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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

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冬季五輪が終了しました。連日の五輪報道といい上野のパンダ報道といい、国民全員が必ずしも熱中しているわけではないネタを大々的に取り上げることで、もっと重要な法案審議や地方選挙、緊迫した国際情勢の報道が、もしかしたら意図的にスルーされた現状に白い目を向けつつも、私は今回の五輪の日本選手の活躍に大いに沸きました。金メダルの数が期待したより多かったからでしょう。やっぱり「二番じゃだめ」ですよ。特に五輪に熱中していない人間にとってはそうです。滅多に獲れない金メダルだから驚いたのです。
ところで日本選手たちの活躍に水を差すつもりはないですし、私も大いに喜んだ金メダルではあるのですが、フィギュア男子の羽生結弦の五輪二連覇については、連日特集報道が組まれたにも拘わらず誰も指摘しなかったシニカルな見解があって、いつか誰かが言ってくれるかと思いつつ大会が終わってしまったので、私がここで指摘することにしました。結論から言えば、如何に羽生選手の運が強いかということです。

私が思ったのはこういうことです。羽生選手の名コーチであるブライアン・オーサーといえば、キム・ヨナのコーチです。キム・ヨナはバンクーバー五輪で浅田真央と金メダルを競って勝利した名選手ですが、トリプルアクセルを3本そろえた浅田真央に対して3回転ルッツ止まりの技術しか持たなかったキム・ヨナの勝利を、当時の日本のマスコミは採点がおかしいのではと不満を連ねました。
私はキム・ヨナのジャンプの幅、つまりスピードが浅田より数段勝っていたのに気付いていたので、スケーティング技術で点数に差が出たのは妥当なジャッジだと思いました。でもトリプルアクセルの難易度からすれば、もっと点差が小さくても良かったとも思いました。案の定、バンクーバーの後の採点法改定でトリプルアクセルの基礎点は大幅に上がり、ルッツジャンプとの差が広がりました。それでも、ルッツジャンプ止まりの選手が高いスケーティング技術(及びGOE)を習得していれば、トリプルアクセルを持つ選手に勝つことはできる。現在はそのような採点法になっています。

これは男子についても同じです。男子は4回転ジャンプの時代ですが、現在実施されている最高難度は4回転ルッツです。一番簡単な4回転はトーループで、次がサルコー。要するに浅田真央のトリプルアクセルが男子の4回転ルッツに当たり、キム・ヨナの3回転ルッツが4回転トーループやサルコーに当たる。
羽生選手は4回転ルッツを跳ぶ技術はありますが、まだ完成度が低かったため11月に着地に失敗して大怪我を負いました。そして出場さえ危ぶまれた今回の五輪では、高難度のルッツやループをプログラムから外し、難度の低いトーループとサルコーの二本立てに絞る戦略を立てます。コーチは勿論ブライアン・オーサーです。つまりキム・ヨナの時と同じ戦略でした。
それに対し、打倒羽生を目指す各国選手は果敢に4回転ルッツに挑みます。結果は見ての通り、成功ジャンプはいくらもありませんでしたし、成功してもGOEは大してつかなかった。それに比べて羽生の4回転トーループとサルコーは、高いスケーティング技術に支えられて満点のGOEがついた。低い基礎点の4回転をGOEで補填することで、4回転ルッツに匹敵する高得点を叩き出したのです。
この羽生の勝ち方は、8年前に浅田真央を破ったキム・ヨナと同じです。つまり「難易度の低いジャンプで金メダルを獲った」。勝因はスケーティング技術と技の完成度でした。まさにブライアン・オーサーの勝利方式です。そんな羽生選手に対して日本国民は、8年前にキム・ヨナに向けたようなブーイングは勿論しません。同胞感情とはそうしたものです。でも私はこの点を冷ややかに見ておりました。

そしてなぜ羽生選手が強運の持ち主かといえば、彼が11月に大怪我を負わなかったならば、彼はリスクの高い4回転ルッツをプログラムに入れざるを得なかったと思うからです。ライバル選手たちが4回転ルッツやフリップを次々成功させているのですから、彼だってやらないわけにはいかない。やらなければ勝てないと、本人も思ったことでしょう。同じ日本代表の宇野選手でさえフリップやループを跳べるのです。
しかし「幸運にも」彼は大怪我をしました。出場も危ぶまれるほどその回復は遅く、その後の競技を全て欠場して五輪に挑むことになります。実際怪我は五輪中も完治していませんでした。病み上がりの彼に世間は同情の目を向け、プログラムの難易度を下げたこともやむなしと見做します。その結果、金メダルを獲った。難易度の高いジャンプがなかったことは問題にもされません。むしろ病後をおしてよくぞここまでやったと喝采の嵐です。怪我のお蔭でブーイングを喝采に変えることができた。まさに怪我の功名の極みです。

繰り返しますが、私は羽生選手の金メダルは嬉しいし、GOE満点の彼のジャンプを眺めるのは痛快です。だから彼の勝利にケチをつける気は毛頭ないのですが、算命学者として、こういうのを強運と言わずして何を強運と言うのか、ということを訴えたいと思います。怪我や病気は確かに忌むべきものですが、こうやって大逆転の引き金に利用することもできる。だから怪我や病気、不幸な時期を100%否定材料と見做すことはできない。それが算命学のものの見方なのです。

さて前回の余話では「返し」について言及しましたが、思った以上に購読者が多く、「返し」を知らずにこれまで算命学を嗜んできた人がこれほどいるのかと戦慄しました。実に剣呑です。学習者の皆さんには、とりあえず他人さまに助言を出す行為は辞めて、生年月日を公表している有名人でも占って研鑽を積み、自信をつけてから鑑定行為に臨むことをお勧めします。今回五輪で活躍した選手の勝因を占ってみるのもいいかもしれません。
今回の余話のテーマはそんな五輪についてです。選手生命の短い競技で五輪に連続出場したり、連覇したりすることは大変難しい事業です。選手は個人的努力の他に、サポートしてくれるチームや支援者と一丸となって競技に臨んでいます。そうした現実的な話はさておき、算命学の見地から五輪という競技の祭典と、そこで勝利することの背景に何があるのかを探ってみます。キーワードは「後天運」です。五輪は4年に一度の開催なので、この4年という区切りにスポットを当ててみます。算命学的思考力を鍛える内容です。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「五輪を考える」です。「算命学余話 #R57」で検索の上、登録&お返しクッキー1パック分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

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by hikada789 | 2018-02-27 17:58 | 算命学の仕組 | Comments(0)
イコンは逆遠近法で描かれている、と言われても逆遠近法とは何か知らない人は多かろう。しかし遠近法なら知っている。西洋絵画の画法で、ある一点に焦点を定めてその周囲の道なり壁なり天井なりがその一点に集約されるように描いて奥行きを出す。手前に描かれたものは大きく、遠くに描かれたものは小さく描く。典型的なのがダ・ヴィンチの「最後の晩餐」で、あの横長の壁画はテーブルに向かった弟子たちや天井、背景の窓の向こうの景色などを放射状に描き、その中心がキリストの額に向かうように仕組まれている。だからこの絵を見る者は自然とキリストの顔に視線が行ってしまうのだ。
逆遠近法とはこの逆の効果を狙ったもので、手前に描かれたものは小さく、遠くに見えるものが大きく描かれる。画面の中に焦点はなく、視界は限りなく拡散していく。焦点があるとすればそれは絵を見ている本人か、絵を描いている画家である。遠近法に慣れた我々の目にはスケールが狂っているようにさえ見えるのだが、わざとこのような技法でイコンは描かれている。なぜならそれがロシア人の宗教観ひいては体質に合っているからだ。

これを説明する前にロシア語ウンチクを披露しよう。ロシア語で「美しい」という単語は文字通り美を意味するだけでなく、真理や倫理も含まれている。以前「美しい数式」という言葉が流行ったが、ロシア語においては美しいことは同時に善であり、科学的にも正しいことであり、倫理的にも正しいことなのである。だからロシア人の科学者の書く論文には平気で「美しい〇〇」という表現が出てくる。我々の感覚では美しいというのは本人の主観であるので、客観的判断が求められる科学の世界で使われることはないのだが、ロシア人が科学の現場で「美しい」と言う時は、それが「科学的に正しい」という意味が込められているのだ。なぜなら科学とは自然科学であり、自然は神が創ったものであり、神はいつでも正しいからだ。従って美しくないものは神に反し、倫理に反し、科学的にも信憑性がないということになる。
ちなみに日本語の「きれい」も世界に類を見ない特殊な美的表現である。「きれい」は美しいという意味の他に清潔という意味がある。日本人にとって美しいものは同時に清潔でなければならないのだから、ロシア語の「美しい」における二重三重の含意についても理解に難くはない。

ソ連時代は宗教がないがしろにされたが、国語であるロシア語がかような有様で、この種の「神への絶対的信頼」は言語レベルでロシア人のDNAに刻み込まれているから、人間中心主義の西洋文化とは相容れない。そのため西洋画の遠近法はロシア正教の画法としては取り入れられず、それとは真逆の逆遠近法を独自に発展させた。それがイコンである。
イコンの画面に中心はなく、遠くに見えるものが視界の多くを占め且つ身近に迫ってくる。その広大で明快な世界は神の世界であり、神が我々を見つめている。我々が絵を見ているのではなく、絵の中の神が我々を見ているという構図なのである。つまり遠近法で見つめているのは絵の向こう側の神であり、遠近法の焦点は絵から飛び出している我々なのである。我々は絵の延長線上にあって且つ中心であるが、絵には描かれていない。我々の存在はちっぽけな点にすぎず、その周りを360度神の世界が取り巻いている。しかもそんな広大な神の世界と我々はイコンを通じて繋がっている。そういう世界観なのである。

こうした世界観は「美しいものは正しい、美しいものは神に従っている」というロシア語の含意にも影響している。それは文法にも及んでいるのだが、このような形態を固持しているヨーロッパ言語は珍しいという。例えば英語は「格」のない単純な文法であるが、ロシア語は六種類の格を持ち、仏語や独語に比べても非常に多い。英語も11世紀頃までは格があったのだが、現在のように主語を冒頭に掲げることで単純化を進めた結果、思考回路も単純になって効率一辺倒になり、神より自分(主語)に頼る習性を身に付けるに至った。
それに比べてロシア語は極めて保守的な言語で、文法を眺めているだけでも「美しく」整った神の世界を感じられるように出来ている。それが何百年も変わっていない。イコンは宗教グッズだが、その特異な世界観、神の住む異界と如何につながるか、そこに至る道には美があるはずだという思想は、例えば今日の芸術、バレエや新体操、シンクロナイズドスイミングといった形態美、幾何学美に強烈に現れている。もちろん文学にも。(ロシアから芸術と文学を取ったら一体なにが残るのか?)

以上の話は、当ブログでも案内した上智大学教授の井上幸義氏による最終講義で仕入れた一部である。実に楽しいひと時であった。話の通じる人の話が聞けて幸せだ。しかも会場は満員御礼であった。話の通じる人たちがこんなにいっぱい。私は部外者だが、聴講者はほぼ彼の教え子なのだった。講義が終わると満場の拍手が鳴りやまず、様々な年代の教え子たちからいくつもの花束を受け取っておられた。愛された教授なのだった。感動して涙ぐむ宇宙人。宇宙人のロシア語の恩師は在学中に亡くなったのであるが、あの早逝がなかったら宇宙人もこのような場で恩師に花束を贈る栄誉に恵まれたであろうに。宇宙人が花束を贈りたい相手は誰もが申し合わせたように早く逝くのであった。

ロシア関連イベントのお知らせです。
(1)講演会「エイゼンシュテインと日本文化」
エイゼンシュテイン生誕120周年を記念した、前ロシア国立中央映画博物館館長ナウム・クレイマン氏による講演会とドキュメンタリーDVD上映。2月28日(水)18:30~20:20。東京大学文学部赤門総合棟3番大教室。DVDは『知られざるイワン雷帝』と題し、第二部までしか公開されなかった『イワン雷帝』の第三部とプロローグの再構成を試みる内容。参考として『イワン雷帝』の第一部・第二部が同日14:45~17:55に同じ会場で上映されます。入場無料。

(2)映画フェア「ロシアン・カルト」
マニア垂涎のロシア映画祭。宇宙人が最凶映画とひれ伏す『フルスタリョフ、車を!』も入ってます。アレクセイ・ゲルマン、もはやカルト扱いなのだな。その他『妖婆 死棺の呪い』『不思議惑星キン・ザ・ザ』『メキシコ万歳』(これもカルトなの?)『こねこ』(これもかい?)などホニャララ映画が日替わりで満喫できます。3月3~16日。新宿K’s cinemaで。当日券1500円、3回券3000円。

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by hikada789 | 2018-02-24 19:06 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
ご本人の許可を得て「あなたの山水画」を掲載します。ご協力ありがとうございます。
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1972年12月30日生 女性の山水画
乙 壬 壬
未 子 子
真冬の冷たい海に大河が流れ込み、大地の草木はじっと春を待つ。
【解釈】
風景としては寒々しいです。草木のあなたは春の芽吹きを待って雌伏していますが、冬の冷たい海や河を象徴する家族に囲まれています。環境としては恵まれすぎているのが仇となる形なので、これら大量の水分を吸い取ってくれる土である配偶者がキーマンになります。結婚するとしないとでは大きく差の出る命式です。
性格は表裏があり、なかなか本音を語りません。頭が回りすぎて空回りするきらいがありますが、意外と自己顕示欲は強いようです。

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by hikada789 | 2018-02-22 20:21 | 宇宙人の鑑定実績 | Comments(0)
算命学余話は、算命学の初歩を知っている学習者がその先の理解を深めるためのヒントを提供することを目的とした読み物です。技術的な話より思想的な話の方に重点を置いているのは、算命学の観点から見てこの世の仕組みがそもそもどうなっているのかを把握していないと的確な運勢鑑定に至らないと考えるからですが、興味本位で算命学を知って安易に他者を占っている人も少なくありません。そういう人たちは算命学の思想的な側面に注目せず、鑑定技術だけに頼って占っているらしく、そのために鑑定に行き詰りを感じる人も多いように見受けられます。
算命学は陰占と陽占の二本立てということからも知れる通り、唯一絶対の答えというのをそもそも用意しておりません。それどころか陰占と陽占が互いに矛盾するという鑑定結果も大いにあり得るのです。その矛盾をどう処理して現実に反映させていくかという解決技法にはマニュアルのようなものはなく、算命学の思想面の理解を深めることで自然に身に付くものです。算命学余話はそうした理解と技術の向上を読者に促すために書きつづられております。

今回の余話のテーマは、「返し」についてです。「返し」については過去にブログ記事の中で触れているので知っている方も多いと思われますが、算命学余話として編纂したことはなかったので、今回改めて論じてみます。既に知っている方にとっては新しい知識ではないので、特に購読の必要はないかと思います。しかしまだ知らない人にとっては、安易な鑑定、つまり他者を占うという行為がどれほどの危険を孕んでいるかという厳しい現実を見つめるよい機会となるでしょう。
他者を占い助言を出すという行為は、相手の人生に干渉するということです。これがどういうことを意味しているのか、知らずに占っている人は是非読んで下さい。これを知らずに占うことは大変危険な行為なのですが、一体なにが誰にとって危険なのか、その危険を回避する手立てはあるのか、考えてみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「返「し」を考える」です。「算命学余話 #R56」で検索の上、登録&義理チョコ1箱分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

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by hikada789 | 2018-02-16 11:38 | 算命学の仕組 | Comments(0)
冬季五輪が始まったが、ウィンタースポーツに縁のない宇宙人は唯一芸術性が問われるフィギュアスケートくらいしか興味がない。あとエアリアルはちょっと見たいかも。他にも技の出来栄えを競う競技はあるが、冬季ゆえのウェアのせいで美意識が刺激されぬのだ。ダブダブして足も短く見えるし、ゴーグルや防具で顔が見えない。スピードスケートのような全身タイツもお笑いっぽく好みでない。ウェアビジネスにまだまだ開拓の余地があるのでは。まあ美を競う祭りではないから、せめて選手の皆さんには怪我をせずに実力が発揮できるよう祈るとしよう。
ところで最近選手がインタビューに答えて、勝った人が「自分のやってきたことは間違ってはいなかった」と言い、負けた人が「自分のやってきたことは間違っていたのだろうか」と言うのが流行っている気がする。きっと誰か有名人が言い出したのをマネているのだね。しかしそんな風にコメントを人まねしている限り君の実力は開花しまい、というのが宇宙人の見解だ。

宇宙人は算命学者なので、人間は誰一人として同じ者もいなければ同じ人生を歩む者もいないという立場である。従って、人まねをしてもその人のようには成功しないという真実を知っている。成功への道は人の数だけあるので、誰か成功した人が通った道だから自分もここを通れば成功すると思うのはピントがずれている。自分が成功するために必要な道は自分自身で見つけるしかないのだし、その道を更に誰かがまねようとしてもやはりその人の成功には至らない。
人マネをして効果があるのは成長期の子供くらいなもので、分別がついて自立した人となった暁には、もう人まねが大して効果を上げないことくらいとうに気付いて、自分にとって何が効果つまり価値あることなのか模索している。それが大人というものだ。厳しい訓練に耐えたはずのアスリートたちがしばしば常識はずれな言動で世間を驚かせるのは、スポーツという限定した世界で突出した反作用で一般常識を身に付けられなかったことが大きい。子供のうちからコーチの指導に従って練習を積んだだけの人間が「自分のやってきたことが間違って」いたかいないかなど論じるのは滑稽だ。だって人から言われたことをやってきただけなのだから、それは成長期の子供のレベルの話にすぎないのであり、もう子供の年齢でないのなら全然通用する話ではない。

とはいえ、人から言われるのでなく自分自身で見つけた練習方法なりを試して結果を出すには、今のスポーツ競技のピーク年齢を考えればほぼ不可能である。こういうセリフを言っていいのはレジェンドの葛西やイチローなど、成人後の競技生活の長い選手に限る。そしてこういう選手なら尚更、自分の辿った成功の道が自分一人にしか通用しないことを熟知しているのだから、「君のやり方は間違っている」などとは言わないはずである。だからどちらに転んでも「自分のやってきたことが間違っている/いない」というセリフは真実から遠いので価値がない。従ってそんなセリフを吐くアスリートは大成しない。宇宙人はかように考えている。

スポーツついでに目からウロコ話をひとつ。武道家の甲野善紀氏曰く、スランプというのは実はこの世に存在しないという。彼の考えによれば、スランプとはかつて味わった「いい感覚」をもう一度取り戻そうとする余り、いろいろ余計に動くことで生じる不調和である。
生物たる人間は成長や老い以前の日常の細胞レベルからしてずっと同じではいられず、日々刻々変化している。ただ生きているだけでも変化しているのに、更に体を鍛えれば筋肉は増えるし、体も柔らかくなるし、骨は丈夫になるし、神経は発達する。訓練すればするほど体や感覚は変わっていくのだ。それを、既に変わってしまっている自分を無視して「以前の自分」に固執し、以前の技を今の体でひねり出そうとし、できない姿を我々はスランプと呼んでいるにすぎないのではないか。b0214800_18043562.jpg
従って、過去の自分に拘るのではなく、人間は日々変化しているという現実を肯定的にとらえ、今の自分、もう変わってしまっている現在の自分に照準を当てれば、スランプという概念はなくなり、新しい今の自分にしかできない技の開発に打ち込める、つまり新しい世界を切り拓くことができるのではないか。甲野氏はかように考えるに至っている。どうですか、目からウロコが落ちませんか。宇宙人は落ちました。

落ちたついでに、画像は靴教室で作った最新のモカシンブーツ。宇宙人、もういい加減にしろなのだ。いや教室が間もなく移転するし、またいい色の革を見つけてしまったので駆け込みに一作。ほら、いい色の革なんて以前にはなかったものなのだよ。状況は日々変化しているのだよ。画像は発色が良すぎて絵具のような黄緑に映っているが、実際はもう少し落ち着いた、革らしい淡いムラのある黄緑である。ブーツは初挑戦だったがこれも1日で作れた。足の甲から足首まで覆うのでピッタリフィット感が半端ない、あったかくて走れるショートブーツ。ヒモを結ばなくても脱げる気がしない。興味のある方は、移転後も営業は続くので是非お試しを。

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by hikada789 | 2018-02-13 18:05 | その他 | Comments(0)
エドワード・ラジンスキー著『アレクサンドルⅡ世暗殺』を読んでいるが、資料を駆使した歴史物にしては笑える。エカテリーナ2世が反目する夫・ピョートル3世を廃して帝位に就くべく画策した様子を、「ピョートルは妻を修道院送りにしてやろうと考えていたが、エカテリーナは夫をあの世へ送ってやろうと考えていた」と描写するなど容赦がない。アレクサンドル2世はこのピョートル3世の曾孫に当たるが、その時代背景を説明するために冒頭にかなりのページを割いて、ピョートル1世から5世代の帝位継承事情を語っているので、ロマノフ王朝史を知るのに手っ取り早い作品だ。
ラジンスキーの考えでは、ロシアの帝位に就くための不可欠の要因は近衛軍つまり武力であり、この真理を正しく理解している者だけが帝位に就いたという。血筋や能力はそっちのけで、この真理を最もよく把握していた皇帝はドイツからお輿入れしてきたエカテリーナ2世だったと断言。だから外国人だろうが女性だろうが彼女は立派なロシア皇帝に成りおおせたのだ。この話、実は現代のプーチン政権にも当てはまる。プーチンを西側流の価値観にそぐわない極悪独裁者かのように理解している日本人も少なくないが、プーチンが国外の人間に対して獰猛な牙をむいたことはなかったし、これからもない。しかし国内に向けては容赦がない。外敵よりも身内の恥の方を苛烈に懲らしめる。これはソ連時代も同じであった。ロシアの施政者は時代を問わずいつもこうであるとラジンスキーは言っているのである。

とはいえロシア皇族も人間であるので、誰もが野心家ではないし、臆病者もいたし、帝位から離れて静かに暮らしたい人もいた。エカテリーナ2世も若い頃は野心などないただの外国人妻であったので、近衛軍によるクーデターで夫を排除するのにも躊躇いがあった。しかし伝説によれば、クーデターのその朝、決行を促すため訪れた愛人オルロフは、「彼女の子宮に決断力を注ぎ込んで」遂に帝位に押し上げたのであった。何とも上品な皇位簒奪劇である。
本編の主人公アレクサンドル2世の父親であるニコライ1世は、有名なデカブリストの乱の当事者だが、この人も長兄から帝位を受け継ぐ不吉を嫌って、逃げ回る次兄と玉座を押し付け合っていた。しかし例によって近衛軍が勝手に暴走し、まだ何も悪いことをしていないのに家族もろとも殺害の危機にさらされるに至って、彼もまた「決断力を注入して」帝位に就き、造反者を徹底的に弾圧したのであった。その苛烈さは、啓蒙君主であったエカテリーナ2世が折角廃止した死刑を復活させたほどである。ニコライ1世、もともとこんなキャラではなかったのだが、ロシアの支配者になるとキャラの変更を余儀なくされるのであった。

宇宙人はエリツィンの時代にロシアに暮らしていたが、当地の実務のトップである首相がプリマコフからプーチンに変わった時、まだプーチンは支配者ではなく能吏の顔をしていた。しかしその後プーチンが大統領になった時には、顔つきが変わっていた。プーチンもまたどこかのタイミングで自ら決断力を注入したに違いない。

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by hikada789 | 2018-02-10 15:01 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
コインチェックの仮想通貨流出問題で被害を被った参加者が街頭インタビューに応じる画像が報道されていたが、次々に写し出される若い男女の顔を見るに、どれも頭が弱そうである。楽して儲けようという下心がしっぺ返しを受けたのだからもっと恥ずかしそうにしてもよさそうなのに、そんな素振りは皆無である。子供達よ、こういう顔の大人になってはならぬぞ。
同様に、成人式の晴れ着の会社が当日ドロンした事件でも、被害者の顔に知性が見受けられないと感じたのは宇宙人だけだろうか。世間がこぞって新成人らに同情するのが宇宙人には不思議に思える。成人式とはもう子供ではないぞ、大人なのだから刑事犯になれば刑務所だぞ、酒やタバコも自己責任だぞ、働かざる者食うべからずだぞ、子供みたいに大目に見てもらえないぞ、という通達の儀式なのに、いつから晴れ着で練り歩く行事になったのか? 成人式のその日に詐欺に遭うなど有難い社会勉強になってではないか。これを機に成人・社会人として気が引き締まって、油断のならぬ大人社会を生き抜く戦闘モードを早くも体験できたことを喜ぶべきでは? 二度と騙されないよう社会を良くするために、今後の選挙の投票も真面目に考えるようになるのでは。

なぜ人は詐欺に遭うのか。それは楽して儲けようとするからだ。楽して難を逃れようとするからだ。そんな都合のいい解決法などこの世にありはしないのである、一歩一歩、着実に歩を進めなければ物事は解決しないのである、という真理を知る者は楽して儲ける行為を慎むので、結果的に詐欺には遭わない。詐欺に遭うのは、その人がこの世の真理に気付かぬほどのボンヤリ者だからである。宇宙人はかように考えている。子供達よ、ラクして何かが手に入ると安易に考えるようなボンヤリした大人になるでないぞ。口が開きっぱなしなアホ面の大人になどなるでないぞ。
故米原万里が、昨今の若者批判をするのにひと昔前のロシアの若者を引き合いに出した、不思議な笑いをそそる文章を書いているので紹介しよう。

――『コペルニクスの太陽系の分析的解明』という論文を書き優秀な成績で卒業したゲルツェンは、その時の指導教官で天文学会の第一人者だったペレヴォーシチコフ教授と卒業後食事をする機会があった。教授はゲルツェンが天文学を続けなかったことをさかんに惜しむ。「でも誰もかれもが先生の後について天に昇るというわけにはいかないでしょう。私たちはここで、地上で、何かかに仕事をやっているのです」と答えるゲルツェンに教授は反論する。「どんな仕事ですか。ヘーゲルの哲学ですか! あなたの論文は読ませて頂きました。さっぱりわかりません。鳥の言葉です。これがどんな仕事なものですか」。
鳥の言葉。何と言い得て妙なのだろう。人文系の学問に携わる人々の言葉が、恐ろしく難解になっていく一方で、一日平均30語で事足りている若者達の群れ。――『面白すぎる「自分史」と毛嫌いのスターリン本』より(『偉くない「私」が一番自由』ほか収蔵)

ロシア関連のシンポジウムのお知らせです。
(1)国際シンポジウム「歪んだ喪 ロシアと日本の慰霊の条件」
アレクサンドル・エキトント欧州大学院教授と東浩紀氏による討議。2月17日(土)14-17時。東京大学駒場キャンパス18号館ホール。入場無料。通訳あり。同教授の公開講義は2月20日に京都大学でも開催されます。

(2)講演会「南極ビエンナーレ 科学と芸術の調和を求めて」
ヴェネツィア・ビエンナーレ他国際芸術祭で活躍する美術作家アレクサンドル・ポノマリョフ氏の講演会。2月23日(金)14-16時。千葉大学アカデミックリンクセンターI棟1階セミナー室「まなび」。聴講無料。逐次訳あり。

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by hikada789 | 2018-02-07 22:01 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
昨年2017年はロシア革命百周年で、あの革命は何だったのかという議論がロシア国内外で繰り広げられましたが、少し前の2014年にはサラエボ事件百周年記念行事がサラエボで執り行われたそうです。日本では、サラエボ事件は第一次世界大戦のきっかけにはなったけれども、どこかの国を代表していたわけではないセルビアの一青年が個人的に引き起こしたという印象が強く、その青年の顔も名前も一般には知られていません。そもそもサラエボってどこ、というほど地理的に遠く縁のない地域です。
しかし当地の人間にとっては歴史的大事件であり、その評価は切実で、しかも真っ二つに割れている。事件を起こしたセルビア人青年ガヴリロ・プリンツィプの扱いは片や英雄、片やテロリスト。つまりセルビア人にとっては英雄であり、ボスニア人・クロアチア人にとってはテロリストなのです。180度違う。
その評価は現在なお両極に分かれたままですが、旧ユーゴを分裂させるに至った一連の内戦では、民族浄化をはじめ残忍な所業が報道され、日本を含む西側世界ではこれらがセルビア人の仕業として伝えられたことは私も記憶しております。実際は政治利用を目論んだ偏向報道だったのですが、この作られたセルビア人悪人説を補強すべく、クロアチア人研究者のクラーク氏が論文『夢遊病者たち』を2012年に発表し、各国に翻訳され、特にドイツではベストセラーとなったそうです。そんな中で迎えた2014年の百周年記念式典だったため、セルビア人悪人説を世界に広められたセルビア人は、クラーク氏の式典参加を許容しがたく、自ら式典参加をボイコットしたのでした。セルビア人側からはクラーク氏の論文に反論する研究書も出版され、両者の対立は学術レベルでも泥沼状態です。

算命学の立場から言いたいのは、このように一人の人物が180度真逆の評価を受けているという事実の通り、人間はたとえ二重人格者でなくとも陰陽両面の顔を持ち得るということです。人間を正面から見ただけではその人に背中や尻があることは判らず、後ろから見ただけでは顔やヘソがあることは判らない。
月の裏側の映像さえ我々はごく最近になって見られるようになったのであり、月の表側のクレーター模様ばかり見慣れている目には、月の裏側の模様は馴染みがなくて何だか別の星のように思えます。白と影の陰影しかない月でさえもあれほど違って見えるのです。人間が見る位置によって違った人に見えるのは当然のことです。それを、「自分はあの人をこういう人だと思っているが、別の人も同様に思っているはずだ」と勘違いするから人間関係がうまく行かないのです。

サラエボ事件については、事件の当事者であるセルビア人やクロアチア人らに判断を任せるからいつまでたっても結論が出ないのであり、暗殺者プリンツィプ青年は英雄でもテロリストでもなくもはや「歴史」である、とする第三者の研究者の意見があり、算命学的にはこの評価が妥当だと思います。算命学は、陰陽は論じますが善悪は論じません。それはこの例でも判る通り、立ち位置によって善悪は容易に逆転するからです。しかし陰陽は変わりません。どちらかを陰と決めるのなら、その真逆が陽だからです。
殺人犯が英雄かテロリストかという話は、日本と朝鮮における安重根の例もあります。今の日本人は伊藤博文を既に歴史上の人物と見做しているため、彼がテロリストの凶弾に倒れたことにさほど感情を動かされませんが、朝鮮人にとっては未だ安重根を民族の英雄と称える考えが根強い。もしこの声が大きくなって、既に慰安婦像の国際化という問題も起きていますが、クラーク氏がセルビア人を悪人に仕立て上げた本を書いたように一方的な主張を世界に普及させることにでもなれば、日本人も黙ってはいないでしょう。そして百年くらい経った後に、ようやく第三者の研究者から「あれは英雄でもテロリストでもなく歴史の一部だった」と言ってもらって痛み分けになるのかもしれません。

さて2018年も立春となり、年が明けました。今回の余話は、恒例の新年大予想と今年の干支である戊戌についてです。
まず今年一年の予想としては、ここ数年とは違った安定した世相が見込まれます。戊土は土性であり風景は山、戌も土性であり山ですから、天地の様相は一致しており、相性がいい。去年までは天地の相剋が続いて社会不安に影響していましたが、今年はどうやら一服できそうです。とはいえ来年はまた相剋に戻るので、一時的な安定と見るのが妥当でしょう。

自然災害は比較的下火です。紛争や大規模テロといった人災も、見た目に派手なものは縮小するでしょう。但し油断は禁物ですから、引き続きテロを警戒して、人の多く集まる場所や目立つ行為は控えるのが得策です。
また近年自然災害で被災地となった地域では、今年のうちに地盤を固めるなり復興を急ぐなりして、体勢を立て直しておくのが良いかと思います。でないと来年はまた水害がありそうなので、今のうちに防災対策を万全にしておきましょう。

安定が信条の今年ではありますが、事態が動きにくいという難点もあります。企業や団体で、運営が良好な所は問題ありませんが、そうでない所は不備のまま、不良のままで改善の兆しが見えにくい一年です。無理にもがいても事態はなかなか動きませんので、ここはもがくよりもじっくり計画を練って機会をうかがう方が賢明です。突出した行動に出るとフライングになります。軽率な行為は慎みましょう。
家庭レベルでは、現状維持、家庭の方針を貫く方向で進めましょう。ブレると人心も乱れます。やや融通の利かない一年ではありますが、大過なく過ごすには余計な冒険はしない方が良いでしょう。信念と呼べる強い意思や目標があるのなら、よそ見をせずそれに邁進すれば良い結果を得られるでしょう。

さてここから先は、戊戌という干支についてです。算命学の技術的な話なので、興味のある方はご覧下さい。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「戊戌を考える」です。「算命学余話 #R55」で検索の上、登録&五目いなり1皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

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by hikada789 | 2018-02-04 22:48 | 算命学の仕組 | Comments(0)
模擬店出店に向けてクラフト技術を駆使したディスプレイ用作品を作ろうと、レザー教室でカービング作業に取り組む宇宙人。これまでは技術が浅かったため簡単な図柄を好きなように彫ってきたが、せっかくなのでこの世界の伝統柄である大振りな植物模様を講師の指導の下に挑戦。しかもA4サイズとかなりの大物だ。とはいえビギナーはどうせ失敗するのだから練習用と割り切り、材料の革もハギレの上に汚れ付きの物を使用。こういう安い革は色を塗ってごまかしつつ付加価値を出すのだ。
今回はアンティーク調に仕上げる染色技法を試してみる。いろんな色の付け方があるのだね。完成品をお見せしたかったが、図案のトレースからここまでの作業で9時間かかり、染色後の乾燥も昨日からの低気圧で進まず、表面の仕上げは次回教室まで持越しとなった。その後バッグか何かに仕上げる予定だ。アンティーク染めは茶色が主流なのだが、緑もあるというのでこちらを試してみた。何とも言えぬ想定外の色合いに。しまった、バッグにするのに合う色革が手元にない。また買いに行かねば。そうだ自宅でできるようカービング用のマイ刻印も揃えねば。
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天候不順で野菜が高騰しているため根菜汁と漬物の献立で凌いでいるのに、思わぬ出費を強いられる宇宙人。そんな中、またしてもモカシンシューズを作りに行く宇宙人。だっていい色の革を見てしまったのだよ。画像はそのいい青色で作った四足目のモカシンシューズ。発色よく映っているが実際はもう少しくすんでやや緑がかった爽やかな青。こういう微妙な色合いはレアで革屋でもなかなか見つからないので、痛い懐をおして踏み切った。今回は砂よけキルトを直線のものにし、切込みも太い短冊に。春になったら履こっと。
なお当ブログで以前、この靴教室が移転を前にセール中だと宣伝したところ、読者の中から参加者が現れたそうな。宇宙人、役に立っているではないか。移転は3月ですが、セールを見込んだお客で予約が埋まりつつあるそうです。HP「大きな森の小さな靴屋」を検索!

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by hikada789 | 2018-02-02 22:42 | その他 | Comments(0)