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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

<   2015年 04月 ( 12 )   > この月の画像一覧

連休中はどこも混んでいるので連休前に遠出する宇宙人、山シーズンに向けて体力づくりに勤しむべく東京の西端を登る。ここは毎年この時期に体慣らしのために登っている低山地帯で、交通の便がよくマイカー無しのハイカーには有難い。下山路は秩父へ抜けており、日帰り温泉施設もある。行きの電車では大量の小学生と同乗しまさか同行するのかと青ざめたが、彼らの目標は奥多摩だったので一安心、山中は誰もいない森閑とした空間を独占できた。人口過密の都心とはえらい違いなのだ。おいしい沢水をペットに詰めて新緑とヒノキの列を縫い歩き、一句ひねってみた。

 わさび畑(ばた) 沢に沈める ビールかな

麓の沢を利用してわさび畑が続いているのだが、わさびというのは田んぼのように水に浸かって育つもので、しかもきれいな流水でないと育たない。だからわさびの生えた沢の水はおいしくて安全なのだが、流水の冷たさを利用して缶ビールが紙ケースごと沈めてあり、初夏の山中、畑主が仕事の合間に涼を取る様子が偲ばれるのであった。

俳句などひねってどうかしたのかと思われるかもしれませんが、宇宙人が現実逃避したいのにはわけがある。老朽化が進むわが家の唯一の窓が壊れたのだ。ベランダに洗濯物を干して戻ろうとしたらサッシが閉まらない。もともと開閉にガタガタ音を立てる造りではあったが、動かなくなるのは初めて。慌てて管理人さんに相談すると、なにしろ老朽マンションなのであちこちでリフォームをやっており、施工中の業者に来てもらったところ、サッシを転がす戸車が摩耗しているのでこれを取り替えるのが早いが、古いサッシにつきもう部品はなく、似たような部品で応急処置するしかない、レールも歪んでいるから長くはもたない、安心して暮らしたいなら窓枠ごと全面リフォームすべしと云われた。概算予算を訊くとわが年間娯楽費に匹敵する。あう、痛いのだ。
その場はシリコンスプレーを噴きつけてどうにか動くようにはしてくれたが、取扱い注意につき料亭の女将のように座って静かに開閉するのだ。しかも一度閉めきると二度と開かなくなるのを恐れ、指が入る隙間を開けっ放しにするので、昼間はともかく夜が寒い。リフォームするなら梅雨が来る前にやらねばならぬ。マンション専属の業者はノウハウを知っているから頼めば安く早くやってはくれるだろうが、入居時に水回りのリフォームを頼んだ時に仕事が雑だったのであまり頼みたくなく、よその業者に見積もり依頼などし、もっともだが現場採寸が必要と云われ、いろいろ取り決めているうちに疲れてしまったのだ。
どなたか信頼できていい仕事をする安めの業者さんをご存知でしたら紹介下さい。貧乏とはいえ必要経費を惜しみはしない宇宙人だが、『パーム』ではないが「くだらない人間に奪われるよりいい人間に」支払いたいのだよ。くだらない人間とつき合わねばならぬと思うから疲労するのだ。以前当ブログで中古物件購入のススメを記事にしたが、老朽物件にはかような落とし穴があるので、ご検討の際は充分お気を付け下さい。
by hikada789 | 2015-04-29 12:37 | その他 | Comments(0)
算命学の根幹である五行論は、木火土金水の五行の相互関係を基に論を展開しています。五行はこの世の空間を埋めているさまざまな自然物質を木火土金水の五要素に振り分けたことに始まり、木が燃えて炎となり、炎が燃え尽きて灰(土)が残り、灰が固まって岩石となり、岩石の間から水が湧き、水が樹木を育てる、という自然現象に則した循環思想を基礎に、自然の一部である人間がどのように生きればより自然な生き方となるかを示唆しています。
人間の指が五本であるように、あらゆるものを五という数に分類するのが五行説の特徴です。算命学でよく問題にされる人間の本能・欲求のことを五徳と呼びますが、これは福寿禄官印を木火土金水に対応させたもので、その順番もまた不動です。

福は人間が生きていく上での基本的な幸福つまり自己維持を意味し、波乱なく安定した状態を指しています。本来人間は、危険なく安心して暮らせているなら既に充分幸せであるという思想がここにはあります。しかし諸行無常を是とする算命学は、こうしたささやかな幸福感だけではいずれ人間が不満を抱くことを看破し、自己維持が満たされた場合の次の欲望として寿=生殖欲を充てました。昨今は高齢出産が恒例になってきておりますが、本来生殖は生殖可能になってから早い時期に遂行されるべきで、その方が育てるほうもまだ若くて力があり、沢山の子を儲けられ、遺伝子の質としても健康なのです。著名なスポーツ選手の多くは20歳前後の若い母親から生まれているというデータもあります。算命学もこれを支持し、なにしろ自然思想がご本尊ですから、人工授精やら代理出産やらといった不自然な妊娠分娩を忌む立場にあります。

さて首尾よく子供を儲けたら、次は禄=金儲けの算段です。家族が増えることで食い扶持が増え、一家はより稼がなければならなくなります。大きな家にも住みたいし、家族分の衣類や家具もいる。人間の欲望は増大し、五行中央に位置する土性つまり地球の引力が家計と家族愛を引き寄せます。このため禄は中央になければならないのです。人生もまた、一番の働き盛りは30代40代です。
ここでも首尾よくひと財産築けたとします。すると年齢は既に50を過ぎ、子供も独立し、もうがむしゃらに稼ぐ必要もなくなっています。ここで次の欲望は官=名誉へと移り、人から称賛されたいという願望が出てきます。禄を満たすためには健康な体(寿)が資本でしたが、官を満たすためにはある程度の財産(禄)が必要です。大金持ちは人格者でなくとも周囲から一目置かれます。清貧の聖者というのは非常に稀な存在で、俗世に生きる我々は財産持ちに群がり、その財がどこへばら撒かれるかに注目しています。それが権威と呼ばれるもので、官はまさしく権力の威力というわけです。権力者のツルの一声で資産家は財を増やしもし、奪われもします。だから禄の次に官があり、財産持ちは権力者にすり寄っていくのです。

しかしそんなシニカルな人生もぼちぼち終焉に向かい、老境に達すると人間は欲が薄れてきます。財も名誉も老人には疲労の元であり、食欲も性欲もとっくに失せて、晴耕雨読が晴読雨読の日々となり、それが喜びとなる。印=知性の時代です。自分の人生を振り返り、性欲、金銭欲、名誉欲とたどったわが人生が一体なんであったのかを考える余裕があることが印の条件であり、老年に至っても世俗の欲望に囚われたままであるなら印には到達できません。このため印は五徳の中でも最も遠い最後尾に位置しているのです。
もしこの印の境地に至ることができたなら、知性の最高峰である哲学は人間とは何か、人はなぜ生まれてきたのか、この世の仕組はどうなっているのか、であるので、その答えの先には究極の幸福が待っています。悟りの境地というわけです。幸福はすなわち五徳の第一要素である福=木性に当たり、五徳は一巡します。その頃には人間は人生を終え、輪廻するのか子孫を残すのかは定かではありませんが、また新たな生命として生まれて木性のスタート地点に立ち戻ります。

循環思想であるにもかかわらず、五行が木火土金水と常に木性から始まるこの順番であるのには、意味があります。上述のとおり五徳に当てはめると、最後尾の印(水性)が人間の欲望の最終形態であることはなんとなく理解できるのですが、樹木を育てる水が最終形態という考え方には幾分腑に落ちないところがあります。しかし五行説は五徳なり、五臓なり、五色なり、五感なり、木火土金水に対応する各要素がそれぞれ性質を共有すると考えますので、水性はやはり最終形態であり、悟りを得て人生を終えた印が再び生まれて福に立ち戻るように、先頭の木性に戻るには越えるべきハードルがあるのです。
今回の余話はこの五行循環の最後と最初を結ぶ点に焦点を当て、具体的には十干の最後である癸の特性について考察してみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「癸は終焉を司る」です。「算命学余話 #U81」で検索の上、登録&カフェオレ一杯分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2015-04-27 18:12 | 算命学の仕組 | Comments(0)
先週、欧州中央銀行のドラギ総裁の会見に乱入して机に飛び乗り紙吹雪をまき散らした女が『北斗の拳』に出て来る「南斗水鳥拳」の使い手であるとネットで話題に。手を使わずに脚力だけで机に飛び乗る瞬間の後ろ姿が、両手を広げて跳びあがる南斗水鳥拳のポーズに極似。まだ見比べていない方は是非ご確認下さい。笑えます。欧銀総裁と乱入女の組合せギャップが既に笑えるのに、更に南斗水鳥拳にまでつなげる日本人の感性の切れ味に惚れ惚れします。
先週の話題をなぜ今頃蒸し返したかというと、今週末に恒例の仕舞素人会があって宇宙人は久しぶりに仕舞出場するのだが、演目の『箙(えびら)』にこのポーズに似たところがあって、この部分をどうやって笑わずに済ますかという課題に取り組んでいるからだ。型付けには「ヌキ足」とあり、詞章は「鶴翼飛行(かくよくひぎょう)の秘術」とまさに水鳥拳なのだ。どうするのだ、宇宙人。最後の稽古は終わってしまったし。
というわけで素人演能会のお知らせです。

----------第二十回八歩会仕舞発表会----------
◆日時:平成27年4月26日(日)13時~16時頃
◆場所:井草八幡宮神楽殿 (JR荻窪駅よりバス10分)
◆内容:宇宙人の先生が指導しているお弟子による仕舞、連吟、独吟。
◆観覧:無料。野外雨天決行。
◆宇宙人出没情報:
皆さんの仕舞の後ろの端っこで地謡に参加する他、終わり近くで仕舞『箙』を2分ほど舞います。能『箙』は源平合戦で勝利した源氏方の若武者・梶原源太景季が、梅の枝を箙に挿して戦った話をモチーフとする修羅能で、平家のような憂いがないのでいまひとつ情緒に欠けますが、合戦を表現した派手な立ち回りが見どころで、仕舞はこの最後の部分に当たります。
【詞章と動きの解説】
「山も震動、海も鳴り、雷火も乱れ、悪風の」そういう風景をご想像下さい。
「波を立て水を返し」生田川の合戦の模様を想像して下さい。
「春の梅の花さかりなり。ひと枝手折りて箙にさせば」梅の枝を挿しました。
「われ先駆けん先駆けんとの心の花も梅も」梅の花びらを散らして駆けます。
「八騎が中にとりこめらるれば、兜も打ち落とされて」敵に囲まれたのだ。
「拝み打ち」「車斬り」「十文字」と派手な殺傷場面がつづく。
「鶴翼飛行の秘術を尽くすと」でました! 南斗水鳥拳!(一瞬です)
「これまでなりや旅人よ」旅の僧にご挨拶。
「鳥は古巣に帰るなり」またトリなのだ。やっぱり水鳥拳なのだ。
by hikada789 | 2015-04-23 17:00 | 宇宙人の能稽古 | Comments(0)
ムネオとマサルのトークショー(=東京大地塾)は永田町で行われるので、今までテレビでしか見たことのなかった政治な建物を間近に見上げる機会の増えた宇宙人。首相官邸とか法務省管轄の歴史的建造物(法務官僚御用達の宴会施設とみた)とか桜田門とかどれも絵画的。民家のないエリアですれ違うのはせいぜい皇居周回ランナーくらいで、昼間でも生活感のない無機質な空間に警備用車両が音もなく連なっているのも何やら夢のようである。首相官邸と反対方向へ抜けるとくすんで冴えない自民党本部の建物がある。「この道しかない」の文字が躍る垂れ幕で急に俗世へ引き戻される。「この道しかない」の上の文字は「デフレ脱却」だったかな。「この道しかない」と与党が叫び始めた頃にマサルは皮肉を込めて曰く、「どこかで聞いたことのあるフレーズだと思ったら、旧ソ連のゴルバチョフがペレストロイカを推進していた時に『この道しかない!』と叫んでいたよ。結局その道の先でソ連は崩壊したけどね」。
このフレーズが出てきた先に政治的崩壊が待ち構えているかもしれないという仮説の是非はともかく、算命学者の宇宙人は選択肢を自ら狭めるこうした思考誘導はいただけないと思う。鑑定依頼人は問題を抱えているから相談にやってくるわけだけど、問題を抱えることで視野が狭くなり、この道しかないんじゃないかとか出口がどこにもないんじゃないかとかいう思考に陥りがちになる。鑑定者は宿命を算出して道がいくつもあり、それぞれに長所短所があることを説明して視野を広げさせ、最終的に本人に判断させて進むべき道を選ばせるという手法を取る。決して「この道しかない」などと依頼人を追い詰めたりはしないのだ。世間の隅っこで暮らす占いカウンセラーにさえこの程度の分別はあるというのに、政治家の分別は大丈夫だろうか。

最新のトークショーではマサルがまた愉快な比喩をしていたので紹介しよう。中国が提唱しているAIIBについて自動車教習所に喩え、「まだ実技運転初級で教習所内をぐるぐる回るだけのレベルの車が、間違って車道に出てきてしまった。まだ座学もバックも車庫入れもできないのに公道を走っている車、それが中国だ」とバッサリ。国際ルールを学ぶより先に中国は強くなりすぎたので、交通規則を知らずに車道を突っ走る危険運転車両と同じで、当然事故は予測されるが、既に車道を走っている以上は歩行者や他の車両は事故をもらわないよう注意しなければならない。おかしな道理だが、我々歩行者はそうするしかないのだ。
そういえば先日日本の裁判で、もらい事故なのに被害者が賠償責任を負う判決が出たっけ。なぜそんな理不尽な裁定が下ったかというと、事故を起こした運転手は居眠り運転で対向車線に進入し、対向車とぶつかって死亡。居眠り運転手の隣には車の所有者が同乗していたが、本人が運転していたわけではないので自動車保険が下りない。事故による損害賠償を誰ならできるかという方向へ議論は流れ、結局もらい事故だった対向車線の被害者を有罪にし、この人なら保険が下りるからそこから賠償費を出させるという解決法に至ったのだという。これで丸く収まるという発想がおそろしい。もらい事故で死んだり不具になったりすることだってあるのに、カネの出どころが焦点となって裁判は進むのである。ちょうどAIIBがニュースになっていた頃の事件だったから、マサル氏の比喩で繋がってしまった。これから中国という暴走車両に当てられてもらい事故を訴えても、損害賠償請求はこちらに回ってくる懸念大である。いやな世の中なのだ。かといって現実から目を背けて生きるわけにもいかないし。

厳しい現実に目を向けるチェルノブイリ映画フェア「29年目のチェルノブイリ」がGW前半の4月25日(土)~30日(木)ポレポレ東中野で開催されます。2008年から毎年恒例の行事で、今回は本橋成一監督作品を中心に「ナージャの村」「アレクセイと泉」「ナミイと唄えば」「水になった村」「バオバブの記憶」「祝(ほうり)の島」「ある精肉店のはなし」を日替わりで上映。トークショーもある。自民党の垂れ幕とは正反対のフェアのコピーは「世界はたくさん、人類はみな他人」。
現実は厳しいのだ。でも多様性を重んじるなら他人も他人として認めねばならない。人類みな兄弟になるわけはないし、なる必要もない。世界はひとつでなくていい。価値観もそれぞれあっていい。嫌いな人がいてもいい。無理に好きになったりトモダチになったりするから後でこじれるのだ。他者に迷惑をかけなければ、無理していい人にならなくてもいい。誰もがガメずに無理なく自然に生きて、それでいて人の世の不幸が最小限に食い止められる方向へ導いてくれるスローガンが、世に溢れてはくれぬものか。
by hikada789 | 2015-04-22 13:36 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
かつて石原慎太郎にたてついて話題になった芥川賞作家、田中慎弥の『共喰い』が映画化された時、このひねくれた作家が「映画は原作を超えている」と絶賛していたのでどう超えているのか気になっていたが、最近観る機会を得て、なるほど大層な超え方であることが確認できた。
普通原作者なら自分の愛する作品が他人の手により勝手に作り変えられてしまうのを善しとしないものだが、かといってそのまま何も手を加えないコピーならわざわざ映像化する必要もないし、コピーはそもそもオリジナルに勝てないから映像化した監督は力量不足との批判の的となり、結果的に原作も映像もどちらも評価を下げてしまうことがままある。そうならないために映像化には文字原作にはない工夫が求められ、効果が高いなら原作から離れたオリジナリティを組み込むことも考えねばならない。
映画版『共喰い』は特に最後の部分が引き伸ばされ、原作になかったエピソードを加えて物語に戦後史を組み込み、この辺りが憂国保守の西部邁氏による称賛につながったのだろうが、私が注目したのは更にそのあとの主人公と彼女の立場の逆転で、まさかの解決法にこれは原作者も仰天ものだと瞠目したのであった。S(加虐)はM(被虐)に代わってまるく収められたのだ。そしてこれもまた日本の戦後史の暗喩なのだ。まあ興味の湧いた方は是非とも原作を読んでから映画をご覧下さい。

原作の映像化といえば、近頃はマンガ原作の実写化が増え、私はほぼどれも見ていないので評価するのもおかしなものだが、随分前に『動物のお医者さん』というコメディ漫画が実写化された時には、セリフから何まで全く原作のコピーであり、映像化スタッフのあまりの意気地と芸のなさに鼻白んだものだ。今どきの実写化作品もその頃のレベルから出ていないものと推察する。ただ最近の実写映像はCGのお蔭で昔はできなかった様々な表現が可能となったためエンタメ性は上がっているのだろう。3D映像を視覚認識できない宇宙人にはCG映像もまた違和感が強く脳に響くので、楽しめないのが残念だ。皆さん、楽しいですか?

原作から逸脱すること甚だしい例としてロシア映画を挙げよう。今ちょうどゲルマン監督の遺作『神々のたそがれ』が上映中だが、原作はSF作家ストルガツキー兄弟の『神様はつらい』で、私はこの作品を読んでいないが、ストルガツキー作品の共通項として、西側で認識されているSFとは様子の違う妙なリアリズム、SFといいつつ我々現代人のことを描き、「一歩間違っていたら我々もこうなっていたかも」という手法のフィクションを連ねた物語が、これを原作として映画を作る作り手の想像の幅を広げるらしい。ストルガツキー作品をそのまま映像化しても面白くも何ともないのだが、あくまで発想だけを採り入れてあとは自由に創作するのであれば、現実と夢想がねじれて繋がる妙味ある映像が期待できる。
『神々のたそがれ』はおそらくストルガツキー兄弟がそこまでは想像しなかったグロテスクさを全面拡大して押し出した怪作で、映像として見苦しい場面が多すぎることを考慮してわざわざモノクロで撮ってあるのだが、よく見えないモノクロの方が却って恐怖が増すのは『フルスタリョフ、車を!』で証明済みなのだ。こんなに長くて疲れるのに眠くならない映画は他にないのだ。「ゲルマン作品に比べたら、タランティーノはディズニーだ!」なのだ。まだしばらく上映しているので、ホラー映画では足りない刺激をお求めの方は是非。

ついでに、当ブログでも紹介したことのあるソクーロフ監督の『陽はしづかに発酵し…』も原作はストルガツキー作品である。こちらは私も原作を読んだが、原作とは似ても似つかぬ別物で、しかし原作を全く無視しているわけではなく、根幹を貫くテーマは確かに原作と同じ人間批判であり、希望の糸口を見出そうとする余韻であり、それが原作にはなかった壮大で重苦しい映像美に包まれている。日本人の感性にはソクーロフの方がゲルマンより受入れやすいとは思います。ストルガツキー作品の映像化は他にもありそうですが、こうした原作と映像化のあり方ついて日本の映像クリエイターに学んでほしいです。
なお『神々のたそがれ』上映を記念してゲルマン監督の過去4作品のDVDが日本で発売された。『フルスタリョフ』も勿論入っている。BOXもある。一体どんな方がお求めになるのかしら。怖いじゃないの。お問合せは株式会社アイ・ヴィー・シーまで。
by hikada789 | 2015-04-20 13:56 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
前回の余話#79で例題として取り上げた著名人の命式では、まだ発症してもいないガンの予防のための手術に踏み切った経緯にスポットを当ててみました。鑑定の実践に当たっては、まず命式をパッと見た時の特徴というのがかなり重要で、前回の例はその点わかりやすい命式でした。星が偏っていたり、五行が偏っていたりといった命式は、風景に置き換えるとその部分が強調されて浮き上がって見えます。そうした特徴が第一にその人の特徴であるので、こうした印象すなわち第一印象には重要なヒントが込められており、単なる印象だと切り捨てるべきではありません。

世間には人を見た目で判断してはいけないという教訓がありますが、見た目は実は重要です。見た目は、少なくとも外面というその人の半分は表しているのです。目に見えない内面が人間のもう半分であるとすると、内面ばかりを当てにしても全体像は掴めません。人を見た目で判断してはいけないというのは、実際に他者から見える部分が外面ばかりで、なかなか内面を窺い知ることは難しいため、その見えない内面にも注目すべきだという訓戒だからなのですが、算命学は陰陽論なので、内面を重視するなら同じくらい外面も重視すべきだとし、双方に同じだけの体重をかけてバランスを取ることを奨励しています。

昨今は女性のみならず男性までもがエステに通う外見重視の傾向が極端に強まっており、女性に至ってはアンチエイジングと外来語で意味を濁した幼児化が進んでいます。算命学的観点から言えば、これは年月と共に老成していかなければならない内面を軽視したアンバランス状態なので、この状態に安逸としている人は反動でいずれ何らかのツケを払うことになります。ある作家の言によれば、現代人は「老いることのできない苦しみ」を味わっているとのことです。じつに言い得て妙です。こちらは、外見ばかり磨いても中身が伴わなければいびつだ、といういい例です。

ぱっと見わかりやすい命式、の話に戻りますと、こうした目に飛び込んでくる印象を宿命の外面とすれば、仔細に見ないと見えてこない地支・蔵干の関係性は宿命の内面と解くことができます。こうしたなかなか見えてこない部分を読み解けるかどうかは鑑定者の腕に懸かっており、逆に云えば、見えやすい特徴的な部分にしか言及しない鑑定者は、まだ内外双方のバランスが取れていない技術者ということになります。
算命学初級者には、星や格法の名前や異名など、キラキラしたタイトルにばかり注目してその内実の意味を吟味しない人が多く見受けられます。最近は親が付けてくれたキラキラネームを改名したいと裁判所に申し出た人のニュースが話題になり、親に似ない子供のまっとうな感覚に安堵しました。この子供は、親が逸脱したバランス感覚を自ら取り戻したわけです。算命学の学習者にも、後で子供に恥をかかせる親の振舞いを教訓に、まっとうな大人の態度で修練に励んで頂きたいと思います。

今回のテーマは前回の事例を少し受けて、辛(しんきん)が日干である場合の特徴について考えてみます。辛は自然界に喩えると宝石であり、磨いて清めればキラキラと光り、衆目を浴びることから、基本的に容姿が優れているのが特徴です。ですが、上述のキラキラネームが周囲の注目と同時に失笑を集めてしまっているのと同様に、辛の生まれだからといって羨望の的になる場合と、失笑や冷笑の的になる場合と、明暗が二手に分かれます。
前回の事例は米国の芸能人でしたが、こうした華やかな世界で活躍するのに辛の容姿は有利に働く一方、常識を欠いた感覚が災いして物議を醸すこともしばしば起こります。ではどうして辛は優れた容貌とは裏腹に常識を欠いてしまう傾向にあるのか、その辺りを考察してみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「辛生まれを考える」です。「算命学余話 #U80」で検索の上、登録&春雨スープ一杯分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2015-04-17 17:04 | 算命学の仕組 | Comments(0)
うっかり素通りしていましたが土星の裏側は4周年、算命学余話は2周年を迎えました。読者の皆さまのお蔭で未だ宇宙人は干しイカになることなく、コメと味噌と最近はこれに胚芽押麦を加えて栄養価を高めた糧食にありつけておりますこと、改めて御礼申し上げます。勤めを辞めてブログを始めた頃に旧い友人が、ネットを介した文章で生計を立てるのに4年掛かった知人の例を挙げ、効率が良くないぞと警告してくれたのものだが、4年経っても食費しか稼げていない宇宙人は更に効率の悪いライフスタイルであることが判明している。読者の方からは宇宙人に学ぶところ少なからずといったコメントが寄せられることもあり、嬉しいやら剣呑やら。皆さん、現実から目を背けてはなりませんぞ。まずは衣食の確保ですぞ。

節約に勤しむ宇宙人の日々の情報収集は、まず朝のラジオに始まる。佐藤優の出演を知って聴き始めた「あさらじ」を気分次第で6時半から聴く。毎日は聴かないが、先日上念司という三橋貴明によく似た語り口の経済学者が評論をしているのに遭遇し、朝から楽しく笑えたので今後追跡しようかと思う。
中国が提唱しているAIIB(アジアインフラ投資銀行)を「審査の甘いカードローンです」と言い切り、国内需要が飽和状態となっている現中国のインフラ整備業を破産させないために周辺のアジア諸国に労働力を放出しようとしている中国政府が、審査を甘くしてアジアの貧乏国にカネを貸し、返せないローン破綻者を続出させるのは目に見えていると一刀両断。中国という国は今までもアフリカなどを開発援助するといいつつ自国民労働者を大量に現地に送り込み、現地住民の雇用創出や自立に貢献しない利己一辺倒の支援手法で悪名を馳せてきた。世界中で中国人が嫌われている由縁だ。このマナーが法となるAIIBに日本が参加する意義はない、日本国民がまじめに稼いで納めた税金が自分の儲けしか考えない中国人の黒い懐に収まるだけだ、と警告する。
経済に疎い私も中国滞在の経験から全く同感だ。米国マナーを押し通す世銀その他が最善とは言い難いが、少なくとも米国は自国で定めた法律に従う節度がある。上から下まで遵法精神を持ったことのない中国人を律する節度がこの世にあろうか。日本政府よ、まじめな自国民をこれ以上苦しめてくれるな。

ラジオは文化放送9時から「くにまるジャパン」が流れ、これも佐藤優の出演に合わせて聴き始めたが、面白ければ他のゲストの日も聴く。気が向けば9:45からNHK第二で「朗読の時間」を聴く。今はカフカの『変身』を読んでくれている。続けて10時から「カルチャーラジオ」。4月から新講座に変わり、これも興味のある曜日だけ聴く。その後自分で仕事と決めている作業をこなし、16時からニッポン放送「ザ・ボイスそこまで言うか!」を興味が湧けば聴く。同じ時間にネットの「ニュース・オプエド」も流れるので、こちらを視聴する場合もある。
これらを毎日欠かさず聴けば時事問題は相当多角的に把握できるようになると思うが、かく言う私も網羅はしていないし、ラジオは大抵「ながら作業」で聴いているから聞き漏らしも多い。でも報道と銘を打ったテレビバラエティーでゲストの意見ではなく感想ばかりを延々聞かせる浅い番組を見るよりは、使えるネタが多いしアタマも使うよ。

カフカと云えば、数年前に日本でも上映されたロシア映画『変身』(2002年、ワレーリー・フォーキン監督)が無料上映されます。この映画の内容は原作に忠実ですが、舞台風の演出は独自のもので、主人公の虫役は被り物もせず人間の姿で登場する。ロシアのスター俳優ミローノフの虫を彷彿とさせる怪演が見どころの逸品です。港区麻布図書館で4月23日(木)18時から1回限り。
『変身』の解釈については、最近では主人公を単なる奇怪な虫ではなく一家の恥ずべきお荷物として捉え、これが競争社会における脱落家庭、もっと云えば障害者を抱えた家庭だとする視点が表だって議論され、やれまた差別だのの騒音が懸念されたが、原作自体を知らない人が多いのかつまらぬ騒音は聞かれずに済んでいる。しかしラジオ朗読で改めて聴くほどに、一家の稼ぎ手が突然自宅介護あるいは引き籠り状態となり、しかもそれは周囲から隠すべきことであり、小ぎれいな中流家庭が貧困家庭へと転落するプロセスを詳細に描いた現代リアル小説だと知れるのである。私は高校の頃に読んだきりで当時はバブルの末期だったから、その後のバブル崩壊に伴う不況の始まりと鬱やニートの蔓延、介護や格差の問題が広がる20年後の日本が、カフカの描いた世界の再現となることなど考え及びもしなかった。『変身』はもはや古典ですが、やはり古典はいつの時代に読んでも通じるものがあります。

テレビはお馴染みTOKYO MXの生番組(朝・夕・晩)と西部ゼミくらいしか見ていなかったが、最近東京では11チャンネルのスカパー光が「ニュース・ザップ」という生番組をやっていて、お金のないTOKYO MXと出演者のかぶった、キー局に嫌われている人たちの集会所となっている。BBC等の海外ニュースをライブで同時通訳で流してはゲストのトークに切り換えるという乱暴な番組で、キー局の生番組が露呈する、話すことがなくなって間が持たないのを無理やり伸ばしたイヤーな空気のない、喋りっぱなしの高密度時事ショー。以前は正午から3時間の疲れる番組だったが(仕事にならないのでネットで録画を小刻みに見ていた)、この4月から夜6時開始の2時間番組に衣替えした。金曜ゲストだった時事芸人・プチ鹿島がいなくなってしまったのは残念だが、コンプライアンスを気にしてキー局では言いたいことも言えない論客たちがここぞとばかり思いのたけを吐き出して帰って行く清々しい番組である。MCの女の子たちが単なるエロ要員でないのが嬉しい。神田ちゃん、君の素っとぼけたツッコミがおじさん達を膝カックンするところに注目しているぞ!

おまけ。BSフジで夜8時からやっているこちらも生番組「プライムニュース」に先週西部邁先生と石原慎太郎元都知事が並んで出演していて、思わずMXが出張してきたのかと身を乗り出した。この二人気が合うのかねと思いきや、西部先生はゼミの通りとしても、よくキレる石原氏が大人しく座っていたので、憂国保守で同じ立ち位置なのだと知った。石原氏の方が7歳ほど年上なのだが、西部氏の方がじいさん然としているので、大人しい石原氏の方が神妙な態度で、何だか石原観が変わってしまったよ。いずれにしても、番組司会がとんちんかんな振り方をするのに対し、両者ともブレない憂国論と歴史分析を展開していたので、西部ゼミをいつもご覧の方にはあまり珍しくもないかもしれませんが、大手メディアが無視する情報ソースをお求めの方は、番組HPでアーカイブを10日間公開しているのでご覧下さい。4月8日(水)の放送です。10日を過ぎると文字になるそうです。
by hikada789 | 2015-04-13 16:14 | その他 | Comments(0)
ご本人の許可を得て、「あなたの山水画」を掲載します。ご協力ありがとうございます。
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1974年5月15日生 男性の山水画
 丙 己 甲
 辰 巳 寅
初夏の太陽が陽気に輝き、山野草木を照らしている。
【解釈】
太陽のあなたは周囲の風景に光と暖気という恵みを与える存在です。
山野は兄弟友人・子供及び配偶者、草木は両親に当たり、いずれも太陽の恵みを受ける立場から、あなたの存在なり働きなりに大きく影響されています。そういう意味で、あなたは周囲の人間関係の中心的存在ですが、やや暑苦しさも否めず、感謝されながらもけむたがれる可能性もあります。尤も、あなたは人間関係は衝突が多いと思っているかもしれませんが、全体的に良好に回っています。
あなたはプライドが高く、若々しいエネルギーに溢れていますが、もしあなたと対照的な性質であなたと同じくらいの存在感ある人物とコンビを組んだりライバルになったりすると、違いの欠点を補完し合い、人生に輝きと豊かさが増すでしょう。
by hikada789 | 2015-04-12 18:31 | 宇宙人の鑑定実績 | Comments(0)
福島原発事故で海へ流出した汚染物がとうとうカナダ沖まで到達したというニュースは最近テレビで報じられたが、同じく太平洋沖で事故以前に発見されたことのない双頭のサメや溶けるヒトデが確認されていることは日本では報じられていないと、映画「蘇生」の白鳥哲監督は語る。事故との因果関係が証明されていないことを理由に報道しないのかもしれないが、もう海外のメディアには普通に流れてしまっているのだから、隠すより因果関係を調査中であるという報道をした方が正直ではないか。隠すから余計に話がこじれるのだ。日本の報道の自由度ランキングが60位辺りで、産経支局長を不敬罪で訴える韓国とどっこいの位置なのもやむなしなのだ。

春休みは終わってしまったがすぐGWなので、お子さんの環境・科学教育に「蘇生」をお勧めします。わが家で活躍するお掃除用EMWの仲間たちである有用微生物群が、ヘドロから化学廃棄物、放射性汚染物まで掃除して無害化する仕組みについて取り組む研究者たちの隠さざる声を連ねた90分。EMの生みの親、比嘉照夫博士以外の科学者によるまた違った角度からの見解も大変興味深かった。
ある種の有用微生物は今も福島で大量放出中のセシウムに作用しバリウムに原子転換する力が証明されている。バリウムといえば胃カメラで飲むあのまずくて無害なやつだ。セシウムに比べたらまずいのが何だ、じゃんじゃん振りかけてバリウム化すればよいではないか、EMは安いんだし。
しかし何ゆえEMはこんな芸当ができるのかといえば、実は簡単だと女性科学者はいう。現代人は健康のためにカルシウムを摂ろうと小魚やら乳製品やらを意識して食べているが、ではこれらを食べなかったら人体は骨を失うかといえば、そうはならない。パンダは笹しか食べていないのに巨大な骨格を保っている。なぜかというと、例えば笹や野菜に含まれるカリウムを腸内菌のどれかがカルシウムに変換しているからだ。人間を含む動物の腸内にはこの種の細菌がウヨウヨ暮らしているので、野菜だけ食べていても骨は維持できるし、肉を食わなくても筋肉を維持できるのだ。その際、例えばカリウムからカルシウムへ原子転換するときに作業熱が出る。その熱エネルギーで我々は生命活動を営めるというわけなのだ。
これって原子力発電所と同じ仕組みなのだ。ウランという原子を核反応させて熱エネルギーを取り出し、湯を沸かすのが原発なのだ。野菜のカリウムが腸内でカルシウムに転換されたように、ウランの一部はセシウムやストロンチウムなど有害物質に姿を変える。しかし有難いことにこうした有害物質を専門に無害化できる微生物もいるのだ。そしてそれは太古の昔から地球に存在していた。なぜなら原始地球は大気もなく、宇宙からの放射線が雨あられと降り注ぐ過酷な環境を生き抜くために、進化した生物が彼らだからだ。だから泣く子も黙るセシウムの山に彼らをダイブさせても、おや、これは30億年前お馴染みだった奴ではないか、どれどれ分解してやろう、と無償で分解してくれるのである。なんと有難いことであろう。科学者の一人はこのため微生物を「さん」付けで呼ぶのである。

福島の土壌をはじめ、チェルノブイリの被災地での除染効果は既に実証済みだ。ベラルーシに至っては、先日「小さき声のカノン」を観た時にも遭遇したが、内部被曝している子供たちに夏休みなどの長期転地療法を継続的に施していて、とにかく放射能の心配のない世界各地に集団で一定期間住まわせると被曝測定値が下がることが既に知られている。その被曝測定は出国前と帰国後の2回ベラルーシ国内で行われるのだが、日本に滞在したグループだけ飛び抜けて数値が激減している。これだけ見たら日本は何か神秘的な力でもある国なのかと仰がれそうだが、何のことはない、滞在者の給食にEMを混ぜていたのである。飲み物ではないEMWを飲んでいる私だって毎日快便なのだ。ヨーグルトよりいろいろブレンドされているEMの方が免疫力アップ度が高いのだ。病気のお客さんにじゃんじゃん飲ませるのだ。
くどいようだがEMは安いのだ。米のとぎ汁で培養できるくらいコストが掛からないのだ。このほとんど無償労働してくれる有難い微生物さんたちをなぜ社会はもっと活用しないのだ。福島の土壌の除染といえば土を削って袋に詰めて別の場所に移動させているだけなのだ。これは除染ではなく移動なのだ。汚染物は全然減っていないのだ。言葉の使い方が間違っているのだ。でもEMを撒いた土壌の植物からはセシウムらが検出されないのだ。セシウムがバリウムか何かほかの無害な物質に変換されたからなのだ。これを除染というのではないのか。原発の周りに果てしなく広がり続けている汚染水タンクに微生物さんを投入しろなのだ。地下水にどくどく流し込めなのだ。

この大量流し込み計画は、既に9年前から東京の日本橋でやっている。お蔭でドブ川だった日本橋下から隅田川は透明度が上がって魚も戻れるようになり、いまや東京湾にはムール貝が生息しているという。しかしこの事業は民間のボランティアであり、行政は支援する気はないのである。
また福島の海岸にある桜並木道にも大量散布計画が既に実行され、毎年綺麗な桜を咲かせているのだが、この作業を除染と呼ぶと行政が許可を出さないので、ガーデニングと称して許可をもらうのだそうだ。なんで邪魔するのだ。住民のためにやっているのに。誰の不利益になるというのだ。誰が邪魔しているのだ。談合した除染業者なのか。何を隠しているのだ。隠すから話がこじれて無駄な努力と出費を強いられるのだ。この種の秘匿が日本には多すぎるのだ。隠しても役に立たないのだ。事実に向き合うのだ。

原発の廃炉事業計画では、原発立地を更地に戻すまでに40年を見込んでいるという。この長大な年月をさらりと語ってのける関係者の神経を疑う宇宙人だが、はっと気づくことがある。まさか国家GDPを維持するために公共事業として有望だとか思っているんじゃないだろうね。これで失業問題も40年は解消だとか思っているんじゃないだろうね。何の生産なのだ。何のための仕事なのだ。40年働き続けた結果が更地なのか。どうせ働くならまだピラミッドでも作って千年後の子孫の観光収入に寄与する方がましなのだ。何かが狂っているのだ。子供たちよ、「蘇生」を観て君たちの将来の正気を保つのだ!
by hikada789 | 2015-04-10 16:32 | その他 | Comments(0)
零細家庭向け国産豆納豆の上手な買い方。2年ほど前から都内各所の小スペースに林立し始めたイオン系ミニストア「まいばすけっと」の30%引きシールを目がけて買う。国産ものは定価100円前後なので70円くらいまで下がる。シールは毎日つくわけではないが、昼頃までに入店すればまとめ買いができることもある。納豆は冷凍保存可能なので多めに買っても無駄にはならない。お蔭でわが家の冷凍庫には納豆が常備されている。一晩で解凍できる。なお別の大手スーパーでも運がよければ半額シールを付けた国産ものが買えるが、人手が多いのですぐ売れてしまいなかなか遭遇できない。
ところで納豆ばかり注目してきたがわが家はモヤシにも世話になっているが、当然国産だと信じていた原料の緑豆が中国産と知って天を仰ぐ宇宙人。中国のモヤシ業者は禁止されている漂白剤を使って白くしたモヤシを平気で卸しているという恐ろしい報道を見たことがある。日本の業者はもちろんそんなモラルのない商売はしないし、原料豆の品質も農薬など厳しい管理基準を設けて輸入しているに違いないが、農作物の貿易会社に勤めていた身として大量輸入品が全量検査するわけではないことを知っているので、中国人の標準モラルを考えると購買意欲が落ちるのだ。まあ大豆製品は納豆と豆腐と味噌でまかなうとするか。
たまにしか買わない豚肉も必ず国産を選んできた宇宙人、普段買わない店でうっかり米国産を買ってしまったが、味が全然違うのだな。怖いくらいだ。遺伝子組み換えエサを食わせているやもしれぬ。国産品を疑いの念なく食べられる今が華やもしれぬ。

暗い将来ばかり想像してもつまらないので前向きな話題を。本屋の震災特集ブースの片隅に『5アンペア生活をやってみた』という岩波ジュニア新書を見つけ、早速図書館で探して借りた。中高生向けなので文体が平易で斜め読みしてしまったが、要は都会でどこまで節電できるかを追求した自己体験記だ。著者は朝日新聞の記者なので新聞でご存知の方もおられるかもしれない。都会育ちで電力使い放題の暮らしをしていた著者は、福島で被災した経験から節電を極める決心をし、都会での仕事を続け生活水準をキープしたまま、無理なくしかも劇的に個人の消費電力を下げる方法を模索した結果、1カ月の電気代をとうとう190円にまで下げることに成功する。
暖房しないことで真冬でも結露しない窓を誇る省エネのわが家でも電気代は二千円近くかかるのだ。190円はすごいのだ。どうすればそのように。まず電気の基本料金にかかわるアンペアを5アンペアまで下げると、基本料金がゼロになるそうだ。わが家は引っ越してきた当時のままの30Aなので、基本料金は840円ほど。10Aまで下げると280円、5Aなら0円。著者はこの5Aプランに切り換え、節電の結果使用した分のみの支払いが190円になったというわけだ。

しかし電力会社は5Aを推奨しない。今の家庭ならどこにでもある電子レンジやエアコン、ドライヤー、炊飯器、掃除機(強)が軒並み10A越えなので、5Aまで下げるとどれも使えなくなるからだ。著者はこれら家電と決別し、最終的に冷蔵庫ともお別れしたことで190円を達成した。残った大物家電は洗濯機だけだが、これは最大4Aまでしか上がらないので5Aプラン内で収まる。テレビやパソコンは1~2Aなので洗濯機と同時に使わなければ大丈夫。扇風機など数にも入らない。そうなのか。
宇宙人の家には元より電子レンジもドライヤーもないし、掃除機はいつも「弱」で使う。炊飯器も以前なかった頃はコンロで炊いていたし、エアコンは真夏の体調の悪い数日しか使わない。扇風機を買ってもいいと思っていたくらいだ。納豆があるから冷蔵庫は保持したいが、5Aは無理でも10Aか15Aくらいまでは楽に下げられるではないか。切換え工事は基本的に無料とある。基本料金だけでも1年で五千円ほどの節約になる。もちろん地球にも優しい。東京電力に電話してみるか、宇宙人。

本では節電の過程を、特にエコ意識が強いわけでもなかった著者が無理のない都会暮らしを持続できるレベルで紹介しているので、突然家電を全部処分しろと云っているわけではない。ただ私も盲点だったのは、食品を電気で加熱するのとガスで加熱するのとではどちらが資源をより消費しているかという点で、私は漠然と同じくらいかと思っていたのだが、原発が停止している現在、化石燃料を燃やして発電所は動いている。その燃やす過程で消費ロスが何割も出ているのだから、家庭用コンロに鍋を載せて調理する方が当然ロスは少ないはずなのだ。云われてみればそうだ。調理は微々たるものだが暖房ともなると燃料消費は大きい。灯油をストーブで燃焼させれば燃焼させた分だけ温まるが、電気を通した暖房では発電所でそもそもロスを出してしまっている。せっかく暖めた空気の多くが発電所周辺の外気へ放出されてしまい、もったいないことに。
著者は記者なので、福島の被災の取材も合わせこうした角度からも節電の本質を呼びかけている。子供向けの本ではありますが、良書なので一家にお勧めです。大人向けの本も出しているようです。
by hikada789 | 2015-04-07 16:04 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)