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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

<   2015年 07月 ( 12 )   > この月の画像一覧

(※夏休みにつき八月は鑑定を休業します。ブログの次回更新を以って営業再開の合図とさせて頂きます。)
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宮脇淳子氏の受け売りではないですが、優秀な人が少数であるというのは真実です。誰しも子供の頃、クラスに頭のいい子がいつも2、3人はいたことを覚えていることでしょう。それは残りの数十名が優秀ではなかったという証拠です。もちろんスポーツや美術が得意な子もいるし、勉強は苦手でも性格がよくて人気者だったりといったことは大いに肯定されるべきではありますが、同学年の子供の目にもすごいと思えるような優秀な子供は、いつの世も集団に数人程度であり、それは大人になっても生涯続く比率なのです。

では彼ら優秀な少数派が幸せな人生を謳歌しているかといえば、決してそうではない。優秀であること(印)と幸福であること(福)は同義ではないからです。しかし子供の頃から優秀なクラスメートを羨望の眼差しで眺めてしまった多くの人は、その子が将来自分の到達し得ない幸運を掴むに違いないと思い込んでしまいます。それがおかしな劣等感や嫉妬心を掻き立てることになる。
事実は逆で、優秀な人は総じて不幸な人生を歩むことになる、というのが算命学のセオリーです。なぜなら優秀な人が活躍できる職業はごく限られているからです。以前の余話でも述べたように、本当の知性とは余人の気付かぬこの世の矛盾を見抜き、周囲の圧力に屈することなくそれを正す精神力を備えていることなのです。成績優秀だから自分だけ外国に逃れて成功すればよいという精神の持ち主は、算命学では知性があるとは見做しません。従って、真の意味での優秀な人は基本的に反骨の人であり、「大部分が優秀ではない人たちの集まり」である体制側に睨まれる言動をする人であるため、社会的な栄達が難しい。栄達(官)を得るために自分には見えている真実を見なかったことにしたり、仕事にありつくために誰でもできるようなつまらない仕事に就くと、知性星は輝きません。持って生まれた星が輝かないということは、不幸だということなのです。

もちろん、真の知性というものは究極的な幸福を約束するものです。水は「水生木」と木性へと流れますから、持って生まれた知性を余すところなく発揮できた人は、この世の真理に到達し、誰も知り得ないような高度な至福感を味わうことができるでしょう。しかしそんな人は、数少ない優秀な人の中でもほんのひと握りであり、そうでない残りの多くは不幸のうちに生涯を終えるのです。こう考えると、親御さんたちが我が子の頭が良くなればいいと考え、そうなるよう尽力することは、子供の将来を暗くする原因となるのであり、本当に幸せになってほしいなら知性はほどほどにして生活力や適応力、処世術を磨くべきだ、という結論に達することになるでしょう。

前回の余話で取り上げた八相局のうち、食局と印局は共に知能の冴えが顕著な命式ですが、上述の理由によりいずれも社会的需要に見合わない、或いは見合いにくい命式であると考えられています。八相局は総じてエキセントリックな性質を付与するので、食局・印局以外でも多かれ少なかれ社会との軋轢が予測されますが、食局・印局は突き抜けて外れています。今回はその辺りについて少し掘り下げ、特に食局のメカニズムと、知能の発達に係わる一般的条件について考えてみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「父親が精神を育てる」です。「算命学余話 #U91」で検索の上、登録&マンゴーラッシー一杯分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2015-07-30 12:50 | 算命学の仕組 | Comments(0)
世界水泳で日本のシンクロ・チームが健闘している。かつて中国チームの指導に当たって猛バッシングを受けた井村コーチの帰還により、日本チームが再びメダルを獲るようになったのだ。優れた指導者はかくも顕著な結果をもたらすものなのである。
井村コーチが抜けた後の中国チームがまだ銀メダルの位置を維持しているのは立派だが、しかし今回も主役はロシアチームである。「人間業とは思えない」極限の演技で二位以下を突き離し、チーム演技は驚愕の18連覇目前。二位以下と何が違うのか、真夜中の放送を見逃すな!

当ブログでもお知らせした、国際中欧・東欧研究協議会の第9回世界大会が8月に日本で開催される記念行事の一環として、国際シンポジウムが無料開催されます。今日激化している国際紛争やナショナリズムに対し文学がいかなる役割を果たすことができるのか、スラブ圏からパネリストを呼び、国境を越えて討論します。日本語通訳付きですので奮ってご参加下さい。

「スラブ文学は国境を越えて~ロシア・ウクライナ・ヨーロッパと日本」
◆日時:2015年8月7日(金)18:30~20:00
◆場所:神田外語大学(千葉市幕張)4号館101番教室
◆入場:無料(一般参加者の定員200名)
◆使用言語:ロシア語、英語、日本語
◆出演者:
沼野恭子(司会)
アンドレイ・クルコフ
ミハイル・シーシキン
ドゥブラフカ・ウグレシッチ
多和田葉子
by hikada789 | 2015-07-29 10:57 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
新国立競技場から東芝の粉飾決算まで昨今の地位あるオトナに対する批判は「無責任」の一語に尽きる。「オレの責任じゃない」と胸を張って威張るのは個人主義の行き渡った欧米人の悪しき国民性だと思ってきたが、例えば米国などは訴訟社会なのでちょっとでも自分の非を認めようものなら膨大な賠償請求を課せられてしまう恐れがあり、和を重んじる日本の土俵で測っては多少気の毒だと思わないでもない。しかし日本のオトナたちは和の国に安んじて暮らしているというのに、だれもかれも責任逃れに忙しいとは何事だ。誰か一人くらい「自分にも責任の一端はある」と認める気概ある男児はいないのか。訴訟社会ではない日本の国民はきっとその人の株を上げるであろうに。

戦闘的歴史学者、宮脇淳子氏は真実を追求せず自分の都合で史実を変える中国人の歴史観を厳しく糾弾する一方、慣習に対して疑問を差し挟むことの苦手な日本人に対しても鋭い批判を飛ばす。無責任なオトナがはびこる今日の日本の病巣は明治維新後の国民教育に由来すると看破し、富国強兵を急ぐあまり技術者や官僚の育成を促進するための学制に終始し、江戸時代までの武士ら指導層を育成するための指導者教育というものを放棄した結果がこれなのだという。
明治時代はよかった。明治政府の幹部も役人も武家出身者で占められていたから、彼らの指導者としての意識は高く、何かあれば責任を取る腹が据わっていた。この種の人材はぎりぎり第二次大戦の高位軍人クラスまで引っぱれたが、戦後彼らは引退して絶滅し、戦後教育に至っては修身教育も撤廃され、その結果、事務と根回しだけが得意な役人ばかりが高学歴を背景に持て囃され、責任の取り方もその意義も生涯知ることなく高給を取っては下の世代に丸投げする見苦しいオトナばかりを量産するようになったのだ、と手厳しい。
(ちなみに今朝のラジオで、こちらも戦闘的正論発言がキレキレの上念司氏が、先の大戦の責任はカメレオン体質のトップ、近衛文麿にあるという自著『ネオ東京裁判 掟破りの逆15年戦争』を解説していた。経済専門かと思いきや歴史にも造詣が深いのだな。読んでみたい図書である。)

宮脇氏は外国である中国だけを批判しているのではなく、自国民に対しても厳しく鞭を振うので、こういう一方向だけでない人の言は説得力があります。そういえば、西部邁氏も「明治維新は無い方がよかったかも」とこぼしていた。時代ドラマで幕末の志士をヒーロー扱いする単純な世界観が年中行事のように広まっているのでうっかり見過ごしがちだが、そういえば明治維新そのものの是非を論じた大衆小説なりドラマなりは聞かない。「時代の波についていけない者たちが脱落した」でひとくくりにされるばかりで、本当に勝ち組は正しかったかどうかは検証されてこなかった。ここが日本人の悪い習慣だというわけだ。
宮脇氏は専門家らしく浅田次郎の『蒼穹の昴』を原作・映像共にこき下ろしているが(このくだりは笑えるので必読)、他にも一見全然接点のなさそうな当ブログお馴染みの内田樹氏を『日本辺境論』を取り上げて槍玉に上げている。宮脇氏によれば、日本は国力も人口も能力も「世界の辺境」と呼ぶには大きすぎ、謙虚な国民性は結構だが、自分がいかに大きな仕事をして世界中を驚かせているか、更に世界の価値観に脅威を与えているかを全然自覚していない、いつまでも自分は小さな島国の脇役だと思い込んでいるのがそもそもの間違いの原因だ、と声を荒げる。こうした自分の姿を正しく自覚しなければ、また先の大戦や満洲でやったようななし崩し的後手後手処理で、国民もろとも泥沼にはまり込むことになる、と警告する。なるほど。皆さんはどう理解されますか。

ところで先日ニュースザップでアーサー・ビナード氏が、これまた目からウロコな視点でクラーク博士をこき下ろしていた。クラーク博士といえば「少年よ、大志を抱け」の銅像の人で、明治初期に政府が欧化政策のために莫大な資金を投じて雇ったお雇い外国人の一人だ。「少年よ」で知られるように学問を奨励し道徳的に優れた人物として認識されているように思われるのだが、ビナード氏は「あのお雇いの馬鹿者ども」と手厳しい。なぜかというと、クラーク博士がニホンオオカミを絶滅させたからだという。
当時、北米の農場を悩ませていたオオカミを一掃するため、猛毒ストリキニーゼを入れた肉団子をばら撒き駆除に成功したという例を見て、クラーク博士も日本の山林にこれを導入。お蔭でニホンオオカミは絶滅してしまうのだが、オオカミというのは食物連鎖の頂点に君臨する動物であるため、この頂点を失った食物連鎖は均衡を失い、人間を含む地域の生態系全体を崩壊に導いてしまうという。事実、北米ではオオカミが捕食していた大型草食動物が大繁殖し、草を食い尽くし、草の生えない土地から動植物を去らせ、果ては人間の農業牧畜にも悪影響を及ぼした。今では慌ててカナダからオオカミを輸入し、少しずつ頭数を増やしているという。

日本はまだニホンオオカミ復活の活動を始めておらず、教育の現場では日本の食物連鎖の頂点にはイヌワシが座っているという。イヌワシは確かに頂点に君臨してはいるものの鳥類であり、せいぜいウサギ程度のサイズの肉しか捕食しない。従って学校の教科書にはイヌワシの次がもうウサギなのである。「シカとイノシシはどこ行ったのよ? いま農家の農地を荒らして大問題になっているのはシカとイノシシでしょ。シカとイノシシを除外したピラミッドを教科書に載せて何を学べっていうの? ニホンオオカミは50万年前から日本に棲んでいるんだよ。そんな古くから環境を支えてきた生物を、うすっぺらい馬鹿な外国人が絶滅させる権利があるの」とビナード氏も宮脇氏に負けず劣らず舌戦鋭い。そうだ、クラーク博士は銅像に値しないし、日教組の教科書はここでもおかしい。
ビナード氏はこうも言っていた。「猟師さんにシカを撃ってもらってシカ肉料理で儲ければいいっていうけど、オオカミが捕食していたのは老いたシカや歯槽膿漏で弱ったシカだよ。その方が捕まえやすいし、シカも繁殖できる。オオカミは肉の味に頓着しないんだから。でも猟師さんは肥えた若いシカを狙うでしょ。よぼよぼで歯槽膿漏の痩せた肉をわざわざ選んで撃たないでしょ。そこからしてもうオオカミの捕食とはやってることが違うの」。なるほど、人間とは浅はかであるな。ともあれクラーク博士を偉人とみなす常識を変える必要がある。なんでも鵜呑みに崇めてはいかんのだ。よく知らないことはまず疑うのだ、子供たちよ。
ニュースザップは以前は視聴者が少なかったせいか、番組全編がYouTubeで見られたのだが、今はすっかり削除されて見られなくなってしまった。自宅のテレビに映らない人には気の毒だが、これも世にはびこる無料な習慣を戒めるものとして、肯定的に捉えよう。
by hikada789 | 2015-07-27 16:56 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
前回少し引用した歴史学者、宮脇淳子氏は戦前日本の満洲経営を「へたくそだったが悪意は毛頭なかった。当時の列強が植民地でしていた暴虐に比べたら満洲経営は人道的であり、かの地を何世紀も放置して統治さえしていなかった中国に非難される謂れはない」と学術的立場から擁護し、戦闘的気炎を上げている。
『真実の満洲史 1894-1956』に縷々と並べられた検証によれば、我々が学校で習った21か条の要求辺りから終戦までの日中史がどうも客観的分析を欠いた現地の被害者感情論で片づけられた傾向が強く、「辛亥革命は禅譲であって市民革命ではない、クーデターだ」とか、「孫文はただの小者のほら吹き。日本からの援助がなくなると金を出してくれる米国にすり寄ったごろつき。中国では資金・軍隊・人脈が揃っていないと誰も相手にされないのに、どれも持ち合わせていない孫文を持ち上げた日本が浅はかだった」とか、「張作霖爆殺の首謀者は関東軍ではない傍証がいくつもある」とか、「リットン調査団も英米の圧力を受けていた」とか、「日本が国際連盟を脱退した理由は、米ソの加盟していない国連に期待しても意味がないと判断したから。それと人種差別撤廃を提唱したら白人国から猛バッシングを受けて廃案となり、国際社会の倫理観に絶望したから」とか、「こんな歴史を教科書にいつまでも載せている日教組の責任は重い」とか、次から次へと鋭いツッコミとそれを裏付ける専門家らしい分析が飛び出す。教科書をこき下ろす目からウロコ図書です。ややヒステリックな女性の筆致が気にならないでもないですが、こういう主張を恐れずしてくれる気概ある学者は貴重なので、どうせ学会では変人扱いされているでしょうから、スキマ星人としては応援します。

かくいう私もかつて中国に暮らしたことがあり、かの地の人民の自分の頭で考える習慣のなさ、つまり何でも鵜呑みにしてギャアギャア騒ぐのが人生とばかりの国民性、そうすることで結果的に自分が損をすることになっても、自省の習慣がないので同じ過ちを死ぬまで繰り返してしまうループ体質、数少ない「自分の頭で考える」人たちでさえも自国民の頭を何とか向上させようと努力するより先に、自分だけ先進国に逃げて一人勝ちすればよいという発想にしかならない根性の欠如など、人間として1つとして褒めたくなるものを持たない人間が13億も溢れた救いのない国だとの認識を以って帰国したものだが、そんな人民に、約束やルールを守るのがスタンダードな日本人がどうして非難される理由があろうかと日々苦々しく思ってきた。戦時下の大陸における不幸な出来事も、戦争という極限状態ならどこでも起きていたことで、しかしこうした事件を真摯に反省して後ろ暗く思っているのはまさに日本人だけで、当時植民地を抱え人種差別撤廃に反対した欧米諸国の誰も反省していない。英会話を勉強したならまず彼らに訊いてみな。そうすれば英語教育受けても彼らから学ぶものなんて何もないって思えてくるから。中国語なんてまさにそうだ。あの巨大市場で商売するためだけに世界は中国語を学んでいるのだ。あの人口がなければ学ぶ価値などない。他に何かありますか。褒められたものが。

宮脇氏はそんなわが鬱憤を晴らしてくれる論文を発表してくれ、語り口はともかく分析は確かで、辻褄が合っている。私は高校の頃からリットン調査団の報告が本当なのかとずっと疑問に思ってきた。学校の試験ではリットン調査団の報告の正否など問題にしないから誰にも話したことはなかったが、わが脳味噌の中では辻褄がずっと合っていなかった。辛亥革命も合っていなかった。だってフランス革命とかロシア革命のように人民なり労働者なりが拳を振り上げて政権を打倒したのではないから、風景として革命ではないのだ。禅譲とはね。その通りだ。ものを考える習慣のない中国人民に国民の権利が理解できたはずがないのだ。今でも理解していないではないか。だから辻褄が合わんのだ。

でも前にも言ったけど、中国史を専門とする日本の学者の多くはおかしい。これは私が史学生だった頃に教授から真顔で諭されたことで、当時私はまさかとは思ったのだが、思えば同じ学科の中国専攻の学生にもあまり深刻な顔つきの者はおらず、彼らは教科書鵜呑み体質で、「中国の近代化は辛亥革命から」という前提で発表を進める某学生のしたり顔が記憶に残っている。「辛亥革命」と呼び始めたのはなんと当時の日本人であり、当時の日本人もまた中国贔屓が著しく(孫文を支援したのも然り)、その程度たるや真実を見つめる知性を失うほどである。まるで本家の中国人のように。中国という国には、人をそのように仕向ける巨大な黒い力が備わっている、というのが今も昔も変わらぬ私の見解です。私の知り合いにも中国人にかすめ取られたお人好しの日本人が大勢いるので、少しでも被害が減るようここに明記しておきます。算命学的にも、金銭と知性は「土剋水」で反比例します。人の集まる所にはカネが集まるが、代償として知性を下げるというわけです。
by hikada789 | 2015-07-25 15:06 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
「人権は宗教である」というのは佐藤優氏の言葉です。この言葉が佐藤氏のオリジナルなのか誰か先人の言葉なのかはともかく、今日我々が近代社会と呼んでいる社会の常識として通用している人権や平等、民主主義や博愛主義といった概念は、せいぜいフランス革命以降に広まった二百年余りの歴史しかなく、人類全体の歴史に比べれば取るに足らない長さです。
これに対して数千年あるいはそれ以上の歴史を生き続けた人間生活の普遍的価値基準には、男女の結婚があり、性別差があり、宗教があり、ごく自然な老いや死があり、食用に足るだけの殺生があり、責任ある立場にある限られた人間による決定権があり、愛情を向ける対象への優先順位がありました。どれも近代社会が提唱する「こうあるべき姿」とは反するものばかりですが、実際には人類はこれらの伝統的価値基準で数千年を生きてきました。二百年余りの近代社会の価値基準は、この先数千年を生きられるでしょうか。現代のペースで人類が活動した場合、人類全体の寿命はあと二百年との分析もあるくらいですから、今日の常識的価値基準とやらは、どうも人類の存続に貢献するものではなさそうです。

比較的新しい概念である人権が、当初の高邁な意味合いを逸脱して訴訟合戦に堕してしまっている今日、人権はただ自分の利益をより多くぶん捕るための方便にすぎず、それは自分だけの神様を拝んで御利益を得ようとし、御札を掲げて「不信心者よ、ひれ伏せ」と叫ぶ狂信者の姿に似ている。だから人権は宗教の一形態にすぎない。
平等もまたまやかしで、男女の歴然たる生物学的差異や、持って生まれた特性・個性があたかもなかったものとして一律平らにならそうという思想は、異なる風土と文化に暮らす万人の現実に適合しているとは言い難く、これもまた一部の信奉者が満足するに過ぎない宗教に近い。愛情を万人に平等に振り撒かなければならないとすれば、ザミャーチンが『われら』で描いたアンチ・ユートピアのように、女性はあらゆる男性の性欲に平等に応えなければならなくなる。マサイの男なら眉を顰めてこう言うだろう。「獣以下だ」。

近代中国史・モンゴル史が専門で大戦前後の日中関係を詳らかに分析する宮脇淳子氏は、その正論且つ過激な口調で、「多数決の民主主義は大体間違った方向へ行くと私は思う。その理由は、優秀な人間は少数だからだ」と実にもっともな意見を吠えるように述べています。加えて「大衆はよく知らないことには口を出すべきではない」とも言い、どこかで聞いたセリフだと思ったら、惑星科学者である松井孝典教授の「専門家でもない人間がそのへんで拾ったような浅い知識をさも正論のように語っている昨今のメディア」批判の話と重なりました。深い知識と洞察をもつ彼ら専門家は、確かに少数であります。今日の民主主義もまた知識の浅い狂信者の宗教に過ぎなくなってきているようです。民主主義はまた、責任の所在が誰にあるかをうやむやにする力があり、現代社会の病巣の一因ともなっています。

古代に生まれた算命学は、もちろん数千年の人類の伝統的営みの側に立っていますから、現代社会の掲げる自由や平等、人権や民主主義から同性婚に至る近年の価値に対しては冷笑的です。陰陽五行の自然思想で世界を認識する算命学にとって、これらは自然に則しているとはいえないイレギュラーの産物であり、早晩淘汰されるものと見做しているからです。そんなかりそめの思想に惑わされるより、もっと普遍的で揺るぎない価値基準で判断した方がブレずに済み、問題もこじれず、幸せへの近道にもなるのだというのが、算命学の自然思想です。

前回の余話では同性婚や同性愛について考え、同性愛を生じる命式の1つとして八相局(はっそうきょく)を挙げました。八相局は偏った五行が特徴の局法ですが、同性愛を生じる原因はまさにその偏りです。今回は、こうした五行の極端な偏りが臨界を超えるとどうなるか、という点から八相局の意味するところについて少し掘り下げてみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「陰極まって陽となる」です。「算命学余話 #U90」で検索の上、登録&かき氷一杯分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2015-07-23 14:00 | 算命学の仕組 | Comments(0)
わが家の窓修繕の話で少し触れたと思うが、マンション専属のリフォーム業者は施工経験が豊富で安くやってくれるのは結構なのだが、殿様営業をするので施主からの細かい注文には応じない。その体質で何十年もやってきたため社長は昭和を象徴する土建屋のボスであり、こちらから厳しく追及しないと失敗もなあなあで済ませようとするいい加減な奴であると認識している。こんな営業態度では平成の世ではとうに潰れていて然るべしだと額に青筋を浮かべる宇宙人。ところが、新国立競技場を巡る騒動でとうとう人前に姿を現した安藤忠雄氏の会見、見ましたか。私は彼の説明態度がウチのマンションの土建屋社長そっくりに見えた。「自分には責任ありませんから」とキョロつく表情が双子みたいにそっくり。
思えば、かつて携わった飲食店舗立ち上げ事業の時、特級の資格を持つやはり昭和な建築設計士が「トイレの壁は上から下まで鏡張りにしましょう」と自分のアイデアに陶酔しながら豪語し、その場にいた女性デザイナーと宇宙人が「エ? それでは女性はともかく男性は用を足している間ずっと自分のイチモツを眺めているわけですか?」と正当なるツッコミを入れてそいつを黙らせるという事件があった。その頃から宇宙人は建築関係者、特に設計をする壮年男性の常識度を厳しく疑う体質となってしまったが、未だこの見方を覆す昭和男児は現れない。安藤よ、お前もか。

イケてない話題もう一件。最近、世間の無料な風習に麻痺したと思われる方たちから「タダで質問に答えろ」的な問合せが続いており、宇宙人の額の青筋を伸長させております。「味噌汁で顔を洗って出直せ」記事を掲載したばかりなのに(なぜか好評でしたが)、もう一度吠えさせるおつもりですか。
個人的なご質問に対する回答が欲しかったら、礼儀を尽くして労力に対する対価を払って下さい。無償であなたの心を満足させても私にとっては何の喜びにもならないことを理解して下さい。私にとって無償で満足を与えたい人は、顔見知りの、互いに尊重し合っている、親しい付き合いのある人だけです。皆さんだってそうでしょう。マザーテレサのように愛情が溢れているわけではないので、限りあるわが善意は優先順位の高い人から振り分けます。見ず知らずの人は善人かどうかも判らないので、万一悪人だった場合の損害を考慮して助言や助力を有料にしているのです。家族でもない赤の他人からこうした労力や技術をタダで持って行ったら泥棒ですよ。あなたのマナーは泥棒と同じなの。二度と言わせないで下さい。自分の都合しか考えられない自己中心体質では周囲に嫌われるばかりで運勢を落とすので、考え方を根本的に改めることをお勧めします。これが私の無償でできる精一杯の助言です。

気を取り直して、宇宙人の先生が出演する演能会及び先生が指導するお弟子の発表会のお知らせです。

(1)座・SQUARE第18回公演~花木の物語~
◆日時:平成27年7月20日(月・祝)午後1時~5時
◆場所:国立能楽堂 (JR千駄ヶ谷駅より徒歩5分)
◆演目:仕舞「兼平」、「船弁慶キリ」、狂言「御茶ノ水」、能「西王母」、「遊行柳」
◆入場料:SS席7000円~B席2000円(全席指定)

(2)理春会ゆかた会 in 佐渡
◆日時:平成27年7月25日(土)午後1時
◆場所:佐渡・相川春日神社能舞台(佐渡市相川下戸村。佐渡は世阿弥の流刑地です。)
◆内容:お弟子による仕舞等
◆入場:無料

(3)第31回能楽金春祭り
◆日時:平成27年8月1日(土)~7日(金)
◆場所:銀座八丁目金春通り 関連施設
◆内容:毎年恒例の路上奉納能ほか体験講座、写真展
◆入場:無料。ただし7日(金)18時開演の路上能は、当日16時より座席指定券を配布。立ち見は自由です。講座の開催日時等詳細はHP(http://komparu-ginza.com/)をご覧下さい。

なお海の日にかかる連休中は鑑定をお休みします。ご了承下さい。
by hikada789 | 2015-07-16 17:04 | 宇宙人の能稽古 | Comments(0)
マサイ族の男性に嫁いだある日本人女性の話によれば、村落共同体と牛の放牧が生活基盤であるマサイ族にとって、これらの維持存続が生存目的ともいうべきものになっており、我々が近代的な意味で常識とする生活習慣や個人の自由、婚姻制度等は単なる外国の習慣として認識されこそすれ、取り入れられる気配はない。明治維新の頃の日本が必死になって欧化政策をすすめ自国民の生活習慣まで変えたのとは対照的に、マサイは他文化に合わせるということをせず我が道を行き、現代に至っている。それでも携帯電話は普及しており、放牧に不可欠な草の生え具合について問い合わせるため、遠く離れた親戚との連絡に広く使われている。便利な道具は導入するが、便利とも思えない価値観や習慣は取り入れない。そのため今日も固有の文化が生き続け、その独特の婚姻制度について日本人嫁は驚愕しながら報告している。

一夫多妻ではあるが、放牧に忙しい夫は生殖目的以外で自分の妻に無暗に接触することはなく、夫婦の会話は業務連絡が主体。夫が放牧で長期留守にする間、妻たちは家事と子育てに励み、無神経な男の話し相手をする必要もなく女同士で楽しくやっている。ほぼ毎日が女子会である。夫も女たちの機嫌を取る必要がないから男同士でだべって気楽なものだ。こういう社会には熟年離婚も不倫もなく、夫婦の会話はないのが普通である。
試しに日本人妻が自分の夫に先進国のアダルトビデオを見せて反応を観察したところ、マサイの夫はひどく軽蔑し、「気持ち悪い、獣以下の行為だ」と吐き捨てたという。当地の習慣では夫婦の営みは服を着たまま行い、夫婦が互いの局部を見ることは一生ないという。これがマサイの男女観なのだ。

一方で、マサイの結婚では新郎が自分の親友を新婦でもてなすという習慣があり、場合によってはその親友の子を新婦が産んでしまうということもありうるが、子供の位置づけは正式な婚姻で結ばれた夫婦間にあるとされているため、子供は当然のようにその夫婦の子供として育てられる。遺伝的に誰が父親であるかなどとマサイは考えない。そもそも多妻なので、複数いる母親のうちどの腹から生まれたかということもさして重要でない。大事なのは正式な婚姻に基づく夫婦とその子供という確たる形である。親権も親を知る権利もここでは無用なアイテムなのだ。

こうしたシステムの社会にも争い事はあるでしょうが、我々「先進国」の社会よりずっと少ないように思われます。現代人が抱える煩雑な訴訟問題や権利の主張といった、人生に必要とも思われない様々な厄介事から、彼らは解放されてのびのび暮らしているように見受けられます。ちなみにこの日本人妻は第二夫人として迎えられ、夫の親友への「もてなし」は外国人ということで当然のように免除されたそうです。
先進国の人間は自分達の文化が一番洗練されていると考えがちですが、煩雑化した悩みに苦しむ生活を洗練とは呼び難く、男女関係にしても愚痴や反目が多いのは、もとより男女間では無理のある共同生活や価値観の一致に固執しているからなのかもしれません。

さて今回のテーマはこのマサイの婚姻習慣をヒントに、最近注目されている同性婚についてです。同性婚は現代に生まれた新しい概念ですが、算命学の生まれた数千年前にはもちろん存在しない概念です。しかし算命学は同性愛については論じています。陰陽論が基本の算命学では男女を陰陽に置き換えるため、その偏り具合から同性愛の生じる余地ありと考えているからです。
とはいえ、私の印象では、今日の同性カップルの大々的な自己主張はトレンドにすぎないように思います。欧米が主体のキリスト教圏で同性愛を長年厳しく禁じてきた歴史的反動と、やはり欧米主体の人種差別の反動である過剰な平等主義に乗っかった、一時的なファッションに見えるのです。明治に始まる欧化政策以前の日本には、同性愛を禁じる習慣はなかったし、白人がしてきたような人種差別もなかったし、マサイのような一夫多妻が身分の高い者ほど一般的でした。

同性愛が、数千年の人類史の中で存在は認められながらも常に脇役だったのは、おそらく生殖に繋がらない不毛な性行為が原因であり、そういう意味では今日蔓延している男女の避妊の習慣も同列に扱われるべきものです。子だくさんを幸福とみなす価値基準もまた、五行中立の立場にある算命学は冷ややかに見つめていますが、子供が全く生まれないという事態も陰陽の偏りの結果であるとして、算命学では何らかの不安定原因の存在を認めています。
同性愛を誘発する命式については最後に触れるとして、同性愛を論じる前に、まず異性について考えてみましょう。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「男女の結婚と同性愛」です。「算命学余話 #U89」で検索の上、登録&水ようかん1パック分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2015-07-13 13:43 | 算命学の仕組 | Comments(0)
ご本人の許可を頂き、「あなたの山水画」を掲載します。ご協力ありがとうございます。
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1977年11月14日生 女性の山水画
 乙 辛 丁
 亥 亥 巳
冬の川は堀へと流れ、整った石堀に沿って柳が揺れている。石堀沿いに灯籠が灯っている。
【解釈】
風景は整った水郷といったところで、大自然より人工的なアイテムが光ります。
柳のあなたは水辺の街を涼やかに彩り、石や灯籠といった無機質な風景に柔らかな緑を与えています。石は兄弟友人、灯籠は両親で、彼らと一緒にいるといい景色なのですが、本来は性質が異なるため、傍目に見えるほど良好な関係ではないかもしれません。その反動で、川水である家系や職場、配偶者に潤いを求めすぎ、癒着する懸念があります。
見た目がいいので人から頼られ易いですが、それほど馬力はないので、周囲の期待に応えようとすれば負担がかさみます。柳のようにしなってかわす柔軟さは、良く出れば負担を解消し、悪く出れば周囲の信頼を失うでしょう。
by hikada789 | 2015-07-12 14:32 | 宇宙人の鑑定実績 | Comments(0)
修繕後の窓が音もなくスイスイ動く快感に酔い痴れる宇宙人。快適なファシリティって素晴らしい。防音もすごいぞ。向かいのマンションの建設騒音がシュッと消えるのだ。いや宇宙人、それはこの国の住宅事情では普通だぞ。ガタピシいう窓だった今までがおかしかったのだ。よく耐えてきたものだ。慣れとは恐ろしい。修繕費をけちって「このままなんとか我が寿命までもたないものか」と考えていた自分が恐ろしい。快適って幸せだな。おカネを払えば快適は買えるのだな。算命学の木剋土なのだ。幸福は財産を剋すのだ。ショッピングをして散財すると人間は幸福感を得られるのだ。これが真理なのだ。
緊縮財政のことを考えたくないので、現実逃避のために楽しい夏休みの話をしよう。子供たち向けイベントが今年も多数企画される中、一見子供向けを装いながら実は中年向けのアニメ企画展に注目してみる。

(1)機動戦士ガンダム展 The Art of GUNDAM
7月18日(土)から六本木ヒルズ森タワー52階で開催される元祖ガンダムの大規模展示会。ガンダムは現在に至るまでシリーズ化されて登場人物も時代も世界もそれぞれに歩みを進めて発展しておりますが、今回は元祖ガンダムに限定した制作資料1000点公開の大盤振る舞い。アムロやシャアら懐かしいキャラの原画や安彦良和の原案も展示されます。オープニングシアターでは、ホワイトベースが大気圏突入しつつ戦闘するシーンの新作映像を見せてくれるらしい。
私もガンダム世代ですが、この元祖の頃のが今でも一番よく出来ている気がします。役者(キャラ)の演技にわざとらしさがないく素人っぽいのが却って良かった。大人が子供を無視しまくっているところとかもリアルだったし。今どきの若者には古臭いアニメかもしれませんが、入場料は強気の2000円だからやっぱり若者は眼中にない模様。集え、いいトシした大人たちよ!ちなみに18時以降の入場は1500円に値下がりするので、懐さびしい宇宙人が行くとしたらこの時間だな。閉館は20時。なお展示会はその後全国を巡回するようだが、東京会場限定のガンプラを販売するというから商魂逞しい。30年以上前の作品でまだ儲けるつもりなのだ。いや儲けられること自体があっぱれなのだ。9月27日まで。

(2)手塚・石ノ森ヒーローズ展
7月10日から横浜で始まっている無料の放送企画展。手塚治虫と石ノ森章太郎の二人にスポットを当て、作品内容から両者の交流まで幅広く展示。注目は手塚・石ノ森原作の名作アニメや関連番組を日替わりで上映するシアター企画で、朝十時半からほぼ一日中5本前後を流しっぱなしにするという。63年版のアトムや68年版のサイボーグ009の白黒映像から、最近の仮面ライダーまで取り混ぜて楽しめる。今どきのライダーものが混じっているということは、イケメン目当てのマダムを狙っているのかもしれない。やはり純粋に子供だけを対象とはしていない模様。上映の詳細は放送ライブラリーへお問合せ下さい。HPもあります。9月13日まで。

ところでこの上映企画、「サイボーグ009デー」というのがあって、009の連載開始記念日である7月19日限定で68年版、79年版、01年版をまとめて上映するという。テレビアニメのことでしょうかね。実は2012年にも劇場版アニメが制作されていて、私もつい最近ネットで見たんだけど(スペイン語字幕がついていた。もう削除されてしまったよ)、いろいろな意味で凄い作品に仕上がっていた。まず画像が最新技術を駆使しているのでリアル且つピカピカ透けて美しいこと、ハイレベルな演出でハリウッド活劇のような見せ方になっていること、そして何よりも設定がおかしくなっていることだ。

もとより近未来を設定した原作ではあったが、時代や社会背景は明確ではなかった。しかしこの作品はシニアの視聴者を意識したのだろう、リアルさを追求する余りサイボーグたちの出身国のお国事情をまともに取り入れ、フランス人のフランソワーズの貞操観念が原作とは似ても似つかない域に到達しているのはご愛嬌、最後には日本人のジョーと米国人のジェットの日米文化摩擦にまで話が発展してしまうのだ。文化の差、価値観の相違、国民性の相違といったところが妙にリアルに描写され、もちろん主役はジョーだから日本人の価値観(融和や譲歩、自己犠牲など)が最終的には勝つ、しかし米国の属国である日本は米国人を立てねばならぬからジェットも根性のあるところを見せた、みたいな展開になっており、非常にシュールな気分で鑑賞を終えるのだ。制作スタッフさんたち、考え過ぎよ。活劇アニメなんだからもっとあっけらかんと飛んだり跳ねたりしてくれればそれでいいのに。それとももしかして、このハリウッド好みの映像美で米国の映画賞などを狙うと見せかけて、米国少年たちの心に日本的精神を植え付け、戦後から今日に至る米国による文化侵略に対する逆襲を図るという目論みがあったのだろうか。いやまさか。

ともあれ、日本人らしく大人しいジョーをヒーローに仕立てておきながら表現手法は米国流という、文化侵略の極みみたいな作品なので、そういう意味で一見の価値ありです。なお今ネットでタダで観れるのは数分の予告映像くらいですが、昔懐かしのオープニング曲「誰がために」をフル演奏でかぶせてあるものがあり、これがお勧め。私もこのPVを見て本編を見たくなったのだ。でも以前の記事でも書いたとおり、映画本編より予告映像の方が出来がよかったりするのだね。「誰がために」は名曲だしね。「♪だが我々は愛のため、戦い忘れた人のため」だって。自衛官が聴いて涙を流すかも。
by hikada789 | 2015-07-10 21:03 | その他 | Comments(0)
ギリシャの経済は膨大な借金を考慮しなければ現在でも黒字だそうで、それが本当ならキリギリス呼ばわりするのは少々酷かもしれない。しかし国民投票で六割が借金踏み倒しか、そこまで言わないまでも返済延期を支持していると報道される中、国民が自省するセリフは全く聞こえてこない。前政権が悪いのだと胸を張って主張する市民の姿を、日本の皆さん、ちゃんと醜いと感じて下さいよ。「民主主義はわが国から始まったのだ」と叫ぶ市民たちだが、前政権だって自分達が民主的に選んだのだから、彼らを選んだ責任は自分達にあるはずなのだ。なのに被害者意識ばかり先行して責任転嫁に忙しいなんてみっともない。無能な政治家を議員に選んでしまった国民にも責任があるという話は日本では少々辛口の意見として論じられるが、本家のギリシャからはからきしですな。欧米人がしたり顔で「これが世界のスタンダード」とかほざくのは、自国の歴史がギリシャ文明に発していることによる手前味噌である。手前味噌がスタンダードである人間の言い分などまともに受け取ってはいかんぞ、子供たちよ。他人のいい所は見倣うべきだが、醜い所は正しく醜いと認識して敬遠する姿勢を維持しなければいかんのだ。そうでないとまともな情操が育たず、物欲だけで人生が終わる周囲の国の人々のようになってしまうのだ。
繰り返そう。いまのギリシャ人はみっともないのだよ。自分のせいじゃないといって責任を回避する人間は、世界の価値基準がどうであれ、日本文化にあってはみっともない人間なのだよ。全体主義とそしられようとも、誰かが犯した罪を社会全体で賄おうという精神が日本文化の1つの形なのだよ。そしてそれは誰もが責任を取らずに済ますことで別の誰かが犠牲となり、そこから殺人や反社会活動が生まれる危険の芽を摘むための、日本人が長年かけて培った高尚な知恵なのだよ。個人主義など反社会思想の温床なのだよ。

さて緊縮財政はわが家にも到来している。台風が来る前にどうにか窓の修繕に漕ぎつけた。一生に一度遭遇するかどうかというリフォームにつき、作業を目の前で眺めさせてもらったので、その様子を記録してみる。
業界で「カバー工法」と呼ばれる修繕法は、窓枠をガリガリとドリルで削る大規模リフォームにかかる時間もコストも省くために考案されたワンデイ簡易工事で、予め寸法を測って窓枠と窓を工房で製作し、工事当日は現場の窓を外して新しい窓セットを旧窓枠の上からかぶせるというもの。難点は本来の窓枠に更に窓枠をかぶせるため、窓全体が若干小さくなること。わが家における作業工程と所要時間は以下の通り。
◆窓周りを養生する。(10分)
◆はめ込み窓のガラスをカッターで切って外し、枠も撤去。(40分)
◆新しい窓枠の設置。窓枠が入らないということがないよう本体はやや小さめに出来ており、壁に接触する棹のようなはめ込み部分だけ長く作られている。このためはみ出た棹をその場で削ってピッタリに調整する。この調整にやや時間がかかる。(40分)
◆はめ殺し窓(全面積の約1/3)を入れる。付随する柱にネジを打ち込み、カバーをかぶせる。(20分)
◆新しい窓枠と壁との隙間にゴムのようなメジを詰め、ニスの匂いのする防水剤をハケで塗る。(20分)
◆上下の窓枠カバーを削って調整しながら設置する。躯体の歪みのせいか枠の製作ミスか定かでないが、うまく嵌まらないらしく調整をくり返す。施主が目の前で眺めているので下手なまねはできない。勿論このために私はここにいるのである。(20分。ここで昼休み)
◆左右の窓枠カバーを設置しつつ、外面シール部分にシリコン・ボンドを注入する。既にはめ込んだガラスに誤ってボンドをこぼすのを見たぞ。こぼしたボンドを拭っているのを見たぞ。施主は見ているぞ。(50分)
◆窓枠にドリルでネジ穴を数カ所開け、引違い窓を設置する。最後の窓の搬入は周囲の掃除を終えた一番最後。(実質10分。ボンドのシーリングが終わるのを待って実施)

途中、運搬や休憩で作業が中断するのを含め、全行程は5時間。作業人数は二人。天気は曇り。騒音はアルミを削る手引きノコギリと電動ネジの音、掃除機の音くらい。特にゴミも飛び散らなかった。

わが家の窓の開口サイズはおよそ170×200cmで、これをタテ3枚の窓に分け、うち一枚がはめ殺し。戸数の多い老朽マンションにつき専属業者は施工実績が豊富で、設計費や運搬費は免除された。別の業者に頼むと設計費と運搬費その他が加算されて3割増しになる。しかしマンションの専属業者はいろいろダークな側面を持っており、オプションにもあまり対応しないので、そうした馴れ合いや無工夫を嫌うなら余分な料金を払って小さな工房に頼むべきである。私もそうしたかったが、なにせ懐事情が。無念。

というわけで値上げのお知らせです。かような住宅事情につき家計は早くも逼迫したため、「算命学余話」の一部値上げを決断しました。現在最安値の100円のものを200円に、200円のものを300円にします。値上げ期日は未定ですが近日中です。変更後の案内は特にしないので、まだ購読されていない方はお早めに。
また、値上げではありませんが算命学を基礎から学びたいという声に応え、余話とは別にビギナー向け読本の執筆を予定しております。当初から中級・上級向けに書かれた余話がビギナーにはちんぷんかんぷんであるという苦情を鑑み、ゼロから学ぶ算命学を紹介します。内容は宿命の算出法や各星の説明など鑑定実践の基礎に係わるものから、私が常日頃主張している自然思想をストレス社会でどう活かすかという処世ツールとしての活用法まで、広く解説できればと思います。体裁は例によってパブーの電子書籍になります。お楽しみに。
by hikada789 | 2015-07-07 15:26 | 算命学の仕組 | Comments(0)