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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

<   2015年 11月 ( 11 )   > この月の画像一覧

ご本人の許可を受け、「あなたの山水画」を掲載します。ご協力ありがとうございます。
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1975年3月5日生まれ 女性の山水画
 庚 戊 乙
 戌 寅 卯
早春の山は草木が芽吹き、穏やかな風景の中央に岩が座る。
【解釈】
岩のあなたは周囲の草木を伐採する力があるため、時に周囲から怖がられることがあります。
草は両親や上司を意味し、あなたの強い主張に合わせてくれていますが、あなたは万事が自分の思い通りにならないと感じているかもしれません。山は兄弟友人、子供、および配偶者であり、あなたを後押しする存在です。
風景に炎が加わると、岩は斧となって樹木の枝を下ろし、それを燃やすという活力が運勢に出てきます。
金銭に縁のある命式ですが、お金に振り回されると人格を落とすので、人に好かれるためには財産はほどほどで留めておくのが吉です。
by hikada789 | 2015-11-28 15:24 | 宇宙人の鑑定実績 | Comments(0)
人間性に問題ありとの評価が定着しているにもかかわらず、橋下大阪市長率いる維新の会が大阪府知事選と市長選に勝利しました。政治家の中には、大阪の二重行政の非合理性解消を叫ぶ橋下氏の政治的センスを称えて、その人間性の欠陥については目をつぶろうとする向きもあるようですが、算命学者は目をつぶったりはしません。その低俗な人間性をガン見です。今回の余話のテーマはここです。

すこし前には、日本の大学の文学部や文系学部を縮小して、代わりに国際競争力を高めるための理系・実務学科を拡大すべしという、正気とも思われぬ提案がありました。これに賛同する人は、知性の根本が何かを知らないのでしょう。文学や哲学や歴史学は、とどのつまりは人間学なのです。人間は善も為すが、悪も為す。実学から生まれた科学技術を駆使するのは人間であり、同じ道具を用いていても善人と悪人とではやることが180度違う。ガソリンは、車に積んだ物資を不足している場所へと迅速に運ぶこともできますが、火炎放射器に詰めれば人間を一瞬にして火だるまにすることもできるのです。原子力の平和利用と核兵器などは好例です。
技術をどう使うか判断するのは人間であり、その匙加減は当人の判断力に懸かっている。判断力は未来に何が起こり得るかという想像力であり、つまり洞察力であり、その洞察の先に枝分かれした選択肢のうちどれが最適かを見極めるのは、その人の善悪の判断つまり人間性なのです。人間性を備えていない人間に、多くの人の命運を左右する事業や決断を任せられるでしょうか。善悪の区別をより高度に精密に行なえるようにするために、人間学の研鑽が必要なのです。
おめでたい人たちは善悪の区別など大人なら苦も無くできると思っているかもしれませんが、もし本当にそうなら今日世界中で行われている非道行為の数々を一体どう説明するつもりなのでしょう。人間の善悪はかくも揺らぎやすいものなのであり、だからこそ日夜の研究や議論が必要なのです。これらは自然科学と違って結果が出にくく、数値にもなりません。結果や数値が出ないから人間学が必要ないなどという人は、金儲けしか頭にない俗物です。数値つまり十進法というのは、より大きな数を数えられる利点により普及しましたが、何を数えていたかといえば、商人の扱う商品の数量を数えていたのです。だから数値にばかり注目する人は、そもそもが商人の発想から出られない人なのです。算命学はそのように冷ややかに論じています。

もうひとつ付け加えるならば、先日佐藤優氏が「おそろしい本」として中室牧子著『「学力」の経済学』を取り上げ、酷評していました。その内容とは、子供の教育は大学受験やもっと下のお受験準備からでは遅い、0歳から始めるべしというもの。0歳から知力体力及び道徳を学べる一流の施設に入れ(おかげで両親は子育てから解放される)、国際舞台で効率よく金儲けできるノウハウと、親孝行を厭わない優れた精神を育てる。すると、勉強しろと言わなくても自ら黙々と努力する大層手間のかからない優秀な子に育つので、その後は受験勉強にカネをかけなくとも競争に勝てるし、就職でも競争者を蹴散らせるし、社会人となって儲けたカネは、心優しいので両親へ全額渡して良しとするようになる。このようなシナリオで子育てするのが今後最も賢い教育方法となるであろう、という提案書なのだそうです。
私は読んでいないので大きなことは云えませんが、この通りの内容だとすると、一体この著者は子供を何だと思っているのでしょう。親にカネを貢ぐロボットになるのが、人間の幸せだとでもいうのでしょうか。この人は、この世の価値が金額の多さで決まると考えている点と、人間の価値観の多様性や幸せの意味について深く考えたことがないという点の二重の意味において、人間として救いがたいお粗末さを露呈しています。こんな本を書いて堂々と出版してしまう恥を知らない低俗人が、有名大学で教鞭を取っているというのですから、佐藤優氏が「世も末だ」とこぼすのも頷けます。

皆さん、よもやこの学者の意見を「へえそうなのかあ、自分もそうしなきゃ」とか思ってはいませんよね。こういう人をこそ、人間性に問題ありと評価し、橋下市長と同列に扱わなければならないのですよ。よもやとは思いますが、私が懸念を打ち消せないのは、昨今流行りのインターナショナル幼稚園にわが子を入れたがる親御さんたちが、その幼稚園で教えている外国人の英語が、ネイティブではなくフィリピン訛りや東欧訛りであることに気付いていないからです。本物の英語を知る親御さんは、こんな所に大切なわが子を放り込んだりしていません。おかしな英語を仕込まれて、大人になっても直せず馬鹿にされるのが目に見えているからです。
そんなことをするよりは、正しい日本語や日本の教養を身に付けさせて、その日本語の意見を改めて英語なり何なりに翻訳できる能力を多少遅れてでも学んだ方が、ずっと尊敬されます。皇太子の英語を聞いたことがありますか。カタカナ英語ですが、誰も笑ったりはしません。大江健三郎のノーベル賞スピーチはカタカナ仏語でしたが、人々が注目したのはその内容であって発音ではなかった。佐藤優に至っては、ロシア語は外務省に入ってから学んだのです。人間が尊敬されるのは、優れた人間性や深い洞察力ゆえなのです。便利な道具やロボットを尊重したいのならば、人間としてのあなたはもはや必要ありません。

算命学余話#U100では局法のうち四種類を紹介しましたが、今回は上述の話と関連して、土剋水、つまり金銭が知恵を曇らす仕組みを表す二種類の局法について考えてみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「知性とは人間性である」です。「算命学余話 #U102」で検索の上、登録&おでん1パック分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2015-11-25 16:54 | 算命学の仕組 | Comments(0)
私が能『邯鄲(かんたん)』を初めて観たのは、今は亡きお師匠様のお供で都民のための能楽鑑賞会に出掛けた時だったから、かれこれ7年ほど前になる。シテは金春のお家元で、お師匠様の息子である今の私の先生も出演していたから、身内用招待券でも貰えそうなものだが、どういうわけかお師匠様は新聞広告のペア席プレゼントに応募し、見事当選した上、その正体がバレて中央前列の特等席をせしめたのであった。そしてどういうわけか同伴者を探しあぐねた末に弟子の宇宙人に行き着いたのである。「先生、クジ運いいんですね」「ウフフフ」。多数の弟子を抱えるお師匠様がなにゆえ年季の浅い宇宙人を同伴者に選ぶに至ったかについては、ここでは語るまい。彼女はその後臨終間際に医師の許可を得て最後の能舞台鑑賞に出掛けるが、その時も宇宙人を同伴者に選んだのであった。そのような舞台は、普段一人で出かける舞台に比べて印象が鮮やかである。

しかしこの時の『邯鄲』が印象的だったのには他にも理由がある。演出に特徴があったのだ。初めて観る『邯鄲』だったのでその時の演出がスタンダードなのかと思ったのだが、その後観た『邯鄲』はいずれも演じ方が違い、期待した感動を得られず肩すかしを食らった。更に歳月が流れてつい先日、同じ家元のシテの『邯鄲』がかかったので期待して観たのだが、やはり初回の時の感動を再現すること叶わず。この件について、先生に尋ねてみた。

宇宙人:「初めて観た時は、盧生(シテ)が夢から覚める直前に、臣下たちがサーッと早足で切戸口に駆け込んで行ったんです。囃子のテンポもそれに合致して急いていて、一気に戸口へ吸い込まれて行ったんです。まるで排水口に流れ落ちる水のようで、それが夢から叩き起こされて覚める実際の感覚(めまいに相当)にすごく合っていたので、これは素晴らしい演出だと昔の人のセンスに感動したのですが、その後一度も同じスピードのものは見られず、臣下らは慌てずゆっくり退場なのです。残念であります。あれが普通なのでしょうか。それとも特殊な演出でも?」
先生:「そうね。特に演出は変えてないです。その時の出来の違いだけでしょう」
宇宙人:「でも囃子のスピードがぜんぜん違いましたよ。以前のはバタバタと駆け込んでる感が出ていたんですよ(勿論、すり足なので音はしないが)」
先生:「今回の地頭の本田(光洋)先生は、あの場面であまりカカらない謡い方をするから、そのせいかもしれない」(註:カカるとは、場面や心境が盛り上がっていることを表す表現技法のこと。素人には情緒不安定を表現しているように聴こえる)
宇宙人:「じゃあやっぱり偶然の産物だったんですかね。今思えば、もしかしたらあれは事故だったのかもとも思います。だって臣下が退場する時、先頭は子方(こかた。子役のこと)だから、さんざん座って待たされた子供が立ち上がるタイミングを逸して、慌てて気付いて立ち上がり、大急ぎで切戸口へ向かい、それに大人の臣下たちが一列にくっついて全員ドタバタと走り去ることになった結果、ああいう演出になったのかもしれないと」
先生:「そういうこともあるかもしれない」
宇宙人:「じゃあもうあの排水口演出は二度と見られないのかもしれませんね。残念です」

宇宙人はよく貧血を起こすので、めまいや立ちくらみの主観については造詣が深い。人が目を回している時は眼球が制御不能になっているそうだが、私はその制御不能な眼球が地球の中心に向かって引っ張られるような感覚がいつもあるので、それが排水口に吸い込まれる水流を連想させ、最初に観た『邯鄲』の臣下たちが夢の出口たる切戸口へ否応なく吸い込まれていく様子に、意識と無意識の狭間のリアリズムを感じたのである。事故だったのかあ。そうかあ。舞台芸術はハプニングが付き物だし、映画やTVドラマなどやり直しが利くものとは違った醍醐味があるものだ。
かくして幻の『邯鄲』は亡きお師匠様との思い出と共に記憶の蔵へと保管されるのであった。
by hikada789 | 2015-11-23 17:56 | 宇宙人の能稽古 | Comments(0)
ズビャギンツェフ監督の最新作『裁かれるは善人のみ』を観た。この人の作品は大体、独善的で身勝手な男とその陰で振り回される控え目で鬱気味の妻、という構図なのだが、陳腐なホームドラマにならないのは円満解決しないところと、美しくも昏い映像美のお蔭だ。人の人生とはそうそう思い通りにはいかないものだし、円満解決する事象もそう多くはないはずだから、リアリティに迫るにはこうした展開の方が相応しいことは理解に易いことである。日本のホームドラマの国際的評価がさっぱりなのは、制作者の願望を反映してなのか観客のリテラシーに合わせてやむなくなのかは知らぬが、円満解決かそれに近い勧善懲悪的流れで締めくくるので、陰陽論に染まっている宇宙人の目には「陽」に寄り過ぎているように見えるリアリティの欠如が原因ではないかと思われる。

宇宙人、日本映画などいくらも観ていないくせに。いやそれでもたまにテレビでやっていると惰性で観ることはあるさ。最近は福山雅治主演の『そして父になる』をだらりとした気分で眺めたが、『フルスタリョフ、車を!』を頂点とする容赦のないロシア映画に馴染んだ目には「だめだなあ」と映る。詰めが甘いのだ。ロシア映画だったらもっと残酷な方向へ展開させる。
あの映画では取違えた子供たちが結局元の育ての親の元へ望んで戻って一件落着するが、ズビャギンツェフ流に改編すれば、子供のどちらかが本気で戻りたくないと言ったり、両家のどちらかが破綻家庭で虐待があったりアル中だったり、或いは国家権力者であって様々な非合法圧力を加えて来たり、日本人が美徳とする控え目な態度が曲解されて悲劇を助長したり、と限りなくドツボへ嵌まっていくはずである。いや、決してロシアが悪ばかりの社会だと言っているわけではない。しかし世の中善だけではないのだから、リアルな悪も描かないと現実味を帯びなくなる。

ロシア映画は社会批判精神が強いので、善悪のバランスは悪の方に比重が大きいが、昨今の日本映画は善に偏り過ぎている。昔は任侠映画が盛んだったからバランスは取れていたようにも思えなくもないが、当時は戦後の混乱期から高度成長期に差し掛かる時代で、その波に乗り遅れた若者の憂さ晴らし的役割を果たしての繁栄だったから、悪そのものに対して深く洞察したものではなかった、と当時若者であった老人は語っている。要するに本質的な絶望は、日本人は目を背けたいということでしょうかね。
『裁かれるは善人のみ』はまだしばらく上映しているので、ぬるくてマイルドな映画に辟易している人にはお勧めします。とはいえ、『フルスタリョフ』に比べれば全然マイルドですが。

今朝のラジオで佐藤優が興味深い見解を述べていた。パリの同時テロでフランス政府が断固とした対決姿勢を反射的に打ち出したのは、国民の結束力に自信のない現れだという。比較としてロシアを挙げ、先日旅客機墜落事故のあったロシアは当初テロの犯行との断定に慎重だったが、それはロシア国民が既に対テロ・国防で一致団結しているので、慌てて結論を出さずじっくり検証してからでも国民の心がグラつくことはないという自信があったからだ。一方フランス人は個人主義の国なので、悪く言えば自分勝手でバラバラ、自分の生活さえ安全なら他人はどうでもいいという結論に達しやすく、対テロ戦争への厭戦気分が蔓延しないよう政府が直ちに檄を飛ばす必要があったのだという。
この自分勝手さは欧米社会でも群を抜いていて、ドイツなどはもっと社会や国全体のことを優先できる国民性だと佐藤氏は語る。私も個人的経験から同感である。そういえば第二次大戦でも、フランス人って弱くてあっという間にドイツに首都まで占領されたよね。男たちは逃げるか捕まるかし、代わりに女たちは生きるためにドイツ兵に媚を売ったりしたんだけど、ノルマンディー上陸作戦のお蔭でドイツ人が追っ払われると、だらしのないフランス男たちは媚を売った自国の女たちを売国奴と非難して曝し物にした。こういう国民性だから、今般の対テロ戦争も今は勇ましく空爆しているけど、またみっともない終わり方になるのではないのか。憧れの先進国としてフランスを仰いでいる方たち、もっと現実を見た方が後で失望せずに済みますよ。ぬるい映画ばかり見ていると、厳しい現実を見る目が廃れますよ。

というわけで、依然としてフランスよりも格段に低い一般評に甘んじているロシアの、せめて芸術くらはお楽しみ下さい。

(1)プーク人形劇場特別公演「イジー(行け/Go)!」
新宿南口にプーク人形劇場なるものがあるのを知った。ここでフランス在住のロシア系アーティスト、ポリーナ・ボリソヴァによる初来日公演が11月25~26日の二日間、それぞれ16時と19時開演で催されます。人形劇とひとくくりにはできない斬新的な独創アートです。その後西日本へも巡回。

(2)伝記映画「杉原千畝」
ロシア映画ではありませんが、日系アメリカ人監督作品で撮影はポーランド。12月上旬より東宝系。

(3)国立サンクトペテルブルグ・アカデミー・バレエ「くるみ割り人形」
年末恒例の大型クリスマス企画。12月19~20日、共に14時開演。東京国際フォーラムホールA。C席7,000円~。

(4)ミハイロフスキー劇場バレエによる新春特別バレエ
正月2~11日に日替わり・場所替わりで「白鳥の湖」「ローレンシア」「ジゼル」「海賊」及びガラを上演。「ローレンシア」は日本初演。11日のみ神奈川県民ホール、それ以外は都内各所。D席7,000円~。
by hikada789 | 2015-11-20 12:47 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
わが国の政治を運営している与党自民党の活動費の内訳は、政党助成金のほか団体からの政治献金が大きい。その大口筆頭は医療界なので、医療団体にとって都合の悪い政策は取らないし、都合の悪い報道も抑制される、というのは想像に難くない。内海聡医師が糾弾するのは、そうした政治と医療の癒着の陰で国民が余計な医療費を搾り取られているのみならず、もともとあった健康を曲がった医療によって阻害され、苦しんで死ななければならないという現状である。
私は子供の頃から医者が嫌いだったが、それは治療して治るかどうか判らなくとも料金を請求するからだ。治ったのが確認できてから請求するなら医者を信じてもよかったのだが、治らなくてもカネだけは先取りする医者が多くて、ハナから詐欺を見る目で見てしまうのだ。現代に赤ひげはいない。医学部に行く学生は、人助けという高潔な目標を掲げながら、実際には医者になるまでに支払った高額な学費などの元手を手早く回収することに関心が高い。治療よりも稼ぎが大事な医師らが政治と癒着するのも当然である。

ジャーナリストの船越俊介氏は、小保方晴子氏のSTAP細胞の正体がリンパ球であるとし、その存在を肯定している。リンパ球は人間なら誰でも体に備えているもので、これが本当に万能薬になるとしたら、利権も何もなくなるので製薬業界は壊滅し、医者もいらなくなる。そうなっては困る国内外の医療界が小保方氏を総力を挙げて潰しにかかったのだ、と船越氏は主張している。私は専門知識がないので真偽のほどは判らないが、医療界の政治癒着や医療者のモラル、有史以来最も医療が発達している時代だというのに病人だらけ、薬漬けだらけの現状を総合判断するに、船越氏らの主張に分があるように思われてならない。自分の頭で考えると、現代医療の効用を鵜呑みにはできなくなるのである。

算命学余話は算命学の思想や技法を紹介する読み物ですが、他の算命学本と違うのは、「技法をそのまま鵜呑みにするな」と口を酸っぱくして度々主張しているところです。なぜかというと、算命学は理屈を積み上げて出来上がった思想体系であり、その理解のためには積み上がった理屈を一つ一つ納得していく方が丸暗記するより効率的だし、何より理屈を知らずに他人様の宿命を鑑定して助言を与える行為が危険だからです。
理屈を知らずに丸暗記した人が鑑定した場合、鑑定結果が当人の実情と合致していないと、なぜ合致しないのか原因を突きとめられません。また仮に理屈が判っていて鑑定しても、やはり実情と合致しないことはままあるのですが、こうした場合でも、鑑定の目的は依頼人の自然な状態(=宿命に相応しい状態)を取り戻すことですから、技法に囚われていては本来の目的を見失いがちになります。
天中殺だからこうだとか、旺気刑があるからこうだとか、推逆局だからこうだとか、そういった技法上の型はあくまで目安であり、絶対ではありません。型は誰でも3つ4つは宿命に持っているものであり、それらが相互に矛盾することもあるので、正しい現状把握のためにはそうした矛盾がどう実生活で消化されているかを洞察し、目的に沿った助言をいかに導き出すかが問われるのです。洞察と鵜呑みは対極に位置しています。だから鵜呑みにするなと、くどくど申し上げるのです。

算命学とは一切係わりのない内海医師が、著書『精神科は今日も、やりたい放題』で大変意義深いことを述べているので、少しかいつまんで紹介します。これは算命学の学習者の心得としても有用ですが、もとより精神科を糾弾する本ですから、精神病という定義さえ曖昧な精神医療を鵜呑みにし、自分の人生がうまくいかない理由を病気のせいにして責任逃れをしたい心の弱い現代人にも咎はある、という患者に向けた厳しい喝でもあります。自分の人生がうまくいかない理由を宿命のせいにしたい人にとっても、責任逃れをするなという厳しい喝になりますので、心の弱い方、弱いままでいたい方は、この先は読まない方がいいかもしれません。

「強迫観念やトラウマ、憂鬱や支離滅裂は多かれ少なかれ誰にでもある。むしろ生きていて無い方がおかしい。観念による苦しみや悩みは人間にとって必然であり、治療などしてはいけないものである。もし治るとしたら、それは社会や家族のごたごたを通して軟着陸していくものでしかない。」
「目の前の出来事を病気として捉えるのではなく自ら乗り越えようと努力している者が評価されず、ちょっとした不安に対して逃げて近付こうとしない人たちの方が「病気」とされて大切に扱われる昨今の流れが、真っ当なものとはとても思えない。少なくとも古来より人々はそのような不安があるのは当然と認識し、越えるも越えぬもその人次第として判断してきた。しかしこの生理的反応を病気として定義さえすれば、精神医療界や心理学界が莫大な利益を得ることができる」
「実際に重いPTSD患者の場合、虐待など何らかの家族問題があるか、いじめなど強い排他的ストレスを経験して、且つ友人などがいない者ばかりである。その人類に普遍的なトラウマを治すべきかどうかはよく考える必要がある。古来より人は、トラウマを抱えながらそのトラウマをバネにして人生の原動力としてきた。自分にとって嫌な思い出をバネにして人生に活かすことができるのは、ありきたりだが人の愛情や友情といった支えであり、それは家族や親友の仕事であって、医者ができるものではない。」
「多くの人は幻覚・幻視を経験しているが、その人たちが精神科を受診しないのは、それが人間として当たり前であったり了解可能であると判っているからである。その意味では、統合失調症として次々拡大診断されている患者さんたちは、適応力は低いのかもしれない。その幻覚が人間として普通にありうることを理解できないからだ。」

内海医師のこれらの発言を痛快だと思う人と、厳し過ぎると耳を塞ぐ人とで、どれほど人間として差があるか。問われているのは「適応力」と「理解力」ということです。そして家族に恵まれていない人にとっての朗報は、友人や親友の存在です。血縁者でなくとも友人や親友が、家族代わりの役割を果たしてくれるのです。そうすると、信頼できる友達が一人もいない人は上述の通りPTSDに罹るかもしれませんが、普通に暮らしていて、一体友達が一人もいないなどという事態がそうあるものでしょうか。友達が一人もいないということ自体、その人の人格に欠陥があると見做すべきではないでしょうか。そしてその欠陥は、そう頭の悪い人でなければ、社会における成長過程で徐々に克服できるはずのものではないでしょうか。一体誰のせいだというのでしょう。全てはその人本人の、至らなさのせいなのです。

というわけで、今回の余話のテーマは因果応報についてです。鑑定技法に関する話ではありませんが、鑑定する側として、依頼人の言葉から何を汲み取るべきか、ひいてはこの世の様々な事象について、私が常々鼻白んでいる「信じられません」とのたまう人々が如何に自分の頭で原因を考えることをしないか、という点について、おそらく一般社会には受け入れ難いであろう算命学的なドライな視点から論じてみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「原因はある、知らないだけ」です。「算命学余話 #U101」で検索の上、登録&カニスープ一杯分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2015-11-18 12:55 | 算命学の仕組 | Comments(0)
内海聡医師と船越俊介氏をそれぞれの著作で知ったのは別々だったが、二人の話が似ていると思ったら、二人揃っての対談がネットに公開されていた。意気投合した顔なじみだったのね。BGM代わりに聞き流していたらこんな対話が聞こえてきた。

船越「現在米国で最も一般的に使われている精神薬〇〇にこう書いてある。効用:不安、疲労感、うつ状態…。これは効用よ。次に副作用はこう書いてある。不安、疲労感、うつ状態…」
内海「ぶほっ」
船越「もうまるっきり落語の世界だよ」

改めて巻き戻して前後を見直すと、船越氏は米国で精神薬害を糾弾する専門家の著書を読み上げて紹介していた。米国はサプリメントに代表されるように極端な健康論をぶって一気に市場を席巻するのだが、障害に気付いて糾弾を始める良識者の発言力も強く、危ないと知れると訴訟怖さに一気に禁止になびく傾向が強い。そんなわけで米国や西欧先進国ではとっくにマーガリンが禁止されたように、従来の精神薬もまた多く禁止された。しかし日本はまだそれに気付かず規制が緩いので、ここぞとばかり欧米で売れ残った精神薬(実態は麻薬)のカモ市場になっているのだという。日本人よ、精神科に掛かってはいかんのだ。自力で治すのだ。

対談では戦前の人体実験で悪名高い731部隊に触れ、敗戦によりGHQは731部隊の研究成果の引き渡しを要求し、見返りに部隊の犯罪責任を問わないことにしたという。その結果、731部隊の開発したある毒薬が発がん性を飛躍的に高めることに着目し、これを基に米国が作り上げたのが「抗がん剤」なのだという。だから抗がん剤がガンを治さないどころかガン患者の寿命を縮めている現状も、当然といえば当然なのだ。ブラックすぎる落語だと笑う両名。抗がん剤が一般的な治療法として普及している日本は、このように過去の過ちのツケを国民全体で払っているわけなのだった。日本人よ、ガンになっても抗がん剤はやめておくのだ。お掃除用EMWを飲用した方がまだしもなのだ。

幸い精神薬にも抗がん剤にもお世話になっていない宇宙人、もとより医者嫌いなので医療の害厄とは当面無縁であるが、船越氏の暴くあれこれを読むにつけ、すっかり食事に対して懐疑的になってしまった。以前はオーガニック食品など必要とも思われず、そもそも味の違いが全然判らなかったし、こだわるのはせいぜい国産野菜と肉くらいで、コメは当然国産だからとセールの安いもので済ませてきた。子供の頃から飲み物は牛乳で育ってきたし(だからデカいのだ)、反動で緑茶は苦くて飲めなかったし、安い卵を食ってきたし、肉はもともと好きではなく、好物は野菜と果物と、子持ちししゃもの丸かじりとかだった。納豆だって子供の頃は臭くて食べられなかった。大人になって食べられるようになったのだ。だから私は「好きな食べ物は何ですか」なんて質問はナンセンスだと思っている。好きな食べ物は年齢によって変わるし、その日の気分でも変わるからだ。

思うに、子供の頃は体内の老廃物の蓄積がなく、健康そのものだったので特に健康に留意した食品を体が必要としていなかったのではないか。代謝が速いから毒物をうっかり入れてもすぐに排出できたのだ。でもだんだん年を取ってくると代謝は遅れ、老廃物の排出は滞ってあちこちに溜まり、吹き溜まりが血栓になったり腫瘍になったりする。だから年を取るにつれて食べたいものが変わるのである。危ないものは自然に敬遠するようになるのである。
かくいう私も若い頃は先進国ではない不衛生な国々に暮らしたが、強力な大腸菌部隊を体内に養っていたため大抵のものは分解できるという自信があった。今はない。あの精鋭部隊はどこへ行ったのであろう。ここ数年はジャンクフードさえ分解できる自信がなく、スナック菓子も微妙になってきた。だってお通じのニオイが変なんだよ。若い頃はそんなことなかったのに。ああわが部隊よ、どこへ。
そんなわけでメニューは洋食から和食へ完全シフトし、納豆は常食品に格上げされ、これまで常食だった乳製ヨーグルトは三日前から格下げ、代わりに豆乳ヨーグルトが台頭している。今はもうすぐ切れる醤油と味噌を国産有機丸大豆で固めるべく、スーパー巡りが続いている。予想だにしなかった展開である。それもこれも年を取ってきたからだ。誰も労わってはくれぬので、せめて自分で労わるのだ。

船越氏の著書によれば、ある研究者が2年7カ月というネズミの寿命と同じ長さの時間をかけて、3グループに分けたネズミにそれぞれイギリス食(肉食代表)、インド食(カレーと調理野菜)、フンザ食を与えて観察した。フンザとはヒマラヤ南麓に位置する長寿村で、そこで常食されている質素な菜食メニューがフンザ食である。結果、フンザ食ネズミは最後まで健康を維持し、インド食ネズミはやがて老年の人間が罹るような種々の病を発症、イギリス食ネズミはこれらの病気が急激に出現した上、精神異常を来たした。イギリス食ネズミは飽食していながら共食いを始めたのである。
私などはこれにすぐピンと来た。肉食が主体の民族なり国民なりは、暴力沙汰や殺人事件が、菜食主体の民族から見ると常軌を逸しているように感じられるのだ。仮に日本を菜食とするなら(明治維新まではそうだった。他にもベトナムとかイモ食の原住民の国とかはある)、我々の目には十字軍をはじめ何百年も戦争に明け暮れていた欧州の歴史は、その抗争の目的からして理解しがたいものだし、建国以来戦争を公共事業としている米国に至っては、一体何がしたくてわざわざ余所の国へ出向いてまで殺戮しているのか、単なる金儲けのためだけでは説明しきれないような気がしていた。中国だってそうだ。共食いとはね。まさに肉類常食による脳病症ではないか。

この話を聞いても私と同様に感じる人はそういないかもしれない。私も肉食していた若い頃であったらピンと来なかったかもしれない。でも今はピンと来るものがある。物事に合点がいくタイミングというのがあるのだと思う。以前は納豆が嫌いだったが、いつからか体が欲するようになってピンと来た。緑茶も飲めなかったのが、いつの間にか旨いと感じるようになった。逆に牛乳はもはやごくごくとは飲めなくなって久しいし、肉もいつの間にか魚にシフトしていた。食事の回数がいつの間にか減り、間食が減り、空腹を感じてから食べる食事が旨くなった。その変化が、今の自分に一番ぴったりなのだということが判るタイミングというものが、あるように思うのだ。そうだ、算命学も変化があることを自然とし、停滞を澱みとして忌避している。食べる事にも変化が生じるのが自然なのだ。おかしな食事をしていても、老いと共により自然に則した食事へと回帰していくものなのだ。そのように目下、ピンと来ている。
by hikada789 | 2015-11-15 15:52 | 整体の仕組と健康 | Comments(0)
現代医療が病気を治すどころか無用に患者を増やしては死に追いやっていると主張する人たちは、取組み分野は違えど大体同じような感覚の持ち主で、宇宙人などもこの種の感覚に大いに共鳴するのであるが、土星の裏側の読者もほぼこれに倣っているというアクセス結果が出ているので、皆さんご安心を、世間が鵜呑みにしている一般論に疑問や苛立ちを感じている人はここに沢山いるのであった。もちろん土星裏の読者は絶対数がそもそも少ないので同類相憐れむ感もなきにしもあらずだが、少なくともあなたは独りではないので、腐らず胸を張って生きてほしい。
内海聡医師の『精神科は今日も、やりたい放題』は、精神科が増えるのに合わせて精神病患者が増えている実態をデータで示し、船越俊介氏はガン治療が広まるほど患者の寿命が縮まるデータを掲げている。他にもこの種のおかしな現況をツッコむ言論は後を絶たないが、世間では少数派の地位に甘んじているのは、やはり「医者にいかない方が健康を保てる」という論理が経済成長に合致しないからなのだろう。世間様は人の命よりも経済の方が大事なのだろうか。本末転倒という言葉を知らないのだろうか。

船越氏の『やってみました!1日1食』に啓発されて、自分もやってみようかなと考えている宇宙人。この本の冒頭にはビートたけしや千葉真一など著名人が1日1食生活で若さと健康を維持している実例を挙げていたが、折しもTOKYO MXの番組に千葉真一(76)が出演し、若さの秘訣を訊かれてこの本の主張と同じセリフを述べていたから、この巡り合わせは宇宙人の背中を押しているように思われる。
というわけで、もともと1日2食だったのを更に1食まで落とすべく準備を始める宇宙人。貴重な1食はもちろん栄養豊富な和食で固めるのだ。やっぱ夕飯かな。朝は野菜ジュースだけという実践者が多いようだが、私は味噌汁かフルーツ入りヨーグルト辺りにしたい。しかしヨーグルトは乳製品であり、牛肉のみならず人体には負荷のかかる食品(ずばりガンの原因だと船越氏は主張)なのだという。そこで同著おすすめの豆乳ヨーグルトを作ってみた。タネは市販のヨーグルトだが、乳酸菌の培養土を豆乳にして増やすのだ。レシピは以下の通り。

◆手作り豆乳ヨーグルト◆
【材料】
・豆乳1リットル(有機栽培、成分無調整がベスト。200円くらい)
・プレーンヨーグルト1カップ程度(自宅にあった乳製品のものを使用。次回からは出来たものを使い回すつもり)
【作り方】
豆乳とヨーグルトを土鍋に入れてよく混ぜ、フタをしてコンロで火にかける。一分後に火を止め、一晩放置する。

わが家には昔100円で買ったミニ土鍋しかないので、半量でやってみた。半信半疑だったがレシピ通りに一分で強火を止め、土鍋の保温力を信じて半日放置。朝作ったあと外出し、夜に帰宅してフタを開けたら、もうヨーグルトになっていた。簡単すぎるのだ。味見すると、乳製品のヨーグルトより酸っぱくない。豆乳の風味が嫌いでなければそのままでも頂ける。容器に移して冷蔵庫へ。翌朝、すりごまと黒煮豆をトッピングして賞味。うまい。もっと食べたい気がしたが我慢して、これを朝のひと口と決める。500mlなので四回分はある。果物を入れてもいい。次回からはこれをタネに培養しよう。

1日1食の醍醐味は、空腹状態にして若返り遺伝子をオンにすることと、食事回数を減らすことで胃腸の休憩時間を長くすることであるから、いずれ空腹に慣れたらこの豆乳ヨーグルトも夕飯にシフトしてしまってもいいかも。こうなると夕飯の一食は貴重だ。せいぜい栄養価の高いメニューを組まねば。船越氏の呪文は、ゴマ、海苔、番茶、大豆製品、雑穀、干し椎茸、麩など純和風素材。ダシやみりんも化学調味料のものはやめろという。しまった、まだ台所に沢山あるわ。ここでいきなり廃棄するという発想にはならない倹約家の宇宙人。まあ使い切ったら買わないようにするよ。シャンプーももう今使っているのが最後だから買わないのだ。無添加石けんで洗うのだ。でもコンディショナーはまだあるので、なくなるまで使うのだ。我ながら中途半端とは思うが、何事も急激な変化はいかん。ゆるゆると馴染ませるのだ。
by hikada789 | 2015-11-13 14:24 | 整体の仕組と健康 | Comments(0)
職場にいる「大人のアスペルガー症候群」社員に悩まされている友人が、実に示唆に富んだ意見を吐露してくれました。曰く、「コミュニケーション障害を扱った本はどれも、暖かく見守ってあげましょう、みたいなことしか書いてなくてガッカリした。ダメなあの人がダメな理由や病名など私にはどうでもいい。あの人に迷惑かけられているあなたは間違ってはいないのだから正直に迷惑だと言ってみよう、と励ましてくれる本はないものか。現に私はダメな人のお蔭で仕事で足を引っ張られストレスになっているのに、世間はダメな人に肩入れするばかりで、私のストレスは一向に解消してくれないのだ」。さすがわが友、正論であります。

基本的な社会能力を成人するまでに備えることができずに大人になった人間を、科学的とはいえない曖昧な判断基準で病人と診断する。その筆頭が鬱病であるわけですが、その基準の拡大解釈により国民の2人に1人が精神疾患というばかげた認識がまかり通る世の中を、私は算命学の観点から厳しく批判してきました。前回の余話#U99然り。余話#U15「鬱病を斬る」に至っては、これまでの99の講話の中でもダントツの売上を誇ります。それだけ賛同者が多いということでしょう。
わが友人のように、自分の考えに則して社会風潮を疑問視している人は案外多いということです。2人に1人が精神病の国が回るはずはないのです。常識から考えれば判りそうなものなのに、なぜ多くの人は気付かないのでしょう。それは、彼らが自分の頭で考える(印)ことをせず、誰か権威のある人(官)の言うことや単なるマスコミ情報を鵜呑みにし、更にその鵜呑みにした情報を、さも自分の高い知見かのように周囲に披露してみせる(寿・禄)からです。試しに返してご覧なさい、「その意見は誰が言っていたもの? 科学的根拠はなに?」と。即答できなければその人は借り物を鵜呑みにする人であり、自分の頭で考える習慣のないダメ人間の一味です。自分の頭で考えた意見を持っている人は即答できます。その答えに至った判断材料と経緯が脳内にあるからです。

学校教育の弊害なのか、予め答えのある問題ばかり解くことを訓練された現代人の多くが鵜呑み体質に陥っており、それはつまらぬ虚栄心(官の陰転)に支えられて、どこかの権威ある人の見解を自分の見解であると錯覚して周囲に吹聴してしまっている。権威ある人とやらが本当に真実を語っているかも判らないというのに、誰に得するわけでもないあやふやな意見をさも常識であるかのように広めてしまう。広めているのは鵜呑み体質の人たちです。こういう人たちをダメ人間と認識せずに、そのダメ人間がダメ人間を擁護する浅い見解を、現実に通用する真実として受けとめる必要などあるでしょうか。

私は算命学の五徳の印の見地から、こうしたまがい物の知識が世にはびこる仕組みは感覚的に把握できますが、一般の人にとっては信憑性が湧かないかもしれません。そんな人には、専門家であるお医者さんによる科学的、経済的解説の方が馴染みやすいでしょう。自らを「やくざ医者」と呼ぶ内海聡医師は、こうした過剰な精神病診断について怒りの内部告発を、『精神科は今日も、やりたい放題』で熱く語っています。曰く、「鬱病はわがまま病である」、「非科学としての精神医学」、「精神疾患という詐欺」、「隠れ蓑としての発達障害」。2人に1人も鬱病のわけがないと自分の頭で考えている人には、どれも心が浮き立つフレーズですね。

内科医である内海氏は、病気ではないちょっと落ち着きのない子供や内気な子供を、発達障害や精神病と診断して薬漬けにし、その薬によって本当に病気になった挙句死んでしまう例の多い医療の現状を、死亡者数や薬品の依存度・副作用率の比較、その他諸々の科学的データを掲げて客観的に分析しています。
現在鬱病の薬として処方されている一般的な薬品ひとつ取っても、その依存度は麻薬にひけを取らず、麻薬の王様ヘロインやコカインには及ばないものの、大麻やLSDやエクスタシーより依存度の数値は高いとデータは語る。患者は明らかに薬物中毒になっているから、いつまでたっても健康を取り戻せない。そんな患者に更に強い薬を処方して儲ける医者は殺人鬼ではないのか。しかもそんな医者を家族が本当に信用してしまっているのはやむを得ないとして、そうではなく、自分の思い通りにいかない子供や老人を都合のいいロボットに仕立て上げるために間違いを承知で医者に加担するとか、更に救いがないのは明確な意志をもって医者に薬殺させる、とかいうホラー映画顔負けな事例も少なくない。
「(隠れ蓑としての)発達障害」とは、まさに「大人たちが子育てにおける自分たちの無能を隠すための隠れ蓑」なのだと内海医師は看破しています。同様の見地から、私は冒頭のダメな大人について、彼らは「自分の無能を隠すため」に鬱病その他の精神疾患があることを誇示している、だから鬱病患者は自分の病気を隠すどころか誇らしげにひけらかすのだ、と申し上げたい。もちろん中には本物の鬱病患者もいるでしょう。でもそんな人は自分がウツであることを自慢げに語ったりしないし、それどころか自分がウツであることも認識できないほど脳にダメージを負っているはずです。一体どちらを社会は助けてやるべきでしょうか。本当にビョーキなのはどちらでしょう。ビョーキな人々をのさばらせることで、周囲の健康な人々が無用なストレスを募らせる社会であっていいものでしょうか。

上述の友人は、私の記事を読んで笑ったり、溜飲を下げたりしているそうです。人は笑うと血糖値が下がり、免疫力も上がることが科学的に証明されています。大麻並みの薬物に依存して健康を目指したり、つまらぬ虚栄心を満たして歪んだ笑いを得るよりも、私の拙い記事を読んで健康に近付く方がまだしも安全で安上がりだと思うのですが、皆さんはどのように感じられますか。
今回の余話のテーマは、せっかく精神病の話題が出たので、算命学が考える精神病の原因の1つである心的矛盾についてです。といってもそれほど新しい話題でも珍しい技法でもありません。上級技法の1つである局法について、精神的葛藤という角度からアプローチしてみるだけです。
局法についてはこれまでに幾つか取り上げてきましたが、その成立ちの基本理念と種類をざっと総覧して、その中でどの局に該当すると心的矛盾が強まるのかを、理屈を「考えながら」紐解いていきます。もちろん「この局に該当したら必ず精神を病む」という類の話ではありません。そういう可能性があるが、それはどういう理屈によるものなのか、という話です。自分で物事を考えて納得する習慣のない人が安易に鵜呑みにしないよう、例によって購読料を上げてありますので、ご注意下さい。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「人体図にみる心的矛盾」です。「算命学余話 #U100」で検索の上、登録&銀杏おこわ一皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2015-11-10 16:43 | 算命学の仕組 | Comments(0)
リサイクル屋には古着のみならず新品の服もよく見かける。買うだけ買って使わずに安く手放すとは何とももったいないことをする人がいるものだ。しかしそんな人のお蔭で宇宙人は乏しい財布の中身で新品を買うことができるのだ。そう考えると、見ず知らずの人が宇宙人に服を買ってくれたような気分にならなくもない。感謝の念さえ湧いてくるというものだ。もし宇宙人が金持ちで、リサイクル屋で掘り出す必要のない身分であったなら、こうした気分も感謝も生まれはしなかった。貧乏するにも得るものがあるのだよ。合掌。

先日算命学余話の売上部数が二千を超えた。実に有難いのだ。お蔭で米と味噌に不自由することはなく、旬の野菜や納豆も買えるのだ。それでもその他生活費を合わせると依然として赤字であるので、友人らはリンゴをくれたりビールをくれたり味噌をくれたりして宇宙人の寿命を延ばしてくれている。実に有難いのだ。しかも頂き物の味噌が、貧乏する前にも買ったことのない高級品だったりするのだ。もう何が貧乏なのか判らなくなるのだが、貧乏ならではの僥倖なのだ。とにかく感謝するのだ。合掌。

ところで、もともと食べ物は味より栄養を優先して生きてきたので、貧乏を機に肉食をやめたら自然と健康和食になった。和食は世界遺産に登録されているが、日本食レストランに行かないと和食にありつけない外国人と違って、一日三食自宅で和食が食える我々がどうして和食離れするいわれがあろうか。船瀬俊介著『和食の底力 見よ!奇跡の抗ガンパワー』には、贅沢とされる肉や洋食食材より安価で地味な和食食材がいかに病気や老化を退けるかが、これでもかと列挙されている。
世界ダントツの不健康食国家である米国でもセレブは本気の和食をシェフに作らせているというから、今後は和食食材産業に投資したら実入りが増えるかも。高級食材である必要はなく、味噌や醤油、海藻類、大豆製品、ゴマ、梅干しといった日用食材で事は足りる。ただし原料が遺伝子組み換えだったり農薬まみれだったりすると効能が薄れるので、とりあえず日本の食品表示は信用できるものとして、おかしな原料表示のないものを選ぶべしとある。わがタンパク源である納豆は国産豆を選んできたが、醤油や味噌まではこだわらなかった。大豆製品の原料は米国産やカナダ産が多い。今のところ「遺伝子組み換えでない」が徹底しているが、TPP後はどうなるか判らぬ。

中国産と違って先進国である米国やカナダの製品品質を疑わない人も多いかと思うが、キリスト教徒は人間至上主義の傾向が強いので、自然をねじ曲げてでも人間の意のままに征服しようという意図が働く。遺伝子組み換えのように人の手を加えたものに抵抗感が薄いのだ。日本は自然崇拝の思考から知恵が発展してきており、ヘタに人の手を入れると自然本来の姿や回復力を歪めてしまうという危機感が先に立つ。自然災害よりも人災の方に禍々しさを感じる感性が日本人には強いわけだが、和食ひとつをとってもどれも自然食ではないか。和食の発酵食品は日本固有の微生物が作っている。人間だけの力では味噌ひとつ作れないのだ。和食はおいしいだけではないのだ。自然と親和性の高いメニューなのだよ。

『和食の底力』によれば、一人前の牛肉を育てるのに20人分の穀物が飼料として与えられているという。牛肉は反エコ食材なのだ。しかもその飼料ときたら、人間ではなく家畜に食わせればいいということで農薬規制が緩く、危険な濃度の農薬の残留した飼料を牛に食わせ、その肉をTPPで日本人に安く売りつけようというのだから恐ろしい。奴らは日本人なり外国人を食害で殲滅したいのかね。似たような話を飼料以外でも聞いたことがある。米国の乳牛だったかな、牛が感染症で死なないようにするため仔牛の頃から抗生物質をバンバン投与し、その牛乳を飲んだ消費者は間接的に抗生物質漬けにされるため、いざ病気に罹った時に医者から抗生物質を処方されても全然効かない体質になっており、なす術なく死んでしまうのだという。乳牛だけの話とも思えない。乱暴な国のやることだ。

牛肉は総じて高価なので今も昔も常食してこなかったが、貧乏が功を奏したのだな。同じ理由で豚肉もほとんど買わない。最近話題の加工肉ももう何年も買っていない。安い若鶏肉をカレーに入れる程度に食べているが、その他は庶民魚、朝なら納豆だけだ。納豆だけではさすがに足りないかと思ったら、大豆のタンパク質は肉の二倍だという。じゃあもう納豆だけでいいや。国産豆でいこう。ちょっと高いといってもタカが知れているし。カルシウムと思って乳製品も食べてきたが、これからはヒジキや昆布にシフトしよう。いやもう断然安いのだ。貧乏バンザイなのだ。
野菜はもともと食ってるし、あとは白米を玄米に換えるくらいかな。でも玄米も発芽しないと意味がないとか、無農薬でないと却って危険だとかごちゃごちゃ方々の意見がうるさい。誰か正しい知識を授けてはくれないか。船瀬俊介氏は現代社会の商品がいかに金儲けのためだけに開発・宣伝され消費者の健康を損ねているかを追及するジャーナリストで、他にも『経済難民時代を生き抜くサバイバル読本』『やっぱりあぶない電磁波』『やっぱりあぶないIH調理器』『抗ガン剤の悪夢』『市販薬の危険度調べました』『やってみました!1日1食』等々楽しそうな本を多数書いている。TPP時代を健康に生き抜くために有難く拝読しよう。ああ貧乏すると毎日が有難いのだ。
by hikada789 | 2015-11-09 13:58 | 整体の仕組と健康 | Comments(0)
木製のお椀にヒビが入ったと思ったら、三日後に味噌汁が外側へ滴るようになった。日本製の漆椀で、塗りが浅く四百円程度と廉価だったがもうかれこれ十年以上使ってきた。寿命だな。大振りで、具だくさんの味噌汁や丼ものにも使え、震災で陶器が割れる中も生き延びて重宝してきたのだが。ヒビに粘土を詰めるわけにもいかないので買い替えようと店を物色。漆はやっぱり高いなあ。百均市の会津塗りは日本製だけどプラスチックなのであまり愛せそうにないし。まあ小振りの漆椀がまだあるから当面は代用してのんびり探そう。もしお宅に大振りの日本製漆椀が余っていたら安く譲って下さい。

前回の「恐怖の宿」では不愉快な経験しか得られなかったように思われるかもしれないが、実は利点もあった。事前に掃除用の汚れてもいい作業着を買おうと普段は行かないリサイクル屋を覗いたところ、丁度セールをやっていて、一本百円のパンツを大量購入することができたのだ。「ウルトラマン」を見ての通り宇宙人は総じて大柄なので、土星裏の宇宙人も身体に合った既製品には滅多に遭遇しない。普通の店でそうなのだからリサイクル屋など更に標準サイズばかりに違いないと高をくくっていたが、あるわあるわ宇宙人サイズ。セール期間だったせいか標準サイズは既に売れたらしく、残っているのは規格外ばかり。
いそいそと試着室に籠ってサイズを確認しては購入決定のパンツを積み上げる宇宙人。百円ラック以外も当たったがせいぜい高くて三百円。ちゃんとラベルも確認したが、未使用品や日本製さえあった。生まれて初めて衣類ショッピングにときめく宇宙人。大柄な人なら判るだろう。気に入った服を見つけても試着して断念せざるを得ず、すっかり買い物嫌いになってしまった空しい年月を。結局ジーパン2本に綿パン3本、麻混1本で合計800円。以前通販で中国製の1900円ジーパンを買ったが履き心地が悪くて失敗したから、ちゃんと試着したのが一着140円なんてお買い得すぎるのだ。これも恐怖の宿がケチくさかったお蔭なのだ。宿泊バイトは作業着を貸すところが多いからね。
その後もセールを狙って通い、上着なんかも数百円で手に入れたし、百円のタンクトップを解体目的で買って自宅のTシャツに繋げてリメイクしたりもした。繰り返すが宇宙人は大柄で胴が長いので、既成シャツではヘソが出てしまうのだ。これで風邪を引かなくなるのだ。わが家ではサイズが合わなくて着ていない服を捨てられずにとってあるので、リメイクに百円服を利用するのはなかなか楽しい。そのままではとても着られない派手な柄物とかも裾をちょっと拝借する程度ならいいアクセントになるし、サイズも自分の好みにできる。このように二種類の布が合体した服を着ていたらそれは宇宙人の創作なので、お見かけの際は拙い縫い目などをお笑い下さい。もちろん手縫いです。

恐怖宿の効用は何と言ってもEMWの威力の確認である。もう有難くって拝んじゃう。生き物であるEMWは一応使用期限が1年で、この時は既に3か月ほど過ぎていたのだが、異臭もせず品質は変わらず、飲用でも大活躍だった(EMWは飲み物ではありません)。知っての通り宇宙人は二年前の夏に夏バテで雑菌に感染し、腫瘍のできた喉を切開した。夏バテによる免疫力の減退が原因であるが、以来夏場は警戒してEMWの就寝前散布や吸い込みを心掛け、いらぬ雑菌を防いできた。恐怖宿は真夏でも涼しかったが雑菌はウヨウヨなので、二年前を彷彿とさせる喉の痛みを感じることが何度かあったのだ。それをEMWを合掌しながら飲み、自室にまき散らすことで、半日後には痛みを退かせることができたと私は実感している。現在わが家のEMWは二本目に突入している。
ところで新調したスプレーボトルだが、やはりこの夏の暑さのせいか、自宅使用中に黒カビが管の中に生えた。現在は3日目に残液を捨てる際にごく薄い濃度のキッチンブリーチをボトルに満たし、一晩おいて殺菌している。黒カビはすぐに剥がれる。剥がれなくても死んでいるし、何よりボトルの曇りがなくなる。しかしどのお宅でも黒カビが付くわけではないらしく、原因はわが家の築年数の古さではないかと疑っている。お宅は例えば風呂場にカビが生えますか。ウチは全然生えない。10年前水回りのみリフォームしたのだが、おそらくそれ以来黒いカビは侵入していないと思われる(ピンクのカビはいる)。しかし居間の方は大して新しくなく、例えば畳は40年ものだから前の住人のツレの雑菌とか痕跡はまだ残っているはず。こうした浮遊カビの有無がEMWのボトルのカビ発生の明暗を分けるのではないだろうか。かような環境にあっては、ボトルについた黒カビを殺してもまた生えてくる余地がある。

また恐怖宿では虫除けにハッカ油を持って行ったが、こちらも大活躍。衛生に気を配らない宿はあちこちアリの侵入を許していたが、私の部屋は小まめにハッカをスプレーして駆除に成功。帰宅後もまだ暑い東京は油断がならないので、水回りや通気口などゴの字の侵入経路に毎晩スプレーしたところ、遂に!今年は一度もあの不気味なシルエットに出会わなかった。コバエはもちろん蚊の侵入も皆無。お蔭で喉に痛い蚊よけアースや神経ガスを使わずに済んだ。えらいぞハッカ油。登山中の虫除けにも効果があり、ただし効き目が長続きしないので小まめの噴霧が必要。香りは爽やかだし天然素材でエコなのだ。賢くなったのだ。

このように人生悪いことばかりではない。というか悪い経験でも転じて知恵に換えることができるので、その方をクローズアップして、ネガティブな思い出はなるべく視界の端へどけてしまおう。宇宙人は常に職場運が悪いので、これをデフォルトだと思えばそれ以外の利点も見えてくる。「あのクソ職場を早々に去ったお蔭でこんなに素晴らしい出会いを得た」という経験が多いせいもあるが、要はネガティブな思い出に囚われて怨嗟や愚痴を撒き散らす道を選ばないということ。精神衛生のコツです。まあ転んでもただでは起きない、でもいいけどね。
by hikada789 | 2015-11-06 15:39 | 整体の仕組と健康 | Comments(0)