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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

<   2015年 03月 ( 14 )   > この月の画像一覧

『パーム』シリーズ最新刊第37巻の何が恐ろしいって、昨今社会問題となっている不妊の増加が統計上の錯覚ではなく事実であり、しかも原因は単なる生活習慣や環境の変化ではなく人為的に操作されたものであるという仮説をぶち上げた点だ。この物語は連載の始まった1980年代半ばの米国を描いており、登場人物たちは現代のようなネットやスマホが普及する前の社会をリアルに生きている。シリーズ中盤では国際環境会議を舞台に環境保護を巡る闘争を取り上げていたが、そのシリーズが連載されていた頃は話が怖いとは思わなかった。話がでかくて身近に感じられなかったからだ。だが今回は違う。話は相変わらずでかいのだがすごく身近なのだ。
日本製を愛する宇宙人は農産物もなるべく国産を買うようにして国内生産者へのエールを心掛けているのだが、財布が薄いので国産であろうがなかろうが安価な製品しか買えない。従って健康と骨格を維持するためのタンパク源は卵と納豆が頼りである。国産豆の納豆は若干割高とはいえそもそも安価であるので、買う時はちゃんとラベルを確認して北米産の「遺伝子組み換えでない」のうっとうしい表示のものは選ばないようにしている。TPPが締結された暁にはこの表示がなくなるとか言われている。北米産大豆はいずれ遺伝子組み換え豆にすり替わる可能性大なので、せめて今から国産豆を消費して国内生産者が離農しないよう微力ながら支援するしかない。もちろん日本人農家の、遺伝子組み換え大豆に対する生理的嫌悪感からこれを今後も扱わないという倫理観に期待している。もし彼らが利潤を追求して倫理を棒に振った場合は観念するしかないが、平気で棒に振る欧米人の価値観に冒されていないガラパゴス・スピリットに一縷の望みを懸けているのである。皆さん、納豆は国産豆で!

とまあ日常はこれくらいしか考えてこなかった遺伝子組み換え作物なのだが、パーム最新刊で主人公が語るところによれば、研究の最終目標を人類の淘汰と定める優生学研究所があって、選ばれた人間と必要な人間だけを残してその他を削ぎ落すための研究をやっていると。その方法は集団殺害と断種。集団殺害はホロコーストで有名なナチスがやったことだが、いろいろな意味でショックが大きすぎる方法なので、もっと人知れず大人しく遂行しようというわけで断種、つまり故意に不妊を誘発させて人口をコントロールする研究が進められている。「農薬散布や集団予防接種を利用して、長い期間をかけて秘密裏に化学物質を地域全体に浸透させることができる。不妊は世代をまたいで少しずつ広がり子供の数が減ってゆく。作為的と気付く者はいない。将来的には遺伝子組み換えによって食物そのものを不妊薬にすることもできる。」

戦慄のセリフです。だってどれも身近な問題なのだ。宇宙人の近辺でも不妊治療に悩む夫婦の話は聴こえてくるのだ。農薬を嫌って有機栽培にこだわるお宅もあるし、子宮頸がんワクチンの弊害はさすがに報道でしか聞かないが、日本でこうも嫌われている遺伝子組み換え作物がいくら安いからといって北米で廃れずセールスを展開していることに、不思議を感じてもなぜかを追求することはなかった。この点も主人公は鋭く指摘する。「みんな知っていたはずだ。世の中は何かがおかしいとみんないつも言っているだろ。見て見ぬふりをしているだけだ。」
物語の今後の展開は、この研究所を含む巨大産業グループと主人公が率いるグループとの戦いになると予想されるが、こんなに話を大きくして収束まで持っていけるのかという懸念と、遺伝子組み換え作物に対するこうした見解が作者独自のものなのか誰か別の人物のものなのかはさて置き、こんな意見をぶち上げてそれこそ都合の悪い人々の目にとまり、よもや作者は暗殺されやしないかと心配になってくる。

皆さんはただのフィクションだとお笑いになりますか。でも私は最近佐藤優氏推奨の帯をつけた水野和夫という経済学者の『資本主義の終焉と歴史の危機』という本を読んで、現在の資本主義の行き着く先は資源のぶん捕り合いであり、豊かさ=経済成長という信仰をやめない限り資本が自己増殖過剰を繰り返し、我々の子孫が受け取るはずの富も資源も食い尽くして早晩崩壊するだろうと予言するのに共感を覚えたので、もしこのシナリオを脱したいなら、究極的には人口を半減させるくらいしないと、エネルギー資源どころか食べ物さえ足りなくなるという想像は容易につく。すると人口コントロールを断種という手法で敢行することは、あながち夢物語でもないのでは。事実遺伝子組み換え作物は安価であり、従来の自然食品や有機栽培製品は高価なのだから、貧乏人は安い方を買って食べるしかなく、結果的に金持ちだけが健康な子孫を繁栄させるという流れに。そしてこの発想は、水野氏がヨーロッパ文明の成立ちから紐解いた西洋人の活動理念に一致している。私が欧米人の根性を嫌悪する理由はまさにこの点にあるのだ。
水野氏の見解は次の機会に譲るとして、我々は自分たちの本能の声をもっと信じてあげなければならないようです。みんなおかしいと思っているのに、誰かの宣伝や隣の人の行動に惑わされて「そういうものかな」と流されてしまう。流されてはいかんのだ。棹を刺すのだ。本能は何が危険かよく知っているのだ。耳を傾けるのだ!
by hikada789 | 2015-03-31 16:52 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
前回の余話#U77の購読料を割高にして読者制限を図ったのは、本文に陰転陽転に係わる技法を盛り込んだことが理由です。技法自体は別段隠すほどのものでもありませんが、こうした鑑定上の技法は心の曲がった人に知られると歪んだ差別意識を煽る危険性があるので、安易な公開が憚られるのです。

以前『血液型の科学』という免疫学の専門家が書いた良書を取り上げたことがありますが、そこには血液型別性格診断もまた、今日の我々が例えば気の毒なB型さんたちを気まぐれと揶揄する軽微な差別とは比較にならないほど、深刻な人種差別に使われた暗い歴史があったことを指摘しています。
第二次大戦中のナチスドイツがユダヤ人迫害のスローガンとして打ち上げたアーリア人純血説では、血液型性格診断が人種差別の道具として使われました。その説によれば、「知識人にはA型が多く、犯罪者にはB型が多い。B型の少ない白人はB型の多いインド人に比べて「優位」であるとした。B型はサルやヒツジなど下等な動物にも多いことがこの説を妥当とした」。血液型は動物や植物にもあることは知られていましたが、サルやヒツジを取り上げてB型が下等だと断言したり(人間至上主義の実にキリスト教徒らしい発想です)、植民地政策で収奪の限りを尽くして貧困に陥れたインドに対してこういう暴言を吐いてしまう無神経さが、A型を誇る当時のドイツ知識層が母国を破滅へと導いた証左にもなっていることは、後世の我々のよく知るところであります。
今日の欧米人が血液型性格診断に日本人ほど信憑性を感じないのは、そもそも彼らがO型に偏向した人口分布で、A型、B型、AB型の知合いをいくらも持たないから比べようがないという実質的理由もありますが、それ以上にこうしたナチス時代の痛い経験から自分たちの過ちや無神経ぶりを隠すために、差別に発展するかもしれない生まれつきの差異についての議論を過剰に忌避しているからではないでしょうか。

ここで欧米人批判をしたいわけではありません。このような過ちを犯す恐れは算命学にもあるのです。「この星を持っている人はこういう悪い人間だ」とか、「特別な命式の自分はもっと高く評価されて当然だ」とか、自分だけに都合のいい考え方をする人が算命学を悪用して、他人を差別したり迫害したりする恐れは大いにあります。実際に私もそういう意見の人に遭遇すると、大喝してその歪んだ根性を粉砕するよう努めておりますが、個別粉砕には手間ひまがかかるので、いっそのこと算命学の技法自体を秘匿した方が早いのではないかと思わないでもありません。
とはいえ算命学は陰陽論なので、この世に歪んだ心の持ち主がいるということは、同時に同数の心の正しい人もいるわけで、こうした人々に正しい知識を知ってもらうことは大いに意義があると思い直し、そういう人たちに読んでもらうことを期待して購読料を設定しているつもりです。算命学は二千年以上前の思想で著作権はとうに切れておりますから、これに現代人が新たに値段をつけるというのも奇妙な感じがしますが、中国の歴代王朝が算命学を寡占して外部に漏らさなかったという伝説的な経歴を考える時、前述のナチスドイツのような世を惑わす悪の道具として使われることを嫌った先人が、或いは故意に隠匿した可能性も否定できません。算命学学習者には、そうした歴史についても思いを馳せながら、この旧い技術を如何に正しく使用するか、世の役に立てるかを自分なりに模索して頂きたいです。

ところで、当ブログでも紹介したことのある30年越しの長編漫画『パーム』の最新刊第37巻が先ごろ発売されましたが、物語はますます恐ろしいテーマに発展し、作者・獣木野生はよもや暗殺されやしまいかと心配になるくらいです。壮大な人生観で読者を魅了してきたこの作品は、とうとう発行部数が「世界累計200万部突破」したと帯にある。世代を超えた読者の根強い支持を集めた成果です。登場人物たちの名言はあまたありますが、37巻では主要キャラであるジョゼが集団暴行監禁されていた少女時代を振り返って、淡々とこう語ります。

「くだらない人間に多くのものを奪われたわ。与えるならいい人間に与えたい。」

実に重いセリフですが、算命学の思想を考えるヒントになるので、今回はこの辺りをテーマに、『パーム』に倣って人生について思索してみます。前々回から続いた宿命消化の話の締めくくりですが、鑑定技法の話ではありません。

前回の話のおさらいになりますが、陰陽を行ったり来たりして生きている人間は、陰転しているときも陽転しているときも宿命を消化しているはずであり、従って陽転だけしている状態は危険であり、陰転だけしている状態も危険です。つまり両極端に偏ることを算命学は嫌っているのです。それはまた同時に、陰転陽転だけの話ではなく、天中殺や守護神、忌神、純濁、人体図の上下左右その他諸々のステージにおいて、何か1つに偏っているのではなく適度にばらけ、流動しながらもバランスのとれている状態が良いということであります。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「無意味な人生とは何か」です。「算命学余話 #U78」で検索の上、登録&桜餅1パック分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2015-03-29 15:56 | 算命学の仕組 | Comments(0)
前回「国家や他人を当てにしない」自力本願について記事にしたばかりだが、その後本屋を物色していたら同じことを考えている人の著作に遭遇した。相川俊英著『国を頼るからバカを見る 反骨の市町村』のタイトルに吸い寄せられて目次をめくったところ、もう中身を読まなくてもウンウン頷いてしまうほどわが主張と同じ。というかこの図書は実在する市町村の行政を取材したルポルタージュなので、宇宙人の単なる感想と違って実例をいちいち挙げてつぶさに分析しており説得力が桁違いだ。といっても宇宙人は立ち読みしただけで内容は精読していない。財布の薄い宇宙人はタイトルを記憶して図書館を頼むしかないが、余裕のある方は良書なので是非お買い求め下さい。
目次だけ眺めても楽しかった。タリキノミクスにジリキノミクスだって。原発村に象徴される交付金目当ての市町村は他力本願ゆえに最終的に自ら首を絞める結果となり、自力で除染する福島のお母さんたちのように国や行政を当てにせず自前でやり続けた市町村は結果的に生き残りに成功したという話だ。アベノミクスがそろそろ無効を露呈する今日、国をはじめとする他人様にお任せしていると痛い目をみる、お任せにしなかった地域は一時の好景気に沸くことはなかったが絶望にも遭わなかったし、それどころか成功しているという実例がいくつも並べられていた。これからはジリキリョク(自力力)なのだ。自分で考えて自分でやる人が勝つ世の中になってゆくのだ!

かような視点の持ち主は貴重なので著書を買って売上を今後の取材の足しにしてほしいところだが、宇宙人は先んじてロシア文学コーナーをチェックしてしまったため、絶版危惧種に遭遇しその場で捕獲するに至った。イリヤ・エレンブルグ『十三本のパイプ』とイサーク・バーベリ『オデッサ物語』。特に前者は小笠原豊樹の翻訳だ。今年御歳83でまだやるかと驚嘆していたら、半世紀ぶりの復刻だった。なんだ。でもあとがきはちゃんと書き直されていた。小笠原氏の文章は圧倒的に上手いので読む前からウットリである。でもお蔭で今月はマイナスだ。メガネの新調で既に厳しかったのに完全に地面を掘ってしまった。今週は先生の舞台があるのに見に行けない不肖の弟子なのだ。せめて土星裏で宣伝するので赦して下さいなのだ。

-----円満井会定例能-----
◆日時:平成27年3月28日(土)12時半開演
◆場所:矢来能楽堂 (地下鉄東西線神楽坂駅より徒歩2分)
◆入場料:5,000円 (学生2,000円)
◆演目:能「巴」「弱法師」「鵜飼」、狂言「文荷」、仕舞6番
by hikada789 | 2015-03-26 18:25 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
福島を扱ったドキュメンタリー映画「小さき声のカノン」の都内上映は終了しましたが、現在は日本各地を巡回しております。お宅の近くへ回って来たら是非ご覧下さい。NHKスペシャルが決して扱わないテーマと向き合えます。主題はずばり「自力本願」。国家や他人を当てにしてはいけない。
国家は敵だ、とか資本家は敵だ、とかいうスローガンはひと昔前の社会主義青年の掛け声で、もはや古くさいと思いきや、今どきの若者も肩書をアイシルやら新興宗教やらの構成員に変えて同じセリフを叫んでいたりして、きっと百年後も所属集団だけ変わった若者が同じスローガンを叫んでは「まったく近頃の若者は」とすげなくあしらわれてしまうのであろうと思う。人類は同じことを繰り返す。かくいう私も若い頃は老人たちの作った歪んだ社会を批判的に眺めてきたが、もはや若くはない今は「まったく近頃の若者は」と言う側になってきた。この魔のスパイラルから人類は抜け出す方向へ進化できるであろうか。

抜け出すヒントが自力本願だ。社会が発展すると世の中が便利になって、効率化を図るために面倒な仕事は分業にするから、各自が自分の職分さえ守っていれば回る世の中になる。すると自分はやらないけど他人がやってる面倒な仕事に対する関心を失い、視界は狭く単純化される。自分の立ち位置が見えなくなるだけでなく、他人のことも判らなくなる。便利な世の中なので隣人の助け合いがなくても生きていける。カネさえあれば店で何でも買える。そして失業して収入がなくなると途端におにぎりも買えなくなって餓死者が出始める。モノの溢れる豊かな社会で餓死者が出るメカニズムだ。誰が悪いかと問われると、国家が悪いと答える。本当ですか。

「小さき声のカノン」は放射性物質降り注ぐ福島に暮らす母親たちの子育て奮闘記だが、放射能汚染事故の前例がかのチェルノブイリくらいしかないという乏しい情報の中で、ただわが子の健康を守りたいがためにあれこれ試行錯誤に奔走する親たちが、結果的にもう国には頼まない、行政も当てにしない、自分でやる、やるしかない、という事態に追い込まれたというか一皮むけて進化したというか、その進化の過程を淡々と描いた作品である。
当然ながらカメラは小さなお子さんたちにも向けられ、監督が女性ということもあって子供を見守る母親の目線で撮影されているのだが、子供たちのあどけない表情や動きに思わず「わあカワイイ」とか歓声を洩らす観客たち(多くは年配の女性だった)。そんな集団の中にあって黙々と三白眼で映像を見つめる宇宙人の心中は、「カワイイとかいってんじゃねえよ。カワイイで片づけんなよ。論点逸らしてんじゃねえよ」と不穏なのだ。大体カワイイとか連呼する女にロクなのはいない。他に表現を知らない語彙力のなさを露呈してるし、何よりもそれ以上考えることを放棄する思考停止を曝して恥じないところが浅ましい。カワイイじゃねんだよ。大問題なんだよこの映画は。政府や大手メディアが大々的に報じて我々がこうだと信じ込まされている「もはや安全」な福島と現実の福島が全然違うってことを、母親の目線で語っているのだよ。子供はカワイイ犬ネコじゃねんだよ。ペットじゃねんだよ。カワイイとか言って喜んでるのは結局ペットを見下ろす飼い主目線なんだよ。上から目線なんだよ。

四年もかけて、ベラルーシまで行って、苦労して作った深刻な映画なのにこんな観客しか集まらないなんて、監督も福島も憐れなのだ。日本の消費者の知的レベルをどうにかしてくれなのだ。こういう奴らに限ってひとたび有事が身に降りかかると「国が悪い」とかうそぶくのだ。人のせいにするななのだ。悪いのはオノレのアタマなのだ。福島の母たちを見よ、彼らは見事に魔のスパイラルから脱却して進化を遂げたのだ。進化というべきか先祖返りというべきか定かではないが、とにかく彼らは取り戻したのだ。自力で解決していくという逞しい姿勢を。
国家も行政も当てにならないなら自分でやる。しかしもともと人間はそうやって自力でやってきたではないか。独力ではないが、顔見知りの住人らと協力して、ムラ単位で助け合ってきたではないか。知恵を出し合ってきたではないか。どうしてそれを今まで忘れていたのだ。国家という顔の見えない他人の与える便利に慣れきって、その便利がなくなったら誰かのせいにするなんて、そもそもおかしな考えだったのだ。国家や顔も名前も知らないどこかの役人がいなくても我々は立派に生きていけるし、子供も育てられるのだ。保育所が足りないから育てられないとか、育児手当をもっとよこせとか、一体何の権利があって他人に要求しているのだ。要求するだけでなく悪いことが起こると人のせいにするし。人のせいにしても事態は改善しないのだ。福島の母たちは誰かのせいにするヒマがあったらわが子に食わせる安全食材の確保に時間を割くことを選んだのだ。自ら通学路の除染を軍手とシャベルで行う道を選んだのだ。そしてそれは20年前にベラルーシの母親たちがやったことと同じだったのだ。人間力の復活なのだ。自尊自立の復権なのだ。怪我の功名なのだ。福島は今後人間力の最先端を行く注目の人材輩出地となるであろう。今に見ていろ!

この映画を見た直後にこういう方向へ思考が突っ走ったわけではなかったが、実はここ数日オウム事件や東京大空襲の特集番組をやっていて、当事者のインタビューをいくつか見たのだが、よく喋る人ほどあんまり同情をそそられなかった。だってみんな誰か人のせいにしてるのだ。私は算命学者なので加害者と被害者を同列視する習慣があり、一般的な感情とはかけ離れているかもしれないが、自分の不幸を何十年も人のせいにして人を恨んできた人の顔って、どれも似通っている。一番はっとしたのはオウムの教祖の三女という女性の顔で、どこかで見た顔だと思ったら昔C型肝炎の薬害訴訟で先鋒だった被害者の女性だ。確かその後民主党議員になったと記憶しているが、双子みたいにそっくりな顔だった。この肝炎被害者は議員になった時、カネミ油症(40年以上前に起きたダイオキシン中毒症)の被害者から救済補償を国に訴えるよう求められて顔面硬直していた。自分が被害者として訴えた時は国に対してあんなに言いたい放題だったのに、議員の立場になったら油症被害者の訴えに口をつぐんだのである。結局自分の言い分だけが第一で、あとはどうでもいい人だったのだ。それがああいう顔立ちを作るのだ。
オウムの娘も事件当時は小学生だから、教団幹部の家族に対する社会の目を考えれば紛れもない犠牲者なのだが、そうした世間からの圧倒的な冷たい視線と死刑囚たちへの家族感情に押し揉まれると、ああいう顔立ちになるのだなあと興味深く眺めてしまった。福島のお母さんたちもこういう顔立ちになる可能性大だったに違いないのだが、映画に出演の方々はそうはならなかった。人を当てにするのを早々に諦めて、文句はあるが文句を言うだけで終わらないで、自力で這い上がる方向へ舵を切った。その表情は清々しい。これが本当に強い人の顔なのだ。海より深い母の愛なのだ。人間は自分のためではなく誰かのために活動している時の顔が一番きれいなのだ。
by hikada789 | 2015-03-24 18:05 | その他 | Comments(0)
有難いことに有料鑑定結果を公開してもよいという許可を頂き、「土星一周」を掲載します。ご協力ありがとうございます。プライバシーを考慮して個人を特定し得る情報は省きますが、鑑定結果の内容はほぼ全文掲載ですので、これから鑑定依頼をご検討の方はどういった回答が期待できるのか、ボリューム等合わせてご参考下さい。
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【相談内容概略】(かなり省略してあります)
◆数年前から自分の中にあるスイッチが切り替わった感覚があり、足を引っぱる見えない「牛」のような存在に悩んでいる。この「牛」と闘う姿勢でいくのか、受け身でいくのか。
◆自分はもう人生をやりきったのか、未消化の宿命が気になる。自分の宿命をより良い形で消化するためにはどうすればいいか。(40代後半女性。以前海外で活躍)

【鑑定結果】
(1)宿命の消化について:
まず誤解を解いておきたいのですが、今後まだやりたいことがあるとか、まだできそうだと思える人は、いまだ宿命消化が足りないということです。お話を聞く限りでは、あなたはまだまだやる気なのに、体力なり「牛」なりのせいで思うように事が運ばず、苛立っているだけだという風に解釈できます。
あなたが本当に「やりきった」と思った時こそが宿命消化完了の合図なのです。他人(この場合占い師)にこう指摘されたからもう終わりにする、というのは宿命消化を放棄していること、中途半端な終わり方になることは、ご理解下さい。
残りの人生をどうするかは、あなたが決めることなのです。占い師ではありません。このことをご理解頂いた上で、現在の宿命消化について申し上げます。

消化は概ね順調です。若い頃の冒険的生活はまさに消化を助けていました。冒険的生活というよりは、海外生活が合っていたのです。日本での生活はあなたの宿命にとっては窮屈で、もちろん日本にいながらにして人生を輝かせることも可能なのですが、一度海外で自由の味を知ってしまったために、尚更閉塞感を感じやすくなっているのです。
但し、あなたは実家(実父母)とは離れて暮らした方が運勢的には相応しいです。結婚して家を出る、でもいいのですが、たとえご両親との関係が良くとも、運勢的にはあなたはストレスを貯めていくことになるので、現状の打開策の1つとして、現実的に可能であるなら、親御さんとは離れて暮らした方が、宿命消化の助けにはなります。現在の日本人女性の平均寿命は80歳を超えていますから、あなたの人生はまだまだ長いと考えた方が妥当です。従って、消化すべき宿命はまだ残っている。やりたいことがあるならやってみればいいし、幸い、経済的には余裕のある命式ですから、家計を破綻させるようなことさえしなければ、やりたいことをやって差し支えないと思います。
では、なぜ現状あなたは「牛」を感じて悶々としているのかを、分析してみましょう。

(2)現在の状況と認識:
> アクセルとブレーキを思いきり両足で踏んでいるような状態です。

これはまさしく言い得て妙で、47歳から10年間の大運という長期の運気が、まさにこの状態です。あなたは人生最大のエネルギーに満ちた10年間に突入しており、同時にその足を引っぱる10年間に突入しております。これは抱合わせなので、分離できません。
エネルギー消化のために「攻めで行く」のは正しい選択ですが、それは同時に多大な困難を伴うものである、という自覚を持つべきです。でないと、心が折れてしまいます。「困難を承知で攻めに行く」というのが、鑑定結果から導き出された回答です。(尤も、大きな目標とやらを無理やり作る必要はありません。あなたが自発的に「これをやりたい」と思う事があればやっていく、という意味です。)

そのために必要なのは、仲間です。あなたが仕事なり事業なりを進めるに当たり、協力者の存在は大きいです。人数は多いのがよく、誰か一人に頼ったり、自分で何でもやろうとすると、「牛」に引っぱられて思うように動けません。だから、自分が不調であっても代わりにやってくれるような仲間を沢山持っておくことが肝要です。
こうした仲間たちは、必ずしもあなたの思い通りに動いてくれないかもしれないし、思うような結果をもたらしてくれないかもしれませんが、あなたと真摯な関係を築いている人であるならば、大事にしなければなりません。

> 大きな目標を掲げて一点集中で追いかけるが良いのか、縁のあるもの、あちらから来たものを全て受け入れて淡々と維持していくのが良いのか、宿命消化の観点から知りたく存じます。

あなたの命式は、基本的に受け身です。若い頃の冒険も、自分の意思でやったように思われているかもしれませんが、実際は周囲の助言や支援を受けて、自分の意思以外の「ご縁」に導かれた結果です。
仮にあなたが今後、何かを自発的にやろうと一念発起したとしても、それだけでは実現には至りません。必ず周囲のサポートがあるのです。そういう意味で、周囲の人間関係を大事にすること、彼らに感謝し、機会があればねぎらうことを忘れないで下さい。好ましくない「ご縁」は断っても構いません。でも選択はご自分でなさるべきです。その選択も、独断で決めるのではなく、周囲の意見も取り入れて下さい。
なお、これは性格的な指摘になりますが、あなたは周囲の人々が誰しも自分のように考えていると思いがちです。そのため、ひとたび自分と違う人だと認識するや、たちまちその人を遠ざけてしまうのです。
あなたが今後「牛」を伴った状態で何か大きな事業を始めた場合、このように同じ意見の持ち主ばかりで固まると、集団として柔軟性を欠くので、事業はうまく運ばない懸念があります。今までにそうした理由で失敗したこともあるかと思いますので、今後は意見の違う人も認めるよう心掛けることをお勧めします。

また、もうひとつ性格のことですが、あなたは見栄が強いようです。いい恰好をしようとし、実際恰好よく見えるので、周囲から期待を寄せられたり、頼られたりしていますが、実際はそうした期待が膨らむほど、あなたには重荷となっています。今回のご依頼についても、そうした周囲の期待なり、ご自身の見栄なりが、「うまく行かないならもうやめる」という気分に拍車を掛けているのではないでしょうか。もしそうであるなら、そうした見栄はもう捨てて、人に頼られてもできないものはできないと、はっきり言う姿勢を表に出した方が、ストレスは緩和されます。
ですから、今後何か大きな事業を始めようとする場合も、それが見栄であるのは良くない。見栄を取り払っても、誰かの期待を差し引いても、これをやりたい、と思えるのであれば、あなたの重荷にはならないし、周囲も喜んでサポートしてくれるでしょう。

以上です。相談内容を網羅しているつもりですが、もし判らないところや、詳しく説明してほしいところ等あれば、質問をまとめてお寄せ下さい。なければ終了するので、その旨お知らせ下さい。

(※今回のご依頼では質問がなく、最後にこちらからアドバイスを補足して終了しました。)
by hikada789 | 2015-03-23 16:00 | 宇宙人の鑑定実績 | Comments(0)
今回のムネオとマサルのトークショーも楽しく笑わせてもらった。最近クリミアを訪問して世間の顰蹙を買っているハト型宇宙人についても分析がなされ、マルコフ連鎖なる統計学用語が飛び出して何事かと思ったら、このロシア姓を冠した専門用語の定義である「確率過程の一種であるマルコフ過程のうち、とりうる状態が離散的なものをいう。マルコフ連鎖は未来の挙動が現在の値だけで決定され、過去の挙動と無関係である(マルコフ性)」というウィキペディアの記載を読み上げさせて爆笑を誘っていた。ハト型には悪いがタコ・クラゲ型宇宙人も大笑いなのだ。
佐藤氏の分析によれば、ハト型氏の挙動はこれまでの日露外交が辿って来た道のりを全く無視したものであり、クリミアのロシア編入を正当化したいロシア政府にとって都合のいい宣伝人形にされているとのこと。マルコフ連鎖は交通渋滞解消や天気予報などの分野で威力を発揮する立派な理論ではあるが、歴史と外交成果の延長上でやりとりされる外交の分野では通用しない。尤も現在停滞している日露外交に一石を投じるという点では効果があるが、日本にとって好ましい効果となるかは大いに疑問、だそうである。詳しくはネットで画像をご覧下さい。
それでも個人的には私はハト型宇宙人を応援している。宇宙人の身で一国の元首にもなった男であり、毎年恒例ロシア・フェスティバルの日本側委員長でもあるのだ。ロシア文化を称える人物に根性の曲がっている奴はいないのだ。ただ常識から離れていることはしばしばなのだ。

ところでこの話に関連して、「マルコフ連鎖は未来の挙動が現在の値だけで決定され、過去の挙動と無関係である」というところが気になる。佐藤氏は過去の日露外交成果がなかったかのように振舞うハト型氏を批判して引用したけれど、別の機会で佐藤氏は、戦後の日本がアジア諸国に対してどのような態度を示すべきかを論じた時、比較としてドイツを挙げて、ドイツが周辺諸国と和解できたのは今のドイツがかつてのナチスドイツとは全く別の国家であることを一貫して主張してきたからだ、と云っていた。算命学者である宇宙人の耳にはこの「(過去とは)全く別の国家である」が引っ掛かる。これではまるでマルコフ連鎖の例ではないか。

私は西洋史や外交の専門家でも趣味人でもないのでここからは算命学の理論から意見を述べますが、戦後周辺国との関係を立派に立て直したドイツ国民の努力は称えるとして、ナチスドイツと現行ドイツの歴史が断絶しているということなどありえようか。政権が代わってナチスの指導層が一掃されたといっても、国民まで総とっかえしたわけでもなければ、文化が根絶・刷新されたわけでもない。その証拠に冷戦時代に東西の分断甚だしかったドイツは、ベルリンの壁崩壊後はあっという間に統一した。それは東西分断以前のナチス時代も含めた歴史の流れの中で自然な成り行きだったからだ。尤も、更にそれ以前のプロイセン時代、更にその前ともなると、ドイツという統一国家の歴史は大層短く、この短さゆえに政権の色で国家の色を塗り替えやすいという事情があったのかもしれない。
日本は統一国家としての歴史がドイツとは比較にならないほど長く、島国ゆえに文化のガラパゴス度も尋常でない。日本国民は敗戦により戦前の国家形態を否定して新しく組み直したとはいえ、神話の時代から続く日本史の流れの中に依然としてたゆたい、歴史も情も浅い西欧人のように軽々しく「以前とは別物になった」とご先祖様に向かって豪語することはできないのだ。そして算命学はこちらの立場である。それが自然だと考えているからだ。

学習者には周知の通り、算命学は陰占も陽占も上下左右に人間関係を抱え、上部には両親を代表とするご先祖様が座っている。そしてそれは同時に知恵の在り処であり、これを軽視する者は先祖を含む人類の知恵を受け継げないと考えているのである。はっきり言って「脳無し」である。それはマルコフ連鎖と同じく過去を考慮しないで未来ばかりを論じるものであり、もっと算命学的にえげつない表現をすれば、人体図下部すなわち性器の肥大、脳みその無いオスが撒き散らす精子であり、脳みその無いメスがおっぴろげる股ぐらなのである。かように性器の肥大した国家に我々は「別物になった」と称賛を贈って周辺諸国に自慢し、以前とは違うから安心してねとうそぶくのであろうか。ばかな。尊敬されるのはいつだって知性のある人間なのだ。その知性は先人から受け継ぐものなのである。先人を全否定したら残るのはチ〇コとマ〇コとそれに振り回される両手足だけなのだ。この種の人間が中学生を裸で泳がせて斬殺したり、処刑映像をネットで流して喜んだり、地下鉄に猛毒を撒いたりしているのだ。理性はどこへ行ったのだ。性器がすべてならイソギンチャクにでもなって、人間やめちまえなのだ。

そういうわけで日本が戦前の軍国主義とは決別しているという考えは、鵜呑みにして子供たちに教える類のものではないと私は考える。軍国主義は忌むべきものだが、そこへ至る過程の中には一応事情があった。いい事情もあったし悪い事情もあった。国民的体質もあったし、それを築いた長い歴史と風土があった。そのどれをもあたかもなかったかのように振る舞う現代人に、先人から受け継ぐ知恵と理性は期待できない。もし周辺諸国も日本にそのような考えなしの国家になってほしいと願うなら、過去を検証しない体質を日本人に求めているのと同じだ。彼らの要求とは全然逆の方向へ日本を追い立てているも同然なのだ。彼らも日本人もどちらも脳みそ無しがいいのだろうか。
ちなみに、人体図下部は伝達本能を司る場所として、性器、生殖、子孫、未来、健康、食欲を意味している。性器肥大という言葉がまずければ、食欲肥大といったらしっくりくるだろうか。食糧自給率が低くて輸入食品に頼っているのに日々膨大に廃棄される食品。今はまさにこういう垂れ流し的な時代なのであり、ここに理性の入る余地はない。
by hikada789 | 2015-03-21 16:14 | 算命学の仕組 | Comments(0)
宮本常一という古い民族学者が著した日本人の民俗誌集『忘れられた日本人』には、実に興味深い記述があります。戦後の農地解放で農村の土地をどう処理・分配するか村民が集まって議論していたところ、誰もが自己主張を声高にするのでなかなか決まらない。すると老人が出て来てこう言うのです。

「皆さん、とにかく誰もいないところで、たった一人暗夜に胸に手を置いて、私は少しも悪いことはしておらん、私の親も正しかった、私の祖父も正しかった、私の家の土地は少しの不正もなしに手に入れたものだ、とはっきり言い切れる人がありましたら申し出て下さい」。すると今まで強く自己主張していた人が皆口をつぐんでしまった。それから話が行き詰ると「暗夜胸に手を置いて…」と切り出すと大抵話の糸口が見出されたという。

実に日本人らしい正直な、痛快な話ではありませんか。こうした役割を担った村の老人によれば、「人間一人一人をとって見れば、正しいことばかりはしておらん。人間三代の間には必ず悪いことをしているものです。お互いに譲り合うところがなくてはいけぬ」だそうです。戦後間もない頃の日本の農村にはこうした知恵がどこでも普通にあったのに、戦後七十年の我々は自分の権利ばかり主張することに慣れ、自己を顧みて譲り合うという賢い伝統を失いつつあるようです。それでも外国人から見れば日本人は飛び抜けて謙虚で優しいと評価されていますから、世界のスタンダードがいかにシワいものか自ずと知れるというものです。

この話で注目したいのは、「人間は正しいことばかりはしていない」「三代の間には必ず悪いことをしているものだ」という部分です。こういう意味深なくだりは算命学学習者には見逃してほしくありません。これはまさに算命学が語るところの人間の真実の姿です。なぜなら陰陽五行でできたこの世界に住む人間は、陰だけとか陽だけとかの世界に生きることはできないからです。また同時に、本人のなす行為もまた、生涯いい事ばかりとか悪い事ばかりというわけにはいかない。そんな人生はどこにも存在しないのです。

前回の余話では「宿命消化の優先順位」と題して一般的な宿命消化の順番と、宿命中殺の場合とを取り上げてみました。しかしこれだけだとかなり大雑把なので、少し補足すると共に、宿命消化とは一体何であるか、宿命消化をしないとどうなるのかといった、根本的な部分に光を当ててみたいと思います。
このテーマは非常に奥が深く、また広範な技術にまたがる理論に係わるので、余話のような短い読み物では到底語り尽くせず、ほんの一部の紹介となります。それでも算命学の知識の浅い人にとってはいらぬ誤解を招きかねないテーマなので、意識の高い読者を見込んで守護神の回と同様の購読料とさせて頂きます。予めご了承下さい。
参考までに、余話#U54~55をお読みの方は、そこで論じた十二大従星の陰陽や陰転陽転についてのメカニズムをおさらいされると、話が判りやすいかと思います。陰転陽転については十大主星についてもあるのですが、便宜上今回も十二大従星の話に限ってお話します。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「宿命消化と内なる声」です。「算命学余話 #U77」で検索の上、登録&ミニ天丼一杯分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2015-03-17 13:14 | 算命学の仕組 | Comments(0)
高畑勲監督の「かぐや姫の物語」をテレビでやっていたので何となく観てみたが、思いがけなく衝撃を受けた。といっても世間で騒がれている「絵本のような動画」のことではなく、内容そのものについてである。『竹取物語』は子供向け昔話のレベルから高校の古典の教科書までさまざまなバージョンで接してきた。私が子供の頃はホラー漫画が「かぐや姫は三月で成長し月に向かって語りかけた、その正体は狼であるウオーン」という説まで打ち出したくらいで、古典ならではの曖昧で非合理な部分が現代人の想像力を自由に膨らましてくれるのだが、高畑監督の解釈は斬新でありながら普遍的で、且つ原作に逆らわずに足りない部分を補足し、それが現代社会を生きる我々への問題提起となっていた。

原作のかぐや姫は意味不明に地上の竹から生まれ、庶民の願望を代弁して大判小判をざっくざくし、貧乏人の老夫婦に夢のようなセレブ生活を与え、最後は求婚者たちを袖にして故郷の月へと帰っていく。帰り際には世話になった老父母との惜別に涙し、帝に対してちょっと心残りがあるような素振りをみせて政権側へも一応の配慮を示すが(これは後から付け加えたような気がするけどね)、月へ帰る理由については特に説明していない。ただ迎えが来るから帰らねばならぬのである。
この部分を高畑監督は、かぐや姫が地上の生活に嫌気がさしてここから逃げ出したいと願ったことが、月面電波受信局に届いて帰還が決定されたと解釈し、その嫌気の原因をセレブ生活と婿選びという現代人が盲目的にもてはやす浅薄な価値観に求めたのだ。消費社会と見かけや肩書きばかりの人物評価への批判を支えるために、監督は原作にはなかったかぐや姫の幼少時代を創作し、物質的欠乏はあっても生命力が充溢していたかつての自給自足的生活様式こそが人間の生きる正しい道だと主張する。
かぐや姫は、「私は(幼少時代のごとく)獣のように生きるべきだったのに」と後悔するが、実際はセレブとなって婿選びをさせられ人間に幻滅したため、勢いでここから逃げ出したいと願ってしまう。つまり今風に云えば自殺願望であり鬱というわけだ。ただ自殺した、では素っ気ないから月の世界に帰るという美談で締めくくったのは原作者の妙技であるが、結局原作者の生きた平安の社会も今日の社会も人類は同じ問題に直面し、財産の量で人の中身の貴賤まで量ってしまう世相に迎合できない人間は鬱になって自殺するのが通例だというわけなのだ。

そういう高畑監督のメッセージを、視聴者はちゃんと受け取れただろうか。物質消費社会のトップを走る米国社会がこんなメッセージを受け取れるはずがないので、アカデミー賞で賞を獲れなかったのは当然なのである。そもそも「獣のように」というセリフ自体キリスト教徒である欧米人には受け入れがたい。彼らの価値観は人間至上主義なので、動物ごときが人間より優れるなどという思想には嫌悪感を覚えこそすれ共感などしない。彼らが動物を扱った作品を見よ。イルカやクマが「まるで人間のように賢い」という表現をするのがせいぜいだ。動物が人間より上をいくことはあり得ない。上を行くのは身体能力と暴力性、理性の欠如だけである。

日本国内にしても、私は劇場公開の時のメディアの宣伝くらいしか見ていないが、「動く絵本」としての技法にばかりに注目して、本筋が何を旨としているか論じた報道は全然聞かれなかった。おそらくメディア人たちに本筋を読み取る読解力が欠けていたからだろうが、それこそ佐藤優氏の主張ではないが、メールやLINEのような機械反射的な文字にばかり親しんでいる現代人は、その代償に物事を深く洞察して読み取る力を失っているのだろう。本筋をスルーして画像にしか価値を認められないとは、高畑監督も気の毒である。
最近では同じくジブリの宮崎駿監督が「風立ちぬ」を最後の長編作品として発表したが、比較するに思想的な高度は高畑監督の方が上に見える。どちらも「今はむかし」を扱っているにも拘わらず、現代につながる普遍性や人間の業病を取り出す作業は高畑監督の方が優れている。何より原作『竹取物語』がこうした普遍性を意図して書かれたものかもしれないという新たな発見が有難い。こういう古典を千年以上前から持っていることにこそ日本人は誇りを持つべきだし、アニメ業界もこうした特技は海外のアニメーターが真似しようとも真似できないことをアピールしてセールスに挑むべきなのだ。でも物質消費社会をもてはやす世界的トレンドは当分止みそうにないから、高畑監督のような人材もそれを受け入れる視聴者も、ガラパゴスの内側で絶滅の細道を歩むしかないのかもしれない。
by hikada789 | 2015-03-15 14:01 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
震災記念日を過ぎて二日。記念日当日までは各種メディアが特集報道を流していたが、私はちょうどこの頃、上杉隆著『大手メディアが隠すニュースにならなかったあぶない真実』という2012年刊行の本を読んでいた。それによれば震災直後の報道がいかに嘘だらけで、本当のことを伝えたジャーナリストらが業界から抹殺されてしまったこと、報道を信じた多くの国民が無駄に被曝してしまったこと、国内報道と海外報道がまるで違ってしまったこと、大手メディアが誤報の謝罪や訂正を2012年時点でもしていないことなどが批判され、その上で2015年の現在に至ってもこの国の報道状況は一向に変わっていないことが、ここ数日の報道で見極めることができた。いまも汚染水はモレモレに漏れているのに我々日本人があまり危機感を感じないのは、震災直後の各メディアの「安全です」の連呼に騙されてしまった結果だと、上杉氏は声を上げる。上杉氏は震災当時にあぶない真実を語ったため嘘つき呼ばわりされて今日に至る。いま彼を使うテレビ局はおなじみTOKYO MXだけなのだ。負けるなMX。

上杉氏の主催する「ニューズ・オプエド」では映画監督・鎌仲ひとみ氏を招いて最新作「小さき声のカノン」を紹介し、福島の現実を住民目線で伝えようという取組みにエールを送っていた。渋谷と福島では既に公開中、その後日本各地を回るそうなので、メディアが隠したい真実を知りたい方は是非ご覧下さい。私も観に行けるか判りませんが、この監督、資金をクラウドファンディングで集め、四年かけて四千万くらい集まったところで完成させたそうです。ちなみにこの予算はNHKスペシャル1本の製作費とほぼ同じだそうです。NHKスペシャルって確か毎週やってるやつだよね。毎週と四年のこの差。NHKの会長の憎々しいあの発言。ああこの国の正義はどこにあるのだ。

映画の宣伝をしたので、ついでに舞台の宣伝も。No.617で紹介した、去年10月に公演のあった東京ノーヴィ・レパートリーシアター「天と地といのちの架け橋 古事記」が梅若能楽学院会館で再演されます。3月15日(日)15時の1回限り。能楽堂で上演するということは、能との関連性が認められたのだろうか。舞台の作りは全然違うけど、確かにセリフや発声法は能に通じるものがあった。普段能を見慣れている私はのんびりしたセリフがよく聞き取れて良かったのだが、一般人には却って意味がとりにくい喋り方かもしれない。
by hikada789 | 2015-03-13 18:07 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
雪の解けた里山を歩いていたらメガネを落としてしまった。何をやっているのだ宇宙人、胸に挿しておいたのが落ちたら普通気付くだろう! 気付かなかったのだ。ゆるせメガネよ。お蔭でえらい目に。メガネをかけてる人がメガネを落とすと探し物はほぼ不可能なのだ。山道をはいつくばるしかないのだ。でも夕暮れが迫っていて探索できなかったのだ。見知らぬ道を裸眼で歩くのは危険なのだ。せめてもの救いは既に車道に出ていたことと、メガネが買い替え時期に当たっていたことだ。どうにか自宅には辿り着けたが翌朝一番でメガネを買いに行くことに。

随分昔に山で雨に降られてタオルでこすり続けたためにコーティングのすっかり剥げたスペア眼鏡をかけて、最寄駅のzoffとjinsをめぐる宇宙人。スペア眼鏡はいい加減に保管していたためツルが歪んでおり、従って視界も歪むのだ。早く新調せねば酔ってしまうのだ。それなのに宇宙人の顔面に合うサイズのメガネが見当たらないのだ。こんなに沢山フレームがあるのに、買えるものが1つもないのか。靴や服では日本人のスタンダードサイズに今も昔も泣かされてきたが、メガネまでとは! いくら安くて早くても合わないものは買えぬのだ。メガネは顔の一部です♪なのだ。
安くて早いを断念し、駅を離れてメガネドラッグに入る宇宙人。財布と折合いがつくか不安だったが、幸い入学式前のセールに当たっており意外と安いのが並んでいる。zoffとかはレンズ付きで下が5,000円からだけど、いま流行りのパソコン光をカットするブルーライトカット加工をつけると一気に5,000円増しなのだ。超薄型レンズにすると更にアップなのだ。だがメガネドラッグのセール物はレンズ付き1万からでも、超薄型レンズの割増料はやや安い。ブルーライト加工は2,000円増しとかなり割安。合計するとメガネドラッグの方が却って安上がりになる場合も。そうだったのか、3プライスの宣伝のまやかしなのだ。財布の薄い宇宙人のために神様が誘導してくれたのだな。しかし神様、どうせなら山道でメガネを落とさない方が良かったのですが。

されども落とし穴はまだ続く。ファッション目的でない顧客のための品揃えを誇るメガネドラッグでは宇宙人が求めるスタンダードな金属フレームが多くて選び放題と思ったのも束の間、案内のお姐さんいわく、「お客様、そのフレームだと耳から落ちるかもしれません」。ツルの長さが足りない? なぜならお子様用だから。にゃにィー? そうか、ツルも気にしないといけないのか。お姐さんに耳までのサイズを測ってもらって合うフレームを次々運んでくれるよう頼む宇宙人。幸い好みのフレームを見つけてくれたので、ウーンと悩んでから遂に決める。何を悩んだかというと、色だ。ポップというかシャープというか、今までにない色である。まあ顔見知りの皆さんはお楽しみに。新しいメガネのせいで宇宙人、なんだかクリエイターみたいだよ。

落とし穴は更に続く。当初3プライスで買うつもりだった宇宙人、ここでも30分待ちで出来るのかと思いきや、土日を挟んで三日後に来てくれという。にゃにィー? 三日もこの歪んだ視界で暮らせというのか。これは想定外であった。事前に確かめるべきだったが、こういうちゃんとした店構えの所は一旦入っちゃうと買わずに出るのは気が引けるものなのだ。接客も丁寧だったし、色には難があるがフレームも気に入ったし、ということで泣く泣く歪む視界の街へ踏み出す宇宙人。あまりに歪むので裸眼で歩いたが、足元にご注意下さいなのだ。お年寄りはマネしてはいかんですぞ。転んで骨折したら再起不能ですからな。
ちなみにブルーライト加工はしなかった。なぜかというとレンズに若干色が入るのだ。知らなかった。宇宙人の今のパソコン使用時間はフルタイムで勤めていた頃の半分だから、どうしても必要というほどではない。代わりに超硬コートというコーティングを余計にしてもらった。料金はブルーライト加工料と同じだ。山に登る宇宙人は霧雨などでレンズが濡れるとちょいちょい拭うしかないので、コーティングは剥げやすいのだ。失くしたメガネも、替え時だったというのはコーティングの剥げが目立ってきていたせいなのだ。メガネドラッグでは超硬コートとブルーライトの両方をつけると片方が半額になります。ご購入をお考えの方はいろいろ比較して下さい。

おまけ。晴れてクリエイター眼鏡を獲得した宇宙人、早速かけて帰ろうとしたが、だめもとで歪むツルのスペア眼鏡を矯正できるか尋ねたところ、数分で左右対称に直してくれた。こんなことなら三日前に直してもらっておけばよかった。メガネドラッグさん、なかなかいいサービスのお店です。
by hikada789 | 2015-03-11 12:07 | その他 | Comments(0)