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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

<   2011年 10月 ( 16 )   > この月の画像一覧

WBAスーパーフェザー級のチャンピオン、内山高志のマッチが大晦日に決定した。対戦相手はメキシコの暫定王者ホルヘ・ソリス。この顔合わせは、確か今年正月の王者統一戦で予定されていたのが、相手の急病でお流れになったものだったと思う。内山はKO率80%超のダイナマイト・パンチャーなので相手が逃げたのかと思ったが、どうやら本当にやるらしい。ああこれで元旦を山で迎える予定が消えてしまった。え?勿論生(放送)で見たいです。
武道家の宇宙人はボクシングは特に好きでもないのだが、数年前に内山をニュース番組で見て、その破壊的な強さと対照的な静かで礼儀正しい堅気な人柄に日本の武士道を見、ついでに武道家的観点から、攻撃だけでなくディフェンスも鍛えられているバランスのとれたボディに安定感を見出し、内山に限ってボクシングを観戦している。いや、いい男ですよ、彼は。マイクを向けられたボクサーがろくな受け答えもできない(殴られすぎのせい?)業界にあって、サラリーマンよりしっかりした回答をするし、負かした相手もちゃんと気遣う余裕があるのです。もっとも、チャンピオンになる前の対戦で、相手のアゴをダルマ落としみたいに水平に砕いて病院送りにした記録があるから、気遣わないわけにはいかなくなっただけかもしれないが。宇宙人はこのアゴ砕きシーンの映像が好きだ。日常にありえない、CG抜きの驚愕映像である。これに比べたらCG使ってまで手間ヒマかけて作られた映像の何と薄っぺらなこと。贋物は所詮、本物には敵わないのである。

CGで思い出したが、宇宙人がテレビを見る気がしなくなった理由のひとつがCGの多用である。あの画像処理、視聴者がよもや作り物と判らないと思って作っているのだろうか?判るよね?アクション映画なんか、もう実写はやめていっそアニメにしちゃえば?って感じで、まさか制作者側はあの処理画像を見た人が本物と見分けがつかないと思っているとか、ありえるのだろうか。宇宙人はガンダム世代なのでアニメも好きな方だが、CGアニメは見ない。全然迫力が感じられないからだ。リアルにこだわるあまり、強調したデフォルメやスローで魅せる技術が軽視されているように思う。動画の中にたまに静止画像が挟まるとメリハリが出て変化に富んだ印象が残るのに、CGだけだとのっぺりと凹凸がなく、非常食のように味気がない。
しかし画像を眺める能力にも世代ギャップがあるのかもしれない。以前、仕事で『スパイダーマン』の実写版のダイジェストを見たとき、CG含むカメラ回しのあまりのスピードに全く目がついていけず、これは今どきの若人の目には追っかけられるものなのだろうかと思った。宇宙人は目が悪い。しかも乱視で、更に更に、3D画面を脳が処理できないときた。これは割と最近自覚した。美術館に行くと解説ビデオがあったりして3D映像を専用メガネを掛けて見られるようになっているのだが、宇宙人の目にはまったく効果がないどころか、メガネを掛ける前の画像が3重に縁取りされている、そのままに見えるので、何の画像かそもそもわからず、目が疲れるので見るのをやめてしまう。そういえば子供の頃、雑誌の付録に3次元立体図を楽しむセットがフィルムメガネ付きであったりしたが、それらしく見えた例しはなかった。当然、クラスメイトとも話が通じない。一体なにが「浮き上がって見える」のか?そうか、30年来の謎が解けたぞ。わが脳みそは、3D画面を認識できないのである。やっぱり地球人とは違うのだ。

話をボクシングに戻すと、宇宙人はなによりKOシーンを見るのが好きなのだ。どっちが勝ってもいいんだけど、TKOよりは思い切って殴り倒して終わってほしい。だって日常生活で誰かを素手で殴り倒すっていう場面はそう見られないでしょう。やったら捕まっちゃうよ。ボクシングは合法にそれができるのだから、ちまちま点数稼いで判定に持ち込むなんてせこい勝ち方はしてほしくない。内山はもう30歳過ぎてるからそう長く防衛もできないだろうが、体が動くうちはカウンターを恐れず一発繰り出してほしい。誰か、大晦日に宇宙人と一緒にテレビ観戦しませんか。
by hikada789 | 2011-10-30 23:41 | その他 | Comments(0)
先日、週末の登山に懲りた宇宙人は、平日の谷川岳に挑戦した。紅葉シーズンで観光客もある程度いるがそこは平日、ロープウェイやリフトの利用客は多くともその先の頂上までは容易に登ってはこれまい。午後から静かに登り始めた宇宙人。確かに人は少なかった。雨になったからだ。下界は晴れていたから来たのに、山の天気は変わりやすい。それにここは関東とは名ばかりの上信越、つまり新潟の天気予報を見るべきだったのだ。うかつ。標高が上がるにつれて雪になり、風も強い。滑落したらどの程度危険なのかもわからないほど霧が出てきた。アイゼンは家に置いてきた。うかつ。こんな無人の登山道で遭難はかっこ悪いぞ。山ガールを笑えない。はやいとこ頂上小屋に到着してぬくまろう。
幸い、吹雪に強い宇宙人は悪天候にもかかわらず標準タイムで山小屋に到着し、雪を落として、同じく宿泊予定のパーティに出会う。一見してわかるベテラングループだ。聞けば山岳雑誌に写真を投稿して上位入賞を競うカメラ集団という。小屋の外では吹雪が轟音を立てて吹きすさんでいる。「この天気なら明日は海老のしっぽが撮れるね」
何ですか、それは?と思ったが別の客が来たので中断。新手のカップルはなんとこのカメラ集団と知り合いで、旦那の方は山岳雑誌の記者だった。こういう偶然もあるものなのですね。素人は私だけか。この天気では今日はもう外のトイレまでしか行けそうにないけど、明朝晴れればいい写真が撮れると張り切る皆さん。軽装の宇宙人は明日晴れようとも気温がどこまで下がって道が凍るのかが心配なのに。
ここでお知らせです。雑誌記者の夫婦と小屋スタッフと宇宙人の四人は、夕食後オイルランプを灯した雰囲気のある食堂でストーブを囲みながら雑談をし、スタッフの山岳救助話など興味深く聞いていると、それは既に取材の一部になっており、記者はにわかに撮影を始めた。初めは奥さんを撮っていたので気にしてなかったが、だんだん全体像を撮り出して、やがて宇宙人に雑誌掲載の許可を求めた。
「何ていう雑誌ですか」
「『岳人』です。秋号です」
秋って、もう秋ではないか?いや、来年発行の秋号です。そうなのか。山岳雑誌は季節の影響をもろに受けるので、取材や写真は前のシーズンに済ませるのだ。というわけで、水谷氏という人物の撮影した「谷川岳肩の小屋」のスタッフ森下氏に関する記事が来年の『岳人』に載ったら、写真の中に宇宙人が亡霊のように写っているかもしれないので、ご注目下さい。ていうか宇宙人は多分忘れているので、気づかれた方はお知らせ下さい。

山岳救助の話は実に興味深かったが詳細は別の機会に譲るとして、翌朝目覚めると記者とカメラ集団は既に撮影に出ていなかった。残された奥さんと宇宙人は小屋の外から朝日を拝むと、一面の霧が風に吹き飛ばされて、数秒間、関東方面が富士山までくっきり見える光景に出くわした。この日の関東平野は前日から快晴だったのだが、富士山まで見えるとは驚きである。更には位置的に近い北アルプスも見えるという。北アルプスといえば槍ヶ岳の尖った雄姿が特徴的だが、あれか?あれか?ああ霧がまた…。とこの霧と風の中、どうやって三脚を立てて撮影するのか謎のまま、数瞬の感動を求めて氷点下の吹きさらしに耐える宇宙人。
ふと視線を下ろすと、足元の笹薮が真っ白に氷をまとい、昨夜の暴風の風向きがはっきりわかるように片側に氷がなびいている。まるで海老のしっぽを白くしたようだ。なるほどこれが海老のしっぽか。この季節の風物誌だそうだ。見ればベンチや標識も片側になびく氷に覆われている。モスクワは内陸で強風は吹かないので、こういう現象にはならない。左手からは朝日が昇り、反対側の右手の霧に山影が投影するブロッケン現象も見、その中に虹色の同心円を見、その中心に自分の影が映り、霧の動きに合わせて自分の影も突然拡大して消滅するのを見た。いや寒い中、怖い思いして来た甲斐がありました。安全な夏では見られない光景でした。しかしビギナーな皆さんは、くれぐれも雪の季節は警戒して万全の装備で山を目指して下さい。でないと山岳救助隊がいらぬ苦労を強いられますので。
by hikada789 | 2011-10-28 20:49 | その他 | Comments(2)
タイの洪水がずいぶん長く続いている。学者の予報では11月まで続くという。チャオプラヤ河の流域面積は利根川の比ではないそうだ。やはり大陸はスケールがでかい。
まだ首都に及んでいないとはいえ、現地の住民はいたって冷静だ。一階が水没するなら二階へ荷を上げ、二階がないなら船に乗せ、家財道具から離れる気配もない。水没した居住区をワニが自由に泳いでいてもタイ人は逃げない。船を浮かべて商売するおばさんは、料理包丁を取り出して豪語する。「ワニが来たらこれで応戦します」。なんと逞しい。あなたなら勝てよう。そのまま調理まで行けるかもしれぬ。
こうしたアジア人の原始的な逞しさを見て、先進国な人々は「なぜ逃げないんだ」と半ば軽蔑を込めてうそぶく。「命より家財道具がそれほど大事か」。とんでもない、命は家財より大事だが、洪水ごときにたじろぐほど軟弱ではないだけだ。素手で虎と対決するロシア人や、実父に強姦されてもへこたれずにしぶとく生きる美女を論じてきた当ブログでは、タイ人の未だ健在の動物的バイタリティーに喝采を送る。当地のこの規模の洪水は50年に一度の頻度で経験されているという。彼らの冷静ぶりを見ると、50年は大したことない年月なのだろう。3.11の地震による津波被害は1000年に一度のものだそうだから、日本人はアジア人のくせにたじろいじゃっても許してくれよ。しかしこの洪水も都会まで及ぶと、衛生が心配だ。悪い伝染病が流行らねばよいが。

『静かなドン』の魅力のひとつは登場人物たちのバイタリティーにある。ヒロインもタフなら主人公もタフだし、その家族もタフなら友人もタフである。みんな結構ひどい目に遭っているのに、被害者意識がないのがよい。主人公の友人の一人は、軍隊がいやでいやで、一時休暇で帰郷したのをチャンスと、わざわざ性病に罹っている風貌の女性と関係し「うつして」もらい、病気理由で除隊を勝ち取ろうとしていた。さすがに主人公も呆れたが、結果として女性の風貌のまずさは病気のせいではなく生まれつきだったので、友人は女を罵りながら軍隊に戻らなければならなくなったというオチだった。かなりドロ臭い笑い話だけど、やはり人類のバイタリティーですね。今の日本人にこの種のサバイバルを生きる知恵を働かせる人材がいるだろうか。それともこの先の世界にそういう人材はもはや不要なのだろうか。
現代の日本人が軟弱になった理由に徴兵制の廃止があるという。同じ敗戦国のドイツではまだ徴兵制が生きており、くなくなだった少年がビシッとした男になって帰ってくるそうだ。武道家の宇宙人はぶったるんだメタボ男子をもっときりきり鍛えるべきだと日々感じてはいるが、軍隊となるとどうも。なぜなら世界の軍隊の銃口の8割は国内を向いているそうだから、国内に兵士を増やすと自分たち国民の危険が増すのである。昨今の中近東の政変で内側を向いた銃口が少しは減っただろうか?いやいやそんなに甘くはないだろう。宇宙人の予測では、当地の混乱はまだまだ続き、悪くすると新しい独裁者が生まれることになるやもしれぬ。
by hikada789 | 2011-10-25 23:08 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
『静かなドン』は戦前に上梓された作品だから仕方ないかもしれないが、話が長すぎるのもいけなかったのか、検索した限りでは現在古本しか入手できない絶版物でした。ザミャーチンの『われら』も中古の文庫が定価より高値で売られております。現役作家である佐藤亜紀については読者がコアなことと、デビュー先の新潮社と喧嘩別れしたことから、初期作品の絶版率が高く、これまた中古が高値で取引されております。新しい作品は大丈夫ですが。皆さん、図書館に頼りましょう。お宅の居住エリアの読書レベルが高ければ、これらの本の一冊くらい置いてあるはずです。ミニ図書館は厳しいでしょう。

これからアンチ・キリスト論で取り上げるつもりだった、メレシコフスキーの歴史三部作も、1980年代の出版だけどもう絶版で、図書館でしか読めない。数年前に「ダヴィンチ・コード」でレオナルド・ダ・ヴィンチが流行した時、この歴史三部作の第二作目『レオナルド』が新装で店頭に並んだので、驚いて飛びつきかけたが、女性二名の共訳になっていて、訳文が軽そうだったので買わなかった。確認しなかったけどもしかしたら英文からの二重翻訳だったのかもしれない。
私は図書館にある、由緒正しい東欧書籍の翻訳を専門的に出す出版社からの、堅くも美しい翻訳の版を読んでいるので、原文が同じであっても翻訳の出来栄えにはこだわりがある。女性がいけないわけではないが、英文から訳したのならもうだめだって感じです。しかも三部作なのに真ん中しか出さないなんて、確かにそれで読めない内容じゃないけど、ダヴィンチ・コードで儲けたい根性丸出しで宇宙人は不満なのだった。
ちなみに三部作の第一作は『背教者ユリアヌス』、第三作は『ピョートル大帝』です。アンチ・キリスト小説と言えばこの三部作なので、どれも外せない三位一体作品です。個人的には、やはり『レオナルド』が一番かっこいい主人公なので好きですが、人間のイヤーな行いや習性の描写は前後の作品の方が際立っていたように思う。そのうち紹介します。
by hikada789 | 2011-10-24 14:20 | 宇宙人の読書室 | Comments(1)
『静かなドン』の補足をしようと思っていたが、宇宙人が愉快話を作ったのでこちらを優先しよう。
No.126で予告した素人仕舞会に出場した宇宙人は、おめでとう、檜舞台のワックストラップにかかり、仕舞で見事転倒しました。本番のハプニングを喜んだ亡き前師匠の影響で、大喜びする宇宙人。しかも仕舞途中だったので、退場するまで笑いをこらえる5分間のオマケ付。ギックリ腰もまだ完治しておらず、まずい転び方をすれば危うく立てなくなる危険性もあったので、本当は合気道ばりの安全受け身を取りたかったが、受け身は床幅を使うので安全に立ったとしても位置が離れてしまい、もとの仕舞に戻れないから仕方なくやや無理な体勢で立ち上がり、最後までやりとげた。この何食わぬ顔で突き進むのがこの世界のミソなのです。しかし喜びのあまり気づかなかったが、その夜になって悪い方の膝に刺すような痛みが生じたので、やはり無事では済まなかったようだ。まだ山に登るつもりだったが、しばらく様子を見よう。

せっかくなので仕舞会で仕入れた一般向け能入門、聞き違い編を紹介しよう。
能の詞章は当然古語であるので、現代人がちょっと聞いただけでは意味はとりにくい。ましてや同音異義語ともなると、すぐに正しい漢字がぱっと思い浮かぶのは稀で、大抵現代語でよく使われる熟語の方が先に浮かんでしまう。そんな例を3つほど。
(1)『春日龍神』より。「明恵上人さて入唐(にっとう)はとまるべし~」の入唐が「日当」に聞こえ、ハローワークな風景に。
(2)『東北』より。「見仏聞法(けんぶつもんぽう)の数々。順逆の縁はいやましに。日夜朝暮(ちょうぼ)に怠らず~」の朝暮が「帳簿」に聞こえ、経理部過労コースな話題に。
(3)『山姥』より。「あらものすごの深谷(しんこく)やな~」の深谷が「(確定)申告」に聞こえ、とても恐ろしいこれまた経理な話題に。
能の舞台裏ではこんな話題に花が咲いております。今回は仕舞だけの発表会でしたが、今後はぜひ謡も合わせてご注目下さい。

宇宙人が読書室で紹介している本の絶版率が高いという説があり、ちょっと調べてからまた追記致します。
by hikada789 | 2011-10-23 17:15 | 宇宙人の能稽古 | Comments(1)
補足までですが、町山智浩氏は内田樹氏(ほか2名)と共同執筆で『九条どうでしょう』という憲法第九条の是非についての少数意見を述べたマイナー本も出してます。世の中の常識と対決する執筆家として今後も活躍されたし。

今日はヘビー級歴史小説『静かなドン』を読書の秋用にご紹介しよう。『静かなるドン』と訳されることもあるが、どこかのヤクザ物とかぶってしまうので、直訳で『静かなドン』で通します。ドンはウクライナの大河ドン河のことで、この流域に生きる、ロシア革命前後のドン・コサックの一家の栄枯盛衰を描いた文字通りの大河小説で、作者のショーロホフは後にノーベル文学賞をとっている。この作家は従軍記者であった経験を活かして、間近で見る戦闘の活写のみならず戦場の裏話を大々的に取り上げ、生々しくもリアルな騎兵たちとその家族の生活を「そこまで書かなくても」という細部まで描いてみせた。作家は既にソ連時代を生きており、共産主義礼賛の視点から描かないと逮捕されるような際どい社会で中立的立場で書いているのだが、白衛軍(皇帝軍)の主人公が生まれて初めて聞く共産主義の理想を肯定しながらも何か胡散臭さを覚えて踏み込めないところや、赤衛軍(共産党軍)の手先が村人の生活を圧迫し、恨みを募らせた村人にリンチに遭うところなど、どこにも正義なんてないぞというシビアなテーマを淡々とした筆致でつづっている、不思議な読後感をもたらす傑作である。

読み方は人それぞれだし、イデオロギーを無視して読んでも結構なドタバタ劇なので、岩波文庫で全8巻というボリュームを恐れず挑戦してみたい方に、宇宙人が今でも忘れぬ第1巻のあらすじの一部をちらっと紹介しよう。
主人公グレゴリーはまだヒゲがようやく生えそろった年頃の若いコサックだが、物語の初っ端からいきなり隣家のカミさんと不倫を始める。この年増妻アクシーニャは大層な美人ヒロインだが、物語が始まる前の設定がワイドショー仕立てになっている。彼女は16歳の時に農場で実父にレイプされ、泣きながら自宅に戻ると、幸か不幸か除隊されたばかりの母の兄が帰宅していた。コサック部隊の隊長を「アタマン」と呼ぶのだが、ドイツ軍を震え上がらせた泣く子も黙るアタマンの兄は烈火のごとく怒り、妹とその娘を乗せて馬車を農場へ走らせる。路上に酔っぱらった父親を見つけたアタマンは、二言三言ことばを吐きかけ、怒りの形相で馬車へ戻ってくると轅(ながえ)をはずし、鉄の覆いのついた方で父親の鼻を目掛けて振り下ろす。以下容赦のない暴力シーンが続き、これに怒れる母親も参戦。父親が動かなくなったところで二人は男を小屋に運び込み、翌朝男は死んだ。周囲には「馬車から落ちて死んだ」と言っておいた。
さて娘はその後何事もなかったかのように婚約し、コサックの男に嫁いだが、嫁いだ男は暴力夫であった。引き続きワイドショーな展開に苦しむヒロインは幸薄いわが身を嘆いて暮らしていたが、ドイツとの戦争で夫が兵士にとられると、「兵隊後家」の身となったヒロインは隣家の坊やに目を向ける。あんな若くてきれいな子なら、私を殴ったりしないかも、とグレゴリーとの不倫にときめく、逞しいヒロインであった。
実際の文章はもっとまじめで淡々と描写されているので、読んでいるとどこで笑っていいのか判らなくなる。しかし喜劇も悲劇も同じテンポで全編語られるので、なるほどこれが人生というものかという気分にさせる特異な文体かもしれない。

宇宙人はこの作品を数年前に読んだが、第1巻の(笑いの)衝撃がすさまじく、次々に巻を読み進めたが、やはり本物の戦争を扱っている作品は話が絶望へ向かうしかなく、後半はこの種の喜劇の数はさすがに減って、いったい誰が最後に生き残るのかというサバイバルな話になってくる。ロシア革命なんて世界史の教科書の一頁で素通りしてしまうが、実際に革命の最中に抵抗した勢力は数年にわたり反共内戦をつづけ、結局力負けしたのではなく内部崩壊して敗れ、この時の抵抗が原因でコサックは土地を奪われて没落し、更にウクライナ全土が1930年代にソ連当局から報復のように飢餓状態で放置される事件に発展している。今日のウクライナが独立したかったはずである。
史実と照らし合わせて読むのが億劫なら、喜悲劇だけ拾って読むこともできる、多彩な作品です。春にドン河の氷が割れる轟音を遠くに聴くスケールから、コサックの家に暮らす女たちの事情、兵士や後家の個々の細やかで切実な事情など、人間の人生そのものの描写が光る一品です。こういうのを読むと日本の大河ドラマは見られなくなるので、ご注意を。
by hikada789 | 2011-10-21 13:04 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
前回紹介した『トラウマ映画館』に嬉しい記載があった。宇宙人が見直した、1960-70年代のまじめなアメリカ映画の中から、貧困のため夢を諦めて場末の雑貨屋に埋もれていく子供の現実を描いた作品を挙げて、「諦めなければ夢はきっと叶う、とか、自分を信じて、とか無責任な言葉が歓迎されている今日の日本で、こうした映画が今後作られる見込みがあるだろうか」という著者の意見である。まったく同感だ。私が子供の頃は少なくともこんな幸運の大安売りや、自省の余地もない台詞を吐く脳天気な大人はいなかったし、うっかり吐いてしまったものなら、分別ある周囲から頭の弱い奴と見做され、子供にさえ軽んじられたものだ。こうした大人の現実的分別は、いつから影を潜めることになったのだろうか。
宇宙人とて土星の裏側に棲息するくらいだから、浮世離れした時間が1日に数分でもなければバランス的に人間の精神が安定を欠くと確信しているが、だからといって年がら年中現実逃避して夢ばかり追っていては、資本の身体が物質世界にある以上、生命は維持できない。競争社会や消費社会の行きつく先の限界は見えているが、競争がなくても生命維持には最低限食物の摂取は必要だ。食物を自ら育てるか、稼いだ金で買うか、しなければならない。その為には努力が必要なのに、努力もしないで「自分を信じて」どうする。「諦めずに夢を叶えろ」と激励する大人は、まず自分の少年期の夢が本当に諦めなければ叶ったかどうか、真剣に検証してみてくれ。努力があったとしても報われなかった経験はないんですか?努力している最中に、その目標が色褪せた覚えはありませんか?ちゃんと自分の歴史を振り返れば、そこにさまざまな要因があり、複雑に絡みあって、その道への到達を阻んだ茨の森が見えるはずだ。努力に費やした時間と労力が、結局目標達成に至らなかったことで水泡に帰したことと、そのために世間の標準からずっと遅れて再スタートを余儀なくされた時に悟る青年時代の喪失を、中年過ぎのいい年した大人がすっかり忘れて、或いは忘れたふりをして、「諦めないで」とか子供にけしかけるのだ。一体この世に成功者と言われる人が人口の何割いると思っている。もちろんその少数を目指すのが悪いとは言わないが、ハイリスク・ハイリターンの原則も合わせて教えてからけしかけてほしい。「後悔するかもしれないよ」と親切な警告を付与してほしい。

宇宙人は努力が報われないと評判の「宿命天中殺」の生まれであるから、安易に成長と向上を止めてしまう「自分を信じて」という低レベル自己満足を一蹴する傾向にあるが、町山氏もまた在日韓国人の生まれで、さまざまな理不尽に耐えて成長したので、幸運の安売りを苦々しく思う思慮深さがあるのだ。世の中が自分の思い通りになったためしがあるか。運勢鑑定してやったって、そんな宿命は10年に一人いるかいないかだから別格扱いなのに、その別格によもや自分がはまっていると思うなよ。

しかし、矛盾するようだが、努力は本当に報われないのかという問いに対し、宿命天中殺の宇宙人はこう答えよう。「別の形で報われることになります」。つまり当初の目標はおそらく達成されない。何らかの後天的要因で一時的に中殺現象が緩和された瞬間を狙えば達成も不可能ではないが、そのタイミングを計るのは難しいので、事実上無理と考えた方が賢い。しかしその努力を続ければ、確実に本人の能力アップにつながるので、まったく別の分野での活躍が見込めるようになる。だから目標達成に拘泥せずに続ける努力は奨励されるべきである。わかったかい、子供たち。努力が報われるから努力するんじゃない。君の中身がレベルアップするから努力するんだ。努力している最中に得られる経験の方が、ゴール到達よりずっと役に立つのだ。

なぜこんな説教臭い文章を並べるかというと、占いにおける悲しい誤解で、天中殺生まれはあたかも成功できないかのように勘違いされ、しかもそれで被害者気分に浸る人がよくいるので、予防線まで明記しておく。世界中にあまたいる天中殺生まれよ、その挫折から誕生させたシビアな現実主義で、ゆでガエルたちの無責任な楽観的妄言から人類を救うのだ!

次回はスーパーリアリズムなロシアの大河小説をご紹介しよう。自分どころか家族も信じてはいけない現実の荒波を、この読書の秋にご堪能いただきたい。
by hikada789 | 2011-10-20 12:26 | 算命学の仕組 | Comments(0)
No.125で映画の話が出たので、映画関係の本の紹介をしてみます。
宇宙人はもともとそれほど映画を見ない。米国製以外のドキュメントや文芸作品ならまあ見るけど、娯楽物フィクションは見ない。ハリウッド映画は米国製というだけの理由で見ない。見たあと非常に後悔するので、金と時間は別の用途に費やすことにしている。
そんな宇宙人が珍しく毎週楽しみにして見ていたテレビ番組が『未公開映画を見るテレビ』というやつで、米国在住の映画評論家、町山智浩が日本で公開されない問題作品を紹介しながら、アメリカ社会の暗黒部分を暴露するという画期的で、アメリカ万歳な世の中に対して反社会的ともいえるメッセージを笑いを込めて発信する楽しい深夜番組だった。宇宙人はテレビも大して見ないので、毎週見たというのは驚きである。放送局はここ2年ほどこればっかり見ているというTOKYO MX(9ch)で、東京オンリーのローカルだから視聴者は限られるのだが、この局、いい番組と低俗番組の差が激しく、まだスポンサーが十分つかないので昼間は通販番組をえんえんと流している悲しい局なのだ。資金不足から装飾に金をかけることができず、内容勝負というわけだが、コアな視聴者をがっちり掴んで離さないポリシーが感じられて面白い。

あ、今日は本の話でしたね。この町山智浩著『トラウマ映画館』は、上記のテレビ番組とは違い、日本で公開されているものの、深読みしないと楽しめない往年映画の解説本である。制作年はだいたい1960年代のもので、昔、テレビ東京で昼間に毎日流していた外国映画を漫然と見ていた中学生の著者が、トラウマになるような作品に遭遇し、成人してからその作品の制作背景を探って、こうしたわけでメジャー映画と見なされず、監督も役者も不遇の末路をたどった、といった作品より面白い現実も合わせて紹介してくれる、やはり笑いを交えた、しかし真実を突いた良書である。私はこれを読んで、テレビ東京が昼間に流している映画が、買い手が見つからなくて束売りされて、ああやってテレビで無料鑑賞できるようになっていたことや、アメリカ映画もかつては暴力や性的シーンを禁じる規制があって、そういうシーンを表現するのに心理的で奥ゆかしいテクニックを持っていたが、規制が撤廃されたら今日のような露出が観客を喜ばせ、奥ゆかしいテクニックは今日アジア映画の専売になってしまったことなどを知った。そうか、アメリカ映画もかつては捨てたもんじゃなかったのだね。

そうなのだ。アメリカもかつてはまじめに人間を問う社会派作品を作っており、西部のハリウッドに対して東部のニューヨーク派と呼ばれていたそうだが、観客のレベルが低かったのでしょうね、今やニューヨーク派なんてあったことさえ知らない米国で、アメリカ映画イコールハリウッド映画、イコールあんだけ資金投入してこんな中身なのにお客さん大喜びで金払って見ている、宇宙人にはナゾな映画が業界を席巻しているというわけだ。
宇宙人は、近年のハリウッドの代表作『タイタニック』をテレビで見て、つまらないから始めと終わりしか我慢して見られなかったのだが、終盤で海に浮かんだヒロインが板につかまっていたところ、マッチョな脇役(多分泳げない)がその板を奪おうとし、主人公デカプリオにぶん殴られるシーンを目撃して、ひっくり返って笑いました。こんなに笑えるなら全編見るべきだったろうか?後日友人に語ったところ、そこで笑うのはお前だけだと評されました。だって、かわいい女の子は救うべきだけど、かわいくないマッチョは見殺しにしていいっていうメッセージだよ?レイシストの国らしいスーパーギャグじゃないですか。

まあハリウッド映画がお好きな方もいるだろうから批判はこれくらいにして、『トラウマ映画館』の著者は別に宇宙人好みの深刻映画ばかりを見ているわけではなく、娯楽物ももれなく吸収しているので、別の著書ではもっと違った評論を読むことができよう。しかし『トラウマ』でいくつか感銘を受けて、見てみたいと思った映画のひとつに、『マンディンゴ』というのがあった。その解説によると、あらすじは奴隷制たけなわの頃のアメリカ南部の農園の実態をありのままに描いた、事実そのものの絶望的内容で、白人の農園主はまともな英語もしゃべれない教養ゼロの田舎領主で、ずっときれいな英語を話す黒人執事にあれこれ命令して奴隷を買いあさっている。当時の南部領主の高級な趣味は、アフリカの王国の血統を持つ黒人奴隷を買い集めて、交配させるというブリーディングだ。犬やバラの交配の歴史が長い民族の習癖というべきか、日本人にはおとぎ話にしか聞こえないご趣味である。更に女奴隷は妾にし、生まれた子供は奴隷市場に売る。この感覚も日本人にはよくわからない。自分の子供じゃないのかね?
映画の詳細は本を読んでもらうか映画を見てもらうかすることにして、この映画がお蔵入りになってしまったのは、当時の評論界から一斉バッシングを受けたからだが、その理由は内容が非人道的だからというよりは、変えようのない事実であることから、視聴者である米国人が直視を拒んだからということらしい。
ここで著者が加えるに、この作品は『風と共に去りぬ』(1939年)を暗に批判したもので、南部貴族の優雅な生活を描いたこのメロドラマは、あのヒラヒラした主人公のドレスな生活が黒人奴隷の奉仕の上に成り立っていることに見向きもしない。『マンディンゴ』は1975年の作品で、ベトナム戦争に対する疑問や正義の剥落に目を向けざるを得なくなったアメリカ社会が、ついに奴隷制度にまで目を向ける契機になるかと思われたが、残念、そこまでには至らず、批判を浴びてマイナー映画扱いになったとのこと。

『タイタニック』同様、『風と共に去りぬ』も世間がいいと騒ぐので、宇宙人も見てみようという気にならないでもなかったが、最初のシーンの役者の顔を眺めていてもうアカンと席を立ってしまい、部分的にしか鑑賞していない。しかしこれでわかったぞ。インチキや贋物をきらう宇宙人は、最初のシーンを見ただけで、全編が贋物であることが判るのかもしれない。それで早々に気分を害してよそへ行ってしまうのだ。これは映画に限らない。以前、モスクワで日本人ピアニスト(自称)の無料コンサートをオーケストラ付きでやるというので見に行ったら、あまりのへたくそさに動悸息切れがして、第一楽章で切れたところで大急ぎで退席したことがある。その自称ピアニストは金の力で楽団と会場を借り切り、無料切符をバラまいて人を集め、その満席の会場をビデオに撮らせて次の楽団買収のプロモーションに使うという活動をしていた。宇宙人にはわけがわからない。自己満足のために、命を懸けているかもしれない他の音楽家の音楽を伴奏にし、人様の耳を汚す音楽を聞かせて平然としている神経が。上述の奴隷領主の感覚は外国人として理解に苦しむが、このピアニストの感覚も、外国人から見れば得体が知れないのかもしれない。人種は無関係かもしれない。
ともあれ、これで宇宙人は『風と共に去りぬ』は永久に見ないことになろう。『タイタニック』は笑いを求めて最後のシーンに限って見続けるかもしれない。『未公開映画を見るテレビ』は一旦終了し、今は再放送を流している。DVDも出ているから、興味のある人は見てみて下さい。アメリカのアホさ加減がよくわかり、冷戦時代のロシアのアホさとタメを張っているのがよく判ります。
by hikada789 | 2011-10-18 11:47 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
久しぶりに整体実験大会が開かれた。場所は能の先生のお宅。合同稽古の後につづいて先生と弟子2人を施術。助手はお弟子にお願いした。ご協力ありがとうございました。

今日は大きな痛みや違和感を抱えた患者はいなかったが、能楽師である先生は職業病なのかいつも腰や背中に違和感が生じているらしく、ちょっと触診しただけでもすぐに判る程度に腰椎のズレを発見。格闘技を愛好されているので、今どきのへなちょこ草食男子と違って筋肉は多い。固い肉ではないので触診はそれほど難しくはなかったが、これまでの経験上、宇宙人整体師は、現在のところこのサイズの男性患者がマックスであると悟る。これ以上でかくなったり肉が厚くなると、こっちの触診の指がもたない。
というわけで、当面は女性専門の合気道整体というウリで営業することにした。宣伝用チラシも作ってみたので、配られた方は、宣伝よろしくねー。

合気道と何の関係が?まあ整体をやろうと思った動機の一つは、合気道から派生してできるようになったヒーリングだし、施術の過程で足を強く引っ張るけど、これも腕力で引いているのではなく、気で引いているので、あながち合気道と無関係とはいえない。整体の講義では誰も気を使わず腕力で引っ張っていたから、その整体術のブランドをコピーにする義理もないのだった。
当初は自宅開業や助手の常駐を気にしていたが、こう毎回出張ばかりだと、特定の助手を確保できなくても現場の誰かに指示すれば、多少もたつくものの効果のある施術が期待でいることは判ったし、指示を受ける即席助手との対話で場の雰囲気も和むので、今は出張メインでの営業に傾きつつある。助手の条件は、片足で5秒立てるバランスと健康があれば十分です。無論、勘が良かったり、施術イメージを把握する能力に長けた人であるに越したことはないですが。これまでの助手たちは皆さんなかなかカンが良く、助かってます。

というわけで、まだ運勢鑑定相談のようにネットで見知らぬ人に営業できる段階ではないが、宇宙人の顔を知っている方々には、現場に私、施術師と、患者と、助手の3人がいれば成立する整体なので、ご用命と場所の提供があれば、出張致します。只今お試し無料キャンペーン中です。実験会の企画希望のご用命、お待ちしております。
by hikada789 | 2011-10-16 23:48 | 整体の仕組と健康 | Comments(0)
宇宙人の先生が指導しているグループの素人仕舞会のお知らせです。宇宙人も地謡の一部と、後半で1曲仕舞をやりますので、まだ仕舞とはなんぞやと思っている方は、ぜひこの機会にご覧下さい。
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第13回八歩会仕舞発表会
◆日時=平成23年10月22日(土) 13:30-16:30
◆場所=井草八幡宮境内能舞台(JR荻窪駅バス10分)
◆入場=無料。野外。雨天決行。
◆見どころ
今回は比較的女物が少なく、勇ましいのやきりっとした演目が多いようだ。一番最後の『猩々』は先生の辻井八郎師の番外仕舞なので、プロの能楽師の仕舞を只見できるよい機会です。ちなみに猩々とは酒好きなあから顔の妖精で、中国の架空の動物とされているが、現代中国語で「大猩々」はゴリラという意味です。
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宇宙人は観覧予定の友人たちに自分の仕舞の解説をメールで配信する習慣があるが、せっかくブログがあるのでこちらにも載せよう。今回は『善知鳥(うとう)』です。初めて見る人には、解説なしだと何の話か見えないので、結構参考になると評判です。もし出場される方で「私の解説も載せてほしい」希望があれば応じますので、お問い合わせ下さい。
◆仕舞『善知鳥(うとう)』解説◆
あらすじ:親鳥が「うとう」と呼ぶと子鳥が「やすかた」と応える謎な鳴き声が特徴の善知鳥を狩る猟師は、親鳥の鳴き声をまねておびき出した子鳥を狩猟してきたが、当時の仏教的価値観の犠牲となって、死後は地獄へ落ち、地獄の怪鳥に変化した親鳥に狩られる立場に変わって苦しんでいるため、僧侶の許に亡霊となって現れ、供養を求めるのだった。仕舞はその最後のシーンで、猟師が地獄で痛い目を見る場面を中心に、写実的動作が見どころです。その一部:
「親は空にて血の涙を。降らせば濡れじと菅蓑や…」笠をかぶってさまよう動作をします。
「罪人を追ったてくろかねの嘴(はし)を鳴らし羽を叩き」怪鳥が刑吏になって迫ってます。
「あかがねの爪を研ぎたてては眼を掴んで…」猟師は片目をえぐられます。
「猛火のけむりにむせんで声を上げえぬは…」むせてる動作を扇で表現。
「逃げんとすれども立ちえぬは…」逃げようとして壁に当たるような動作をします。
「犬鷹に責められて…」猟師はまだしぶとく逃げるようです。
「助けてたべやおん僧と、いうかと思えば失せにけり」僧侶のいる方向へ合掌して追っかけっこは終了。
by hikada789 | 2011-10-15 13:11 | 宇宙人の能稽古 | Comments(1)