人気ブログランキング |
ブログトップ

土星の裏側

doseiura.exblog.jp

宇宙人と呼ばれた人達の診療所

<   2012年 11月 ( 14 )   > この月の画像一覧

有料運勢鑑定「土星一周」コースをご利用の皆様には、宇宙人の辛口評価の中にも真実を見出して頂き、ご好評頂いておりますこと感謝申し上げます。相手の顔の見えないネット鑑定で依頼するのは勇気がいると思いますし、問合せ頂いた方には鑑定を始める前に「こういう手順で鑑定します」と伝えてから始めてますが、この手順について公表しておいた方が依頼しやすいかと思い、土星裏鑑定を最大限に活かすための賢い依頼・質問方法をざっくりご説明致します。
(1)人生のエポックの年
算命学は基本的に生年月日と性別だけで宿命を算出できますが、その人が宿命通り生きてきたかまでは判りません。日本の人口を考えると同一生年月日の人はざっと5千人いるので、5千人のうちの一人であるあなたが他の4,999人と違うのだということを鑑定者に伝えることで、鑑定の精度が上がります。ですので、特に伏せたい理由がなければ依頼人(鑑定したい人物)の簡単なプロフィールを提示下さい。具体的には、
・家族構成と同居の有無、
・就職・転職・転居・結婚・出産・大病を患った等、人生のエポックとなる事件の年(及びわかれば月も)
が鑑定に大いに役立ちます。こうした個人の歴史は他の4,999人とは明らかに異なる要素だからです。

(2)フォーカス点の提示
No.006の鑑定案内にあるように、鑑定内容には限りがあります。鑑定できないテーマの質問には回答できません。逆に鑑定範囲内であれば回答できますが、どこを見て欲しいのかポイントを提示してもらった方が精度は上がります。これは算命学で算出した宿命が一枚の大きな絵画のようなもので、全体を漫然と眺めるだけでは的確な助言を出しにくいからです。今抱えている問題が何であり、どうなってほしいのか情報を頂けると、それに対する解決法や「それはあなたの思い込みにすぎない」「諦めろ」など辛口な事実を告知できます。最初に示した解決法が採用困難である場合は、その旨伝えて頂ければ第二策を提示します。もちろん第一策よりは威力は落ちますが、効果がないわけではない。そうやっていかに現実に即した対処法を導き出すかが鑑定者の仕事ですので、大いに折衝して下さい。賢い依頼の例としては、
・「今抱えている問題はしかじかで、自分なりの分析としてはこうこうだが、改善できるか。或いはこんな具合に改善したい」
と自己分析と希望的観測も合わせて開示してくれれば、宿命は性格判断もできるので、その分析が理に適ったものなのかそうでない曲解なのか判定できますし、その人にとって何が現実的なソリューションなのかもはっきり見えてきます。
この世に解決方法はいくらでもあるのですが、本人にジャストフィットしていなければ実現は遠のきます。せっかく一対一の鑑定なのだから、依頼人は自分にピッタリの服をオーダーメイドすると思ってサイズや好みを教えて下さい。教えてくれなくても鑑定はできますが、ピッタリするかまでは保証できません。既製服だって試着してから買うでしょう?お針子にはメジャーでサイズを測ってもらい、布やカタログも見せてもらい、希望も言って、仮縫いも修正もしてもらいましょう。

(3)質問の仕方
算命学は二者択一が比較的得意な易学だと言われます。AとBの選択肢がある場合、どちらの方がいいかの判断は割とはっきり出ます。また年運や大運という時間スパンで運勢を判定するので「いつ」という選択肢の甲乙をつけるのが得意です。特に「この期間はやめておけ」という危険については訊かれなくても伝えるのが鑑定者の良心です。賢い質問例としては、
・「結婚することになったが時期でもめている。今年と来年の候補のうちどちらが円満な結婚生活に相応しいか」
こういう質問には、夫婦両方の宿命を見て、双方に災いの少ない時期の方を勧めます。場合によっては夫婦どちらかしか幸せになれないという鑑定結果もありえますし、どちらの時期でも大差ないという回答もありえます。
・「会社に希望退職制度があり、あと三年でそれを選べる時期になる。仕事にはやや不満があるので思い切って退職・起業したいが、見込みはあるか」
この質問の場合、まず就職した年と月を鑑定し、職種の相性もみて、その人がその職場に居続けるべきか伝えます。移動した方がよい場合、その三年後の時期が災いに当たっていないかを判定します。更にその人に商才があるかどうか、起業に適した時期についても鑑定します。
このように選択肢を提示して甲乙をつけさせる、という質問方法は算命学には効果的です。もし選択肢が提示できない場合でも、鑑定者の方から逆に質問させてもらうか、危険な時期を提示して避けるよう助言したりして、「人生の地雷」を踏まないよう誘導します。もっとも地雷を踏まないことが成功した人生というわけではありません。失敗や挫折が人間を強くすることは知られているので、必要以上に地雷を恐れず生きることが重要です。そうした人生の教訓を知っている人は、占いに頼らなくても自然に地雷を避けて生きております。

このような方式で、メール鑑定の場合は概ね3往復のやりとりで終了します。質問は尽きるまで質問して頂いて結構ですが、真剣な相談事を持ち込まれる方はそうそう質問は膨らみません。初回の質問に要点が定まっているからです。逆に質問をえんえんと続けたり同じ質問を繰り返す人は、(幸い今までそういう依頼者はいません)鑑定者に喝を入れられること必定です。質問がだらだら続くということは、本人が自己分析や言われた事の消化吸収を怠っている証拠だからです。まあ、そういう人は宿命をひと目見れば判りますから、依頼人は自分の宿命を見られることで人間性も見透かされることを覚悟の上で、依頼に踏み切って下さい。
by hikada789 | 2012-11-29 11:51 | 宇宙人の診察室(営業窓口) | Comments(0)
前回続き。ソ連崩壊後のロシアでは一時期の経済混乱を脱して資本主義が普及して久しい。イデオロギー発言で逮捕も覚悟しなければならなかった以前と比べて自由に発言できるようになったので、ドスト生誕190年の2011年、ドストの人生をドラマ化してテレビ映画として放映した。しかしその作品は質が非常に悪く、ドストが『作家の日記』で自ら記している史実をないがしろにしたシナリオだったため、起用されていた有名な俳優が呆れて降りたほど。ドストの愛読者や研究者にはすぐに判るそうした事実の歪曲は、しかし一般の視聴者に気付かれるものではなく、なにしろテレビという映像作品なので記憶にも定着しやすい。つまり史実に沿わない誤った情報が社会に広く受け入れられてしまったか、しようとしていることに知識人たちが怒りの声を上げたか、詳細は判らないがこういう事件があった。それはまるでここ数年の日本で発表された亀山訳ドスト小説とその解釈の歪みという事件にぴったり一致する現象ではないかというのである。地域を超えて生じたこれらの現象は果たして偶然の一致なのか。

そこで研究者らは議論を進める。亀山氏の誤訳など問題ではない、問題なのはその誤訳のまま確認もせず出版した出版社の編集部であり、その商業主義である。流暢な亀山訳はそれだけで読み易く、それに世界の名著であるドスト作品というプレミアムが付けば売れるだろう。事実売れた。しかしその翻訳と解釈は歪められている。その歪みを読者は知らぬまま提供され信じてしまう、その責任を商業主義の出版社は負っていないと糾弾する。出版社のみならずメディアも政治も原発管理も「無責任が横行する現代社会」が日本だけでなく海外でも蔓延し始めている。20年前まで社会主義をやっていた、商業主義から最も遠かったロシアでさえ今こうなのだ。よりによってドストのホームでこの惨状なのである。(そしてこの惨状を明らかにしたのがドストを扱ったドラマだというところが寓話的世界に暮らすロシアの伝統なのである。)

更に研究者らが論じるところでは、一体亀山氏はどういうつもりでこうした「資料の浅い読み方」でなんでもかんでもリンクさせて安易な結論に導こうとするのであろうか、その真意を聞きたい。上述のAの資料について導き出された「安易な結論」とはドスト変態説だったのだが、別にドストが変態であってもなくても、一般に作家が変人であるのは珍しくもないし、三島由紀夫や『ロリータ』のナボコフを見よ、彼ら自身の変態性が作品の評価を下げたことはない。しかし「ドストは変態だったかもしれない」説を「変態だった」という確固たるものにするために資料を歪めて読んだり浅く拾ったりするのは言語道断だ。何の為にそんな事をするのか。カネの為か?金儲けのためでないとするなら、研究者としてドストを愛する者のすることがこれなのか?と疑問と怒りに燃えるのであった。

というわけで、連想力の活発な脳、リンク脳の醸す危険性の例でした。閲覧者の方々には、「無責任の横行する現代」という話は真面目に考えてほしいけど、亀山氏とロシア研究者の間の話はまあ「ふうん」くらいに考えて頂ければと思います。私は実際にその研究者の議論を配布資料と共に聞いていたし(半世紀以上ロシア文学と取っ組み合っている研究者の資料の読込みはハンパないです)、ロシア語も判るのでああなるほどと思える、つまり研究者側の説に説得力ありと見做しているが、もし本当に彼らと亀山氏のディスカッションが実現した場合、亀山氏がどう反論するか、その反論を聴いたらもしかしたら私の見方も変わるかもしれないので、結論は保留と致しましょう。
蛇足ですが宇宙人もまたこの連想力の活発な脳の小粒な持ち主なので、土星裏に掲載する私見はあくまで私見としてお読み下さい。賢き閲覧者の方々には言わずもがなでしょうが。
by hikada789 | 2012-11-27 11:59 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
No.317の続き。同じく『日本の文脈』の中で中沢新一氏は量子力学に触れ、とかく原因と結果の一致を論じたがる近代科学の中で異彩を放つ量子力学は、物事の変化の過程において原因も結果もひと通りではないとする。原因と結果を全て列挙しないと判断できないという考え方は、沢山並んだ数字が全て関係し合っているため1つが変化すると全てが変化を強いられるという思考を導き、これはマヤ先住民の訴えに全く一致するのである。この数字を全部並べたものを「マトリックス」と呼び、意味は「行列」。マトリックスというと映画にもなったから母胎や子宮といった意味を連想する人が多いだろうが、量子力学では行列だそうだ。母胎も行列も抽象概念としては同義であることはピンとこなくてはいけない。DNAの螺旋構造も列に連なった形である。ついでに宇宙人のホニャララ小説で取り上げたペルシャの音楽を形成する旋律群「ラディーフ」はペルシャ語で「列」という意味である。
ほらほら、どんどんと繋がってきましたよ。こうした連想を芋づる式と呼ぶのだろうが、ずばり芋づるそのものを抽象絵画に仕立てたオーストラリア先住民の画家がいたっけ。現地で何千年も食されてきたタロ芋が地下に網の目のように伸ばす根っこがこの世界のネットワークを表しているという姿そのままを巨大キャンバスに描き下ろした作品群が、数年前に来日していた。彼らアボリジニの文化は後から入植してきた西洋人によって虐げられてきた歴史を持つ。西洋人はタロ芋など食わない。

こうした連想がバババッと一瞬でつながるのが宇宙人の脳の特徴で、算命学的にこうした体質をもつ宿命を説明できるのだけれど(つまりそう珍しい体質ではない)ここでは論じないことにして、同じ体質でもっとグレードアップしているのが中沢新一氏である。いやもの凄い連想力で、感嘆するばかりだ。ところがこの能力、『日本の文脈』でも少し警告しているようにちょっと危なっかしいのだ。連想が一瞬で行われるのでその起点に遡って説明するのが難しく、その連想はその人個人の経験則で成立するので他者に当てはまるとは限らない、当てはまることを立証するための遡行説明が元々困難なので、傍目には単なる妄想や虚言に見えてしまうこと、それに惑わされた人が妄信的になって一種の新興宗教の信者みたいになってしまうことなど、いわゆる近代科学的論証過程を経ないルール違反の手法なので、いつの時代であっても思想の主流にはなりにくく、体制側の攻撃を受けやすい。「本人にしか判らないホニャララ話」に過ぎないと言われてもなかなか弁護しにくい。その論が正しいかどうかはおそらく永遠に不明で、しかし共感するかどうかは受け手の受容体の出来に掛かっている。私は中沢氏の連想力はかなり真実に迫っていると思う。

逆に危なっかしい例としては、最近土星裏でも偶然取り上げたがロシア文学研究者の亀山郁夫氏(No.297参照)。この人のドストエフスキーの新訳は狭いこの業界で議論を呼んでおり(一般社会ではまず誰も顧みないコアな事件)、やはり誤訳の件は大して重要ではないらしい。問題なのは彼一人ではなくロシアも、そして世界全体もおかしいぞという話につながっている点だ。
亀山氏の新訳は従来ロシア文学を読まなかった読者に幅広く支持されて読者層を広げたのでその功績だけでも大したものだと思う。しかし翻訳以外にも様々な研究成果を紹介してくれるその著書に宇宙人はしばしばお世話になっているうちに気付いたのだが、そういえばこの人も「連想力の人」である。例えばNo.309に挙げたタゴールの話も連想力が活かされていて、本当にタゴールがドストの英訳を読んだかどうかは誰にも判らないのだが、そういう事態もありえるなと聴講者は思いながら聴いていた。しかし当の業界人の怒りの声を聴くに、どうも亀山氏の連想力は上述の新興宗教的なレベルまで進行している懸念がある。もちろん彼はいかなる新興宗教にも携わっていないが、程度が度を越しているのだ。

というのは、彼はいろんな所から情報を集めて頭の中でシャッフルし、瞬間的ビビビッでひらめいた新しい説を開示してその論を更に先へ進めるというタイプの学者で、そのやり方は研究者としては間違ってはいないのだが、そのビビビッの連想で生まれた私説が、他の堅実な研究者の地道な「裏とり」作業によって簡単に覆ってしまうのだ。
私が得た資料によれば(あ、私はロシア研究者ではないので自分でウラは取っておりませんからその上でお読み下さい。ネットでは検索できます)、例えば亀山氏がAという19世紀の文学者の発言を取り上げ、そこからaという私説を導き出したが、別の研究者の調べではこのAの発言の前後を長く読めばaとは正反対のbの意味で話しているのが誰にも判るのに、亀山氏はそこだけを読んでa説を主張しており、これでは事実の歪曲だと抗議しているのである。
こんな説明では判りにくいと思うので興味のある方は宇宙人に直接訊いて下さい。いや実に深く長い話なのだが、要するに研究者は「aというしばしばスキャンダラスな説は読者の興味をそそるがそんなaを導き出すような資料としてのAは存在しない。まるで犯人を有罪にしたい検察のこじつけだ」と言いたいのだ。私がはじめに「世界全体もおかしいぞ」と言ったのはこの昨今の日本の検察の諸事件にも当てはまるが、ここでは話をロシアへ持っていこう。なぜならこの研究者は長年ロシアを観察しているのでここ数年のロシア社会もまたこうした傾向にあることを発見して、ことは日本の一研究者だけの話ではおさまらないグローバルな社会危機に警鐘を鳴らしているからである。(次回へ続く)
by hikada789 | 2012-11-25 18:28 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
依頼を受け、無料運勢鑑定「あなたの山水画」を掲載します。
------------------------
1977年11月9日生 女性の山水画
 庚 辛 丁
 午 亥 巳
冬の川は太陽に照らされ輝きながら流れ、大小の岩を洗っている。河岸には野火が燃えている。
【解釈】
大の岩のあなたはそのままでは荒々しいですが、火にくべて水で磨けば刀剣になる素質を備えています。水すなわち川は社会や家系を表し、あなたにとって生活環境は恵まれたものですが、あなた自身はそれをあまり実感できないようです。
刀剣を鍛える野火は両親、太陽は配偶者で、これらの人々はあなたを鍛え上げる宿命です。彼らをあなたは苦手に感じるかもしれませんが、あなたのためには良い影響になるので、我慢してストレスに耐えましょう。
小の岩は兄弟友人・子供を表しますが、あなたの個性の前で存在感が薄いです。金性と火性の多い宿命なので、唯一の川が人生のキーポイントになるでしょう。
by hikada789 | 2012-11-24 18:26 | 宇宙人の鑑定実績 | Comments(0)
内田氏の語る「交換と贈与の世界」は価値の比重を問題視せず、それどころか交換物の価値が等価でないことが望ましいとする。なぜなら互いが互いの持ち物を交換して帳尻が合うと事態は完結し持続性を失うからだ。帳尻が合わない方が次の可能性を残し、連鎖的に物事を活性化・発展させる。現に世界はそうやって歴史を繋いできたという見方だ。次の可能性というのは、次こそは帳尻を合わせようとする意欲かもしれない。人間は意識的には帳尻が合っている方が安心し、そうなるように努力しているのかもしれないが、実情としてはどこにも等価交換は存在しないので、結果的に人は損得に一喜一憂する悲しい生物のままであり、その悲しい状態は本質的には喜ばしい状態なのである。

宇宙人は自分と異なる意見を目の敵にしてわざわざ長く引き合いに出してまで非難する趣味はないので、こうして記載するのは大いに賛同しているからなのだが、賢い閲覧者はアレ、算命学の等価交換理論と矛盾するではないかと思われるかもしれない。いえ、矛盾しておりません。算命学では確かにこの世の陰陽は5対5で総量10は変わらないと唱えておりますが、その陰陽の散らばり具合は人間の捉え得るものではなく、ある所にはかたまって、ある所にはスカスカに分布している。つまりムラだらけ。斑の卵である地球の一点だけをフォーカスするならそこの陰陽のバランスはまず崩れている。5対5の場所など見つける方が困難だ。しかし地球全体の総量は5対5に変わりない。内田氏の言う帳尻の合わない交換作業はまさしく算命学の陰陽拮抗論と同じで、そうした陰陽のアンバランスこそが人間の欲望を掻き立てたり大事なものを守らせたり、学んだり教えたり、作ったり壊したり、裏切ったり謝ったりといった、その辺にどこにでもある人類の歴史の一幕を形づくっているのである。陰陽が随所完璧に拮抗した世界には人間の暮らす余地はなく、人は絵画のように街や森の中に静止してどこにも活動はなくなるのではないか。

水や空気が手を加えなくても対流するように、人の営みや感性も常に流動し、他と交換つまり対流して移動している。隣の席が空くとそちらへ座り、空いた元の席にはまた別の人がというように延々と移動が続いている。だから今の席は借り物であり、次に座る人のために疵をつけたり壊したりしないよう心掛ける。これが人類がややセンチメンタルに語りたがる未来への橋渡しというやつだが、実際には壊れる椅子もあれば風化する椅子もある。それを嘆く人もいれば気付かず通り過ぎる人もいるし、はりきって新作する人もいる。そこでは人間が定めたがる善悪の基準がいまひとつはっきりしない。だから算命学は最初から善悪を論じないのである。

とはいえ、宇宙人は最近マヤ文明の末裔の悲惨な現状を描いた映画を観たばかりだ。『マヤ~天の心、地の心』は社会派映画御用達の渋谷UPLINKで上映中です。中米グアテマラの山林で細々と暮らすマヤ系先住民は、地元に金鉱が発見されると政府や企業が乱暴に開発し、環境汚染で生活が脅かされ、訴えようにも少数民族であることからマジョリティーの差別を受けて取り合ってもらえない。大昔から栽培してきたトウモロコシは米国の廉価な遺伝子組換えトウモロコシに市場を奪われ、当地の天然トウモロコシは絶滅に向かっている。スペイン語で教育を受ける彼らは「侵略者はスペイン人だけではない。他にも沢山いる。白人たちは…」と白人社会の価値観に物申している。「白人たちは人や木や水を全部分かれて(セパレート)いるものとして考えている。全部つながっているのに彼らはどうして判らない?」その要素の一つでも欠ければ他の要素は生きていけないのだ。
白人でない日本人にはこの感覚はすんなり理解できるだろうし、ここにも不断の対流連鎖の思想が現れているのだが、地球上の陰陽は半分に分かれているので、半分の人間は永久に理解できないのかもしれない。
by hikada789 | 2012-11-22 16:05 | 算命学の仕組 | Comments(0)
「芸術の歩みは印象派で止まった。その直後に商取引の時代が始まり、科学と金儲けと社会問題に乗っ取られた」と小説の中で語っているのはアンリ・トロワイヤ。フランス文学界の重鎮だが、この人は子供時代にロシア革命で亡命してきたロシア生まれのロシア人だそうだ。本名レフ・タラソフ。ロシアの歴史上の偉人の伝記を多く記して日本でも翻訳が出回っているが本業は小説家であり、私のお気に入りの多言語翻訳家、小笠原豊樹が華麗な文体で伝記ではなく小説の方を幾つか翻訳している。トロワイヤの視点はほぼ完全にフランス人のものだが、時折見せる女性的感性にロシア文学の係累に見られる要素が感じられて好感を覚える。しかしこの人の作品がロシア文学と決定的に違うところは、わき役の扱いだ。ストーリーの展開上どうしてもこの役が必要だが役目が終われば用無しとばかり、わき役をゴミみたいに排除する。主人公たちの人生が重要であり語られるべきで、そこにわき役の人生の説明は必要ない。そんなシーンがいっぱいあり、宇宙人はちょっと鼻白む。
ドストエフスキーにせよ誰にせよ、ロシア文学はわき役にも人生があることを忘れない。生き物を殺して喜ぶ性格異常者の人生にさえ見るべき論じるべき点はあまたあり、わき役が醜悪であってもちょい役であっても作家の筆圧が緩むことはない。これがヨーロッパの中心の文化と辺境もしくはアジアの一部とされるロシアの文化の融和しがたい相違点なのだ。私は若い頃はフランス文学が好きだったが、最近あまり感心しないのはこうした局部主義というか、全体で一つの完成形だという巨視的宇宙観の欠如が物足りないからだ。三角にピシリと切られてラッピングされたショートケーキが本来は円いホールケーキだったことを知らないままケーキを食う子供。そんなイメージである。無論ロシア文学に対する批判は逆のものになる。冗長で余分なものが多い。ホールのままナイフも入れずにケーキが食えるか。

フランスとロシアでさえこんなに遠いのに、極東の日本なんてどれだけかけ離れていてもおかしくない。そんなワンダーランド日本が世界の常識を覆す可能性をだべり語る『日本の文脈』では、「男のおばさん」を自認する内田樹と中沢新一が欧米知識人には耐えられないグニャグニャの思考で新しい世界の尺度を楽しく提示してくれている。
冒頭に挙げたように現代社会は物質消費社会で、生産と労働、市場と販売、需要と供給、富と貧困が計りに乗って釣り合っている、釣り合うべき、と考える「割り切れる」世界であるが、人の世は実際には割り切れないもので満ち溢れているのでこの方式は行き詰まるのが必然である。今日の社会諸相を見れば誰の目にも明らかなのである。合気道と能で日本独自の身体感覚を追求する内田氏は、チベット・ヨガで心身一体の哲学を学んだ中沢氏を相手に「交換と贈与でできたこの世界」を論じる。

人間はキャッチボールをする時何も生産していないにも拘わらず飽きもせず続けることができる。しかし相手がいないと続けることはできない。ボールを投げ受けする相手がいることに喜び、感謝する生物だという。つまり交換することに価値があり、その交換物が何であるかや価値が等しいかは問題ではない。貨幣経済以前の物々交換の時代、初めて見る品に対してそれがどれほどの利用価値や交換価値があるか判らない、説明もない、そんな場合に人類はとりあえず有難くもらって村に持ち帰った。価値が判らずずっと放置されていたがある日突然誰かが利用方法を考えついて利便性が証明され、今までのがらくたが一転して重宝される。そこに感謝が生まれる。それは農作物の収穫に似ている。種を蒔いて水をやっただけの畑に次の一年を生きるだけの作物が実る。人類は大地と自然の贈り物に感謝する。豊穣があまりに大きいのでその労働と成果の価値は等しくないように見える。だからこれは天からの贈与なのである。海老で鯛を釣ったが、誰かが損をしているだろうか。そもそも損得の基準はあるのだろうか。

現代人は何もかもに値段をつけて、結婚相手を選ぶのにも収入額で優劣をつけたりするが、それは本来の交換・贈与の生態系から外れているので、人心も社会もバランスを失って病んでしまったのだ。こんな話が語られております。なるほど、男性原理で論を進める欧米では出てこない発想です。内田氏と中沢氏は東大の学部の違う同期生で、当時の学生や研究者の王道から逸脱して永らく変人扱いされてきたが、今日では日本人の思考の特殊性を的確に評価し発展させる先端思想家である。両名ともおばさんが語る愚痴じみただらだら喋りの中から真理を導き出す手法で、中心にカチッとしたもののない空洞構造の日本文化に今日の社会の閉塞感を打破する手掛かりを見出している。両者は考え方がとてもよく似ているので、対談という形式のこの本ではどちらが喋っている意見なのか見分けがつきにくいほど。彼らはフランス国籍のユダヤ人思想家にそれぞれ影響を受けつつ、一方で武道やら能やらヨガやらアジアの身体論を実際に体で体得しているのが特徴で、他の思想家にない独自の見解を現在進行形で展開している。宇宙人も合気道と能をやるので話はよく判るのだ。
by hikada789 | 2012-11-20 16:52 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
キリスト教以前の土着信仰が語るヨーロッパの寓話世界が東洋のそれと異なる顕著な点として、女性の価値としての美しさ・若さの比重が大きいことがある。美しい娘は善である、というお約束が、醜い娘イコール醜い心の持ち主、年増の継母は美も盛りを過ぎて下降する一方で、しかも心まで醜い、という明快な二元論を支えている。日本では外見は悪くとも心は錦という言葉があるくらいブサイクを擁護する伝統があり、人は見かけによらないとか、美の基準は千差万別とかいって1か0かという二分論を戒める文化を今日もなんとか保持している。なんとか、と但書をつけるのは現代社会が若作りの女性を持て囃す傾向が著しいからだが、これも産業界の宣伝に乗せられているだけなのかもしれない。大多数の賢い女性はこんな社会風潮に流されたりせず、触るのもばっちいような昨今のてんこもりメイクを苦々しく眺めているのかもしれない。

以前、レーピンが老トルストイにあちこち戸外を引き回されて「10歳も若返った気分だ」と語ったことを書いたが、気分の若返りというのであれば宇宙人も賛同するのにやぶさかではない。外見より中身です。要は脳が活動的であるということ。化粧の厚塗りが脳を活性化することはない。新しいことにチャレンジするか、これまでの経験や知識をこねくり回して新たな考えを創造するかして、脳の新陳代謝を上げるのが若さの秘訣である。同様に身体も、いつも使わない部位を動かすことを心掛けると血行も代謝率も上がります。いくら激しい運動をしても、同じ動作の繰り返しでは効果は期待できません。

たまには整体師らしい話題もと思い、医学の話。ぎんさんの娘たちが元気でボケない理由は「毎日姉妹とおしゃべりし、人の悪口ばかり言って笑って暮らしているから」だそうだ。悪口はいただけないがそれが明るい笑いになるなら可です。自分をネタにした笑い話ならなお罪がない。笑いが人類をボケから救う。ボケると皆が笑っている内容さえキャッチできない。ジョークで一同が笑っている場で、あなたは笑いが一拍遅れたりしていませんか。これは危険信号です。頭の回転速度は笑いの感知度に比例します。もっとも、宇宙人は昔から笑い出すのが皆より一瞬早く、フライングするのが常なのだが、これは回転速度が速すぎるせいです。話が終わらないうちにもうオチが見えるのでそれを先んじて笑ってしまう。こういう人は時々いるし、算命学的に判定することもできるので、興味のある方は鑑定をご依頼下さい。もちろん有料よ。営業営業。

医学の話ね。免疫学の医師が講演で免疫力アップの方法を開示してくれた。先程挙げた「激しい運動」、これは免疫力を著しく下げることがわかっている。トップクラスのアスリートは激しい練習やパフォーマンスの最中は免疫力が異常に高いが、それを終えた瞬間、普通の病人よりも低いレベルに一気に下降するので、その時にウィルス等に感染するとたちまち発症して命を落とす事もある。死なないまでもしょっちゅう風邪をひいているのがアスリートだそうだ。彼らはトレーニングのしすぎで免疫力が低いのだ。世の親御さん、子供にスポーツの才能を見出してせっせとお金も時間も掛けて育成するのは、子供の寿命を縮める行為ですよ。無論、更にお金と手間を掛ければ高度の医療を受けられて寿命を平均値にまで引き上げることも可能かもしれないが、その場合でも不毛な作業をしている感が拭えません。
なぜ激しい運動が免疫力を下げるかというと、原因はずばりストレス。つまり運動はストレスに感じない程度の笑ってできる楽しい範囲が良質な運動なのであり、健康増進につながる運動なのである。免疫力はプラシーボ効果も関与しているように精神面の作用が大きいので、苦痛を伴う運動は、たとえ好記録や勝利で喜びを得る要素があるとしても、競技会で一番になる人はごくわずかの人間なのだから、ほとんどは報われないのである。報われない不満感が免疫力を下げるのだ。オリンピックで活躍する選手の栄光の陰で、どれだけの敗者が泣き、寿命を縮めていることだろう。アスリートの皆さん、栄光と命と、あなたはどちらを優先しますか。

この講演者、70過ぎの老齢にも拘わらず精力の漲った男性で、ストレスなく楽しく汗をかける運動は例えば何でしょうとの司会のフリに対し「一番いいのはセックスです」と豪語して会場を笑わせていた。彼の名誉のためにもっとまじめな医学的話題を語ると、免疫力を最も下げるストレスは「苦しい」ストレスではなく「悲しい」ストレスだそうだ。子育て中の母親(ラットやマウス)から子供を取り上げると悲しみのあまり母親の免疫力は急降下し、更に近くにいる無関係の大人の実験体の免疫力まで下げる威力があるという。「もらいストレス」なのだ。悲しみのオーラは伝染するのである。「だからお子さんを亡くされたお母さんを慰めようと近寄るとこっちまで病気になってしまうので、しばらく放っておくのがいいんです」とブラック医師は陽気に語るのであった。
皆さん、寒い季節になってきましたから、風邪予防に免疫力を高めましょう。食品としてはヨーグルト等の乳製品が免疫力を高めることが医学的に証明されているそうです。
by hikada789 | 2012-11-18 17:31 | 整体の仕組と健康 | Comments(0)
『眠れる森の美女』(原題『いばら姫』)も歪められた認識で普及してしまっている。王子のキスで目覚めたというのは実は偶然の出来事で、原話によれば、13番目の賢女(後に魔女とされる)に呪いをかけられた王女は、12番目の賢女によって呪いの続きを予言される。それは王女が呪いに従い15歳の年に死ぬのではなく、ただ眠りにつくだけであり、その眠りは100年後に覚めるというものだ。実際に15歳で眠りについた王女は、どういうわけか王女だけでなく城中の全生物も道連れにして眠り続け、いばらの繁った深い森が城への侵入者を阻むのだが、ちょうど100年経った日にたまたま王子が城へ赴くと、魔女の呪いが自然に解けていばらもほどけ、すんなりと王女の所へ到達でき、おそらくキスしなくても王女は目覚めたのだが、一応「愛の力」とやらで目覚めた格好にしているのが現代の普及版である。
しかしディズニーはアメリカ式勧善懲悪なので王子のキスは絶対必要だ。だって王子が来ても来なくても王女は勝手に目覚めたなんて、アメリカ式資本主義で育って国のために働く米国男児の存在意義を揺さぶってしまうではないか。しかし哀しいかな、男が英雄であってもなくても、それどころかいてもいなくても、女はお構いなしに勝手に生きていけるのである。これが真実なのである。

グリム童話は本当はここのところを言いたかったのだ。なぜならこれらの昔話はキリスト教普及以前に成立した土着信仰に基づく寓話で、そこにはドイツが本来持っていた地母神信仰や自然崇拝などのアニミズム世界があり、必ずしもキリスト教的人間愛や道徳観が介在していない。善と悪はあるが分明は不明瞭で、魔女や悪魔といった明確な悪は存在しない。13番目の賢女は魔女ではなく、「欄外」の神である。王女の誕生の祝いに招かれたのは12人の賢女で、これは12カ月や12宮を表す世界の完成した形であり、13番目の数字の入る余地はない。それなのにうっかり現れた13番目の賢女は、講師によれば地母神そのものであり、他の12の賢女とは格が違うので王女に強力な呪いをかけることができた。どうして呼ばれもしない地母神が現れたのか寓話は理由を説明していないが、理由が人間にはわからないというところもまた、この世の不可視の世界の条理なのである。
ともあれ11番目の賢女の祝福の後に割り込んだ13番目の賢女の呪いを解く力は、12番目の賢女にはなく、「15歳の年に死ぬだろう」という呪いの直球を「死ぬのではなく100年間眠るだけだ」と変化球にすることしかできない。地母神には敵わない12番目の賢女の能力の限界である。しかし地母神もこの後更に呪いを上乗せしようとする執念は見せず、何もしないで帰ってしまう。一体何しに来たのやら?そして15年後に王女は城ごと眠りに就き、100年後に呪いが解けて自然に目覚める。たまたま王子が居合わせたので彼の手柄として二人は結婚するが、王子の存在はこの呪い物語には全然必要なく、ただ神々のイタズラによる「異常な事態」から王女が「尋常の世界」に戻った象徴として描かれるにすぎない。この時代、男子に求められる英雄性は存在しないのである。

講師の解説によれば、キリスト教以前のドイツには、村の若い男を一人選んで生贄とまではいわないまでもトリカブトなどの危険な薬物を塗るか服用させて、魂をあちらの世界へ旅させる風習があったという。この儀式の後で無事にあちらの世界から生還した若者は特別な力を授かったとされ、豊作や戦さでの勝利を約束する存在として重宝されたらしい。この習俗がいばら姫のエンディングにおける王子の登場に影響しているのかもしれないが、いずれにしてもキスという愛の力はこの時代は何の効力もなく、その後のキリスト教と騎士道が男たちを慰め鼓舞するために用意した付け足しだったのである。
唐突にグリム童話の話が続いたと思っている方、だめですよ、ちゃんと土星裏ブログの一貫したテーマに沿っているでしょ。12という数字が完全を意味するというのは算命学にも共通ですし、善と悪、すなわち陰陽の境界が不明瞭であること、この世の理が人知や道徳観を超えるものであることもピンと来ないといけません。キリスト教がもみ消した土着信仰はどうやら万国共通の根を持っており、今日の行き詰った世界の価値観にヒントを与えるものです。こういうラジオを偶然聴いていると、どういうわけかその種の書籍や情報が手元に転がり込んでくる。いずれ内田樹氏と中沢新一氏の対談本を紹介しましょう。人類の営みは「等価交換」ではなく「等価かどうか永遠にわからない故に継続するのだ」というユニークな発想を展開しております。宇宙人、秋の読書中。
by hikada789 | 2012-11-15 15:06 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
童話といえば、カルチャーラジオがグリム童話の講座を流していて、宇宙人は傾聴している。「本当は怖いグリム童話」のシリーズがヒットしたのは数年前だが、その内容は世間に何となく広まったので、宇宙人は読んだことはないが何となく知っていた。しかしドイツ語をよく知る講師の先生はこの「本当は怖い」の内容をやんわりした口調で批判する。童話本編の裏をかくような大人の穿った読み方を提示するのが「本当は怖い」の手法なのだが、先生はそうした読み方はドイツの歴史と思想を知悉していない浅はかな人間の読み方だと柔らかくもバッサリ。
グリム兄弟が童話を編纂した19世紀初頭のドイツは度重なる戦争や飢饉で国土が廃れ、人心も荒み、キリスト教的道徳が何とか状況を打開しようと喘いでいた時期なので、勧善懲悪の物語はそれ自体が勧善懲悪でなければ成立しないお約束事なのだそうだ。なぜなら世間には既に悪が溢れており、「本当は怖い」のように勧善懲悪を裏返して「善」を疑うという面倒な行為などする必要がないほど、悪だらけだったからだという。うーん、当時のドイツ、どんなモラル状態だったんだ。
なのでヘンデルとグレーテルは100%善良で不幸な、救われるべき幼い兄妹なのであり、その母は天罰の象徴として必ず死なねばならず、ホレおばさんの「善い娘」は必ず美人で気立てが良く働き者であり、「悪い娘」はブスでケチで怠け者でなければならず、白雪姫は心が清らかであることを示すため究極の美白娘であることが譲れない条件なのだった。善は美しく、悪は醜いという明確な対立構造が、グリム童話の世界の屋台骨なのだった。

白雪姫といえば7人の小人だが、原話によればこの小人たちは強盗や殺人などの犯罪者集団、つまり極悪盗賊団のようなグループだったそうだ。しかし白雪があまりに心清らかなので7人はほだされて改心し、継母に追放された白雪を助けるようになる。どうやらこの「改心」という辺りが本来のポイントらしい。その後白雪は毒リンゴに倒れるが、原話では仮死状態の白雪を見そめた王子がどこへいくにも白雪の入った棺を苦力に運ばせたため、苦力が腹を立てて棺を蹴ったところ、はずみで毒リンゴが喉から飛び出し、白雪は蘇生する。なんとも色気のないハッピーエンドである。勿論こんな結末では庶民は納得しない。ディズニーは商魂を逞しくしてこの結末を排除し、「眠れる森の美女」と同じ王子のキスによる蘇生話を白雪姫にもコピペした。だから「白雪姫」と「眠れる森の美女」はエンディングがかぶっているのだが、それはディズニーの企業努力の賜物なのだった。
この企業努力はついでに7人の悪党をも善良な小人に変えた。初めから善良な7人は改心する必要がなくなり、善はいつも善、悪は永久に悪という、アメリカ式勧善懲悪の出来上がりである。こんなディズニー映画で育った子供たちは、自国の正義を信じて見知らぬ土地の戦場に遣られ、悪と信じる悪を討ち、人生を台無しにするのであった。本当に怖いグリム童話なのだった。
by hikada789 | 2012-11-11 20:06 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
埴谷雄高がエッセイで、ドストエフスキーなり何なり自分に何十年も深く洞察することを強いた名著を、大して考えもしないで暮らしてる奴に「俺もそれを読んだ」と言われると猛烈に腹が立つ、というようなことを書いている。「お前みたいなうすっぺたい奴に何がわかる。どうせ表紙と文字を眺めていただけだろうが。そんなのは読んだうちに入らん。すっこんでろ」というわけだ。こんな乱暴な文章ではなかったが、宇宙人は爆笑し、喝采した。私もうすっぺらな奴にロシア文学愛読してますなんて言われると、「そこから君は何を汲み取ったのかね、端的に述べてみよ」と意地悪く追究してその読書姿勢の浅薄さを暴露したくなるのだ。
別にロシア文学でなくても「あ、それ私知ってる」と会話に割り込んできて、その実、どう知っているかとかどういう影響を受けたとかこういう意見を持つに至ったとか、具体的に語るものもなく、その話し振りやひいては人格からそいつがその読書によってなんらの向上も意識改革も果たしていないことが知れる場合、そんな本の眺め読みをしている奴に「読みました」という権利や他人の会話に割り込む資格があるものかと、宇宙人が結構露骨に嫌な顔をするのを、近くにいる人は見たことがあるだろう。宇宙人は長年地球人のフリをして暮らしてきたので演技力はある方だが、こうした場面では本音を隠さず態度で示したり、はっきり本心を告げて、つまり面罵して、相手を泣かせたり恨みを買ったりすることがしばしばある。心配してくれる友人にこうした野蛮な行為を諫められたりもする。しかし『サーニン』の主人公なんか20世紀初頭のロシアでばんばんこれをやって周囲を凍りつかせているので、宇宙人はまだまだだと思うのだ。無論サーニンはフィクションだが、著者の思想とそれに影響された多くの当時の読者との関係や、社会の既成概念に対する挑戦を、宇宙人は夜空を見上げるように憧れの眼差しで眺めるのであった。

既成概念を打ち破るが文学的でない本を読んだ。『マッチポンプ売りの少女』は去年出版された絵本仕様の図書で、マッチポンプというのはマッチで放火しておきながらポンプの水で消火する、自作自演という意味だそうだ。現代社会の商業活動においてどれほど自作自演で不当に儲け、善良な市民から金を吸い取る輩というか仕組みがあるかを暴露した、マネー渡世の危険マップである。こんなタイトルにしているのは、前作『ヘッテルとフエーテル 本当に残酷なマネー版グリム童話』の続編だからだそうで、『ヘッテル…』はその年の「日本タイトルだけ大賞」とかいう賞を受賞したらしい。
『マッチポンプ』ではその当時話題になった水〇ヒロの小説の受賞を主宰者のコブラ社(と伏字にしてある)の自作自演であると説明したり、女性誌が提唱する今年の流行ファッションが去年と全く違ったものになるのは、去年の服はもうダサいと思わせて今年限りの新しい服を、自分に似合う服も判らぬ女達に買わせるためだとか、空き家が40万戸もあると言われる東京で新築マンションが増えるのは、建設会社と管理会社が結託してマンションを比較的安く売り、その後管理費を吊り上げて恒久的に儲けるためだとか、読めば読むほど笑えないブラックなマネー裏話をいくつも提示してくれている。平和な国ニッポン、恐ろしい国です。
表紙に「ホリエモン推奨」とあるので腰帯かと思ったら表紙に印刷されていた、思い切った装丁本でもある。1時間程度で読み終わる分量だけど、あまりに刺激的な内容なのでゆっくり読むのがお勧めです。いや、こんな本を読むともう何も買えなくなる。奇しくも最近またシンドラー社のエレベーターが事故を起こしたけど、数年前の同社の事故のお蔭でマンションのメンテナンス意識が高まり、必要のない回数の点検や修理でまた管理会社がボロ儲けしたという話も載っており、数年前の事故の後で同社が倒産せず今日まで営業していたことにさえ驚いたのに、まさか管理会社組合からワイロでももらって生き延びたのではあるまいなと疑念を抱きたくなる。
文学などかったるいとお思いの方には、こちらの本で価値観の一新をお楽しみ下さい。
by hikada789 | 2012-11-10 00:54 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)