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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

<   2012年 07月 ( 16 )   > この月の画像一覧

運勢鑑定依頼を受け、無料「あなたの山水画」を掲載します。希望により生年月日は伏せます。
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 丁 辛 甲
 丑 未 辰
晩夏の大地は果てしなく広がり遠景の山脈までつながっている。大地には大樹が一本そびえ、砂利道に野火が焚かれている。
【解釈】
野火のあなたはやや殺風景な人間関係の中にあって明るく輝いてます。母親、家系・社会、配偶者は大地と山脈が象徴するように同じ性質で、あなたの暖かな光に恩を感じています。しかしこの大地たちを暖めるのにあなたは孤軍奮闘し、本来の能力以上に働くことになりそうです。
大樹である父親はそんなあなたに養分をくれるので、大事にすると負担が軽減します。砂利道である兄弟友人・子供は周囲の土に埋没して自己主張が難しいですが、あなたの目にはラクをしている人に見え、あなたは「もっと働け」と責め立てるかもしれません。
一見のんびりしているようで、実は粘り強い性質の持ち主です。
by hikada789 | 2012-07-31 18:04 | 宇宙人の鑑定実績 | Comments(0)
前回続き。坂口恭平氏の肩書の1つがなぜ哲学者かというと、世界の常識を覆すその型破りな建築思想の他に、人間そのもののあり方についても物申しているからだ。『モバイルハウス』の中でも語られているが、彼は震災直後、福島の被災者の避難先として地元の熊本に古民家を借り、50人くらいの家族連れを無料で住まわせていた。原発の避難区域に指定された避難民は当分の帰郷を断念し、熊本への移住を決めた家族もいたという。やがて緊急避難の時期は過ぎ避難家族は去っていったが、彼らは去り際に「今日で最後だからお礼に夕飯作ります」とか言うでもなく、去った後に近況報告のひとつも寄越さなかったと坂口氏は語り、避難という物理的な問題よりも人間の心や姿勢の方に問題があるようだと嘆く。要するに人心の荒廃である。

貨幣経済が発達する世の中では物にもサービスにも値段がついていて、無料お試しとか言われると値段がついていないことで得した気分になる。タダより高いものはないと言われる通り、無料だからといって労力が払われなかったわけではない。その分の労力を無料にしても後に見返りが多く来ることを見込んでいるので、結果的にはタダというものは存在しない。しかしここに値札がつくと、人間は他の商品の値段と比較する。同じ値段ならこのサービスとあのサービスは同じレベルとして社会で認識されていると思い込む。実際は同じではないのに。工場生産の規格品ならともかく、世の中に同じ価値のものなどない。それが人間の労力や時間や思い入れなど数値に換算できないものなら尚更だ。
しかし残念ながら現代人は毎日忙しく、世間に溢れかえった情報を処理できないまま暮らしているので、値段がついているものはこのくらいの価値、ついていない無料のものは得したけど無価値、と単純化して眼前の問題をさばくことに慣れてしまった。だからタダで住まわせてくれたことに対し、相手がそれなりの犠牲を払ってくれたのだという発想に届かない。感謝の心と言葉と行為は値段がついていないので、払っても払わなくても同じだと見做し素通りされる。「ありがとうの一言で飯が食えるか?」そんな台詞を吐く奴は人に感謝されたこともない低レベル廃棄物な人生を送ってきたから、人に感謝されることで自分がどんな気分になれるかも知らないのである。
逆に人に大いなる恩恵を施しているにもかかわらず「感謝される程ではない」とさらりと受け流す偉人もいる。こういう人には自然と周囲に人が集まる。恩恵を当てにしている不届者もいるだろうが、こういう人にはその援護をさせてほしいと他人に思わせる力がある。要するに人格者には賛同者が多数惹きつけられるのである。惹きつけられるためには共感しなければならない。現代人はこの種の共感能力を減退させてはいないか。

宇宙人は現代の日本人はまだまだこの能力を磨滅させてはいない、その証拠に震災直後は無償の助け合いが全国で見られたのだと考えている。しかしその後しばらくすると義捐金の金額が公開され始め、誰が幾ら寄付したとか誰は少なかったとかつまらない情報が人々の耳を穢した。被災者への給付金が多いとか少ないとか数字が注目されるようになった。年金額の増減も生活保護費の適正価格もみんな値札がついている。本当にその値札が価値基準のすべてなのか。宇宙人は気味悪く思っているので、今後坂口氏がどういう思想展開と行動を見せるか注目したいのである。
by hikada789 | 2012-07-30 23:38 | その他 | Comments(0)
建築家、作家、哲学者とさまざまな肩書をもつ坂口恭平氏が消費型社会に物申す「0円ハウス」思想をドキュメンタリーで描写した映画『モバイルハウスの作り方』。たしか今日上映終了したと思うが、非常にユニークな映像作品なのでマニアックな映画館で再上映されるかもしれない。No.254のコメントで少し触れたが、今ブレイクしていると言っていいこの変人建築家は、実は我々の気付かないおかしな現代社会の常識を両断する革命思想家だ。
何千万もするマイホームを手に入れるために日本人は35年のローンを組んでそこに住み続け、仕事がイヤでも辞めるわけにはいかない、借金にも仕事にも縛りつけられて老人まで生きる、それを強いる社会があたかもまっとうな人間のやる世界として疑問なく受け入れられている。坂口氏はこれに異議を唱え、本当にそんな奴隷状態を自ら求めるような家しか人は手に入れることができないのか、マイホームを持てるかホームレスになるかの二者選択しかないのか、もっと手軽な中間の家概念があるべきではないかと提唱し、ホームレスの知識に学び、持ち運び可能な簡易ハウスを手作りする。
角材とべニア板と波板と車輪の躯体にノートサイズのソーラーパネルをつけて電灯とPCの電力を得る。電波は拾うからケーブルはいらない。トイレと風呂は公共のものを使い、食糧は買ってくる。雨風をしのぎ平らな床とベッドと机を確保するためにホームセンターで仕入れた資材は合計3万円。車輪がついているので建築物とは見做されず車両扱いになる。地番もないので登録不要、固定資産税非課税。駐車場に置けば駐車場代だけで暮らせる。光熱水道費もかからない。東電の値上げの影響もゼロだ。むろん、狭くて快適とはいいがたいが、例えば災害避難民がテントで地面の上に暮らすよりは遥かに頑丈で居心地よく、広くしたいなら倍の値段を出して資材を買って必要な広さを確保すればよい。10万円のハウスがあってもいいし、20万円でもいい。どうしてその上となると一気に桁が二つも飛ぶのか。中間物の需要はあるはずだ。ない方がおかしい。
この若い建築家の意見に建築界の重鎮、隈健吾が賛同して映画にも登場する。『共産党宣言』のエンゲルスは、まさにこうした奴隷状態の労働者を土地と労働から解放するために社会主義思想を提唱したと作品では語られ、ソ連崩壊後のロシアに住んでも特に共産主義に関心がなかった宇宙人はそうだったのかと感心したのであった。坂口氏はさまざまな変人活動をして本も出しているので、興味のある方は覗いてみて下さい。目から鱗が落ちますよ。

ちなみに算命学では、最も頭の良い人はホームレスをやっていると見做しております。それは以前にも挙げたように、算命学の認める頭のよい人とは学識や教養ではなく物事を正しく見極める力のある人で、密度の高い思考力と素早い判断力を備えている人である。そういう人にとっては世の中の「職業」といわれる仕事のほとんどが「ばかばかしくてやってられない」ので、どの仕事も辞めてしまい、ホームレスになって自由に人生の密度を上げる生き方を選択するのである。実際にホームレスがどれだけ賢い人たちなのか宇宙人も実態を知らなかったが、この映画に登場するホームレスは、本当に生きるために必要な知恵をどの現代人より備えている知識人で、特に理系の知識が人ひとりの生活にどれほどダイレクトに作用しているかを実演して見せてくれる。ホームレスがかっこよく見える不思議な作品でした。
by hikada789 | 2012-07-27 22:49 | その他 | Comments(0)
十二支で時間を表す算命学では、一年の十二カ月をほぼ均等に十二支を当ててぐるりと一周させます。円を描いて12時の方向が子、6時の方向が午となり、それぞれ冬至と夏至が頂点です。同様に春分の3時が卯、秋分の9時が酉です。各々の隙間は他の十二支を順番に詰めます。
この円上で180度反対にある十二支同士を冲動といい、散法の最強としますが、冲動の中でも最強なのが子午冲動です。水火の激突と呼ばれる相剋の極致であり、水は上から下へ流れ落ち、火は下から上へ燃え上がるという性質上の対立も加味されます。散法は地支つまり地盤を崩壊させるものとして鑑定上注目する部分ですが、運勢によっては必ずしも悪い現象ではありません。天干にありがたくないものがある時、地支の散法によってその足元を突き崩し、逆に運勢を上げる作用もあるからです。同様に散法の逆である合法も、地支を固める役割があるというのがポイントで、吉凶は関係ありません。問題はその上に何の干が載っているか、その干が周囲にどう影響しているかです。

十二支は冬至の子から開始しているのですが、既に地球の傾きを知っていた古代人は、その傾きである子と丑の間、午と未の間を結ぶ線に注目し、この軸を中心に地球の自転と平行な流れを合法の一つである「支合」に当てました。子と丑、亥と寅、戌と卯…という具合のコンビです。逆に地球の自転と垂直な方向(=地球の軸と平行)を散法の一つである「害」としました。子と未、丑と午、寅と巳…という具合のコンビです。害は地球の自転に逆らっているので、健康に影響を及ぼすと考えられています。
ちなみに冲動の中でも卯酉冲動は春分と秋分を繋ぐ線ですが、日の出と日の入り、田植えと収穫など物事の始めと終わりを意味しているため、卯と酉の両方を持つ宿命の人は、物事のけじめをつけやすい、さばさばしている、諦めが早いなどといった性質を持っています。両方持っていなくても、例えば生まれた日支が酉で、卯月や卯年が回ってくると、ぐずぐず引きずっていた人間関係がきれいに片付くなどの現象が期待できます。
by hikada789 | 2012-07-23 13:17 | 算命学の仕組 | Comments(0)
お金はなくとも時間は沢山ある宇宙人は、この春に天から神様が降ってきた勢いで小説を書き、普段は完成しないものが珍しく完成したのでこれも勢いで投稿してみたところ、一次選考通過の二次選考落選という期待通りの結果になった。宇宙人が一度も買ったことのない小説新潮8月号の某文学賞選考途中経過にこの中途半端な落選者の名前と作品名が矮小な文字で載っているので、『メタフォーラ・ファンタジア』という小奇麗なタイトルを見つけたら、それは宇宙人の作品であります。著者名は適当な偽名です。同姓同名の方がおられたら、あいすみませんです。
え、すごいじゃん、確認してあげるよ、と有難くも本屋へ走ろうとしているあなた、記念にその一冊を買うお金があるなら、宇宙人の作品を読むために使いませんか。宇宙人は現在運勢鑑定、背骨整体、翻訳通訳とあらゆる技能を駆使して生存しようと努力しておりますが、残念ながら経営は赤字。この際持てる技術は何でも使おうと、創作も米や味噌に換える意欲に燃えているのであります。上記の通り最終選考に残るほど卓越した傑作ではないが、プロの編集者が読んでそれなりに耐えるレベルであるという客観的評価を頂いた。土星裏の読者にはおなじみのこの文体で書かれた小説の内容は以下の通りです。

テーマはペルシャ古典音楽と詩について。以前少し紹介した『イラン音楽』という研究書からヒントを得て、現代に生き残るのがどの国でも難しい古典音楽とそれに付随した古典詩がどうやって継承され、消滅していくかの過程を考察した寓話的物語となってます。
主人公はソ連崩壊直後のウズベキスタンを旅し、そこでペルシャ音楽を継承する楽師と出会い弟子になる。ペルシャ音楽にはラディーフと呼ばれる特有の旋律群があり、継承者によってラディーフは異なるが、どのラディーフにも共通なのが「チャルフ」といって、No.216に紹介したように運命を司る永遠の「輪」であり、西洋音楽にはないこのチャルフを楽師は体得しなければならない。主人公はそれを知悉するために音楽と詩の世界にのめり込み、詩編と現実の間を彷徨いながら、ソ連時代に優位にあったロシア人の音楽や、イスラム革命で亡命してきたイラン人楽師との交流を交え、自身も一歯車として歴史に組み込まれてゆく。
伝説として語り継がれるために人間はどうならなければならないか、文化の継承とはどういうものか、という考察を、ペルシャの古典詩が暗示するメタファー(隠喩)を手掛かりに、読み手が登場人物と一緒に模索・体験するような(そうなるように書きたかったがあまり成功しなかった)、やや読みにくい作品です。娯楽小説というには活劇もミステリーもないし、ウンチクは身につくけど文学性はいまひとつ。でも著者の実体験が使われているので結構リアルだし、ラディーフは中東の世界文化遺産にもなっているので、イスラム文化に関心のある方には楽しい読み物、そうでない方にはよくわかんない読み物といったところでしょう。そうそう、能の『邯鄲』をちょっと拝借したので、能楽愛好者には嬉しいシーンかもしれません。

如何です。読みたくなりましたか?あんまり?そうね、読者を喜ばすために書いた作品じゃないからね。神様が降ってきたのだよ。ソルジェニーツィン型だよ。これを読まないと一生の不覚というレベルのスーパーヘビー級小説を賞賛してきた宇宙人は、この自作小説をせいぜいバンタム級くらいと見做しております。
というわけで、まずこれを紙の本にするのか電子書籍にするのか何もしないのかさえ決めておりませんが、ご厚意でコメ代くらいなら払って読んでいいと思う方、出版関連でアドバイス頂ける方、宇宙人の生命維持のための(つまりコストに優しい)ご意見お待ちしております。なお作品は会話が少なく、段落も少ないので横書きで読むのはきついと思います。作者は縦書きを望みます。
by hikada789 | 2012-07-21 20:38 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
選挙で選ばれた皇帝ボリスはハチャメチャ感の足りない実務派政治家だったので、人々は畏れ入ってくれなかった。天気は彼のせいではないのに飢饉は彼のせいにされたし、幼いドミトリー皇子の事故死も彼のせいとされた。貴族の裏切りも彼のせいになったし、娘の婚約者が急死したのさえ彼のせいにされた。どれひとつ彼の責任のものはなかったのに皇帝が普通の人間というだけでこの評価。ボリスは心労のあまり晩年は心を病むようになり、その様子だけが息子を殺めた後のイワン雷帝の晩年に似たものとなった。では一体どんな皇帝ならよかったというのだろう。雷帝のように語り草になるほどの恐怖政治を敢行した方がよかったのか。
米原万里が『打ちのめされるようなすごい本』で「これを読まなかったら一生の不覚」と絶賛する図書、ラジンスキー著『赤いツァーリ~スターリン、封印された生涯』。ソ連崩壊後に解禁された資料を基に書かれたスターリンの伝記です。翻訳出版から15年以上経ちますがスーパーヘビー級です。ロシアの著名な劇作家が書いているので文章も構成も巧みで、翻訳も流れるよう。ここにロシアの皇帝がどうあるべきか、あまさず書いてある。それは恐怖の一言に尽きる。しかも断固たる恐怖、例外を許さない恐怖であり、まるで神業。彼に比べればヒトラーが子供に見える。だってヒトラーは異民族を迫害したけど、スターリンは自国民どころか家族親戚まで粛清している。独裁者というと要職を身内で固めて一族繁栄を目指すタイプが多いが、赤の皇帝はそんな可愛げな人間らしいことはしない。不要な存在を迷うことなく抹殺し、しかもそれが行き当たりばったりではなく計画的で、時代の要求に応えていた。

例えばスターリンがレーニンと共に革命を成し遂げた時の盟友たちが20年もするとジジイになり、プライドばかり高い古参党員として融通が利かなくなった。労働者上がりなので教養もない。こんなのが軍隊の上層部に居座っていると近代化に立ち遅れる。まるで第二次大戦を見越したかのように古参ジジイを一斉粛清したスターリンは、革命後の教育を受けた若い世代に軍隊を迅速に引き渡し、結果的に第二次大戦に万全の態勢で臨むのである。著者はこうした結果が偶然の産物ではなく意図したものだと語り、赤い皇帝が当時のソ連国民に神のように畏れられた論拠としてその怜悧な頭脳を主張している。スターリンは確かに頭のいい人物だったし超人的に政務をこなしたと側近も語っている。しかし伝説にまでなる超人の人生は、時代の後押しもなければ成立しない。
著者はこんな例も挙げている。第一次大戦で負けたドイツは戦車と空軍の学校を国内に持つことを禁じられたので、ロシアと協定してそれをロシア国内に創ることにした。これによりドイツ側は軍を保持することができ、ソ連側はドイツ国防軍の援助による自軍の創設を実現した。この赤軍はやがてドイツその他の帝国主義を撲滅するために使われる。この独ソ協力関係はヒトラーの台頭まで続いた。ヒトラーの政権奪取はスターリン最大の誤算と受け取られた。スターリンはドイツのコミュニストたちに社会民主党との統合を許さなかったので、反ヒトラー連合は分裂してヒトラーに負けたのだった。しかしヒトラーの脅威は間もなくスターリンに絶大な権限を与え、いかなる非常手段をも正当化することになった。また国際的に孤立していたソ連を、ヒトラーに対抗させるために連合国側が仲間に引き入れることになり、国際関係も改善した。等々。
ソ連の内も外もスターリンが最悪だってことは判っていたのに、時代がそれを許してしまった。スターリンの真の恐ろしさはこうした目に見えない神だか悪魔だかの援助が、革命から死ぬまで40年も続いたことだ。独ソ戦では破竹の勢いのナチス軍に自国の兵士を踏みつぶさせておきながら、ドイツ軍が冬の装備をしないで夏に開戦したことを彼は冷静に眺めていた。ドイツ軍はロシアの冬によって敗北するが、その年に限って例年にない早さと厳しさで寒波が到来したのも、神の助けとしか思えないと著者は綴る。神は彼を助けたのか、それとも彼に恐怖で支配されるソ連国民を助けたのか。誰にも判らない。判らないから伝説になるのだ。

いまでもロシア人の中には、スターリンでなければヒトラーに対抗できなかっただろう、国民が一致団結できたのはスターリンの功績だとしぶしぶ認める人もいるくらいだが、そんなギリギリの国家総動員の時期にさえ国内の粛清は続いていたし、戦争に勝利するとドイツ占領下の国々に亡命していた帝政時代の同胞を引きずり出して、まとめてソ連国内の収容所へ送った。協定により紳士の国イギリスがこの引渡しに応じている。ヒトラーを撃退して満身創痍のはずなのに、少しも休まないので超人だというのだ。
以前紹介した小説『慈しみの女神たち』にこんなシーンがある。主人公のドイツ将校が車で前線に入った時、廃墟と化した街の塀に落書きが見えた。その戯画はヒトラーとスターリンが性交し、その周りでチャーチルとルーズベルトが自慰に耽るというものだった。『赤いツァーリ』に描かれる当時の各国首脳はまさにこの図である。その中でもスターリンはひときわ輝いている。彼は膨大な数の人間を粛清したが、その粛清を実行した人物たちもしばらくすると粛清された。人々は天罰だ、神はやっぱりいるんだ、と心を励ました。その神とはスターリンのことなのか?
そんなことが書かれている力作です。読む方も疲れますが、読まないと一生の不覚であると思います。日本も戦中戦後は大変な時代だったけれど、やっぱり上には上がいるなあ、日本にいて本当によかったなあと、その地獄のレベルの違いに圧倒されるのでした。
by hikada789 | 2012-07-20 21:41 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
レーピン描くイワン雷帝が健康な皇太子を誤って殺したことで以後のロシアは大混乱期を迎える。スムートナヤ・ヴレーミャと呼ばれる暗黒時代で、間もなくイワン雷帝は崩御し、虚弱といわれる下の息子フョードルが帝位に就くが、実権は次第に新皇帝の妃の兄ボリス・ゴドゥノフへ移っていく。ボリスは有能な政治家だったが家格は中堅どころで、当初どの程度の野心があったか今日でも推測の域を出ない。他の大貴族は彼の手腕を静観していた。
やがて混乱の端緒となった事件が起こる。まだ幼児だった雷帝の末子ドミトリーが事故死し、これが帝位を狙うボリスの陰謀だと噂された。当時の調査も後世の研究も、事件はあくまで事故死であって他殺ではなかったことをほぼ証明しているのだが、ロシアという国はそんな平穏な結末を許さない国なので、つまり歴史にドラマがないとやっていけない不思議な国なので、庶民も貴族もなんとなくボリスが犯人だったらいいなーと思って暮らしていた。本当なんだよ。ロシア人はこういうのが大好きなんだ。そしてそれによって生じた悲劇のとばっちりを自分たちも被って大泣きし、ほとぼりが冷めた頃芸術作品に仕上げるのだ。事件の当事者はたまったものではないが、今も昔もこういうパターンをもつ疲れる国なのだった。

ボリスは本当に気の毒な男で、事件は事故死で片付いたのに何か疑われているし、虚弱のフョードルが間もなく死んで帝位が空くと、貴族会議で行われた選挙の結果、皇帝に推挙される。ボリスは何度も辞退しているが、この「辞退しながら最後に受ける」手法は後世のスターリンの十八番なので、ボリスの本心がどうだったか史書から伺うことはできない。いずれにせよロシアの民衆はトップがカラという事態が耐え難いので誰でもいいから(!)早く帝位に就いてほしい。ボリスは承諾して、ロシア史上初の選挙(貴族の)により選ばれた民主的皇帝となった。つまり血統は重視されなかった。大貴族の中には皇族の親戚もいたのだが、何となくきな臭いと思ったのか、引き続き事態を静観する。
その後数年間のボリスの治世は一生懸命やってる感が判るのだが、あいにく悪天候による飢饉が続き、政策そのものは適切で後世の為政者が手法を真似るくらい立派なものだったが、効果が出る前に国が飢え始め、流言が飛び始める。「ドミトリー皇子が生きている」。
後に僭称者ドミトリーと呼ばれる偽物の皇子が現れて敵国ポーランドを巻き込み、「正当でない皇帝」ボリスを打倒すべく軍勢を集めて都に進撃した。この偽皇子の正体は破門になった修道士なのだが、どうやって騙し得たのかロシア辺境の反対派が次々これを信じ、ポーランドは真偽はどっちでもよかったけど領土的野心があったので、彼を神輿に担いでとうとうモスクワを占領、ボリスは前年に病死していたのでその息子の新皇帝を惨殺、帝位を奪う。大貴族はこれを皇帝として認め、忠誠を誓っている。しかしロシアは西洋国家と違って法や宣誓に対して拘束力を感じないので、偽皇帝はたった一年で失脚して貴族にも民衆にも足蹴にされ、ポーランド軍は都で暴れるし、またしても帝位はカラだしで、ロシアは自ら撒いた種により散々な目に遭うのである。
更に更にドラマを求めるロシアは、第二、第三の偽ドミトリーが各地に現れ、確か全部で5人だったかな、その上ドミトリー以外の幻の皇子たちが我こそは真の皇帝なりと雨後の筍の如く湧いて現れ、その度にロシア軍は分裂し国家の舵取りは不明のまま、数年間他国の支配を受け続けるのである。冗談みたいな歴史である。西洋にも王族を騙って天下を狙う僭称者はいるし小説のモデルになったりしているが、実際に帝位に上り詰めたのはロシアだけである。しかもロシアの僭称者事件数は他を圧倒しており、18世紀だけでも44件という数字も。ほとんど年中行事である。偽ドミトリーの例があるから望みゼロとは言わないが、きわめて成功率の低い人生の一点賭けである。こんな博奕がどうして好きなのか?僭称ごっこは一人ではできないので大勢の信者がいなければならない。どうして皆、信じたいの?そんなに今の世の中が腐っているわけで?ともあれロシア人はこうした歴史を繰り返してきたので、皇帝とその周辺にはのっぴきならぬドラマがなくてはならないと刷り込まれているらしい。そして民衆はさんざん新しい皇帝をもて囃した挙句、その治世が気に食わないと一斉にそっぽを向いて別の皇帝を探し、「こっちが本物だよ」と無責任にも期待をかけるのである。

哀れの先駆者ボリス・ゴドゥノフは、こんな民衆の仕打ちの褒美として悲劇の英雄になった。後世の詩人プーシキンが彼のために秀麗な詩を書いてくれて、それを元に更に後代のムソルグスキーがオペラにしてくれた。この話、なんだか菅原道真の怨霊伝説や平将門を鎮める祭りなどを連想させる。ロシア人のボリスは祟りなどしないが、あんまりなので鎮魂は必要というわけだ。もっとも、プーシキンの詩ではやはりボリスが幼いドミトリーを謀殺したことになっており、良心の呵責に苦しむボリスという図が創作のテーマである。良心の呵責。ロシア人が好きそうな言葉ですね。
いずれにしてもロシア人の政局に対するドラマ嗜好はこの辺りから始まっており、イワン雷帝が始めた秘密警察制度と共にロシアを彩る顕著な基本色となっているのであった。現在のプーチンはこの路線をなんとか維持しているが、ロシアの皇帝たる者、もう少しハチャメチャ感があった方が相応しい。(北京五輪の開幕式当日にグルジア侵攻したのはポイント高かった。)わが身に降りかかる悲劇になろうとも、ロシア人は巨大な権力者による伝説的ドラマを欲するのであった。
by hikada789 | 2012-07-18 19:52 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
WBAスーパーフェザー級王者、内山高志のKO試合を楽しみにしていたが、4Rで対戦者と頭部激突して出血、ドクターストップによる引分け終了となった。ああ残念だ。対戦者もなかなか手強くいい勝負だっただけに、続きを見たかった。彼のKOシーンでここ数日の苦しい猛暑をチャラにしたかったのに。今夜も呪わしい熱帯夜である。誰を呪ってやろう。

中野京子著『怖い絵』はもう何巻も出ているようだが、第一巻に掲げた『マリー・アントワネット最後の肖像』の紹介は秀逸だった。作者はダヴィッド。実力ある画家だったが性根は卑劣で、フランス革命の荒波を風見鶏のように変節して生き延び、時の著名人らからそのねずみ男の如き節操のなさについて罵倒されている。中野氏の解説によると、ロココの女王だったマリー・アントワネットが断頭台へ運ばれる姿を戯画のようにスケッチしたその絵は「確かに上手いが悪意に満ちている」。王家から王家へ嫁いだスーパーセレブが凋落した姿を偏屈に口を曲げた中年女として描き、笑い者にした。当時の平民が貴族社会のせいで貧困に苦しんでいたことによる怒りという純粋な動機でなく、他人の不幸を嗤う賤しさだ。ニーチェのいうルサンチマンの描かせた絵なのだ。中野氏は言う。「作者は最後はナポレオンの失脚で自身も失墜し亡命先で死んだが、その時、かつて素描で愚弄した王妃の絵姿が意外にも毅然として、外見こそ醜くなったが立派な態度であったことに内心狼狽えたろうか。相手を傷つけようとしたのに、逆に自分の卑劣な悪意だけが浮き彫りになって後世に残ってしまったことに驚いただろうか。」あまりに画力が優れていたために、こういう結果になってしまった。絵は真実を捉えていた。

大阪に住む友人は文楽愛好者で、数年前は橋下氏の評価を保留気味に話していたが、最近橋下市長が「文楽なんかいらない」発言をしたため反対派になった。市長は「子供の頃文楽を見たが、つまらなかった。テーマもくだらない話ばかりだ」というようなことを言ったらしい。TOKYO MX流に言うと、「この人ばかなんですかね」。古典というものは半分学問(歴史)なのだから、個人的なつまるつまらないを判断基準にする方がおかしい。文楽は世界に誇る日本独自の洗練された芸能で、数世紀前の作品が現在も少数ながら支持者(しかもそれなりに教養のある人たち)を得て現存しているということ自体、時代を超えて価値が証明されていることに他ならない。本当につまらないものは世紀どころか5年も人の記憶に残らない。橋下氏が出演していた某TV番組が100年後に誰か語ってくれるとでも?市長は何より自分に文化教養がないことを露呈してしまったことに気付いているのだろうか。ダヴィッドよりアントワネットの方が100倍も大物だったことを、ダヴィッドが気付かず、しかし知らぬうちにそれを自ら証明していたように。
宇宙人は能楽愛好者であるので、能楽協会とか、もっと規模も勢力も大きい歌舞伎界とかが団結して市長に前言撤回を求める抗議文書でも提出したらいいのにと思う。これで東京都知事といっしょになって反撃してきたら、国際芸術団体にアピールして彼らの無教養を責めてもらい、ついでに五輪誘致もなしにしてくれたら万事正しく収まるというものだ。今後は恒久的に節電と対峙することになる東京に、既に健全なアマチュア精神を失っている五輪がなぜ必要なのだ。景気対策なら別の方法があるだろう。それを探すのが政治家の仕事だ。

『怖い絵』にはロシアのレーピン画『イワン雷帝と皇太子イワン』も紹介されており、これは口論から雷帝が怒りの余り息子を王杖で殴り、それが原因で皇太子が死んでしまうという史実を描いた歴史絵だ。中野氏はこの絵が怖い理由として、雷帝は殺すつもりはなくただ怒って王杖を振り下ろしただけだったのに取り返しのつかない事態を招いてしまった、その後悔に打ちひしがれている目が怖い、としている。私は現代の日本が日々取り返しのつかない事をしていて誰も止めないのが怖いのであった。
by hikada789 | 2012-07-16 23:58 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
算命学は統計学に近い学問なので、「100%こうだ」とは言わない。あくまで統計的にこういう傾向が強い、という表現にとどめるため、占いはインチキと叫ぶ人たちはこういう所を突いてくる。しかしこの世に100%の保証などどこにあろうか。あなたが今この世にいることだって奇跡の出来事なのに。100%保証できたら保険会社は存在できない。津波で家は流されない。占いを糾弾する前にこの世の不条理の不滅に気付くことをお勧めする。

もちろん易者だって責任を持って仕事をしている。傾向の強弱は正確に判断すべきだし、伝え方にも工夫がいる。例えば「健康運に恵まれる」と鑑定された人が実際に健康である確率はどの程度だろう。現代は医学が発達したので大分レートは上がったと考えられるが、この世から病気がなくなったわけではなく、病原が一つ撲滅されると新たな病が発生するのがこの世の仕組みである。占いでは健康運の細部を鑑定して、どの部分が強いのか弱いのかも判断する。例えばガンになりにくい宿命というのがあるが、これは「他の宿命に比べて」という意味だ。同じ条件で暮らしている場合、あの人はガンになったがこの人はならない、そういうレベルの話。もし「あなたはガンになりにくい」と鑑定師が伝え、喜び勇んだ依頼人が翌日から煙草を毎日100箱吸い始めたら、確実に肺ガンになりますよ。そんなお客さんに占いの正否を責められる謂れはないのである。なので易者は依頼人がこうした極端に走る人であるかないかをまず判断してから鑑定に臨むのである。
同様に、アタマの良し悪しが気になる人がおられるが、同じ学校に通って同じ教育を受けたのに差が出るのは、あ、種や畑が悪かったという無情な理由もありますが、宿命上の体質も関係してくる。一方、宿命が同じでも受けた教育の違いで当然差は出る。なので占いの言葉に耳を傾ける場合は、比較する対象が同じ条件下にある場合を想定しているという認識がある程度は必要である。

宇宙人は霊能者でないので、出てきた宿命と本人の実態が一致しているかどうかは判らない。判らないので本人に訊く。有料鑑定で通信が数回往復するのはそのためだ。易者の鑑定にミスがないとして、出てきた宿命と本人の実態が完全に一致していれば、その人は宿命を大いに消化している最中であり、このまま行ってくれと太鼓判を押せる。しかし一致していなければ、消化不良の部分を探し、どうすれば消化できるかアドバイスする。そのアドバイスは本人にとって苦痛を強いるものであるかもしれない。どうしてもできないと言うなら、第二の策を提示する。第一の策より効果は落ちるが、しないよりマシだ。第二もだめなら第三を提示する。効果は更に落ちるが、しないよりマシだ。しかしどれもイヤだ、どれもしたくない、という依頼人はどうするか。易者は助言者にすぎないので無理強いはしないが、このままいくとこうなりますよという展望を告げて、解決の為に苦しい選択をすることを勧める。易者の役割はここまでだ。あとは本人が決めることである。

通常、占い師を頼る人は問題を抱えているので、宿命と実態がところどころ一致していないのものだが、易者が最も恐れるのは、何もかも、一から十まで一致がない人である。もちろん易者は鑑定ミスかと演算を繰り返す。しかしミスは見当たらない。それはつまり、依頼人が本来歩むべき道を大幅に踏み外しているということだ。ここまで本道を外れると、元に戻すのは非常に困難である。このまま進むとどうなるか?もちろん人生の終わりだよ。
人間は生まれた時スタート地点から歩みを始め、ゴールへの道をとぼとぼと、或いは猛スピードで進む。宿命によって広くて平らな道の人もいれば、細くて荒い道の人もある。落とし穴もあるし、崩落箇所もある。左右が崖の尾根もある。川だって渡るだろう。人生は登山だ。しかし道を見失わなければゴールにはたどり着けるし、分岐点に標識はだいたいある。ちゃんと注意して歩いていれば見落とすことはない。しかし注意の足りない人、自信過剰な人は、往々にして標識を見ていない。そして誤った道へ逸れ、それを何度も繰り返し、遂にもと来た道へ戻れなくなる。その先は何があるか?遭難である。
宇宙人は登山ビギナーの頃遭難寸前まで行って大層怖い思いをした。あのまま日が暮れれば人生は終わっていた。宿命もこれと同じで、遭難寸前の人を登山道に戻すのは根気がいるし、本人にまず自分が間違って歩んできたのだということを認識してもらわなければならない。しかしここまで外れてしまうと、もう何を言っても聞かなかったりするのだ。易者は依頼人のために最善を尽くすが、本人が宿命に反する成功を収めていたりすると、それが間違った成功だったと指摘されて嬉しいはずはない。ますます耳を塞いでしまい、最後の標識であるかもしれない易者を振り切ったりする。易者はもちろん追わない。易者が依頼人にそこまで付き合う義理はない。(しかしこういう人に限って「周囲を自分の運命に巻き込む宿命」だったりして、易者はホウホウの体で離脱する。吸引力のある宿命というのは本当に侮れないのだ。まるでブラックホールなのだ。別れたい男と別れられないあなた、彼はそういう宿命かもしれません。)

人生の完全遭難は即ち死である。死や災いをチラつかせて金品を巻き上げる占い師が世間で非難を浴びているが、宇宙人は宿命に死や災いを見てもそのまま言ったりはしない。それより解決法を先に考える。宿命からは性格も読み取れるので、相手によっては強烈な表現は避けてやさしく軌道修正させたり、頑固な人には強い口調で非難を浴びせてショックを受けている間に軌道修正を急いだり。いろいろ工夫しているのです。有料鑑定を済ませた知合いの評価では、宇宙人の手法は厳しい、辛辣、単刀直入、というのが多い。そりゃあ土星裏読めば判るでしょ。鑑定に癒しを求めている人は、よそを当たった方がいいかもしれません。
by hikada789 | 2012-07-14 22:09 | 算命学の仕組 | Comments(0)
No.254を読んだ方々から土星裏講座を愛読しているのでこのまま続けてほしいという声を頂いた。ありがとう、ありがとう皆さん。ではTOKYO MXのポリシーを見倣って初心貫徹を目指そうと思う。今後の閲覧者の良心と理性に期待致します。
いい機会なので土星裏の占い以外の記事と合わせて、宇宙人の昨今の関心事を考察してみると、このところの引用人物は西部邁、佐藤優、ソルジェニーツィン、ドストエフスキー等だが、彼らに共通する認識は「人心の劣化」である。最高齢のソルジェニーツィンは1918年生まれだが、「昔(帝政時代)の人は喜んで兵役に就いたものだ。徴兵検査で不合格だと誰もが恥ずかしがった。それがソ連の時代になると徴兵は強要になった。それまであり得なかった兵役拒否者を射殺する風習がはびこり、死にたくないから仕方なく兵士になった。これは不自然な行為だし、愛国心とは合致しない。」誰でも国や故郷や小は家族を守るためにある程度の自己犠牲は承知しているのが人間の本性だが、このような歪んだ強制や習慣が広まると、人間は本来の利他心が衰退して、行き場のないエネルギーを利己主義に集中させるようになる。それが敗戦後にポリシーを失った今の日本だと保守派の西部氏は語り、マスメディアの低俗化の影響を取り上げるのが佐藤氏である。ドストエフスキーはもっと巨大な視点から眺めているが、方向性は同じだ。

宇宙人がどうしてTOKYO MXがお気に入りかというと、例えば先日MXの時事討論番組が、自衛隊員が訓練で都内を迷彩服行進し、住民が抗議した事件を取り上げた。この事件はどのマスメディアも取り上げていたが、MXだけが抗議した住民を非難する発言をコメンテイターに許していた。つまり日本人を守ろうとして訓練している日本人に罵声を浴びせる住民の気が知れない、彼らは北朝鮮が家族を拉致しに来ても自衛官に守ってもらわなくていいんだね、自分の可愛い娘が他国の兵士にレイプされるより迷彩服が町内を歩くことの方がいやなんだね、そういうことだよね、とここまではっきりは言わなかったが明らかにそういう雰囲気で記事を締めくくったのだ。この番組を見た住民はテレビ局に抗議の電話をかけまくっただろうか。それは判らないが、この種の正論を吐く、しかし一部の視聴者に媚びて他の局が絶対言わせない一般人の本音を以前も今もオープンに流しているMXに、私はあっぱれと言いたいのだ。

ところで土星裏では当初から占いは参考意見にすぎないと言ってます。もし周囲に目の肥えた大人がいるならその人に助言を請えば有効な意見をもらえるが、それがない人やもっと別の意見を聞きたい人のために、占いは存在する。占い師の言いなりになる人は、近所に住む世知長けた老人の助言もそのまま鵜呑みにし、失敗したらその老人のせいにするのかね?いや、ちゃんと自分で吟味してから行動するよという人は、占い師の意見だって同様に見做すはず。それを土星裏は奨励しております。でも中には占いや算命学の理論に、好ましくない自己の現状の言い訳を見つけようとしている人もおり、誰かのせい、生まれのせい、と周囲ばかり悪者にして自分を省みない。ロシア文学を愛読する宇宙人は勿論この種の人間を評価しないし、主たる原因は宿命ではなく本人の姿勢にあると考える。友人は「恋愛相談を解禁して稼ぎを増やせ」と小言を言うのだが、恋愛がうまく行かない女なんて自己反省ができない種族に決まっているではないか。運勢を調べるよりまず先に自分の欠点を探して直せ。そんな欠点ハタ目に見れば判るから、占いの技術を使うまでもないのである。
しかし自己を省みない性質は、本来日本にこれ程はびこっていただろうか。終戦直後のGHQ職員が路上で見た老若の日本人が己を犠牲にして弱い家族を守ろうとしている姿に感動していたのは、一体いつの話だったか。故に西部氏はじめ爺さまたちは嘆くのだ。「教育勅語の頃の方がマシだったよ」と。しかし若者を責めるのはどうか。彼らは身近な大人や親を真似て育っているのだから、今の大人が悪いのでは。ではいつから悪くなったのだ。
遡るとバブルがあり高度成長期があり、政治は数だと言った政治家があり、安保論争の頃の国民の国防意識は現代と比べものにならないほど高かったと当時の世論調査が証拠を突きつける。ネットもテレビも普及してない時代だ。ハイテク機器が世間に広まる間の、一体いつから転落が始まったのか。そうしたことを西部ゼミでは議論してくれるし、MXのプロデューサーはカットしないし、不動産業界を脅かす坂口恭平に延々と喋らせている。

宇宙人は海外を放浪して暮らしていたが、悪い事が起こった時、まず先に自分の責任かと疑う習慣のある国は、日本以外はロシアしかなかった。「ヤー・ビナバート」ロシア語で「僕が悪い」と言われると、いやいや、あなたのせいばかりではないよ、こちらも悪かったよ、と双方許し合う関係が簡単に築けるのだが、よその強気な国民とはこうした会話はそうそう成り立たないので、どちらかのせいにされる仕組みだ。そこでは弁の立つ奴が勝ち、問題の正否は問われないから怨恨は残るし敬意は生まれない。残念な習慣が現代を席巻しているが、それに対抗する僅かな声に宇宙人の頭頂アンテナが反応し、こうして掻き集めて細々と通信しているわけである。
このように宇宙人の占いも、読書ネタもロシアネタも世間話も一応相互に繋がっており、それを外れる無駄話は控えているつもりだ(息抜きにちょっとは書くけど)。それは閲覧者が「今日は読んで損した。時間を返せ」と思わないようにするためであるし、劣化していない人心がまだ生きているのを、絶滅しないよう種を蒔くためである。この種蒔きがパンダの生死より重要だと思う人たちが閲覧を続けられることを、宇宙人は願っている。
by hikada789 | 2012-07-12 22:21 | ロシアの衝撃 | Comments(0)