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土星の裏側

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宇宙人と呼ばれた人達の診療所

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先日、日本にホスト文化を根付かせ広めた「ホストの帝王」が亡くなりました。78歳でした。この人がいなければ日本のホスト業界はこれほど発展しなかったと言われ、同業者には神様と呼ばれ、勿論女性たちからは大いに愛され、華やかな夜の世界によりひと財産を築いたユニークな実業家でした。しかし晩年は脳梗塞に倒れると同時にアルツハイマー型認知症に罹り、社長退任後は瞬く間に資産を失い、最期は見る影もなかったと伝えられています。
脳梗塞に倒れたのが2011年の辛卯年で、この人の天中殺に当たっています。この人は宿命天中殺ではないので、後天運による天中殺は特に強く作用することが予見されますが、翌年2012年からは大運天中殺も始まります。
このように老年に達している人が天中殺の期間に脳梗塞など後遺症の出る病を発症すると、ぐずぐずと後を引いて回復が遅れることが多いのですが、その上畳みかけるように大運天中殺に突入すれば、出口の見えないトンネルのようなもので、年齢から考えるとこの期間のうちに寿命を迎えたのは自然と見てよいでしょう。日本男性の平均寿命から見ても、特に早逝とは言えない一生でした。

ではこの人が幸せな人生であったかどうかを考えてみると、算命学では、前半生がどんなに華やかで成功した人生であっても、晩年が寂しく不幸であったのならば、人生全体は不幸であったと見做します。算命学は、人の人生は終わってみるまで評価できないと考えているので、終わった時のその人の至福度なり充実度が決め手になります。
この人の場合、認知症により自分の一生が幸せであるのか不幸せであるのか、自ら省みることもできませんでした。こういう人生の終わり方は、気の毒ですが、算命学はやはり「不幸だった」と総括せざるを得ません。築き上げた財産を失って晩年を過ごしたことも、やはり幸福とは呼べません。彼の勇名や事業や資産をどれほど多くの人が称えようとも、その称賛と彼一個人の幸福とは別物なのです。称賛や栄誉は五徳のうちの官(金性)であり、幸福は福(木性)です。両者は金剋木の相剋関係にあり、融和は難しい。

さて今回の余話は、このホストの帝王の宿命です。といっても人生の総括はもう述べてしまったので、宿命のほんの一部分、日干支だけに注目してみます。というのは、この日干支がいかにもホストにぴったりで、大勢の女性に愛された男の命式として思わず頷くものであったので、そのあたりに着目してみたいと思います。勿論、日干支は男に生まれる場合と女に生まれる場合とで差異が生じます。ホストにぴったりな命式は、果たしてホステスにもぴったりなのでしょうか。その辺りを考察してみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「ホストの帝王」です。「算命学余話 #R78」で検索の上、登録&秋刀魚の塩焼き一皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

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by hikada789 | 2018-10-29 18:22 | 算命学の仕組 | Comments(0)
No.1120で案内した「ロシア映画祭」の映画を数本見て来たが、昨年同様おかしな和訳が引き続き使われていて興を削がれた。全作品がそうではないが、どうして正しい和訳を付けられる翻訳スタッフに全作品を任せて字幕を依頼しないのか。ここでのおかしな和訳とは、明らかに日本語ネイティブでない人間が自分の日本語の拙さに気付かず並べた字幕という意味だ。そのため男女や老若で異なる日本語の語り口がめちゃくちゃに交錯しており、字幕の出る数秒の間にどの話者のセリフなのかが瞬時に特定できず、誤字もあって何度も違和感を覚えるから結局作品に集中できない。このイベントにはユーラシア映画協会だか何だかいう日本人の映画専門家が監修しているはずなのだが、ちゃんとチェックしていないのか、無料イベントだから仕事に熱を入れないのか。そういう印象が二年連続で続いている。
貶しついでに、上映作品も大したことない。ロシア映画といえば往年のエイゼンシュテインやらタルコフスキー、最近でもソクーロフやゲルマンを思い起こすファン層は未だ厚く、資本主義導入後の映画作品が「小粒」になってしまったことに落胆する観客が途中で席を立つ姿も見られた。私でさえ途中で帰りたくなったが、当の監督が舞台挨拶に来ているので、申し訳なくて最後まで見ていただけだ。これが現代ロシア映画界の現状というわけだ。嘆かわしいが、こうした現実を知るにはよい機会ではある。

実はこの映画祭と時を同じくして、先週赤坂かどこかでモスクワ・フェアみたいなイベントをやっていた。東京はモスクワと姉妹都市だが、急にこういう小型フェアをやるようになったらしく、しかし私が情報をキャッチした時は既に終わっていた。それでもその関連イベントなるロシア現代アニメ上映会を、当地の専門家の解説を交えて東大でやるというので、そっちには行ってきた。なかなか良かった。
ロシアアニメといえば筆頭は「チェブラーシカ」だろうが、あれはソ連時代の産物で、いわゆるセル画アニメではなく、人形アニメだ。手作り人形を舞台装置に並べ、一枚写真を撮り、ちょっと動かしてまた一枚撮り、という気の遠くなるような反復作業で数十分の動画に仕上げる。製作者の根気がモノを言う手法なので、大量生産が利かず、資本主義の今日のロシアにはもはや作れまいと思っていた。しかし今回紹介された11本のうち、半分くらいはこのタイプだったから驚きだ。もちろん長編ではない。しかし金儲け目的ではない芸術作品扱いの、ソ連時代の精神を受け継ぐ作品がいくつか見られ、聴衆に深い感銘を与えてくれる。

何よりもまず画が美しい。一コマ一コマが絵画のように手が込んでいて、子供向けデフォルメにも拘わらず、見ていてウットリするほど人形なり背景なりが美しい。こういう画面に日々向き合って教育されれば、子供達も健やかに育とうというものだ。一方で、今日のロシアのテレビで見られる一般的なアニメ作品というのも紹介されたが、これは大量生産されるセル画やデジタル画で、日本や欧米の使い捨て的アニメ作品とさほど変わらない。当地ではテレビで放映されるこの種の軽量アニメの方が認知度が高い。上述のような芸術性の高い重厚な作品は日常生活ではお目に掛かれず、映画フェアなど特別なイベントに足を運ばなければ堪能できないとの解説であった。なるほど。

ところで、紹介された11本のうちいくつかは芸術性の高くないナンセンスでシュールな作品であったが、その中で楽しい発見をした。セリフのないドタバタ喜劇の作品に登場したマッチョなヤクザを表すキャラの二の腕に、ロシア教会の刺青が描かれていたのだ。三つのクーパル(ネギ坊主屋根)を冠した典型的な正教会の建物の図柄で、これがロシアにおけるヤクザの典型コードというわけだ。日本だったら黒のグラサンに頬のキズとか、両肩にべったり彫られた刺青とかだが、当地では正教会のワンポイント・タトゥーで万人がピンとくるらしい。こういう表現も、ソ連時代はありえなかった。時代と世相が伺えるのだ。

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by hikada789 | 2018-10-25 11:23 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
能の謡いには強吟と和吟(弱吟)という二種類がある(呼び方の違いは流派の違い)。和吟はいわゆるドレミファ音階なのでカラオケのできる人には難しくはないのだが、強吟は明確な音階がなく、喩えるならトロンボーンやテルミンのように音程を滑るが如く上がり下がりするので、現代日本人には馴染みが薄く、そう簡単には習得できない。宇宙人も入門時は和吟だけを習い、1年ほど経ってから強吟の稽古を始め、更に1年ほどかかってようやくそれらしい謡いに近付いたのだった。しかし今でも完璧に謡えているという自覚はない。最近は加齢により肺活量が衰えたり高音が出にくくなってきたりしているので、完全な習得に至らぬうちに寿命を迎えるやもしれぬ。こうした特殊な謡い方を習得するには、やはり若年からの修行が欠かせないのであろう。
音楽・楽器の手習いは子供のうちに始めた方が身に付くという一般論は正しいと思う。宇宙人の能始めは三十路過ぎてからだが、幼少の頃にやっていたピアノは、数十年のブランクを経た現在でもそれなりに弾ける。去年購入したカプースチンのジャズ風エチュードの楽譜は、3番に続いて8番を鋭意稽古中。芸術の秋なのだ。
素人仕舞会のお知らせです。

-----第27回八歩会仕舞発表会-----
◆日時:平成30年10月28日(日)13:00~14:20頃
◆場所:井草八幡宮神楽殿(荻窪駅よりバス10分。野外)
◆内容:辻井八郎師のお弟子による仕舞と連吟、独吟
◆宇宙人出没情報:
例によって地謡を端っこで謡います。最近新しい曲がなかなか覚えられない。若い時分にまとめて覚えておいてよかった。有名な曲は使い回しが利くのだよ。終了後、ご希望の方がいれば宇宙人と一緒にお茶に行きましょう。

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by hikada789 | 2018-10-23 13:29 | 宇宙人の能稽古 | Comments(0)
ウラジーミル・メグレ著『アナスタシア』シリーズが面白い。読めば読むほど合点がいき、且つ算命学の神髄とする本質論に非常に近い世界観が見て取れる。正しい子育てや理想的な男女関係を模索されている方はとりあえず読んでみて、心に響くものがあったら是非実行して下さい。決して損はありません。
子育てというと「育児」という限られた家庭及び期間限定のテーマに聞こえますが、この作品は自らの過ちに気付かないまま老年に達してしまった人々にも救済策を示しています。というよりそもそも世代別の対処法ではなく、人間の営みが連綿と受け継がれていくことを前提に話が展開するので、普遍的に親が子へ与えるべき手本とは何か、そうすることでどれほどの問題が解決へ向かうのか、そういう処方が万人に向けて掲げられております。

とはいえ、この作品を読んだ万人が己れの非を認めて方針転換するかといえば、そんな人はほんの僅かかもしれません。その証拠とばかりに、第四巻『共同の創造』にはこんな文章が綴られています。

――美しさと共鳴するためには、自分自身の内に同じものを持っていなければならない。

つまりどんなに正しい解決策だろうと、金言だろうと、受け取る人間がそれを理解するレベルに達していなければ何の役にも立たない、ということです。どうですか、前々回の余話で「恋愛は低級か」と嘯かれて気分を害された皆さん。あなたの恋が実らないのは、あなたが追い求める恋愛対象ほどには、あなたが美しくも賢くもないからだということに、多分あなたの本能は気付いているはずですが、あなた自身はどうしても認めたくない、だから堂々巡りをしている、ということをいい加減自覚しませんか。
そして、当方の運勢鑑定を受けて逆ギレされた少数の方。当方は誠心誠意で最善策を提示しているのですが、それを受け入れられないのはあなたの問題であり、こちらの責任ではありません。さほど難しくもない解決策を、難しくてとても採用できないと思うのは、あなたのオツムが弱くて簡単な判断もできないからであり、あなたの半生が幼稚で、物事に対して責任を以って対処する経験を怠ったことによるツケなのです。

『共同の創造』には、そうした内面の美しさや賢さを磨けぬまま人生を終えつつある老人もまだ手遅れではない、と改善を促しています。詳しくは本編を読んで頂くとして、ここにはいくつかの気になる部分だけを読みやすく簡略して抜き書きしておきます。抜粋だけだと語弊が生じるかもしれないので、興味のある方、また算命学の技術を上げたい学習者は、是非本編を一巻からじっくり読んで下さい。陰陽論の反映がよく見受けられます。

(1)偽りやまやかしは長く存続できない。魂がそれを受け入れないから。それゆえに多種多様な教義や思想が人々に投じられている。偽りは(長続きしないがために)常に新しくなければならず、目新しさ、新奇な見せかけを必要とするもの。人類が社会構造を次々と変えていくのはそのためだ。そうやって失われた真理をそこに探し求めながら、却って真理から遠く離れていく。

(2)嘘には常に限界がある。しかし真理は無限だ。真理はひとつであり、常に人間の魂の自覚の内にある。

(3)相反するエネルギーたちを、まずは自身の内で調和させること。確信のエネルギーもある。確信と疑念。これらが等しい時、未来の創造が正確で美しくあるための助けになる。

(4)(掃除機や洗濯機といった)人工物による労苦の軽減は、錯覚に過ぎない。人間はそれらの対価として日々人生を短くし、苦しまなくてはならなくなった。魂を宿さない物体を手に入れるために、好きでもない仕事に一生、奴隷のように従事しなければならない。周囲を取り囲む魂の無い物質が増えていくことは、大宇宙における人間の存在意味に対する無理解のレベルを表する尺度なのだ。周囲をよく見れば、一連の機械や道具を手に入れるために、工場が建てられ、死をもたらす悪臭を放ち、水は死んでしまった。人間はそんな不要な道具を手に入れるために、自分の一生を歓びの伴わない仕事に費やさなければならない。物が人間にではなく、人間が物に仕えているのだ。

(5)現代人の墓は、便所に似ている。誰にも必要のないものを捨てるための。このような場所に親を葬る子供や、親を忘れて家を去っていく子供に責任はない。なぜなら彼らは親の嘘、そして行き場のない自身の希求を、直感的に察知して家を出るのだから。弔いは儀式を通じてではなく、心からの誠意によって行うべきだ。

(6)悲しいことに、現代は人がわが子の教育を他人に任せてしまうことが習慣になっている。どこかの誰かの教えがどのような世界観を子供に注ぎ込むのか、子供にどんな運命をもたらすのか知りもしないで、自らが知らないものを自分の子供に与え、自ら子供を失っている。そういう子供たちは母親を忘れる。自分の子供を他人に与えて教育を放棄した母親を、成人した子供が見向きもしなくなるのは当然のことだ。

仏教用語に「因果応報」というのがありますが、これを単純な道徳に結びつけるのではなく、陰陽論的に理解した方が鑑定の助けになります。上述の抜粋は、その理解を促進するものを集めました。この作品にはもっと重要なテーマもあるのですが、それは別の機会に紹介しましょう。
今回の余話は、この『共同の創造』の上述の抜粋の、算命学的解釈になります。既に(1)~(6)を読んでピンときた方には、重複になるので購読不要です。ピンと来なかった方向けの噛み砕いた解説に過ぎませんので、ご了承下さい。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「『共同の創造』との比較」です。「算命学余話 #R77」で検索の上、登録&松茸おこわ一皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

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by hikada789 | 2018-10-20 18:51 | 算命学の仕組 | Comments(0)
私が日本語指導しているロシア人の子に読み書き限定の学習障害の疑いがあり、特別支援学校の教諭が呼ばれて話をした。一般に欧米人は学習障害が多く、10-15%もいるのでそれほど大ごととは捉えないのだが、日本人には少ないので、ひらがなを覚えられない小1はこのように大人たちを走らせるのであった。日本人に少ない原因は、おそらく伝統的に日本人が知的障害を忌避して隠匿したり、そのような子供が成人しても結婚できず遺伝子を残さなかったりしたためと推測されるが、特別教諭と話していてもう一つ気付いた。
ロシア・東欧では学校の試験は面接で、ペーパーテストは行わない。普段の授業や宿題で担任が生徒を厳しく査定しているので、筆記試験は今更必要ないのだ。その代わり面接試験では、口頭でその場で正しく物事を相手に伝える能力が試される。質問の意味を理解できなかったり、答えを知っていても相手に判るように説明できない生徒には、低い評価が与えられる。コミュニケーション能力のない詰め込み式ガリ勉は不合格というわけだ。こういう試験方式なので、極端な話、読み書きできなくても試験をパスすることができるし、更に裏を返せば、口達者な人間ほど評価が高くなる。欧米人が日本人に比べて口数が多いのは、こういう価値観の違いも要因かもしれない。しかし日本人にとって、寡黙が美徳と評されても、読み書きできないのは致命的だ。漢字を満足に読めない大人はバカ扱いされても文句は言えない。それくらい日本文化は視覚と知性の結びつきが強いのだ。
ロシアについて言えば、標準的なロシア人は実によくしゃべる。話に中身がないこともしばしばだが、その人の知性を量るのに言語力が査定の筆頭に上がる。今でもかの国では、最も頭の良い学者といえば言語学者なのである。数学者や物理学者はその次だ。そして今も昔も、ロシアでは詩人の地位が高い。詩の原点は即興詩なので、読み書きではなく口頭の世界だ。その場で当意即妙の詩を作れる人は知性の優った人として敬われるので、インテリは詩を作りたがる。一方日本では、詩を作ってますなんて言ったら中高生のラブレターを連想して笑われるのがオチだし、短歌や俳句だったら趣味としては認められても、物理学者に匹敵するほど知性が高いという評価には繋がらない。文化が違うのだ。
そんな異国文化事情のわかるロシア芸術イベントのお知らせです。

(1)第2回ロシア映画祭 in 東京
去年の第1回の様子を当ブログで紹介した時は、字幕の和訳がひどい出来だったとお伝えしたが、今回はどうであろう。無料ですが事前予約が必要。10月19日(金)~25日(木)連日19時開演。一日一作品で、いずれもここ2-3年の新作。場所も日替わりで、渋谷ユーロライブ、いきいきプラザ一番朝カスケードホール、ロシア大使館付属学校コンサートホールの三カ所。

(2)ロシア絵画の至宝展~アイヴァゾフスキーからレーピンまで~
帝政ロシアが誇る正統派国産絵画の展示会。アイヴァゾフスキーはわがお気に入りの画家で、光の透き通る波浪や海岸風景を得意とした。英国のターナーに似た画風だが、アイヴァゾフスキーの方が画面が大きく壮大です。八王子の東京冨士美術館にて12月24日まで。

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by hikada789 | 2018-10-17 15:27 | ロシアの衝撃 | Comments(0)
オスマントルコを舞台にしたトルコ産テレビドラマ『オスマン帝国外伝 愛と欲望のハレム』がBS日テレの平日夕方から連日放映中である。経済発展するとこの種の豪華な大河ドラマが途上国で生まれるが、とうとうトルコがオスマン帝国モノを打ち出してきた。2011年に開始された連作だが、欧州でもヒットして世界の8億人が見たらしい。どんなものかと思って途中から見てみたが、第一印象はまず、ヒロインがブス。だってスレイマン大帝をメロメロにした寵姫だっていうからすごい美女かと期待するじゃん。なんか肉感的で下品なんだよ。でもトルコ人の美意識では美女なのかなあ。それとも役柄が「奴隷からのし上がった異国の女」だからそれに合う女優を選んだのだろうか。

一応フィクションと明記してあるが、史実をモチーフにしているので、ヒロインの寵姫ヒュッレムは実在するし、スレイマン大帝の遠征も史実に沿って描かれている。設定ではヒュッレムはウクライナ出身で、本名アレクサンドラ。タタール人の襲撃により捕虜となり、奴隷となってオスマン王宮に売られてきた。こういうことは実際よくあった。覚えてますか、わがホニャララ小説『メタフォーラ・ファンタジア』にもロシア出身の白人奴隷を登場させているが、ロシアは最初モンゴルの属国となり(タタールの軛)、モンゴルが弱くなると復権し、同じ頃台頭してきたオスマントルコと陸続きで睨み合うようになる。でもオスマン軍は当時最強の兵力だったので、ロシア南部に広がるウクライナは結構トルコにやられっぱなしだった。だから当地の美しい娘たちは攫われてきてトルコの貴人に献上された。

オスマン王朝はこの種の混血におおらかだったので、王家の血筋は美男美女が多かったという。お母さんが外国人で子供がハーフになるからね。尤もウクライナよりもコーカサス出身の方が美形度が高いと聞いたことがある。コーカサスはアルメニアやグルジア、チェチェンやダゲスタンのことだが、現在でも美男美女の産地として名高い。まあ現代のウクライナもスーパーモデルで外貨稼ぎをしているから、好みの問題かもしれぬ。ともあれオスマン朝では、見目麗しいコーカサスの男達もリクルートして近衛軍に入れたりしていた。見栄えにこだわる王朝だったのだ。それなのに、ドラマで使う女優はこの程度か。本物を出せなのだ。

ヒロインはともかく、見どころとしてはやはり豪華絢爛たるイスラム装飾に囲まれた王宮インテリアや衣装かな。戦場の様子や戦闘服なんかも丁寧に作り込んでいて、歴史考証されている感じが良い。原色ではない自然な染色の布地の風合いが、落ち着いた高級感を醸している。要するに眼福なドラマである。ヒロイン以外の女優陣も私の目にはイマイチだが、タイトルの通り「愛と欲望」がテーマなので、後宮のドロドロした女の戦いを扱う以上、爽やかさとか慎ましさはそっちのけで、陰謀や暴力に見合った顔ぶれといった感じ。スレイマン大帝の遠征シーンはなかなか楽しいが、後宮のシーンはあんまり面白くはない。ちょっと前に則天武后を描いた中国ドラマをやっていたが、あれと同じレベルかな。因みにあの中国ドラマの主演がいま話題の脱税女優ファン・ビンビンである。

ハーレム物語とはいえ、イスラム教国の作るドラマなので、性的描写はゼロ。その点安心して子供にも見せられます。スレイマン大帝に反抗するハンガリーなど東欧の王侯なども描かれて、その衣装からも文化の違いがよく判って勉強になる。また後宮の女性の衣装がいわゆるドレスで、大きく胸が開いていたりティアラをつけていたりして、この風習が二百年後くらいに西洋貴族の女性のファッションに取り入れられたのだと判る。文化の源流や変遷についてもビジュアルで語ってくれる貴重な映像ですので、ぜひ一度ご覧下さい。個人的には、こういうドラマはペルシャ宮廷モノとしてイランに作ってほしかったな。多分美術的センスはイラン人の方が上だから。

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by hikada789 | 2018-10-15 18:58 | 宇宙人の空飛ぶじゅうたん | Comments(0)
畳がやってきた。一週間前に家具を全部どけて職人さんに採寸してもらい、ホチキスの針の飛び出す危険な畳板ごと取り替えるべく全面製作してもらっている間にネットで本棚を注文。新旧畳の入替え日に再び家具を全部どかし、畳床に溜まった恐らくは築年数分のホコリを掃除機で吸い取り、井草の香る出来立ての畳を招き入れる。サイズはピッタリ。さすがの職人技なのだ。畳の搬入搬出は1時間で済んだが、どかした家具の復旧と新調した本棚の組み立てに半日を使い、更に溢れた書籍の収納レイアウトをあれこれ試しているうちに、結局二日使ってしまった。
掃除も済んで、井草の香りに包まれながら青い畳に転がって平泳ぎする宇宙人。癒されるなあ。えらいぞ、畳。この老朽マンションに越してきた時はいずれフローリングにリフォームしようかとも考えていたが、やっぱり日本は畳だよ。直に寝そべっても痛くないし、何より香りがいい。森林浴並みのヒーリング効果だ。誇るべき日本の文化なのだ。

皆さん、ご自宅をリフォームの際は是非畳部屋をご検討下さい。耐久は約十年で、半分の五年辺りで畳表を裏返す修繕をするのが一般的だそうだ。この裏返し作業は1日でできるので、家具の移動も一回で済む。朝どけて畳を持って行ってもらい、夕方に畳を入れて家具を戻すだけ。費用は、今回のように畳板ごと作り替えるのと比べて半分以下。尤も我が家に越して来てからとうに十年以上過ぎているし、前の住民も畳を替えた形跡がないので、頑張れば四十年使い込むことも可能だ。今回は畳板から作ってもらったので、もう飛び出したホチキスの針で足の裏に穴を空ける心配は永久になくなったのだし。とはいえ仕事のなくなった職人さんが消えてしまっては困るので、適度な年数のところでメンテナンスするとしよう。
こうやって実用で注文することで、伝統文化は亡びず生きていけるのだ。最近は琉球畳もインテリアとして普及してきているが、あれは値段が2~3倍する上、フチがないので耐久性がやや劣るらしい。ウチの職人さんは採寸の時にフチのサンプルを持ってきてくれて、自由に選ばせてくれた。いろんなのがあって悩ましかったが、結局目の疲れなさそうな灰紫地に金糸の和模様のにした。四畳半のくせに御殿みたいな仕上がり。なにやら背筋が伸びるのだ。
天井までの薄型の本棚にしたので部屋もそれほど狭くならなかったし、暫くは本を買ってもまだまだ入る余裕がある。井草に囲まれながら読書の秋を楽しむとしよう。

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by hikada789 | 2018-10-13 19:22 | その他 | Comments(0)
ご本人の許可を得て「あなたの山水画」を掲載します。ご協力ありがとうございます。
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1990年5月13日生 女性の山水画
戊 辛 庚
寅 巳 午
初夏の太陽の光が明るく山岳を照らし、樹木や岩も温めている。
【解釈】
夏山のあなたは風景のメインとしてどっしり構えています。太陽は母親、岩石は父親や兄弟友人で、雄々しい感じの家族関係です。しかし同時にやや繊細さに欠け、あなたの性格も大ざっぱで意志強固、男性的にさばさばしていて、外貌も大づくりです。
大変エネルギーが多いので、宿命消化のために積極的に活動するのが吉です。怠けていると運が停滞します。

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by hikada789 | 2018-10-11 19:33 | 宇宙人の鑑定実績 | Comments(0)
昨夕は友人との楽しい会食後、井上尚弥のWBSSマッチの放送時間ぎりぎりに帰宅したのだが、テレビをつけたら案の定試合は終わっていた。インタビューを受けるナオヤが試合後とも思えぬつるりとしたきれいな顔で、KOシーンをモニターで眺めながら朗らかに試合を振り返っている。皆さん見ましたか、あの胸のすくような一発KO。しかも漫画のような倒れ方。人間あのように棒立ちのまま失神するものなのだな。
放送終了を待って改めて録画を視聴した。なんだ、また1ラウンド1分結着だったのか。しかも打ち合いすらないファーストパンチKOではないか。これではトーナメントの今後の対戦相手が対策を練る材料にもならぬ。モンスター伝説上塗りなのだ。解説に呼ばれた山中慎介が気の毒なのだ。ひと言もしゃべらせてもらえぬうちに試合が終わってしまったのだ。放送時間もダダ余りなのだ。試合時間が1分だったから、まるまる3回分流しても3分しか稼げないのだ。しょうがないからスロー映像を何度も流すのだ。芸のない編集だが、その方が視聴率は稼げるのだ。それくらい判りやすい右ストレートだったのだ。
このトーナメント、各団体の四人の王者に有力選手四人を加えた合計八人で争うのだが、本命はやはり王者の四人で、英国ブックメーカーによれば四人のうちナオヤはオッズ筆頭だそうである。ナオヤはついこの間バンタムに上がったばかりなのに、もう怪物ぶりが知れ渡っているのだな。まるで道場破りなのだ。次の準決勝が待ち遠しいのだ。

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by hikada789 | 2018-10-08 21:13 | その他 | Comments(0)
前回の余話#R75では、結婚は人生の大事だが恋愛はそうではない、という話を突き詰めてみました。陰陽論から男女の性差は決定的であり、男女性差をゼロにしようと奮闘する現代社会の目論見が無意味であることを、算命学の学習者人は知っておかなければなりません。類似の話は既に過去の余話#U13と#U14で取り上げているので、そちらも参照下さい。

なお「気の濁った子供が生まれる」という話については、こんなイメージが適当です。永らく掃除していない部屋や物置に入ると、ホコリがたまって綿のような塊になっています。その色は灰色ですが、実はホコリそのものが灰色なのではありません。ホコリを形成する塵あくたはそれぞれ赤や黄色や緑や黒など、そのホコリがホコリになる前の衣類の繊維や、人間のまき散らす角質の色をしたままなのです。顕微鏡で見れば、その色とりどりの塵あくたが確認できます。
しかしそうした塵はあまりに微小で肉眼では見分けられず、結局綿ボコリというひと塊のサイズに成長しないと、我々の目は物体として把握できない。すると、色とりどりの塵たちは、あくまでも見た目上ですが、まるで絵具を混ぜたように互いの色を反映し合い、つぶし合う結果として、全体的に灰色の綿として人間の目に捉えられるのです。「気の濁った子供」とはこれに似ています。
では逆に気の濁らない子供を考えるなら、赤なら赤の、黄色なら黄色の、その色の塵あくただけで形成されているホコリということになります。他の色の塵が混じっていないのだから、そういう単一の色目になります。

単一の色目でも、混色による灰色でも、ホコリはホコリです。でもまあ、ホコリという例は適切でなかったかもしれません。その先の使い道がありませんから。これを人間の子供に当てはめた時、どのような印象を皆さんは受けますか。強さ、弱さ、美しさ、醜さ、生命力やしぶとさ、儚さ、平凡、珍奇。おそらく多くの人の受ける印象は概ね同じだと思いますが、その印象が「良い」か「悪い」かは、人それぞれだと思います。それは人それぞれで価値観が異なるからです。
毎度くどいようですが、算命学は陰陽を論じるだけであり、良し悪しは論じません。良し悪しを決めるのは、その人本人がする作業です。鑑定者が決めるものではありません。

今回の余話は、前回のテーマの一部を受けて、夫婦について取り上げます。最近大物女優が亡くなり、その夫との奇妙な夫婦関係が話題になりました。結婚後、同居していたのはたったの二年で、あとは死ぬまでずっと別居。夫の方は離婚を望んだ時期がありましたが、妻は拒否し続け、結局往生するまでこの状態でした。夫婦の間には激しい家庭内暴力の応酬もあったと、妻は公に語っております。つまり妻もやり返していた。それでいて、人生が終わってみれば、夫婦は結局仲が良かった、という伝えられ方をしております。果たして真実はどうだったのでしょう。
下世話ではありますが、妻の方がもう亡くなっているので、ここは心置きなく命式を判じてみます。

(この続きは「ブクログのパブー」サイト [http://p.booklog.jp/] に公開しました。副題は「離婚しがたい夫婦」です。「算命学余話 #R76」で検索の上、登録&栗ごはん一皿分の料金をお願い致します。登録のみは無料です。)

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by hikada789 | 2018-10-07 13:31 | 算命学の仕組 | Comments(0)