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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

<   2015年 06月 ( 12 )   > この月の画像一覧

安倍政権の精神分裂症ぎみ対応のせいで日露関係の発展が阻害されている昨今ですが、夏休みにはボリショイサーカスが例年通りやって来ますし、文化交流は継続中です。奮ってご参加下さい。

(1)ロシア国立交響楽団 チャイコフスキー456
チャイコフスキーの三大交響曲とされる4、5、6番を一挙演奏する、暑気払いどころか疲労倍増しそうなコンサート。爆演型指揮者ポリャンスキー来日初公演です。C席5000円から。
◆7月12日(日)14時開演、横浜みなとみらいホール
◆7月18日(土)14時開演、東京芸術劇場コンサートホール

(2)映画「チャイルド44 森に消えた子供たち」
ロシア映画ではありませんが、2009年あたりにミステリー小説として話題になった作品の映画化。スターリン時代のソ連は自称ユートピアを掲げていた手前「犯罪ゼロ、病人ゼロ」とか笑える統計を平気で出していたが、その陰で起きた猟奇連続殺人がこの歪んだ国家の中でどう扱われたかがよく判る、佐藤優氏も勧める重厚な国家サスペンス。脳天気な西側の役者に圧政に耐えて生きてきたロシア人の苦悩を演じきれるか疑問だが、実話を取り入れているようだし、土星裏の記事に慣れてまさかとは思うがロシアいい国とか勘違いされている読者には、目の醒めるキック効果が期待できるでしょう。恐ろしい国ですよロシアは、今も昔も。でもその恐怖に苦しめられるのはほぼ自国民のみであり、ロシアが国内の不満を逸らすために他国を侮辱したりしたことはない。これが我が国の隣国とは違うところ。7月3日からTOHOシネマ系で公開、その後全国を回ります。

(3)シリア映画「それでも僕は帰る~シリア若者たちが求め続けたふるさと~」
先日スキマ番組「ニュースザップ」に出演した在日シリア人ナジーブ氏が宣伝していたドキュメンタリー映画。ISにめちゃくちゃにされたシリアの現状を市民の目線で語り、ニュースが伝えない素顔のシリアを描く。8月から渋谷アップリンク他で公開予定。
シリア情勢報道は西側先進国の目線に偏っているし、一時期公平性が評価されていたアルジャジーラ放送も最近は政権からの圧力を受けて精彩を欠いているしで、ありのままの現地を取材報道してくれる人がいない、なのでシリア人自ら撮影することにした。ナジーブ氏によれば、先進国は結局自国の損得でしか物を考えられないので、テロ国家ISをどうするかそればかりに注目しているが、シリアの一般人を苦しめているのはISよりもアサド政権であり、死者も政府軍による爆撃の方がISより遥かに多い。ISを討つために周辺国はアサド政権に味方しているが、それはシリア人が一番やってほしくないことなのだという。そんな報道はついぞ聞いたことがなかったので、やはり我々が日々接している情報には相当の偏りがあると認識せねばならない。よく日本の報道が原発事故をはじめ都合の悪いことを隠していると批判されるが、欧米の国際報道も五十歩百歩というわけか。とりあえずこういう映画は見ておくに限る。

ところで母国の窮状に心を痛めるナジーブ氏だが、私はこの人全然知らなくて、いつも見ているスキマ番組なのでたまたま見かけたに過ぎないのだが、上述のような貴重な意見を語ってくれて有難い一方、人間にはまるで共感しなかった。なぜかというと、この人によればシリア人というのは世界各地で活躍している(有能だと言いたいらしい)民族で、スティーブ・ジョブズもシリアの血が入っているとか、その他何とかかんとか並べていた。人口で勝るインド人は世界各国に1000万の移民を出して活躍していると言われているのを引き合いに出し、シリア人はその倍の2000万人を輩出しているぞと鼻で笑う。果たしてそれは自慢することなのか。数が多ければいいというものではないし、そもそも移民をするということは自国を見限って脱出したという意味合いが強い。つまり自国がダメなので移民したのがそんなに自慢なのかと、宇宙人のアンテナはキャッチしたわけだ。
自国をダメにした人々が多く暮らす国、それがシリアであり、今の危機的状況とは合致していると思われるのだが、皆さんはどう解釈されますか。私はロシア文化に馴染んだせいで、国外逃亡した人は意気地がないという感覚がある。ソルジェニーツィンだって長い亡命生活の末に、命の危険が解消された新生ロシアに戻ってきた。母国の役に立つためだ。根性があるなら踏みとどまるなり一時避難の後に帰還するなりして、ダメになった祖国をなんとか立て直そうと奮闘するのが愛国心ではないのか。ナジーブ氏は所詮日本という安全地帯から物を言う意気地のない弱者であり、日本より西洋の影響をより受けたものか、自省よりも自画自賛と他者批判、責任転嫁するのに忙しいようだ。という具合に人間的にはいただけない人物であると認識した宇宙人だが、映画は見てみよう。そこに写し出されたシリア人たちも彼と同じように自省しない体質だったら、それがシリア人の国民性だと結論づけて間違いないし、そのせいで当地の紛争はこの先50年くらい続くと予言もしよう。もしそうでなかったなら、シリアの未来はそう暗いものではないと言えるだろう。
by hikada789 | 2015-06-30 17:24 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
毎月恒例のムネオとマサルのトークショー(=東京大地塾)に行くと大抵受付で『月刊日本』という雑誌をもらえる。ムネオやマサルの寄稿する記事がよく載る憂国評論誌で、西部邁氏や西部ゼミにゲストに呼ばれる言論人らも多数発言していることから、わがスキマ情報と親和性の高い雑誌であると認識し、有難く拝読している。7月号は政治には関わっていない印象だった内田樹氏までもが登場して「日本は主権国家ではない」説を激白。続いて精神分析学者の岸田秀氏からは「日本は精神分裂症」説が、佐高信氏からは「米国議会で英文スピーチをした安倍首相に日本人としての誇りはない」説が飛び出し、マスコミや教科書が絶対に触れたくない真実がこれでもかと陳列。刺激的な政治評論が毎号並んでいるとは限らないが、スキマ情報を一気に取り入れたい方に7月号はお勧めです。税込650円です。

No.721~722で引用した『自分を守る経済学』の徳川家広氏もこの雑誌に登場して違和感なさそうな評論家だが、奇しくもマサル氏が昨今の子供の教育費の上昇から教育格差の未来を懸念しているのと同じく、家広氏も今後の子供の教育にはお金をかけるべきではないと主張しているので、小さいお子さんをどう教育したらアホにも貧困にもならずに済むかお悩みの親御さんに向けて、「自分を守る子育て」術を引用します。
結論から言って、「テレビやゲーム機、ケータイやネットは子供たちの将来の貧困を約束する危険な装置なので、これらを与えないガジェット・フリーが理想」だそうです。「今後は生活水準が世界規模で下がることを考慮して、子供には家事を手伝わせる方がよい」。どうですか親御さん、もう手遅れですかね。これは結局親御さんがガジェット・フリーな生活習慣でないとなかなか子供にまで踏襲されないということで、食生活と同じです。野菜が食卓に豊富に並ぶ家の子は大人になっても野菜を摂るのが当たり前になるが、脂肪や糖質ばかり食してきた子が大人になっていきなり野菜生活に転向しろといっても無理というもの。ゲームやネットは麻薬と同じで、大人になってから接触する分には中毒性は抑制されるが、子供の頃から与えてしまうともうそれ無しでは生きていけない体になってしまう。

家広氏の説明によれば、学力の低下は経済的豊かさに比例すると考えられるべきで、これは先進国共通の病であると指摘する。そこには商品としての娯楽の多さと質の高さが関与し、かつては王侯貴族などのごく限られた特権階級だけが楽しめた娯楽を、現代では一般家庭の子供までもが楽しめてしまう。「大量の娯楽に日常的に接していると、娯楽と関係のない時間が単調で苦痛なものに感じられ、より強い刺激を欲するようになる。」昔は一部のバカ殿様だけで済んだものを、今や国民総バカ殿となるべく下地が整ってしまった。「もとより学校の勉強というものは退屈・単調そのものなので、今の子供にとって勉強が苦痛である度合いはその親の世代の比ではない。」「それでもかつての子供たちが必死に勉強したのは、競争の勝者と敗者の生活水準の差が子供の目にも明らかに巨大だったからだ。豊かさの行き渡った今の日本では「敗北」のコストが見えにくく、子供の勉強への動機を弱めている。またメディア環境の濃密さで仲間内と四六時中連絡することで、周囲に目が向かず、大人社会に対する無関心が高まったことも一因だ。」
従って、娯楽への依存度を下げる意味でも、大人社会を含む周囲への関心を高める意味でも、子供からゲームやネットを遠ざけるのが良いというわけである。お宅はもう手遅れでしょうかね。ついでに「家事をやらせた方がいい」というのは、いずれエネルギーの枯渇する世界では機械化の普及によりサービス業や事務職が減り、機械化に限界のある第一次産業が持て囃されて肉体労働の需要が高まるため、デスクワークで出世するために発達した今日の高等教育はリターンが極端に悪い投資となる。そんなものにお金をかけるより、手に職をつけたり電力なしの環境でも役に立つマルチな生活人間に育てた方が、サバイバルに強くなる。なるほど、スマートなのだ。

親御さん、ここ数十年の高学歴=出世術はもうお子さんの世代では通用しません。今お子さんにかけようとしている高額な教育費は無駄払いに終わる可能性大であります。これまで無駄に豊かだった日本は子供に名ばかりの大卒の称号を与えてもやっていける余裕がありましたが、今後は違います。もちろん優秀な子供には高い教育を受けさせてやるべきですが、そうでない大部分の子供はそれなりの教育で済ませて、生活力を維持できる知恵と技術を授けた方が幸せへの近道になります。自分の子供が優秀かそうでないかの識別はどうするか? それは親御さんを見れば判るでしょう。鷹がトンビを生むことは稀です。なに、どうしても迷ったら、宇宙人に土星一周を頼めばよいではありませんか。久しぶりの営業トークで〆させて頂きました。
by hikada789 | 2015-06-28 16:22 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
前回の余話では複合原因からガンに結実されるまでの過程の一例を見てみました。複合原因については何も病気だけでなく、あらゆる事象について同様のことが云え、鑑定に際しては1つくらいの要素があっただけでは早計に結論を下さず、その要素を後押しする別の要素が組み合わさっているかどうか、後天運を含め多角的に判断していきます。
要素の組合せにしても、同じテーマで相反する命式というのがよくあります。例えば一般に牽牛星は貞操観念が強く、多情や不倫を嫌う性質であるとされていますが、もし同時に陰占で春水と出ていた場合は、春水は多情や多産の命式ですから、牽牛星の堅い貞操とは相反しています。この人が本当に貞操が堅い場合は、春水の命式は結婚は1回限りの多産へと向かうでしょうし、ゆるい貞操の場合は、陽占で牽牛星の輝き(勤労や名誉)が鈍るような現象が見られるようになります。いずれにしても宿命を見ただけではどちらに振れるか判断は難しいので、より的確な状況判断をするためには実情聴取が有効となってくるわけです。
注意したいのは、貞操と多産は矛盾しないという点です。牽牛星の結婚観と春水の結婚観は、結婚や生殖というテーマで論じると180度反するように見えて、実は微妙に接点があり、180度からはズレている。なぜズレているかは、牽牛星と春水それぞれの性質やそもそもの成立ちを考えれば、180度対極にある冲動のような明確な背反関係ではないことは明らかで、そうした微妙な相似点と相違点を正確に把握することで、正しい命式判断を導き出すことができるのです。

この種の微妙なズレは、算命学の特徴の1つです。というのは、陰陽説をとる算命学では、陰陽という二元論や五行という五元論、四季の四元論や三分法の三元論、更には惑星の円運動といった具合に幾何学的で数学的な法則性に強く依存している一方で、惑星の軌道が厳密には楕円であることや、四季の長さが緯度によって伸び縮みすることなど、自然現象が醸す数字では割り切れないゆらぎのようなものをも同じくらい重視しているからです。
従って、算命学を算数のように割り切れるものと捉えている人はゆらぎの理解が乏しくなりますし、ゆらぎ一本で押し切ろうとする人は数学的な明快さを欠くようになります。どちらに偏っても正確な鑑定からは遠くなります。毎度繰り返しになりますが、決め手は両者のバランスなのです。

ところで、古代中国で生まれた算命学が木火土金水の順に移行する五行をこの世を構成するエレメントと考えたのに対し、西洋或いは西アジアで広まった古代思想では、火・土・風・水の四元素を採用し、やはり占星術などで活用されています。私は算命学以外の占術はよく知りませんが、その世界観によれば、火を消すのに使われるのは土だそうで、火は土に弱いという見立てをするそうです。おそらく砂漠など水が貴重な土地では、消火に水を使うという発想が育たなかったのが原因でしょう。
算命学ではもちろん「水剋火」、つまり炎を消すのは水の役目ですから、水火の力関係は水が上位ということになります。同じ地球上に生まれた思想でもこのように土地柄によって見方が違ってくることは、算命学がどこまで通用するのかを考える上でも意義がありそうですが、このテーマは別の機会に論じましょう。

今回のテーマは、火と土の関係性についてです。算命学における火と土の関係は「火生土」ですから、土にとって火はありがたい存在です。火が土によって消されるのではなく、火が燃えることによって灰が残り、それが土壌となるという発想です。農業技術としての焼き畑が普及していた土地では、このような火と土の関係性の方が理解しやすかったのでしょう。
五行説では木火土金水の順に相生関係が生まれますから、火と土に限らず、全ての五行が1つ前の五行をありがたく感じる関係にあるのですが、その中でも特に火と土の関係は密接で、俗に「火母(かぼ)に従う」と呼んで特別扱いします。なぜ特別なのかは、前回の余話で少し触れた三合会局にも関係することですので、今回は三合会局を説明しながら火性と土性の特殊な関係について考えてみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「火母に従う」です。「算命学余話 #U87」で検索の上、登録&キウイ1パック分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2015-06-25 12:24 | 算命学の仕組 | Comments(0)
前回つづき。我々一般人の知る江戸時代といえば教科書的には鎖国、参勤交代、身分制度、三百年の泰平、町人文化といった、戦国時代に比べれば地味な風景をベースに、歌舞伎や時代劇の影響で忠臣蔵や四谷怪談、水戸黄門、暴れん坊将軍など娯楽性の高いファッションが乗っかっているものだが、前者は江戸幕府を倒して成立した明治政府が自己を正当化したいがために強調した一面的史実であり、後者は何となく現実に不満を抱える庶民の「こうだったらいいのにな」という願望に応えた勧善懲悪のフィクションである。つまりどちらも江戸時代を公正に見つめて評価しているとは言い難い。庶民の娯楽はともかく、政府の公式見解が江戸の施政を実情より低く見積もっていることは容易に想像がつくのに、これまでそのことについて深く考えることはしなかった。なぜなら徳川幕府に肩入れしても何の得にもならないからだ。
しかし徳川家の身内ともなれば話は別だ。大政奉還により自ら一大名に成り下がった将軍家は静岡に隠棲し、15代将軍慶喜は趣味人として生涯を終え、その子孫についても公然と語られることはなく、我々もよく知らずに来た。しかし彼ら徳川家の子孫から見れば、薩長政治に始まる欧化した日本はどのように映ったことだろう。奇しくも安倍総理は山口出身だし、徳川家広氏が「座敷牢に入っててほしい」と嘯く口調には、江戸三百年の泰平を支えた政治のプロの遺伝子が本能で感じとっている危機感と嘲笑が滲んでいる。なんと危なっかしい政治をやることか、もっと先を見据えた国家運営ができないものか。
というわけで、引き続き『自分を守る経済学』からの引用です。

「関ヶ原の合戦及び大坂の陣を以って戦国時代を終結させた徳川政権は、戦乱による国家の人的・物的荒廃を心底恐怖し、再び戦乱の起きない世づくりのための制度を構築する。武家に対しては大名による分割統治を徹底し、大名家を武装させたまま睨み合わせるという「内戦の凍結」により政治秩序を実現した。泰平の世には武士の出世する機会が大幅に狭められたが、武装解除せずに自治を任せることで武士の不満を解消させた。」

米ソ冷戦時代も、テロやISの脅威が世界中に散らばってしまった今日と比べれば、殺し合いはずっと少なかったような気がする。停戦しているにすぎないと叫ぶ南北朝鮮も何だかんだ言ってここ半世紀交戦していないし、平和条約を締結しないまま戦後70年を迎えた日露関係に至っては摩擦すらなかった。積極的平和よりも消極的対決姿勢の方が平和は持続するものなのやもしれぬ。

「江戸の庶民については、生まれた土地を容易に離れられず、離れられたところで移住先では大家などから監視され、更に五人組を組まされて連帯責任を負わされるという窮屈さはあった。これは個人の尊厳と自由という近代的価値観からすると途方もなく抑圧的な仕組だったが、幕藩体制を築き上げた側からすれば、個人の自由などは世の乱れの元でしかない。その後の江戸時代の日本が基本的に平和だったことを考えれば、家康の戦略は成功だったことになる。」

宇宙人がムカつく欧米人の伝家の宝刀は「個人主義」なのだが、アジア的連帯精神や滅私奉公的道徳観を奴らは鼻で笑って「遅れてる」と信じて疑わない。社会全体の安定より個人の幸福を優先するのが西欧の価値観だが、それを推し進めた結果が今のISらの逆襲なのではないのかね。もちっと自己の欲求に我慢を利かせて社会なり集団なり全体の安定に貢献する方が、結果的に長期平和を構築でき、それこそを幸福と呼ぶべきなのではないのか。最近の世界幸福度ランキングなんぞも西欧の基準でランク付けしているから、項目に個人の尊厳とか自由とかが入っており、当然欧米諸国が上位に上がるわ。宇宙人は「浅はかな手前味噌め」と鼻で笑っておるぞ。江戸の日本の庶民は自宅にカギをかけない生活を満喫していた。個人主義の国は自分の財産をガメるあまり、カギのない生活など想像もできまい。世界に冠たる日本の治安の良さは明治以前の産物なのだ。徳川政権の知恵なのだ。西欧文化が未だ味わっていない最先端なのだ。特許を取るのだ!

「ただし平和には経済的な裏付けが必要であり、身分固定と連帯責任の政策は経済的な意味合いもあった。生活の場所が与えられて雇用関係に組み込まれればヒトは落ち着く、という見方である。平和を持続した江戸時代の日本は大いに経済を発展させ、産業革命前の社会としては恐らく世界最高水準の生活を実現している。同時代のスペイン、英、蘭などは世界中で略奪行為を働くことをその「豊かさ」の基礎としていたが、日本は一国内における勤労と分業を通じてじわじわと富を蓄えていった。その根っこには「裏切られることを想定しない、或いは裏切られた場合は諦める」という分業への参加を容易にする文化があった。」

騙されるのが怖くて消費も生産も萎縮・停滞する、という西欧から出た経済理論によれば、先に裏切った者が得をするのである。略奪が経済行為である国々としては当然の発想だ。しかし江戸の日本や今日まだ維持されている日本の良識的経済活動では、全員が裏切らなければ富の総量は最大に増えるという実績を積み上げ、誰もが真面目に働き、そのために多少の個人的欲求は制限されるという社会を実現した。西欧人にはこの「個人の欲求が制限される」という部分が我慢ならないらしいが、どちらの社会規範の方が全体として優れているか、日本人よ、よく考えてくれろ。

「しかし江戸初期の豊かさは幕府の主たる収入源である鉱山経営に依っていたため、五代将軍綱吉の頃に金銀山が枯渇すると財政難が始まる。加えて生活水準の向上により絹織物の需要が高まり、当時はまだ国内生産できずに清国から輸入したため、支払の金銀不足から貿易赤字が膨らんでいた。綱吉政権はこれを打開すべく大改革を打ち出し、その1つが小判の金含有量を減らす政策だった。この政策に反対だった新井白石の『折たく柴の記』が読み継がれているせいで今では否定的に語られることが多いが、それで通貨価値が下落して大インフレが起きたという話もない以上、政策は成功だったと評せざるを得ない。幕府の信用力が金貨の品位の下落分を補って余りあったということだ。日本は世界に先駆けて国家の信用が貨幣価値の裏付けとなるいわゆる「管理通貨制」に移行したのである。しかし綱吉没後、学者の新井白石が将軍補佐になると、この金含有量を元に戻し、このため小判の絶対数が不足して不況を招いている。」

そうだったのか新井白石。教科書では確か偉人扱いだったような。綱吉も犬公方の仇名ばかり独り歩きして、ちゃんと政治をやっていたのに評価されてこなかったのだな。しかし今の日銀は大丈夫なのかね。

「景気対策で失敗した白石は、しかし貿易対策では大成功した。絹の国産化を奨励してこれを実現し、その後政策を引き継いだ8代将軍吉宗は更に朝鮮ニンジンの国産化に成功、次の田沼時代には北海道の海産物加工を奨励して清国に大量輸出、有田焼も西洋へ売り込み、とうとう貿易収支を黒字に転じる。こうして江戸幕府は百年かけて日本経済の形を変えた。そしてこの大変革は幕府と各藩、商人はもちろん新しい作物を育てる農民に至るまで巻き込んだ現象だったことは強調したい。日本の武家は支配階級にも拘わらず権益に胡坐をかかず、領民の生活水準を上げたいと願う道徳を備えており、それが改革を後押しした。(こういう道徳って西欧では聞かないんだよなあ。)
これに対し、18世紀を通じて清国から大量の茶葉を輸入していた英国は、英国から清国へ輸出するものがなく、貿易赤字が膨らんでいた。綱吉時代の日本と同じ様相である。日本は百年という時間をかけて輸入代替と輸出品開発を行い、やっと黒字に転じたが、英国はアヘンを売りつけて貿易赤字を解消しようとし、これに抵抗した清国を武力で叩きのめした。このあまりに粗暴なやり口に日本側は震え上がった。英国の軍事力の背景には石炭火力があり、この時に日本はエネルギー革命と初めて遭遇する。もっとも、幕府にとってエネルギー革命は歓迎しがたかった。幕府の基本政策は身分固定と完全雇用なので、エネルギーにより生産力が上昇しても失業率が上がったのでは意味がないという考え方だった。但し、エネルギーによる軍事力の増強については武家である大名も積極的だった。江戸期に蓄えた分業と豊かさによって、当時の日本は欧米追随が可能だったのである。」

完全雇用は江戸時代からだったのだ。驚異の低失業率を誇る江戸日本だったのだ。だから自殺者も鬱病患者もいくらもいなかったのだ。自殺といえば色恋心中の専売だったのだ。競争がなくても向上心はあったから技術は進歩していたのだ。我々はどこで失ったのだ。江戸の経済よ、もう一度。

この後、日本は開国して西洋と通商を開いたことで金本位制に逆戻りさせられ、新井白石の時と同じデフレ不況に陥ることとなる。デフォルト状態で幕府は瓦解し、日本史の教科書はその後の対外政策を専ら不平等条約の解消に努めたと叫ぶのであるが、徳川家広氏の見解によれば、日本が金本位制を確立できたのは日清戦争で勝利して清から莫大な賠償金を獲ることができたからだという。その証拠に陸奥宗光外相は「これで日本は金持ちになった。もう戦争する必要はなくなった」と洩らしている。なのになぜ十年後にもう対露戦争をやっているのかという続きは、本著をご覧下さい。
経済から江戸時代を眺めるとこんな風に見えるのだな。東西の比較も判りやすい。こういう切り口で近世史を見たことはなかったし、経済政策が国民性にまで影響しているとも思わなかった。頭にキックなお勧め図書なのだ。しかしこれも徳川家の末裔ならではの着眼点なのだ。家康の三百年の国家戦略は未だ死滅せずなのだ。将軍家よ、生き延びるのだ。黄門様、略奪経済が席巻するこの世を世直ししてくれなのだ。日本人よ、宇宙人と一緒に葵の印籠に向かってひれ伏すのだ。
by hikada789 | 2015-06-23 16:17 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
19代将軍徳川家広氏が面白い。肩書は経済・政治評論家で、この分野の英字論文を和訳する翻訳家ですが、五年程前に刊行された『自分を守る経済学』では、米国で経済を学んだ立場から見た西洋の経済観と、江戸三百年の泰平の世を支えた将軍家の末裔としてのドメスティックな視点が見事に対比され、経済書でありながら歴史書であり、比較文化の書でもあるユニークな分析が炸裂しております。五年前の著書なので、巻末の「自分を守るために何をすべきか」を論じた近未来シミュレーションは、その後の震災やアベノミクスの株価上昇という予期せぬ出来事のため実現しなかったのはご愛嬌としても、それ以外の西洋の富の捉え方と江戸期の日本人の経済観がどれほど違うのか、歴史を辿って明らかにした論理的な筋道に目からウロコです。是非全編読んでほしいですが、お忙しい方のために軽く見繕ってお皿に盛りましょう。ナノダ節と(!)マークは宇宙人のつぶやきです。引用部分は適当に切り貼りしております。

「西洋文明の歴史においては、労働と同じくらい略奪が重要な「経済行為だった」(!)という事実がある。それは彼らの文化の起点である古代ギリシャ・ローマが近隣諸国を襲っては富を奪い、それらの国々の民を奴隷化することで繁栄してきたことに由来する。多くの人が人類最高の知的遺産と考える古代ギリシャ哲学にしても、奴隷動労が生み出した富に支えられたものだった。しかしこうした帝国は最終的には崩壊している。古代ギリシャは古代ローマの軍事力に屈し、負けたギリシャ人の多くはローマ人の奴隷となってローマ富裕層にギリシャ的教養を提供した。一方のローマはやはり軍事力に勝るゲルマン「蛮族」に呑み込まれたが、その敗因はローマ人が略奪を基礎にして高い生活水準を享受していたことにある。生活水準の高い人はそれだけ命の値段が高くなるため兵士としての能力が低下する。かつては強かった軍団も命を懸けて戦うのをためらうようになり、その結果、より貧乏が切実な蛮族の方が勇猛を発揮し、軍事的に圧倒するようになったのである。」

貧乏が切実で命が軽い蛮族アイシルをとっちめたい今日の米軍も、ベトナム戦争からこっち対外戦争での自軍の人的損失に震え上がっているのは、本国アメリカでの生活水準が高レベルに達していることから来る命の出し惜しみが原因なのだ。無人機しか飛ばせないのは、米軍兵士一人でも失おうものなら米国世論が許さないからなのだ。だからアイシルはなかなか潰れないし、実際現地で戦っているのは長年米国に悪魔呼ばわりされてきたイランの特殊部隊なのだ。米国は今後イランに頭が上がらないのだ。上がらないから核開発も進むのだ。近い将来核保有国の地図は塗り替わるのだ。命を惜しむ先進国は、命を惜しまぬ蛮族に征服されるのだ。

「ローマ文明を基礎にゲルマン系蛮族たちの社会が乗っかることで生まれたヨーロッパでは、それまでの歴史的経緯から、労働よりも略奪の方が経済行為として「格が高い」という発想がしっかりと根付いた(!)。労働を行うのは民衆であり、王侯貴族は戦争と、それに付随する略奪行為を専らにするという分業関係である。その後ヨーロッパは(略奪できなかったので)約千年間を低迷し、15世紀の遠洋航海技術を以ってようやく略奪を再開する。コロンブスの新大陸発見に始まるスペインの大征服、つまりインカ・アステカに対する徹底的略奪である。ちなみに同時期の明国も大洋航海術を持っていたが、明国はヨーロッパと違って「豊か」だったので、航海先で略奪する必要はなかった。」

えらいぞ明国。共産中国のしみったれとはエライ違いなのだ。「金持ち喧嘩せず」なのだ。奪うのはいつでも貧乏な野蛮人なのだ!

「スペイン人は新大陸で略奪した金銀を自国に持ち帰ったが、スペイン王室はそのかなりの部分を戦争に投入してしまった上、オランダ・イギリスといった新興海洋勢力がスペインの金銀輸送船を襲って略奪を繰り返した(地獄絵図なのだ!)。つまりよその土地からスペインが奪った金銀を横取りしたオランダとイギリスから、近代資本主義経済が誕生したというわけである(!)。やがてオランダとイギリスは新大陸の北部に人を移住させた。これら英蘭系移民は勤労に価値を見出すキリスト教の「新教徒」ではあったが、彼らは金銀ではなく土地を原住民から奪って耕作するという道を選ぶ。「勤労の基礎に略奪あり」というヨーロッパの不文律に揺るぎはなかった。」

私が欧米人と話をしているとムカムカしてくるのは、こういうレールの上に乗って生きて全く羞じることのない奴らの厚顔ぶりが、宇宙人のアンテナを逆撫でするからなのだな。

「新大陸の富が大きかったので、ヨーロッパの略奪熱はしばらくは満たされていた。しかし17世紀以降再び経済は低迷する(自力で働いて豊かになるっていう発想がマジでないのだな)。略奪したくとも他国を見れば、当時最強を誇ったオスマン・トルコが東に控え、その奥は大国サファヴィー朝ペルシャ、その奥はインドのムガール帝国、更に奥は最富裕国である清と続き、海を越えれば江戸の泰平を享受する日本があった。こうした国々を略奪しようにもヨーロッパは軍事的に歯が立たない。しかし18世紀末に大変化が起こる。当時のイギリスは暖房用の薪を得るために国内の森という森を伐り尽くしており、代わりに臭い煙の出る石炭をやむなく使っていた。しかし石炭を掘り進んだ穴の中が地下水で水浸しになって作業できないという問題が起こり、この水を汲み出すポンプを改良して石炭の火力で動くようにした。ここから石炭を燃やした蒸気の力を操る技術が発展し、やがて蒸気船や蒸気機関車が発明される。化石燃料によるエネルギーが労働を代替する産業革命の到来である。」

だからイギリスの大地は草ばかりでいくらも樹林が残っていないのだな。木を伐ったら植林しなくちゃハゲたままなのだ。しかし怪我の功名とはこのことなのだ。

「この産業革命によって巨大な破壊力・輸送力・生産力を手に入れたヨーロッパは、改めてアジアの富の略奪に乗り出し(やっぱりやることはそれなのね!)、今度は成功する。石炭はやがて石油に代わり、エネルギーが人間の労働の場を奪っていく。つまり19世紀に世界各地で伝統社会を破壊していったのは、資本主義という経済の仕組ではなくエネルギー経済という新たな技術体系だったのだが、もともとヨーロッパの支配層が抱いていた略奪経済の価値観がこのエネルギー経済と結びついたために、現実の資本主義経済は豊かであっても極めて荒々しいものとなった。」

この後、話は江戸時代の日本の経済が、ヨーロッパの略奪経済とは正反対の道を辿ることを論じてくれるのだが、長くなったので今回はこの辺で。宇宙人が欧米嫌いなのは以前から隠してはいないが(ロシアは欧米の範疇外である)、西洋文化を受け入れる前の日本が「略奪」とは無縁の価値基準で回っていた事実を施政者であった徳川家の目線で語られると、宇宙人がどうして生理的に奴らを受け付けないのか理由が明確になり、腸内洗浄したようにスッキリした気分になった。日本は奴らとは違うのだよ。略奪を格が高いなどとは口が裂けても言わないのだよ。どちらの精神が高級かサルでもわかるのだよ。西部邁のじいさんが「もしかしたら、(西洋文化を採り入れた)明治維新は間違いだったかもしれない」とこぼすのも頷けるのだよ。
日本人よ、謙虚なのは結構だが、歴史の経緯を正しく辿って、敬うべき対象を選ぶのだ。白人がいいのは見た目だけなのだ。キリストの誕生以前から根性はねじ曲がって善しとしてきた集団なのだよ。奴らを見倣ってはイカンのだ。古代ギリシャもローマも、略奪した結果崩壊したのだ。このモデルは現代で米国と中国がまっしぐらに踏襲しているのだ。日本は江戸時代を思い出して、崩壊ロードをさっさと下りるのだ!
by hikada789 | 2015-06-19 15:50 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
大手メディアとは対極にあるスキマ番組ばかりを狙って情報を得ている宇宙人であるが、スキマはスキマで寄り集まって生き延びようとするものらしく、こちらのスキマにご登場の人物が翌日あちらのスキマに出演ということがよくある。認知科学者の苫米地英人氏はTOKYO MXの生番組に週一のペースで出演し、電通批判をはじめどのテレビ人も怖くてできない発言から、政府が国民に目を向けて欲しくないと思っている政経問題まで、幅広く深く語ってくれるので有難く耳を傾けてきたが、このたびテレビから干されて久しい上杉隆氏が深く係わる自由報道協会の会長に就任したと聞き及び、何やら社会の変化を嗅ぎつける宇宙人。苫米地氏はロシアにもパイプのあるマルチな国際人で、立脚点がアカデミーのせいか大金持ちとはいえ金儲けに終始する人物ではない。国内より海外の評価の方がよほど高く、こういう人物が永らくデマ人間呼ばわりされてきた上杉氏とつながるのは、これまでの常識に凝り固まって膠着している日本社会がじわりと運動を開始した兆しではなかろうか。バラバラだったものが結合し始めた。スキマよ、君たちの世はすぐそこだ!

スキマでもう1つ。今朝のラジオにご出演の佐藤優氏が怖いことを云っていた。尖閣含む中国の南洋進出の今後について意見を求められたところ、「それどころではない、中国は西部のウイグル人イスラム教徒がIS化してきているのに対処できていない、南洋に割ける軍事力はじきなくなるから国境問題は収束に向かうだろう、同時に中国西部のIS勢力が中国を揺さぶることになるだろう」との回答だった。私にとっては中国も米国同様ジャイアン国家なので、こういうルールを守らないオレ様な連中がこれまでいじめてきた少数民族の逆襲に遭うのはいい気味だと、我ながら心が狭いと自嘲しつつ正直に感ずるのであるが、更に心の狭さを曝すなら、あれほど非道な行為を重ねているアイシルがあの暴力性を以って、食欲と金銭欲の権化である漢族を踏み潰してくれる様子を想像することは、正直に爽快である。

私は貪欲より暴力の方がマシだという意見の持ち主なのだ。暴力は使い方次第で国防から護身術まで役に立ち得るが、貪欲には救いがない。漢族が政府による押し付けではなく、自ら考えて質素や分配、秩序や公平性を重んじるようになってくれれば友好する気にもなるが、いまの価値基準で食い散らかされるくらいならいなくなってくれた方が余程安心である。以前チベットの難民を支援する活動に係わっていた宇宙人は、チベット人の仏教観から譲れない非暴力の抗議活動があまりにもどかし過ぎるという支援者の声もちらほら聞かないでもなかった。隣接するウイグル自治区はイスラム教徒なので、非暴力という縛りは薄い。ISの本拠であるシリア・イラクとの間にはシーア派の大国イランが座って睨みを利かせているので、ISとの連携の可能性は想像できなかったが、ネット社会の今日、言われてみれば当然の成り行きではある。中国政府も、もっと少数民族に優しい政策をとって豊かさを共有しておればこんなことにはならなかったのに、貪欲が仇となった。神様は公平だ。日本政府は中国におもねってチベット・ウイグルの主権侵害問題を長年見ぬフリしてきたが、そろそろ公然と批判する方向へ舵を切ってもよい頃かもしれない。

しかし、もしここで日本の諜報員が中国西部に働きかけて反政府活動を後押しするようにでもなれば、それこそ日露戦争時にロシアの革命家支援で暗躍した諜報員と同じだ。あの時は功奏して戦争には勝ったが、その後のロシア革命とソ連の成立は長期的に見て日本にとっての利益となったであろうか。非暴力を貫くチベットの支援は問題ないとしても、異教徒撲滅を掲げるアイシルに染まったウイグルを支援するのは難しい。
理想としては、恐怖の使徒アイシルに暴れてもらうことで既に崩壊気味の中国経済が遂に破綻、手に負えなくなった西部を中国が自ら切り離して西部は独立、暴力は得意だが国際的信用を著しく欠くアイシル・ウイグルが、国際的承認を得るため隣国チベットに近付き友好を宣言、長年の非暴力が功を奏して世界の信用を得ているチベットがウイグルの国際的承認を求めて尽力、ついでにウイグルの穏健化に成功、代償にウイグルはチベット独立を守る用心棒として中国軍を牽制、漢族だけになった中国は人権侵害の誹りから免れ、国内でも人権を尊重する法治国家へと移行する。こんなシナリオはどうだろう。
まあこんな上手くは行くまいが、そういえばわがホニャララ小説『メタフォーラ・ファンタジア』の舞台はイランと中国に挟まれた中央アジアで、時代は9.11までだったから、続編を書こうと思ったらこういう現代史の流れに乗って行けばそれなりの歴史小説になるやもしれぬ。続編を書くつもりなど元はなかったが、現実がこう劇的に変化していくと、架空の人物たちもそれに乗ってあらぬ方向へ出没しないとも限らない。まあ当面は楽しく想像するとしよう。
by hikada789 | 2015-06-18 16:27 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
小説のような内容と体裁ですが、この週末に私が体験した実話です。ちょっと長いので億劫でなければお読み下さい。
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例年より早い真夏日の到来と梅雨の湿気が原因かしれないが、急に襲った頭重と目蓋の鈍痛は、子供の頃経験した光化学スモッグの症状に似ていた。折しも用事のない週末に当たったのを幸い、家でふて寝を決め込み、夜も子供のように早い時間の就寝に落ち着く。十二時間もの睡眠も空しく朝の目覚めは目の奥の鈍痛を引きずり、二度寝の末にようやく昼前に起床する。霧が晴れたように頭はすっきりし、日曜の朝番組を珍しく興味深く眺めながら朝食を済ませ、仕事に取り掛かる。

ミンスクで学術員をしている友人に調べ物を頼んだのは先週だった。ロシア革命前後のシベリア、及び満洲国における白系ロシア人に関する情報を知りたい。以前から興味があって当時の生き証人が記した自伝や学術的な報告書を読んだり探したりしてきたが、日本語で読める資料は多くない。以前中国で書店を探した時は更に状況は悪く、満州国に「偽」の文字を載せて存在そのものをなかったことにしている共産中国が、当時無国籍の少数民族だった当地の白系ロシア人の言い分や実態を調査公開する意欲があるわけがないと、思い知らされただけだった。戦後の満洲引き揚げ者やシベリア抑留者の記録はあまたあるが、どれも自分と家族や仲間の生き残りに手いっぱいで他人の心配までする余裕などなく、日本人の美意識や死者への敬意の念がそうさせるのだろうが、文集は悲哀を込めた内容に終始する。リアルで醜い写実的描写は、さりげなく回避されるか編集者によって削られるかしている。当事者に同情はするが、描写された風景は限定的で全体像を見るには情報が足りない。

ミンスクの友人は筆が遅いので返信が来るまでこちらでも探すことにする。ネットは便利だ。検索に掛かったページを開いては閉じ、以前調べた時に書きとめた高価な研究書や研究者の名前に再び行き当り、或いは初めて見る名をメモする。
以前見かけなかったブログも発見する。今どきの洒落たレイアウトの画面に映し出された回顧録はなめらかな日本語でつづられ、東京生まれの満洲育ちというからもうかなりの高齢の執筆者だが、驚いたのは国籍だ。米国籍で在住歴は六十年超、出身民族は朝鮮とある。名前は英語名T。日本名や朝鮮名はあったのかもしれないが記されてはいない。終戦当時十六歳で、事情は書いてないが翌年単身米国に渡り、現地の高校に入り直し、兵役を経て米国籍を得た。以来ずっと米国に暮らしつつも、日本語の新聞や文芸雑誌を読み続けて日本語力を維持。その文章がひと昔前の作家のような硬質さや無駄のなさを醸しているのはこのためだ。

職業文士のような文体から窺われる古風な人柄に興味を惹かれてプロフィールを読み進むと、パートナーは七十歳の白人男性とあり、二人が日向に並んだ写真が掲載されている。この年齢で性的マイノリティとは、ただでさえ終戦時は無国籍だったのに、戦後の米国だってゲイには住みづらい土地だったはずである。十六歳まで受けた日本流の教育は、高い日本語力もさることながら、マイノリティとしての自己を貫く強靭な精神も醸成したのであろうか。昨今の韓国人の悪評を払拭して、俄然T氏に好感が湧く。

五族共栄を謳った満洲国の中でも更にマイノリティだった白系ロシア人についてのT氏の記述は多くはないがリアルなもので、私にとっては貴重な資料である。純粋な子供の、しかし小さな子供ではなく大人の社会の矛盾を理解しつつある大きな子供の視点から見た、ありのままの風景が今日の分析を添えて記録につづられている。ハルビンを建設したロシア人が無国籍の厄介者に転落していく過程や、赤軍が否定した正教との係わり、新たな亡命先の品定めなど、支配民族だった日本人が我が事としては考えない底辺の人々の事情を、同じ被支配民族としての切実さで訴えている。T氏本人はこれらの回想を備忘録と称しているが、T氏のおそらく恵まれていたらしい身分からすれば、まるで懺悔のようにも聞こえる。リタイア後のT氏の趣味は、教会での給食奉仕活動だとプロフィールにある。

T氏の仁愛精神は少数民族にとどまらない。終戦後の満洲では、中国人による報復とソ連兵士の狼藉で日本人は一転して迫害対象となったが、一連の暴行が収束した頃、ようやく本土への引き揚げが始まり、T氏も大陸を離れるため大連に到着する。彼がどんな思いで満洲とも朝鮮とも決別するに至ったかは記されていないが、代わりに彼が大連で見た光景が記録されている。
――常盤橋の下で、日本人の少年の首根っこにその妹と思われる四歳ほどの少女がかじりついている。少年の首には札が下げられ、「売ります」と書かれていた。

中国残留孤児の話は今更引き合いに出すまでもないが、少年とさほど歳の違わないT氏の目にはこの光景が焼きついたようである。彼は自分自身の命運も知れないという時に、かつて大手を振っていた支配者である日本人の孤児を気にかける余裕があったのだ。
私は彼の確かな見識と倫理観と公平な観察眼に惚れ込み、目下の焦点である白系ロシア人の生態と末路について意見を伺おうと、手紙を送ることに決めた。相手の日本語力の高さを考慮して敬老の念を文章に込め、前のめり気味の早口な依頼文をしたためたて送信する。しかし記事をほんの少ししか読んでいないのは失礼だと思い直し、それ以上にもっとこの人を知りたいと思い、過去の記事を追った。

ブログの開始は2007年6月で、ちょうど8年前である。開始直後から満州時代の回想が毎日のように連載されている。一から全部読みたい衝動を抑えてざっとななめ読みし、米国で出版された満州国に関する論文などありがたい情報も視界に捉える。T氏は「これは備忘録である」と明記しており、誰に読ませたいとの意志はあまり感じられない。ブログ開始当時は78歳。プロフィールにあった最近の事件としてオバマ大統領の就任が挙げられていた。はたと気づく。この人は存命か?
最初に検索したブログ記事に戻って掲載日を確認する。2007年9月とある。ブログ開始からさほど経ってはいない、古い記事だ。慌てて最新の記事を開くと、去年の2014年4月を最後に更新が途絶えている。最後の記事とその直前の記事をざっと読む。満州時代の回想を書いていた頃に比べて文字数は激減し、内容も日記のようなメモになり下がっている。この時85歳。老衰による筆力の減退か。更新が途絶える直前の少ない文字の中に、かつての職業文士のような明晰な文体とはかけ離れた、つぶやきのような感情がこぼれていた。
――少年時代の戦争経験を思い出すとぞっとする。大連で見たあの幼い日本人兄妹はどうなっただろう。不憫でならず、忘れられない。

もしもこの記事の数日後に彼が他界したとするならば、終戦時十六歳で後にした彼の故郷の最後の光景が、戦後七十年を前にした彼を捕まえてあの世へ連れ去ったということになる。そうだ、T氏はもうこの世にいない。私の手紙に対する返信は来ないだろう。美しい日本語を操る彼が、子供を持たない彼が、ちょうど親子ほど離れた年齢の私に会いに、彼の祖国に違いないであろう日本にやってくる姿を想像する。我々は永く離れていた旧友のように往時を語り合う。これは幻だ。それとも、T氏の七十歳になるパートナーが私のメールを見つけて読んでくれるだろうか。その人は日本語を解するだろうか。自分の十以上も年上のパートナーが、どれほど高度な日本語を駆使できたか、知っているだろうか。
私がT氏のブログを発見してからこれまでの経緯は、ただ1時間の間に起こった出来事である。
by hikada789 | 2015-06-15 14:19 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
少子化の進む昨今の出産現場はほぼ100%が病院出産であり、帝王切開など分娩誘発の技術も進んで出産日をある程度操作できるようになっています。算命学の観点から出産日つまり誕生日を操作することの賛否を尋ねられることがありますが、まだ生まれてもいない人間について算命学は何も論じません。たった1日ちがうだけでも命式は大きく異なってくるので、どうせ操作できるなら1日ずらして少しでもいい命式を、と望む発想も判らないではないですが、まあナンセンスなアイデアです。命式が良くても生き方がまずければ運勢は低迷しますし、命式が不利でも生き方次第でいくらでも発運できるからです。
どうせ算命学を使うなら、まず生まれて来て、その宿命に見合った幸せへの道のりを検討した方がよほど効果が高いです。それに、算命学の自然思想では、自然の一部である人間は自然の意思に従って生まれてくるものなので、人間にすぎない母体や医師が誕生日を操作しようとも、自然がこれに同意しない場合は「その日」には生まれず前後にずれてしまうものなのです。無理に「その日」にこだわれば、将来的な障害となって自然のしっぺ返しを被る懸念の方がよほど高い。そういう意味でも、これまで「余話」で語ってきた通り、不妊治療という「不自然な」出産手続は算命学の勧めるものではないのです。

数年前から始まった出産前検査によって障害の可能性が高いと認められた胎児の中絶率が97%にも上っている暗い事実が、少子化や不妊と対になっていることは、算命学の立場からは気付いていなければなりません。このテーマでも長い記事が書けそうですが、今回は生とは逆の死について取り上げてみます。
先日54歳の若さで急逝した俳優さんの話が話題になりました。私は芸能界に疎いのでこの人の俳優活動については存じ上げないのですが、よく見るMX番組のコメンテイターとして竹を割ったようなブレない発言を連発し、責任逃ればかり考える今の社会風潮や臆病な大人の態度に活を入れる古武士風の信念に好感を抱いており、その若い死を心から残念に思いました。死因は大腸がんで、自覚症状を得て病院にかかってからわずか半年あまりの、あまりに速い進行の末の落命でした。大腸がんはガンの中でも極めて自覚症状の出にくいもので、自覚した時には手遅れになるのがほとんどです。また年齢が若い人ほどガンの進行が速いことは以前からも知られております。

算命学は還暦を人生の一巡としていることから、今の時代に54歳で病没というのはやはりかなり早い不自然な死に方だと考えています。60歳を超えて発症したガンは老衰の部類に入れてしまいますが、54歳で、しかもまだまだやりたいことがあって準備もしていた働き盛りの人生をブツッと断ってしまったのには、自然死に至らなかった何らかの原因が考えられます。今回はこの点について、この方の命式から見えるガンとの関係を探ってみたいと思います。

算命学は大まかなガン体質というのを命式に認めていますが、それだけでは必ずしもガンになるとは限りません。毎度繰り返しますが、運勢は複合的に成り立つものであり、要素が1つ2つあったくらいでは顕著な現象としては現れません。しかし後天運の助けを得るなどして要素がいくつも積み重なった時は、まるで集中攻撃を受けたように急激な変化に見舞われます。病気の進行や手術のタイミングを計る時は、こうした複合要素に目を配ってこれを避けるよう患者を誘導するのが鑑定者の勤めです。
今回はガン体質の一端とそれに加勢する要素について実例を見ながら解説していきますが、例によって「この要素があるから私はガンだ!」と大騒ぎする気の短い読者を遠ざけるため、購読料を上げてありますのでご了承下さい。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「ガン体質と複合原因」です。「算命学余話 #U86」で検索の上、登録&びわ1パック分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2015-06-11 14:34 | 算命学の仕組 | Comments(0)
前回の記事で吠え声を上げたことで読者が去ってしまったかと思いきや、アクセス数の倍増を示す棒グラフの急伸に瞠目する宇宙人。市場動向はわかりませんなあ。こういうのをステマとか炎上商法とか呼ぶのやもしれぬが、SNSに連結していない当ブログはそんな姑息な客寄せはしないぞ。宇宙人療法(=頭にキック療法)に効果ありと認めてくれる患者さんが読んでくれればそれでいいのだ。それで宇宙人が慎ましく食べていければなおいいが、そういう価値観で回る社会になればいいのだ。

そうでない価値観である今の社会がおかしい原因の1つが「無料」の習慣である。数年前にジャーナリストの津田大介氏が例によってTOKYO MXの番組で、「2リットルのコーラの無料配布の行列に開店前から何時間も並ぶ奴らを見て、どんだけ民度低いんだと思う。コーラなんて買えばせいぜい300円じゃないか、並ぶ時間の方が惜しい」というようなセリフを吐き、炎上したかどうかは知らないが宇宙人は喝采した。スーパーや飲食店が無料キャンペーンを実施するのは、来店のついでに他の商品を買ってもらうのが目的であり、要するに馬を釣るためのニンジンなのだ。ニンジンはタダで食えても馬は走らされている。その労力はニンジン1本のカロリーの何倍か知れない。現在の最低時給が900円として、300円は20分の労働に相当する。1時間何もしないで並んで300円のコーラを無料で得るより、1時間働いて900円得る方が3倍得だという頭も働かない人種が多すぎる。それは「無料」が実施できる仕組をそもそも判っていないからだ。

皆さんはモノを買う時必ずおカネを払いますが、それはその商品を作るために払った労力や経費と値段とを秤にかけて大体釣り合っていると納得しているからですよね。おカネを払わず持って行ったら泥棒です。労力も経費もかけずに市場に出回る商品なんてありません。本当に無料なのはそれこそ路傍に生えた雑草くらいのもので、商品は有形無形を問わず誰かが時間と手間と経費をかけて作ったものなのです。身内への手作りプレゼントでないなら本来タダで配れるわけがないのです。タダになるのは上述のニンジンになる時か、或いは商品としての価値が全くなくなって、配った方が廃棄するよりローコストな時だけ。その仕組に考えが至らず無料だと喜んでいる弱いオツムの人たちが、黄色いアタマの津田氏に「民度低い」呼ばわりされても文句は言えません。しかし悲しいかな、客寄せのために普及した無料制度は、この常識を常識として認識できない泥棒気質の人種をはびこらせ、人が払った労力に対しお礼も言えない不作法が世に広まることとなったのであります。

先週上杉隆の「ニューズ・オプエド」に地震予測研究者の早川正士教授が出演し、3.11以降頻発する日本の地震をかなりの精度で予知できていることを報告してくれた。日時のピンポイント予測はできないが、±数日の誤差と地方の限定、凡その規模を、3.11を含む以前から先週の小笠原沖地震に至るまで、ほぼ予測的中させているという。数日の誤差は長くても2週間なので、大地震が2週間以内に予測されているなら住民は防災や避難の準備ができる。3.11の死者はほとんどが津波で死んだのだから、2週間を高台への避難態勢で身構えているだけでも命は助かった。何でもっと広く情報開示しないのか、という行政への批判は番組を見て頂くとして(有料)、自然現象の予測という難しい分野を国家が承認してこれに予算を出すには、予測が外れた場合の責任を取りたくない役人の度胸が足りず、研究者が研究を続けるためには研究費が必要で、研究費を得るためには情報配信を有料にせざるを得ない。というわけで、早川教授が主宰する「地震解析ラボ」の地震予測情報は月額600円、契約するとスマホに直接データを送信してくれるそうだ。皆さん、いかがです。

番組の主張は、「情報はタダではありません」という哲理。地震をここまで予測できるようになるまでに払った学者さんたちの苦労と時間を考えれば、タダにしろと言えますか。彼らだって生活があるんです。タダにして彼らが飢え死にして、高度な予測データを出す人がいなくなってもいいんでしょうか。これが社会の仕組というものです。無料の文字に踊らされている人はこの道理を曲げてタダにしろと要求しているも同然なので、宇宙人が味噌汁で顔を洗えと迫るわけです。
コーラはまだ形がありますが、情報や手間は形がないのでなおさら勘違いを助長しやすい。上杉隆もジャーナリストが取材にかける費用がどれほど膨大かを身をもって主張し、その情報をネットで拾ってタダで引っ張って報道している大手メディアの垂れ流し体質を厳しく批判し、気の毒にも干されている。欧米では取材した記者への報酬が高いのは、その労力を正当に評価している表れだという。また誰の取材によるネタなのかクレジット(情報者名)を必ず打つので、情報を出した側にも責任感が生まれる。しかし日本は記者よりも記者が持ってきたネタを編集する人間の方が高給で、しかもクレジットを打たないので情報掲載は孫引き曾孫引きが横行し、間違っていた場合は責任も取らない。
ニューズ・オプエドもライブ放送から24時間は無料で観られるが、1日経つと1本100円の有料になる。上杉氏と早川氏は共に並んで「情報はタダではありません。でもこの値段高いですか?」と呼びかける。ぜんぜん高くはない。300円のコーラとは比べ物にならないほど安い。責任を取りたくなくてテキトーな仕事しかしてない役人やメディア人の給料と比べたら駄菓子のように安い。

宇宙人がコメ・味噌確保に追われる零細の身でなかったなら、オプエドもラボも支援したいところだ。しかしかくいう私も「あなたの山水画」を無料で実施しているから、かような世のよからぬ風潮を抑える意味でも今後無料鑑定の看板は引っ込めるべきかもしれない。ニンジンとしての役目を期待していたが、有料鑑定を依頼される方たちはほとんど山水画をスルーして鑑定に踏み切られるので、あまり役に立っていないのが実情だ。それどころか不躾な山水画依頼人に向けて「お礼くらい言え」とか吠えねばならぬ始末。ちょっと考えます。
by hikada789 | 2015-06-09 14:58 | その他 | Comments(0)
町内の各所に点在するヨモギの茂みを確認し、これだけあちこち生えているなら収穫は自在だと安心していたら、ある日茂みが消失。遠くでモーター音の響く初夏の昼下がり、食用ヨモギはその他の雑草と共に整備職員によって刈り取られたのであった。ああ我が天ぷらが。五月の天候不順でまだ野菜が高いのにな。さっさと食っておけば良かったが、もたもたしていたのは天ぷらで生じる油の処理に悩んでいたから。普段揚げ物をしないので用具の購入がためらわれたのだ。天ぷら以外の調理法だとアク抜きに重曹を買わねばならぬし。まあヨモギを見分ける知恵だけはついたから善しとして、来年どうするか考えよう。

テニスの錦織選手の活躍のお蔭で世界ランクの試合が身近に見られるようになった。テニスはやったことがなくてルールしか知らない宇宙人は、クレーと聞けば真っ先にクレー射撃を思いつくのだが(お皿を飛ばして散弾銃で撃つやつね)、全仏テニスのお蔭で赤土コートであると認識できるようになった。芝と土の違いといえば競馬であるから、テニスのコートも芝でないならダートなのかと思っていたよ。

集団的自衛権をめぐる安保法案で、自論を補強してくれるはずの憲法学者にまで違憲と言われてしまった安倍首相。つくづくこの人って宿命中殺ですなあ。算命学学習者はここは笑うところですぞ。思い通りにいかない宿命の典型です。
算命学の理論に日常を当てはめるとブルーにもなれますが、笑えもします。顔面を殴られる職業であるボクサーの日干が何であるか調べたところ、内山高志と井上尚弥が予想通りの辛金(宝石)で、整ってはいるが大づくりな顔立ちの村田涼太は丙火(太陽)だった。安倍首相も丙火だから、日干による風貌の特徴が何となく知れますね。

算命学の物騒な側面について思い悩む方もおられるようですが、何事においても主観を離れて他人事のように自分を見つめる姿勢が肝要です。「あたしってなんて不幸なのかしら」とウットリする困った命式というのも確かにあります。それ以前にそれが本当に不幸に該当しているものなのかどうか、冷静に分析してみれば実は大したことなかったというケースも多々あります。自己分析できない場合は親しい人にでもやってもらえば、確実に客観視した意見をもらえるでしょう。それで「なーんだ、大したことなかった」で済むなら、わざわざ算命学を持ち出すまでもないわけです。
問題なのは、そんな正直な助言をしてくれる親しい友人なり家族なりを持っていないことの方です。それはずばり生き方が悪いということであり、こうしたケースでは宿命をいくら精査したところで明確な原因など見当たりはしません。原因はその人の根性の曲がり具合なのですから、これを直さなければ改善は見込めないのです。根性の曲がった人の典型は、何でも人のせいにする態度です。自分に非があるのではないかと疑っている人のご相談は快く受けますが、そうでない依頼には易者も厳しい態度で臨まなくてはなりません。

最近おカネさえ払えば自分を慰めてくれると思い込んでいるような依頼相談が続いておるのですが、かような勘違いなお客さんは恋愛相談でなくともお断りです。まず自分の胸に手を当てて、心当たりがないか熟考してから相談に踏み切って下さい。また「自分はこの星を持っていて興味があるのでこれについての記事を書け」みたいな要望とかもしばしば来るのですが、一体何の義理があってそんな要求に赤の他人である宇宙人が応える必要があるというのでしょう。あなたは宇宙人のマブダチですか? 正式な鑑定依頼もなしに、私の助言に対しどんな返礼をしてくれるおつもりで? タダでもらえる行列に慣れ親しんだ方ですか。ちょっと考えてみれば人間として如何に不躾な態度か判りそうなものだが。根性の曲がった人間に無償で与える助言などどこにもないのだよ。佐藤優氏の十八番を借用して、「味噌汁で顔を洗って出直して来い!」と言わせてもらうのだよ!

家の修繕に加えてヨモギを食いそびれて家計が苦しいというのに、またしても営業を妨げるアピールを自らする宇宙人。根性のまっすぐな皆様からの温かい差し入れを心よりお待ち申し上げます。ニョロ(お辞儀)。
by hikada789 | 2015-06-07 15:39 | 宇宙人の鑑定実績 | Comments(0)