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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

<   2016年 02月 ( 12 )   > この月の画像一覧

最近、自分から鑑定依頼をしてきたのに結果が気に入らなかったらしい依頼人が礼も言わずに鑑定を終えたので、今日の社会における道徳や礼儀の欠如の広まりに眉を顰める宇宙人。「カネさえ払えば何でも思い通りになる」という間違った価値観がはびこって困るのだ。そもそも有料鑑定案内のページにこの種の宇宙人の苦言をわざわざ明記してあるのに、読まないで依頼してくる人がいるのだな。最後まで読んでから依頼してくれなのだ。

おかげで虫の居所の悪くなった宇宙人であったが、宇宙人以上に世間に対する吠え声の高い内海聡医師の『99%の人に伝えたいこの世界を変える方法』を読み進めて溜飲を下げるとしよう。この本は同氏の『99%の人が知らないこの世界の秘密』の続編というか解決編なので、前編書を読んでいない宇宙人は順番を間違ったが、内海医師の主張したいことはこれまで読んだ著書で判っているから問題なく読める。
この世界の歪みの原因をグローバル巨大企業の陰謀としている点がオカルトっぽく見えて、敬遠されたり批判されたりしているようだが、本人は承知の上でやっているし、どう見ても捨て身の咆哮を上げているので、土星の裏側という遠隔地からメガホンでがなり立てている気弱な宇宙人には、ケンシロウのような勇者に見える。『世界を変える方法』では医療に留まらず社会全体の病悪のとりどりを取り上げているが、私が当ブログで触れた介護や子育ての歪みに加えて、精神障害者や生活保護者という一見かよわい弱者に対してもこんな鉄槌を下している。

――知的障害と精神障害の福祉事業を自分もやっているが、基本的に精神薬をやめたいという意思を持った人を扱っている。自立の意思や薬をやめたいという意思のない人は扱っていない。…私は正義など微塵も主張する気はなく、この狂って腐った世界の中で、自立して生きたいと思っている人しか手伝いはしない。

――往々にして、生活保護を受けている人たちは極めて無計画であり、それでいてカネのことしか考えていない人間であり、生活保護が必要だという言い訳はひたすらするが、社会復帰などさらさら考えていない人間たちばかりである。…そしてまた、生活保護批判に逆ギレする生活保護受給者に限って元気三倍である。彼らは完全なまでに、人権という言葉をはき違えている。彼らには義務を果たす気もなく、責任を負う気もないのに、権利だけは延々と主張する。結局、彼らは自分のしたウンコのケツさえも拭けず、しかも他人に拭いてもらうことが当たり前だと思っており、その拭き方さえも自分の思い通りにならないと逆ギレする。そんな彼らにつけるクスリはなく、これに比べればホームレスの方が余程強く賢いと思うのは私だけだろうか。

ほら、奇しくも「自分の尻は自分で」という前回記事No.811のわが言葉と重なったので、宇宙人はご満悦なのだ。内海氏はかような過激な発言でキチガイ医師との批判を浴びているのだが、その著書をよく読めば判る通り、今の「社会的弱者」の9割はニセモノだということ。残り1割の本当の弱者を守るために、9割のニセモノには自立してもらうか、できないなら死んでくれ、というのが内海氏の医師としての提言だ。ロックですなあ。宇宙人もこれと全く同じ助言を依頼人にしたら、礼も言われず去られてしまったのだよ。内海医師の味方をするのは当然ではないか。(まだ腹の虫が収まらないのだな)

生活保護で思い出したが、3年ほど前だったか経済討論バラエティーに『苦役列車』の西村賢太が呼ばれていた。この人は芥川賞を獲るまでは石川啄木のような労働貧者で、生まれた家族も全く頼れないという経済弱者だったが、討論していた某経済学者が「あなたの老いた母親だって働けなくなれば生活保護を受けるんでしょう?」と挑発したところ、「いや、自分の母はそういう(恥知らずな)ことはしないと言ってますし、実際しないと思います」と、精神文化の旗手たる文士として怒りの表情を見せたのだった。見ず知らずの国民から生活保護というお恵みを受けて生きることを潔しとしない人種がいること、そういう人種こそ生きる価値があるというのに社会は真逆に向かっていることを、よく表したシーンであった。このシーン、よくカットされなかったな。この経済学者は自分が他人の手で尻を拭かれることを恥ずかしいと思わず、しかも誰もがそんな自分と同じ恥知らずだと思って自信満々で発言したのである。こんなのがエリートを気取っている社会なのであるよ。内海医師のロックな咆哮に拡声器も当てたくなるというものだ。

暗澹たる話になったので口直しに文化的なお知らせ。3月2日から6日まで東京国際文芸フェスティバル2016というのが開催される。しかし関連イベントはもうあちこちでやっており、宇宙人もロシア文学関連で東大のシンポジウムを見てきた。沼野充義先生司会の「世界文学村と愉快な仲間たち」なる現代文芸シンポは第五回にして最終回だと聞き、もっと宣伝してくれれば全回聞きにきたのにな、と残念がる宇宙人。でも過去のシンポの内容を含む文学談義は活字化されて、光文社から『世界は文学でできている』という連続講義図書として出版されているという。
光文社といえば最近話題の亀山郁夫訳のドストエフスキー作品が有名だが、くだらない芸人や受刑者の暴露本がよく売れる世の中にあって、ちゃんとした活字文化を守ろうとしている人たちがいるのであるよ。この講義図書は現在第三巻まで出ており、今年中に第五巻まで出す予定だそうだ。対談者は平野啓一郎、リービ英雄、亀山郁夫、加賀乙彦、辻原登、アーサー・ビナード、池澤夏樹、綿矢りさ、川上弘美等々。
フェスの方は有料・無料とさまざまあり、手近な所では新宿の紀伊國屋とか、代官山の蔦屋書店とか、丸ビルホールとかで展示やトークショーなど各種イベントを開催する。詳しくはHPをご覧下さい。
by hikada789 | 2016-02-29 17:25 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
算命学は水晶玉占いのような未来予知をするものではなく、持って生まれた宿命(=生年月日)と現在進行中の現実生活とを見比べて、より無理のない生き方を提示することによって今日的なストレスを軽減するのに有効なツールです。従って生年月日が異なれば、自ずとその人にとっての無理のない生き方とやらも違ってくるわけですが、どんな宿命に生まれようとも人間であることに変わりはなく、誰しも人間社会に暮らすことが前提です。人間社会には人間が溢れており、これらと付き合わないわけにはいきません。
そして社会には集団生活を円滑に営むためのルールがある。ルールは社会によってさまざまですが、ルールのない社会はありません。ルールの好悪は人それぞれであり、従って社会の好悪も分かれます。万人にとって都合のいいルールも社会もありません。そのルールが気に入らないならその社会を離脱して自分に合ったルールの社会を探し出し、そこへ編入してもいいでしょう。しかしどの社会も気に入らないというのなら、その人の社会適応能力そのものを疑ってみる必要があります。

戦後教育と経済優先の価値基準により他者や国家への依存を深め、自立して生きる能力も意欲も低下させた今日の日本人の惨状に対し、奇しくも内田樹氏は『大人のいない国』と称しましたが、偶然同時期に私が読んでいた徳川18代当主と養老孟司氏の対談本『江戸の智恵』にも同じく「大人のいない国、日本」という見出しがついており、当代の知恵者はいずれも同じ観点で日本人に警告を発していることが知れました。
そして、私が引き受けている運勢鑑定においても、迷える現代人である依頼人に向ける助言の定番が奇しくも「自立しろ」とか「責任ある大人になれ」であるので、算命学の語る生き方指南もまた、当代知恵者に共通する、いや恐らくはいつの時代にも通用する人間社会の真理なのだと知れたのでした。各人が自立性を取り戻し、責任ある大人としての振舞い方を身に付ければ、現代人の悩みの大半は解消することでしょうし、今の社会問題の多くも解決することでしょう。

自立も責任も忌避する今日の日本人を奴隷呼ばわりして厳しく非難し、戦闘的啓蒙発言で孤軍奮闘するお馴染み内海聡医師が、自著の中で興味深い提言をしているのでご紹介しましょう。なぜ興味深いかというと、私が算命学を通じたお悩み相談において、自立できていない大人になってしまった一部の依頼人に対して提示する助言と、内容が一緒だったからです。このような依頼人にはわざわざ算命学を駆使しての運勢判断など必要なく、内海医師の著書を読んで開眼してもらった方がよほど話が早いのではないかと思えるほどです。

――何より(病気)予防のために重要なのが、意識を高めることである。(そのためには、)
・常に自立し、人に頼らず解決する思想を持つこと
・自由や権利には責任が伴うことを理解すること
・社会や世界の構造を知るべく、一生をかけて学ぶこと
・常に自己で選択し、決断し、それに対して自ら責任を取ること
・因果関係を常に把握し、因果の輪廻を超えるべく努力すること
・抑圧と闘い、奴隷であることをやめること
・被害者意識と、正当化の枠から脱出すること
・子供、家族、地球、すべての生命を見つめ直し、最も価値あるものとすること
・自我を確立し、何の為に生き、何を目的としているかを明確化すること
・常に物質に依存していることを戒め、物質依存から脱却しようとすること
これらを常に意識しなければ、どのような予防法をとっても無駄であることは基本中の基本である。(『医学不要論』ほか)――

現代医療が単なる金儲けの現場になってしまっている社会全体の仕組みと慣習を、医師の立場から痛烈に批判する内海氏は、病気ともいえない人が容易に病院に行ったり薬を飲んだりして社会の財産を食い潰している日常の背後に、そのように人々を仕向けている医者や企業やマスコミの醜い欲望が渦巻いていることを看過せず、彼らの思う壺にはまらないよう個人個人が自ら愚行を遠ざける意識を持つべしと防衛策を提示してくれているわけですが、この提言は世の中の真理を突いているため、医療にとどまらず社会問題全体に、ひいては運勢相談の解決方法としてもそのまま使えます。
少なくとも、今の自分の悩みの解決方法は誰かに聞けば簡単に手に入ると思っている、それで物事が解決すると本気で思っている人にとっては、有効だと私は思っています。物事が解決しないのが問題ではないのです。自分で解決しようとする訓練ができていないのが問題なのです。選挙権や刑事罰適用年齢が大人の基準なのではありません。自分のことくらい自分で解決できるか、できないまでも責任は取るべきだと考えられる人間が大人なのです。たまに「責任を取る」ことの意味が判らない人がいるのですが、「自分の尻は自分で拭く」と言えば理解できるでしょうか。

さて今回の余話のテーマは前回に引き続き、八相局のひとつである八相却局(ごうきょく)についてです。八相局は全部で五種類ありますが、うち食局は少し前の余話#U91で取り上げたのでこれ以上は述べません。残るは却局と財局ですが、財局は八相局の中でも現象が弱くさほど尖ってもいないので、後回しとさせて頂きます。
却局は八相局の中では最も現象が強く出る命式であり、その問題の原因が比和にあることから、比和という相関関係を算命学が思想としてどのように捉えているか、実は比和でできている貫索星と石門星はこういう問題を抱えている、という話を展開してみます。

貫索星や石門星のない人にとっては無関係な話と思うなかれ。以前の余話でも触れたように、星の重複は貫索星・石門星と同じ意味合いを加味します。ここ数回取り上げてきた八相局なら、却局以外であっても星は必ず重複しているのです。つまり八相局かそれに準じる命式であるならば、必然的に貫索・石門の性質が加わっているので、比和の問題とは無縁ではないのです。いわんや、お騒がせ星として名を馳せる調舒星や龍高星を重複させている命式とあらば、食局・印局の特質とは別に、却局の恐ろしさについても知っておいて損はありません。そして却局の恐ろしさというか不気味さは、つまるところ比和の恐ろしさ、不気味さなのです。
今回は却局を説明するに当たって、八相局全体の共通事項にも触れますので、恐縮ですが前回に引き続き購読料にご留意下さい。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「却局の濁と比和」です。「算命学余話 #U111」で検索の上、登録&天然酵母食パン1斤分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2016-02-27 16:34 | 算命学の仕組 | Comments(0)
世間のワイドショーなネタに世間様のような感想を抱かない宇宙人の感覚は、宇宙人ならではのもので同調者はいないものと思っていたが、そうでもなかった図書に一冊めぐり会うと芋づる式に出会いが広がり、ぴったりとはいかないまでもあの部分この部分で同意見という著者たちが、古い友人のように次々現れることがしばしばある。広く読む読書の醍醐味である。
世間様は最近話題の介護施設での介護従事者による殺人事件で、当然のように加害者を非難しているが、これまた宇宙人は真逆の感想を抱いている。理由は前回の冷凍カツと同じだ。宇宙人は、いくら仕事とはいえ赤の他人のシモの世話までしなければならない介護人の方に同情を向けている。平均収入の五倍くらいもらっているなら文句は言えないが、低賃金で糞尿と痴呆と日々取っ組み合っている人間のストレスを、世間様は思いやってやらないのだろうか。自分がそれをやっていることを想像したことがないのだろうか。

老人介護は自分の親や血縁者ならまだいい。それまでの関係が良好だったならまあ仕方ないと思えるだろう。今までお世話になった恩があるし、自分が赤ん坊の頃は彼らにおしめを替えてもらっていたのだし、大変だけどタダでやってあげる気にもなる。しかし赤の他人は違うよ。タダでなんかやる道理がない。だから報酬を払うのだが、報酬が多いならいいというものでもないだろう。もしそうなら、カネさえあればこの世は何でもできるという醜い価値観を認めることになる。世間様はもうこの醜い価値観に完全に染まってしまっているから介護される側だった被害者ばかりを擁護するのだろうか。カネさえ払えば家族は老いた家人の世話を免除され、全然知らない他人に老人のお世話をさせるのが当然という価値観が普通だという風潮が、宇宙人には気に食わない。誰か同意見の人はおらぬものか。
と思っていたら、介護の話ではないが、保育園の話で同じような意見が大物の口から聞けたので、悦に入る宇宙人。その人物とは徳川将軍家第18代当主、徳川恒孝氏で、こちらも大物の養老孟司氏との対談『江戸の智恵~「三方良し」で日本は復活する』でこんな意見を交わしていた。

――保育園が足りないというある議論の場では、「家庭で子育てするのが母親の基本である」というメッセージが全く語られなかった。…これを見た若い人は、「保育園が多ければ問題は解決する」と思い込んでしまうだろう。「母親の代わりになる理想の保育園はありえない」というべきです。保育園と母親はお互い最終的には折合うことのない立場なのだから。

保育園は事情があって自分で子育てができない母親のための代用品なのに、今日ではまるでこの代用品が正しく、母親が自ら子育てするのはイレギュラーだと言わんばかり。宇宙人はこの歪みが気になっていたので、徳川の殿様や養老氏の発言が有難いのだ。同じ理屈で介護も語れるはずなのだ。社会保障はどうしても自力でやっていけない人のためにある例外的措置であるはずなのに、今日はどいつもこいつも自立を拒んで人様の世話になることばかり優先して考える。だから社会全体がおかしくなるのだ。
ついでに徳川家の人間らしいこんな楽しい意見もあった。

――江戸時代は各地のお大名には幕府に払う税金はなく、幕府からも地方交付金のような援助は一切ない。そんな中、各藩は財政立て直しのために大名から侍、農家、商人までが一丸となって名産品づくりに励んだ。特産品にブランド付けするために、どこかの知恵者が「今から千年程前にこの地には霊験あらたかなお坊さんが住んでいたという言い伝えがある」と持ち出し(作り話かもしれない)、そのゆかりの地を観光スポットとして宣伝し、名物まんじゅうなどを売り出す。こうした地場産業振興を藩のトップから末端までが共謀してやった。もちろん他藩には絶対に秘密です。

いまの地方は交付金を政府からもらうから、自力で何かを生み出そうと頭をひねらないし、政府は政府で地方の自由を奪い、上から目線で従わせようとしている、という現代政治や行政に対する批判の流れでこういう話が出た。シャレのわかった江戸時代の殿様たちを見倣え、なのだ。
要するにこの対談では、戦後の日本人が手厚い福祉やこまい法律への依存を深めたために、個々に自立して物事に対処する能力を劣化させてしまったという現代人批判が語られているのだ。そんな価値観は明治以来の欧化政策により導入されたものだが、江戸時代を振り返れば、日本人は今よりずっと自立していたし、幕府の政治も大人な人間づくりに寄与していた。ほらみろ、欧米の流儀など手本にする価値はないと宇宙人がいつも吠えて言っているではないか。宇宙人の見解がいかがわしいと思うのは仕方ないとして、せめて徳川将軍や養老氏の意見に耳を傾けろ、なのだ。
ここに挙げたのはかい摘んだものなので、正しく知りたい方は是非本書をお読み下さい。笑えます。宇宙人は笑えた。徳川家からは、18代当主の息子である19代家広氏に当ブログへ登場頂いたことがあるが、やはり家康の遺伝子は侮れない。彼らに比べたら今の政治家がいかに考えの浅い馬の骨であるかが自ずと知れるのだ。彼らの先祖は家康の時代に、一体何者であったことであろうな。
by hikada789 | 2016-02-24 21:25 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
ベッキー事件が甘利大臣の収賄疑惑に上書きされ、甘利大臣が清原逮捕に上書きされ、清原がイクメン不倫議員に上書きされる不毛な世の中、そういえばカレー屋の冷凍カツの不正転売事件とかいうのもあったなあ。随分前のことのようだが、あの事件について宇宙人は世間様とは異なる感想を抱いた。
不正は確かに悪いことだが、あの廃棄されるはずだった冷凍カツは、恐らくほとんど問題なく食えた立派な食べ物であったろうということだ。たかがビニール片の混入くらいで全量廃棄にすることないじゃないか。「このようなワケあり商品です」って正直に申告して半額セールにすれば気にしない消費者が平気で買ってくれたのでは。同じ頃、難民キャンプでは餓死寸前状態のシリア人が支援物資を首を長くして待ちわびていたので、尚更そう思った。
日本の食品廃棄率はおそるべき数値だが、同じ問題に悩むフランスは最近食品廃棄を禁じる法律を施行した。消費期限内に売り切るか、生活困窮者に無償提供するかしないと罰金をとられるとか。日本は今のところ肥料にするのが主流だが、やっぱりもったいない感が否めず、この社会的メタボ体質がどうにかならぬかと顔を顰めた宇宙人だったが、不正転売されたカツを激安で買った消費者に対しては同情しない。安さにはワケがあることに気付かないのも悪いからだ。「自分は知らなかった」と威張る輩が多すぎる。無知がそんなにエライのかい。賢い消費者なら激安の裏に隠された事情を危惧して手を出さないはずである。日本は商品の品質と価格が概ね正しく比例する有難い国なのだから、安さに走る消費者が品質と安全にそれなりのリスクを負うのは当然ではないか。アメリカ牛肉はなぜ安いのか。ブラジル鶏はなぜ安いのか。食ったら将来どうなるのか。ちゃんと考えてモノを選ばないボンヤリ者を社会が手取り足取り守ってやる義理があるか。口惜しかったら賢くなれ、なのだ。

宇宙人は貧乏だが品質重視の姿勢は今も昔も変わらず、衣服や道具など長く使う予定のものは多少値段が高くとも経年使用に耐える日本製を選ぶ。品質がいいと長もちするから寿命の短い安物を3回買い替えるより安くつく。前世紀から使用し続けている服だってまだまだあるのだ。単なる使用に留まらずエコや社会貢献を付加価値としている商品であるなら、尚更選びたい。
雑菌からわが家を守ってくれているお掃除用EMWに始まり(もちろん飲用している)、原因不明の皮膚ただれをどうやら乗り切ったらしい無添加石鹸、夏のゴの字対策で鉄壁のディフェンスを示したハッカ油(冬は使わないので今は減らない)につづき、最近は「THE 洗濯洗剤」なるエコ洗剤を試用中である。これは去年ポーター賞とかいう伝統工芸技術を今どきのデザインを加味して復活させた製品などに贈られる賞をとった中川政七商店という企業が扱う洗剤で、タンカー事故の海水浄化のために開発された技術を家庭用洗剤に転用したという変わり種である。

船上生活でも使えるよう海水でも洗濯可能なので、入浴剤を入れたお風呂の残り湯での洗濯はお手のもの。何より環境保全を目的とした開発技術なので、環境汚染の一因である界面活性剤の含有量が一般の洗濯洗剤に比べて極端に少ない。界面活性剤に頼らない別の技術で洗浄する新しいタイプのこの洗剤は、本当に自然にやさしいのである。まあEMWのように飲んでも大丈夫なレベルとまではいかないが、宇宙人がEMWや無添加石鹸に出会うきっかけとなった情報が、世間に出回る洗剤類の成分ラベルにずらりと並んだカタカナ・ローマ字の化学品名が軒並み健康・環境阻害薬品であると告げていたので、こうした化学品が入っていないか極力少ない洗剤があるならそちらを使いたいと思い、今回思い切って買ってみたのだ。

値段は大手液体洗剤の二倍程度。1ボトル2500円と聞くと高く思えるが、一回の使用量が少なくて済むのでなかなか減らない。洗浄力は普通というか、特に汚れた物を洗ったわけではないので比較できないが、問題なくキレイになる。油汚れなんかに強いのかも。芳香剤のラベンダー香が小学校の頃の習字の墨すずりのようで何やら懐かしい。しかしこれで洗濯後に流れて行く排水が勝手に浄化されるのだと思えば環境的にも安上がりではないか。もちろん日本製。ここ数年、セールで買った粉洗剤やボディソープ(今はどちらも使っていない)がいつの間にか途上国製になっていて驚き、家庭衛生に対する不安が無きにしもあらずだったが、これでひと安心だ。今の宇宙人には贅沢やもしれぬが、こういう製品は消費者が積極的に選んで潰れないようにしなければ。
ただひとつ悩みの種は、危ない化学品を使っていないせいで消費期限があること。洗剤に消費期限とは聞いたことがない。EMWの消費期限が1年なのは中身が生き物だからだが、この洗剤は腐るのか? 開封後は半年で使いきれとあるので、一人暮らしの宇宙人は友人にお裾分けして無駄にならないようにしている。このお裾分けのお蔭で友人からお返しの食品やら何やらがお裾分けされるのが嬉しい。豊かな生活とはこのことなのだ。
by hikada789 | 2016-02-21 16:10 | 整体の仕組と健康 | Comments(0)
ご本人の許可を得て、「あなたの山水画」を掲載します。ご協力ありがとうございます。
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1962年3月15日生まれ 女性の山水画
 壬 癸 壬
 子 卯 寅
大河の合流する水源に雨が降り注ぎ、大小の草木を潤している。
【解釈】
熱帯雨林のような風景です。春の大河であるあなたは、滋養を含み、草木を育てます。大河は他にも父親と配偶者を意味し、兄弟友人・子供は雨。これらはいずれも水なのであなたと性質が同じであり、寄り集まると強力ではあっても変化に欠ける集団となります。水の氾濫を抑える土性の存在がほしいところです。
樹木の母親、草花の家系は毛色が違いますが、いずれも溢れる水を吸い取ってくれます。肉親縁が薄いですが、代わりに交友関係はスムーズです。ただスムーズさが仇となって個性に欠けるきらいがあります。
by hikada789 | 2016-02-18 16:56 | 宇宙人の鑑定実績 | Comments(0)
一部の地域しか無料視聴できないらしいBSスカパーの骨太番組「ニュースザップ」を当ブログではしばしば取り上げ、そこで紹介された本の読後感想などもアップしてきたが、この番組はたまーにトンチンカンなゲストを呼んでしまう。先週は動物愛護活動家の英国出身の老婦人が出演したが、通常のゲストとは比べものにならぬほどのトンチンカンぶりを披露。日本で捨てられている多くの犬を保護しているのは結構なのだが、その犬舎はなんと床暖房付きだという。賢いMCの神田ちゃんは視聴者の疑問を鋭く読み取って、「寒さに震えている貧しい人や子供もいるなか、犬に床暖房を使うという感覚は我々には違和感がありますが、どうお考えですか」と水を向けたところ、「日本の動物保護は遅れている」の一点張りだった老婦人は聞く耳持たぬといった態度で、「でもこれが私の活動です。英国では(犬舎の)床暖房は当たり前です」と回答した。この人すごく頭ワルイ人? 質問の答えになっていないセリフが、まるで自分の痛い所を突かれた政治家のお決まりのごまかし文句のようだった。自分の正義が何より優先されるべき人なのだな。何十年も人間やっててこの程度なのだな。年はとりたくないものであるな。
番組は通常もっと知見の高い人をゲストに呼ぶから、このご婦人を選んでしまったスタッフは干されたやもしれぬ。たまーにあるなこういうミスが。2015年夏の安保法制の時も、生番組でわざわざデモを中継したのに、その日に呼んだ若手ゲストがいずれも反デモ意見を開陳し、デモを鼓舞したい番組スタッフとゲストのベクトルがまるで噛み合わない妙な空気で番組が締めくくられたのを覚えている。まあこういうリアルな意見対立も自主規制のない当番組の醍醐味ではある。

『ビヨンド・ザ・コーヴ』のこともあるが、もともと西洋文化の欺瞞っぷりが鼻について奴らの主張なり思想に賛同する気がまるで湧かない宇宙人は、No.805でちらっと紹介した服部文祥氏の『ツンドラ・サバイバル』にいたく感銘を受けた。この本は、前半は日本各地の山中における殺傷・解体・食事を含む包括的狩猟体験を連ねたレポ、後半は日本ではなくロシア極東でツンドラ狩猟民と共に過ごした獣肉サバイバル記という二本立てになっている。著者は黒澤明の映画『デルス・ウザーラ』の主人公デルスが憧れの人だというだけあって、念願叶って極東先住民と野営を共にし、その体験から狩猟民族に魅力を感じる所以が何なのかを考察しているのだが、上述の老婦人に鼻白む宇宙人はこの服部氏の見解に激しく頷くものなので、名言をいくつか紹介しよう。果たして現代人の何割がこの主張に耳を傾けることだろうか。

「先住民チュクチ族は、ソ連時代に定住化政策で定住させられていたにもかかわらず、ソ連崩壊後は自らの意志でツンドラのトナカイ放牧生活に戻ったという経歴を持っている。現在は文化保護のために政府から支援を受けて、無限軌道車や発電機を使ってはいるが、その気になればモスクワの助けを借りなくても自給自足で生きていく自信があるようだ」

「カリブーとは野生のトナカイのことであり、家畜となったカリブーがトナカイである。チュクチ語ではカリブーとトナカイでそれぞれ名称があり、更に年齢や雌雄で呼び名が分かれている。カリブーのオスとトナカイのメスの間に生まれた子はレッティアウカウという。しかし逆の組合せの呼び名はない。家畜のオスと野生のメスの間に子供は存在しない。ツンドラの大地では、飼いならされたオスになびく野生のメスはいないのだ」

「(このツンドラ行には現地ロシア人案内人が数名同行しており、うち1名はベジタリアンであるが、チュクチ族のバリバリの狩猟民ミーシャは自分の狩ったカリブーの肉を、自分たち先住民を見下しているロシア人にはやるなと服部氏に警告する。)「ファッキン・グリーンピース・ピープル」と言っていたのでかなり頭にきているようだ。…白人ロシア人の考え方は人間社会と野生とを乖離させていると私は思う。カリブーを愛でることと、カリブーを食べることのどちらが本質的な保護につながるのか。その土地と同化していくことこそが、環境保全の本質だと私は思う。ツンドラではそれは、狩って、食べることだ」

野生動物を狩って食うのは野蛮だという考えは西欧人の発明であり、西欧人に劣等感のあるロシア人はそれを踏襲している場合が多いのだが、『デルス・ウザーラ』の原作を書いたアルセーニエフがロシア人インテリであったように、ロシア人も一様ではない。宇宙人は個人的に西洋かぶれのロシア人が嫌いで、逆に東洋的思考や感覚・価値観で動く種類のロシア人の方がずっと頼りになるし好ましいと考えている。
両者をごっちゃにするとロシア人を理解しづらくなるので読者には分けて考えてほしいのだが、こと狩猟に関しては、狩猟で食べていくということは獲物の根絶が人間の根絶を意味するため、本気で野生動物を保護したいのなら獣を食生活の必需品に組み込んだ方が効果的なのだ。獣肉を沢山食べたければ(狩猟民は必要以上に狩ることはしないが)、獣たちにも大いに栄えてもらわなければならない。そのためには獣のエサである草地が必要で、頭数を増やしたければ草地つまり環境も大いに保全しなければならなくなる。間違っても破壊などはできない。こういう切っても切れない相互関係に人間も組み込まれてしまえば、わざわざ保護のために巨額な予算を割いたり、つまらぬデモで拳を上げたりする必要もなくなる。身動きもできない家畜小屋に牛豚を閉じ込めて、ストレスで病気にならないよう打ち続ける抗生物質を買う必要も、それを食べる人間の免疫システムを狂わせる必要もなくなる。どちらがより効率的で、文明的なのか。我々は文明と称しながらまるで真逆の非文明的行為に明け暮れているのではないか。

それにしても、グリーンピースはチュクチ族にさえファッキンと呼ばれているのだな。狩猟民の目は確かなのだな。数年前にはバレンツ海の油田に不法侵入したグリーンピースのメンバーを、プーチン親分がひっとらえて監獄にぶち込もうとしたことがあった。日本ではオホーツク海で拿捕された日本漁船に対する処置でお馴染みだが、この時のグリーンピースも例によって多額の保釈金と引き換えにようやく解放してもらったのだった。親分のあまりの仕打ちに、グリーンピースは以降ロシアを敵に回す活動を控えている。チュクチ族にはグリーンピースの一味と見られてしまったロシア人だが、やる時はやるよ。日本もこれくらいやらなきゃあ。

最後は、内海聡医師のごもっともな言葉でシメるとしよう。
「そもそもベジタリアン文化を唱えた欧米人こそが、世界で最も人も動物も殺し尽くしてきたのに、彼らが主張する人間として不自然極まりないベジタリアン文化に追従するなど、歴史を何も知らないと言っても過言ではない」(『医者が教えるあなたを殺す食事 生かす食事』)。
今夜のおかずはサバの味噌煮の宇宙人でした。
by hikada789 | 2016-02-14 18:58 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
恒例の年間大予想を冒頭に掲げた前回の余話は、2016年の年干支である丙申の日に生まれた人の宿命の読み方について細かく述べたのですが、あいにく人気はいまひとつでした。既にどこかで述べた通り、占いや運命に関心のある人の命式というのには傾向があり、丙火日生まれの人がその傾向から遠いことは承知していたのですが、案の定の結果となったわけです。尤も、この丙申という自然風景の解釈は非常に算命学的なので、干支の組合せの裏に隠された意味や、星をより輝かすために必要な支援星を探るヒントとしては、非常に効果的です。丙申に限らず、算命学は自然風景のバランスや特徴の増長が問題解決のカギとなりますので、基礎に不安のある学習者にはお勧めしたいです。

今回のテーマは前々回の『余話#U108玄』の八相局への関心が高かったことから、五種類ある八相局のうちのひとつである八相印局について取り上げます。八相官局とちがって八相印局(以下「印局」)は先祖からの因縁がそれほど顕著ではないので玄番からは外しますが、やはり特徴ある命式のため、これに飛びついて他の目立たない星を見落としてしまう読者の軽率を牽制して、購読料を上げてあります。ご注意下さい。

印星すなわち龍高星・玉堂星は共に知性を司る星ですが、お騒がせ星とされる龍高星が発狂を誘発する性質を持つことからも判る通り、知性と痴性は紙一重、天才と狂人は紙一重です。いくら命式に知性星が多くとも、その知性を遺憾なく発揮できなければその命式は宝の持ち腐れであり、むしろ知性星のない人より頭が悪かったりすることはよくあることです。
知性を司っているからといってまっすぐ知性に結びつくわけではない、というのが算命学の冷ややかな見解です。知性というのはまず磨かれなければならず、そのためには何より子供のうちから高度な倫理観に裏付けられた優れた教育を授けなければならないのです。
そんな扱いの難しい知性星をいくつも抱えた命式の人とはどういった傾向を辿るのか、その辺りを考察してみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「印局の諦念と達観」です。「算命学余話 #U110」で検索の上、登録&ドネールケバブ1個分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2016-02-12 19:10 | 算命学の仕組 | Comments(0)
江戸の狂歌師、大田蜀山人の名句。
「世の中に 人の来るこそ うるさけれ とはいふものの お前ではなし」

年を追う毎に偏屈さに磨きのかかる宇宙人は友達が少ないのであるが、そしてそれは全く苦にならないのであるが、わが選りすぐりの友人らとたまの会食などで楽しく過ごすとき、ああこの名句を言ってあげたらわが心中の謝意が伝わるであろうと思うのだ。会話の端々に当世人批判が滲み出る、いや噴出さえする宇宙人は、目の前に座っている友人を批判しているわけではないことが正しく伝わっているだろうかと、少々不安になることがある。そうだ、次回から言ってあげよう。
しかし逆にこちらが「お前のことは大嫌いだ、あっちへ行け」オーラを全身から発散させているというのに全く気付かず摺り寄ってくる鈍い輩もいて、気の短い宇宙人はこういう奴が二度とアホ面を近付けないよう、誰が聞いても聞き違えのない明確な意思を示した語彙を機関銃のように発射して撃退するのであるが、これをすると同席者が凍ってしまうので何か良い手はないものかと思っていた。そうしたら蜀山人の名句をたった2文字替えただけで真逆の意味になる名句を、内田百閒が発明してくれていた。
「世の中に 人の来るこそ うれしけれ とはいふものの お前ではなし」

ちょっと使用方法が違う気がするが、機関銃連射できない場での柔らかな対処法として覚えておこう。
このところ含蓄ある文章を並べた良書に続けて遭遇し、土星裏で紹介したいがとても書ききれないので、その一部の名言だけ少し紹介しましょう。脳ミソの柔軟体操にお使い下さい。
まずは紛争地域で武装解除活動に何度も従事した東京外大教授、伊勢崎賢治氏の『本当の戦争の話をしよう~世界の「対立」を仕切る』より。

「インド独立の父ガンディーは、非暴力による不服従は暴力より圧政者に対して有効だと言っている。だけど、臆病と暴力の二者択一を迫られるとしたら、躊躇なく暴力をとる、とも言っている。つまり非暴力とは、圧政者の暴力にもひるまない精神力の上に成り立つものだと。非暴力主義というのは死を覚悟しなきゃならない状況で威力を発揮するもので、気軽なものじゃない」

宇宙人の当世人批判には、自分の単なる臆病を崇高な非暴力主義にすり替えて悦に入る輩が多いという主張も盛り込まれているので、この名言に万歳三唱なのだ。つぎ。

「僕自身の経験から明確に言えることがあります。「テロリスト」の人権は、考慮されないということです。別の言葉で言うと、人間を、その人権を考えずに殺すには、「テロリスト」と呼べばいいのです」

コメントは不要でしょう。次に山中で仕留めた獲物を食しながら登山する「サバイバル登山」なるスタイルを発明した服部文祥氏の『ツンドラ・サバイバル』から。

「困難や恐怖のなかで自分を失わず、生き続けること。これは生物の基本的な喜びだと私は考えている。「いまのはやばかった」というのは恐怖の残像ではなく、生きる喜びなのである」

死ぬのが怖いのはいま生きている自分を実感できるからである。死を顧みずISの戦闘員に応募する若者たちは、きっと「いま生きている」自分を実感できていないのだ。もちろんそこには生きる喜びもない。くすぶっている日本の若者よ、とりあえず手ぶらで山に入って釣った岩魚で空腹を満たし、生きる喜びの何たるかを知れなのだ。
by hikada789 | 2016-02-09 17:31 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
松岡正剛氏が推薦文を書いていたので珍しく国産映画を見に行った。竹馬靖具監督作品『蜃気楼の舟』。「東京からホームレスの老人達を連れ去り、小屋に詰め込み、世話をする代わりにその生活保護費をピンハネすることを生業にしている若者達」である「囲い屋」の物語なのだが、社会問題を暴露するドキュメンタリ-ではなく、カラーとモノクロを交互に組み合わせた視覚効果もあって、世話する方もされる方も漂泊しているというか漂白されているような、浮世離れした文芸作品である。
ホームレスを描いている割には映像は詩的光景に満ちており、箱舟を山奥の水辺に浮かべてみたり、あの世の入口のようなモノクロの砂丘を時間をかけて映したり、浮世離れした灰色の廃墟をさまよってみたりと、映像美が印象的なのだが、どこかで見た感がある。ああ、ソクーロフの映画だ。ソクーロフの、文豪の小説や歴史的人物といった自明のモチーフをほとんどストーリーがないような手法で、いくらもセリフがなく映像美と音響だけで引っぱるタイプの作品によく似ている。或いはパクリかもしれない。でもソクーロフを集中的に観ている宇宙人のような客などそうはいないので、バレる心配はないやもしれぬ。大丈夫だよ、ソクーロフより全然判りやすい映画だから。

やはりチラシで推薦している某映画作家の文章には、「わかるけどつまらない作品は多いが、わからないけど面白い作品にはなかなか出会えない。本作は断然後者である」とあるのだが、いやあ宇宙人の目には判りやすすぎてセリフが鬱陶しかったくらいだよ。もっと無言でよかったし、主人公の囲い屋青年の父や母の扱いももっとボカした方が映像美に合っていたように思う。青年の先輩ミツオの正体についても、わざとらしさがちぐはぐして残念だった。ワイングラスを持つ手に裕福なボンボンとしてのリアリティがなかったね。シナリオもちょっと…今どき「キミ」なんて相手を呼ぶ青年がいるかね。(自分を「まろ」と呼ぶ生物はまだ生息しているけどね。)故意に非現実性を醸したくて使ったのなら逆効果だったと思う。
いろいろけなしてしまったが、これはロシア映画に慣れた目の宇宙人から見た評価である。日本映画としては秀作なので、ちょっと浮世離れしたい気分の方にはお勧めです。渋谷アップリンクにて上映中。

それにしてもホームレスからさえむしり取ろうとする囲い屋の商魂逞しいというか、いい若いモンが真面目に働いて稼ごうという気にならない安易な搾取の発想に、資本主義の歪みを見る思いがする。自分で何かを生産するより既にあるものを人から奪った方が効率のいい稼ぎ方なのだ、という発想は西欧の植民地支配時代の常套だ。中国の高品質なお茶や絹を買い過ぎて貿易赤字になった英国が赤字解消のためにやったことは、中国にアヘンを売りつけることだったが、同じ頃、江戸時代の日本人はそれまで自国生産できていなかった生糸や中国向けフカヒレの量産化など国内生産に活路を見出して、努力して品質向上に邁進し輸出国に転じるよう舵を切り、百年ほどかけてようやく対中貿易赤字を解消した(徳川家広『自分を守る経済学』)。幸い「囲い屋」のような生業は今の日本でも非難される道徳がまかり通っているが、若者よ、上述のごとき江戸時代の英国と日本とどちらが格好いいか、よくよく考えるのだ。

人のものを奪って稼ぐけしからん行為については、春休みからアップリンク他で公開される映画『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』も扱っており、『蜃気楼』よりは客を集めそうだ。こちらは昨今報道でしばしば聞く正体不明のストリート・アーティスト、バンクシーを取り上げたもの。バンクシーは、例えば対立する住民の軋轢によって無慈悲に建設された両者を隔てる壁に、窓や扉の絵を描いて平和共存を訴えたりする手法の味のある画家で、人目のない夜中に一気に描くのでその姿は誰も見たことがないという謎の人物である。この人がニューヨークに毎日一点ずつ作品を描くと告知したところ、その絵を売れば高値がつくと踏んだけしからん輩が、作品を壁から剥がして持ち去る争奪戦を繰り広げる。実に醜いのだ。お前が描いた作品でもないのになぜお前に売る権利があるのだ。発想が「囲い屋」と同じなのだ。楽して儲けることは醜い行為なのだと知れなのだ。こういう発想が幅を利かせる社会は断然間違っていると、まず子供たちに教育すべしなのだ。
by hikada789 | 2016-02-07 16:17 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
前回の「余話#U108玄」が命に関する重いテーマだったことと、八相局という偏った星並びの理解を深めるものだったせいか、八相官局以外の八相局への関心が集まっているのですが、「この星並びだからこうだ」という安易な飛びつきを予防するために一旦話を通常のレベルに戻します。2月4日に算命学のいう年が明けましたので、恒例の年初の「2016年大予想」を試みると共に、2016年の干支である丙申という組合せについて考察してみます。

まず2016年の大予想ですが、丙火は陽の火性なので太陽を、申金は陽の金性なので岩石や刀剣を表しています。自然の風景に置き換えると、地上の岩石に燦々と日光が降り注いでいる光景になります。
岩石から取り出された鉄鋼石は強力な火力を浴びることで製錬され、文明の利器である刀剣へと変化します。鍛冶場の火力としては太陽である丙火よりも炎である丁火の方が適切ですが、陰干の丁火と陽支の申金は干支として縦に並びえませんから、陰陽違いの丙火もこの際火力として刀剣作りに寄与すると考えます。
刀剣が燃えさかる炎に投じられる姿は苛酷ですが、荒々しい岩石のまま野放しにされるよりは有用の道が拓けます。このことから、刀剣が火力にさらされることを「厳しい試練や教育」と捉える見方は、算命学では常套となります。総じてこの一年は、頭上の太陽によって溶かされるような厳しい試練が降り注ぎますが、それは地上のふやけた人間たちを鍛え上げ、より有用な文明社会を築くのに貢献するだろう、という見立てになります。

算命学を知らない人にとっても想像しやすいようかなり細かく風景を描出したつもりですが、この調子でいちいちを説明するときりがないので以下は端折ります。基本的には上述のような自然の摂理が理屈となっておりますので、読者の皆さんは以下の予測の理屈がどういう筋道でそうなっているのか、同じ手順でご自由に想像してみて下さい。

「地上のふやけた人間」のふやけ具合によって、この年の試練は苛酷に感じられたりそうでもなかったりに分かれます。私の見立てでは昨今は弱者に甘い風潮が強く、それは大きくは移民・難民の扱いであったり、中規模では低所得者や生活保護受給者、高齢者への配慮であったり、個人レベルでは性的マイノリティや鬱病患者へのケアであったりと、さまざまなフェイズでここ数年注目されてきた対象への扱いであります。これらをひとくくりにして「弱者」と呼ぶならば、2016年という年は弱者にとって苛酷な一年となることでしょう。
彼らが丙火という強力な火力に炙られることで、その弱さを克服し、見事刀剣として鍛え上げられれば、苛酷な一年を経た後には既に弱者に甘んじていない、自立するのみならず他者を助ける立場の有用な人物に生まれ変わっていることでしょう。

逆に弱いままで奮起も努力もしないのなら、なまくら刀として炎の中でドロドロに溶けてなくなることでしょう。つまり、昨今の腫れ物を扱うかのように手厚い保護や支援が善しとされたトレンドは、もはや今年は通用しない。社会はそんなに甘くない、という自立したマジョリティの反撃が教育的指導となって全世界に広がることが予測されます。
彼らの猛バッシングの標的にされたくないのなら、さっさと自分を鍛えて自立するのが賢明です。家庭レベルではニートや鬱病者に厳しい一年となります。必ずしも外に出て収入になる仕事をしろとは言いませんが、世の中の役に立っているという何らかの建設的実績を上げることが急務です。
またこの弱者の中には被災者も含まれるかもしれません。弱者への支援というのは強者に余裕があってこそ成立します。強者に余裕がなくなってきている世相を注意深く観察して早めに気付き、手遅れになる前に対処しましょう。成人ひとりが自立することは、物理的にそう難しいことではありません。物理的に難しいのは障害者や重病人だけであり、支援を受けるべきはこれらの人々に限定されていくので、それ以外は否応なくお尻に火をつけられる一年なのだと観念して、人に依存する生活に別れを告げましょう。自立には責任感を育てることが肝要です。

気候的には、日照りや水不足が懸念されます。隕石の落下もありそうですが、それよりは爆弾の方が脅威かもしれません。紛争地での空爆はまだ続きそうですし、地上の醜い殺し合いも継続が暗示されます。殺し合いを止めるには、理性の力が有効です。腕力ではなく知恵をしぼれば、賢い落とし所を見つけられるでしょう。
しかしこうした世情の不安は人心に影を落とし、社会は厭世的な気分やメランコリックな絵空事に傾く懸念があります。非現実的な空想や被害妄想、トンチンカンな思い込みや理屈のない不安を煽る、煽動主義が横行する恐れもあります。いずれにせよ、正しい知識と道義に裏付けられた理性を持つ者であれば、煽動に惑わされることはありません。個人個人が自分の理性や分別を磨く努力をすれば、災厄は自ずと遠ざかるでしょう。

年間予想は以上です。ここから先は「丙申」という干支についてです。具体的には丙申の日干支に生まれた人がどのような性質を帯びているか、冒頭の五行の関係に倣って解説してみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「丙申を考える」です。「算命学余話 #U109」で検索の上、登録&恵方巻一本分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2016-02-04 16:15 | 算命学の仕組 | Comments(0)