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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

<   2014年 09月 ( 14 )   > この月の画像一覧

宇宙人の行く末を心配してくれている友人から、「運勢鑑定の依頼人の中にはきっと鬱病患者だっているだろうから、鬱病に対する厳しい姿勢をこんなに打ち出しては営業に差し障るのでは」との意見が寄せられた。確かに易者に人生相談を持ちかけようとする人は大なり小なり精神不安を抱えているので、その何割かが鬱であってもおかしくはないが、私が常々おかしいと思っているのはその鬱病診断の基準であり、今の基準を真に受けると国民の過半数が鬱病と診断されてしまうことだ。

鬱病に限らず糖尿病やメタボもそうだし、最近のブログにも挙げたガン診断だってそうだ。「ガンではないガンモドキ」を一生懸命除去して「ガンが治った」とか言っていると主張する医者の意見に私は感覚的に賛同しているが、最近はメタボの基準値も迷走しているし、鬱病だって国民の半分も罹っているなら、健常者の方が少ない社会がどうやって回っていけるのだね。ガンモドキ同様、前回の余話#U60玄に指摘の宗教モドキ同様、鬱病モドキが世を席巻しているだけで、本当にケアが必要な真性鬱病患者はごくひと握りであり、残りの99%は単なるヘタレと見做して尻を蹴っ飛ばせばたちまちシャキっとするのではないのか。
鬱病なんてやさしい名前がいけないのだ。最近は暴走族をもっとカッコ悪い名称に変えて暴走族志望者を減らそうという運動があったが、鬱病も「ヘタレ病」と改名したらモドキ患者は一掃されるのではないのかね。私はギックリ腰常習者として、あの脳天を突き抜けて声も失うほどの激痛が「ギックリ腰」という愉快な名称ゆえに同情されず、笑いのネタにされている悲劇を引き合いに出させてもらおう。そして主張しよう。鬱病はヘタレ病と改名すべしと。

友人がせっかく心配して意見をくれたのに逆効果の方向へ流れてしまった。すまぬ。でもこれが現在のわが本心なのだ。今の社会は鬱病のみならず病人に対して臆病になりすぎだ。だから本来病気にも当たらないモドキが病人を装って権利を主張し(そもそも権利を主張する元気のある人が病人なものかね)、結果的に本当に治療が必要な重病人へのケアが手薄になってしまっている。国民の総医療費が記録を更新し続けているというのに病人が一向に減らない原因はここだという指摘は報道だってされているのに、これを肯定すると困る人が多いからかすぐ取り沙汰されなくなる、道理のない世の中であるのだよ。地球から見えない土星の裏側くらい自由に発言させてもらっても罰は当たるまい。

真性鬱病というのが本当に存在するのかどうかも怪しいが、鬱病と診断された数年後に社会復帰を果たし、しっかり自己分析して再発防止にもその後の人生にも成功している安藤美冬という人物について、佐藤優氏が『修羅場の極意』でとり上げているので、鬱経験者の方には参考にして頂きたい。外交官時代に鬱病の同僚をさんざん見てきた佐藤氏は言う。「安藤が成功した秘訣は、自分の中に潜んでいる資質を等身大に見つめることができたからだ」。
人生に悩んでいる土星裏への鑑定依頼者にもよく伝えるのですが、まず自分自身を正しく認識すること。宿命から算出される人間像には長所も短所もあり、それは別個のものではなく表裏一体です。陽転すれば長所が出るし、陰転すれば短所が出る。しかしどちらも本物であり、偽物はない。気に入らない自分の短所を「偽物だ」と言い張る人が時々いますが、それでは自分自身から目を背けていることになり、その資質を陽転して長所に変えることもできない。人生に行き詰まって鬱病になる人は、実現不可能な理想の自分への拘りを捨てて、まず自身の資質と力量を正しく認識し、傲慢でも卑屈でもない「等身大」の自分が社会のどこでなら活躍できるのか考え、適切な活動場所に身を置くこと。そうすれば安藤氏のように鬱病を脱して活躍できるようになれるのです。是非見習って下さい。
こんなことを書くと鑑定依頼がこれまた減ってしまうかもしれませんが、ヘタレ病患者が社会に溢れるよりマシです。それでもなお自身の資質と力量が判らないという人はいるでしょうから、そういう方たちには運勢鑑定による客観的診断は有効かと思います。ちゃんと営業トークになったぞ。
by hikada789 | 2014-09-30 15:34 | 算命学の仕組 | Comments(0)
小説というのは著者の経験を基に組立てられるものなので、娯楽小説でもない限り、作家の思想が経験則に基づいて述べられています。その実体験が苦痛に満ちているほど読者の心に迫るものがありますが、やわな苦痛だと却って失笑を買うことになります。
今の日本は平和で豊かな時代が続いているので、例えば流行りの鬱病などは贅沢病ともいうべきで、たとえどんなに当人が苦しんでいると訴えようとも、空爆されて手足をもがれた民間人や冤罪で老人になるまで監獄に入れられていた人に比べれば、手を振って一笑に付されても仕方ないわけです。上には上がいる。空爆や冤罪の被害よりもっと酷い事態だってあるでしょう。そんなものを競って優劣つけても何の解決にもならないので、人類はこうした事態が今後起きないように各事案を研究分析し、再発防止に励まなければなりません。

私はかねてから明言している通り鬱病の人が嫌いなのですが、いくつかある理由のうちの一つは、鬱病になった人がどうして鬱になったのか自己を省みることをせず、従って原因の大部分は自分にあるのだという紛れもない事実を直視せず、ただどんなに苦しかったかとか周囲の理解がなかったかとか恨みつらみを並べるばかりで、将来の再発防止のために頭をめぐらそうとしないところなのです。そこに知恵はありません。私は知恵をもっているのに行使しない人間が嫌いなのであり、その知恵の欠如こそが鬱病を発症させると考えております。
一旦欝になったからには回復までにある程度の年月を費やしますが、一体何のために人生のかなりの時間を潰してまでそういう状態に身を置くことになったのか、もちろんそこには意味や学びがあるはずなのに、そのことに全然思いを馳せることなく、ただ不運で無駄な経験として打ち捨てておきながら、本人はまるで自慢するかのように被害者づらなのです。世間では鬱病患者には厳しい言葉をかけてはならないとしていますが、なぜ欝になったのか少しは自分で考えろ、と厳しい口調で言ってみたら却ってすぐに社会復帰できるんじゃないかと思うのですが、皆さんは如何でしょう。

算命学の見地からいえば、空爆や冤罪やその他の猛烈な理不尽でさえも本人に原因があり、そこに至るまでの歴史、端的にいえば先祖の所業の積み重ねが結実したのが現状なのです。しかし先祖といえども集団社会の中で生きていたのだから、当然所属する一集団の所業が今日の我々と環境を作ってきたのであり、広義の集団といえば人類全体になるわけです。
そういう意味では、ある事件や理不尽に対し、誰が加害者だとか、会社が加害者だとか、法律が不十分だとか、あの民族が悪いとか、この宗教のせいだとか、どの国家のせいだとかは、どれも言いがかりに過ぎず、我々の痛みは我々の先人たち、つまり人類全体が作った贈り物なので、怒りの矛先を特定のどこかに向けるのは当たっていないし、同時にどこへ向けても正解だということになります。
我々は事件が起きると犯人を捕まえて裁判にかけたり罰したり、敵とみなして攻撃したり、新たな法律を作って抑止を目論んだりしますが、そのどれもがなぜかピントがずれているような気がするのは、こうした理由からなのかもしれません。(ピントがずれていると思わない方、あなたの知恵は正常に稼働していないので、メンテナンスに行って下さい。)

算命学余話も今回で60回となりました。よく続いたものです。読者の皆さんのお陰です。読者がゼロだったらやめようと思っていましたが、お陰様で毎回の読者を細々ながら得られておりますので、当分継続する意欲であります。
還暦をひと巡りとする算命学では60回は特別な区切りであり、また今回は玄番、12回毎に設けている玄人向けの回です。値段のせいもあって玄番の読者は少ないのですが、やはりゼロではないことに勇気を得て、今回も鑑定とは関係ない、算命学の思想面について考える重めの講話です。鑑定技術や鑑定事例を提示するものではありませんので、予めご了承下さい。

ロシアの作家ワシーリー・グロスマンの『万物は流転する』を以前ブログで紹介しましたが、これよりも更に長編の『人生と運命』の方が作品としては有名です。なぜ有名なのかは本書あとがきやネットでも調べられるのでここでは割愛しますが、この作品はいわゆるユダヤ人問題を大きく取り上げており、グロスマンもまたユダヤ人であることから、第二次大戦中の迫害で家族を失うという実体験を小説に盛り込んでいます。
しかし私が批判した鬱病患者とは違い、そこに安易な恨みつらみは見受けられません。加害者であるドイツ人に対する非難さえありません。では人間に対する非難はあるかといえば確かにありますが、その矛先は何と自分自身やユダヤ人に対してさえ向けられているのです。それも単なる投げやりな自虐趣味ではなく、冷静に分析を重ねた結果の苦渋の結論なのです。そんな内容だから世界の読書界で絶賛されているし、ソ連時代は社会を揺るがしかねないとして禁書になったのです。

私が感銘を受けたのは以下の点です。グロスマンの母親は大戦当時ウクライナに住んでいて、ロシア在住のグロスマンとは離れていました。両国は国としてはソ連として一体でした。その後ドイツ軍がウクライナを占領すると、当地のユダヤ人をその他の民族から隔離し、最終的に殺害します。グロスマンの母親もここで落命しました。このくだりは『人生と運命』に形を変えて描かれています。
その後ドイツに勝利した戦後のソ連は、引き続きスターリンの恐怖時代で、ドイツに対抗するための象徴でもあった国内のユダヤ人は、次第に立場が逆転して非難の対象となっていく。そんな時にスターリン暗殺を企てたとする「ユダヤ人医師団事件」が起こり、大勢いるソ連のユダヤ人はこれらの暗殺容疑者たちを糾弾する文書にサインを強いられます。踏み絵というわけです。

グロスマンは当時既に著名なジャーナリストでしたが、この時サインをしています。それは己の保身のためというよりは、それが全体的に正しいと判断したからです。しかし心の奥底には「ただでさえ覚えめでたくない我が民族(ユダヤ人)の大部分の今後の安泰を、この数名の医師を犠牲にすることで確保できるなら」という期待があった。この非難には当たらないような気もする歪んだ期待を、グロスマンは決して許さず、サインしたことをひどく後悔します。「自分がサインしたことは、ウクライナで非業の死を遂げた母親の殺害に手を貸すことと同じではないか」。この苦悩も小説の中で取り上げられています。
しかしもしサインしなかったなら、スターリン体制下のソ連ではあっという間に収容所に送られ、家族もそうなる。そしてすぐ死ぬ。そういう時代だったのです。それでもグロスマンは自分の罪から目を背けて生きることはしなかった。時代のせいにはしなかった。結局、小説は発禁となり、本人も晩年は不遇に終わります。しかし作品は数少ない友人の手から手に渡って国外へ脱出し、まず欧州で日の目を見、やがてゴルバチョフの時代にソ連でも出版され、その苦痛の思想は世界に伝播しました。
この作品の重い問題提起に対し、我々はいまだ解決策を見出せていませんし、それどころか世界で翻訳されているとはいっても読者の数は多いとは云えず、上述の鬱病患者が自分の小さな痛みを主張するばかりでそもそもの原因に目を向けないが如く、この人類病に対して真剣に目を向ける人はいくらもいないのが現状です。

算命学でグロスマンを論じたいわけではないので、小説の話はこれくらいにして、今回の副題は「宗教と民族の運命」です。『人生と運命』にシャレたわけではないのですが、算命学が宗教という人類規模、民族規模の現象をどう捉えているか、そもそも宗教とは何なのかについて、考えてみたいと思います。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「宗教と民族の運命」です。「算命学余話 #U60玄」で検索の上、登録&サンマ定食1皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2014-09-28 16:28 | 算命学の仕組 | Comments(0)
No.602で宣伝したロシアフェスの「コネヴェツ・カルテット声楽コンサート」を昨日聴きに行ったのですが、プログラム前半の聖歌、後半のロシア民謡が素晴らしいのはもとより、アンコールで歌ってくれた「涙そうそう」で場内は涙の渦に。宇宙人も泣きました。本家の歌手が日本語で歌っていた時には大した感動をしたこともなかったのに、ソプラノのユリア・ホタイが日本語の歌詞を理解して歌っているとは思えないのに、あまりに美しくも悲しい歌に仕上がってました。ロシア声楽、おそるべし。宇宙人、感動のあまり皆さんには「涙そうそう」だけでもおすすめしたく、まだ今週残っているコンサートの会場を列挙しておきます。

◆9月25日(木)19時開演、埼玉会館小ホール
◆9月26日(金)19時開演、武蔵野市民文化会館小ホール
◆9月27日(土)18時半開演、海老名市文化会館小ホール

全曲アカペラです。音程をそろえるために通常は笛を使うのですが、このチームのリーダーは音叉を使っていたのも新鮮でした。日本もハモネプとか流行ってるから、若い子たちにはこういうパフォーマンスにも触れてほしいですね。この舞台にサイボーグかおりとか乱入したら面白そうだなと、ちょっと意地悪く考えないでもなかった宇宙人の感動話でした。
by hikada789 | 2014-09-25 13:15 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
スケールの大きな話。環境とデザインを考えるシンポジウムを聴きに行ったら、パネリストに水戸徳川家の当主が呼ばれていた。徳川斉正氏。徳川慶喜の曾孫で現在56歳。会社役員のかたわら文化事業に携わり、水戸にある德川ミュージアムの理事長も務める。風貌は明治時代の徳川慶喜の写真に大層似ている。細川護煕はじめ、お殿様ってまだ生きているのだな。
斉正氏が呼ばれたのは、その文化事業の一つに水戸徳川家が所有する「德川の森」の運営というのがあり、樹齢三百年とか四百年とかの木材を日本各地の歴史的建造物の修復に提供するなど、文化財保護に貢献しているからだ。樹齢何百年の木材といえば昨年遷宮で話題になった伊勢神宮の森が有名だが、現在の徳川家も同様の役割を現代社会で担っていたのだった。

しかしシンポジウムの本論からは逸れて、斉正氏は実にお茶目な人柄で、会場は笑いの渦。環境とは関係ないがデザインには関係あるかもしれない水戸光圀ゆかりの葵の印籠をパネルに映して「この紋所が目に入らぬか」と言ってみたり、笑いのツボをよくご存知である。
スケールの大きな笑いとしては、斉正氏が幼少の頃のイタズラ話で、かの御仁の生家には徳川家ゆかりのお宝がわんさと所蔵されており、客が来るとおもてなしにそうした調度品が部屋に飾られるのだが、通常子供はしっしっと戸外へ追い払われるのをたまたま雨天だったため家の中で遊んでおり、客が帰ったあとの客間に侵入したら狩野探幽の金屏風(パネルで表示)が片付けられずに立っている。斉正少年は手に持っていた鉛筆で探幽の屏風にイタズラ書き、目撃したお手伝いさんに羽交い締めにされて当主の元へ引っ立てられた。この狼藉に対しお手伝いさんが消しゴムを持ってきて消そうとしたが、当主はこれをとどめて曰く、「これもこの画の運命だからそのままにせよ」。
かくして探幽画には水戸徳川家15代当主直筆の落書きが加わることとなったのであった。日本の歴史がまた1ページなのだ。幕府は滅びても徳川家は未だ滅びずなのだ。
by hikada789 | 2014-09-24 15:38 | その他 | Comments(0)
前回お知らせしたDLmarketには算命学関連の書き物がいくつか陳列されており、おや同業者がここで頑張っていたのかと新鮮な発見をしました。タイトルや体裁を見る限りでは宇宙人同様ネット上の技術にそれほど習熟しておらず、いかにも素人っぽい手作り本といったところはまさしく「余話」のおトモダチ。DLはパブーと違って表紙画像や試し読みページは自分で作らないといけないので、とりわけ試し読みページがないとなかなか購入者の手が伸びないという欠点がある。果たして売れているのやら。一昨日アップした余話の#U59は今日見たら閲覧数が28回と出ていた。販売数は勿論ゼロ。閲覧ページには土星の裏側へのアクセスを貼り付けてあるから、DL愛好者で算命学に関心のある方が土星の裏側へ立ち寄ってパブーの試し読みを読んでくれたらいいな、と都合よく考えて特に販促対策を練らない宇宙人なのだった。我ながら最近性格が悠長になった気がして歳のせいかと思っていたが、自分の宿命を見たら去年から大運で鳳閣星が回ってきていた。そうだったのか、自分。

では悠長ついでに柔らかい話。先日作曲家の澤野弘之のインタビューを見かけた。いまどきの青年でシャープな印象だった。知らない人の方が多いと思うが、最近のドラマやアニメの音楽を作って売れている人です。大ブレイクした『進撃の巨人』の音楽を担当して、その後も立て続けにアニメの音楽を制作。私はその音楽を求めて大人げなくアニメを見続けたのだが、今シーズンのはいただけなかった。音楽は澤野の特徴が出ていて良かったけど、アニメ本編が全然頭に入ってこなかったので作品としては失敗だと思う。
私はアニメを見たいんじゃなくて音楽を聞きたいだけなのではないかと指摘されると否定できないのだが、音楽倒れしたといえば菅野よう子もそうだ。菅野よう子も私の好む音楽を作ってくれる、ドイツ型シンフォニーを得意とする作曲家で、やはりアニメで起用されることが多い人なのだが、今シーズン担当した『残響のテロル』はアニメ作品としては不発だった。2年ほど前には『坂道のアポロン』とかいう少女漫画原作のアニメを担当していたが、これは更にひどくてとてもじゃないが見続けられなかった。音楽は悪くない。原因は作中人物の女子がモタモタしているところにある。そうか、宇宙人は男子に助けてもらえることを前提としたモタモタ女子が嫌いなのだな。あのモタモタして前に進まないセリフ回しがイヤなのだ。恐らく視聴者の男子にはウケるのだろうが、宇宙人は要領よく早く喋れとツッコミたくなる。
モタモタといえば、わが愛するMXの生番組で映画の紹介や批評をしてくれるトーク番組があるのだが(金曜日の「バラ色ダンディ」)、映画ライターの高橋ヨシキ氏の怒涛のような映画ウンチクとそれに合わせた画面切替えが小気味良く、とめどなく流れる音楽のように楽しく視聴してきたのだが、最近余計なゲストを呼んだお陰でテンポが落ち、情報量が激減した。モタモタするのだよあのゲスト。番組の趣旨に合ってないから降板してほしいのだ。

最後に10月からの新作アニメで期待したいのが『寄生獣』。これは原作がすごいのだ。岩明均という漫画大賞をとったこともあるややマニア向けの漫画家が二十年ほど前に描き終えた長編で、正体不明の喋る寄生生物に右手に寄生された高校生の話。右手にいるからミギーと名付けるのだが、ミギーは目玉親父の風貌のくせにえらい知的で、その敵役の同類の女も最終的にえらく聡明でカッコ良かったのを覚えている。ついでに彼らに影響された主人公も次第にカッコ良くなっていく一種の成長物語。ちょっと形容しがたい内容なので是非原作を読んでもらいたい。アニメの方はというと、PVを見たけど、主人公が眼鏡をかけていたりしてどうも原作に忠実というわけではなさそうだ。寄生獣の知的表現よりもそのシュールな攻撃描写の方を売りにしているとしたら、期待はずれになるかもしれない。音楽担当は知らない人。
あと、あんまり見たくないような気もするのが『テラフォーマーズ』。地球からの移住計画のために火星にばらまかれたある昆虫が、進化して地球人の敵となるお話。ある昆虫とはあの生命力旺盛な黒いシルエットなのだ。これが二足歩行しているのだ。たくさんいるのだ。ああ、見てはいけないのだ。見たら夢に出てきてしまうのだ。

ブクログ
by hikada789 | 2014-09-22 16:12 | 宇宙人の読書室 | Comments(1)
算命学余話を販売しているブクログのパブーを泳いでいたら、DLmarketなるダウンロード販売サイトに行き当たった。こちらは電子書籍に限らず動画や音楽も受け付けている販売サイトだ。当面は文字オンリーしか売るつもりのない宇宙人にとってどのような利点があるか調べるべく、試しに一昨日パブーに掲載した「算命学余話 #U59」のPDF版をアップして必要情報を得てみた。パブーとの違いは以下の通り。

◆ファイルごとアップできる。PDFならそのままアップできるので、ブクログのように無料だと横書きでしか載せられなかった文字を、縦書きにできる。但し文字情報だけからPDFに生成する機能はない。
◆購入手段が選択できる。クレジットカードの他、DLコインや楽天IDなどがある。コンビニ決済や銀行振込も販売者がOKにすればできるが、宇宙人は今回は見送った。
◆販売手数料が安い。パブーは売値の30%なのだが、こちらはクレジットカードやDLコイン決済なら税込で16%程度、楽天IDなら19%程度(千円以上の高額商品ならもっと低くなる)。パブーに比べれば随分お得な気もするが、デメリットもある。売上金が著者へ銀行振込される際に手数料315円とられること。せっかく手数料が安くてもこれでトントンになってしまうわ。今まで気付かなかったが、パブーは消費税も振込料も度外視していた。DLは購入者にも消費税を課すし、税率が変わればそれに応じて手数料も変わる仕組み。パブー販売価格と合わせるため、今回アップした#U59は税抜き280円に設定しましたが、税込表示はしっかり302円になっております。DLで購入される方はご注意下さい。
◆PDFに保護機能がつけられる。今回つけてみました。まずご購入の方には、最初の登録時に届け出たメールアドレスがパスワードになる仕組み。次に著作の所在を記した表示がページのヘッダーに出る。ヘッダーをフッターに変えたり、網掛けスタンプにすることもできる。著作権保護ですな。
◆購入者の登録名が販売者に通知される。やはり著作権保護目的に考えられた策。動画や音楽も販売できることから、海外からの盗っ人を撃退すべく、海外からのアクセスブロック機能もついている。
◆ポイント還元やアフィリエイト機能がつけられる。DLコインでお買い上げの方には次回から使えるポイントを進呈できるが、今回は見送った。DLコインを使っておらずよくわからないからね。またアフィリエイト登録の方に宣伝頂いた結果の売上から差し引かれるアフィリエイト率も、1%からつけられるのだが、当面見送り。ブロガーはこうやって稼ぐのだと誰かが助言してくれたことがあったっけ。よそ様の商品を自分が土星裏で宣伝している風景を想像したら、佐藤優の本くらいしか思い浮かばなかった。中身をよく知らずに無責任な宣伝はできないものです。
◆セット販売ができる。算命学余話は連載ものなので、もっと巻がたまったら、まとめ買いのお客さん向けにチョイ値引きセットをご用意してもいいかもしれない。とりあえず保留。

その他有料・無料のいろいろな機能がついているが、宇宙人の使い勝手としては、マイPCにPDF変換機能がないので従来どおりパブーでPDF変換してもらうしかない。またパブーは画面表示だけならPDFを見れない環境でも読めるけど、DLはPDFでしか読めない(まあスマホの世の中だから読めない人もそうはおるまいが)。というわけで、当面は引き続きパブーメインで販売いたします。DLに既に登録済みの方で、是非DLから買いたいという方がおられればコメント下さい。確かに販売手数料が安いのは魅力的だし、余話も次回で60回だから、これを区切りにDLに乗り換えることも考えられます。
そうだ、小説「メタフォーラ」がパブーでは横書きで読みにくかったから、手元にある縦書きPDFを試しに載っけてみてもいいかもね。
by hikada789 | 2014-09-20 15:37 | 算命学の仕組 | Comments(0)
金白水清と木秀火明が相生関係の生み出す恩恵の風景だったのに対し、前回余話の組合せは相剋関係による有益性が特徴でした。このように相生関係だから良い、相剋関係だから悪いといった単純な判断では命式を正しく理解できない事例は、枚挙に暇がありません。楽をするとなまくらな人間になってしまう命式や、厳しくすることで磨かれていく命式はたくさんあります。従って、ある1つの判断材料だけで宿命の良し悪しを判断すると、全体像を見誤るのです。要はその命式全体が輝くような人生が送れているかどうかであり、どんなに宿命が上格であっても星が輝いていないなら、下格の宿命で星を輝かせている人より劣る人生なのです。

算命学の技術に依らなくとも星が輝いていない人を見分けるポイントの1つは、その人が自分と他人をしょっちゅう比較して優劣ばかり気にしているというところです。これは人間の本能の1つである名誉心が陰転した姿であり、名誉というものがそもそも他者へのアピールを意味しているところから、顕現しやすい、つまり容易に人の目につくのです。
自分が他者よりいかに優れているかを必死になってアピールしたがる男女は、うざいです。このように星が輝かない人に限って、その自分の行為や態度によって自らが名誉を下げていることに気が付きません。性格によっては「必死にアピール」はしないが「それとわからぬようアピール」するタイプの人もいますが、結果は同じです。本人はそれとわからぬよう工夫しているつもりでも、陰転している人は自分が見えなくなっているので、やっぱり周囲からは丸見えであることに気付かないのです。
本当の名誉が欲しいのなら、実力をつけるしかありません。実力が証明できればいくらアピールしても、心の歪んだ一部の人の妬みを買うくらいで、全員から軽蔑されることはありません。実力は裏切らないのです。裏切るのは虚飾です。

さて、最近「洗脳本」で話題になっているらしいある芸能人の半生を描いたテレビ番組をたまたま見かけたのですが、実に恐ろしい話でした。自己啓発を謳った一種の新興宗教団体に暴力で支配され、12年間も奴隷のような生活を強いられ、最近になってやっと解放されたという実話でした。私は芸能界に疎いのでこの人が活躍していた頃の栄光はよく知らないのですが、番組ではひと通りの経歴を紹介してくれたので興味が湧き、この人の宿命を見てみたところ、非常に興味深い結果が出たので、今回はこの事例をとり上げて算命学的な解説を試みてみます。
この人の日干は丁ですので、前回の余話で挙げた組合せの話に関連しております。また前回書き忘れた部分の補足もします。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「財をとられるケース」です。「算命学余話 #U59」で検索の上、登録&ほうれん草カレー1皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2014-09-18 17:11 | 算命学の仕組 | Comments(0)
戦争映画の感想なんぞを書いたものだから宇宙人が映画好きと思われては誤解になる。実際のところはソ連・ロシア映画を機会があれば見る程度で、その他の娯楽映画はほとんど見ないしレンタルもしない。たまにテレビでやっているのを見るが、そもそもテレビもさほどは見ない。嘘っぱちが嫌いな宇宙人は役者さんたちの演技がどうしてもわざとらしく感じられて感情移入できないからだ。それよりは素のままのドキュメンタリーの方が興味が湧くし、いっそアニメの方が嫌味がなくていい。

最近のマイブームはTOKYO MXでやっている「水曜どうでしょう」。15年以上前から北海道のローカルテレビが連作している旅番組を、さすがのMXが目をつけて流しているもの。大泉洋と相方の鈴井氏しか出演しない学生旅行みたいな珍道中をえんえんと綴ったホームビデオ仕様の作品群なのだが、最初に見た最新作のアフリカ編はとても良かった。アフリカのサバンナなど動物番組で腐るほど見てきたが、それらとは風景がまるで違っていた。なぜなら大手テレビ局の番組クルーは獣の姿を撮影しやすいよう乾季にばかり現地に行くのに対し、「どうでしょう」は4月の潤った季節を選び、これまで見たことのない生い茂った緑の中のキリンやライオンを撮っていたのだ。
お陰でサバンナといえば黄色く乾いた草とかさかさした樹木がまばらに生える不毛の大地というイメージだったのが、緑溢れて雨も降る豊かな草原であるという風に刷新された。草が伸びているため確かに動物の姿は見えにくく、映像としては優れていないのかもしれないが、それもまたサバンナの一面であるのだし、出演者は台本がほぼないのでわざとらしいセリフやリアクションに邪魔されずに一緒にアフリカを巡っているような気分になれる。布でできた宿泊所で夜中に周囲を猛獣に徘徊された場面では、思わず笑いをこらえながら息を止めました。画面はまっくらで何も映っておらず、猛獣の立てる物音しか聞こえないというのに、臨場感と本物の恐怖が伝わったのです。作為のない驚きっていいな。えらいぞ北海道テレビ。ナイスチョイスだMX。

映画の話に戻ると、宇宙人が娯楽目的で作られる映画に失望している理由の1つが、予告編で見た数分の映像より本編の2時間の方がつまらないということだ。予告編ではあんなにドキドキしたのに、いざ本編を見てみたら全然ドキドキしないじゃないの。これはどういうわけなのだ、と長らく不満に思っていたら、先日「予告王」なる深夜番組がその謎を解いてくれた。
この番組は映像編集のプロであるPV作家たちに架空の映画のお題目を与えて予告編を作らせそれを競わせるというもので、その時のお題目は「浦島太郎」と「金太郎」。映画の本編は存在しないのでPV作家は必要な映像を自分で作って編集し、煽り文句や音楽を入れるのだが、「浦島太郎」が現代風浦島と乙姫のヌレヌレSMホラーサスペンスになっていたり、「金太郎」がターミネーター風の音楽でスモーク吹いて足から登場したりと、やりたい放題。しかしあまりの画面の迫力についドキドキしてしまうのだ。予告編だけで本編はないというのに、本編を見てみたいと思ってしまう。まさにプロの技である。
かように極めて技術の高い作家の作る予告編であるので、我々が騙されてしまうのも無理ないのである。彼らの技術はつまるところ本編の映画監督より上ということではないのかね。本編は予告編に呑まれてしまっているのだよ。いや、PV作家たちがはりきり過ぎなのか。大した収入にもならず名前も周知されない普段の仕事への鬱憤を、このように数分の予告編に凝縮して詰め込み、著名監督や興行主への復讐に換えているのやもしれぬ。かような歪んだ映画業界の怨念を感知した宇宙人は、その禍々しい作為性を忌避して映画を見たがらないのやもしれぬ、といろいろ妄想が膨らむ良い番組でありました。作為性も歌舞伎くらいまで突き抜けちゃえば、いっそ晴れやかなのだが。
by hikada789 | 2014-09-16 15:35 | その他 | Comments(0)
ご本人の許可を受け「あなたの山水画」を掲載します。ご協力ありがとうございます。
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1989年11月30日生まれ 女性の山水画
 甲 乙 己
 午 亥 巳
冷たい小川の流れる冬枯れの田園には焚き火が見え、一本の大樹が寒さに耐えている。頭上の太陽が暖かな光を投げかけている。
【解釈】
大樹のあなたは冬生まれなので、木性の勢力の強い暖かい春を待っています。そういう意味で忍耐や雌伏の期間が宿命付けられていますが、風景には太陽(配偶者)や焚き火(母親)といった暖気があるので、こうした人たちとの関係を密にしておくと忍耐も苦痛にはなりません。
田園は父親や上司に当たり、仲がよくもないのになぜか離れられないといった関係を暗示しています。
小川は家系や社会基盤を表していますが、冬眠中の樹木の根を腐らせる懸念があり、居心地がいいからといって甘えると自分の成長を妨げる一因になりかねません。
繊細さと大らかさが交互に現れる性質なのでなかなか理解者が得られないかもしれませんが、全体的にバランスのとれた命式です。目標に拘らず地道に歩みを重ねることで思わぬ成果が得られるでしょう。
by hikada789 | 2014-09-14 15:48 | 宇宙人の鑑定実績 | Comments(0)
No.602で肩こりほぐしネタまでに戦車バイアスロンの話題を入れてみたが、奇しくもシャフナザーロフ監督の「ホワイト・タイガー」はバリバリの戦車映画であった。制作は2012年とごく最近だが、舞台は第二次大戦の対独戦を描いているから戦車も当時のモデルを使用している。娯楽目的の映画制作の評価が極めて低いロシアであるので、単なるバトルアクションに終わらない教訓話を最後に入れているところにお国柄が出ていたが、ハリウッドのミリタリー映画がやたらと機関銃を乱射して消費社会をひけらかしたがるのに対し、この映画は戦車が至近距離で砲弾を撃ち込むので、一発でも轟音で観客席が揺れるのである。戦車同士の接近戦なんて今まで発想がなかったような。もちろんCGはゼロ。盛大に炎を巻き上げております。ロシア文化の重厚感とファンタジーを同時に味わえる不思議な作品です。

戦争映画といえば、昨今のイスラム国の騒ぎに至るイスラム世界の心情がよくわかるトルコ映画「イラク・狼の谷」というのがイスラム圏で驚異の大ヒットを飛ばしている。2006年くらいの作品なのだが、内容は佐藤優氏曰く「イスラム版ランボー」で、米国人ランボーが米国の敵と戦うのをひっくり返し、主人公のイスラム教徒が残虐な敵である米国人と戦うという反米映画である。しかもその米国の暴虐シーンというのがここ数年で実際に起こって報道もされた米軍による誤爆(自称)やらグァンタナモ捕虜虐待やらを再現したものなので、泣き寝入りしていた現地の住民はよくぞ語ってくれたと拍手喝采なのだ。
世界中のムスリムがこれに同調しており、一方悪役にされた米国では上映禁止。イラクなどイスラム圏に駐留する米軍兵士には現地の映画館に近付くことさえ禁じるほど神経質になっている。尤もこの映画はネットでタダで見れるからあまり意味がない。英語版もあるし、私はロシア語吹替えで見てみた。旧ソ連圏にはロシア語を解するムスリムが多くいるから、チェチェン人なんかはこっちで見ていると思われる。制作側のトルコ人も著作権をガタガタ言って削除させるようなこともしておらず、お蔭で世界中に観客を獲得している。欧米で生まれた発想である著作権への逆襲である。

作品自体はまさにランボーの焼き直しといったところで、恐らく制作スタッフはハリウッド映画の手法を学んで作っているから、パッと見はハリウッド映画のように軽くて陳腐だ。ただ敵味方が逆転している。中東世界の人々が米国人や米軍兵士の典型をどのように捉えているかが、その悪役の悪役たるキャラぶりによく現れていて興味深い。欧米嫌いの私は見ても驚かないけど、外国といえば先進国しか眼中になく、英語さえマスターできれば日本語なんかどうでもいいと考えている浅いタイプの日本人には、世界認識の偏りを矯正する意味で役に立つかと思います。日本語字幕付きでツタヤとかにも置いてあるそうです。
とはいえ傑作とは呼べない。ハリウッド映画のパクリなので当然ロシア映画のような教訓めいたシーンもなく、最後ははっきり云って赤の他人ともいうべきヒロインの唐突な死で終わるのが大変俗っぽく、これまたハリウッドを忠実に模倣している。制作者のトルコ人がここまで承知でパクっていたとしたら大した皮肉屋だが、その辺の是非は見ただけでは判らない。重要なのはこんな映画がイスラム圏で大ウケして、今日のイスラム国に共感する若者を煽ってしまったことだ。こんなB級反米映画が歓迎されるような世界を作った原因が何かを追求しないで、空爆ばっかりやったって事態は解決しはしないのである。
by hikada789 | 2014-09-11 14:57 | ロシアの衝撃 | Comments(0)