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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

<   2013年 05月 ( 14 )   > この月の画像一覧

土星の裏側の読書室でつらつらと紹介している本たちは古い出版物が多い。それは宇宙人が主に図書館を利用して読書をするためであり、最新刊を紹介するのが当ブログの目的ではないからだが、専門書などだと巻末に参考文献が提示されていて、その本を図書館で検索してあると判るとまた借りてしまい、その本に更に参考文献があるとまた検索して見つける、という具合に芋蔓式に読みたい本を漁るのが宇宙人の読書法である。

最近芋蔓式に存在を知って図書館に置いてなかった本に『ミリタリー・スナイパー 見えざる敵の恐怖』というのがある。近代戦争の中で生まれた狙撃手について論じた専門書で、第二次大戦の独ソ戦を描いた小説を読んでいて参考文献から見つけた。独ソ戦といえば去年の正月に堪能した『慈しみの女神たち』が激戦地スターリングラードをドイツ軍の側からリアルに描いていたが、そこに敵(=ソ連軍)の狙撃手を警戒するシーンがあり、ドイツ軍(正確にはドイツ軍に協力した現地人)はどういうわけかソ連の狙撃手は女だと信じて疑わなかった、というくだりがある。

戦時中、ソ連軍は実際に狙撃訓練学校で女性を教育して卒業生を前線に送っていた。ライフルはそれなりに重いから抱えて撃つのは女性にはきついが、地面や机に設置して敵が狙撃点に現れた時だけ撃つなら腕力のない女性でもできる。小柄で相手から見えにくく「忍耐強い」女性の方が却って適任なくらいだ、というのが当時のソ連軍の見解らしい。当時の文明国を自称する欧米では女性の社会的地位が低く、良心的に言えばかよわい女の子を戦場で戦わせるという発想がありえなかったため、このソ連軍の思い切った女性起用は悪魔の仕業に思えたことだろう。社会主義では男女平等が徹底しており、スターリン体制下で人材も不足していたことから国民総動員した結果こういう歴史的産物を得たわけである。

独ソ戦の激戦地であったスターリングラードは小説や映画の格好のネタで、著名な男性狙撃手ザイツェフを主人公にした映画など見たことがあるが、女性狙撃手について描いた本格的な作品は知らない。ソ連は女性狙撃手の存在を隠しておらず、ザイツェフより多く戦果を残した史上最強のエース・スナイパー、リュドミラ・パヴリチェンコには国家英雄の勲章を与えているくらいだ。パヴリチェンコはこの功績により少佐にまでのぼりつめ、戦後も比較的長生きした。
しかし捕虜になった場合の運命を思いやって女性狙撃手には自決教育が徹底していたという話もあり、実戦に投入された女性狙撃手2000人のうち帰還したのは500人程度だったらしい。等々、心ときめく実話エピソードを知りたいのだが、どこかに良書はないものか。

史上最強のロシア語通訳である故米原万里の書評エッセイ『打ちのめされるようなすごい本』から芋蔓式に読みたくなる本はいくらでもあるが、只今辿り着いているのは岸田秀と三浦雅士の著作で、書評されている作品は図書館になかったのでそれに近い本を借りて読んでいる。
岸田氏は精神分析の立場からヨーロッパ文明の病理性を指摘し、その模倣をした今の日本人も壊れているとの持論を展開。三浦氏は詩とダンスを論じながら近代科学(というよりプラトン以降)により虐げられてきた身体芸術の復権を叫ぶ。この二人の対談は話が噛み合っていないような印象が強いのだが、それぞれの著作を読むと等しく現代文明批判をしているので、一般論とは異なる新しい角度からの文明論として情報満載です。

三浦氏は日本人の体形も体格も歩き方も、近代軍事教育として採り入れたヨーロッパの作法を手本としており本来のものでないと指摘。本来の動きは今や能の摺り足くらいにしか明確に残っていないという。それは摺り足や舞うという回転運動からなる日本の舞踊が田植えを基本とする農耕文明から派生したもので、一方ヨーロッパはバレエに代表されるように跳んだり跳ねたりの跳躍舞踊が発達し、それは馬に乗る動作、遊牧や牧畜の動作から来ているものだからだという。
イタリアで発生しフランスで体系化されたバレエは最終的にロシアで隆盛を極めるが、ロシアは言わずと知れたモンゴルの属国であった歴史を持ち、その曲芸馬術的な跳躍動作のバリエーションは、一応農耕民であるフランス人には真似できないところであった。
なるほど。芋蔓式にバレエと能の比較まで話が及んだ。皆さんも芋蔓式読書法を是非お試し下さい。
by hikada789 | 2013-05-30 16:05 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
渋谷の東急文化村の中にワンフロアをブチ抜いて作った巨大本屋、ジュンク堂がある。ベンチや喫茶室も備えているので時間つぶしの立ち読みによく利用するのだが、お勧めは芸術関係コーナーで、写真集や画集、工芸品や舞台芸術を扱った色鮮やかな豪華本が大量に陳列されて読み放題(買わないので丁寧に扱ってます)。絵本コーナーには贈呈用のパラパラ手帳まであり、サンプルの中身をパラパラし放題。実に楽しい。音楽コーナーは楽譜も揃え、ハチャトゥリアンのバレエ組曲「ガイーヌ」の楽譜を思わず買いそうになったが、お気に入りの「レズギンカ」が入ってない幕しかなく、断念してパラパラしてすごす。宇宙人はクラシックのお気に入りの曲のスコアを買って家でウットリ眺めるという無害無音な趣味をお持ちなのだった。

この本屋、驚いたことに伝統芸能コーナーで能の謡本を一冊2,500円でバラ売りしている。謡本というのは能のシナリオ兼楽譜のことで、毛筆縦書きの詞章(歌詞と台詞)の横に音程記号や指示が書き込まれた和綴じ本の形態が一般的だ。洋楽の楽譜を売っているのだから邦楽の楽譜を売っていてもおかしくはない。まだ見たことのない人は是非立ち読みしてみて下さい。
そこにある謡本の流儀は業界最大手の観世流で、他流のものは置いていないが、流儀が違っても舞台で扱う演目はほとんど被っているので、同じ演目の謡本を他流で比べてみるのは興味深い。一見してまず装丁が違うが、中身も毛筆の書体が違ったり参考資料が違ったり、絵があったりなかったり、一番違うのは音程、要するにメロディーが違うのでその書き込みも違うし、たまに詞章つまり歌詞そのものが微妙に違ったりする。いつどうして枝分かれして今日の形に定まったのか興味は尽きないが、誰か既に研究しているやもしれぬ。

宇宙人が稽古している金春流にも当然自流の謡本があり、稽古の時に必ず使う。能はミュージカルのようなものなので、稽古は身体動作である仕舞と発声音楽である謡いを並行して行うのが一般的だ。バラの謡本は能一曲分で、長短の差はあるが大体3か月くらいで一曲の稽古を終える。1年で4冊の消費が目安である。
この謡本、宇宙人が稽古を始めた頃から今日まで1冊2,000円だったのだが、愛好者の高齢化と減少により収益が悪化したため、来月6月1日から1冊2,500円に値上がりすることが決まった。懐が豊かではない宇宙人は6月になる前にと駆け込み購入に走り、先生と相談して使えそうな(有名どころの)曲目を選んで滑り込んだ。愛好家の皆さん、あと4日です。
こういう宣伝をするとせっかく収益アップを見込んだ値上げの意味が半減してしまうかもしれないが、消費税を上げたからといって税収も上がるとは限らないのがこの世の仕組みなのである。根本的な解決は能楽愛好者を増やす以外にないのだ。皆さん、宇宙人と一緒にドラ声を鍛えて舞台で謡いませんか。
by hikada789 | 2013-05-28 14:22 | 宇宙人の能稽古 | Comments(0)
前回「余話」の補足です。干合について。干合を知らない人は「余話#U12」はまさしく読むべきでないですが、干合をテーマにした過去ブログのアクセス数は未だに衰え知らずなので、念のため組合せを公開しておきます。
干合は算命学の基本的技法なのでいずれその成立ちについて考察してみたいテーマではありますが、閲覧者の多くは干合が配偶者を意味するという点に注目しているようです。「余話#U12」ではそんな一面的な話ではありませんよということが論じられておりますです。
【干合相手】
 甲-己
 乙-庚
 丙-辛
 丁-壬
 戊-癸
ところで算命学は今まで何度も述べてきたように善悪をあまり気にしない学問で、無常と無情が骨組みになってできているような思想体系なので、現代の価値観や倫理では到底許容できないような事情についても論じております。今後はそういった「耳に痛い」話題も余話として採り上げたいと思いますが、その種の回には玄人の「玄」字を付けたり値段を変えたりして警告しますから、心臓の弱い方は標識をよく見て読むか読まぬかご判断下さい。従来の内容のものはこれまで通りマックコーヒー1杯分で読めますのでご安心を。
あ、しかしアベノミクスがこのままいくと世の中はインフレになるのだろうか。世間の簡便コーヒーの値段が上がったら考えますね。
by hikada789 | 2013-05-27 11:27 | 算命学の仕組 | Comments(0)
算命学でいう人体図はタテ・ヨコ3マス、合計9マスのマス目の中に8つの星を書き込んだ形になっておりますが、右肩(向かって左上)は空欄で何も書き込みません。通常の鑑定ではここは必要ないからです。
では通常でない場合は必要なのでしょうか。この右肩の意味について時折質問が寄せられるので、不思議に思っている読者も幾らかおられるようです。

私が知る限りでは、例によって算命学の流派によって右肩の処理は異なるようです。大抵は空欄ですが、ごく稀にここを埋める手法の所もあり、〇〇星という星の名前を入れているのを見たことがあります。その根拠は私には判りませんが、算命学は理詰めの思想ですから何か確たる意味があってそうしていることは間違いありません。

私の手法ではここには五行に対応する五徳、或いはそれに対応する五聖獣を入れます。五種類のうちのどれを入れるのかその算出法は至って簡単ですが、広く知られていないのには理由があります。それは鑑定者が知っているのは問題ないのですが、依頼人(本人)が知るのが好ましくないとされているからです。
考え方は様々ですし、上述のように流派によっては全く異なる算出法や意味を持たせている場合もあるので、ここではあくまで考え方の一例として紹介します。

「本人が知るのは好ましくない」というのは鑑定人から見た良心の言葉なのですが、その理由は、この右肩がその人本人とは別人格である先祖の意志の係わる場所という考えに基づき、本人はその先祖の思いや作用を知らずに生きていく方が望ましいとされているからです。つまり人は必ず両親とその両親に繋がる、過去に延々と遡る無数の先祖を持っており、その目に見えない恩恵や因縁を背負っている、それが右肩であり、そうした遠い過去のしがらみを意識せずに生きた方がその人自身の星は輝くという意味で、右肩は本人が知らない方が良いとされているのです。

従って通常の鑑定では右肩の算出は必要なく、依頼者本人にプラスになる助言が求められているなら尚更右肩は当人に伝える必要がない、むしろ伝えない方が良い、というのが私の採用している手法での考え方です。そういうわけですので、鑑定者が技法として知っている分には構わないのですが、鑑定者とて人間ですから当然自分の鑑定だってするでしょうし、技法を知ったからにはまず自分自身の宿命で試すはずです。私も試しました。そしてそれを知った瞬間から、その有難い先祖の恩恵は受けられなくなる、という認識で間違いありません。「知らなければ良かった」。そういう類の技法です。

以上を踏まえた上で、それでも知りたいという方に限り、この先をお読み下さい。通常の「余話」は100円と安価ですが、今回はこのような事情から「算命学の鑑定者を目指した読者」に限定したく、読者制限の意味を込めて割高になっております。特にいつもより分量が増えているわけでもなく、正直あまりお勧めできません。本当に必要と感じる方のみご購読下さい。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「右肩の意味を考える」です。「算命学余話 #U12玄」で検索の上、登録&米と醤油1キロ分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2013-05-25 12:21 | 算命学の仕組 | Comments(0)
人間が発する気配を人は本当に気配として感知するのかを測る実験番組を見た。それによると人体は微弱な電気を帯びているので、接近による物音や足音によらずともこの電気を感知できることが証明できれば、人は気配だけで他人の接近を察知できるだろうというのだ。
実験では目隠しした日本人の被験者を一人ずつ遮音空間に入れて、そこに人体と同程度の微弱な電流を流す装置を設置し、スイッチの音が伝わらないよう別室でスイッチをオンにし、且つ微細な擦過音も拾う高性能集音器で本当に音は何もない部屋であることを証明する。スイッチをオンにした時何らかの変化を察知できた被験者には手を上げてもらう。
結果は被験者10人程のうち約半数が手を上げた。彼らに話を聞くとその瞬間「ツーと聴こえた」「ポコポコ聴こえた」など回答は様々だが、何らかの「音らしきもの」を拾ったという。いずれも集音器には何も計測されていない。

なかなか面白い実験である。手を上げた被験者は別に武道の達人でも霊能者でもなかったようだが、人は背後に立つ他人の気配(電波)を五感以外の何か或いは聴覚の一部で感知でき、しかしそれができるのは凡そ二人に一人ということらしい。一般に「勘が鋭い」というのはこういう人を指すのだろうが、勘のあるなしを測る科学的実験は珍しい。
また外国人に同じ実験をしたらもっと違ったパーセンテージになりそうだ。なんとなく欧米人は低そうだし、狩猟など自然密着の生活形態を保持する部族などはずっと高い気がする。いずれにしても全員が感知できるという類のものではないのだろう。個人差があり、経験差もあるのだろうが、生まれつきの素質の差もあると思われる。
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東洋思想といえば「気」です。東アジア文化圏では何の無理もなく周知されているこの概念は英語などの西洋言語に翻訳することが難しく、説明してもなかなか判ってもらえません。私は米国人に合気道を指導した経験があるのですが、英語では「気を出す」をextend kiと表現してなんとか済ませていました。合気道は海外に普及して久しい武道ですが、腕力ではなく気で投げるこの格闘技を果たして何割の外国人愛好者が正しく行なっているか疑問です。

ところで「気」を概念として発見した古代中国では、時代を超えて生まれた様々な思想にこの「気」を採り入れています。算命学も例外ではなく、進気や退気、旺気、洩気、気図など用語にも散見できますが、前回までの「余話」に関して言えば、例えば回転法で星を回した場合に生じる流れとは、即ち「気の流れ」のことです。
それを運勢と呼んでもよいのですが、宇宙の構造まで論じている算命学にとって物の対流というのは非常に重要で、青い水の惑星である地球の表面を大気と水分が絶えず対流しているように、惑星が恒星の周りを回っているように、銀河と銀河が互いの引力に引かれ合い、或いは反発し合って常に動いているように、この世の事象は常に対流して動いているのが自然だという考えに基づいて論が構築されているのです。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「気の流れと後天運」です。「算命学余話 #U11」で検索の上、登録&草まんじゅう1個分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2013-05-23 14:36 | 算命学の仕組 | Comments(0)
当ブログは一応占いがメインなので算命学関連記事を書くとアクセス数が倍増するのが常なのだが、前回はその種の記事ではなかったのにアクセス数の棒グラフがグンと伸びた。ダッチワイフ戦略構想が鮮烈だったのだろうか。タコ・クラゲ型宇宙人がビジネススーツにネクタイ姿で背中にメイド・イン・ジャパンの融和人形を背負って営業に走り回る姿はなかなか愉快である。平和外交の最終形態はこういうことだろうか、地球人の皆さん?

ホラー作家で下ネタクィーンである岩井志麻子曰く、「外国人と政治や宗教の話をすると喧嘩になる恐れがあるが、下ネタなら絶対に喧嘩にならない」。霊長類の中で最も人類に近い動物はチンパンジーで、その根拠の一つは同種で殺し合う暴力性にあるという。そしてチンパンジーの次に人間に近い動物はボノボで、その根拠の一つはフリーセックスによる融和性だそうだ。人類はかくも恥ずかしい生き物であるが、これを恥ずかしいと感じることが他の霊長類と決定的に違う最後の砦だと思いたい。皆さんの羞恥心は健全に機能していますか。

ロシア語で羞恥を「ストゥイド」といい、形容詞句で「ストゥイドナ」というと恥ずかしいという意味である。ドストエフスキー『罪と罰』の主人公の妹ドゥーニャの婚約者ルージンは、自分の虚栄心を満たすために嘘をついて人を陥れる卑劣な人物として描かれているが、その歪んだ本性を曝した時に主人公は妹に「チビェー・ニ・ストゥイドナ(お前、恥ずかしくないの)?」と尋ね、妹は即座に「ストゥイドナ、ロージャ(恥ずかしいわ、兄さん)」と同意する。もちろんこんな婚約者の卑劣な言動を聞いているのも恥ずかしいという意味であり、そんな男の婚約者であり続けることは恥だからもうやめだという破談の意志表明である。この兄妹のそっくりな、健全で潔い態度は読者が喝采を送るところである。
恥についてここまではっきり単純明快に表現した文学作品を私は知らなかったので、初めて読んだ時は驚いた。もちろんどの国の言語にも羞恥を表す単語はあるが、日常会話としてあまり真剣に用いられることがないような気がする。「恥の文化」と呼ばれる日本でもそうだ。相手を糾弾する文句としては強烈すぎるのが原因かもしれない。ロシアは正教の国だから明白な正義については臆することなく堂々と明言する習慣が定着しているのかもしれない。

そんなロシアでこんなニュースがあった。「中国では国民の反日感情を満足させるために日本人捕虜などを殺害するシーンでウケを狙うTVドラマや戦争番組が近年多数作られ、累計10億人の日本人がTV画面で殺されている。反日教育は改革開放の頃、天安門事件に代表される国民の民主化要求をかわすために始まったものだが、歴史上日本人捕虜がこんなに沢山殺された事実はない。(良識ある)一部の中国人はブログ等で「これは誤った歴史認識である」とTVが煽る昨今の風潮を批判しているが、中国の反日感情は(客観的にみて中国にとって有利な)歴史的事実を歪めるほど高まっている」云々。

中国も市場経済で動いているからTV局は視聴率アップのために視聴者の喜ぶ作品を放送しなければならないのだろうが、累計10億人というと中国の人口が13億だから一人一殺相当になる。大した倫理観だ。それを喜んで見たがる国民性に私はチンパンジーを見るのであるが、注目したいのは、先の戦争で圧倒的な被害者としての立場を主張することで日本人の歴史認識を批判してきたはずの中国人が、今は自分が圧倒的加害者である事態の方が嬉しいらしいという事実だ。歴史を曲げてまで自分が加害者であった方が、その逆の史実より都合がいいらしい。
中国は本当にわからない。被害者としての立場を利用することで日本に際限なく譲歩を求める外交戦略なのかと思っていたので、あこぎなやり口ではあるがそれなら理解できるのだが、このニュースが伝える内容では中国人の価値基準がまったく理解できない。強いて理解するとしたら例によって「面子」優先ということだろうか。やられている弱い自分よりやっている強い自分の方がカッコイイから?

ある評論家が中国人や韓国人の重んじる「面子」は儒教の価値観だといっていたが、私の認識では孔子さまは上述の数少ない「良識ある」中国人で、きっとあの世で今日の事態を嘆いていることだろうと推察する。ともあれこのニュースはロシアで流れたもので、『罪と罰』の兄妹にあれだけ明快な正義を語らせた国の人々はこの報道をどのように受け止めただろうか。ロシアもまた中国の隣国なのである。
by hikada789 | 2013-05-21 16:18 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
地球上の政治にはあまり関わらないことにしている土星の裏側ではあるが、昨今の大阪市長の風俗発言事件について、本来宇宙人はこうしたネタの大真面目な議論を興味深く拝聴する方である。社会的地位のある上品ぶった人々がいつも目を背けて澄ましているテーマ。周囲を綺麗事で塗り固める方向へ進化している人類の社会に突き付ける厳然たる事実。大いに論じてくれと言いたい。
ただ当ブログでも既に述べたように宇宙人は現大阪市長の人間性をとても低く見積もっており、彼の支持者がその派手なパフォーマンスの陰に隠れた歪んだ本性に気付いて一人二人と去って行く、という事態を大いに歓迎したいというのは本心でもある。正直、日本のためにそうなって欲しい。今回の事件も彼が声の大きい政治家でなければ国際問題になどならなかった(ただのトンデモ弁護士だったら良かったのだ)。自分の社会的立場を見誤ったことによる誤算、要するに予測能力が拙劣だったということだ。

日本では詩人というと単なる言葉のアーティストという弱々しい印象しかないのが一般的だが、ロシアでは伝統的に詩人の社会的評価は大変高く、ノーベル賞作家より重んじられる傾向にある。原因はロシアでは詩人が予言者として位置づけられていることだ。
日本の詩人も言葉の達人として人の脳内に鮮烈な画像を浮かび上がらせる力があることに変わりはないが、ロシアの場合その中に何らかの寓意や警告、人類の過去から未来を貫く一本の真理の幹が通っており、その幹を辿れば未来が予測されるという風に考えられている。
予言者というと一神教でいうところの預言者(キリストやムハンマド)ではなく本当に未来予測をする人であり、それこそ占い師やシャーマンの仲間と思われがちだが、ロシアでは以前にも述べたようにロシア語が非常に韻文を作り易い文法形態であることから、そんなにも耳に心地よい音楽としての言葉の並びに更に深い意味や真理、予言が含まれているともなれば、崇拝対象になるのも当然である。そのため詩人は学者や作家よりも(当然弁護士や政治家よりも)知性が上の存在と見做され、かの国では高位の学者や作家が肩書きとして「詩人でもある」と見做されると嬉しがる。子供の頃の将来の夢に「詩人」と書くのも珍しくなく(日本ではありえん)、それほど詩作は普及しているということだ。もちろん多くの詩人志望者はヘボい詩を書いてせいぜい家族と知人の間で褒められる程度ではある。真理を見極める詩人などそうそう出るものではない。

ちょっと話を戻すと、未来を予測するためには過去から現在、未来を貫く大樹の幹のそば近くにいる必要があり、未来が判るということは当然過去の歴史も現在の状態も正しく把握しているということである。だから詩人は現社会が間違っている場合には、社会批判を盛大にやって今の通俗なり政治なりが「大樹の幹」から外れていることを糾弾するのが仕事である。そのため詩人はその時代の政権に逆らって非業の死を遂げる場合があるが、時代が過ぎると公平な評価が下されて「やっぱりあの詩人は何が正しいか見えていた」という羨望と嘆きが大衆に満ちることになる。大いなる知の所有者はこうした意味で普遍的に正しい判断ができる人なのである。(そして実際にロシアの反骨詩人は「この主張をすれば命を落とす」と判っていながら声を上げ、政権から抹殺されてきた不吉な予言者であった。)

それに比べて大阪市長ですね。この立場でこう言ったらこうなるだろうくらいの予測はしてほしかった。顔つきからしてとてもわざとやったようには見えないし。つまり発言のテーマが悪いのではなく自分の立場を正確に把握していなかった点が拙劣だったのだ。自分の現状も理解していない人間に未来の予測はつかんのだ。しかも大阪だけでなく東京都知事だってごく最近同様のポカをやったばかりだ。この国の中枢都市のトップは揃いも揃ってボンヤリ者なのだ。国民よ、彼らの知性のお粗末さを正しく知るべし。そしてそんな彼らを選挙で選んではならぬ。

最後に今回の事件のテーマについての宇宙人の見解。当ブログでも以前挙げたと思うが、技術大国たる日本が誇り、一体100万を超えるにも拘わらず世界の好事家に飛ぶように売れている高品質ダッチワイフを、とりあえず米軍基地に売り込むべし。これを皮切りに量産態勢を築いて世界の軍隊にセールスをかけるのだ。輸出拡大、税収アップ、これぞアベノミクス。日本経済百年の計はこれで決まりだ。
by hikada789 | 2013-05-19 15:44 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
巷に溢れる米国娯楽映画は米国産というだけの理由でもう永らく避けて観ていないのだが(町山智浩推奨の未公開映画ならいっぱい観た)、あらすじを聞いて興味が湧きとうとう何十年ぶりかくらいで比較的最近の米国映画を深夜で観た。邦題『ヤギと男と、男と壁と』(原題はThe men who stare at goats)は2009年の作品で豪華キャストという触れ込みなのだが、米国映画を観ない宇宙人には役者の顔はひとつも判らないので、純粋に内容だけ採り上げてみます。
イラク戦争をやっていた頃の米軍がソ連に対抗して兵士の超能力開発を行なっていたというノンフィクションを基にした黒い喜劇映画です。実話がベースになっているのでウソみたいなほんとの話のリアリティが冴えた逸品。もう一度見たいとは思わないが一度くらいは見る価値のある、米国人のユーモアをちょっと見直した作品でした。

作中でも語られているように、冷戦中、ソ連軍を混乱させるために故意に流した「米軍は超能力を研究している」というデマを信じたソ連軍が本気で超能力開発を進めてしまい(はい、実際にロシアにはその後継機関が実在します)、焦った米軍がこれに対抗して大急ぎで超能力部隊を編成したという「ばかばかしいがありがちな大国の真実」が描かれている。しかも喜劇がテーマなので、超能力といういかがわしい分野、テレビショーなどでもおよそまともな人間と見做されないような人種が寄り集まって軍人として訓練されたらどうなるか、というイヤーな笑いが全編を貫いている。

しかもこの種の能力開発は東洋の十八番だとばかり道教や武道も引き合いに出され、世界びっくり人間みたいな達人(作品では睾丸に鉄球をぶらさげて長時間耐えるというもの)の背後に毛筆で「合気道」と大書きされた幕が張られているのも恥ずかしい。合気道者である私は海外滞在中に何カ所か合気道場を訪ねたことがあるが、金髪マッチョの白人の愛好者ほど勘違い度が甚だしく(日本の武道はその性質上マッチョである必要はない)、そいつらのTシャツにプリントされた漢字(「一番」とか「気合」はまだしも「騒音」とか「直角」は意味不明)を見る度に日本文化が曲がって広まっていることを痛感したものだ。日本のどこの道場も「合気道」とか「柔道」とかそのまんまの文字を掲げて悦に入っている所はない。「不撓不屈」とか「不爭之理」とか理念を額に掲げている場合はあるが、「〇〇道」などという表記はスポーツセンターで他の競技と区別するための案内板くらいのものだ。こうしたわけで私は日本人の目からこの場面がひどく滑稽に見えたのだが、鑑賞者のほとんどは漢字を読めない米国人だろうから、こういう描き方をするとますます漢字圏(もちろんその本家は中国だ!)は胡散臭いという印象が広まってしまうなと苦々しくも笑ってしまった。

それでも幾ばくかの見どころはあり、最も興味深かったのはインド風の自然思想が専門らしい教官の訓練で、「天然資源を他国から奪う米国の習慣、大量消費を美徳とする米国の価値観を変えようではないか!」と叫んでいる場面だった。こういう風に米国の現状や国民性を内部から批判することもあるのだなと、ちょっと見直した。つまり宇宙人が米国嫌いなのはこういう点を誰も気付かず生きている人たちという理解のためなのだが、やはり少数は気付いていたのだな。しかしこの台詞は米国政府にとって好ましくないから映画はマイナー扱いとなり深夜へ回ってしまった。町山氏御用達映画の仲間入りというわけだ。

もう一つ注目したいのがタイトルのヤギだ。ヤギは作品中盤から既存概念に囚われた哀しき人間を象徴する役目を果たすのだが、軍の人体実験の代わりにヤギを使ったというエピソードが出てくる。それによるとヤギの脚を撃って怪我を負わせ、これを治療する訓練に使ったというのだが、当初は犬を使っていた。しかしペットとしてのイメージが染みついた犬(映像では人懐こいダックスちゃん)の脚を銃で撃つのを兵士が嫌がり、代わりにヤギが採用された。「ヤギを撃つことを人は躊躇わなかった」。
ブラックですねえ。犬はだめでもヤギならいい。その線引きの根拠は?イルカやクジラの擁護を盾に日本の伝統捕食文化を攻撃するオーストラリア人に見せたいシーンだ。彼らはイルカやクジラを「知能が発達しているから殺すな」というのだ。では知能が発達していない動物なら殺してよいというわけですな。人間の幼児なんかはイルカやクジラの成獣より知能が低そうですが。知的障害者なんかはどうなっちゃうのかしら。

世間ではまだ批判を聞かないが、宇宙人は昨今の日本人が何でも「カワイイ」と連呼して「かわいい」の本来の純粋な意味を劣化させているのを苦々しく思っている。つまり「カワイイ」と言えば、或いはカワイイ物なら、何でも許されるみたいな風潮が気持ち悪いのだ。裏返すとカワイくないものは価値がないということになるで、一般にカワイイ年頃である子供たちは自分がカワイく見られるためにわざと無知を装って大人の前でぶりっ子する傾向になるし、知恵のある人がそれを堂々と表現できず隠して窮屈に暮らす社会になるし、人間国宝が己の生命をすり減らして制作した伝統工芸品よりゆるキャラの方が価値があるというおかしな序列になるし、聡明な女たちは「女は子を産む道具」として虐げられてきた歴史と再び対峙しなければならならなくなる。
こんな社会が賢いと言えるのか。カワイくない子供や女の何が悪いのだ。十二大従星は12種類もあるのだからマセたガキや思慮深い女性が人口の何割かを占めるのは当然なのだ。カワイイと言えば子供や女性への褒め言葉と思い込んでいる奴らの知性と語彙力を私は疑う。(同様の観点から「アタシ天然だから」と言って自分の頭の悪さをごまかす輩が多いと非難するマツコ・デラックスを最近見かけた。同感だ。)

せっかくなのでヤギに対する罪悪感のなさを追究して欲しかったが、映画はあくまでもコメディとして制作されており、内容に深みはない。深く考えなくてもそれなりに笑える佳作でした。
by hikada789 | 2013-05-17 15:00 | その他 | Comments(0)
12歳の少年説はやはり若い世代で知らない人が多いようですが、宇宙人の世代であっても歴史の教科書に載っていたわけではないからゆとり教育のせいではありません。良質な本を幅広く読むとある日ばったり出くわす類のものです。知っている人の中でも中学時代の宇宙人のように12歳で何が悪いと開き直る人ばかりではないでしょうし、『ゴジラとヤマト』の著者のように戦後の日本人の甘ったれた認識や態度を苦々しく思って糾弾するマッカーサー支持者もいますから(現在の宇宙人もややこちら側に振れている。宇宙人は憲法改正賛成派である。反対派の論旨は武道家の目には甘すぎるのだ。内山高志がある日突然正気を失って襲い掛かって来たら、話し合いで済むと思うのか?相手はダイナマイトだぞ)、各自両方の意見を吟味して自分はどう判断するか、判断力の訓練にぜひ活用下さい。
―――――
算命学余話第10回は、2回に渡って考察してきた回転法から派生して生まれた局法について考えてみます。
その前に、回転法の止星が人生の目的を意味していることから重要と指摘しましたが、補足すると、止まる星とは逆に始まる星である「始星(これもしせいと読む)」もまた宿命によっては重要な働きが課せられています。始星は文字通り「星を回した」時の最初の星のことで、「リアカーを引っ張る」時に一番力が要るのが引っ張り始める瞬間であることから、物事を始める時の原動力として強弱がキーになる場合があるのです。仮に次のような人体図があったとします。

     |石門星|天堂星
玉堂星|玉堂星|調舒星
天報性|龍高星|天庫星

これを回転法に則って星を回すと、水→木→火という順番で回るので、水性である龍高星・玉堂星(2つ)が始星、火性の調舒星が止星となります。

以前解説したように、人体図のマス目の場所にはそれぞれ意味があり、陰占の意味合いと連動しています。人体図の右手(ここでは玉堂星が入っている)は陰占の日支を通して出てくる星の場所で、日支は配偶者を意味しています。また腹部(ここでは龍高星)は陰占の月干を通して出てくる星の場所であり、月干は子供や目下を意味します。そして中央は月支を通して出てくる星で、陰占では月支は社会や家系を意味しますが、人体図では自分自身・本質を意味します。
つまりこの人体図では、物事なり人生の大事なりを始める時に係わる星は龍高星と2つの玉堂星の合計3星であり、一見してリアカーを引くのが楽そうですが、この人が若年であったり未婚であると「配偶者」も「子供」も意味合いが薄れ、人体図の右手と腹部は事実上活用できないか、活用が鈍ると考えられるのです。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「回転法から局法へ」です。「算命学余話 #U10」で検索の上、登録&いちご大福1個分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2013-05-15 13:49 | 算命学の仕組 | Comments(0)
GW中のいけてない話が続いてしまったので景気のいい話をひとつくらい出そう。内山高志がまた痛快にKOしてくれました。留守でライブを見られなかった宇宙人はYou tubeで堪能。珍しいボディKOでしたね。かわいそうに対戦相手、あんな倒れ方をするなんて肝臓を直撃したに違いない。内山のダイナマイト・パンチは同じジムのスパーリング相手が「鉄アレイで殴られているよう」と形容するほどの重量級だから、かすっただけでも痛いのにラッシュまで浴びちゃって。彼には気の毒だけど爽快でした。合掌。

ところで先週は防衛戦ラッシュで他の階級の日本人もいい試合をしたのだが、内山にしか興味のない宇宙人は、他の王者がKOで勝った後のインタビューで観衆に向かって「かっこよかったですか?」とか言っているのを見て大いに興ざめしたのであった。大人な内山なら絶対言わない台詞だ。内山は相手が明らかに起き上がれなくてもテン・カウントが済むまでコーナーでじっとしているし、勝負が決しても観衆にお辞儀をするだけで(しかもきっちり四方に)、雄叫びを上げたりロープに乗り上げたりの獣のような行動はとらないのである。こういうのをかっこいいと呼ぶのではないのかね。自分からかっこいいかどうかを問うような男はまさに12歳の少年と米国人にそしられても文句は言えないのである。

というわけで前回の話の続きですが、12歳の少年について知らない世代も増えつつあるようなので念のため説明すると、日本の敗戦で占領統治を任された米軍のマッカーサー元帥は、当時交渉に当たっていた高官を含む日本男児について、総じて12歳の少年の頭脳であるという穿った、しかし大層失礼な発言をしたのだが、この話が公になったのはいつ頃なのか私は知らない。しかし少なくとも私が12歳をいくらか過ぎた頃に私は知り、その時の感想を今も覚えている。それは「仮に米国人なり西洋人なりが年齢相応の大人の頭を持っていたとしても、ぜんぜん魅力がないですね。彼らは老けやすく、ジジイとババアの肌はシワとたるみで歪んで醜いし、口もタバコと歯周病で臭そうだ。少年少女は愚かであっても外見や心だけは綺麗だから物語の主人公にもなって輝けるが、老人は善人であっても脇役か、悪人ならやられ役くらいしか使い道がない」云々。

中学生とはいえ我ながらなかなか真実を突いていると思ったのは、その数年後に算命学を知って「少年期」の人間が抱える利点と問題点を検討する機会を得たからだ。確かに上述のボクサーのような幼稚な言動が今も続いていることを考えると、日本人12歳説はさもありなんという結論に達するのも否めないのだが、同時に日本のアニメや漫画(ここに村上春樹も含むべき?)が少年・青年向けであるにも拘わらず先進国を含む各国で大ウケしている事実は、この種の少年嗜好が人類にとって魅力的であるという証拠である。そこには現実逃避を目論んだご都合主義が蔓延しているが、架空の世界のルールの中で葛藤する若い主人公らを眺めるのは心地よいのだと読者の数は語っているわけだ。
別に日本製でなくともハリー・ポッターなどファンタジーが少年少女を主役として大いに儲けている例もあるし、こんなファンタジーの世界ではジジイやババアは助演か仇役にしかならない。彼らを主役に据えても映画はヒットしないだろう。ビジュアルが適当でないからだ。

以前、相談相手として天恍星(少年星)が適当でないとけなしたことがあるが、今度は逆に天堂星(老人星)をけなしてみました。というより両者痛み分けだということがこれで判ると思います。星の長所と短所はそれぞれ同じ数だけあり、優劣をつけるのは難しいということです。確かに老人、マッカーサーの感覚でいうところの欧米人には知恵や深慮があるかもしれないが、同時に彼らは若々しさや純粋さを失っていてもう取り戻せない。現状輝いているのは専らアジアとアフリカである。それに、大人だって自分の子供が熱中していることに同調して童心に返っても差し支えないし、良質な大人に囲まれて育つ子供があまり子供っぽい言動に走らないという事実は教育に大いに役に立つ。
このように陰陽は入り混じって連動しており、それを除外視して日本人は12歳少年、西洋人はそれ以上の成熟した男性、と線引きするのは真実を映す公式にはならない。確かマイク・タイソンが刑務所に服役中、ニーチェの思想を概説した本を読み、「スーパーマン(「超人」)がスゲエ奴だってことはとっくに知ってたぜ!」とうそぶいたという話が伝わっている。超人違いの笑い話だが、タイソンは一応米国人ではなかったかな。国籍や人種で人を見極めるのは危うい行為です。

結論。やっぱり内山はかっこいい。これに尽きます。
by hikada789 | 2013-05-13 14:10 | 算命学の仕組 | Comments(0)