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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

<   2013年 09月 ( 14 )   > この月の画像一覧

南相馬市の伝統行事である相馬野馬追・甲冑競馬を大井競馬場でやるという区民報を見て、久しぶりに競馬場に赴いた。当ブログを開始してから初めて体験した競馬は中央競馬で、指南役の先輩が二度ほど引率してくれたものだったが、今回は地方競馬であり先輩は不参加とのことで、宇宙人はドキドキの「初めてのお使い」ならぬ初めての独り競馬に出掛けたのだった。
相馬野馬追は震災以来もう何度もここでやっているそうで、馬はカタカナの名前のついた競馬馬だが騎手は重い甲冑姿にノボリ付き。ノボリのはためきがカッコイイですね。イベントがら家族連れも多く見物に訪れ、入場料も無料だった。しかもわが隣町から無料シャトルバスも出ていることが判り、移動もタダ。但し帰りのバスは最終レースの時間まで発車しないので、仕方ない、バスの時間まで…と時間つぶしのつもりが結局休まず7レースも賭けてしまった。先輩はメールで「早い時間のレースは勝負が読みにくくて当たらないから、甲冑競馬を見たら1レースくらい遊んで帰るべし」と助言をくれたのだが、ぜんぜん言いつけを守れなかった宇宙人。なんと奇跡的にも勝って帰って来た!ルールが判らなくて単勝と複勝しか買えないくせに!

というわけで、ビギナーが考えるビギナー必勝法(但し少額)を開示しよう。
まず少しでも当たる確率を上げるために連勝から慣らしていく。連勝は3着までに入る馬を当てばいいので、3頭くらいに賭ければ当てずっぽうでもどれかしら当たる。勿論全部外れることもあるので、これを避けるためにパドックへ出て馬とオッズを見て研究する。ベテランは競馬新聞を眺めて馬の血統や戦歴、騎手その他の複数の情報を駆使するのだが、ビギナーはそんなの眺めても何も判りはしないので、パドックを歩く馬の実物を見て、元気そうな馬、やる気のありそうな馬を選び、やる気のない馬や元気が良すぎて本番までにバテそうな馬をはじく。サラブレッドの馬体は美しく、眺めているだけでも価値がある。馬の名前も笑える。ここでは3-4頭お気に入りを選んでおく。

次にパドックにある電光掲示板でオッズを確認する。目星をつけた馬が人気馬なのか大穴馬なのかを見て、大穴馬なら1頭選んで少額を賭ける。ここがポイントだ。臆病なビギナーはどうせ少額しか賭けないが、人気馬に賭けて手堅く勝ったところで連勝オッズは1.2かそこら、それ以外にスッた馬券を挽回できはしないので、ここは思い切って大穴を狙うべし。スッても百円だし、当たれば10倍以上だ。3着に入ればいいのだから当たることを考えて高揚しよう。
しかし大穴が当たる確率はオッズの通りなので、そこそこの人気の馬にも1頭賭けておく。これは保険みたいなもので、倍率は連勝で3~7倍くらいのもの。当たれば収支ゼロくらいまで戻せる。
そして宇宙人の今回の発見と実践は、ダントツの1番人気の馬を単勝で高額で賭けるというものだ。先輩の助言の通り、早い時間のレースは戦歴の浅い馬が多く、予想がつきにくい。その中でもダントツの人気があるということは他の馬と違って実績が堅いということだから、こういう馬は9割がたぶっちぎりで勝つ。ベテラン賭博師はこの馬を頭にワイドや流しといったコンビネーション馬券を買うのだが、ビギナーはこれ1本に絞り、しかし思い切って高額を賭ければ仮に2倍にしかならなくても返しは大きい。但し単勝は1着にならなけば当たらないので、1番人気の馬と2番人気の馬とのオッズの差が3倍以上離れていないと危険だ。こういうオッズがつくレースは却って珍しいので、うまく遭遇したら迷わず単勝に賭けよう。逆にこういう馬に連勝を賭けてはいけない。倍率は1.2とかなので、当たっても挽回できないからだ。

この手法の結果、宇宙人は大穴の連勝に当たって(3着。危ない!)百円を2,230円にしたし、ダントツ人気馬に単勝三百円を賭けて2倍の六百円にした(気の弱い宇宙人はまだ1頭に三百円以上を賭けたことはなく、これがマックス)。こうした地道な積み重ねと失敗による経験を学びながら、少しずつ勝ちを増やしていくのだ。今回は元手の1.5倍の収入で終えた。往復電車賃程度の額ではあるが、バスが無料で地元まで運んでくれたので、宇宙人は閉店間際のパン屋に飛び込み、割引されたちょっとリッチな食パンを買うことができた。あの大穴のお蔭だ。千円賭けていれば22,300円かあ、とまたしても過ぎた過去を皮算用する宇宙人。
地方競馬も不況に喘いでおり、さまざまなイベントやサービスで集客努力をしている。大井競馬場は10月14日(祝)にはまた感謝デーを設けて入場無料の上、アンガールズのトークショーなどお子様向けイベントを終日催すそうだから、皆さんもお試しあれ。
by hikada789 | 2013-09-30 15:30 | その他 | Comments(0)
20年に一度の式年遷宮の年である今年は伊勢神宮への参拝者が増加しているが、実際に新築したお宮に神様をお引越しさせるのは10月3日だそうだ。一般参拝客にはその様子は見られない。参拝したことのある人は知っての通り、お参りは社殿の敷地の小さな入口で行うのであり、ご本尊のお宮は前方の遥か遠くにある上、参拝口から直接見えないように間に布を垂らして遮断している。こういう形態の神社は他に見たことがない。アマテラスは太陽神なので直接見ると目が潰れ、そのための配慮だとかいう説もある。
霊感の強い人は境内に近付いただけでプレッシャーを感じるそうだが、霊感が強くなくとも鳥居をくぐった瞬間に厳かな気分になって口数が少なくなる。広大な境内はほとんど森林で、立派な川まで流れており、独立した一つの国に入った感があるが、この国は人間の住処ではないので余所者である我々は大人しくしていなければならず、また自然とそうなる。勘の鈍い外国人がどう感じているかは知らないが、日本人がここへ来て何らの心境の変化も覚えなかったら終わりである。

さてかくいう私も伊勢参りは8年前に一度したきりで、その時は例の生霊事件でこしらえた原因不明の皮膚病を神様に治してもらったので、御礼参りをせねばならなかったのだが、この度機会を得て団体で正式参拝することになった。正式参拝というと近所の神社の場合は七五三や厄払いで社殿の建物の中に上がり、神職に祝詞を唱えてもらう風景を思い浮かべるが、伊勢神宮の規模だとどうなるのか今からドキドキである。三井寺の戒名のお値段を考えるとこの先個人で伊勢に正式参拝などできそうにないから、これが最初で最後やも知れぬ。気合を入れて体験して来よう。

しかしちょっと気になるのが「正装着用、洋服は女性もダークスーツ」という条件だ。正装って厳密には何か、どうやら今の日本では定義があやふやだ。特に女性は男性がスーツにネクタイでいいのと違ってまず和服と洋服があり、和服はまだ判り易いけど、洋服ならワンピースとツーピースに分かれ、アクセサリーや髪型もある。パーティーじゃないから結婚式みたいに派手なのはまずいのは判るとして、場所がら喪服に近いのもやっぱりまずいのでは。
正装の定義を調べてみると、まず欧米と日本で基準が異なる。日本は和服の黒紋付きの文化があるから洋服でも黒を正装に含めたがるが、欧米では黒はだめなのだそうだ。また女性の宝飾品もジャラジャラ着けるのはまずいがゼロというのもバランスを欠き、宝石類を装身具としない世界でも珍しい日本の伝統では、洋装時のアクセサリーの基準は更に曖昧で、よく判らないから光反射率の低い真珠で誤魔化そうとするが、真珠でも法事の場合は一連巻きしかだめとか、いつ誰が決めたか判らないような基準が何となくまかり通っている。

またスーツの場合は、若い人ならリクルートスーツでよいという説もあれば、いやパンツスーツは仕事着なのだから正装とはいえない、スカートのみだという説もある。では濃紺のワンピースならどうかといえば、実際に伊勢に正式参拝した人の話ではOKだった日とNGだった日に分かれ、判断基準は不明。NGとされた時は男性用の背広を貸してもらったそうだから、万一間違った格好でも門前払いは避けられそうだが、一生に一度の参拝に上だけ借り物というのもなんだ。ジャケットならいいのかと地味なライダージャケットを着て行ったらOKだった実例もあるとか、もう基準がさっぱり判りません。
おそらく伊勢神宮の人だって、バリバリに国有文化を保持してきた職業がら洋装の正装基準など熟知していないのだろう。そもそも他国の服飾文化など守る必要もない。ただ皇室の方々が既に洋装慣れしているので、これを庶民レベルに置き換えた場合「おおよそこの辺」というところで妥協しているのではなかろうか。

節約に勤しむ宇宙人は今回のためにスーツを新調することはできないので、たんすの中の古着を眺めてなんとかこれで通してはくれないものかと「濃緑」のスーツの生地に目を凝らすのであった。ダークだからいいでしょ? 要はかしこまっておりますという心意気ですよね。
by hikada789 | 2013-09-28 09:44 | その他 | Comments(0)
世間では胡散臭い人物と思われている認知科学者の苫米地英人は、その風貌から宇宙人とも呼ばれているが、同じく宇宙人と呼ばれる私は親近感とはいわないまでもそのユニークな発言を傾聴している。頭のいい人なのはちょっと話しぶりを見れば判るが、傲慢でも謙虚でもなく等身大であり、愛想笑いもしないが人の意見に賛成の時は日本人らしく首を縦に振っている。人を中傷してまで虚栄心を満たそうとするどこかの知事や市長とは明らかに違う。
その研究テーマや膨大な(怪しげな)著作については興味のある方に探って頂くとして、先日彼が遺伝学の先端情報を語っていた。それによると、当初一人につき数千万円もかかっていたDNA解析が現在は20万程度でできるようになり、より多くの人間の遺伝子情報を解析した結果、DNAは一人につき一通りではなく複数あることが判明した。DNA鑑定といえば犯罪捜査にも活用され、髪の毛一本からでも犯人を特定できるとされてきたが、最新のデータによると体の部位によってDNAのパターンが異なるので、厳密には髪の毛と血液のDNAは異なる場合もあるということだ。これでは犯人特定は益々難しくなる。しかもDNAは同じ人間の体の部位によって異なるのみならず、採取する時期によっても異なり、どうやら人間は年を経ながらDNAを変化させているという。
そして注目したいのは、男児を産んだ女性の体の中にその男児と同じY染色体が確認されたことである。Y染色体は本来男性しか持っていないものだが、生まれつきX染色体しか持たない女性である母体にYがあるということは、妊娠の過程で男の胎児から分けられたと考えられ、ひいては夫から受け継いだものであると考えられる。

勘の鋭い方はもうピンときたかと思います。「余話 #U13」で述べた通り、算命学では夫婦の気が男性から女性へ一方的に移行するとしており、その「気」は女性の体に恒久的に留まります。ゆえに再婚した女性の産んだ子は再婚相手の気の他に前夫の気も混じる。生まれた子供が前夫に似ている、ということがしばしば起こるのはこのためだと考えているのです。(生まれた子供が前妻に似ている、という話は聞いたことがありません。)
「気」の話は漠然としているので現代人には理解しがたいものですが、とうとう科学的見地からDNAの個体間の移行が確認され、紀元前に成立した算命学のいわば「仮説」が立証された形となりました。こういうこともあるのですね。長生きはするものです。

さて今回のテーマは以上の前段を踏まえた上で語る「死」についてです。算命学には死期を算出する技術がありますが、おそらくこれで稼ごうという鑑定師はいないと思います。私もやりません。既に死んでいる人の死因を運勢面から判断することは引き受けますが、まだ生きている人については倫理的にやりたくないからです。
しかし技術的に鑑定理論を確立している算命学が死についてどう考えているか掘り下げてみると、そこから現代社会が引き起こす様々な事故や惨事の隠れた原因が見えてきます。あくまで考察の範囲ではありますが、デリケートなテーマなので玄人向けの購読料とさせて頂きます。死期鑑定の技術を公開するものではありませんので、ご留意下さい。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「大事故を招くもの」です。「算命学余話 #U24玄」で検索の上、登録&ランチ1食分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2013-09-25 10:17 | 算命学の仕組 | Comments(0)
『戒名って高いの?安いの?』というお寺の内部事情暴露本ともいうべき著書を記した三浦尊明という人の講演を聴きに行った。この人は最近テレビなどで採り上げられてご活躍の、上品な関西弁を操るお坊さんである。戒名には定価がなく、現在は30~70万円の「お布施」が相場で、金持ちだと立派な戒名を欲しがるので100万を超える。三浦住職のお父さんは能の演目にもある三井寺という超有名な門跡寺院の住職であったが、三井寺クラスの寺でもらう戒名は〇百万にもなるという。その値段の根拠は如何に、というのがこの著書の主旨であるが、私は本は少し覗いただけで話は住職から直接仕入れた。

戒名の歴史は比較的浅く、江戸時代のキリシタン弾圧の時代に仏教界も変化を強いられて檀家制度を確立したことに始まる。檀家制度は今の戸籍制度のようなもので、村人が生まれると本人や家族の意思に拘わらず地元の寺への自動登録が義務付けられた(これでキリシタンをあぶり出した)。仏教の中にも宗派があるが檀家登録は住所が基本だったため、先祖の宗儀と違った寺に登録することもしばしばで、この辺りから日本人の仏教観が精神的なものから現実的=役所的な義務に傾いていったと思われる。当時は結婚も旅行も檀家登録した寺を通さないと認められなかったため、寺の住職と仲が悪いと人生が破綻した。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」。しかし明治以降は寺とは別の戸籍制度ができ、村人の寺への帰属性が薄らいだため、檀家制度そのものが崩れ始めて今日に至る。
戒名についていえば、釈迦本人は出家僧侶に葬儀をするなと言っており、葬儀は在家にさせていたが、日本ではやはりキリシタンが葬儀を執り行ったことに対抗して仏教界も葬儀を開始し、その際「仏弟子」になった証である戒名を死んだ人全員に授けることが習慣になった。檀家はもともと年貢のように定期的に寺へ布施をして寺の経営を支えていたので戒名代金もこれに含まれタダだったが、檀家制度の崩壊により寺は収入が激減して経営難になったため、仕方なく戒名を有料にしたそうである。そうだったのか、戒名。

日本における戒名や寺での葬儀の発祥がキリシタンのせいとはなかなか皮肉な歴史俯瞰であるが、戒名は本来、仏道の師であるお坊さんの弟子になってその教え(法脈)を受け継ぐことで授かる名前なので、今どきの宗教性の薄い一般の日本人が戒名の必然性に疑問を持ってもおかしくはない。その疑問に当の出家である三浦住職が答えてしまったので、同業者から抗議が殺到しているという。本人もお気の毒なら、貴重な収入源に物申された仏教界の財政もお気の毒である。しかしお蔭で我々は戒名の是非と料金の妥当性について考えることができるようになったのだ。

「仏弟子」になっていなくともお金を払えば戒名がもらえる今日では、「金を払わず自分で戒名をつける」ことだって可能といえば可能である。そこで三浦住職は著書の中で戒名の付け方を開示している。テレビではマツコ・デラックスの戒名を考えて例として示したそうだから、その例を挙げてみよう。
 「覇芸院金道松華太姉位」
最初の〇〇院というのは、昔は偉い人が寺を建てたのでその寺の名前である〇〇院とつけた「院号」。マツコは芸人なので芸道を制覇するという意味でつけた。次の〇道は「道号」といってその人の性格やキャラを表す。「金」はデラックスを漢字にしたもの。その次が本人の名前の一字と師匠の名などを一字加えて二文字にしたもの。特に師匠のいないマツコには「華」という華やかな文字を添えた。最後が「位号」で性別を表すが、マツコはオカマなので「太」で男を、「姉」で女を表した。
このように戒名はその人の人生やひととなりを数文字で的確に表しており、戒名に相応しい文字の候補が幾つかに絞れるといっても、意味も字面も音韻も優れた並びというのはそう簡単に作れるものではない。実際に自分の戒名を考えてみると、あれこれ候補は浮かぶもののなかなか決定打にめぐり会えないものだ。だから戒名の料金は、死んでから初めて会うような人でも遺族が納得する戒名を頭を捻って編み出す坊さんの労力の代金でもある。三浦住職は現在、この労働に対する対価を一律3万円とし、あまりの価格破壊に業界からバッシングを受けているのだった。現在の日本の労働賃金を考えると妥当な値段のようにも思われるが、あまり安いと有難みが失せる気もするし。皆さんはどうお考えですか。

戒名は所詮死んでからもらう名前だから(本来は生前にもらうべきもの。仏弟子になるという意味だから)気にするのは遺族くらいなもので、本人はどうせ使わないからいいけれど、生きているうちに使う名前は一生ついて回るので重要である。最近の子供に付いた名前に宇宙人はイライラしている。「名前に付けてよい漢字は限られているが読み方は自由」という現在の制度により、第三者に読めない名前の子供が溢れているからだ。キラキラネームとかいって、どうせ親が生まれたばかりの子供を猫かわいがりした勢いで付けたのだろうが、子供はいずれ成長して大人になることを考えて付けているのかね。幼児なら可愛いくてもいい歳こいた大人には恥ずかしい名前になることに気付かないのか。成人した子供が恥ずかしくて改名したくても、正当な理由を持って裁判所へ訴え出なければ叶わないというのに。へたな横文字に読ませる判じ絵のような冗談みたいな名前も多い。ナニジンにしたいのだ。親たちは本当に子供の将来を真剣に考えているのかね。

算命学の鑑定師として言わせてもらうが、「一見して正しく読めない名前」というのは運勢を下げるぞ。芸名ならともかく本名が「ゆらぐ」というのが運勢に響くのだ。読めない文字というのは他人の目に止まりにくいということであり、結果的に重んじられないことを暗示し、あまりの突飛さに目に止まることがあっても、失笑を買ったりしてやはり軽視される。あなたは大事な子供を無視されたり笑われたりする人間にしたいのか。
どうせ読めない文字なら昔の人の名前で使われたような教養溢れる文字や読み方にすべきである。これなら古すぎてオリジナリティが認められるし(よその子供と簡単にかぶらないという意味)、両親の教養や由緒正しい典籍が滲み出て、成人するとその名前を見ただけで一目置かれる存在になる可能性が出てくる。繰り返すが、その子の名前を見れば両親のオツムの程度が判るのだ。その両親から生まれた子供の評価が表面的とはいえ決まってしまうのである。しかも一生死ぬまで続く。だから子供の名前は戒名以上にもっとまじめに考えて付けるべきなのだ。私が会社の経営者だったら、キラキラネームの新卒とそうでない新卒がいて同じ能力だった場合、そうでない方を迷わず採用する。将来を見据えて名前を付けた親が産んだ子供の方が社会の常識を備えていると感じるからだ。

もっとも、こうした奇をてらうことばかり優先して読めない意味浅薄な名前を付ける風習は日本の歴史に珍しくはなく、古くは吉田兼好や本居宣長も「最近は子供におかしな名前を付ける親が増えている」と苦言を呈しているという。宇宙人は自分を兼好法師らと同列に扱うつもりはないが、ここ数年のグルメブームとも今更呼べない、テレビをつければどこもかしこも食事処の紹介とそれを芸人が食ってる姿を映し出している風潮についても苦々しく思っており、そういえば『葉隠』の著者である武士も「最近の日本人は食い物の話ばかり盛んにしてみっともない」と世間の精神レベルの低さを嘆いていたことを考えれば、これは日本における、或いは世界における人類の、避けて通れない歴史の環状道路なのかもしれない。いやいや、嘆かわしい。
by hikada789 | 2013-09-23 10:46 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
ご依頼を受け「あなたの山水画」を掲載します。掲載許可ありがとうございます。

1967年11月20日生 女性の山水画
 戊 辛 丁
 子 亥 未
冬の山岳は雪を被り、冷たい沢水が流れて海へと注ぐ。麓の田畑は収穫を終えて野火を焚き、ひっそりとしている。
【解釈】
全体的に冷たく静謐な風景です。
山岳のあなたは冬山なので人の気配がなく、近寄りがたい雰囲気があります。唯一の暖である野火は父親や上司を表し、この人たちの支援を得られるかで人生の明暗が分かれます。
沢は社会や家系、海は配偶者を表し、どちらもあなたに剋される立場ではありますが、風景の冷たさを保証しているので野火と対立します。
神秘的なことに関心が強く、ひらめきもありますが、人生後半はそうした分野に傾倒して現実がおそろかになる可能性があります。また規則に縛られた生活をすると、心の健康を損ねるおそれもあります。
by hikada789 | 2013-09-22 09:32 | 宇宙人の鑑定実績 | Comments(0)
宣伝といえばこちらも宣伝せねば。宇宙人が稽古している先生たちの舞台があります。お稽古しているビギナーには馴染みある仕舞も見られます。能の上達のためには実践稽古のほかに本舞台を数多く見ると効果が高いです。
こちらの定期公演は能3番、狂言1番+仕舞で五千円なので、1番当たりは映画1本見るより廉価でお得です。1回限りの外食で5,000円使ってしまうのと秤にかけて、本当の豊かさとは何かという普段考えないことについて思いを馳せてみて下さい。

円満井会定例能----------
◆日時:平成25年9月21日(土) 12時半開演(~17:15)
◆場所:矢来能楽堂 (地下鉄神楽坂駅より徒歩3分)
◆内容:能『花月』、『富士太鼓』、『鵺』、狂言『成上り』、仕舞6番
◆入場料:5,000円 (学生2,000円)
◆備考:飲食不可、撮影不可、居眠り可、イビキ不可。

先日、去年まで無料だった芸大音楽科の学生コンサートに久しぶりに行ってみた。運営難のため今年から千円の有料になったのだが、有名な演目でなかった割には席は7割ほど埋まっていた。千円とはいえ収入を得たので人件費も確保できたらしく、以前は携帯電話や飲食の禁止を場内アナウンスするだけだったのを、人間を使ってプラカードを持たせ、いちいち客席を回って図と口頭で伝えていた。
クラシックの音楽家の話では、演奏中の咳払いは生理現象なので仕方ないとして、携帯などの電子音やビニール袋のがさつく音、飴の包みをひねる音などが演奏者の集中を妨げるという。聴覚を鍛えている人種なのだ、当然である。観客だって気になっている。宇宙人も劇場や能楽堂では飴おばさんにいつもイライラしている。何がアメチャンだよ。休憩までのたった1時間余を我慢できない食欲ってなに? 喉が渇くのなら保湿用のマスクが売ってますぜ。こんな奴らはどうせ舞台を観ても何も判らないのだから、飲食可の映画か歌舞伎でも見に行けばよいのだ。
というわけで、舞台鑑賞に慣れていない方はマナーに気を付け、残念ながら必ず遭遇するであろう飴おばさんがもしも隣に座ったら、その現行犯の手を押さえて「いい加減にしろ」と囁きましょう。はい、宇宙人は2度ほどやったことがあります。効果覿面です。やらないと何度でも食う輩ですから。
by hikada789 | 2013-09-19 09:15 | 宇宙人の能稽古 | Comments(2)
学校の教科書に出てくる社会主義の定義以上に実生活に関わる社会主義国家の特徴として、商売っ気のなさが挙げられます。記憶に新しいリーマンショック以降の金融市場の混乱を例に挙げるまでもなく、資本主義というのは数字になったカネが独り歩きして暴走する危険を孕んでおり、各国は寄り集まってちょくちょく金融政策を議論し、暴走しないよう、あるいは暴走しても自国の被害が少なくて済むよう、頭をひねって奔走します。だから資本主義国の新聞やニュースはこの種のネタばかりトップを飾るのです。

しかし社会主義はこの奔走の労がアホらしいと考え、人類初の社会主義革命を成し遂げたロシアは当初本当に貨幣経済をやめてしまった。これはいくらなんでも極端過ぎたので永くはもたずすぐに撤回したけれど、その後も基本的に金儲けや贅沢は悪だとする道徳が広まり、一部の共産党特権階級はともかく、庶民レベルでは質素な生活の中に高尚が宿るといった清廉の思想が広く普及することになったのです。
まあそれも限度というものがあり、70年を経て体制は崩壊したわけですが、ソ連崩壊から20年余、今の働き盛りはまだソ連時代に教育を受けた世代なので、もともと商業的要素の少ない芸術活動では商売っ気のなさが依然顕著です。帝政時代の方がまだプロモーターがあざとく儲けを追求していたし、当時の芸術家にはお金持ちのパトロンがいたりしたから、国家が給料を支給したソ連時代のアーティストの方が金銭感覚が鈍く、ハイレベルの舞台や音楽を西側では考えられない廉価で叩き売りしていても自分では気付かない、という事態が今もしばしば起こる。
かくいう私も芸術活動に対する公正な対価というのが那辺にあるのか不明でありますが、ロシア人やロシア関係者という人種は、こうした歴史の流れにより総じて採算を度外視する傾向があり、その清廉さに感動したり心配になったりしたファンが彼らの活動を支え、結果的に何とかやりくりできているという状況に落ち着くのがこの界隈の不思議なルールとなってます。契約書ではなく人情がつなぐ命と未来なのでした。

最近私もその種の採算度外視っぽいコンサートに出掛けたら、会場には同じような感覚のロシア関係者が集まっており、ちょっと知合いになっただけでいろいろ親切をしてもらった。宇宙人はフリーになってから貧乏なのを隠さないが、この古き時代のソ連人のような風貌が幸いしたのか、ロシア関係のイベントの案内や招待状などを頂くようになった。書籍なども頂戴し、貧乏な割に文化レベルは下がらない日々である。かように大して役にも立たぬロシア愛好者が思いがけぬ便宜を受けたりすると、こちらも何やら恩返しがしたくなり、頼まれもしないのに方々でイベントの宣伝に励んでしまうのだ。
というわけで、前振りが長くなりましたがイベントのお知らせです。「ロシア文化フェスティバル2013」というのを日本でやっていて、実はここ数年毎年やっているのですが、ほとんど1年中どこかの都市でコンサートや舞台が催されているので一連のフェアと思われていないのです。毎年夏にはボリショイ・サーカスが東京に来てますが、これもこのフェアの一環だそうです。今年のイベントはもう半分ほど終了しましたが、文化の秋・冬はクラシックな出し物がまだまだあり、上述の通り心配になるほど廉価なので、どうぞ一流どころの古典芸術に触れてみて下さい。HPもあるので全イベントを検索できますが、開催期間が長いせいで後半のイベントの詳細が未定のままの掲載が多く、集客テクニックの甘さを露呈しております。なので土星裏で近いイベントを少し紹介します。

(1)アンドレイ・イコフ、トランペット演奏会
◆日時:2013年9月25日(水)19時開演
◆場所:豊島公会堂 (池袋駅より徒歩5分)
◆入場料:2,500円(全席指定)
◆備考:イコフ氏はボリショイ劇場のソリスト。共演はハープ、ピアノ、メゾソプラノ。26日と27日にも千葉と横浜で同様のリサイタルがあります。私は招待券を頂いたけど、採算がとても心配。

(2)シージン・リャン、ピアノ演奏会
◆日時:2013年10月5日(土)18時開演
◆場所:カワイ表参道コンサートサロン「パウゼ」(地下鉄表参道駅より徒歩1分)
◆入場料:2,500円(全席自由)
◆備考:名前からして中国人ですが5歳からモスクワ音楽院で学んでいる17歳の天才少女。ショパン国際コンクールのユース優勝者で、今回の演目もショパンのバラードが並ぶ。8日と9日にも名古屋、大阪のカワイ関係ホールで開催。これも採算が心配。

(3)バシキール民族ダンス
◆日時:2013年10月13日(日)14時開演
◆場所:豊島公会堂 (池袋駅より徒歩5分)
◆入場料:3,000円(全席自由)
◆備考:バレエとはまた違った曲芸的民族舞踊。コサックダンスほかコーカサスや中央アジアの民族舞踊もあり盛りだくさん。この種の舞台はノリがいいので観客は遠慮なく手拍子をしましょう。子供も退屈しない内容です。これも同時期に関東各地で公演あり。

(4)舞台「白痴」「コーカサスの白墨の輪」
◆日時:2013年9月18日~2014年6月7日の8カ月間に、毎月2日間開催。
◆場所:東京両国シアターX(カイ)(JR両国駅より徒歩3分)
◆入場料:1,000円(!全席自由)
◆備考:9月は18日が「白痴」、19日が「コーカサス」でどちらも18時半開演。東京ノーヴイ・レパートリーシアターという日本の芝居集団が演じる。認定NPOを目指しているそうだが、それにしてもこの値段は安すぎる。どういう舞台なのか興味があるので私も見てみるつもりだ。なお「白痴」はドストエフスキー原作、「コーカサス」はブレヒト原作で、どちらも演出をアニシモフというロシア人が手掛けている。こちらは今回のフェアとは関係ないが、横のつながりで案内が来た。予約は劇場へお問い合わせ下さい。HPもあります。

(5)ピアノ連弾で聴く交響曲(第5回)
◆日時:2013年10月30日(水)19時開演
◆場所:台東区生涯学習センター2F (つくばエクスプレス線浅草駅より徒歩5分)
◆入場料:無料
◆備考:フェアとは関係ありません。芸大の学生によるピアノ連弾。演目は「メンデルスゾーン交響曲第4番」「ラフマニノフ交響曲第2番」。ラフマニノフの交響曲はあまりに壮大で泣けます。しかしピアノ協奏曲の連弾は2人でやるけど、交響曲は何人で弾くんでしょう。無料だし、行ってみよう。

11月以降の催しは後日紹介します。なお10月と11月はバレエ「白鳥の湖」が各地でありますが、音楽が録音である代わりに5,000円程度と安価です。また(3)のバシキール舞踊は宇宙人のコネで2割引きで予約できるので、興味のある方はお早めにご連絡下さい。11月以降で1割引きにできる公演もあります。お、スタニスラフ・ブーニンのピアノリサイタルも入っている。しかしこれはS席しかなく、結構なお値段です。
by hikada789 | 2013-09-17 09:43 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
前回の余話では「侮光(ぶこう)」という専門用語に触れました。侮光は火性にのみ該当する現象で、太陽などの強い火が近くにある場合、弱い火がいくら輝いても強い光に呑み込まれてしまうという意味があります。仮に太陽が二つある場合でも、強い地支に支えられた太陽によって弱い地支に支えられた太陽は侮光されます。宿命内に侮光がある場合、侮光の現象を抑えるためには、強い太陽の地支を冲動など強力な衝撃で揺さぶるのが効果的です。
といっても冲動を意図的に操作することはできないので、後天運で巡ってくるのを待つしかなく、根本的且つ恒常的な解決策にはなりません。こうした場合、その太陽を宿命内の人物として置き換え、穏当なところではその人物から離れて暮らすとか、その人物とは違う分野で活動するとか、その人物に病気になってもらうとか、既に高齢であるならぼちぼち死んでもらうとかして、こちらに対する実効支配力を削げば侮光は緩和できます。

口の悪い鑑定師はしばしば「この人が死ぬのを待ちましょう」とかシュールな助言をしたりしますが、宇多田ヒカルさんのように母親への詩を綴った歌までリリースするほど母親に愛着がある場合は、こうした助言は効果的とは言えませんから、「距離を置きましょう」とか「かぶらない分野で活動しましょう」とかいう穏当な方向を提示することになります。
もっとも、前回書いたようにヒカルさんは宿命内に太陽があるわけではないので、彼女を中心に見た宇宙の中にもともと侮光は存在していません。そういう意味ではヒカルさんは単独では親の陰に隠れる人ではないのですが、それ以上に太陽を3つも抱えた母親である藤さんが自身であまりにも強烈に輝くので、藤さんの宿命内で侮光された夫と家系(家庭)の巻き添えを食った形となりました。算命学では30歳の納音(なっちん)までに親離れできないと一生親離れできないと考えていますから、篝火であるヒカルさんが藤さんの強烈な宿命から脱出して輝くにはこの機会しかありませんでした。

侮光は火性の性質について理解しやすい顕著な例ですが、金性や土性など他の五行にも侮光のような性質があるというわけではありません。五行が互いに等しく相関関係にあるといっても、五行そのものの性質は異なるので、相対的に見たパワーバランスは同じでも作用の形態や現象は異なります。今回はこうした異なる作用を起こす五行の性質の違いについて、自然現象を基に考えてみたいと思います。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「五行の差異を比較する」です。「算命学余話 #U23」で検索の上、登録&シューアイス1個分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2013-09-16 08:09 | 算命学の仕組 | Comments(0)
ご本人の掲載許可を頂き、「あなたの山水画」を以下の通り掲示します。ご協力ありがとうございます。
なお最近コメントに「山水画」依頼の伝言がよく来るのですが、現在コメントでは受け付けておりません。コメントがいっぱいになって見づらくなってしまったからです。依頼要綱(No.006)をよく読んで、正しい窓口へ正しい方法でご依頼下さい。

1984年8月18日生 女性の山水画
 甲 壬 甲
 申 申 子
初秋の岩山に巨木が二本雄々しく生え、岩肌を流れる沢水が大海へ注ぐ。
【解釈】
巨木のあなたは、同じく巨木である父親と共に、風景に大きなアクセントを与えています。そういう意味で運勢上目立つ人です。
岩山は配偶者及び社会・家系を表し、こういう地面に木が生えるのは根性のいることなので、あなたはよほど逞しく生きるようになるでしょう。
沢や海は母親、兄弟友人・子供を意味し、樹木の生育に水分を与えるので有難い存在です。岩山たちと樹木の間に立って取り持ってくれるでしょう。
全体的に男性的な宿命で、柔和さに欠けますが、非常な財運を秘めています。
by hikada789 | 2013-09-13 17:17 | 宇宙人の鑑定実績 | Comments(0)
先日小さな動物園でサル山をじっくり見物していたのだが、集団で暮らすサルたちは定期的に声を出し合って何らかの会話をしており、誰かがうっかり大声で唸ってしまうと、警戒警報と勘違いした他の誰かが山を下りて猛ダッシュし、それにつられて全員が同じ方向へダッシュしてしまうのだ。サル山は見学しやすいように円形なので、陸上のトラック競技のようなレース状態になる。しかし走り続けるのは疲れるので、また誰かが走りやめて山に登り、するとそれがさざ波のように周囲に広がって最終的に全員山の上に落ち着くのだ。なんだか同じ霊長類として人間の習性を見た気がします。勢いのある政党にザーッと投票が集まったり、人気がなくなるとまたサーッと引き潮になってそっぽを向いたり。新しい商品やショッピングモールにバーッと飛びついたり、あっちにまた新しいのができるとサーッと移動したり。自分自身の熟慮の結果の行動ではないようですよ。恥ずかしいですねえ。

しかしもっと衝撃的だったのはエサやりで、飼育員が木の実やらリンゴやらを適度な大きさにしたものを大袋からザーッと撒くとサルたちが一斉に飛び掛かって来るのだけれど(もちろん飼育員を襲うわけではない)、エサを他のサルに奪われないように両手に抱えられるだけ抱えて二足歩行で移動するサルの歩みが何とも人間くさくて、笑えるような恥ずかしいような。
そんな中、母親の背中を卒業したばかりの年齢らしいいかにもひ弱な子ザルが青リンゴをひと切れゲットして首尾よく山へ駆け上がった。しかしこの体格ではいつ大人のサルに奪われるか知れず、岩陰に隠れてリンゴに歯を立てるが、リンゴが大きすぎて噛み切れない。すると背後に余所のサルの気配を感じて噛むのをやめ、両手に抱きかかえてまた移動する。今度は岩に擦りつけてすり下ろそうとするが、力が足りなくてすり下ろせない。また誰か来たので必死にリンゴを体で隠し、ウロウロと移動する。ばかめ、そんなことを気にするより先に食え!まだ余所のサルたちは自分の食事に夢中でお前のリンゴに気付いていないのだから、その隙にさっさと食うのだ!食うことに集中しろ!

その後大人のサルたちは何匹も小ザルの脇や後ろを通り過ぎ、中には座ってじっと見つめる者もいたから小ザルの青リンゴには当然気付いていたはずだが、既に自分の食事が終わっているにも拘わらず遂に小ザルから横取りしようとはしなかった。横取りしたのは他の小ザルであった。ちょっとだけ体格が大きかったが大人に比べれば幼児サイズで、しかし相手が自分より小さいと見込んで思い切って体当たりした。小ザルはよろけてリンゴを取り落とし、あっという間に持ち去られてしまった。追いかけて抗議するも、自分の運動能力ではまだ下りられない岩場に逃げ込まれ、青リンゴが音を立てて食われてしまうのをなす術なく眺めるしかなかった。無念。

大人のサルたちは自分がある程度満腹だったので小ザルから奪う必要がなかったのだろうか。それとも小ザルから奪うのは大人気ないと本能が告げたのであろうか。満腹であってもなお欲しがり、いい大人が子供や若者から奪って平然としている人間社会と比べて、サルの方が高級ということだろうか。サル山見学、お勧めです。
by hikada789 | 2013-09-11 09:48 | その他 | Comments(0)