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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

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宇宙人の先生が主催する能公演のお知らせです。
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第1回 辻井八郎ノ能 (仙田理芳三回忌追善能)
◆日時:平成24年3月18日(日)午後1時開演
◆場所:セルリアンタワー能楽堂 (渋谷駅徒歩5分。セルリアンタワー地下2F)
◆演目:能『猩々』、狂言『寝音曲』、能『井筒』、ほか仕舞
◆チケット料金:A席=8,000円、B席= 6,000円 (正面席は完売しました)
◆お問合せ:03-3464-8313 辻井八郎
◆見どころ:
こんな名前ですが先生はまだお若いんです。土星裏ブログを(今のところ)愛読しておられるくらいリベラルな先生で、ブログで紹介したザミャーチン『われら』に興味をもって読んでくれました。宇宙人はちょっといい気分。そんな先生主催の会の発足記念です。先生のシテは『井筒』、そして小学生の娘さんが初シテで『猩々』を務めます。
宇宙人が入門から6年間お世話になった母上の仙田理芳師(いまだに号泣)三回忌追善です。今回ばかりはご遺影を忘れないで下さいよ。
by hikada789 | 2012-02-28 23:11 | 宇宙人の能稽古 | Comments(2)
エキサイト・ブログをやっている人はご存知のように、この無料ブログにはレポートという機能がついていて、管理人がログインすると日毎・月毎のアクセス数やアクセス記事、検索された文句などが見られるようになっている。ネットに疎い宇宙人はこの機能を割と最近知って、皆さんが日々どれくらい訪問されているかやどういうネタが好んで読まれているかをチェックしている。
驚いたことに、最近の検索キーワードは圧倒的に「算命学」が多い。いや、何を驚いている宇宙人。そもそもこのブログの立上げ目的は算命学をメインとする自活のための営業ではなかったか。そうでした。どうして忘れがちかというと、宇宙人の顔見知りで土星裏を訪問される方々はロシアネタや読書ネタ、辛口トークに注目しており、占いにはさほど関心を寄せられないからである。ということは、顔見知りでない方々が有難くも訪問され占いネタを注視されているということですね。そうなんだー。
というわけで、算命学関連で好まれそうな内容の記事を上げていくことにした。算命学の理論では別に新しいものではないが、宇宙人の解説だと読み易いかもしれないので、タイトルになんちゃってな土星裏流とつけてみた。やる気の鉢巻ぐらいに考えて下さい。

今回のテーマは金白水清(きんぱくすいせい)。これは水が岩から染み出て清らかであるという意味で、具体的には秋生まれで日干支が壬申か癸酉であり、宿命に土性がなく、金性は二つまで、という条件の生まれの人のことである。「あなたの山水画」を思い出してほしい。あの調子でこの宿命を山水画にすると、岩から清水がこんこんと涌き出ている風景になる。清らかで涼やかな印象だ。算命学ではこの金白水清を才色兼備と謳っている。
美形の典型といえば宝石の生まれ、つまり辛を日干に持つ人が代表的なのだが、金性を日支に備えた水の人というのは美しさだけでなく頭が冴えている。おそらく辛より派手さはないが、知性に裏付けられた美しさになる。これは男女ともである。
ちょっと羨ましい気もするが、該当しなかった多くの読者には、これは所詮才色兼備というだけの話だ、と言っておこう。人間の価値は容姿の良し悪しや頭の出来具合だけで判断されるものではない。才色兼備が幸せかというと、傍目にはそう見えても本人はそうでないこともある。容姿と知性に自信のない方は、もっと別の得意分野を鍛えて対抗しましょう。
ちなみに宇宙人は実は癸酉の日干支で秋生まれであるが、残念!宿命に土性を持っており非該当者なのだった。宇宙人の地球での姿を知っている方々、ね、これは才色兼備とは言いませんよ。風貌以前に言動が辛辣すぎるでしょ。土性は水を濁らせるアイテムであり、また制御するストッパーでもある。金白水清は濁りも抑制もないのであるがままで輝く人なのだ。算命学はこのような理論で成り立っております。
by hikada789 | 2012-02-26 23:50 | 算命学の仕組 | Comments(1)
No.176で思いつきで取り上げた漫画家、西原理恵子は『毎日かあさん』という作品がアニメになるほど有名だそうだが、私は作品を見たことはない。しかし西原氏はホラー作家の岩井志麻子と親しく、岩井氏のエッセイに挿絵を描いてあげたり、たまにテレビに一緒に出て問題発言を吐いたりしている。先日も番組で紹介された書籍について、「本のフリをした何か」と酷評し、自分はぜんぜん読みたくない本だと豪語して岩井氏を爆笑させ、MCを凍らせた。絶版本にばかり用のある宇宙人としては、なるほど、本屋に並んだあまたの書籍のほとんどを読む気がしないのは、本の姿をした別の物だったからかと得心する。では本当の本とは何であろう。
紙が貴重だった古い時代に、それでも書き記したい、後世に残したい、と支持された内容だけが本になったことを考えると、それに匹敵する内容を持つ本がこんなに世に溢れているわけはないので、その中のほんの一握りということに。そしてそのほんの一握りを見分ける力が、現代人には問われているのである。情報は多ければいいというものではない。必要で有益な情報が摂取できなければ、ないも同じだ。

大学生の数学力が小6並みに減退しているという。ゆとり教育の犠牲者、中でも推薦入学で進学して数学を鍛えなかった学生に顕著だとか。数学に限るとはいえ小6に劣る大学生を大学生と呼べるのか。これも大学生のフリをした何かでは?日本は大学進学率がやたらと高いけど、中身が大学生に相応しているのはいか程だろう。ぼちぼち偽物を排除する社会にならないものか。
学生ばかりも責められない。近年、人材派遣会社という業種が急成長して高層ビルの上層階に立派な事務所をお持ちだが、人材斡旋する側の社員が斡旋される側の人間、つまり自社の商品より経歴もスキルもお粗末だという実態を、誰か不思議に思ってくれないか。
中国でアップル社のiPadは偽物になったのか。おかしいと誰もが思うのに、現代は多数決の民主主義の世の中なので、人口の多い国が手を挙げて多数派になればおかしなこともおかしくなくなる。悪貨、良貨を駆逐す。いやな格言だが真実だ。これもアンチ・キリストの一種に違いない。

西原理恵子は仏教徒で、自分の子供の将来について「人に感謝され、うそをつかなくて済む仕事に就いてほしい」と言っている。うそをつかなくては済まない仕事ばかりに求人が集まるこの地球で、宇宙人もまた人間のフリをして今日を生きているのであった。
by hikada789 | 2012-02-24 22:35 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
前回の補足。イスラム世界について予備知識のない方は、昨今ニュースで緊張を伝えるイランという国について恐ろしいイメージをお持ちかもしれないので、一応学生時代に専攻していた宇宙人がひらたく解説しよう。
イランは美人の産地です。こう書いておけばイメージアップ間違いない。しかも美人であることがわかるためには顔が見えなければならない。そう、現在のイランでは女性は外出時はスカーフ着用が義務付けられているが、顔は出していい。前髪もだいだいOKで、長く伸ばした髪をおさげにし、その先っぽをスカーフの下からチラ見せするのもギリギリOKだ。但し学校の風紀委員みたいなのが街をパトロールしているので彼らに見つかるとしょっぴかれる恐れがある。ばれなければ大丈夫。首から下は手先以外は布で覆うが、全身ヴェールでなくてよく、長めのコートで手足の素肌が見えないなら色物可。全身ヴェールなら地味な柄物可。コートやヴェールの下は何でもよい。Tシャツにミニスカートでもよい。暑い国なのでまっぱに近い人もいる。どうせ外では上っ張りを脱がないからこれでいいのだ。コートやヴェールの下がどうなっているかは家族以外の男性には見ることはできないが、10歳くらいまでの幼女はヴェール免除なのでその全容を戸外で見ることができる。ひらひらのワンピースにふわふわのリボンが定番である。つまり我々の服装と大差ない。

イラン人の風貌については、人種の近いインド人を熱帯から乾燥地に移して肌をやや白くしたものを想像してもらえばいい。アーリア系なので鼻筋が通っており、目は大きいが骨格はごつごつしていない。日本人が羨む顔立ちがスタンダードだ。もちろん外しているのもおるが。かように魅力的な風貌のイラン女性を男たちから守るために、法律で素肌の露出や過剰な装飾を禁止している、というのが当局とお堅い男性諸君の言い分である。しかしそんな彼らもひとたび外国へ出てしまえば風紀委員の目がないのでやりたい放題。当局もそこまで関知しない。なぜならこの風紀取締はイスラム革命以来のここ30年ほどの事件で、それ以前は女性の服装や風紀にやかましかったことはない。古代ペルシャから歴史を受け継ぐイランである。30年が何ほどであろう。
この30年で酒も禁止された。上質の葡萄の産地なのでワイン製造が禁止されたことは痛かったが、材料がないわけではない。どの家庭も大抵自家製ワインを地下で作って飲んでいる。勿論ばれればしょっぴかれる。イランは米も獲れるので、日本人に近付き米からサケを作る方法を教えろと詰め寄る。麹がないとだめだと言うと、とてもがっかりする。西洋の文化は乱れているのでこれも摂取を禁じているが、衛星アンテナを立てれば海外テレビを受信できるので、壁に囲まれた庭を持つ家はアンテナを立てている。勿論ばれればしょっぴかれる。
豚の食用も禁じているが、革命前は国内各地に養豚場があり、質の良いハム類を量産していた。革命のおかげで全倒産した。風俗産業は厳禁となったが、革命前は夜の街にキャバレーが溢れていた。アメリカを敵国とみなして敵対しているが、革命前は友好国だった。革命直後に戦争をすることになった隣国イラクは当時からサダム・フセイン政権だったが、前年まで友好国だったアメリカがこのイラン・イラク戦争でサダム・フセインを援助したから、イラン人はアメリカ人を信用できなくなってしまった。それなのにイランの現政権に我慢できないイラン人の亡命先はアメリカばかり。この矛盾。アメリカ憎しと言いながら、男も女もジーパン履いてるし、隠れてアメリカポップス聴いてるし、何しろ外国へ出て羽を伸ばしたいので、外国語の一番人気はダントツの英語だ。若者たちは国の民主化を求めて時々デモをやっている。アメリカとお友達になりたいわけではないが、校則の厳しい学校にいるようなものなので、もっと校則を緩めてほしいとデモをする。リベラルな大人は若者に賛成しているが、自分のこれまでの人生が正しくなかったことにされたくない大人は反対している。この感覚、普通です。

どうです、イランがよく判りましたか?この30年の間でも校則の緩和は一進一退で、宇宙人が入国した90年代は比較的緩い方だったが、『テヘランで「ロリータ」を読む』の著者によれば、80年代この校則レベルの違反で懲役や死刑にまで行ったというから、その頃のイランは確かに恐ろしい国だったと言えそうだ。もっとも、『テヘラン』の中で著者と対照的に描かれるある活動家の女性は、ソマリアやアフガンに比べたら、イランの女は女王のような暮らしだと、著者を励ましている。当時の内戦時のソマリアやタリバン政権下のアフガンでは女性は教育を禁じられ、顔も見えない全身ヴェールが義務付けられ、人権はないに等しかった。イランが恐怖の時代でもこれに比べれば遥かにましだった。同じイスラム国家といっても、戒律をどこまで忠実に守るか、現代社会に適用して変えるか、その国と時代によってさまざまなので、十把一絡げに考えてはいけない。
宇宙人の見立てでは、西欧文化に一番近いイスラム国は現在のトルコである。トルコはずっとEUに入りたくて、入りたくて、今も入れないどころか望みがなさそうな雲行きなので、もう欧化はやめて伝統のイスラムに回帰しようかという動きが最近あるから、今のところはそうだ、と言うにとどめよう。でもトルコの経済はギリシャの何倍も良好なんだけどね。
by hikada789 | 2012-02-23 00:47 | 宇宙人の空飛ぶじゅうたん | Comments(0)
No.187の続き。再びペルシャの話に戻るが、『テヘランで「ロリータ」を読む』という題名だけ見ると、おっ?と惹かれる本がある。亡命イラン人女性がアメリカで出版し10年ほど前にブレイクしたものの和訳で、まじめな図書館なら置いてある。内容は、1979年のイラン・イスラム革命時に大学教授だった英文学者の著者が、当時のイラン当局から受けたさまざまな迫害と女性に対する締め付け政策の実態を暴露した自伝で、タイトルの通り革命前は読めたが革命後は禁書になった多くの洋書を、首都テヘランの自宅に女子学生を集めて密かに読む、というスリリングな授業風景を描いている。取り上げるテキストはジェーン・オースティンやエミリ・ブロンテなど、正直言って宇宙人はまともに読んだことはないがああ女性のままならぬ人生と葛藤を描いたやつねぐらいに認識しているオーソドックスな近代小説(宇宙人は基本的に英文学はあまり…)を原文で読みつつ、イスラム体制下のイラン女性たち、インテリで家柄もよいお嬢様たちが作中のヒロインと己を重ねて議論するというドキュメンタリーでもある。

その中にどうして『ロリータ』が入っているのか謎で読むことにしたのだが、うーん、これは全く別の意味で驚いた。というのは、『ロリータ』を読んだ人はお判りの通り、あれは金も地位もそこそこある男ハンバートが12歳の少女ロリータに入れ込んで最終的に破滅する壮絶ロリコン人生小説で、佐藤亜紀がバイブルとまで崇めている、完璧な変態お笑い作品なのだ。著者のナボコフは名前の通りロシア人で、ロシア革命で亡命し、生活のために英文で小説を書いた。だから英文学扱いなのだが、ロシア文学に親しむ宇宙人はこんな英文学あるか、と思えるくらい従来の英文学らしからぬ内容で、書き上げた当時のナボコフもどの出版社も変態扱いして出版を拒否したと語っている。(ちなみに『ロリータ』は英文学傑作ランキングの5位以内に入っているとどこかで読んだ。)
読めば判るのでここでは詳細を省くが、問題はテヘランの秘密の授業でこの小説を取り上げたはいいが、注目したのは「被害者ロリータ」だったことだ。なぜならロリータはハンバートに惚れられたせいで法律上は父娘となり、養育権を武器にハンバートに拉致され慰み者になったからである。
確かにそういうストーリーではあるのだが、うーん、主題はぜんぜんそれじゃないでしょ。小説でロリータは清楚でも貞淑でもないしたたかな少女として描かれ、いい大人のハンバートを世知長けた女のように見事に翻弄し蹴散らし、最終的に彼の手から逃れ正常な結婚に漕ぎ着ける。ハンバートは少女にコケにされ、それでもなお彼女に執着するも、徐々に少女は成長し「ロリータ」としての魅力を失ってロリコン男を幻滅させる、その過程を笑うのが主題だ。だから読者は主に男性で、男のこうした歪んだ欲望が思う通りに満たされない現実を詳らかに描いたから傑作とされたのだ。

しかしテヘランの女性たちはそうは読まなかった。一貫して「ロリータ哀れ」であり、その様子から彼女らが受けた不当な迫害の深刻さが読み取れるのだが、いずれにしても当時のテヘラン以外で『ロリータ』をこんなふうに読む人はいないよ。禁じられるとこんな世界も開けるのだなという新鮮な例でした。残念だが宇宙人は、この読み方は文学の正しい理解とは大きくかけ離れていると思う。進学も就職も制限され、些細なことで投獄さえされた彼女らは本当に気の毒だし、女性の権利なんて実は日本よりイランの方がもとはずっと進んでいて、革命前のイランの議会には既に女性が多く名を連ねていたほど女性に学識と人望と行動力があった。同じ時代の日本に女性議員がいたかどうか。そんな環境では違ったものの見方が育って当然とは思うが、それは文学をやっているとは言えないと思う。文学はもっと全人類的で普遍的なものだ。こういう状況のこういう女性だけに通用するセオリーというのは万人に対して無効だし、時代に対しても普遍的でありえない。そういう意味で、私は彼女らを哀れと思うのである。
とはいえ、『ロリータ』って読んで痛快だと思う女性って実は多くないのだろうか?佐藤亜紀は豪傑だから当然として、日本での評価ってどうなっているのかな。R指定なのか?でもロリータって全然被害者ヅラしない逞しい女なので、陰惨なイメージが湧かないのだが。
by hikada789 | 2012-02-21 00:23 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
世間のワイドショーでは自称占い師に人生を狂わされたらしい芸能人の話題が永く取沙汰されている。同業者として宇宙人は苦々しく眺めておるが、世間を惑わす占い師や霊能者の共通点はズバリ金。高額な金品や食事や旅行をねだり始めたら、すかさず逃げましょう。要求が定額で収まっている分には問題ありません。しかしタダ鑑定もいけません。人間関係は目に見えない水面下で常に二本の綱引きをしているので、気づかなくともギブ・アンド・テイク。一方向ではありえない。タダで働かせると何某かを「持って行かれる」ので、妥当な労働に報いて関係をチャラに戻すのが得策です。でないと後でひどい目に。

逆に占いをやっている、或いはやろうとしている方々へ、軽率に鑑定するのはやめましょう。以前書いた通り、占いは本来命懸けの作業です。占いは目に見えない世界を表出して依頼人に告げ、依頼人がそれに影響されることで鑑定者と依頼人との水面下の人間関係が発生します。
正しい鑑定であり、心からの助言であっても、依頼人がそれを全く無視してくれない限り、鑑定者のエネルギーの一部は依頼人に持って行かれます。それに対して依頼人は報酬を支払って関係をチャラにしますが、持って行かれたエネルギーが戻るわけではなく、せいぜい受け取った金銭で健康ランドにでも通って生気を若干取り戻すくらいです。悪徳と言われる占い師が法外な報酬を要求するのは、この「生気を取り戻す」ためにエステに通ったりいい物を食ったりリフレッシュして出費がかさむと思っているからですが、その金額が取り過ぎであるか否かが正当か悪徳かの差になります。

あるタロット占い師が「いつ死ぬか占えますか」と問われ「できません。私の命が危なくなるからです」と答えていた。これは正論です。ジョークではありません。わが算命学でも寿命鑑定は技法としては持ってますが、鑑定は基本的に受け付けません。こちらの寿命がすり減りますので。
by hikada789 | 2012-02-20 00:37 | 算命学の仕組 | Comments(0)
古代ペルシャで広く普及していたゾロアスター教(拝火教)は火と水、善と悪のように二元論で成り立っており、中国の陰陽論に通じるものがある。しかしその後イスラム教がアラブ軍によってもたらされると王朝の瓦解と同時にあっという間に広がり、7-8世紀にはペルシャはイスラム色に染まって今日に至る。ゾロアスター教のシンボルである鷲羽と老人はもっぱら土産物屋にのみ発見できるアイテムとなり、鳥葬に使用されていた場所は観光地になっている。神殿の類はもはやない。
イスラム化以前のペルシャは独自の文字を持ち、巨大な帝国を維持していたので当然文化程度も高かった。その後イスラムの浸透により文字をアラビア文字に変え、その他諸生活においても変更を余儀なくされたが、文化レベルが下がったわけではない。例えばイスラムでは偶像崇拝を禁じているので人物像というものが発展しなかった。人間至上主義の西欧の観光名所に行くと、宮殿やら博物館やらのあちこちに人間の肖像や裸像がところ狭しと並んでいて、日本人の目にはくどい、エロい、服を着ろ、といささかうんざりするのであるが、イスラムの国ではそういうことはない。人間は神の前ではちっぽけな存在なので美術の題材にならないと考え、代わりに幾何学模様や唐草模様などのデザインが発達した。箱根の寄木細工と同じ技術が各地に見られ、宇宙人の家にはシリア産の寄木箱がある。学生時代の旅行土産だが、今のシリア情勢を心から憂えるものである。

宇宙人がうっとりするイスラム美術は、サファヴィー朝ペルシャ時代の建築ブルータイルである。モスクのドームの流線形を計算して緻密に組み上げた唐草模様と幾何学模様のコラボ。清潔な青と白と水色の組み合わせは水をイメージさせ、タイルの光沢が遠くからでもキラリと目立つ。乾燥した気候に暮らす人々に思わず礼拝に行きたくなる気分にさせる美の魔力を発散しているのだ。イランがどの程度乾燥しているか?観光で入国するとガイドから、女性はスカーフを被れとか、坊さんを撮影してはならぬとか、もちろん酒は売ってないとか、注意事項が言い渡されるのだが、その中に「とても乾燥しているので鼻クソがカチンカチンに固まります。たまると後でとれなくなるので、小まめにとって下さい」というのがあって、こんな注意事項ありかと思いきや、本当にそうだったので二度びっくりだ。無理に引き剥がすと鼻血ものである。

いや、今日は美術や文化の話をしたいのである。ペルシャでブルータイルが発達したのは青い顔料の発見など技術的な要因もあるが、何といっても偶像崇拝の禁止という制限の中でいかに可能性を追求するかという建築デザイナーのひらめきと研鑽が物を言う。この狭い条件でどこまで美を引き出せるか悩んだ職人の苦悩と昇華が、モスクのドームを見ただけでもわかるのだ。ブルータイルは外壁だが、ドームの内側はもっとすごい。まさしく天上の世界のごとく壮麗で完璧な曲線・直線が絡み合った美の極致なのである。キリスト教の教会の内部も荘厳だが、モスクの美術は人物の入る余地がないという点で別系統の発展を遂げたのだ。まさに偶像禁止さまさまである。
現在中東情勢が緊迫化している。イランの美しいブルータイルは80年代のイラン・イラク戦争で一部破壊され、その後大層な時間をかけてやっと修復した。再び破壊されることのないよう祈るばかりだ。

禁じられていたために却って発展したという例はいくつもあるが、ここではロシアに移行しよう。あの国がトルストイやドストエフスキー始め、多くの優れた作家や詩人を輩出した背景には、国家による強力な禁止政策があった。ロシアが世界に類を見ない検閲大国であることは揺るぎない事実で、ソ連崩壊前後に一旦緩んだものの、エリツィンの時代には既に検閲政策は復活し、プーチン体制では更に強化されている。しかしかといってロシア人が国家の垂れ流す情報のみを信じて暮らしていたというわけでは決してなく、反骨の文筆家は命の危険も顧みず真実を書き続けた。発禁になっても投獄されてもしぶとく書いた。ランナーズ・ハイ?とにかく苦境であればあるほど燃える性質というかMというか、国家体制がもっと緩やかだったらこういう作家は世に出なかったのではという例ばかりだ。
その背景の一つに、帝政時代の君主による哲学の禁止というのがある。世界でも珍しい禁令だ。有名なのは啓蒙君主として名高いエカチェリーナ二世が出した禁令で、啓蒙というからには自由主義を進めたと思いがちだが、実際は言論統制など厳しく行っており、自由主義思想の行き過ぎを抑えるために大学の哲学科を廃止した。永続的なものではなかったし他の皇帝の時代にも出しているのでエカチェリーナだけのせいではないが、このため伝統的に哲学はお上に楯突く学問という認識がロシアで一般的になり、この時代に哲学を志す知識人は自分の思想を発表するために文学という手段を選ばざるを得なくなった。つまり哲人がそろって文学に鞍替えしたのである。だから小説や戯曲に思想性が強く盛り込まれることになり、それが今日まで続いている。ロシア文学が取っつきにくいと評価される理由はこれだ。哲学が禁止されなければロシア文学ももっとマイルドだったかもしれないが、実際は禁止したばかりに文学という狭い立地で、深刻でギラついた思想がひしめくことになったのである。
by hikada789 | 2012-02-17 22:11 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
ニュースで40歳でも普通に出産できると思い込んでいる女性が急増し、「もう卵子が老化しててムリです」と医者に言われて知らなかったと泣く人たちを取材していた。中には学校の教師もいた。こんな人を教壇に立たせている実情に私は泣きたいのだった。女性の中には「そんなの教わってない」と人と学校教育のせいにする奴もおり、己のアホさも顧みぬすさんだ人心に戦慄する宇宙人なのだった。番組の取り上げている主題と本当の問題点が離れているのであった。
アンチ・エイジングがもてはやされる今日、頭の中身までアンチ・エイジングして幼児化を図る必要はないのだった。年齢通りに知恵を積むことを善しとする風潮が広まる日はやってくるのだろうか。

宇宙人がときどき首から下げているペンダントは、ゾロアスター教のアフラ・マズダ神のシンボルをかたどったもの。左右に伸びるワシの翼が「力」を表し、中央に腰掛け白髭を垂らした老人の横顔は「知恵」を表している。古代ペルシャでは長く生きた老人は知恵を持っていると考えていたわけだ。今日の老人もこの栄光を取り戻していただきたい。
by hikada789 | 2012-02-15 23:30 | 宇宙人の空飛ぶじゅうたん | Comments(0)
去る1月22日に宇宙人は素人演能会で『八島』を連吟したが、「そのとき三保の谷」から「引くちからに」までのソロ・パート、ちょうど自宅マンションの8Fまで階段で上がる時間にぴったりで、運動不足解消のためせっせと階段を使う宇宙人は、エレベーターの誘惑に負けない対策として謡い(唸り)始めたところ、効果抜群。宇宙人は足が長いので階段はいつも一段抜かしだが、このパートのリズムと呼吸が実によく合う。皆さんもお試しを。
by hikada789 | 2012-02-13 23:07 | 宇宙人の能稽古 | Comments(0)
私の世代の人間の中には学生の頃『カノッサの屈辱』という深夜番組でケタケタ笑った覚えのある方もいるだろう。今となってはもうどんな内容だったか詳細を思い出せないほどナンセンス・ギャグなある意味知的番組だったが、最近それを思い起こす番組が現れた。『ジョージ・ポットマンの平成史』というイギリス放送局との合作で、英国人研究者から見た日本風俗事情を『カノッサ』より遥かに堅実な内容で編纂したムッツリお笑い番組だ。まだ数回しか見ていないが、取り上げる題材はダッチワイフ史、ラーメン興亡史、友達いない恐怖症史、嫌汗史など平成時代の風俗がどういう歴史と理由をたどって今日の姿になったかを、時には宇治拾遺物語まで遡って解明してくれる、教科書には載せられない歴史番組なのだ。
論拠はそれなりに通っており、風俗番組なので気取らない。ダッチワイフ史では当時放送されていたドラマ『南極物語』を皮肉って初期の南極探検隊員をインタビューし、「当初は女性隊員はいなかったから男だけ。ある日隊長に呼ばれて『観音様にお参りしてこい』と言われ、行ってみるとソレがあった。こんなエピソードはキムタク主演のドラマなんかには出せないでしょうねえ、ハッハッハ」と喋らせていた。真実とはこうしたものだ。だから私はキレイに編集されたドラマや映画には胡散臭さを感じて見られない。

さて前回せっかく算命学から見たSM論を取り上げたので、『平成史』が取り上げたM男論も取り入れて話を拡大してみよう。番組によればキリスト教の国々では「原罪」意識が刷り込まれており、キリストの磔刑に象徴されるように暴力に耐えることが称賛されるのでM型が基本だという。一方日本のような多神教世界ではアダムとイブの犯した罪とは無縁なのでMになる理由がなく、Mがいなかったわけではないが世間で注目されるのは専らS型だったという。江戸から明治にかけての風俗画は圧倒的にS礼賛だったと実例を多数挙げている。
しかしその後の近代史を経て平成の日本人はM男が激増することになるのだが、その経緯についてはどうも自分はあまり納得しなかったのか、よく覚えていない。なのでこの先は宇宙人独自の考察ということになるのだが、最近は何でもかんでも訴える風潮なのでS型の人間は起訴を恐れて自由に振る舞えなくなったのではなかろうか。小学校で児童に先生がいじめられる世の中、強いリーダーシップを独裁と呼んで危険視する政界にあって、S型であることは危険なので、誰もなりたいと思わない。M男が急増したというより、相対的にSが減っただけなのでは。

もっとも算命学のいう相剋関係は特に出生日操作でも行わない限りいつの時代も一定量あるので、理論的にはSとMの数は変わらないし、SでもMでもない人の割合も横ばいだ。しかしどちらかが目立った動きをすれば数的に変化はなくとも増えたようには見えるし、世間が容認するならカミングアウトもしやすくなる。そういう意味で、現代はM型をアピールしやすい社会になったといえる。算命学ではM型の攻撃星はよく働くと褒めているので、不景気の今日には結構ではないか。攻撃星は一見無償で働いたり愛を捧げたりする陰で、実は見返りを求めている。金銭ではなく、栄誉とか名誉を欲しがっている。賞金よりも金メダルを、物品よりも「よくやってくれた」という支配者からの労いを求めている。そのためなら何でもやりかねないのが攻撃星の特徴で、命令に忠実、まさにM型の鑑というわけだ。日本人はどの外国人と比べてもよく働くと評判だが、この評判はまさに近代以降に定着しているので、ここ100年の日本人はM傾向だというのはこの論拠でも通るのだった。
そしてSは陰に隠れて暮らしている。Sは働かない?はい、算命学の理論では他人を「働かせる」方です。だって褒美に愛を与えているのだから。そしてあまり働かないと評判の外国人は相対的にS傾向。ヨーロッパの貴族は労働を下々のやる賤しい行為として忌避していたというから、キリストの苦難に涙を流して共感していたMは専ら下層民だったということになるが、今日では世界の貧富格差が広がり、先進国の労働層はもはや衣食に困らない生活水準なのでMからSに移行したと、こういうわけです。途上国の農民や労働者が身を粉にして働いているのは言わずもがなです。
前回けなしたかもしれない攻撃星を弁護するためにこのような論を展開してみたが、話題的にあまり広げない方がよかったかもしれない。まあ鑑定を済まされた皆さん、××星に拘らないで生活して下さい。
by hikada789 | 2012-02-11 20:29 | 算命学の仕組 | Comments(0)