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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

<   2018年 01月 ( 12 )   > この月の画像一覧

ドイツの大手自動車企業が排ガス実験に人間を使っていたことが報じられた。やっぱりドイツ人はこういうことが好きな人種なんだなと天を仰ぐ宇宙人。皆さんはそのようにナチス時代のガス室その他を連想しませんでしたか。時代が変わっても国民性はそう簡単には変わらない。ドイツ人はゴミの分別も異常なほど細かく行うが、それはお金になるから必死に分別するとか。お金にならなくとも分別した方が、環境ひいては人間にも優しいだろうと感じて分別している日本人とは根本的に違うのだ。
日本人も戦争中は軍部が人体実験をしていたが、戦時ではない一般人はこういう話は苦手だ。拷問されるよりは死んだ方がマシと思っている宇宙人などは、被験者の痛みをリアルに想像して思考が止まる。しかし戦時だったのはもう70年も前のことだし、敗戦国も戦勝国も当時の人権意識は大したことなかった。時代が違ったから仕方がないと許せる。しかしリアルタイムでは無理。しかも軍部ではなく民間でなんて、ドイツ車ももう斜陽かな。私などは自動運転が今後主流になると聞いて、もうこの業界は終わりだと思った。運転手がいない以上、事故の責任が全部メーカーにかかってくると考えるからだ。皆さんは未来をどう想像しますか。

ノーベル科学者の湯川秀樹氏は武士の名残の時代に教育を受けたため、基礎道徳に仁や義といった儒教倫理が入っているそうだ。そのため、核融合理論によって原子爆弾が作れることを危惧したアインシュタインが、これをヒトラーに渡したら大惨事になるとして理論ごと米国へ亡命し、ヒトラーより先に米国に原爆保有を急がせたと聞いた時、湯川氏は「やはり彼らは我々日本人とは違うな」と思ったそうである。儒教的な思いやりの心をもって考えれば、ドイツだろうが米国だろうが原爆を渡してはならないと直感するはずだと、アインシュタインに失望したのである。
尤も戦時中は科学者であれば核融合理論は誰でも知っていて、湯川先生も周囲の同僚も知っていたし、軍部も知っていた。だから軍部は科学者たちに原爆製造を急がせたのだが、湯川先生は倫理的にやりたくなかったのでいろいろ理由を捏ねて先送りにし、結局作らなかった。大量殺戮兵器の製造を世界初成し遂げたという名誉など欲しくなかったのだ。このような湯川先生なので、後年ノーベル科学者として海外に招かれるのが嫌だったと語っている。「誰も自分の話をわかってくれない。わかってもらえないと知りながら話をするのは空しい行為だ」。これが敗戦後の日本が民族の誇りを取り戻す契機となった日本人初のノーベル賞受賞者の本音であった。

湯川先生は鉄腕アトム的な科学の平和利用を夢見ていたロマンチストで、政治には関わろうとしなかった。この辺りの事情の判る本として『旅人』という自伝があるそうだから、読んでみようかな。最近は犬型ロボットのアイボの新作が世に出たが、もはや製造元が修理を請け負わなくなった旧型アイボも一部の愛好者にいまだ愛されているそうである。この辺りが忠犬ハチ公に通底する日本人の犬、というか異種に対する仁愛精神の名残に思える。
犬型ロボットといえば米国で犬のように走る精巧な四足ロボットが開発されているが、なんと頭がないのである。頭脳に当たる部分は胴体に搭載されているので不要な頭を取ってしまった。だから走る姿がホラーで気味が悪い。どうして彼らはああいうものを作るのかな。センスを疑うよ。国民性の違いということだろう。

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by hikada789 | 2018-01-31 21:45 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
亀山郁夫・沼野充義著『ロシア革命100年の謎』は、ロシア革命を政治や経済ではなく文学の視点から解析する異色の評論対談なので、ある程度ロシア文学を読んでいる人でないとちんぷんかんぷんかもしれません。それでも有名どころの作家をおさえておけば、会話形式という利点もあって読みにくい内容ではありません。例えばこんな見解が述べられています。

メレシュコフスキーは長編評論『ドストエフスキーとトルストイ』の中で、「トルストイとドストエフスキーを見比べて、前者を肉の秘密を見抜く者、後者を霊の秘密を見抜く者、と呼んだ。しかし亀山郁夫氏は若い頃これを読んで「逆ではないか」と思ったという。なぜならトルストイの作品には性的場面や強い性的暗示を意図した表現がなく、これに対してドストエフスキーの作品には明確にあるからだ。
しかし後になって、やはりメレシュコフスキ―の分析は正しかったと思い直す。というのは、トルストイは実生活では子沢山で晩年まで子作りしていたし、おそらく自分の性欲の強さを痛感していたために、作品や思想は逆にそれを強く否定するものになったと考えるようになったからだ。逆にドストエフスキーは性的に虐げられた女性たちを多く描き、性という本能の犠牲になる人間を救済するために魂の話を持ち出した作家であった。
そう考えるとトルストイが肉、ドストエフスキーが霊という振分けは当たっていたが、一見する限りでは振分けは逆の方が当たっている。

この他にも、一般に道徳的で説教臭いと評されるトルストイは実はラディカルで、テロという実際的な暴力には与しなかったトルストイではあったが、その発言や活動は当時の社会体制を大いに揺るがす危険思想そのものだった、といった思わず膝を打つ見解が冒頭から並ぶので、両巨匠の作品を漫然と楽しんできただけの読者にも新たな思考を促してくれます。見識が深まるとはこういうことですね。

さて算命学の陰陽思想をよく知る人であれば、上述の霊と肉のエピソードにはピンとくるものがあるでしょう。霊と肉はつまり陰と陽なので、互いに対極にあるけれども、対極にあるものは対等でもあるので、容易に位置が逆転する。その価値は真逆でありながら実は等価であるという陰陽論が、この文学論に見られるからです。
だから亀山氏が若い頃、つまりロシア文学研究が未熟であった頃の両巨匠への評価が、熟練した今日になって逆転したことは何ら不思議ではありません。若い頃の亀山氏が間違っていたのではありません。それはその時の評価として当たっていたのです。しかし今や老成した亀山氏は既に若い頃の立ち位置にはなく、おそらく三十年以上経っているでしょう。三十年とは還暦の半分です。六十花甲子を半周した年月を経て、知見を深めた亀山氏の見解が真逆に至ったことは不自然ではありませんし、そうした歳月を越えた評価の振れ幅をもった作品を数多く書き残した両巨匠は、やはり真理の深い所まで到達していた稀有な作家だっと見做すことができるのです。

この対談本は是非読んでお楽しみ頂きたいですし、私もいろいろ紹介したいのですが、今回の余話はこの本から少し引用する形で、病と障害について考えてみます。というのも、一年半前の介護施設連続殺人事件の被告人の供述が最近報道されて、その報道のされ方に私が違和感を覚えたからです。
被告人の供述によれば、施設入居者の殺害を思いつく前に、風呂場で溺れかけた入居者を助けたことがあったそうです。しかしそのことについて入居者の家族は命の恩人であるはずの被告人にお礼も言わなかったと。その時被告人は、入居者が誰にも必要ない存在だと思うに至り、犯行へと突き進むようになったと言います。実にリアルな話です。

ドストエフスキーの名作『罪と罰』は、まさにこうした動機を同じくする犯行の話です。主人公ラスコーリニコフは社会の誰にも必要ない、それどころか害悪にさえなっている金貸し老婆を殺害することで、正義を成し遂げようとするのですが、やはりそれは一方的な殺人以外の何ものでもないので最終的に罪を認めて自首します。しかしながら、読めば判りますが、主人公は最後まで自分の罪を認めたくないようです。紛うことなき悪人を倒して何が悪いの、こんな感じです。連続殺人の被告人と実によく似ている。
報道では、当時の入居者で被害に遭ったけれども生き延びた知的障害者の家族にインタビューする映像が流れ、白髪の老夫婦が白髪の中年息子を介護している。上品そうな老父曰く、「障害者であっても家族にとっては大事な存在だ。社会に必要ないなどと他人にとやかく言われる筋合いはない、余計なお世話だ」とのことでしたが、私の違和感はこの点です。
溺れた入居者の家族がこういう家族であったなら、被告人は入居者が誰にも必要ないという考えに至らなかったと思うのですが、実際はこういう家族ばかりではないという事実がスルーされていること。次に、この上品で心優しげに見える老紳士もまた、おそらく財力があって、大事であるはずの息子を施設に入れ、面倒な介護を人に任せている事実がスルーされていること。そして報道キャスターが、こうした肝心な部分をスルーしたまま盲目的に老夫婦の意見を支持していること。皆さんは如何ですか。違和感を覚えませんか。
今回の余話では、こうした点を踏まえて病や障害を算命学的にどう捉えるべきかを考えてみます。物騒な内容なので興味のある方のみご覧下さい。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「病と障害を考える」です。「算命学余話 #R54」で検索の上、登録&おでん1皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

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by hikada789 | 2018-01-28 18:57 | 算命学の仕組 | Comments(0)
土星裏工房の本革グッズを愛用してくれている友人の注文で画像のようなミニ手提げを作ったところ、同じ物を作って同窓会で売れと入れ知恵された。卒業校で何十年に一回くらいの頻度で催される同窓会では、趣味の広い卒業生の便宜を汲んで模擬店を出してよいことになっている。今年はわが学年が当たっているが、仲の良かった友達が来るのでなければ欠席の予定であった。入れ知恵のお蔭で俄かに参加意欲と創作意欲が湧いてきた。b0214800_19095507.jpg
というわけで、このいかにもシンプルなミニ手提げ (20×15×10.5cm) 、及びひと回り大きいサイズの近似形バッグを色違いでいくつか作ろうと思います。加えてパスケースやポーチなどの日用品もまとめて作るので、同窓会へご参加の方、或いは全然関係ないけど興味のある方、こういう色だったら注文したいという方は、なるべくご意向に沿う物を作りますのでお問合せ下さい。また肌色のヌメ革に彫刻加工した工芸っぽい作品も合せて作ります。試作品の画像を今後アップしていくのでご参考下さい。No.1023の画像のペルシャ柄も、色目を変えてミニ手提げの部分装飾に使う構想あります。
利点は市販製品より安いことと、余計な装飾がないこと、宇宙人印ってことくらいかな。類は友を呼ぶので、宇宙人の友人は余計な装飾を好まずシンプルな製品をお望みだ。宇宙人もそうだからシンプルな作品しか作る予定がない。そもそも技術もない。装飾性の高いグッズをお好みの方はデパート等でお求め下さい。

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by hikada789 | 2018-01-25 19:30 | その他 | Comments(0)
TOKYO MXの長寿番組「西部ゼミナール」のお蔭で以前より賢くなったと自負している宇宙人であるので、西部邁氏自殺の一報を聞いた時は驚いたが、その後かねてより決めていた自裁死であることを知り、腑に落ちた。世に絶望した勢いで自殺する輩は多けれど、西部先生は勢いで河に飛び込むような短絡的な人物ではなく、バリバリの左翼青年からコテコテの右翼論客までの人生史を、不思議にも矛盾せず破綻せず貫徹した、毛の生えた心臓の持ち主であるので、今更人生がうまく行かないとか世を儚んでとかの理由で自殺するわけがない。
自死の理由は老衰と無縁でない長年の闘病生活の末の、後悔しない最期を迎えるためであった。さもないと既に亡き妻を8年間共に介護してくれた娘を、再び自分を介護させることで何年間も疲弊させることになり、その先には病院における無益で高額な治療と、それを進める医者の指図を受け続けなければならないという屈辱の歳月が待っている。西部先生は誇り高い知識人なので、自分より物を知らぬ若造に体を弄られて死ぬくらいなら自死した方が潔いとのお考えであった。
宇宙人はこの意見に賛成で、無駄な延命治療ばかり続けて金づると利権を手放すまいとする現在の医療界には、何としても抵抗して死にたいものだ、そのために安楽死その他の自死プランを自分で選べるサービスの普及した社会になってほしいものだと空しい夢を抱いてきた。しかし賛同者はいくらもおらず、知る限りでも上念司が「もし私を延命治療しようとしたら、虐待でお前を訴えてやる、と医者に言ってやるつもりです」と豪語したくらいだ。宇宙人もせいぜいこれを真似るくらいしかできないものかと諦念していたが、この度西部先生が新たな解決策を提示してくれた。有難いことだ。これで少なくとも医療業界の金儲けのために苦痛の晩年を強いられる愚は避けられよう。

宇宙人は死よりも拷問レベルの苦痛の方が嫌で、この優先順位は子供の頃から変わっていないのだが、世間では無条件に死を恐れる風が定着していて、どうにも腑に落ちない。この風潮は操作されているような気がする。後期高齢者医療費が国家財政を圧迫していると言いながら結局延命治療がなくならないのは、治療よりも金儲けを優先する医療業界と、その票を当てにする政治家の都合以外に誰の利益も考慮されていないからではないのか。そのために都合の良い「死が怖い」という観念が一般常識にすり替えられたのではないのか。
国民の中には自立して生きてきた誇り高い人たちがいて、そういう人ほど人の言いなりになって望んでもいないものを買わされたり、治さなくていいものを治療されたりすることを不快に思っている。だってそれは騙されていることと同じだ。宇宙人は欲しくない物など買わないし、貰って嬉しくないものはタダでも受け取らないし、食欲がない時はご馳走が出て来ても食べないし、改善の見込みのない依頼人の運勢鑑定は引き受けない、つまりやりたくない仕事はやらない。
しかし世の人の多くはこれらを日々疑いもなく受容してしまっているが為に、本当に欲しい物が買えず、嬉しい贈与が受けられず、摂食障害を起こし、職場で鬱病になるのではないのか。みんな騙されているのではないのか。大して欲しくもない物なのに「無料」の文字に飛びつく輩が多すぎて、騙されていることに気付かないのではないのか。やりたくもない延命治療を「皆やってるから」と言われて飛びついているだけではないのか。

先日子育て中の友人が、いくらワクチンを打っても子供達がインフルエンザに罹ることを嘆き、そこに利権の臭いを嗅ぎつけていた。さすがは我が友、卓見である。インフルエンザには種類があって、その年流行するタイプを特定できないから、毎年大体この辺りという目星をつけたワクチンを打つしかないと言うが、効果の期待できないワクチンを平気で打って金をとる医者の良心を宇宙人は信用しない。本当に予防に自信のあるワクチンであるなら、有料のままでもいいから、接種の後で何らかのインフルエンザに罹った際には全額返金すべきではないか。目星が外れたのは専門家たる医療側の落ち度なのだから。なぜ素人の患者側が費用を負担するのだね。辻褄が合わぬではないか。
治療費は効果のあった時だけ払えばいいという社会にしたら、且つ延命治療はしない、生活習慣病は自己責任なので全額本人負担という社会にしたら、人心も財政も健全化するだろうと宇宙人は考えるのであるが、皆さんはどうですか。これまでの慣例をおかしいとは思いませんか。しかもそれが誰かの利益の集中のために創作された歪んだ慣例だとしたら、騙された気分になりませんか。腹が立ちませんか。腹を立てて死にたくないので、宇宙人は西部のじいさまの最期を仰ぎ見ることにするよ。納得していない人の言いなりになどならない人生にするよ。合掌。

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by hikada789 | 2018-01-23 19:50 | その他 | Comments(0)
当ブログでも案内した通り、去年の暮に演劇を二本見た。一本は東京ノーヴィ・レパートリーシアターを率いる芸術監督レオニード・アニシモフが演出を手掛けるゴーリキー「どん底」、もう一本はシベリア抑留の日本人でカザフスタンに帰化した実在人物の伝記「アクタス村の阿彦」。取り上げる題材も制作趣旨も異なるとはいえ、そしてロシア贔屓と見做されても仕方がないが、前者は余りに素晴らしく、後者はダメだった。カザフの文化程度が低いとは言わない。ソ連時代はロシアの価値観と大差なかったのだから。しかしロシアと袂を分かつこと四半世紀の間に広まった資本主義と消費生活がカザフ知識人の目を大いに曇らせた可能性は否定できない。
「アクタス」は大層俗っぽかった。特に男女の素朴な愛の表現が、まるでキャンディ・キャンディだったのだ。それで中座してしまった。宇宙人には苦しい演出だ。食い物の話題しか出てこない会話に同席するのと同じくらい居心地悪かったよ。まあ「どん底」は原作からして世紀の傑作だし、時代が変わった今でも通用する普遍的問題を扱っているため、両者を同じ土俵で比較してはいかんのだが。同じく資本主義に浸って久しいロシアであっても、文化レベルは依然高いままだ。国民性の違いといっていいだろう。武士は食わねど高楊枝なのだ。
ロシア文化といえばバレエやクラシック演奏会が主流ですが、演劇も日本人が日本語で演じてくれる劇団があるので是非一度ご覧下さい。アニシモフ演出は大道具がほぼゼロなので、余計な装飾なく演劇のエキスだけを堪能できます。以下はこの冬のロシア関連催し物の案内です。

(1)東京ノーヴィ・レパートリーシアター公演(アニシモフ演出)
以前は両国のシアターX(カイ)でしばしば上演していたが、最近は下北沢に自前の劇場を構えた模様。日本に支持層を確立したのだね。「どん底」はもう終了したが、2月から新しい演目を月替わりで上演予定。前売3500円、当日4000円。全席自由席。
◆銀河鉄道の夜:2/1~2/4
◆曽根崎心中:2/22~2/25
◆アンティゴネー(ソポクレス作):3/22~3/24
◆メディア(エウリピデス作):4/19~4/21

(2)次世代ワークショップ「バルカン地域研究の新展開」
ロシアではないがバルカン地域の民族文化の越境・接触・変化をめぐる多角的研究を目指した研究報告と講演。2月3日(土)10:00~17:15。東京大学本郷キャンパス文学部法文2号館2番大教室。聴講無料。

(3)ロシア製連続ドラマ「エカテリーナ」
近年ロシアで大ヒットした、女帝エカテリーナ二世が主人公の大型ドラマが日本のCSテレビに登場。但し有料放送なので第一話しか無料で見られない。2月19日(月)深夜24時、CS305で開始。帝政ロシアものの映画は従来ハリウッドなど外国人が制作してきたため、ロシアの感性や美意識とは無関係に話が進行するヘンテコな作品ばかりだったが、こうした自前の作品が世に出ることで映画を見る側の目も変わってくることを期待したい。

(4)井上幸義教授最終講義「ロシア語学とロシア文学の狭間で」
上智大教授の最終講義を一般公開。2月24日(土)14:30~16:00。上智大学四谷キャンパス ソフィアタワー 6-301教室。

(5)アクション映画「ガーディアンズ」
新宿、お台場他で昨日より上映開始。煽り文句は「日本よ、これが露映画だ!まさにロシア版『X-MEN』。これはマーベルへの挑戦状だ!」。私はX-MENを知らぬので何と比較しているのか判らぬのであるが、ソ連時代は「くだらない」として作らなかったSFアクション映画を近年ロシアはちょこちょこ作っており、最新作が日本へ来たわけだ。遺伝子操作によって生まれた超人たちの活劇だそうだが、日本映画は遺伝子操作で昆虫と合体して火星でゴキ人間と戦うとこまで行っているのだよ。そんな日本でどこまでウケるであろうか。まあ熊との合体人間はお国柄が出ていて妙味だとは思う。興味のある方はご覧下さい。

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by hikada789 | 2018-01-21 22:19 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
ハエにもせっかちなハエとのんびりなハエがいて、この性質で分けたグループと両者を混ぜたグループとでは、混ぜたグループの方が全体的に元気という研究結果が出ているそうです。原因は、せっかちとのんびりでは餌を取りに行くスピードが違うため、タイムラグが生じて獲物を奪い合わず、結果的に後から遅れてやって来るのんびり達も食いはぐれないということらしいです。なるほど。
昆虫の世界では、例えば鈴虫がオスばかりの籠に押し込められると共食いすることが知られています。私はこの話を聞くといつも軍隊を思い起こします。近代以前の戦争では槍や刀で大らかに戦っていたため体力の劣る女性は出番がなく、そのままの習慣で近代に突入したけれども、機関銃や戦車の時代になると通信や衛星といった武力以外の機能も戦争に欠かせなくなり、長引く大戦の影響による人手不足も後押しして、通信等に携わる女性兵士や軍属が現れるようになった。すると男ばかりだった殺伐とした世界に急に女が混じることで、近代戦の強いストレスにより精神に異常を来たす兵士の数が減ったというのです。大量破壊が可能になった近代の戦場という非道な環境にどっぷり浸かった男性が、突如として非武装の女性に接することで、平時の日常を思い出して心のバランスや分別を取り戻すからなのでしょう。人間も鈴虫も大差ないというわけです。

冒頭のハエの話は、算命学の陰陽五行説の思想からして当然のものです。現代人のストレスの根本は、均一化した社会が人々を同じ目標に向かって突進させることにより、せっかちが勝ってのんびりが負けるという図式が定着し、この図式から逃れられないことによる閉塞感や社会膠着にあるというのが、算命学的視点から導き出される結論です。
自然界の住人である人間は万物と同様、五行に振り分けられているため、五方向へそれぞれ目標を定めて進んで行けば、たった一つの獲物を全員で奪い合うという図式にはならないはずなのです。もちろん世界を五分の一に分けたところで、それぞれの五行内での競争はありますが、その中であってもたった一つの目標に全員が執着する必要はありません。目標はまず陰陽で二つに分かれますし、更に陰の中に陰と陽が、陽の中に陰と陽が分かれ、更にその中にも陰陽が、というように果てしなく細分化し、その多様性こそがこの世の姿なのです。その細分化の数が、世界人口を下回ることはありません。
今の社会は多様性を掲げながら、実際にやっていたり奨励したりしているのは単一化なので、辻褄が合わないし、そもそも単一化自体が自然の法則に即していない。その不自然さや非整合性が人々にストレスを与えているのです。

昨今は格差問題がよく議論されていますが、格差をなくすために例えば金持ちから税金を沢山取って貧乏人に分配するという政策は、算命学的には決定打とは言えません。なぜなら経済つまり金銭問題は五行のうちの禄だけの問題であって、他の福寿官印が考慮されていないからです。
禄という五分の一の限られた世界の中でパイをぐるぐる回しても、大した変化は期待できません。そうではなくて、いっそ禄を他の五行とトレードするような方策の方がより効果がある。
再三申し上げているように現代社会は禄に偏りすぎた社会なので、人間生活の価値基準をもっと他の五行にシフトしていくよう誘導できれば、禄の極端な偏りや格差も自然に解消される。実際に、裕福になることよりも健康が大事な人とか、文化的活動が大事な人とか、いろいろいるわけです。そういう人たちに単一化された禄の価値基準を押し付けて一律に分配を試みても、彼らは大して嬉しくないし幸せにも感じない。彼らの要求は別の所にあるのです。
政治家はこの辺りが判っていないように思われます。人間は多様であり、ざっくり分けても価値基準は五通りあるのです。これがあたかも一通りしかないかのように錯覚したまま政治を行うから、いつまでたっても社会の不満が解消しない。算命学の理論としてはこのように考えています。

算命学で社会問題を論じるといろいろなものが見えてきますので、学習者の方には鑑定技法のみならず、この世の諸問題について解決策を探る手段としての算命学の活用も是非お試し下さい。
今回の余話は守護神の10回目、夏生まれの丙火についてです。前回の守護神#9に出てきた「重殺軽身」に類する命式に触れ、なぜ丙火にこのような性質が付与されやすいのか論じてみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「守護神#10 丙×夏」です。「算命学余話 #R53」で検索の上、登録&さくら餅1パック分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
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by hikada789 | 2018-01-19 15:13 | 算命学の仕組 | Comments(0)
小関勲と甲野善紀の対談『ヒモトレ革命』に興味のある方がいるようなので、久々に健康ネタです。宇宙人は自身が背骨矯正専門の整体師でもあるが、自分の背骨は治せないので余所の整体院に行くしかない。その際に知り合った鍼灸師の先生が自助努力の整体法としてヒモトレの存在を教えてくれたのだ。考案者は小関氏の方で、甲野善紀氏は武道愛好者にはよく知られるカリスマ武道家だ。小関氏は単独の著書も数冊出ているが、この本は武道にヒモトレを取り入れた甲野氏の賛同も交えて両者の意見交換の形を取っている。
ヒモトレとはその名の如くヒモを使ったトレーニングで、方法は至って簡単。ヒモをタスキ掛けに掛けたり、腰回りに掛けておくだけで勝手に体の歪みがとれるというもの。お風呂以外つけっぱなしにして生活してよく、そのまま就寝してもいい。トレーニングしたい人はいろいろお勧めの体操があるが、詳細は本を読んで頂くとして、時間のない方のために概要を述べると、

◆ヒモは直径5ミリ前後で若干の弾力のあるもの。子供の体操着の巾着袋などに使われる手芸ヒモが百均で手に入る。平たいヒモや細すぎるもの、弾力のないもの、弾力のありすぎるものは不可。
◆服の上からでいいので、つけているのを忘れる程度に緩めにヒモを掛ける。上半身の歪みならタスキ掛けを、腰痛ならヘソ周りや骨盤周りに一周、座った姿勢の歪みには両膝を合わせて一周掛けたり、両足首を合わせて一周掛けたり、額まわりに掛けたり、パソコン姿勢で両肘に掛けたりと、とにかく左右対称になるよう掛ければよい。(部位によっていろいろバリエーションがあるので、興味のある方は本を参照下さい。)

本によれば、体の歪みは左右非対称ということなので、ヒモでガイドを作ってやることで体が勝手に左右対称に戻っていくという。歪みの大きい人ほど効果が顕著で、発達障害などでじっと同じ姿勢で座っていられない子供に施すと、苦も無く大人しく座って物事に集中できるようになると、現場の声が寄せられている。寝たきり老人などにも劇的な効果があったという報告もある。幸か不幸か宇宙人は長年の腰痛も最近は下火になって、会社勤めを辞めてからはストレスもなく元気なので、顕著な効用は未だ実感するに至ってはいないのだが、とりあえずタスキ掛けと骨盤周りの二本を常時体に掛けている。邪魔にはならないし、これを着けていると足を組んだり寄りかかったりする機会が減った気がする。

甲野氏はこれを武道に使用し、技の掛かり方に今までなかった変化を見出したという。その辺りも詳しくは読んで頂きたいが、宇宙人が注目したのは和服との関連だ。和服はボタンもゴムもなく、唯一締めるものといえば帯だけである。しかも締める場所はウェストではなく骨盤である。骨盤周りが一番ずれにくく、肉も血管も潰さずに済むからだ。そして和服特有の長い袖が作業に邪魔になる場合は、ヒモをタスキ掛けにして袖を垂れないようにするが、和服において締める部分は結局この二カ所だけ。このたった二カ所が、体の歪みを解消するヒモトレの基本箇所と一致しており、そもそも和服自体が単に衣服やファッションというだけでなく、健康にも配慮された構造だったのだと指摘している。日本文化は昨今では和食の健康効果が取沙汰されているが、和服にまでそんな効能が。というより体にいいからこういう形態の服装になったのだろう。順番を間違えてはいけない。

宇宙人は常々思うのだが、体にいい食事といえば和食で、他の洋食や中華その他外国の食文化が体にいいとは聞いたことがない。部分的にヨーグルトなど発酵食品に効能が認められるものの、食文化全体としていいというのが和食以外にないこの事実を認めるならば、和食以外の食文化や輸入品をことさら持て囃す世間の風潮を我々はもっと嗤うべきではないのか。健康を減退させてでも珍味を食べたい人はそう多くはないと思うのだ。今回はこれに加えて和服の効用も発見された。現代人の平服は既に洋服になって久しいが、西洋の服飾文化には悪名高きコルセットを始め、歴史を見ても不衛生・不健康な形態・素材のものが多いように思う。基本的に締め付ける部分が多いので、血行を妨げ寿命を縮める方に効果があるのだ。だから病人がベルトやゴムやネクタイやストッキングを辞めると急に健康を回復する。なるほど洋服は目には格好よく映っているが(いや着る人によるかな)、食事と同じく、格好を優先するあまり健康を損なっては元も子もないではないか。
ついでに日本語についても。日本語は曖昧さが特徴とされているが、白黒はっきりさせないことで争いを避ける方向に発達した言語だという意見がある。つまり逆に白黒はっきりつけたがる言語は思い込みや決めつけが強まり、自分の正当性を主張するあまり相手に対して攻撃的になる傾向がある。その代表が英語だ。日本人よ、平和を愛したいのであれば英語はほどほどにしておけ。意思疎通可能程度にしておけ。ネイティブのように澱みなく喋れるようになった暁には、周囲は争い事だらけという事態になるのではないのか。文字通り、英語は国際社会で戦うための戦闘言語だと宇宙人は考える。
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by hikada789 | 2018-01-17 20:28 | 整体の仕組と健康 | Comments(0)
ご本人の許可を得て「あなたの山水画」を掲載します。ご協力ありがとうございます。
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1969年5月30日生 女性の山水画
乙 己 己
巳 巳 酉
ひらけた田園に柳が葉を揺らし、野火が2カ所焚かれている。田園の下に小石が見える。
【解釈】
全体的に明るく穏やかな風景です。柳のあなたは、人生に暖かみを与えてくれる2つの野火である家系と配偶者に与する立場にあり、土台である田園が意味する父親及び兄弟友人・子供とは対立する傾向にあります。しかし野火を緩衝材にすることで田園との衝突が避けられ、最終的には小さな存在である小石の母親に還元されるような生き方となるでしょう。
性格はセンチメンタルでメランコリック。あまりに感傷的なので、周囲からは悲劇の主人公気取りと見做されかねません。もう少し現実を見つめる工夫が必要です。
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by hikada789 | 2018-01-14 19:11 | 宇宙人の鑑定実績 | Comments(0)
この時期は芸大音楽部の卒業試験公開演奏会をやっていて、試験の邪魔にならぬよう配慮さえすれば一般人にも聴かせてくれる。勿論無料だ。学生とはいえ入学するのがまず難しい学校だから、腕前は大したものである。ピアノ科の演奏はいつも人気だが、今回は指揮試験に行ってみた。受験生は二人だけ。一人は学部生、もう一人は修士課程。選曲は先生がするのかなあ、前者がショスタコーヴィチで後者はエルガーだった。私の勝手な印象ではショスタコーヴィチの方が難しそう。ピッチはきびきびと軽快だけど、前衛音楽だから明らかな見せ場というものがない。エルガーは聴きどころがはっきりしている。どうしてこっちが修士なのだろう。b0214800_17105353.jpg
案の定、修士の方がはっきりと上手かった。でも選曲のせいばかりとは言えない。修士の方が自信をもって振っていた。本人もノリノリで、プロの指揮者のように体が伸び縮みしながら揺れるのだ。あれなら背が低くても演奏者たちには判りやすい。学部生の方はいまいち自信がないらしく終始動きが硬かったから、演奏する側にもそれが伝わったのかも。何事も年季は語るのだ。

卒業試験はあと邦楽が残っていて、今月下旬に番組が組まれている。他にもこの時期ならではの、退任する教授の記念演奏会が3月に組まれており、やはり無料で聴ける。防犯上事前申込が必要な場合もあるが、興味のある方は芸大までお問合せを。
また芸大美術館では、芸術部の教授の展覧会も17日まで無料で開催しており、こちらも行ってみた。舞台美術なども手掛けた著名な芸術家らしく、お祝いのお花が入口に林立し、石坂浩二とか仲代達也とかの名前があったよ。展示も見ごたえがあった。これが無料だなんて有難い。
画像は友人の注文で製作したヌメ革パスケース。右下にシェイプパンチングで穴を空けただけのシンプルなデザイン。持ち手は同じくヌメ革レースの四つ編み仕様。いろいろチャレンジするのだ。
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by hikada789 | 2018-01-12 17:10 | その他 | Comments(0)
十年以上前になるでしょうか、大手製紙会社の御曹司である若社長が5億だか10億だかの会社の金を横領してカジノに注ぎ込み、丸ごとスッたことが発覚して逮捕されたという事件がありました。御曹司は一流大学卒だったので、これほどの愚行をやってのける人物が高学歴であるというギャップがメディアで揶揄され、私もよくもこんな愚か者が大学に入れたものだと呆れたのを覚えています。ところが最近になってこの解釈は間違いであることを知りました。御曹司は会社の金を横領したのではなく、脱税して守ろうとしていたのです。つまり会社に対する背信行為ではなく、逆に利益を守る行為だったと。
真相はこういうことのようです。日本にはまだない合法大型カジノというのは既にチェーン店化されており、世界各地に散らばるカジノ店舗が同系列店だと、その経理も互いにリンクしていて金庫は一緒である。つまりラスベガスのカジノで買ったチップを、マカオの同系列カジノに持って行って使うこともできれば、元のお金に換金することもできる。御曹司はこれを利用して会社の金を持ち出し、カジノAでチップに換える。そのチップは賭け事で使い切ったと見せかけて、実はカジノBで後日換金して取り戻す。すると御曹司は賭けグルイの大馬鹿者とのそしりは受けるが、その実多額の資金を課税されることなく海外へ逃がすことができる。要するに、マネーロンダリングのための銀行代わりにカジノが利用されているというわけです。
近年ではパナマ文書その他の暴露で富豪や企業の巨額脱税が取沙汰されましたが、あの話の続報は聞かれません。同じように製紙会社御曹司の巨額横領事件も、呆れたドラ息子の大損話として話題になった程度で、その事件の真相については世間に報じられていません。類似犯が出るのを防ぐためでしょうか。
いずれにしてもあの御曹司はその学歴に見合った知能の持ち主だったわけです。まさかそんなマネロン手法があるとは我々一般人には思いもよりませんから。そうとも知らず、我々は彼の愚行や学歴社会の弊害だけに着目して安易に嗤っていたようです。御曹司のマネロンの動機が公共福祉の精神に反することを考えれば、勿論褒められた行為ではありませんが、上辺だけの報道を鵜呑みにしてそれを嗤った我々の思考の浅さもまた自慢できるものではありません。

もうひとつ、似たような自戒の話。確か先の御曹司と同じ大学で特別講師をしている若新雄純氏が、「ブラック消費者」という独自の造語を掲げています。2017年のブラック企業大賞はアリさんマークの引越社でしたが、若新氏はかつてアリさんマークを使ったことがあり、実際安いし仕事も早くて丁寧だけど、一点だけ、従業員たちの関係がギスギスしていたことが気になったそうです。おそらくその日何件もあるノルマをこなそうと無理して急いでいるので、そのシワ寄せがきつい言葉になって現れていたのだろうと。消費者にとっては高品質に加えて安ければ安いほど有難いが、これを続けると従業員の負担は重くなる。この事実を消費者側も理解すべきだというのが若新氏の主張です。
若新氏によれば、サービスの質と値段をそれぞれ高低に分け、4つのカテゴリーに分類すると以下のようになります。
A:「品質も値段も高いサービス」=一部の富裕層向け。一般人には無関係。
B:「品質が悪くて高価なサービス」=ぼったくり。騙されなければ被害に遭わない。
C:「品質はいいけど安価なサービス」=ブラック企業の温床。しかし我々消費者はこれに飛びつき加担している。
D:「品質も値段も低いサービス」=今の日本では低すぎる品質だと淘汰されるので、実質は「品質も値段もそこそこ我慢できるレベル」ということになる。

若新氏はDに着目し、例えばセルフサービスの店などをもっと評価して、「安いのだからこれくらいの品質で充分だ」という消費者側の態度を養うべきだと主張。今日の行き過ぎたCの風潮を戒める見解を述べています。
Cを歓迎する我々一般消費者は「ブラック消費者」であり、我々こそがブラック企業を育てている、この認識を広めることでブラック企業を社会から排除できるというわけです。耳に痛い苦言ですが、その通りでしょう。ブラック企業を非難し嗤う資格は、安さを求めてきた多くの消費者にはなかったようです。価値を認めているのならそれに相応しい対価を払うべきであり、品質に見合った対価であるかどうか見極める目と分別が、今の消費者に求められているのです。

年も新たに身が引き締まったところで、今回の余話のテーマは「しなくていいこと」です。運勢鑑定を依頼される方には、しばしば「改善のために何をしたらいいか」という質問が寄せられます。その要望に応えて助言を出すことは難しくはありませんが、逆にしなくていいのにしていることについては、依頼人本人も自覚していないことが多く、本人から申し出がないと鑑定する側も正しい状況が摑めません。
現状に困っている依頼人が余計な行為を重ねて事態を更にこじらせている、ということはままあることです。その辺りについて、鑑定する側の留意点や対処法について考えてみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「しなくていい」です。「算命学余話 #R52」で検索の上、登録&七草粥セット1パック分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)
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by hikada789 | 2018-01-09 19:48 | 算命学の仕組 | Comments(0)