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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

<   2017年 07月 ( 7 )   > この月の画像一覧

※宇宙人は夏休みを取らせて頂きます。鑑定をご希望の方は9月までお待ち下さい。
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世間には「旦那デスノート」なる書き込みサイトがあり、夫に対する憎しみを募らせる妻たちの日頃の鬱憤のはけ口とばかりに、多種多様な罵詈雑言が次々書き込まれているそうです。このような匿名の利く場所で日頃の恨みを発散させることが、その人の日常生活を正常に営む手助けになるというのであれば、私はこうした行為にも一定の役割があることは認めます。しかし決して褒められた行為ではないことは明言しておきます。なぜなら悪口を並べるという行為には何ら建設的な変化が期待できないからです。本当にすべきことは、こうした不平不満をその元凶たる夫自身に向けるべきであり、その対決の結果が不首尾であったならば、離婚して生活を一新させる方向へ舵を切るべきなのです。
夫に不満があるということは、その結婚は間違っていたということです。ならばその間違いを正し、より良い生活への道を自ら開拓するのが正解です。今の夫との結婚したのも彼と離婚しないのも、自分が選択したことなのです。誰のせいでもありません。自分が悪いのです。険しい道かもしれない開拓の人生に踏み切れない自分の臆病をこそ先に呪うべきなのであり、夫を呪うのは筋違いです。本当に夫が悪いのであれば尚更さっさと離婚して、負のオーラを引き寄せている夫から自分を切り離して救済すべきなのです。それをしないで悪口だけ並べていても、事態は一向に好転しません。

一般に文句や愚痴の多い人が嫌われるのは、結局のところその人自身に非があって同情するに値しないことを、誰しも判っているからです。文句や愚痴や恨み節は、原因である人物ではなく全然関係ない人に向けて発せられることがありますが、それは関係のない聞き手がこちらを非難することなく静かに聞いてくれることを期待しているからです。
恨みの元凶に直接恨みをぶつけてしまうと反撃される懸念があるため、臆病な人は反撃されない相手を選んで不満をこぼす。その臆病な姿勢には、現況を変える力はありません。擦りむいた膝を治療するのに、手首に薬を塗っても効果がないとの同じです。治したいのなら傷口に薬を塗り込む痛みくらい耐えるべきです。それができない人に対して世間一般が冷淡であることは、社会が正常である証拠です。
旦那デスノートの書き込みは、笑い飛ばして読む分には問題ありませんが、どう転んでも書き手の中に賢い妻はいないのだから、そんな愚かしい女たちの臆病な遠吠えなどまともに読み込んではいけないし、ましてや彼らを真似て自分の愚かさを露呈する書き込みを加えるのも馬鹿げた行為です。現状を招いたのは当事者である自分自身なのだということをまず理解して、その自分自身を変えることから始めるのが幸福への近道です。

運勢鑑定の依頼人の中には、このように自分の非に気付かず人のせいにばかりしたがる人がしばしば見受けられます。そしてそういう人は現状を改善するよりも、自分の不幸の原因を特定の誰かの責任にするための根拠がほしくて、宿命の中にその答えを求めることに熱心です。
こういう人を見分けるのは割と簡単です。こういう人は大抵、鬱病などの精神疾患を抱えているのですが、そうした病に自分が罹っていることを自慢げに話すのです。病気は自慢にはなり得ません。治療のために人に相談するのは大事ですが、元より病は喜ばしいことではないのですから自慢すべきではないのです。それを自慢げに話すということは、正常な判断力を失っている証拠です。そのような判断基準の持ち主の宿命を見て助言したところで、状況の改善は見込めません。従って私はこうした依頼人の運勢鑑定をお断りしています。つける薬がないからです。

精神疾患が悪いのではなく、治す気がないのが悪いのです。上述の例で云えば、夫への不満が悪いのではなく、不満を解消するために自ら行動する気がないのが悪いのです。何でも人のせいにしたがる人に、改善の余地はありません。改善できるのは自分だけです。運勢鑑定は、改善したい人ができるだけ無理なく改善できるよう助言するものであり、改善する気のない人の背を無理やり押すものではありません。
運勢鑑定に関心のない方も、愚痴や不満の多い人からは距離を取るようお勧め致します。愚痴は言う方も聞く方も利益になりません。仏教の世界では、愚痴は七つの罪の一つに挙げられているくらいです。

さて私の恨み節はこれくらいにして、建設的な話に移りましょう。先日、作家の平野啓一郎が次のような自身の体験を述べていて、私は非常に共感を覚えたので取り上げてみます。

「自分は子供の頃から家族や友人といった実際に身近に接している人間よりも、読書を通じて接する見知らぬ作家や登場人物の方に親しみを感じていた。自分の思っていることがそこに書いてあると、著者に対して非常な親近感を覚える。しかしそういう親近感を身近な家族や友人に覚えたことはない。彼らと一緒に日常を暮らすことは楽しくはあるのだが、いつも彼らを遠くに感じていた。著者の代弁者である小説の登場人物、ラスコーリニコフやスタヴローギン(いずれもドストエフスキーの小説の主人公)の方が自分にとってはリアルだった。」

これを読んで私と同じように共感する人がいれば話は早いのですが、このテーマで余話を組み立てると大変コアな話になってしまうので、今回はまだ人生半ばである平野啓一郎氏の宿命、特に人体図を題材にして、その多すぎる相剋が必ずしも人を生きづらくしているわけではないことを、解説してみようと思います。
平野氏はまだ42歳と若いのですが、デビュー当初からヘビー級の作家として知られています。ヘビー級作家になるには、高い教養や豊富な知識の他に、揺るがぬ思想が備わっていなければなりません。老年の作家が深い洞察や思想に到達するのは普通ですが、若い時分から到達するには、相応の負荷が掛かっていないと知性の熟成が進みません。
平野氏の人体図には過度なほどの相剋が見られ、これが彼の知的熟成を早める負荷になったと考えられます。このように、宿命に相剋が多いからといって悪いことばかりではないこと、逆に常人を遥かに超える輝きを放つことも可能であることについて、そのメカニズムについて論じてみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「相剋を好転させる」です。「算命学余話 #R39」で検索の上、登録&かき氷1杯分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2017-07-19 14:07 | 算命学の仕組 | Comments(0)
暑くて読書もおぼつかなくなってきた。梅雨前に渡辺京二『逝きし世の面影』を読みさして、これは久しぶりのヘビー級当たり図書だと付箋を立てたが、暑さで溶け始めた頭には密度が高すぎやむなく途中リタイア。お勧め図書なので皆様には夏休みにでも集中して読んで頂きたいが、私は秋まで延期にし、せめて軽いホラー系読み物で涼むこととした。
工藤美代子のエッセイ『もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら』は、ノンフィクション作家である著者が自身の霊的体験をつづったもので、三島由紀夫の死についての興味深いエピソードなどなかなか見どころが多かった。この著作の中でもっとグレートな霊的体験を豊富に持つ作家、加門七海が紹介されていたので、そちらにも手を伸ばす。『怪談徒然草』は対談形式で読みやすく、中身もバリバリの実話怪談だった。なかなか涼しい。

調子がいいので図書館のその種の図書コーナーを物色していると、江原啓之が魔除けの護符をずらりと掲載した本に遭遇。こんなリアルな実用本を出していたのだな。立ち読みしていたら、認知症に関する見解が目についた。先日当ブログで、認知症の原因が脳の運動不足つまり怠惰にあるのではという説を紹介したが、江原氏の意見によれば、認知症の症状としてよくある徘徊や暴言、猜疑心などの問題行動は、その人が今までの人生でやりたくても出来ずに我慢していた事を今やっている姿なのだそうだ。
家事や仕事で旅行したくてもできなかった人が徘徊するのであり、言いたい事があるのに我慢して言わずに歳月を経た人が暴言を吐くのであり、身近な人間の不実に気付いていながら目をつぶり続けてきた人が猜疑心を剥き出しにするのだと。私は霊能者でないのでこの説の真偽は判らないが、算命学の立場から云えば、持って生まれた星の未消化分を死ぬ前に一挙に消化しようとすることは大いにあり得るので(でないと子孫に渡ってしまう)、この説は肯定的に捉えたい。将来自分が認知症になった時、自分が今までどんな事を我慢し続けてそれを死ぬ前に一挙挽回しようとするのか、考えただけでも寒くなります。今のうちに無理な我慢はやめて、小出しに放出していこう。自分に正直に生きよう。

b0214800_98268.jpg画像は夏前に作った最後のレザー作品群。左からトイレットペーパーケース、猿のパスケース、プチかばん。トイレットペーパーケースは、ペットのいるお宅などで粗相を拭きとるのに便利なトイレ紙をおしゃれに包むインテリアグッズで、世間では筒型が多いようだが、製作の簡易さから箱型を試作してみた。もっと固いしっかりした革で作った商品は、重厚感・高級感が増してなかなかのお値段で売られている。画面右奥の赤いトレイと同じ革がまだウチにあるから、ご注文お受けできますよ。
猿の図柄は「焼きつけ」といって、水で濡らした革に電気ゴテを当てて茶色く焼きつつ絵を描く技法。じりじり焼きながら進めるので、ペンで描くように滑らかには描けない。複雑な絵を描くには熟練が必要だ。猿の他に恐竜のイラストも描いてみたが、こちらはしおりに仕立てて友人の子供にやってしまったので画像はない。
プチかばんは一応バネホックが開閉して中に物が入れられるようにはなっているが、あめ玉か目薬くらいしか入らない、基本チャームである。教室の先生からもらったキットで作った。今シーズンもいろいろ作ったなあ。土星裏工房の再開は運勢鑑定と同じく9月以降となります。
by hikada789 | 2017-07-15 10:11 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
信憑性のない情報をわが耳と脳みそが連携して自動的に門前払いしているらしいという話を以前したが、わが耳と脳みそがスルーしているのはいわゆる駄弁というやつだ。最近では政治家の「学園もの」質疑や、被害者意識が実際の被害そのものよりも遥かに上回る誇張表現、熟慮した意見ではなく思いつきの感想だけを延々と並べたSNS。どれも時間ばかり食って中身のない話だ。たとえ中身がなくともちょっとした世間話や笑い話なら短いから気分転換の役にも立とうが、延々と続く駄弁ともなると疲労と不快が蓄積するばかりで「もうその話はどうでもいい」と打ち切りたくなる。しかし、もしもそれが相手の狙いだとすればどうだろう。わざとやっているとしたのなら。
ドストエフスキーらと同時代に活躍した文筆家シチェードリンの『ゴロヴリョフ家の人々』は、帝政ロシアの地方貴族がその過度な強欲と吝嗇のために他人どころか身内を不幸に陥れ、膨大な富を蓄えながらも蔑まれて孤独に死んでいく姿を描いた風刺小説である。興味深いのは、この貴族は誰かを不幸にしようと意図しているわけではなく、本人としてはただ普通に生きているだけなのに周囲が不幸になっていくという図式だ。もちろん本人が考えている「普通」は全然普通じゃないのだが、そういう人いますよね、あなたの身近にも。間違った見解を自信満々に披露しては悦に入っている奴が。
この作品の主人公は法律という近代文明を盾に身内の所有する農地・農奴を次々と「相続」し、そのお蔭で破産して自立できなくなった身内を「親切にも世話してやる」ことで自分を善人だと思い込むタイプの、いやもうサイアクの男なのである。この種のサイアク男はロシアではしばしば見掛けるが、余所の国にはいないと考える作者が、欧州の代表たるフランスと比較しながら分析した辛口批評があるので、少し長いが引用してみよう。(訳が古いので適当に修正してあります)

「フランスにおいては偽善は教養によって作り上げられ、鮮やかな政治的或いは社会的な色彩を持っている。宗教の偽善、社会的基礎の偽善、私有財産の偽善、家族の、国家の偽善がある。そして最近は「秩序」の偽善さえも登場した。この種の偽善は信念とは名づけ得ないとしても、とにかく旗である。すなわちこの方法によって偽善して採算がとれると見ている人々が、その周りに集う旗である。彼らは意識的に己が旗の意味において偽善している。すなわち彼らが偽善者であることを自ら知っている。…一方われらロシア人は、強く彩色された教育体系を持たず、厳しく仕込まれず、かれこれの社会的基礎の擁護者や宣伝者を作り上げもしない。ただもう壁際にイラクサの生えるように生えるがままにして置かれるだけである。それゆえ我々の間には偽善者は大変少なく、嘘つきや虚礼家、駄弁家が大変多いのだ。我々は自分勝手に生い育ち、嘘をつき、無駄口を叩いている。…偽善が憤懣や恐怖を起こさせ得るとすれば、的もなき駄弁は煩わしさと嫌悪を目覚めさせる能がある。どちらも閉め出すべきである…」

ロシア人が批判するフランスとは西洋文化の旗手なので、現代に置き換えるのなら欧米文化といっていい。ロシアは伝統的に西洋に憧れて欧化政策をとってきた国だが、実際に西洋を知ると幻滅する要素、しかも本質といっていい要素が支配していることに気付き、こんな西洋を真似てロシアは本当に幸せになれるのかと訴える知識人はいつの時代も一定数いた。そういう文人は大体後世に名を残し、そうでない「西洋かぶれ」の知識人は消えてしまう。
日本では夏目漱石が英国留学中にこれと同じ真実に気付いたが、日本の欧化政策に貢献すべき身分である自分との間で苦悶し、精神を病んで帰国した。ロシアと日本で対西洋観がこれだけ一致するということは、信憑性の極めて高い見解であるという証左ではないか。というわけでわが脳みそは、この種の情報は門前払いせず記憶に定着させているのだが、西洋批判は置いておいて、ここでは駄弁を糾弾すべく『ゴロヴリョフ』に戻ろう。

本題について話し合おうとする人々に対し、主人公はどうでもいい駄弁を並べて問題を先送りにするので、時間が惜しい人たちは彼と議論することを断念するか、端から無駄と悟って棄権するしかない。それが主人公の狙いなのだが、主人公はロシア人であり、フランス人のような教養ある偽善者ではないので、こうした駄弁を目的意識をもってやっているわけではなく、ただ「イラクサが生えるが如く」自由に振舞っているだけなのである。天性の駄弁家というわけだ。従って本人に駄弁しているという自覚はない。しかし聴く方はたまったものではない。こんな無駄口に付き合うのは馬鹿げているから、自分の権利を放棄してでもこの男から離れるしかない。でないと自分の仕事ひいては人生に支障が出る。
この図式、今の日本の政治と国民の関係に似ていませんか。選挙の投票率が低いのは、国民の政治への関心が低いのは、議会が本当に大切な議論をせずに駄弁を繰り返しているからではないでしょうか。小説では、読み書きできなくとも畑仕事は立派にこなすベテランの農奴が、主人公の所有物にだけはなりなくないと切実に訴えるセリフがある。「あの人はあんまり怖くはねえだ。でも一方的で、言葉を惜しまねえだ。言葉でさ、あの人は人間を腐らせることができるだよ。」

無駄な言葉の羅列で腐っていませんか、国民の皆さん。大事な本題についての議論を避け、どうでもいい枝葉末節にばかり時間を割いた結果、主人公は身内すべてを破滅させ、農奴にも見限られ、使い道なく膨れた財産を受け継ぐ人も得られず、朽ち木のように死にましたよ。そういう人間を風刺した作家が、150年前のロシアに既におりました。
小説のあとがきにシチェードリンに対する評価があったので、最後にそこからの抜粋を記しておきましょう。文筆家シチェードリンが残した小説はこの作品のみで、雑誌や新聞に書いた痛烈な社会批評の方が主戦場でした。同時代の文豪チェーホフが1889年5月のシチェードリンの訃報を受けて寄稿した文章です。
「ちっぽけな、精神的に欺瞞を習わしとしているロシアの中流インテリゲントの中に巣食う、あのやくざな精神は、最も強情にして執拗な敵(=シチェードリン)を失いました。暴露することは、どの新聞屋もなし得ます。揶揄することは、ブレーニンもなし得ます。しかしあからさまに蔑むことは、ひとりシチェードリンのみがなし得るところでした。読者の2/3が彼を好かなかったが、誰一人、彼の蔑みの誠実さを疑う者はいませんでした。」
有権者や読者や視聴者に好かれたくて誠実さをかなぐり捨てた政治家とマスコミに聞かせたい、中身ある言葉です。
by hikada789 | 2017-07-13 09:26 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
現代の天体観測によれば、宇宙空間を彩る恒星は単星より連星の方が圧倒的に多いそうです。単星(単独星)・連星というのは、文字通り単独で輝いている星と、単独ではなく二つの恒星が常にセットになって運動している星のことです。例えば我々の住む太陽系の中心は太陽という恒星ですが、太陽の近くには同じように自ら輝く星がないので、太陽は単星ということになります。
一方、太陽の周りには規則正しく周回する惑星があります。惑星は太陽という巨大な星の重力を受けて引っ張られながら、同時に公転軌道を回ることで遠心力を生じ、太陽の重力に一方的に引き寄せられることなく、安定した距離を保って太陽の周りを回っています。連星というのはこの太陽と惑星の関係のように、或いは惑星と衛星の関係のように、両者が切り離せない関係にある恒星同士のことです。
尤も、惑星や衛星は恒星ではないので連星とは呼びません。星が恒星として輝くにはそれなりのサイズやエネルギー量が必要です。惑星は恒星に比べれば、象に対する蟻のように極めて小さいため自ら光を放つことはできず、太陽という巨大天体の圧倒的な影響を受けながら細々と暮らしています。それでも惑星が太陽に与える影響はゼロではありません。微々たる力ではありますが、太陽に対して引力を放っています。
もしも地球というちっぽけな惑星が突如宇宙空間から消えたなら、太陽を中心とする太陽系は今まで拮抗してきたバランスを崩し、ゆっくりと変質していくことでしょう。その変質は、太陽系全体の崩壊を早めるかもしれません。そのように小さな存在であっても、そこに存在しているということは、何らかの影響なり役割なりを果たしているということでもあるのです。

さて連星についてです。二つの恒星がカップルになって互いの重力で引き合い、その重力なり反発力なりが吊り合っているため、安定した距離を保って互いの周りを回っているのが連星です。もし両者の影響力が吊り合わない場合は、一方が他方に引き寄せられて衝突するか、両者が離れていって二度と遭遇しないか、どちらかになるでしょう。この関係、何かに似ていると思いませんか。そうです、人間関係に似ているのです。というより、人間は宇宙の一部なので、その姿や運動が宇宙の星々のそれの反映であることは当然なのです。

実際の宇宙空間に単星より連星が圧倒的に多いという事実は、非常に示唆的です。人間は単独では生きられないか、生きていたとしても大層稀だということです。そもそも単星である太陽ですらも、惑星という微小な天体をコバンザメのように引き連れています。そういう意味では単星といえども完全な一人ではないし、太陽系全体を俯瞰して見れば、太陽系外の天体群、更には銀河系外の天体群と、互いに引力を放っており、その結果互いをぐるぐると回ってとりあえず安定しています。100億年後はどうなっているか判りませんが。
つまりこの宇宙に暮らす限り、単星であっても周囲の天体の影響からは逃れられない。これと同じように、人間もまた完全な単独生活というのは成り立たないということです。単星は、「単独で存在しているように見える」というだけの話であり、輝き方がそう見せているに過ぎません。

ともあれ、連星が多いという宇宙の真理を反映して、人間もまたカップルになって存在していることの方が典型だということです。何のことかもうお判りですね。人間の陰陽、つまり男女の関係を言っているのです。というわけで、今回のテーマは星の輝きと男女の魅力についてです。具体的には、異性にとって魅力的に映る命式パターンについて、その一部を紹介します。なお男女の相性については既に過去の余話#U39や#R12玄で触れましたので、そちらを参考下さい。
前回余話#R37で挙げた女性議員の命式は、実は「かわいい女」に該当しています。かわいい女と暴言が共存しているのが納得いかない方は、以下をお読み下さい。そうすれば、女性議員と同じ命式の人が必ずしも暴言を吐くわけではない、という前回の話を補強する役に立つことでしょう。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「かわいい男女」です。「算命学余話 #R38」で検索の上、登録&つけめん1杯分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2017-07-11 18:24 | 算命学の仕組 | Comments(0)
タコ・クラゲ型宇宙人にとって苛酷な季節がやって参りました。梅雨はもう終わったのだろうか。断熱材の入っていないわが家はこの季節に長時間日差しを浴びると蓄熱するため、夜になっても室温が下がらず、遂にこの夏初めてエアコンを稼働した。節電のため襖を閉じて部屋を狭くする宇宙人。こうすると部屋はすぐに冷えるが空気が濁って息苦しくなるので、やはり長くは続かない。寝る時間を見計らってエアコンを切り、せっかく冷やした小部屋がぬくまらぬよう襖を閉じて風呂へ向かう宇宙人。台所はボイラー室のような暑さだ。この暑さのせいで、数日前にはゴの字に遭遇した。もちろん神経ガスで仕留めたが、ハッカ油スプレーの導入でもう見ずに済むかと思っていたのに、三年ぶりに侵入を許してしまった。ああ暗くて暑いキッチンが怖い。調理後はちゃんと換気扇を回しているのになぜこんなにも熱がこもるのだろう。どうしてこう床が熱いのか。なに、床?

裸足で床を踏み調べる宇宙人。熱い、ここだけ。熱源の上に立ち、天井を見上げる宇宙人。そこには電球が。築年数の非常に古いわがマンションは上下の間取りはどこも同じだ。だからわが家の電灯の下には下の階の住人の部屋の電灯がある。つまりこの熱は下の階の電球が発した熱が蓄電されたものということになるのであろうか。
一応ネットで調べると、ダウンライトなど埋め込み型の電灯だとそういうこともあるらしい。今どきの住宅施工者の意見では、通常の電灯でそういう事態は起こり得ないとのことだが、何しろ古い家だからね、わが家の電灯も今どきそうは見かけない電気の引き方をしていることだし、下の住民もきっと旧態のまま、ここに旧式の電灯を灯しているのだろう。
つまりわが家は地面からこれだけ離れていながら地熱を発する特殊住宅だったというわけだ。道理で暑いはずである。お蔭で冬は暖房いらずで助かっているが、夏は自動床暖などいらないのだよ。ハッと気付いてエアコンで冷やした小部屋の床を撫でまわす宇宙人。畳のお蔭で緩和されてはいるが、やはり電灯の直下がほんのり温かい。この真上に布団を敷いて寝ているから暑くて当然なのだ。いや驚いた。これでは避暑にも出掛けたくなるはずである。
というわけで、この夏休みも宇宙人は涼しい所へ避難するため、運勢鑑定はお休みとなります。再開は九月になりますので、どうしても今必要な方は七月連休までにご依頼下さい。下記は、ちょっとは涼しい気分になれるかもしれない北国ロシアの文化イベント案内です。

(1)ロシア語劇『検察官』
ゴーゴリの戯曲『検察官』をロシア語劇団コンツェルトなる学生有志が無料で上演。7月14日(金)19:30より早稲田大学学生会館B202。

(2)ロシアの夕べ「澤田智恵と池田慈が奏でるロシアの音楽とバレエ」
若手ピアニストとバイオリニストのコンサート。バレエ音楽も演目にある。7月15日(土)19時、たましんRISURU小ホール。全席自由2,000円のみ。

(3)公開シンポジウム「文学を読む、語る、動く」
ロシア文学者、沼野充義が司会の文芸シンポ。平野啓一郎ほか文人が出演。7月16日(日)13時より東大法文2号館2階1番教室。入場無料。

(4)日本・ロシア・ジョージア国際交流バレエ公演
ジョージアつまりグルジア出身のバレリーナはロシア国内で広く活躍しているが、国情によりこのようなタイトルの付け方になっているようだ。演目は「ショピニアーナ/ドン・キホーテ全幕」とあるので、かなり本格的。7月25日(火)17:30、めぐろパーシモンホール大ホール。3,000円~。
by hikada789 | 2017-07-09 07:08 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
『松虫』の謡稽古をしていて気付いた。「〽阿倍野のかたに帰りけり。阿倍野のかたに帰りけり」。他にも阿倍野の名前が連呼されている箇所があるし、舞台は大阪である。もしかしてこれはあべのハルカスのある場所のことですかと先生に問うたら、そうだという。つまり東京ではスカイツリーのせいで業平橋という能にもゆかりのある、歴史深い地名(駅名)が忌々しくも薄っぺらなカタカナ英語に上書きされてしまったように、大阪でも謡曲に歌われた阿倍野の原は、周囲の景観を壊す背丈の高い薄っぺらな商業施設と無機的なカタカナに上書きされてしまったというわけだ。アベノの音が残っただけでもまだましか。宇宙人は大阪の地に疎いので、『松虫』を稽古しなければあべのハルカスの元ネタが阿倍野の原であることも知らないままだったよ。日本人よ、どこの国にもあるありきたりな商業施設ばかり建てて、代わりに自分の国にしかない歴史というオリジナル性を振り捨てることで、一体何を得ようとしているのだ。「開発」といいつつ「陳腐化」している事実に目を向けるのだ。

電車に乗って吊革につかまっていたら、前の座席に座る乗客がずらりと手元のスマホを眺めていた。その顔がどれもあまりにも同じ表情で、あまりにも『食糧人類』冒頭の肥満したエサ人間の顔にそっくりだったので愕然としたよ。ただ一人、一番遠くの社会人男性だけが文庫本(字面からしてたぶん小説)を読んでいて、本には焦げ茶色の革カバーがかかっており、膝の上のカジュアルバッグは本革なのであった(もう革を見分けられる宇宙人なのだ)。同じ手元に目を落としていても、スマホを眺める目と本を読み進める目とでは動きが違う。前者は凝視するか泳ぐかし、後者は微妙に眼球が上下するが静謐だ。脳内活動の違いが雰囲気に反映するのだな。この遠くの男性に思わず声を掛けてお友達になりたくなったよ。そしてエサ人間然としたその他の乗客が『食糧人類』のように巨大イモ虫の餌場にくべられてしまったとしても、心痛むことはないであろうと思う宇宙人なのだった。

夏の演能会のお知らせです。
(1)座・SQUARE第20回記念公演
◆日時:平成29年7月17日(月・祝)13時
◆場所:国立能楽堂
◆演目:能「翁」「朝長」「乱~双の舞」、狂言「佐渡狐」、仕舞「羽衣」「邯鄲」
◆入場料:4,000円~(全席指定)
◆見どころ:宇宙人の先生が「乱」でツレをされます。

(2)第33回能楽金春祭り 路上奉納能
◆日時:平成29年8月7日(月)18時
◆場所:銀座金春通り。
◆演目:恒例の路上能。立ち見は無料見物できます。
◆関連無料イベント:8月1日から6日まで、子ども能体験教室や能楽師による講演(定員30名先着順)、能楽写真展示が行われます。場所は銀座8丁目のタチカワブラインド銀座スペース。

(3)五星会ゆかた会
◆日時:平成29年8月20日(日)10時半~16時頃
◆場所:国立能楽堂研修舞台
◆内容:金春円満井会社中の演能会。素人弟子も多数出演。
◆入場料:無料。飲食及び撮影禁止。
by hikada789 | 2017-07-06 10:20 | 宇宙人の能稽古 | Comments(2)
まるでマンガのような笑える暴言の数々で話題をさらっている女性議員の、人間性や精神状態が気になります。この種の不祥事議員の常套手段として現在は病院に入院し、世間の非難の嵐から身を守っているようですが、私が常々その報道の信憑性や公平性について疑問を抱いているマスコミの伝えるところによれば、女性議員は病室から支援者に連絡を取り、他の支援者が自分をどう評価しているかを知りたがるも、暴言その他の自分の行為について反省したり周囲に詫びたりする態度はなかったとのことです。
繰り返しますが私は今のマスコミをあまり信用していないので、こうした内容を鵜呑みにするつもりはありません。今回の事件の発端となった女性議員の秘書もまた、問題のある人物であったと伝えられております。ですので、真偽のほどを女性議員の宿命から読み解いて推理してみようと思います。
というわけで、今回の余話は下世話な鑑定演習になりますが、まだ存命の、42歳と若い、人も羨むエリート街道をひた走った末に転落した女性議員の内面について占います。陰占も陽占も大変特徴的な命式で、局法・格法の理解を深める実例として適切です。もちろん、この人と同じ生年月日の人はいくらでもいるので、その人たちも暴言を吐いているのではという安直な誤解も解くべく、一体なにが女性議員を暴言に走らせたのか、そのスイッチを入れたのは何なのかを探っていきます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「暴言女性議員を占う」です。「算命学余話 #R37」で検索の上、登録&桃タルト1切れ分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
by hikada789 | 2017-07-03 12:13 | 算命学の仕組 | Comments(0)