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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

<   2013年 03月 ( 17 )   > この月の画像一覧

「母さん、やめて!相手はヤクザよ」
「ヤクザが何よ。母さんは陸軍よ!」
これは漫画家・獣木野生が伸たまきの筆名だった頃に発表した『青また青』という作品の名台詞である。ヤクザである別れた夫の嫌がらせを受けた娘のために、陸軍勤務の勇ましい母が腕まくりして立ち上がるシーンだ。舞台は米国なのでヤクザという表現が当たっているのか不明だが、要するに国によってはマフィアより国家権力の方が遥かに怖いということがよく判る台詞だ。
日本の場合、国防軍である自衛隊は先の戦争の後遺症により軍服姿で堂々と道を歩くことを自粛しており、駐留の米軍兵士は不祥事ばかり起こしているのでこれまた堂々と一般市街地を歩けない。ゆえに日常的に軍関係者を見かけることは基地周辺でもなければ皆無に近い。こういう環境だと自国の軍人や兵士に対する感覚がおぼろげになり、相対的に暴力団の方が身近で怖い印象が根付くのだが、これは世界のスタンダードではない。暴力団がいくら武装しても戦車を運転したり戦闘機を飛ばしたりすることはできない。一番の暴力集団は軍隊なのである。

もっとも、以前暴対法関係で行き過ぎの取締を批判的に述べたことがあるが、宇宙人は東京の人間なので、暴力団の元気な福岡等の西日本の事情やその恐ろしさは更に感覚が疎い。東京にだって歌舞伎町など危険な街はあるにはあるが、今日あの街で起こる小競り合いは、秋葉原の交差点や地下鉄で遭遇するかもしれない無差別襲撃事件よりよほど穏当だ。東京はすっかりきれいで安全になったが、これまた世界のスタンダードではない。

桜もそろそろ散り始めた平和ボケの日本だが、市街地における平和ボケ自体は私は大いに結構だと思っている。治安維持のために無駄な資金や労力・緊張を注ぎ込まなくて済むからだ。ロシア・コスミズムも提唱するように、無駄な破壊や殺戮に使うエネルギーをもっと建設的な開発事業に投入すれば人類は豊かさを享受できるのだ。
しかし歴史はそうはならなかった。コスミズムに部類される一人、ヴェルナーツキーはスターリン体制による監視政策や密告糾弾奨励を「社会の暴力的退化」として批判し、身を危険に曝している。退化と呼ぶからにはそれ以前のソ連社会は「平和ボケ」気味だったようである。まともな社会は暴力的社会から眺めると「平和ボケ」に見えるのだ。だから現在の日本の平和ボケは根本的には良い事なのである。世界のスタンダードがいつも正しいとは限らない。ガラパゴス万歳。

問題なのは平和に慣れると戦い方を忘れるということだ。勇敢ささえ称えられなくなると人間は惰弱化する。そんな時に暴力的社会の住民から戦いを挑まれるとすぐに負けるか降参してしまう。ゴメンで許してくれるのは日本社会の美徳であるが、あこぎな世間は降参すると何らかの代償を要求する。その要求が受け入れられないなら戦わねばならぬ。そのためには平和に慣れても戦い方を忘れずにいなければならぬ。
というわけで宇宙人は武道家をやっているのだ。要するに嫌なことを受け入れたくない場合のための護身術である。護身が目的ならわざわざ肉体を鍛えなくとも国家権力の側に就けばよいと考える人もあろうが、宇宙人は運勢上、社会の庇護を受けにくいのでこのような防衛手段に頼るのである。(あなたが社会の庇護を受けにくいかどうかは運勢鑑定をご依頼下さい。営業でした。)

もっとも、最近の暴力はネット上のものの方が遥かに強力で重篤なので、いっそ日本国民は学校で柔道なんか教えるよりハッキング・テクニックを必修で学ばせた方が時代に合っているとうそぶく学者もいる。外国から戦争を仄めかされたら一億の国民全員でハッカーになって反撃しようというわけだ。恐ろしい絵だがそれが自己防衛として有効ならありだと思う。
しかし柔道にしろハッキングにしろ、下手に技術があると悪用される懸念があるから、何といっても最初に教育を徹底してほしいのは道徳である。暴力はいつだって使う側の心根に掛かっている。根性の正しい人間が保持する暴力は理不尽な暴力を抑制する。暴力が悪いのではない。曲がった根性が悪いのだ。
by hikada789 | 2013-03-31 18:00 | その他 | Comments(0)
No.377に関連して。ギリシャの経済危機がどうにか回避されて暫く経ったら、今度はキプロスがおかしくなった。ここ数日報道されているので皆さんもご存知とは思うが、納得いかないカネの巡りの一例として採り上げてみる。
宇宙人がモスクワで労働をしていたのはエリツィン時代だが、当時資本主義に鞍替えしたばかりのロシアで独り勝ちしていたのは政商と呼ばれる新興財閥であった。先週ロンドンで自殺したベレゾフスキーや今も獄中にいるホドルコフスキーなどがその例で、当時の国家経済を左右したイケイケドンドンのメガ企業家であり、宇宙人も新聞翻訳の仕事で毎日お目にかかっていた名前なので聞くのも懐かしい面々である。今まっとうな生活を送っている人が見当たらないのが気になるが、彼らはエリツィンの次の時代に登場したプーチンにより表舞台から駆逐された。プーチンは彼らより上手だったのである。

彼らの転落人生はともかく、社会主義をやめた直後のロシアでは国民の大部分が不慣れな市場経済に翻弄されて生活苦に喘ぐ一方、一部の商才の持ち主がここぞとばかり活躍して大儲けし、しかし儲けた金を国内の銀行に置いておくのはあまりに危険なので(ロシアとはそういう国である。政府がギャングみたいに国民の財産を横領するのだ)、資産は国外に逃亡させた。当時から人気があったのはキプロスの銀行だ。税金面での優遇制度があり、預けた金が目減りする心配がなく、何よりマフィア絡みの汚い金もきれいに洗浄してくれるというサービスが魅力だった。
宇宙人がロシアにいた頃からキプロスは経済用語として普及していたので本当に懐かしいのだが、当時はキプロスなどという小さな島国がなぜロシア財界人にこんなにも持て囃されるのか不思議だった。イスラムが専門の宇宙人はこの細長い島がかつてオスマン帝国の領土であり、島の北部はトルコ人、南部はギリシャ人という民族構成で、両者は仲が悪く事実上分断統治されていることを知っていたからだ。特にトルコ系の北側は近代化が遅れて貧しく、めぼしい産業もないので金融などというスピード感が勝負の世界でやっていけるような先進的な島とは思えなかった。
宇宙人は経済には疎いが、人口の小さな島国が大量の資金を外国から集めて何をするつもりかは知らなくとも、そんなやりくりで膨らんだ国家財政がひとたび危機に直面すれば自力で立ち直れないということぐらいは直感的に判る。実質経済が弱いのだから当然だ。今回のキプロス危機を聞いて「ホラ、やっぱりね。火遊びするからだ」と頷いたのだが、経済の専門家はこの事態をエリツィン時代に遡って予期できていただろうか。

今回の事態で本当に気の毒なのはドイツ人である。全然関係なさそうなドイツがなぜと思われるかもしれないが、からくりはこうだ。
ソ連崩壊後のロシアで大儲けしたロシア人の中には胡散臭い手段で濡れ手に粟式に巨万の富を手にした輩も多く、要するにヤバい金をきれいに洗浄して保管してくれる場所を探し求め、キプロスの銀行に辿り着いた。キプロスはその預かった大金で同胞国家であるギリシャの国債を買った。当時ギリシャはアテネ五輪を控えるなどして好景気に沸いており、去年のようなデフォルトなど誰も予測できなかった。しかし五輪を終えるとギリシャ経済は急速に減退、そもそもの低い労働意欲に五輪景気の反動が拍車をかけ、更に2008年のリーマンショックで致命傷を受けて完全にノックアウト。ユーロ圏だったのでユーロ諸国の資金援助を受けて現在治療中だが、ユーロの最優良国はドイツなので、ドイツ人はキリギリスなギリシャ人の救済に自分たちの稼ぎが使われることに釈然としない。ユーロという共有通貨を守るためにしぶしぶ怠け者のギリシャを援助しているのが実情だ。
それが今度はキプロスの番である。キプロスが怠け者かどうかはともかく、国家GDPの8倍にも上る分不相応の巨額の資金を集めておかしな買い物をし、買ったものの価値がなくなったので助けてくれという。助けてやる場合、渡した資金はキプロス銀行の預金者、つまりロシアのマフィア絡み企業(中にはまともな企業も混じってます)に戻される。つまりドイツ人のまじめな稼ぎが今度はヤクザ救済に使われるのである。こりゃ腹も立つわ。

私はドイツの歴史は世界史の教科書レベルまでしか知らないが、あの国の国民のまじめさは歴史的にいつも誰かに利用・悪用される運命のように見える。そしてそれが嵩じて我慢も限界に達するとヒトラーのような男が現れて逆襲を開始する。まじめな人ほどキレると怖い。ユーロ圏のキリギリスたち、ドイツ人に甘えていると後でえらい目に遭いますよ。
ともあれドイツ人が今回のキプロス救済に金を出したくないのに出さざるを得ない悔しさは、常識的に理解できます。ドイツ人だって本当にまじめに働いてきた人が困っていたら助けるのはやぶさかでないだろうが、そうでない人やマフィアの救済などしたくなかろうし、これを誰かが責めるのもおかしい。そもそもこれはおかしなカネの巡りなのである。おかしなカネの巡りは類は友を呼び、同じような輩が寄り集まって連鎖する。その連鎖を辿りそもそもの開始は誰かと突き詰めれば、あらら、ロシアに行きついた。元凶をロシアン・マフィアとするべきか、それともマフィアより怖いロシアの大統領とするべきか。

宇宙人がロシア文化の愛好者なのでロシアを好意的に紹介した記事ばかり読んだ読者は誤解されているかもしれないので、ここらではっきりさせておきます。ロシア人は芸術や思想が得意で人間臭く、可愛いところがあるけれど、ロシアは国家としては今も昔も恐ろしい強権国であります。ロシア人個人が人類に対して与える恩恵と同程度に、国家が多大な不幸を与えている、そういう国なのです。実によくバランスがとれているのです。
by hikada789 | 2013-03-29 12:57 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
算命学余話の購読、毎度ありがとうございます。昨日のアップで5回目ですが、読まれた方にはお判りの通り、余話は算命学の基礎理論から派生した鑑定技術がどういう理屈でこうなのかということを辿る形態の読み物です。なので算命学の熟練者なら今更読む必要もない、しかし勉強中の人には思考方法の手掛かりとなる基本的な薀蓄話なのですが、先日図書館で算命学の市販の入門書を幾つか開いたところ、こうした理論過程はすっとばしていきなり結果だけを載せたものが多いことが判った。これだと結果を丸暗記しなければ鑑定できず、その先の運勢を発展させて読み進めることもできない。

算命学はもとより占いというより思想なので、数学のように基礎公式から積み上げて次第に複雑な理論が構築されている。丸暗記はほんの少しで足り、後は自然思想に則って自分で考えれば自ずと回答が見えてくる仕組みなのです。どうも市販の入門書はその点を疎かにしているか、或いは読者が結果しか重視しないとタカをくくっているようだ。年末に世間に出回る占い本が一年の効用しかないからそういう趣旨になるのかもしれないが、算命学は理詰めの学問なので、原因と結果の間の道のりは小うるさいくらいあり、その理屈は日常にありふれた無理のないものです。

算命学余話は上記のような一時的な読み捨て物ではなく、毎回少しずつ読み重ねていけば思考方法が自然と身について自己鑑定できるようになるか、そうなることを目指して書いている読み物です。鑑定例や現象を丸暗記するには算命学理論は膨大すぎるので、本気で勉強したい方は自分の頭の中に自然思考回路を作ってしまった方が近道だと思います。

なお今まで有料鑑定依頼された方は、ほとんど何らかの算命学の知識をお持ちのようで、自身の技術を磨くための勉強法を相談してくる方もおられますが、一応「余話」がその役目を細々と果たしておりますので購読をお試し下さい。もし「このテーマで余話を書いて欲しい」という要望あれば、当ブログへコメント頂ければ或いは採り上げるかもしれません。しないかもしれませんが。
by hikada789 | 2013-03-27 14:37 | 算命学の仕組 | Comments(0)
算命学余話第5回は、前回触れた日座中殺について考えてみます。
日座中殺というのはずばり、生まれた日が「甲戌」か「乙亥」の人のことです。生まれた日は六十種類あるので、毎日同じ数の人間が誕生するとした場合、六十人に二人が日座中殺という計算になります。多いでしょうか、少ないでしょうか。この二つの日座中殺の意味を考える前に、まず天中殺のそもそもの理屈をおさらいしてみましょう。

初期のブログ記事に挙げたように(カテゴリ「算命学の仕組」参照)、天中殺理論というのは天地のずれ、即ち空間と時間のずれを表し、それを調整することから生まれました。天(空間)を十干で表し、地(時間)を十二支で表す算命学では、初めから空間と時間はピッタリマッチしないものと割り切っています。
それは十干の順番に合わせて十二支を並べていくと、甲子、乙丑…と続いて最後に戌と亥が余ってしまうからで、かといって時間は絶えず巡って待ってはくれないので、この余った戌に新しい十干の甲を、亥に乙を当てて観覧車に乗せたわけです。すると次の十干をクリアした時、再び今度は申と酉が余ってしまい、仕方ないのでこれにまた次の甲と乙とくっつけた。このように順繰りに「余り2」が出つづけ、六十番目の観覧車のカゴにやっと最初の甲子が巡ってきて一段落します。十と十二の最小公倍数が六十だからです。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「日座中殺を考える」です。「算命学余話 #U5」で検索の上、登録&肉まん1個分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2013-03-26 18:05 | 算命学の仕組 | Comments(0)
帝政末期のロシアからスターリン時代の初期まで生きたルポ屋、ギリャロフスキーが書き残した『モスクワとモスクワ人』の邦訳はなぜか2つあり、つまり翻訳者と邦題と出版社が異なり、しかも1年違いで出版され、共に絶版となっている。その因縁の出版事情にも少なからず興味が湧くが、宇宙人はその昔一方を読み、ごく最近もう一方を読んだ。章のタイトルからして原文は同じはずだが、一冊目の読破から大分経っているので再読の印象はかなり違う。以前読んだ時よりずっと面白く読めた。前の翻訳が悪かったというわけではない。単に宇宙人が年を取ったので笑いのツボがシフトしたのだろう。
この作品はネットでも検索できるのでロシア語の読める方は原文を当たれます。しかしそもそもの内容がモスクワの裏側、つまり豪奢な貴族社会の裏側で生活苦に喘ぐ貧民層にスポットを当てたものなので、スラングや隠語が多く読みづらい。宇宙人は断念して大人しく邦訳のお世話になったが、それでもかなり笑えた。貧民というと悲惨な印象が強いが、このルポ屋の筆は悲惨な環境で逞しく生きる人間の知恵やすばしこさ、底力に焦点を当てており、革命後に一変してしまう前のモスクワと人間の風景を生き生きと活写してくれている。

そこには今はない貧民街に暮らす脱獄囚やら凶悪犯罪者やらその子孫やらが地獄のように不衛生なビルに雑居し、とぐろのような汚物にまみれて暮らしていたが、その界隈にもちゃんと経済が回っており、軽犯罪から重犯罪への需要と供給が往来している。つまり社会が成立している。人間はこんな環境でも社会を形成して生きられるものなのだ。
前にも書いたようにロシア人は一度罪を犯した者とそうでない者を区別する習性があるため、一般人はこうした界隈には怖くて足を踏み入れない。ギリャロフスキーは教養ある一般人だが貴族ではなく、茂木健一郎のように落ち着きのない男だったので、こうした魔窟に臆せず足を踏み入れ貴重なルポルタージュを書き、チェーホフやトルストイなど当時の小奇麗な一流文人にも一目置かれていた。

ある文人が誰もやりたがらない魔窟見学を思い立ち「怖いから一緒に行ってくれ」と彼に案内を頼んで一緒に行くと、眼前に地獄絵が展開して早くも及び腰になり、更に先に進もうとするのを「もう帰りましょうよ」と袖を引っぱる描写が可笑しい。更にこうした界隈にもなぜかバカ正直な人間が暮らしており、あまりに正直なので凶悪犯にも信頼されていたが、唯一の欠点は泥棒の見張りを命じられても、警官に質問されると「今そこの店に仲間が泥棒に入っているのを自分は見張っているところです」と正直に答えてしまうところであり、後で仲間からボコボコにされてしまう。しかしこうした正直者はやはりロシアでは魔窟であっても大事にされて生き延び、ソビエト政権の時代になると立派な職業についてルポ屋を驚かす。おとぎ話のようだがルポなので実話なのだろう。古き良き時代と呼ぶべきか難しいが、魔窟あってこそ成立する話である。
その後ソビエト政府はこうしたゴチャゴチャしたとぐろを一掃して更地にし、近代的なアパートを建てて「人間は人間らしく暮らせ」と衛生を呼びかけた。スターリンが非人間的な所業を始める前の話である。このくだり、何やら都知事が築地市場をゴチャゴチャして汚いと呼ばわって移転・更地化・再開発を推し進めるのにかぶって見える。築地は別に犯罪の温床とは無縁なのだが「ゴチャゴチャ」が嫌いな人が政権を取るとこういう段取りで事が進むということらしい。そのうちスターリン式粛清が都内で始まるやもしれぬ。

ところで世紀末モスクワのルポには旧教徒(古儀式派)の記述もある。それによると当時は囚人に施しをすると魂が浄化されると信じる信者が多数おり、『罪と罰』の主人公もおそらく経験したであろう流刑地までの徒歩行進の最中に、商人など「罪深い」職業の金持ちが直接囚人に施しを手渡すことで、自分のあの世での株を上げようとする習慣があった。正教の習わしではお祈りをする際に神や聖人の名前を唱えると同時に「誰々を赦し給え」と具体的に救済してほしい近親者の名前も唱えるので、施しを受け取った囚人がお祈りする時にこちらの名前を言ってもらえれば救済が達成されるという目論見である。
ところがこの風習も近代化で変質する。鉄道が敷設されて囚人を一気に中継地へ運べるようになると、囚人への施し物は中継地で一括受理されるようになり、担当の看守が囚人に公平に配るシステムへと変わった。怒ったのは信者の商人たちである。曰く「これでは誰が贈った施し物なのか判らんではないか!」。つまり贈り主の顔も名前も判らないので囚人は特定の誰かを思って祈ることができない、従って施し主の救済には繋がらない、けしからんという苦情である。こんなお祈りの動機もあったのだな。

もっとも、このくだりで私が感じたことは今日普及している福祉制度である。日本では年金や生活補助についていろいろ事件があってもめている。私も親しい老人や目の前で困っている人のためにいくばくかの援助をするのは一向に構わないのだが、制度にしてしまうと顔も知らない遠い他人を養うという印象が強くなり、その人物が良い人か悪い人かも判らぬ、どの程度困っているかも判らぬ、ひどい場合は生存しているかどうかも判らぬという状況で自動的に徴収し分配されるというのが果たして正常な金の巡りといえるのか疑問に思う。「社会で養う」というのが近代国家の条件の一つであるようだが、この無機質なやりとりが支払なり労働なりの意欲を減退させるのだ。ソ連を見よ。知らない人より知っている人の方を救済したいのが人情だし、知っている人ならヤな奴よりイイ奴を援助したいのも道理である。援助が期待できるなら自らイイ奴にならねばならぬと人は努力もするだろう。
平等が本当に幸福をもたらすのか、今の制度で本当にいいのか、消費税を上げる前に誰か議論してくれ。
by hikada789 | 2013-03-24 16:57 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
脳科学者の茂木健一郎を最近ナマで見たのだが、えらく落ち着きのない人ですね。バラエティ番組で芸人に混じって引けを取らないくらいだから、これくらいで丁度いいのかもしれないが。その他の分野の学者と一緒に招かれてのシンポジウムだったのだが、自分の講演の番が回ってくるとマイク片手に走って出てきたから、一人漫才でも始めるのかと思ったよ。なぜ走って出てきたかといえば、他の講演者の演説中に舞台裏でPC持ち込んで仕事をしており、夢中になっている最中に呼ばれたからだそうだ。自分は日々常にこうなのだと言い訳して詫びる姿も落ち着きがない。
こんな大人なのに世間が認めてくれているのは実績もさることながら、やはり人柄なのでしょう。その日は宗教民俗学がテーマだったので、茂木氏も日本人の宗教性について話したりしたのだが、曰く「日本人がお参りするのは願い事をするためでなく、心を整えるためである。他の民族が教会や寺院で何をお願いするかはともかく、日本人のお参りの目的はもともとこうだ」。

なるほど。我々はお参りする時、両手をピタリとくっつけ姿勢を正してお辞儀をし、目をつぶる。そして正月など参拝客が後ろに控えている場合が多いので、ほんの数秒その姿勢を保つだけで、さっさと帰ってしまう。いぎたなく願い事をあれこれ連ねる人は稀なように思われる。
最近どこかの番組で、神社で願い事とする時はまず心の中で自分の姓名を名乗り、住所を唱え、それから具体的な願い事をすべしと解説していたが、こんな作法は私には初耳だった。名前も住所も念じたことはないし、願い事も個人的なことはほぼしたことがない。病気の知人の平癒を願ったことはあるが、自分自身がどうのと祈ったことはない。通常は何も要求するものがないので、とりあえず世界にまともな社会が広がるよう願うくらいだ。
するとものの5秒程度でお参りは終了する。この行為に何の意味があるのかと問われれば、いままで考えてもみなかったが、なるほど茂木氏のいうように5秒なりとも心を整えにわざわざ出向いているように思われる。日常こうした5秒間をすごすことはないのだし。だから「姓名と住所を唱えて…」という世俗的な目的重視の作法に違和感を覚えるのだ。

私が知る限り、この「姓名と住所を唱え…」という作法を忠実に守って神前にながながと立ち尽くしているのは中国からの観光客や滞在者だ。明治神宮は都心のパワースポットとして外国人にも人気があるが、天皇崇拝の象徴ともいうべきこの場所に「日帝」批判を今も叫んでは喜ぶ中国人が来ること自体片腹痛いのに、更に個人的な願い事まで叶えてもらうつもりとは呆れ返る。しかも周囲の日本人に「この神社でのお参り方法はコレコレでよいか」と尋ねるほどの念の入れよう。笑って教えてあげる日本人は優しいし寛大だが、どこの国の人であれこういう種類の人間に敬意を払う必要は、宇宙人はないと思うよ。まっすぐ「カッコワルイ」という評価を下せる人の判断力をこそ評価します。でないと小さな子供たちがうっかり「これでも許されるんだ」と勘違いして育ってしまうから。

ところで数日前に突然、二十年も前に出会った人との思い出が甦り、ここのところ毎日その人のことばかり考えている。いきずりの出会いだったのでその後何の連絡もとれていないし、ここ二十年思い出すこともほとんどなかったというのに、これはどうしたことだろう。
そこで仮定を立ててみる。その人物はいま、死んだか死に掛けている。彼(彼女)は最後の審判に臨み、といってもキリスト教徒とは限らないので日本風に閻魔の前に引立てられたとする。閻魔の左右にはアシスタントの鬼たちが控え、彼の人生の報告書を手に中身を読み上げようとする。悪い内容ばかりだと地獄行きだ。彼は怯え、その報告書の記載に良い情報が増えるよう頭をフル回転させる。すると頭の中に生前親しかった友人や愛する家族が浮かび、思わず彼らに助けを求める。その念は電波となってこの世へ渡り、友人や家族は睡眠中に夢として彼の面影をキャッチする。朝目覚めると誰かが彼の夢を見たと語り、人々は彼を思い出す。そこによい思い出が並べられていれば、それがそのまま鬼の報告書に記載され、閻魔の判定に好印象を与えるというわけだ。

私はその人物の夢を見たわけではないので、どこから湧いた念なのか定かでないが、こういう仮定をするからにはよい思い出を思い出してやらねばならぬ。というわけで日夜思い出にふけるのだが、驚くのは人間の記憶である。ずっと思い出さなかったものを二十年ぶりだというのによくもここまで詳細に再現できるものだ。あれもこれも思い出した。何という細部認識。こんなところまで記憶しているとは人体の神秘である。
これだけ思い出してやったのだから、きっと地獄行きは免れたであろう。とすると、人間が死んだ後に行なう祭り事や年ごとの法事は、要するに人々に「思い出して」もらって閻魔台帳を明るく彩るためのものというわけだろうか。そうか、意味があるのだな。
by hikada789 | 2013-03-20 14:59 | その他 | Comments(0)
宇宙人御用達のマイナー映画館である渋谷UPLINKでロシア映画フェアをやってます。ここはよくロシア・フェアをやってくれるありがたいお店で、今回は「ロシアン・カルト」と題してカルトっぽい作品ばかり選りすぐりました。カルトといっても幅が広く、戦前の無声映画から最近のソクーロフ作品まで12作品を日替わりで、主にレイトで上映中。初日の土曜日に行ったら早くも満席で、フェア自体は3月24日までなのに急遽アンコール上映が決まった。どうやら4月以降も見られるようです。人気があるのです、一部のマニアに。

宇宙人は人間のフリをして50席ほどしかない小さな会場に腰掛け、周囲のマニアの会話に耳を傾ける。どうやら映画を学んでいる学生や美大生が多い。確かに今どきの商業目的ムービーとはコンセプトからして違うので、新鮮な映画手法を学ぶにはうってつけだ。このフェアで得られた何某かの創作ヒントは金儲けの役には立たなかろうが、心に残るいい作品を作る手立てになればよいと思う。
宇宙人はこの日は『宇宙飛行』という1935年の無声作品を鑑賞したが、ソ連に実在した科学思想家ツィオルコフスキー(No.365参照)が模型や月世界の描写を監修したというから本格的だ。セリフは文字で現れ、音声はずっとベートーベン風のシンフォニーやピアノ曲を流しっぱなしなので格調高い。無重力の表現も時代を考えると実によく出来ている。

1935年といえばスターリンの大粛清がぼちぼち始まる頃だが、映画は宇宙飛行というお伽噺的なサイエンスがテーマなので、その種の暗い政治的要素は皆無。実にのどかな少年少女向け冒険映画で、日本の「ウルトラマン」や「ヤマト」を彷彿とさせる生真面目な任務遂行や困難の克服、明るい未来への展望に加え、ロシア独特の敬老精神などが学べる仕組みとなっている。主人公の博士は白髯の老人で、無重力を表現したシーンでかなりハッスルするから役者自身は老人でもなさそうだが、彼の体を気遣って少年が心配したり、同僚が月行きを阻止しようとしたり、若いソ連でまだ誰も希望に満ち溢れていた頃の道徳観が微笑ましい。ああスターリンさえいなければソ連もいい国だったやもしれぬ。しかしスターリンがいなければヒトラーには勝てなかった。ロシアの歴史は人間の人生そのものなのだった。

今回の上映作品の半分はソクーロフの芸術映画です。宇宙人は既に何本か見ているのだが、一回見ただけではホニャララな印象しか残らない特殊な、しかし重厚な作品ばかりなので、この機会にもう一度見るつもりだ。『罪と罰』を扱った作品も入ってますね。シリーズドラマ『罪と罰 2007』に比べて画面が暗くてじめじめしてます。ソクーロフ作品はいずれもストーリーを追ってはいけません。画面から発する粘着力を堪能しましょう。
by hikada789 | 2013-03-18 19:10 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
昨日閲覧停止した「算命学余話 #U4」を修正してアップしました。既に購入された方、もう閲覧できるようになってますので、ご確認下さい。お騒がせしました。
内容は有料ページのみ、一部修正してあります。原因は技術上のミスで、鑑定サンプルである岡田嘉子が生きていれば100歳以上の古い生まれであることから、現代人の鑑定とは異なる注意点があり、その部分を直しました。鑑定は多角的に照射して判定するものなので結果的には大幅な変更にはなりませんでしたが、着目点が修正前と違っているので、購入されていた方は比較してみて下さい。
by hikada789 | 2013-03-17 18:07 | 算命学の仕組 | Comments(0)
「算命学余話#U4」を購入された方へお知らせです。
技術上のトラブルがあり、現在サイトへの掲載を停止しております。一両日中に修正したものを再アップしますので、再度閲覧される場合は少々お待ち下さい。PDFのダウンロードはこれまでのところ無しと表示されておりますが、もし今後ダウンロードされる場合は、修正後の新しい版がダウンロードされます。購読料はそのまま、二重支払にもなりませんのでご安心下さい。
万一、不具合が生じましたら、お手数ですが当ブログ専用アドレスへお問合せ下さい。(カテゴリ「宇宙人の診察室」参照)
by hikada789 | 2013-03-16 16:40 | Comments(0)
No.370で久しぶりにペルシャに話が及んだので続き。ペルセポリスといえばアケメネス朝ペルシャの都で、今は世界遺産となっている遺跡都市である。宇宙人も学生時代に旅行したことがあり、大英博物館やルーブル美術館が略奪して展示している宮殿の柱やモニュメントと同種のものが、現地に野ざらしに林立している広大な敷地を自由に歩き回ったものである。
この都市は町というよりは宮殿群であり、要するに官庁街のようなものとして作られたもので、庶民が住まわって自然に市が立って出来上がった町とは違う。そういう町は近くにあったようだが、いずれにしても当時の一般人はほぼ立入禁止で、王様でさえここに滞在することは稀であった。建設当初は行政が行なわれていたようだが、その後は中に王墓が建てられたりして日常使用が憚られるようになり、世俗世界から離れた儀式の場としての役目を果たすようになる。
つまりペルセポリスは有名な都市だがペルシャ帝国の首都ではなかった。当時の首都はスサである。(しかもペルセポリスはギリシャ語名で、当時のペルシャ語で何と呼ばれていたかは未だに判っていない。)しかしスサよりずっと有名なのは、アケメネス朝が滅びる原因となったマケドニアのアレクサンドロス大王がこの都市を攻略し、せっかく無疵で陥落したのに焼き払ったからだ。しかも王族ゆかりの儀礼都市だったので金銀財宝ザックザクで、首都のスサでの略奪量より戦利品がずっと多かったので、尚更ギリシャ人の印象に残ったというわけである。

森谷公俊著『王宮炎上~アレクサンドロス大王とペルセポリス』に現在判っていることとまだ不明なことが織り交ぜて記載されているので、興味のある方はお読み下さい。
宇宙人が興味深いと思うのは、アレクサンドロス大王がこの都市を攻略してから焼き払うまでに時間が掛かっているということです。略奪の勢いで町ごと破壊したというならまだ判るが、大王は遠征途中だったので陥落後は部下にここを任せて、自分は更に東へと戦の旅を続ける。そして2年後くらいに帰国の途中に再びこの町を訪れ、ほとんど思いつきのように火を放つのである。
大王が放火を命じるくだりについては確たる史実が残っておらず、西洋人は想像を逞しくしてあれこれ論じ、戯曲やら音楽やらの題材にしているくらいドラマチックなテーマとなっている。「タイスの瞑想曲」という有名な曲があって宇宙人のケータイの着信音リストにも入っているくらいだが、タイスは大王の酒宴に呼ばれた芸妓で、この女性の鶴の一声でペルセポリス炎上が決行されたとの説もあるが、繰り返すが史実は不明であり、タイスなる女性がそこに実在したかも疑わしい。まあ創作と考えてまず間違いないでしょう。

そこでハタと思い出したが、最近『アルゴ』という米国映画が話題となった。これは1979年の在イラン米国大使館人質事件を扱った歴史物で、当時イスラム革命により悪党呼ばわりされた米国大使館員が命からがらカナダ大使館へ逃げ込み、更に国外へ脱出した経緯を劇的に表現したもの。しかしこの作品がアカデミー賞をとるや、イランから早速抗議の声が上がった。曰く「史実と違う」。
中身の薄いハリウッド映画がよその国にかかわる歴史物を作って顰蹙を浴びるのは何も今回が初めてではなく、日本だって同種の映画を作られてるのによく我慢してるよな、と宇宙人が呆れるほどひどい解釈の映画を世界中にばら撒いて平然としている、岡田嘉子のような米国映画界、当のイランは今も敵国だから抗議が来るのは想定内としても、なんと驚くべきことにカナダからも非難の声が上がった。作品では米国人たちが逃げ込んだカナダ大使館が描かれ、当然カナダ大使役も出てくる。当時のカナダ大使はまだ存命で、この映画を観て憤慨。曰く「史実と違う」。ハリウッドはカナダ人にさえそっぽを向かれてしまいました。

本気でいい歴史ドラマを作りたいなら、まだ生きているカナダ大使なり当時の職員なりに取材して脚本に盛り込むのが当然だと思うが、いい作品を作るつもりはなく、より金儲けできる作品を作りたかった制作者は、カナダの生き証人たちに全くアクセスしなかったし、プレ上映に彼らを招待することすらしなかった。取材した上での作品上の解釈ならともかく、取材なしで勝手に自分の履歴を作り変えられたら、イラン人でなくとも気持ちが悪い。米国映画人はこういう配慮が出来ない人たちなんでしょうか。
こういうことを続けていると映画という表現形態そのものに「いい加減だ」「見るに値しない」という評価が定着し、客足が遠のいてしまう。「日頃の行いが物を言う」。事実、映画業界は真面目な作品であるほど危機的状況にあるという。本物を扱わない映画が増え過ぎてスポンサーも客も振り向いてくれなくなったのだ。映画業界、危うし。

更に連鎖して思い出したが、先日、田原総一郎が太平洋戦争の原因について短く論じ、通説では聞かない史実を提示してくれた。それによると、対米戦争に突入する前の日本は、当初は常識的に考えてとても勝てないと踏んで、政府は開戦回避のためにあれこれ奔走していたのに、「ちょうど国家予算の時期」が来て、陸海軍に来年度はどれだけ予算を割こうかという段になった。陸海軍はずばり「予算が欲しいので」開戦を声高に主張し始め、世論がこれに乗っかってしまい、政府の思惑から大きく外れて軍も民もマスコミも開戦一色に染まってしまった。これが対米戦争に日本を突き動かした主原因だと田原氏は語る。
ポイントは「ちょうど予算の時期」と「予算が欲しくて」、つまりまたしてもカネですな。お前らどんだけ金の亡者なのだ。カネより命が惜しくはないのか。しかも世論がこれに追従したというから、一般人だってしっかり加担しているではないか。それなのに戦後は全部戦犯のせいにしやがって。人のせいにするな。全部自分が悪いのだ。
とはいえ宇宙人は田原という人物はあまり好きではない。この件については大いに評価したいが、全てに賛同しているわけではないのでお間違えのないように。
by hikada789 | 2013-03-15 18:32 | 宇宙人の空飛ぶじゅうたん | Comments(0)