどこかで聴いたような?ハッ、まさか!あ、やっぱり、ルパン三世の峰不二子と同じ声優だった。そうだったのか、知らなかった。ママの顔のまま「ルッパーン」と唱えてくれたら、この上なくシュールなのだが。
by hikada789 | 2011-09-20 17:58 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
せっかく宇宙空間に読書室を設けたのであるから、それに相応しい作品について論じよう。宇宙人が究極の予言小説と見なしている、ザミャーチン『我ら』。例によってロシア文学だが、ソ連成立後の、第二次大戦前に書かれたSF小説という珍しい形態の風刺小説で、いま何も知らない日本人が読んでも近未来小説として通じるような舞台設定なのだが、中身はやっぱり痛烈な人類批判であり、政権批判である。
もう読んだのは随分前なので主人公の名前も忘れてしまったが、あるいは名前はなかったかもしれない。なぜなら周囲の登場人物は全員肩書きかアルファベット記号で呼ばれていたからだ。その世界では人間の平等が徹底され、全体主義を信奉するあまり、個人の名前さえもなく、記号で呼び合い、全員同じ作りの個室に住み、その壁はすべてガラス張りでプライバシーがなく、個人の所有物もなく、同じ時間に起床して同じ時間に同じものを食べて同じ時間に仕事に出かけ同じ時間に帰宅して就寝する。唯一、生殖だけが全員同時進行ではないのだが、これも女性の側に選択の自由はなく、男性が申請するとバウチャーがもらえるので、指名した相手の順番待ちをして子孫を残すのだ。生まれた子供は厳格に管理され、標準の体格や知能に及ばないものは処分される。この体制を維持している限り、市民は生活を保障され、安心して死ぬまでこうして生きていくことができる。

ああなんだか、見覚えのある風景ですね。しかしこの時代に上梓されたこの作品が文学史に名を残しているのは、もうちょっとぴったり当てはまる具体的な予言の対象が今日存在しているからである。この作品の中では、その体制を築き上げたのは「恩人」と呼ばれる偉大な指導者で、世界はこの人のおかげで異分子を撃退して安全安心な社会を築くことができたので、永遠に「恩人」に感謝しながら永遠にこの社会を存続させることにし、それが惰性となって継続している。しかし異分子は実はいまだに存在しており、この世界を覆うドームの外側に原始人のように暮らしているという。異分子が出没するとこの世界の市民は攻撃をするのだが、なかなか撲滅できない。物語は、主人公の男性が異分子のスパイである野生的な女性と接触することで「困ったことに魂が芽生えて」しまい、最終的に「恩人」の世界に疑われて「魂の摘出手術」を施され、体制側のロボットになってしまうが、代わりに彼の子供を宿したパートナーが外の世界へ脱出するというあらすじだ。

今日の我々が聞くと、ああ、北朝鮮の話だと思い当たるのだが、この作品が書かれたのは北朝鮮の成立のずっと前だから、作者はもちろん、スターリン支配のソ連を見てこうした人類の先行きをリアルに想像したのだ。無論、ソ連もこれに似たような感じになって70年かかって体制は崩壊したけれど、同じ体制と思想で出来上がった他の国がこうなると、誰が予想し得ただろうか。ザミャーチン、おそるべし。
しかも、この予言はもはや北朝鮮だけのものではないのは明白で、安全安心を求めるあまり闘うことも堪えることも敬遠するようになった、規格や制度に当てはまらない人間に対して排他的な、どの国とはいえない現代人全体に当てはまるのである。旧ソ連や北朝鮮や、いま独裁者と派手にやりあっている中東の国々を、我々は他人事と笑うことはできないのである。差はいくらもないのだから。

ソ連はもとより「身分証国家」で、随分早くから国民総背番号制に近い体制を整えて人民を管理してきたが、日本以外の先進国でも納税や社会保障サービスの利便性から身分証番号で国民を管理しているのが普通のようだ。日本人はなんとなくそうしたシステム本位の管理を人間に当てはめることに不快感を示していまだ導入されていないが、この震災で、被災者への支援や保障サービスの分配がスムーズに行われないのは、総背番号制を入れてなかったからだとの批判があり、にわかに制度導入の気運が高まっている。ええー、やめて下さいよ、宇宙人は異分子扱いになっちゃうんだからー。ソ連では「身分証を持たない者は人間にあらず」と真顔で言われていたのだよ。そうなるとますます宇宙人は身の置き所がなくなるというわけだ。
しかしザミャーチンの予言が真実とするならば、この世から異分子がなくなることはなさそうだし、体制の永遠維持というのも夢物語のようですね。一応、この物語では、主人公の子を身ごもった「規格外で出産を許されない」ほど小柄な恋人が、この恐怖の管理社会から未知の外界へ脱出することで、未来への希望を残した終わり方になっている。しかし希望があるかも、という程度で、どこにもハッピーエンドな要素は欠片も見当たらないあたりが、ロシア文学らしい。甘っちょろい解決よりも、解決のないこの世のリアルを追及している。こういう作品は、なかなか本屋に置いてもらえないのが残念だ。宇宙人も図書館から借りて読んだ。

タイトルの『我ら』は、人間の個性がなくなって自分の意見は社会の意見になったので「わたし」という必要はなくなった社会を暗示しているらしい。何から何まで暗いテーマな話だが、数少ない華といえば、異分子のスパイの女性がクールで魅力的であることと、主人公の仕事が宇宙船開発で、スペースファンタジーに見えなくもない映像を提示していることくらいかな。宇宙船の名前は「インテグラル」。ロシア人もこうやってカタカナ英語みたいに使うのだ。とにかくもうかれこれ70-80年前の作品なのに全然古臭くないし、ドストエフスキーみたいに饒舌な文章でもなくすっきりしてるので、ロシア文学お試し読みにおすすめです。
by hikada789 | 2011-09-18 23:55 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
カテゴリ「宇宙人の読書室」を新設しました。まだネタ切れというほど切迫はしていないが、ちょっと内容があの世に偏ってきたので、バランスをとるためにこの世な話題を増やすことにした。(そう目論見どおりにいくかな)
コメントにちらっと残したように、宇宙人は昔から文章を書く習性があるが、かといって本好きというほどの読書量を誇るわけではない。読みたい本は限定されており(中心はロシア文学)、そうでない本はまったく読まないどころか、書評を聞くのも煩わしく、以前職場でハリーポッターを笑顔で貸してくれようとした女性を、怒鳴りつけんばかりの態度で拒絶して泣かせかけたことがある(ひどいな)。
かような偏った読書癖をもつ宇宙人の書く文章は、だいたい当ブログの通りで、根気よく読み続けていただいている皆様にはそこそこ受入れられているものと自負しているが、やはりコアな読書をする友人の一人が、宇宙人の文章は佐藤亜紀氏に似ていると言ってくれた。これは嬉しい。佐藤亜紀は私が好んで読む数少ない日本人作家の一人で、女流とは思えぬ堂々たる内容と、「華麗なる毒舌」と評価の高い流麗で辛辣な文章で、一部の熱狂的ファンに支持されている奇才のノンジャンル作家である。数年前にウクライナを舞台にした歴史小説『ミノタウロス』を書いて吉川英治文学賞をとったから最近部数を伸ばしているが、それまではマニアな読者と出版関係者の飲み会くらいでしか称賛されなかった。デビュー当初に問題を抱えていたし。ともあれ宇宙人はこの人の作品はほぼ全作読んでいるから、文体に多少感化を受けていても不思議ではないとは思うが、自分としては真似ている自覚はないし、思考の深さも論の詰め方も遠く及ばないと思っている。つまり宇宙人脱帽の作家さんなので、まだ読んでいない人で、スパイシーなのに高級な文章に喜びを感じる人は是非お読みください。土星裏よりずっと笑えると思います。

ところで宇宙人の文体の原点は、実は放浪時代の職場にあった。20世紀の終わり、インターネットがようやく普及し始めた頃、モスクワの某日系企業に現地採用されていた宇宙人は、ロシア語新聞をひたすら読んで、企業に役立つネタを探し、二日でたった2枚のレポートに箇条書きにまとめよ、という任務を負っていた。このレポートは現地の社内で日本人駐在員が閲覧するほか、本社の社内ネットにも掲載するので、ページ制限があり、文字を小さくすると読みにくいのでフォントは調整できず、まるで短歌か俳句のように削りに削った文章で、できる限り多くの情報を載せなければならないという条件を課されていた。ロシア語を読み漁るのも大変だったが、終業時間までに自分の文章を制限文字数内に添削するのもかなりタフな作業であった。今やれと言われてももう体力的にできないな。若いってすごいね。
この仕事の影響で、宇宙人の文章は極力漢字変換し(ひらがなは文字を食う)、やまとことばは熟語に変換され、句読点が減少し、である調もしくは体言止め終わりという形にシェイプされた。もちろん無用なカタカナ英語は全廃である。文字を食いすぎる。(そういえば当時は商社の海外支店はeメールの導入期で、まだ従来のテレックスが併用されていた。あれは一文字いくらなので、商社マンの打つテレックスはコスト削減のため母音をはぶいた英文というアクロバティックなもので、採用当初の宇宙人にはまるで軍隊の暗号のように見えたものだ。)
その後帰国して日本語の読書が増えると、自分の文章がかなりせっかちであることが判り、無理な漢字変換を減らしてひらがなを増やしたり、文章をわざと長くして抑揚をつけたりと、情報量より効果的な形容語を練る方向へと転換した。それでもやっぱりまだキビキビ感の強い文体ではある。佐藤亜紀の文章に遭遇したのはそのあとだ。ひらがなを増やすきっかけになったのは別の作家の文章の影響があるが、更にコアな作家なので、当面公表は控えよう。当読書室では世間に問うても恥ずかしくない、しかしアウトローな作品を紹介していきます。
by hikada789 | 2011-09-11 11:54 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)