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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

<   2018年 06月 ( 11 )   > この月の画像一覧

『ロシアの歳時記』というマニアックな書籍の刊行記念座談会に行ってきた。この本の執筆陣はグループ名「ロシア・フォークロアの会なろうど」という平均年齢の高い愛好会のメンバーで、私がロシア研究者として名を知っているのは中村喜和氏だけ。一見して素人集団にも見える、古き良きロシアが好きな年配オタクの集まりといったところだったが、そこはロシア、趣味を極めるにもロシア語は学ばねばならないし、ソ連時代は日本に届く資料も少なかったことから、少ない情報を丹念に読み込んで、ああでもないこうでもないと頭をひねる活動に喜びを感ずる人々である。どの顔も等しく浮世離れしているのであった。
b0214800_20140572.jpgどれほど浮世から離れているかというと、右手の画像をご覧下さい。これは執筆者の一人である古参の女性会員が、資料から再現したというロシアパンの数々である。会場で振る舞われた。注目したいのは中央の茶色いパン。ヒヨドリだかスズメだかの鳥をかたどった装飾パンで、材料は全粒粉と水のみ。要するに今の感覚では味付けなしであるが、食べてみると、あ、味ない。懐かしい。固い。重い。日本にはないパンで、あっても売れまい。味がないから。しかしシェフの話によれば、これは精進料理の一種なのでこのような素朴な味なのだそうだ。え、そうなの? ロシアのパンは洩れなく薄味なのかと20年間疑わなかったが、違ったのか。
革命前のロシアは大層な宗教国家で、正教の戒律に従って驚くなかれ、一年の半分以上が斎戒日、つまり断食や肉断ちや禁止事項のあれこれを住民の上から下まで課していた。このため精進料理レシピというものが普及し、資料としても残っているのだそうだ。もちろん革命後の政権は宗教を否定してきたので、ソ連時代はこうしたレシピで何となく作り続けていながら、それが何を意味するのか大っぴらに語るのを憚った。だから宇宙人は知らずに、ロシア人は薄味のパンを好むのだと勝手に解釈していたのだ。いやはや今更の発見である。
茶色いパンを挟んで黄色いパンも並んでいるが、それぞれロシアのパン屋でよく見かけるジャムパンやクリームパン。ジャムはさすがに甘いが、クリームはやっぱり味付け控え目。そして画像にはないが、そばの実をトッピングしたミニパンというのもあった。もちろん味付けはなし。だから純粋にそばの実と小麦の淡い風味を堪能するためのパンである。これをまずいと言ってはいけない。これぞ究極の精進料理なのだ。なに、精進料理なら日本にもあるが、ゴマ豆腐やらゆばやら味は多彩だぞ? それを言わないでくれなのだ。見てよ、可愛いパンでしょう?

b0214800_20141229.jpg会合ではその他、左の画像のような色鮮やかな現代ロシアのカンフェートゥイ(チョコやキャラメルのばら包み)やらサモワールやら、グジェーリのポットで淹れた紅茶やらが振る舞われ、会員でもない宇宙人も堪能したのであった。とはいえ飲み食いばかりではない。執筆者の一人は音楽の専門家で、皆さんがお茶を楽しんでいる間のBGMにチャイコフスキーのピアノ曲「12か月」を流し、そのうちの有名な一曲(11月だったかな)は、ロシアの平原を橇で走っては止まり、また走り出し、という緩急で風景を描写しているから、そのように演奏するのが正しいことや、そうした演奏は革命前には自明のことだったため、腕のいいピアニストはその終末部分に余分な1小節をアドリブで加え、橇がゆっくり停止する様をリアルに表現したという、まさにその演奏音源を聴かせてくれたのだった。優雅な会ですねえ。

この種のコアで優雅なうんちくのあれこれを盛り込んだ『ロシアの歳時記』は東洋書店新社という会に馴染みの学術出版社が発行している。どう考えても重版はないから、在庫のある今のうちに出版社へ問い合わせて購入をお勧めする。図書館で借りては損をする。なぜなら表紙カバーを外すと、裏側に「ロシアの四季暦早見盤」なる付録が印刷されているからだ。帝政ロシアの暦は西暦と違う上、更に正教中心に祭日が組まれているため、毎年祭日やその期間が変動する。その変動を把握するための早見表を会員が考案し(或いはロシアから資料を見つけてきた)、カバー裏の付録としたのだが、図書館で借りるとビニールカバーを貼られて見えない場所なのだ。だから是非とも購入してカバー裏にも注目して頂きたい。

by hikada789 | 2018-06-29 21:03 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
経済成長が国家の大事と考える現代の価値基準は禄(土性)に偏重しているため、相剋関係にある福(木性)や印(水性)が劣勢を強いられているという話は、これまで何度もしてきました。そして「火母に従う」法則によって寿(火性)が禄に加勢するために、寿と強烈な相剋関係にある印は更に劣勢の度合いを強めているという話もしました。算命学は気の極端な偏りを危険視するため、自然災害や戦争を回避するためには五行五徳のバランスを回復することが必要と考えています。そのためには、禄に偏る現代社会に対抗する印の力を少しでも盛り返すことが肝要です。
印は知性です。知性は過去であり、過去の経験から得た知識や知恵の蓄積、つまり記憶です。これに対し、「水火の激突」の相手である寿は寿命と生殖であり、時間軸では未来です。未来はこれからやってくるものですが、そこに過去の知恵の蓄積はありません。そのため未来は自由に展開する利点がある一方、無法・無秩序に陥る危険性もあるのです。その一端が、正誤の確認のとれないままネットに広がる無秩序な情報の氾濫であり(寿は伝達本能を司っています)、人の寿命を延ばしているのか縮めているのか判らないような医療・健康事情であり、『アナスタシア』が語るところの「無知蒙昧な」人間を量産するだけの生殖行為ということになります。

算命学余話は、こうした現代社会の行き過ぎた偏りを解消すべく、印に肩入れした内容が多くなっておりますが、たまには水火の相剋、土水の相剋とは別の相生相剋に焦点を当ててみます。というわけで、今回のテーマは凶悪犯罪についてです。

昨今「誰でもよかった」殺傷事件が目立っておりますが、統計によれば、殺傷事件の件数だけ見れば今より昔の方が多かったようです。しかし犯罪件数は減ってもその異常性が際立っているのは、現代の方です。そして、見過ごされがちですが、戦争はいまも続いています。日本で戦争が行われていないだけで、世界のどこかでは今も殺し合いが続いています。「今は戦争がなくて平和だ」という人があれば、それはその人が知らないだけ、つまりその人の知識(印)が足りないことを露呈しています。
また印の話に行きそうになるのを押しとどめて、今回は官がテーマです。官は名誉を司り、五行は金性、方角は西、人体図は右手、本能は攻撃ですが、この場合の攻撃とは行動のことであり、必ずしも誰かを傷つけるという意味ではありません。人体図における官星は車騎星と牽牛星ですが、いずれも働き者の星であり、その勤労目的は金銭ではなく、名誉や献身であるのが特徴です。なぜなら、官星は剋されることで生じる星であり、本質的にマゾだからです。このため、身を粉にして働いてせっかく稼いだお金を誰かに献上することを喜びとするし、苛酷な任務に従事して命を危険に曝そうとも、それにより名誉が上がることを是とするのです。官星は、英雄的行為とか犠牲になるとかいう言葉に弱いのです。

ところで、各国の国民性を的確に捉えた有名な小話があります。船が難破して乗客が海へ飛び込まなくてはならなくなった時、尻込みする人々を後押しする言葉は、英国人に対しては「ジェントルマンなら飛び込むべきだ」だし、中国人に対しては「飛びこんだらお金をあげる」だし、日本人に対しては「皆さん飛び込みますよ」なのです。痛いですね。そして注目したいのが、米国人に対する「飛び込めば君は英雄だ」です。
経済大国であり消費大国である米国は確かに禄に偏重する現代社会の旗手ではありますが、同時に英雄的行為にこだわる軍事大国でもあります。官は土生金と禄から生じるため、軍事行為が富の収奪を動機として行われるのは、悲しいことではありますが真実です。従来、戦争とは自国の経済的メリットを目的として行われてきました。
しかし第二次大戦後、領土目的の戦争が少なくとも大国間で起きなくなったのは、戦争がもはや経済的メリットをもたらさなくなったからです。コストがかかりすぎて赤字になるから各国は戦争をやめた。人道主義が戦争を駆逐したのではありません。その証拠に、まだコストが安くて黒字になる地域では戦争はさかんです。現代社会のコストの筆頭は、ずばり人件費です。現在戦争に投入されているのは、安い人件費で賄える兵士たちなのです。安くても命を危険に曝してくれる人、それは貧困層ということです。貧困から逃れるために仕事が欲しくて兵士になる。報酬はコンビニの時給より安い。彼らの命はそれほどまでに安いのです。

もちろん、こんな価値観は間違っていると、知性を備えた方たちは反発することでしょう。印は禄に反発しますから、禄が何でもかんでも、命に対しても値段をつけたがる下品さを、そして更にそれをディスカウントしようという下品さを嫌います。
ところが官は、禄とは親和性があるため、こうした価値観に強く反発しません。彼らは(マゾなので)安くこき使われること自体は我慢できるのです。しかし彼ら官には欲しい物がある。それは名誉です。ボロボロになって死んでもいい、その代わり死んだら栄誉を称えてほしい、勲章を与えてほしい、戦場に散った他の英雄たちと同じ墓地に埋めてほしい。こういう価値観で官は生きています。

では本論に戻ります。世界のどこかで戦争が未だ続いているとはいえ、日本はいま確かに平和です。公的な殺し合いは行われておりません。しかしこうした平和な環境は、官にとっては窮屈です。彼らは名誉のために命を投げ出す勇気がある人たちなのに、その場が与えられていない。彼らの名誉欲、献身欲は行き先を求めて彷徨っている。
彼らのこうした欲望を満たす一端としてはスポーツがありますし、スポーツでなくとも通常の仕事に従事して注力していれば、命式は消化できます。しかしそれができない場合がある。スポーツもやらない。仕事もしない。家で引き籠っている。でも名誉心はある。こういう状態の官がやることは明白です。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「凶悪犯罪の防止策」です。「算命学余話 #R69」で検索の上、登録&ブルーベリー1パック分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

by hikada789 | 2018-06-26 11:34 | 算命学の仕組 | Comments(0)
サッカーW杯が俄かに熱気を帯びている。日本が強豪コロンビア相手に金星を上げたからだ。でもあれがハンドのお蔭であったことは誰の目にも明らかで、急に実力が上がったのだと勘違いしてはいけない。ともあれ今大会、格下が格上を破る波乱が続いているのは事実である。
宇宙人はサッカーに疎い。なぜ疎いかというと、Jリーグのクラブ名を1つ挙げろと言われて「ヴェルディ川崎」と答えて笑われて以来サッカー情報を脳内に入れることを辞めたからだが、それでもどうにか知っているスター選手といえばメッシである。彼が18歳でWカップ初出場した時は巻き毛の長髪が可愛かったが、今はすっかり汚いオッサンになってしまった。それでもプレーは依然頭抜けていて、スポーツニュースでちらっと映るだけでも彼だと判るほどその動きは他を圧倒している。
W杯はそんな彼の雄姿をフルタイムで拝める貴重な機会なのだが、アルゼンチンは現在1敗1分と予選敗退寸前だ。メッシがいるのになぜ。答えは他のチームメイトが彼の速度に合わせられず、メッシの実力が活かせないからである。まずスピードが合わないし、メッシというスターに遠慮しているのか、彼を囮に使って自分がシュートしようという気概に欠ける。だから攻撃が単調なのだ。このため格下が格上を破る今大会の傾向にアルゼンチンもはまってしまった。メッシが悪いわけではないのにこのまま予選敗退となって、彼の活躍を見られなくなるのは残念である。

ところで最近のお勧め図書『アナスタシア』シリーズでは、キリスト教徒である著者のメグレ氏が、なぜ人間は神の姿を見ることができないのかという疑問を発し、アナスタシアの祖父が以下のように答えている。

――誰も神を見ることができないのは、神の意識があまりにも速く、あまりにも濃い密度で作用するからだが、これは自転車の車輪のスポーク(放射状の細い棒)が走行中に見えないのと同じだ。走行をやめれば見えるが、それでは自転車は走れない。神が人間のレベルまで意識を遅くすれば、もはやそれは神ではない。だから神が意識を遅くするよりも、君が意識を速めることを学んだ方がいい。意識の速度が遅い人と話をすると、君は苛立ちを覚えないかい? その人に合わせて自分の意識をスローダウンするのは苦痛にならないかい?
――確かに。馬鹿に合わせるには、自分が馬鹿にならないと。
――神にとっても同じなのだよ。神が人間のレベルまでどうにか意識を遅くした自分の息子たち(分身)を地上に遣わすと、群衆は反発してこれを弾圧してきた…

この話、先のメッシの実力が出せない話とかぶせてもいいし、我々の身の回りにいる意識の速度の遅い人に対し、なぜ我々は苛立ちを覚えるのか、そのメカニズムの説明と捉えてもいい。祖父はまたこんなダメ押しもしている。

――我々(シベリア奥地に生きるアナスタシアとその祖父、曾祖父)のような生活を送る人間は、君たちテクノロジー優先の世界に暮らす人々より格段に速い意識速度を持っている。我々の意識は、着るもの食べるものといった絶え間ない多くの心配事に邪魔されて速度を落とすようなことはない。だが君とこうして話すのは(君の速度に合わせて自分の速度を遅くしているにも拘わらず)私にとって苦痛ではない。私は孫娘を愛していて、彼女のために少しでも役に立てるのが嬉しいからだ。

宇宙人は子供好きではないが、だからといって子供が嫌いというほどではない。好きでない理由は子供が、当然のことだがまだ高い知性を身に付けていないからで、その子供レベルの話を続けるのがいささか苦痛になるからだが、実際には子供と話していてそれほど苛立つことはない。なぜなら子供が純粋で、妬み嫉みや悪意といった不快な内面をまだ備えていないからだ。これに対し、レベルの低い大人を相手にしていると苛立ちは怒りの域にまで達する。何十年も生きていながらこのレベルなら生きる意味はない、これ以上の生存は酸素の浪費だ、今すぐあの世へ行け、次は食って寝るだけの家畜に生まれ変われ、と遠慮なく思っている。アナスタシアたちに言わせれば、この場合私は子供たちには愛情を以って接しているが、愚かな大人に対して持ち合わせる愛情はない、ということになるのだろう。
閲覧者の皆さん、あなたのイライラの仕組みはこのようではないですか。宇宙人は愚かな大人に対して今後も愛情を抱く見込みはなさそうなので、皆さんにも愛情を持てと諭すつもりはありませんが、苛立ちの原因が意識速度の差にあるのだと理性的に認識できれば、相手の馬鹿さ加減に対して感情的になって更に疲れることは避けられるかもしれません。ご活用下さい。

by hikada789 | 2018-06-22 19:17 | 宇宙人の読書室 | Comments(0)
上野の東京都美術館で開催中のプーシキン美術館展に行ってきた。プーシキンというのは18世紀に活躍したロシアの国民的詩人で、この人の没後百年を記念して1937年にこの名称になった当美術館の所蔵品が、来日しているということである。名称が変わったのは、革命前は皇帝の名を冠した名称だったから。革命後に改名した地名や施設名は、ソ連崩壊後に革命前の名称に戻されることしばしばであったが、プーシキンは政治とは関係なくロシア人なら誰もが認める文人なので、そのまま名前が残されたのだった。日本でいうところの紫式部みたいなものである。
b0214800_20003926.jpg見どころはネットで検索頂くとして、画像は美術展に設けられたショップで購入したグッズ。ロシアのキリル文字をアルファベット順に並べて絵を添えたクリアファイル、レアな気がしてつい買ってしまった。動物など独特のデフォルメが非常にロシア的。中央の一筆箋は六種類の絵柄が入っていて大変お得。右上のポストカードは拡大すればレザークラフトできないこともなさそうだったので、サンプル用に求めたアンリ・ルソーとゴーギャン。そのうち彫って画像を掲載するかも。ちなみにこの美術館はエルミタージュ同様、西洋絵画のコレクションが豊富なことがウリであり、今回はロシア人画家の作品は来ていないが、それでも十分な眼福である。

しかし何と言っても特筆したいのは、会場の匂いだ。一歩会場に足を踏み入れた瞬間、あっ、モスクワの匂い! なぜだ、どこから。最初油絵の匂いかと思ったが、油絵なら他の美術展だって匂っている。しかしこれはズバリあのモスクワの、空港に降り立った時に最初に嗅ぐ、あの町の匂いなのだった。甦るブラックメモリー。宇宙人が行き来していた頃はソ連崩壊直後の大混乱時代だったから、西側の国で快適さを満喫した後にあの町の空港に降り立つ度に、「ああまた地獄の一丁目に舞い戻ってしまった」と暗澹たる気分におそわれたものだ。モスクワはそんな匂いがしたのだが、二十年経った今もまだ匂っているということだな。
この匂いの成分は一体なんなのだろう。当時は自動車の排ガスの匂いだとか、その汚染された空気を吸い集めた掃除機の匂いだとか、ウォッカによる酔っ払いの匂いだとか、日本人の間でいろいろ議論されたものだが、同じ匂いを別の国で嗅いだことはない。誰かこの匂いの正体を教えてくれなのだ。7月8日までなので、皆さんも是非訪れて絵画と共に匂いを味わって下さい。

by hikada789 | 2018-06-18 20:17 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
ウラジーミル・メグレ氏の体験談として綴られる『アナスタシア』と続編の和訳は、「響きわたるシベリア杉シリーズ」として現在6巻まで刊行されていますが、アナスタシアの予言によると全9巻まで続くとのことです。
メグレ氏がそもそも作家でないということと、和訳が露文からではなく英文を通した重訳であることから、やや意味の取りにくい文面が気にならないでもないですが、本質的な部分は充分把握できます。そしてその本質的な部分は、算命学の自然思想とかぶることが多いので、その辺りを少し紹介したいと思います。
念のため、両者の一致部分は本質ではかなり近いものがあるものの、完全に一致しているわけではないことは明記しておきます。一番の違いは、アナスタシアが心の正しい人間として善を肯定し悪を否定するのに対し、算命学は陰陽論の立場から、善にも悪にも肩入れしないところです。従って、アナスタシアの主張には人を感動させる力がありますが、算命学の思想には感動はなく、ただ事実や真実に冷ややかに肉迫した驚きがあるのみです。

前回はアナスタシアが提唱する「正しい生殖行為」について書きました。このような正しい作法で生まれた子供は宇宙の法則に沿って生まれるため、成長すればいわゆる「天才」となって社会を正しい方向へ導く、というのがアナスタシアの主張です。逆に言えば、間違った作法で生まれた子供はできが悪く、無知蒙昧で、自分が生まれた意味を考えることもなく虚しい一生を動物のように過ごすことになります。世の親御さん、どうですか。自分の子供の出来具合と受胎の瞬間の両親の精神状態は比例していたと、思い当たる節がありますか。シリーズ第2巻には、以下のような記述もあります。

――肉欲の結果として身ごもった場合、分娩は苦痛でしかない。その女性は、分娩の苦痛とその後の人生の苦痛とで償いをすることになる。妊娠が、それとは別の(子供が欲しいという男女の)熱望の下にもたらされたなら、出産の痛みはその女性の大いなる創造の喜びを更に強化することになる。そして不注意に妊娠した場合、出産日は突然やってくる(予測も作為もできない)が、(そうでない場合)本来母親は出産日を数日遅らせたり早めたりできるものだ。(そしてアナスタシアは実際にメグレ氏との間にできた子供を、出産に都合のよい暖かな日を選んで、痛みもなく森の中で一人で出産した。)――

アナスタシアは生まれからして一種の神の子というか超人なので、どの人間も本来はこうだという彼女の主張を真に受けるべきか悩みますが、現代人の性行為の多くが快楽目的であることが否めない事実や、人類が時代を超えて漁色男や娼婦を蔑んできた歴史等を考えると、この世に真の天才が滅多に生まれない事実も道理ありと言えそうです。
皆さんはどう思われますか。ちなみにメグレ氏は『アナスタシア』第1巻を出版後、多くの哲学者や宗教家たちから、「お前は精神性が低いから、アナスタシアの高尚な主張を疑いなくすんなり呑み込めないのである」と厳しい批判を浴びています。また逆に一般読者から、「アナスタシアは実在するのか、本当は作り話なのではないか」という疑いの声にも晒されました。これに対するアナスタシアの祖父の見解は以下の通りです。

――そんなことを尋ねる人がいるはずはない。彼らはその本と接した瞬間に彼女(アナスタシア)を感じるはずだ。彼女はその本の中にも存在しているのだから。仮相に生きる人間はそういう質問をするが、実相の人間はしない。――

ここで祖父はある実験をしてみせます。(この祖父も常人とは違いますが、アナスタシアに比べればその超人ぶりは微弱だと自称しています。)路傍のとある不良娘を細かく観察することでその本質を見抜き、その不良という偽りの被り物を取り去ることで、本質である純真な娘を引き出すという技を、メグレ氏の目の前でやってのけたのです。メグレ氏は催眠術か何かだと驚嘆しますが、祖父は以下のように説明します。

――催眠術ではないよ。これは相手に対する深い観察から来ているのだ。その人の本質を観察する。それを覆っている人工的なイメージではなく。周囲の人がその人の仮相を見るのではなく、実相に焦点を当てると、その人の本質である自己は即座にそれに反応し、力を回復する。私は彼女がまだ幼くて、まっすぐで、押しつけられたイメージに覆われていなかった頃に、彼女の両親が使ったと思われる声やトーンになるべく近い感じで話そうと努めた。彼女、すなわちその幼い女の子、実相の彼女は、瞬時にそれに応えたのだ。――

皆さんには同じような経験はあるでしょうか。私は若い頃ある人物に、ここで述べられているところの私の「本質」に焦点を当てられたおかげで、それまでのモヤモヤが一気に吹き飛び、その後は自分の意思を貫いて生きることにしたという経験があるので、このエピソードは他人事とは思われませんでした。もしこの経験がなかったなら、私はこの路傍の不良娘のように、人工的にあてがわれた偽りの、周囲に都合のいいイメージのキャラであることを余儀なくされて、本質とは関わりのない偽りの人生を延々と続けていたかもしれません。そして、この経験がなかったなら、アナスタシアの祖父のこのエピソードに、何ら感銘を受けなかったかもしれません。皆さんはどちらでしょう。

私が傾倒しているドストエフスキーの小説『白痴』や『カラマーゾフの兄弟』にも、これに似たシーンが描かれています。『白痴』のヒロインは男たちを手玉に取る悪女でしたが、主人公の公爵にその純真な本質を突かれた瞬間絶句していますし、『カラマーゾフ』の兄弟の父親の愛人はチリ人妻アニータのような毒婦と称されていましたが、末弟のアリョーシャに「普通の優しいお姐さん」扱いされて毒気を抜かれています。
皆さんはこれらのシーンに感銘を受けたでしょうか、それとも読み飛ばしたでしょうか。そこを分けるのは、似た経験のあるなしに依ると考えられますし、そもそも『白痴』も『カラマーゾフ』も読んだことがない、今後も読むことはないというのであれば、その人は上述のような…。

ところで、実相・仮相という言葉が出てきました。これは前回余話の実業・虚業と通底する概念です。今回の余話は、前回省略してしまった虚業について、少し掘り下げてみます。なお、前回余話に関連する五徳輪番を考察した記事は、余話U#48玄「還暦と時代の変遷」に、男女の生殖行為の差についてはU#13「気と血縁の混濁」やU#14「男女の気は逆行する」に、子供の養育についてはU#16-18にそれぞれ取り上げているので、参照下さい。

前回余話では、算命学の云うところの虚業とは、金貸しのように何も生み出さず、ただ寝そべって時間が経つのを待つだけで儲けを得る類の業種だと述べました。算命学がいかに善悪を論じないといっても、人間がメシを食わずに生きていけるという話には賛同しませんから、食料生産を第一目的とする実業の方を虚業より上位に置くのは当然のことです。
でありながら、算命学は同時に虚業の存在意義を認めています。そもそも陰陽論で組み上げられた算命学ですから、実があれば対極に虚があるし、実業があるなら当然のように虚業もなくては世界が成り立ちません。
そして前回述べた通り、虚業は実業に比べてごく少数であるのが望ましい。そうでないと実業の筆頭である食料生産が脅かされて、食料不足に悩む人類が殺し合いを始めるからです。それにもかかわらず、虚業が世界に存在する理由とは一体何なのでしょうか。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「虚業を考える」です。「算命学余話 #R68」で検索の上、登録&さくらんぼ1パック分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

by hikada789 | 2018-06-16 19:03 | 算命学の仕組 | Comments(0)
ご本人の許可を得て「あなたの山水画」を掲載します。ご協力ありがとうございます。
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1995年5月11日生 男性の山水画
壬 辛 乙
寅 巳 亥
夏の海に小川が注ぎ、緑の茂る浜には玉砂利が輝いている。
【解釈】
広々とした夏の海の風景です。海のあなたは風景の中心であり、こまごました周囲を支えています。植物は父親や配偶者、小川は母親、玉砂利は兄弟や子供に当たります。彼らとの関係がスムーズすぎて、試練を与えてくれる人がいないため、怠惰や思い込みに陥る懸念があります。また少女のように自分を悲劇のヒロインになぞらえる傾向があるので、叱ってくれる人がいないのなら自分自身で現実を見つめる訓練をする必要があります。
内面に矛盾を抱えていますが、芸術的才能として昇華できれば生きやすくなります。

by hikada789 | 2018-06-14 16:46 | 宇宙人の鑑定実績 | Comments(0)
No.1086つづき。わが四畳半の緊急を要する部分の修繕に向けて畳屋に来てもらったところ、やはり畳表だけ取り替えても畳本体から突き出た金属(穴の原因)の襲撃を防ぐことはできない、従って畳ごと作り直さねばならないことが判った。
「じゃあ、一番の通り道である二畳だけ作り替えようか…」
「いや、それだと残りの畳と厚みに差が出て、段差ができるようになるよ」
「え、同じ高さに作れないんですか」
「オリジナルの高さには作れるけど、今の畳は長年踏まれ続けて薄くなっているんだよ。ほら見て、襖のレールの高さから、今の畳は下がっているでしょ。あれだけ沈んだってことだよ」
「あ、ほんとだ1cm近くも沈んでいる」
「だから二枚だけじゃなくて、四枚半全部作り直さないと平らにならないよ」
「…お見積もりは?」
b0214800_17063298.jpg模擬店売上のざっと3倍。イタ、イタタタ。赤字やんけ。二畳だけなら翌日にでも作業開始してもらう予定だったが、今はムリだな。何だか急に蒸暑さを感じてきた。暑くて宇宙人は思考停止し始めているようだ。畳屋よ、とりあえず全取替えは秋まで延期だ。今日のところは畳をはがして、凶器の突き出た部分を部屋のすみへ向けてくれ。それでこの夏は凌ごうと思う。
というわけで、とりあえず穴は通り道から遠ざけられた。しかし畳というものは床のサイズに合わせて微調整してあるので、向きを変えるとあっちはきつくてこっちは隙間が、という具合になった。当分は自ら行き来して踏み均していかねばならぬ。
「明らかに寿命ってことは判っているんです」
「うん、そうだよ、これ以上はムリだよ」
そうして畳屋は帰っていった。思えばここまで老朽畳を放置してきたのは、まだ会社勤めをしていた頃にリフォームを考えていたからだった。そのプランの中には、今もなお本棚からはみ出し続けている増殖中の本たちがすっきり収まる、壁一面の本棚の構想もあった。そんなこともあったわねえ。どこで頓挫したのかしら。この際だ、本棚の新規購入も考慮して腹をくくろう。
画像は幅2cmの合皮ベルトが廃棄になったので、バックルだけ再利用して牛革で作り直したもの。葉っぱの形の刻印をごく簡単に散らして薄緑色に染色した。結構いい使い心地。ああ畳も革でリメイクできたら良かったのに。玄関扉も数年前に塗ったペンキがまた剥がれてきちゃったし。いやもう秋だよ、秋にやるから今は見逃してくれなのだ。

by hikada789 | 2018-06-12 17:08 | その他 | Comments(0)
ロシアを知っている人なら、かの国の国民性のあまりの両極端に絶句した経験があると思う。善人と悪人の差があまりにも激しいのだ。あれを知ってしまうと、日本人には善人も悪人もどちらもいないような錯覚に陥る。実際は日本にもいるのだが、差がさして離れていないのでどちらに遭遇しても大して感銘は受けない。しかしロシアの場合はどちらに遭遇しようとも衝撃を受けることになる。
終戦直後に満洲に取り残された日本の民間人は、男たちをシベリアにしょっぴかれたため無防備な余所者として日々中国人の報復と無学なロシア兵の暴行に怯えていたが、そんな経験をしたある女性はロシアの病院に勤務した時、ロシア人軍医が人種を無視して敗戦国の病人の治療に励んでいる姿を見て驚愕し、悪魔のようなロシア兵と神様みたいな軍医が同じロシア人だという事実を容易に受け入れられなかったと、戦後語っている。それから七十年経った今もロシア人の国民性は変わらないので、彼らに対する日本人の評価も変化がないのである。

ロシア人悪人説を裏付けるエピソードは米国発信のニュースをそのまま伝える日本のメディアがさんざん広めているので、私は善人説の方を担当しよう。前回記事に掲げた『アナスタシア』についてはまだまだ書きたいことがあるが次回に譲り、ここでは芸術を。
No.1074で案内したアルセーニー・タラセヴィチ=ニコラーエフのピアノリサイタルを聴きに行ったのだが、久しぶりに大当たりだった。私もそうちょいちょい演奏会に行ける身分ではなく、マイナーなプログラムに興味を惹かれて赴いたのだが、一音一音に込めた魂の入れ方が半端なかった。右ペダルを長押しするタイプの演奏家で、そのペダルを押しっぱなしにした状態で速めのスタッカートを使ってレガートを表現するのだが、一粒一粒が小さくてもはっきり聴こえる。一音もなおざりにしていないのだ。上手い。本番組からアンコールまで次から次へと聴き慣れない曲ばかり弾くのだが、隙がないので惹き込まれる。この域まで達するには相当な訓練をしたはずだし、一曲弾くごとに寿命が縮んでいるんじゃないかと思うくらいだ。私が推奨したい芸術とはこういう種類のものなのだ。「楽しい」とか「自己表現」とかは幼稚すぎる。世のアーティストの皆さん、命を削って活動してますか。そんな芸術をまだ知らないなら、以下の演奏会に赴いて体験してくれたまえ。というわけで演奏会のお知らせです。

(1)神奈川フィル定期演奏会+タラセヴィチ=ニコラーエフ
上述のアルセーニー君が横浜でベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を披露する日本デビューの演奏会。先のピアノリサイタルは前哨戦だったのだな。しかしスクリャービンの詩曲やらお祖母ちゃんのニコラーエワの作品やらさんざん弾いておきながら、この日は正統派ベートーヴェンを弾くというから、そのレパートリーの幅を試される場になりそうだ。まだ25歳だから頑張って日本にファンを作るのだよ。先のリサイタルの後に無料のサイン会をやってくれたので、宇宙人も30人ほどの列に並んでサインしてもらった。今どきのロシアのピアニストは英語をしゃべれるが、ロシア語で話しかけたら「あっ」と驚いた顔をしていた。スタイルのよいイケメンだが、見るからに世間知らずの善人タイプ。しかし苗字が長いのが玉に瑕なのだ。複姓というやつなのだ。
6月16日(土)14時開演、横浜みなとみらいホール。B席3000円~。指揮は高関健。日本初演のシチェドリン「ベートーヴェンのハイリゲンシュタットの遺書~管弦楽のたまの交響的断章」というのも呼び水。

(2)グレゴリー・セドフ演奏会
当ブログでも何度か宣伝している宇宙人お勧めのピッコロ・バイオリン奏者、セドフ氏のちょっと変わった演奏会。この人、実力も肩書も大したものなのだが、己れの芸術道を自由に展開して、室内楽演奏にバレエダンスをくっつけるコラボコンサートを意欲的に演出している。もちろん自分も演奏するが、今回はタンゴやオペラもつけるらしい。以前観た舞台では日本人バレリーナ数名と競演していたが、上述の点から言えば、ロシア人演奏家たちとバレリーナたちの熟練度にはかなりの差があるように見受けられた。それでもセドフ氏は満足気だった。もう高齢なので若手のアルセーニー君のように命を削るのはやめて、芸術の威力を世間に広める活動にシフトしているのかもしれない。皆さんも彼が生きているうちに是非ご覧下さい。
6月19日(火)19時開演、オリンピック記念青少年センター小ホール。自由席4500円。当日券はないそうなので、観覧ご希望の方は宇宙人までご相談下さい。

by hikada789 | 2018-06-10 18:03 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
米国では、同性婚を祝うためのウェディングケーキを注文したカップルがケーキ屋に断られ、差別を理由に訴えたところ、ケーキ屋が勝訴したそうです。このニュースを聞いたある日本の女装家は、同性婚用ケーキを作ってくれるケーキ屋をもっと探せば済む話だったのにと、至極まっとうな感想を述べていました。皆さんはどうお考えですか。
私は、こういうくだらない訴えをわざわざ起こす米国人は知性が低いと思います。それのみならず、LGBTの問題を声高に訴えたり擁護したりする人々にも白い目を向けています。それは性的多様性に向けた白目ではありません。性的話題に向けた白目です。

LGBTの話題にうんざりしている人は、算命学の見地からも真っ当な人々です。なぜなら、この問題はずばり言うなら「性行為」の話題であり、つまり下ネタの域を出ないからです。だから真っ当な人々、性的話題をパートナーとだけ小声で話すことはあっても人前で話すことには羞恥を感じる人々は、その下品さにウンザリしている。政治問題と同等の扱いであからさまに語られる下ネタに対して、ウンザリしているのです。
私はTOKYO MXの番組「五時に夢中」に出演中の岩井志麻子の下ネタをいつも楽しく視聴していますが、岩井氏がどんなに自分を卑下してエロオバハンと呼ぼうとも、彼女には山本周五郎賞作家としての知性があり、その下ネタも知性によって完璧に制御されています。だから視聴者は安心して聞いていられる。最適の言葉を選んで文章をつづる作家としての技量が、その話術にも発揮されているので、視聴者がウンザリするほどの質と量の下ネタは、少なくとも公共放送の場では披露しないのです。そのシモと知性の絶妙のバランスを視聴者が評価しているから彼女は人気があるのであり、人に不快感を与えず笑いだけを与える下ネタを生放送に放出できるのです。

思わぬ岩井志麻子礼讃になってしまいましたが、この通り、下ネタは本来下品でいやらしいものであり、それを人前で話すことを戒めるのは文化、つまり知性の役目です。岩井氏はたった一人でその両方の役をこなし、しかも最終的に知性を勝たせている。こういうトークは下品から上品への落差が激しいので面白く、しかも知性で制御されているため人に不快感を与えません。岩井氏は紛れもない知性の人なのです。
しかしながら、昨今のLGBTに関わる話題は、冒頭のケーキの話が象徴的なように、知性とはかけ離れています。この事件の知的解決法とは、まさに女装家が提案した「別のケーキ屋を探せばよかった」ことなのですが、それをせずに煩雑な司法に頼ったところに知性の欠如が見えるのです。そして司法に訴えることで些細な出来事を大ごとに仕立て上げたのには、恐らく売名という別の目的が潜んでいます。売名は自己アピール、つまり伝達本能の領域です。

算命学のフィルターをかけると、下ネタは寿の領域、作家としての知性は印の領域ということになります。五行に替えれば寿は火性、印は水性で、両者はいわゆる「水火の激突」という犬猿の仲です。
木火土金水の五行の間は、等しく相生関係と相剋関係によって結ばれていますが、特に「水剋火」の相剋関係が「水火の激突」と呼ばれて特別扱いされているのは、両者が精神世界に属する五行だからです。
これは人体図にすると判りやすいです。頭部が習得本能の領域で水性属、腹部が伝達本能の領域で火性属。双方とも人体図のタテ線つまり精神世界に乗っています。精神世界というのは現実世界と違って無限の可能性と領域がありますから、上部と下部で真っ向から対峙する水性と火性の対立は、無限だという意味で特別扱いされるのです。

ではこの水火の激突はどうにも相容れない間柄なのかといえば、そうではありません。それどころか、両者が折り合えば世界は知恵と伝達を極めて無限に広がります。その一端が、岩井志麻子のトークの例なのです。彼女のトークは下ネタ(火性)を扱いながら知性(水性)で制御されており、そのバランスが絶妙なので他の芸人には真似できない。彼女の巧みな水火の扱いが生んだ新しい境地なのです。水火の激突については、既に余話のU番で推逆局や円推局をテーマに述べたので、詳しくはそちらを再読下さい。
私が主張したかったのは、昨今のLGBTの話題が単なる下ネタに過ぎないにも拘わらず繰り返しニュースとして昼間から延々流され、人種差別(人種差別問題を思い浮かべて下さい。そこに性的シーンはありません)と同等のいっぱしの社会問題、すなわち知的話題かのように扱われていることを、知性を備えた人々が聞き咎めているという事実です。なぜなら彼らは知性に敏感なので、知性から離れた話題や行為に対して本能的に嫌悪感を覚えるからです。
彼らはLGBTの話題に知性を見出してはいない。そこに知性がないことを見抜いている。だからそれが大声で語られている現状にウンザリしているのです。小声で恥ずかしそうに身内にだけ語るのならともかく、耳が汚れる、というわけです。皆さんはこの点について、どの程度賛同されますか。

ところで、ロシアが誇るスピリチュアル世界にアナスタシアという特異な女性がいます。といっても、この女性の存在は『アナスタシア』の著者であるウラジーミル・メグレ氏が1995年に実際にシベリアの奥地で対面したと語っているだけで、他に誰も見た者はなく、半ば現代の伝説とも言うべき人物なのですが、そのシリーズ著作の中で語られるアナスタシアの言動は、本当の豊かさとは何かを見失っている病める現代人の心を揺さぶるものがあります。
興味のある方は本を全編読んで頂くとして、ここでは上述の性的話題を受けて、アナスタシアが提唱する正しい生殖行為について引用してみます。皆さんはここに、性的話題にも拘わらず知的で創造的な、有意義な内容を見出すことができるでしょう。
アナスタシアによれば、世界は「光の勢力」と「闇の勢力」のせめぎ合いであり、科学技術に依存する現代社会は「闇」の領域を広めることに貢献している。これに対抗するため、アナスタシアは自然回帰的な思想を広めることで人々の魂を浄化し、「光」の領域を盛り返そうとしている、という前提で話が進みます。やや一神教的な表現で語られるのは、聞き手であるメグレ氏がキリスト教徒だからです。

――闇の勢力が、男性の中の利己的な肉欲を強化して、神から与えられる恩恵から遠ざけようとしている。闇の勢力は、彼が肉体的な満足のみを考えるように仕向け、その満足は容易に得られると、あらゆる手段で洗脳する。そうやって男性を真実から遠ざけているの。
それを知らず、だまされた哀れな女性たちは、生涯苦しみばかりで過ごす。失ってしまった神からの恩恵を探し求めながら。彼女たちは探す場所を間違えている。
男性の肉欲のみを満足させるため彼に服従する女性は、彼を密通や不倫から遠ざけることはできない。もし二人の関係がそういうものなら、一緒にいても二人は決して幸せになれない。
二人の人生は「一緒」という錯覚、嘘、暗黙のうちに認められた欺瞞であり、彼女はその男性と結婚しているいないにかかわらず、たちどころに娼婦になってしまう。
この偽りの結合を強化するため、人類はどれだけ多くの法律や取り決めを発明してきたと思う? すべて無駄だったわけだけど。そういう取り決めは、人々に演技をさせて、そのような結合が存在するように見せかけることを強いただけだった。人の内面の思いは不変であり、誰にも、そして何ものにも従属しないのに。
偽りの結合ほど恐ろしいものはない。子供たちは結合の不自然さと虚偽を感じとる。そして両親の言うことは何でも疑うようになる。子供たちは受胎の瞬間における嘘まで潜在意識下で感じ取るし、それが子供たちをとても悲しませる。一体誰が単なる肉体的快楽の結果としてこの世に生まれてきたいと思う? 
偽りの関係を結んでしまった人は、そのあと密かに本当の満足を探しはじめる。次々に別の体を求めたり、あるいは自分の体を破滅的に用いていく。真実の結合がもたらす恩寵から、自分たちがどんどん離れていっていることを直感的に知りながら。
男女が本当の意味で満たされるために必要なのは、自覚していること。命を生み出すことへのお互いの熱意。その熱意の誠実さと純粋さ。――

少し長い引用になりましたが、この光と闇の話、算命学の陰陽論に通底するものがあります。前回余話#R66では、星の輝き方に陰陽の差があるという話をしましたが、それと合わせて読んで頂ければ、アナスタシアの話もまた類似の話であることが判るかと思います。
尤も、算命学はこのアナスタシアの主張ほどには、正しい生殖行為について明言しておりません。明言しておりませんので、今回の余話は、水火の激突にからめた生殖と知性の関係性について思考を展開してみます。

これまでの余話で、既に何度か印(知性)を擁護する内容を書き記しました。それは、私もまた現代人の病の中に知性の欠如、今風に言えば「反知性主義」といって差し支えない要素が、まるで社会のシステムのように組み込まれて容易に取り除けなくなっている事態を懸念したからです。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「虚無の背景を考える」です。「算命学余話 #R67」で検索の上、登録&国産小麦食パン一斤分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

by hikada789 | 2018-06-07 16:00 | 算命学の仕組 | Comments(0)
連日暑いので自宅では裸足で過ごしているのだが、畳の上を歩いたら「あっ痛い」。そのまま通り過ぎて戻ってきたら床が血まみれに。またやってしまった。畳の穴を踏んだのだ。暑さで痛覚が鈍っているのだな。最初の一撃以外は全然気にならなかった。でも結構な出血量である。うう、このクソ暑いのに余計な掃除を。
b0214800_18242146.jpgというわけでもう限界だな畳よ。寿命をとうに過ぎていることは判っていたのだ。町内の畳職人に相談に赴く宇宙人。後継者がいない感じの耳の遠い職人に、二度目の流血を強いた畳の穴について説明する宇宙人。
「穴? それは通常はありえない。あるとしたら、中身の圧着にホチキスを使っていて、その針が飛び出たのかも」
「なにしろ築40年越えのあの老朽マンションなんです。しかも私が越してきた時から畳が二枚沈んでギシギシいうんです」
「ああ、あのマンションね。あそこは畳床にべニアを使っていて、それが朽ちた音だと思うよ」
「じゃあ二枚は畳ごと取り替えないとだめってことですね。あとは穴のある畳の張替えを。ざっとおいくら?」
わが四畳半の待ったなしの部分だけを取り替えた場合の見積は、なんと同窓会模擬店の売上にぴたりと一致したのであった。神様、こういうことだったのね。画像は本革ステーショナリー。手前は友人注文の手帳カバーで、ペンをペンホルダーに差し込むとロックされて開かなくなるというデザイン。これは便利。同じ革まだあるので作れます。奥のペンケースとはまた違う風合いのいちごシロップ風の赤です。

by hikada789 | 2018-06-04 18:28 | その他 | Comments(0)