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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

<   2014年 04月 ( 13 )   > この月の画像一覧

算命学余話では、前々回から2回に亘って婚姻にまつわる中殺現象を採り上げてきました。中殺現象はなにも婚姻にまつわるものばかりではなく、生活全般に現れるものではありますが、官星と魅力星については以前から繰り返し述べているように、剋し剋されることで生じる星々である関係上、恋愛・婚姻という心と運勢の奪い合いを例に現象を説明すると判りやすいことが多く、学習者の理解向上のために敢えて続けて例を挙げてみました。学習者の方には、こうした例をヒントに恋愛以外の生活全般にも応用して頂ければと思います。

十大主星の中殺については、他にもまだ言及していない星がありますが、今回はお騒がせな星として名高い調舒星と龍高星の中殺について考察してみます。ブログでは以前「自殺相と発狂相」という物騒な表題で簡単に解説したことがありますが、あれから数年経ったいまでも記事アクセス数の上位に上がり続けており、読者の皆さんの関心の高さが伺い知れます。もとより算命学に興味のある人は、思想や鑑定技術に関心がある以前に、思い通りにならない自分自身の人生や心境について何とか説明を得て納得したいとお望みなのかもしれません。そしてそうした人たちは、もしかしたら自身の宿命にある調舒星や龍高星を持て余しているのかもしれません。

調舒星と龍高星はどちらも精神的葛藤と不可分な性質を持ち合わせており、これらの星を宿命に持たない人からは全く理解されないというハンデを負っています。自分を理解してくれない人の数の方がそうでない人の数より相対的に多いので(単純計算でそれぞれ10:1です)、真の理解者を得るまでに時間がかかるし、その間に内的葛藤が嵩じて精神を病んだりするリスクも高いです。
しかし算命学は人生における一方的な勝ち組も負け組も認めてはいないので、こうしたハンデを逆手に取って飛躍できる可能性を秘めていることもまた事実で、星を有効に消化して輝かすことができれば、他の星々に見られない際立った光彩を放つことができるのです。特に芸術的才能はこれらの星が1つはないと本物ではないと考えられ、その理由は両星とも精神を意味する縦線に属していること、星の性質上異彩を放って社会に迎合しにくいこと、社会に認められなくとも我が道を貫く強さと覚悟が要求されることなどが挙げられます。そういう意味で、算命学は調舒星と龍高星を気難しいながらも面白みのある星であると認識しているのです。個人的な鑑定者の立場から云っても、これらの星のある宿命の方が鑑定していても楽しいです。

もちろん、調舒星を持っているから必ず自殺するとか、龍高星があるから必ず発狂するとかいう単純な話ではありませんし、これらの星がない人なら絶対自殺も発狂もしないという理屈もありません。全ての可能性は否定できないものですが、自殺や発狂に関して、どういう要素が加わるとその意味合いが強くなるか、ということについて今回は調舒星、龍高星それぞれの中殺との比較からアプローチしてみたいと思います。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「調舒星中殺と龍高星中殺」です。「算命学余話 #U45」で検索の上、登録&ざらめ煎餅一袋分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2014-04-27 17:58 | 算命学の仕組 | Comments(0)
ゲルマン監督の「これでもか」手法というのは、何もこの人の専売特許ではないかもしれない。以前友人が初めてシンクロナイズドスイミングのロシアチームの演技を見て「これでもか、これでもか」な畳み掛ける連続技に驚愕したと感想を洩らしていたが、どうやらこれはロシア文化を貫く共通項であるらしく、エイゼンシュテイン監督の『戦艦ポチョムキン』の有名な階段シーンも時間をかけた重複表現でリアルな緊張感を醸していたし、黒澤明の『デルス・ウザーラ』でさえ雪原で草を刈るシーンは同じく反復動作を延々と撮影して、その刻々と時間が過ぎる焦りを巧みに表したものだった。

総じてワンカットが長いのがロシア映画の特徴だが、『道中の点検』ではカットの長さもさることながら、例えばドイツ軍襲来に驚いて逃げ出す村人達が本物の雪に足をとられながら真剣に走るシーンがあるが、雪が深くていくらも前に進めないちまちました様子や、片足のない不具者がやはり大急ぎで松葉杖を突いて逃げて行くその危なっかしい動作を映すことによって、こんなに命を懸けて急いでいるのに思うように進まない、まるで人生そのもののようなもどかしさを表現する手法が巧みで、これは何となくロシア人ならではの本能的表現であるように思われるのだ。
時間的表現以外にも、主人公が仲間を守るために機関銃をメッタ撃ちするシーンでは、撃ち終わった後に機関銃を取り落とし、それが雪の上に落下するとジュッと音を立てて雪が溶ける。その音でいかに銃身が熱くなっているか、つまりどれだけ必死で連射したかということを表現しているのだ。こういう間接的な表現方法が、「視界の端っこ」に目が届くロシア人の得意技なのである。

更に付け加えるならば、『道中』全編を通じて「これでもか」な表現として、傷付いた者を更に痛めつけるといった手法が冴えている。いたわるべき身障者を助けもなく一人で走らせているシーンもこれに当たるが、戦争で夫を失った未亡人が幼い子供らの手を引き、本当は暖かい家の中で慰められるべきところを出たくもない雪の戸外に飛び出て逃げなければならないシーンや、戦争がすぐに終わると思って気軽に捕虜になったのに、その一回の軽率が仇になっていつまでも裏切者扱いされる主人公の無念。自殺を図ったのに助かってしまった更なる無念や、遂に身の潔白を手柄で示した時には既に絶命している手遅れ感。こういうのがゲルマン作品の得意種目であるのだが、黒澤明が指摘したドストエフスキーの視点の特徴もまた、こうした傷口に塩を擦り込む人間の所業に肉迫しているから、やはりロシア人の遺伝子に組み込まれた必須項目なのだろう。
『フルスタリョフ』は暴力シーンが際立った作品なので、その怖さは塩どころか唐辛子を擦り込むグレードで、見ている方まで痛くて息が詰まってくる。ハリウッド映画なんかでは暴力や痛さの表現のために特殊メイク技術をせっせと磨いているようだが、『フルスタリョフ』はメイクどころか画面さえ暗闇でほとんど何も見えないからね。音声だけで恐怖を延々と表現してくれるからね。この長さが怖いのだ。いくら時間が経っても暴力が終わらないという恐怖、時間が凶器になるという恐怖は、やはり長い歴史のない国や歴史を尊重しない人間には思いつかないに違いない。

西部邁曰く、「歴史とは単に時間が続くことではない。歴史は大事だ、と思う人々の気持ちがどれだけ長く続いたかこそが歴史なのだ」。日本は歴史の長い国のはずだがその歴史を尊重している人間は刻々と減り、歴史の浅い文化をもてはやしたり、如何に時間を短縮するかばかりを追求した社会風潮に押されているから、ゲルマン監督作品を最後まで見続けるために椅子に座っていることさえも試練になるかもしれません。
by hikada789 | 2014-04-25 16:41 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
No.532で紹介した「ナチスと映画」フェアのもう一つのソ連映画『道中の点検』はこの邦題から推察して戦場をゆく軍用車のロードムービーかと思ったら、原題の意味するところは「行軍における敵味方審査」で、ドイツ軍の捕虜になったソ連兵の主人公が脱走して再びソ連のパルチザンに入隊を希望したが、味方であることを信じてもらうために次々に厳しい試練を与えられというテーマだった。「道中の点検」でも誤訳じゃないけど、もうちょっと内容に沿ったタイトルを付けてくれればよかったのに。
ともあれ内容はスーパーヘビー級。疑い深い人間のイヤーな側面や一度寝返った者に対する過酷な仕打ちを、これでもかと積み重ねる表現手法とその心理的恐怖を助長するモノクロ画面…どこかで見たことがあると思ったら、監督はアレクセイ・ゲルマン。はっ!『フルスタリョフ、車を!』の監督だ! 覚えておられる方いますでしょうか、当ブログの開設当時まだ宇宙人が何を書いていいか判らなかったみぎりに、とりあえず今日の出来事でも書いておけと衝撃を受けたソ連映画の紹介を日記調でアップしたのが『フルスタリョフ』だった(No.002参照)。解説を見れば『道中の点検』は1971年の作品にも拘わらずソ連当局によって15年間も公開禁止とされてきた危険物。『フルスタリョフ』もまた16年くらい公開禁止されてやっと1999年に発表された危険物。なぜに公開までにペレストロイカやソ連崩壊を待たねばならなかったのか、そのわけは実話を基に作られたため痛烈なソ連批判をしていると見做されたからだが、実際作品を見てみると批判しているのはソ連というより人間の暗黒面そのものなのだ。まあまだ体験していない方は是非見てみて下さい。『道中の点検』はまだ明日4月23日(水)もシネマヴェーラでやってます。二本立てでもう一本はヒッチコックの『逃走迷路』なんだけど、『道中』と並べるとその薄っぺらさが際立ちます。私でさえヒッチコック作品は米映画の中では見る価値ありと見做しているけれど、この並列はないと思うわ。ヒッチコック・ファンならこの二本立てはやめた方がいいかもです。

ところで映画ファンでもない宇宙人が映画史上最凶の恐怖映画と認める『フルスタリョフ』は、なんと嬉しくも恐ろしいことにシネマヴェーラと同じ建物に入っているオーディトリウム渋谷で上映されることに。5月24日から始まる「惜別の35ミリフィルム」フェアにラインナップされ、全31作品中ロシア・ソ連映画が半分を占める宇宙人トキメキの2週間。『フルスタリョフ』は5月25日(日)19時と31日(土)12時からの限定2回のみ。私は映画界の事情は本当に疎いのですが、このフェアの『フルスタリョフ』の解説を読むと、マーティン・スコセッシ監督が「わけは分からないが凄い映画」と寸評したとある。映画通の方ならスコセッシ監督のこの発言に注目するんでしょうが、私は単なる視聴者としてこの発言に全く同感です。凄く怖いんだけどストーリーは全然読めない。だからもう一度見たいのです。怖い物好きな方、トラウマ覚悟で是非。
フェアのロシア映画としてはソクーロフ作品が多く、以前お勧めした『日陽はしづかに発酵し…』や『エルミタージュ幻想』も入ってます。その他邦画も含め、35ミリ時代の秀作が並びます。
いい映画というのは、数年経ってももう一度見たいと思う作品ではないでしょうか。映画好きな人ならどんな作品でも毎日何度でも見たいのかもしれませんが、私くらいにたまにしか見ない人間にとっては、もう一度見たいと思うことの方が稀で、そう思わせる映画なら有料であっても見たいと思う。この映画館は映画学校を併設した建物に入っており、会員になるとシネマヴェーラなら入れ替えなしの二本立てを1,000円で見れます。会費は年800円、会員になるとオーディトリウムとユーロスペースでも会員料金で安く見られます。映画学校が勧める作品だけあってツタヤに大量にあるような娯楽作品は上映しません。
by hikada789 | 2014-04-22 17:09 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
プロの本舞台の次は素人会のお知らせです。宇宙人の先生が指導されているお弟子の発表会と、翌日にはお家元のお弟子の会が開催されます。どちらも観覧無料なので興味のある方はお気軽にご見物下さい。

-----第18回八歩会仕舞発表会-----
◆日時:平成26年4月26日(土) 12時半~16時頃
◆場所:井草八幡宮神楽殿 (JR荻窪駅よりバス10分。雨天決行)
◆内容:お弟子による仕舞、連吟、独吟
◆宇宙人出没情報:
どら声を誇る宇宙人は主役の皆さんの後ろの端っこで地謡に出没するほか、後半に「黒塚」の一節を独吟します。独吟というのは一人で謡うステージで、宇宙人は去年伊勢神宮でほんの1分ばかり独吟し、なかなか気分がよかったので今回もチャレンジしてみました。もうちょっと延びて2分くらい。
能「黒塚」のあらすじは、旅の僧が山奥の民家に一晩泊めてくれと交渉し、一人暮らしの女主人はしぶしぶ承諾するが、家内仕事の糸巻きをしながら物憂い世情を語ると、感極まって泣き出す。薪を取って来るから出掛けるけど、寝室は覗かないでくださいよ、と念を押して姿を消すが、見るなと云われると益々見たくなるのが人情なので、僧はいけない寝室を覗き、案の定累々たる屍の山を見る。仰天して家を逃げ出すと鬼女の本性を現した女主人が追ってくる。僧は仏法の力で鬼を調伏してめでたしめでたし、というもの。今回謡うのは前半の「糸巻きしながら感極まって泣き出す」ところまで。シテと地謡が交互に謡う掛合いの部分ですが、一人で謡うのでそれらしく一人芝居をいたします。謡で感極まる心情を表現するのは難しく、稽古を始めてからシマッタと後悔した宇宙人なのでした。ご笑覧下さい。

-----春黎会-----
◆日時:平成26年4月27日(日) 11時開演
◆場所:国立能楽堂 (JR千駄ヶ谷駅より徒歩5分)
◆内容:お弟子による能、舞囃子、仕舞ほか
◆観覧無料、撮影禁止、飲食禁止、場内はお静かに。
by hikada789 | 2014-04-20 17:59 | 宇宙人の能稽古 | Comments(0)
No.541で紹介した野坂昭如氏の発言は岩井志麻子の対談集『猥談』からの引用で、野坂氏の他には花村萬月氏、久世光彦氏との文学談義が楽しめる軽快な読み物になってます。岩井志麻子の猥雑ライフについては今更説明するまでもないことですが、宇宙人がこの人のタレントとしての活動を楽しく眺めている理由は、その笑える猥談の裏側に確固たるモラルがあるからです。シマコは誰をも批判したり非難したりしない。けなすのは自分自身だけ。こうした姿勢は自尊心の強すぎる人や自己の正当性に疑いを差し挟まない種類の人間には真似できません。
そんなシマコは奇しくも『猥談』の中でこんなことを云ってます。「自分が一番正しいと信じている人、自分に正義があると疑わない人が、私は一番怖い」。宇宙人なんぞはこういう輩を「怖い」ではなくずばり「愚劣で不快だ」と表現するのであるが、シマコはモラリストなのでそうは云わない。彼女は子供時代に優等生であったことがなく、クラスではいじめに近い扱いに甘んじていたというから、弱者の立場や言い分や、強者が暴走する危うさといったものがよく判るのだろう。西部邁氏が引用するある西欧思想家の言によれば、「理性を失った人間が狂人なのではない、理性以外の全てを退けた人間が狂人なのだ」そうだ。こんなモラルの持ち主が西欧に溢れているのなら私も住んでみたいと思うのであるが。

今の義務教育にはまだ道徳の時間とかあるのかな。私が子供の頃の道徳の時間の内容はいまいちピントが外れていた気がするが、上述の類のモラルなら納得できる。子供には判りにくいだろうか? マイナー作家を自負していた故倉橋由美子は、「マナーの良い人というのは、人を不愉快な気分にさせない技術を持った人のことだ」というようなことを書いており、これを読んだ時宇宙人は、そうなのよ、田舎者ってよく言うけど、地方出身者が方言で訛っていたりファッションが違っていることなどは軽蔑の対象にはならない、もっと重要なのは、例えばくだらない次元のお国自慢をしたり手前勝手な他者批判をしたりするその言説であり、都会人が田舎者めと蔑むのは、まさにそうした種類の不快感をそそる思い上がった言動を平気でしている自分にまるで気付かない驕りなのだ、と膝を打ったものだ。倉橋氏の見解を是とするなら、シマコがマナー上級者であることがお判り頂けると思う。ゆけ、シマコよ。その高きモラルと猥雑さで世間の驕りとキレイ事を打ち砕くのだ!

というわけで普遍的なモラルをテーマに言葉を綴った演能会のお知らせです。先日稽古場にあった日めくりカレンダーを見たら、本日のお題が「いや疑いは人間にあり。天に偽りなきものを」とあり思わずニヤけました。『羽衣』の有名な一節です。偽りなき天界の舞を是非ご覧下さい。

-----円満井会定例能-----
◆日時:平成26年4月19日(土)12時半~18時頃
◆場所:矢来能楽堂 (地下鉄神楽坂駅より徒歩3分)
◆演目:能「田村」、「羽衣」、「富士太鼓」、狂言「磁石」、仕舞6番
◆入場料:5,000円、学生2,000円 (全席自由)
by hikada789 | 2014-04-18 15:35 | 宇宙人の能稽古 | Comments(0)
自分より遠い人種や顔立ちに美を感じるといえば、昔海外に暮らしていた頃に同じくらいの滞在歴の既婚・未婚の日本人女性らと話していて、どういうわけか国際結婚をする日本人女性は不美人ばかりだ、なぜだろうという議論をして大いに笑ったのを覚えている。実際国際結婚をしている方々には申し訳ないですが、その場に居合わせた全員がこの説に頷いたものです。
原因としてはやはりコーカソイドの男性にはモンゴロイドの顔はどれも同じに見え、特に不美人を選んでいるわけではなく単なる偶然であり、それはちゃんと相手の人格を見て選んでいる証拠だから非難には当たらない、というのが良心的な意見だったのに対し、辛口な意見としては、美人さんは日本で常にモテているのでチヤホヤされるのに慣れているし男に不自由もしていないが、不美人は慣れていないので外国人に声を掛けられると嬉しいのを通り越して感謝してしまい、相手を逃がすまいとあれこれ尽くすから、今まで女にお弁当なんて作ってもらったことのない悲しい白人男性らに感銘を与え、勢い結婚に到達するのではないか、というものが多かった。
更に厳しい意見では、あまり相手に逆らわない大和撫子はその控え目さが世界的にも珍しく、自己中心的な白人男にとって都合がいいのだ、しかも先進国製というブランド、もっといえばジャパン・ブランドとして、男らはソニーかパナソニックの製品みたいに高級な持ち物として女を見せびらかしたいだけだ、という愛情論とはほど遠い辛辣なものまで出た。私はロシアにいた時はこの持ち物説には頷けなかったが(つまりロシアにはその種の国際結婚や日本人に対する憧れは、少なくとも当時は見受けられなかった)、その後日本人女性が多く暮らすロンドンの街で英国人や外国人らと意見交換したところ、どうも持ち物説が主流であることが感じられ、これが消費社会と旧共産国の偽らざる違いなのだろうと痛感したのを覚えている。この点についてロンドンに暮らす日本人女性らはどう思っているのか訊いてみたかったが、時間がなくて調査できなかった。しなくて良かったかもね。アジア蔑視から目を背けていないと西洋の国々に長期間は暮らせないものです。

奇しくもパーム最新刊『TASK』では主人公のジェームスが「核ミサイルに電子頭脳をくっつけたりしてた」科学者と友人だったのが似合わないと言われて、「そうでもないさ、道徳に反する行いでいちいち絶交してたら友達が一人もいなくなる」とうそぶいていたように、道徳や正義を基準に人間をぶった斬ると誰もいなくなってしまうので、倫理観は大変重要ではありますが、現実世界を泳ぐ我々としては海水が濁っているからといってそこで暮らさないわけにはいかないのです。せいぜい自分という個体がストレスで死なない程度に汚れた一角で、ささやかな平穏と安寧を確保するのが関の山。そして各個体はその快適と感じる環境の基準がまちまちで、極論すれば放射性物質の充満した区域で平然と生きられる個体もいれば、たちまち健康を損ねて命を落とす個体もある。だから自分に快適な基準を他人もそうだと判断することは危険だし、ましてやそれを他人に押しつけるのは間違った行為になる。

算命学の生き方指南では、そうした個々の個性の違いを宿命に起因するものとして読み解いていきますが、もとより違っている個々の価値基準や倫理観を無理やり統一するなどという行為ははっきり云って無意味だと切り捨てる一方、それでも大体この辺りならばといった落とし所は設けています。大勢の人が暮らす汚れた社会で、ストレスで死なない程度の基準値と、そこから外れてどうしても我慢できない人のための特別な処方です。
冒頭の例から云えば、人はなぜ国際結婚するのか、わざわざ遠い世界の人間と、価値基準どころか意思の疎通も不確かな相手とつるみ、何を得ようとしているのか、といった疑問について、算命学は一定の見解を持っているので、今回はそのことについて考えを巡らせてみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「魅力星の中殺と結婚」です。「算命学余話 #U44」で検索の上、登録&チーズケーキ一皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2014-04-16 15:22 | 算命学の仕組 | Comments(0)
このところ硬派な話題が続いたように思うのでたまにはダラけた話を。4月になったので新作アニメのチェックなどしておったところ、なんと初代ガンダムが再放送で始まった。なぜに今頃。懐かしい。私が小学生の頃大フィーバーした時は実はテレビ版では見たことがなく、遅れて映画化されたもの(当時同級生たちは映画館で長蛇の列に並んだことを熱く語ってくれたものだ)を更に遅れて夏休みアニメ特番で何度も夢中になって見たのを覚えている。つまりテレビシリーズは初めてなので、今になって年甲斐もなく毎週見始めたのだ。
よいではないか、昨今では中高年向けに懐かしのアニメや漫画を復刻して全集販売する手法が当たっているのだから、無料のテレビ放送などお安いものだ。売る側としては中高年のノスタルジーに訴えてブルーレイ全集や関連グッズを買わせようという魂胆なのだろうが、生憎私は画像やフィギュアをコレクションする習性がないのでその手には乗らない。純粋に作品を鑑賞するだけだが、敢えて言えばローティーンの頃はなぜ夏休み毎にあんなにも夢中になってガンダム三部作を見続けたのか、その感動が那辺にあったのかを確認したい。というのはガンダムはそれまでのヒーローものと違って善悪の区別のはっきりしないリアルドラマの先駆けであり、おそらくローティーンの子供に話の筋は半分も見えてはいなかったのだ。お目当ては主人公とライバルの一騎打ち、要するに活劇シーンであり、それ以外の大人たちの会話はほとんど頭に入っていないから記憶にも残らない。勿論私の頭にも残っていない。だからこの機会に頭に入れてみようと思う。

まだ始まって2回しか経っていないが、絵の古さや動きのぎこちなさは30年前の作品だから仕方ないとして、物語の始めとその展開の仕方は、なんとその後あまた作られたガンダムシリーズやその他のメカアニメに踏襲されており、オマージュ化したのかもしれないが、手法として今日も廃れていないのに驚かされる。さすが元祖。そして私のお目当てはシャアだが、「ガルマはなぜ死んだのか」「坊ちゃんだからさ」の衝撃を今でも覚えているように、子供向けアニメらしからぬシニカルなセリフの似合う敵役の存在が子供の目にもカッコよく映ったものだ。尤も随分後になってシャアの設定年齢が18歳と聞いて仰天したが(ブライトなんて19歳だよ)、最近のアニメはこの種の大人キャラがうまく創れておらず、主人公の世代目線一辺倒なのが物語の厚みを削いでいる。
前にも書いたが、私はアニメをチェックするといっても実際に第一回目を見るのは全体の一割程度で、その第一回でさえ物語の厚みの片鱗を確認できないと次回からは見ないので、1シーズン通して見ているのはせいぜい1~2作品なのだ。進化しているはずの新作より初代ガンダムの方が見応えがあるというのは残念な話で、クリエイターの才能の枯渇がやはり物質に満たされた豊かな社会にあるものなのか、アニメのみならず映画や音楽、文芸についても議論できそうである。

まあそれでも新作には新作の新たな境地があるもので、4月から始まった『蟲師』の続編は前作同様楽しみに見てます。夜中に電気を消して見ると趣が更に増しますね。東南アジアの打楽器の転がる音楽が心地よい。日本ならではの感性の作品です。あともう終わってしまったが音楽目当てで見続けた『キルラキル』は壮絶に笑える傑作でした。ばかばかしいにも程がある、しかし辻褄は合っていて展開もやたらと早い、全力疾走を極めた製作者の遊び心が冴える勝利の作品でした。面白いんだけど、もしかしたら子供向けではないかもしれない。興味のある方はレンタルで。

ところでNo.534で宇宙人が認める美人の基準としてイリーナ・クプチェンコ嬢を挙げてみたが、この基準でものを言うと世の中がもて囃す美人像が宇宙人にはさっぱりなのである。例えば昨今では小保方先生。記者会見の模様を見た男性諸君はあれを美貌と呼ぶのだが、私は鼻の穴が上向いた顔を美貌とは見做さないから、どちらかというと醜女の部類だ。入院するほど憔悴している割には前髪も後ろ髪もくっきりカールが入っていたのも変な感じだし、厚化粧自体なんか知性を感じない。研究成果の是非はともかくとして顔面が称賛されるのには合点がいかぬ。
日本人だから厳しくなるのかもしれないが、同じロシア人でもハニートラップ・スパイとして名高いアンナ・チャップマンもどこが美人なのかさっぱりである。皆さんお好きですか、あの顔。チャップマンはイギリス姓で結婚相手のものをそのまま使っており、当人はれっきとしたロシア人なのだが、あの顔はあまり典型的なロシア顔とはいえず、だいたい目が小さいよ。クプチェンコ嬢はウクライナ系だが、ロシア人の典型と同じく大きな目が特徴で、私の認める美人の条件としてここは譲れない。
目が大きいといえば故ダイアナ妃がいるが、あれもまた私の美人条件には当たらない。故人をとやかく言うのも何だが、金髪くらいしか目立った特徴のない顔ではなかったか。英国王室に馴染めぬ鬱屈した表情が上目使いの大きな目を強調しており、気の毒な人ではあったが美人ではないと思う。アンナもダイアナも私の腰痛を軽減しはしなかった。

美の基準は人それぞれとは言いながら、日本には日本の、諸外国には諸外国の一般的な美人条件というものは確かに存在し、国境を越えた色事師の話によれば、人は人種的に遠い顔を美しいと認識するものであるらしい。日本人はあっさりした顔なので彫りの深い顔立ちや大きな瞳の持ち主を美しいと感じ易く、欧米人はその逆で細い目やまるい顔に神秘性を覚える。野坂昭如によれば、終戦後に進駐した米軍兵士の相手を引き受けた大和撫子たちは、当時の日本の外貨収入の二割を稼いでいたという。その働きぶりにも驚かされるが、野坂氏が注目するのはその容姿で、米軍兵士の選ぶ女はどれもおかめ風の醜女ばかり。はっきり言って悪趣味で、当時も今もほぼ一致する日本人の考える美人顔の女性には見向きもしなかった。もし彼らが日本人好みの美人ばかりを選んでいたら、それだけで日本男児はレジスタンスにでもなったかもしれない、米国人が悪趣味だったお蔭で暴動は起きなかった、という。ヒエー。老人の話は聞くもんですな。
by hikada789 | 2014-04-14 19:10 | その他 | Comments(0)
No.534で紹介したロシアフェス関連の千円演劇『白痴』を観に行ったら、前方の席にハト型宇宙人夫妻の姿が。特にSPも連れておらず、日本の平和を象徴しておられました。宇宙人の誼で声を掛けてみても良かったが、思い留まったのには理由がある。興味のある方は宇宙人に直接訊こう。
ともあれ舞台は素晴らしい出来でした。舞台装置のほとんどない簡素な造りで、役者の演技と演出だけで魅せるドラマ。劇場としても狭くて200人程しか入らない規模ですが、役者の呟きも聴こえる近距離を活かした、あまりケレン味のないリアル劇でした。やはり演出がロシア人ということもあってちょっと純日本の現代劇とは違った趣ですが、宇宙人は何やらノスタルジックな空気に心の琴線が揺さぶられました。『白痴』自体が泣けるドタバタ劇ですし。『白痴』は文庫本上下二巻の長編なので演劇にするには相当削らなければならず、有名な「ヒロインが札束を暖炉に投げ込むシーン」は防災のためか思い切って割愛されていたのが残念でしたが、それでも休憩挟んで四時間近い大作で、ドスト節を早口でまくしたてる役者の頑張りも光ってました。

『白痴』の芝居はモスクワで1回見たことがあり、その時は主人公の公爵は単なるお人好しといった役柄だったように覚えてますが、今回の公爵はバカっぷりを前面に押し出してまるでつぶやきシローのようなオタク風に仕上がっており、最初はどうなることかと驚きました。仮にも二人の女の取合いになる主人公ですからね。でも演出は喜劇性を随所に散りばめて本論の悲劇とのギャップを狙ったものらしく、効果がよく出ておりました。極めつけはナレーションの声が先日亡くなった永井一郎さん(サザエさんの波平)にそっくりだったこと。もしや永井さんの声を録音したものかと思ったが、出演者の中にそっくりな声の男性がいたのでこの人の声だと判明した。永井さんの声は愉快の中にも味わい深いものがありますから、こちらもまた喜悲劇の落差にピッタリの配役でした。いや、いい舞台でした。あと二回公演があるので、大変廉価ですし是非お運び下さい。私ももう1件の『コーカサスの白墨の輪』も観に行こうと思います。公演日時の変更があったので以下ご参照下さい。10月には新作『古事記』が上演予定だそうです。

東京ノーヴイ・レパートリーシアター公演 (於:東京両国シアターX [カイ] )
『白痴』:5月4日(日)及び6月8日(日)、共に15時開演
『コーカサスの白墨の輪』:5月3日(土)及び6月7日(土)、共に15時開演

ところでこんな小規模の演劇を千円のチケットでどうやって運営しているのかと思ったら、要するに寄付金を募っていた。NPOを目指している劇団なのだが、2012年の法改正により一人三千円の寄付を100口集められればNPOとして認定されるそうだ。そうなんだ。節約に勤しむ宇宙人でさえこのレベルの芝居に千円は安すぎると思うので、これくらいの寄付ならしてもいい気がする。年に3回くらい観に行けば充分お得だ。私は有名な俳優やタレント目当てのショーとかにはあまり興味がなく、舞台といえば能楽堂くらいしか通わないのだが、この劇団はロシアの戯曲など硬派な古典を多く選んで演じており、内容は娯楽というよりは良質な本を読むような刺激を与えるものばかり。どういう経緯でロシア人の演出家を招いたのか興味があるが、消費社会でない世界から来た人の価値観や芸術センスに触れられる良い機会なので、お勧めしたいです。
なお劇場であるシアターXが主催する公演は全て千円で、近日上演のものの中には『イェイツと能の夕べ』(6月10日(火)19時。観世銕之丞のトーク)というのもある。音楽や舞踊のワークショップなどもあり、「能塾『語りの宇宙』稽古照今」とかいう講義もやっている。能もいろんな試みをしているのだな。
by hikada789 | 2014-04-12 15:51 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
消費税アップ後久しぶりに買い物に行ったら、いつも買っているプレーンヨーグルトが税込で1円安くなっていた。なんだこういう事もあるのだな。探すと結構ある。うどんとかコーンフレークとか、弱者向け。有難いが逆に今までは割高に買わされていたということか。近所に昔ながらの惣菜パンを売る小さなパン屋があるのだが、ここは全品値上げなしで頑張っている。よしよし、またカレーパンを買いに来るからな。でも日本で初めて消費税3%が導入された時の記憶では、売上3,000万を超えない企業は消費税を払わなくていい条件だったはずだが、今は違うのだろうか。

そんなことを考えていたら土星の裏側が3周年を迎えたのを見過ごしてしまった。友人が記念に何かお裾分けをしてやろうかと言う。宇宙人はプレゼント・フォーユーと言われて物を贈られるとお返しで頭を悩ませ却って疲れるので、友人は家にある余り物を分けるという形で支援してくれているのである。心遣いがかたじけない。やはり命を繋ぐ食品が有難く、コメ味噌や缶詰など保存の利く栄養食品は拝んで頂きます。固形カレーも歓迎。宇宙人はインドカレーを漢方薬膳と思っており、贅沢のできなくなった昨今では外食といえばインド飯なのである。ナン食べ放題のランチで2食分食い溜めるのだ。
あと必要品といえば、ミルクパン。10年以上前に100円ショップで買ったアルミのミルクパンの取っ手がグラグラしてじきに折れそう。毎日お茶やコーヒーを淹れるのに使うのでちょっと心配だ。寿命だね。買い換えようと同じく100円の中国製ホーローパンを買ったのだが、これがどういうわけか沸かすたびにコンニャクの匂いが立つ。コンニャクというとアルカリ? 鍋からなぜ? 気味悪がっていたらちょうど例の生霊まがいの発疹が現れた時期だったので、関連性を警戒して今は使っていない。どなたかお湯がすぐ沸く安全な小鍋がお余りでしたら是非宇宙人に。消費税前に湯沸しポットを買おうかとも思ったのだが、うちはコーヒーをハンドドリップで淹れるので淹れ終わるまで沸騰寸前の温度でキープできる鍋の方が用途に合っているのです。

その友人には鍋のスペアがなく他にはと訊くので、ええと敷布団の破れが進行しており修繕すべきか買い換えるべきか悩んでますと答えると、沈黙して再び他にはと訊くので、ポケットティッシュが最近手に入らない、宇宙人は歩くのが早いせいか渋谷駅前を歩いていても誰もティッシュを渡してくれず困っていると答えたら、その場でバッグからポケットティッシュを取り出して宇宙人に与えてくれた。有難い。宇宙人は歩くのが早いせいか、歩行中に鳥の糞を浴びることがよくあるのだ。昨日も浴びてしまった。昨日お会いした方、宇宙人の上着の肩口が濡れていたのは途中デパートの化粧室で洗ったからなのでした。ティッシュがないと困るのだ。
友人が不満そうに眺めるので、宇宙人は手帳を開いて今読みたい本はこれだと示した。『満洲におけるロシア人の社会と生活:日本人との接触と交流』(ミネルヴァ書房、2013年)8,400円。図書館にないので取り寄せたいが、この値段からして大著なので期限内に読み終えるか心配。中古になるにはかなり時間がかかりそうだし。最近はシベリアやモンゴル関連の読書が続き、満洲にまで広がってきた。シベリア流刑は刑罰というよりちょっとした政治移民であり、その子孫の足跡が満洲に行き当るので興味がある。当然愉快な結末にはならないが、だから知りたいのである。
無料のティッシュや鍋の話から一気に飛躍したので友人は再び沈黙し、そのうち手頃なレトルトでも送ろうと云って去った。皆様からの温かいご支援お待ちしております。
by hikada789 | 2014-04-10 13:05 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
最近の科学の見解によると、人間の老化というものは免疫力の低下が主たる原因だそうで、具体的には免疫細胞が正常な働きを失うことによって健康な細胞たちを誤って無駄に攻撃し、それにより病気が発生・進行するということらしい。なぜ免疫細胞が正常な働きを失うかというと、免疫細胞のある種類は人体が子供の頃に胸腺で性能を厳しく選別され、たった5%が試験をクリアし精鋭部隊として体内に放出されるのだが、胸腺という器官は成人する頃にはほとんど消滅するため成人後は補充されない。成人後の人生が長いとそれだけ精鋭部隊を使い回すので、くたびれて精度が落ちるらしい。ではなぜ新兵が補充されない仕組みなのかといえば、成人といえばもう生殖可能な体なので、生物としての人体は子孫を残した段階でもう命を終えてもよいという判断がなされた結果なのだそうだ。子供を作ってある程度自立できるまで育てたなら、人間の役目は終わりなのだ。老後の心配などもとより生命プログラムには入っていないのである。

最新の医療研究によれば、この疲れてまともに働けなくなった免疫細胞の老兵たちを、例えばiPS細胞で新兵の状態に甦らせることは理論的には可能である。免疫細胞が新品になれば、健康な細胞たちも余計な攻撃を受けず、従って現在加齢に伴うとされる病気にもならず、総じて寿命は延びるであろう。老化自体、大幅に遅らせることもできるだろう。
そこで算命学者は考える。五行のバランスで成立しているこの世界は、果たしてこのような事態を許すであろうか。否、これでは寿が突出して全体のバランスが崩れてしまうので、どこかが割を食ってその分を補填することになるだろう。そのどこかとは何か。
一番考えられるのは、既に今日の社会にも現れて来ているように、出生率の減少である。寿命が延びるということは老人が長生きするということであり、バリバリ働いてくれる自活老人なら結構なのだが、既に手足や頭が弱って物理的に自活できない老人が増えたり、社会的には福祉費が増大したりすると若い世代の家計を圧迫し、シワ寄せは下の世代に集まってくる。少子化の根本原因はここにあり、多くの老人を生かすために次世代の子供、つまり出産そのものが犠牲となり、結果的に人口は横ばいを保つ、というのが算命学的な理論に沿った未来予測になります。繰り返しますが、「子供」が犠牲になっているのです。

算命学の五行説を無理やり現代社会に当てはめたこじ付けだと言われるかもしれませんが、これは上述のように医学的観点からも傍証されており、老いた免疫細胞はもはや新兵の頃のような機能を果たせず、それどころか健康な細胞を無駄に攻撃して病気を促している。人間社会においても、老いた人間がいつまでも生や財にしがみつくと家族や社会のお荷物となり、結果として次世代は豊かさや活動性を損なうのである。しかし人間が自然の摂理に従って老衰し、丈夫な子孫を残した段階で生命を終えれば、次世代は新たな精鋭となって活力ある豊かな社会を生きることができる。
新兵とは誰のことか。子孫のことか、それともiPS細胞で再生した我が身個人の免疫細胞のことなのか。算命学の理論では、その差はあまりありませんが、いずれの場合も誰かが、何かが、その新しい事態を支えるために陰で割を食って犠牲になるということです。

算命学のダークな部分に抵触するイントロになってしまいましたが、この種の話は深いので別の機会に回すことにし、今回の余話のテーマは前回の生殺局と殺局にちなみ、引き続き車騎星・牽牛星についてです。生殺局と殺局は共に火剋金によって生じる官星の現象を扱ったものですが、相剋ではなく中殺を受けた場合、官星はどうなるのか。
私が請け負っている運勢鑑定では恋愛相談をお断りしておりますが、算命学は理論的には恋愛相談は可能です。というより結婚相談が可能なのであり、結婚を前提としていない恋愛の相談はいくらやっても意味がないと考えているため、鑑定者個人の判断で受けるか受けないかを決めているわけです。私は受けませんが、結婚に対する見解は官星にまつわるものが多く、今回はその点を少し考察してみようと思います。ずばり、女性にとっての結婚運は、男性にとっての仕事運と同じ見方をするのです。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「官星の中殺を考える」です。「算命学余話 #U43」で検索の上、登録&苺ショート一皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2014-04-07 16:52 | 算命学の仕組 | Comments(0)